鉄底海峡に待雪草を   作:在田

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「――私に手を触れるな!」


Outbreak

 そういえば、と空を指差したのは青葉だった。

 

「最近、黄色い飛行船が飛んでるじゃないですか」

 

「……そやなぁ」

 

 紫煙を吐きながら気怠く応じた龍驤は、感じた視線のせいで煙草を携帯灰皿へ入れることにする。

 

 毎日毎日、旅団の襲撃に備えた厳戒態勢。

 泊地のどこに行っても戦闘装備を着込んだ男たちの視線を浴びる。

 

 ……それだけでこんなにも疲れてしまうものなのかと呆れる。

 

「龍驤さん、元気ですか?」

 

 次の煙草を取り出そうとして、しかしやめる。

 軍人連中は今のところ視線を飛ばしているだけで、具体的な行動は何もしていない。

 

「今んとこ平静やけど……」

 

 泊地に入っている連中に、旅団と繋がりのある幕僚の息がかかった部隊が紛れ込んでいたら、何時、何が起こってもおかしくない。

 ……当然、無防備極まりない艦娘が撃たれることも。

 

「んで、その飛行船が何かしたん?」

 

 現状、飛行船はただ飛んでいるだけだ。

 もし旅団絡みだったとしても、そもそも屋内設備が多い泊地を上空から監視する必要などなく、逆に襲撃をかけるには高すぎる。対空砲すら届かない高度から艦娘が飛び降りれるはずもない。

 おまけに飛行船という巨大な体積の割には運べる絶対数も少ない。艦娘が居を構えるにも無理があるだろう。

 飛行船を飛ばす理由が、どこにも見当たらないのだ。

 

「いや、今のところは何もしていないんですけど、何か気になるんですよねぇ」

 

「まあ、あまり見ないものやからやないか? ……連中もそうなんやけど」

 

 視線が、夕立や春雨と楽しそうに会話をしている男たちに向かう。

 

 最近になって戦力増強を図るため、夕立の第二次改装が完了したばかりだった。

 それを自慢して回る二人は、龍驤のところにも来ていた。

 

 ……確かに、目の色はおろか出で立ちや風貌まで豹変してしまった姿には驚くが、でもそれだけだ。

 

「気になることといえば! 青葉、見ちゃいました!」

 

 青葉が再び人差し指を立てるが、今度は空を向かない。

 青葉の趣味から鑑みれば……下らないことか、重要なことかの二極しかない。

 

「何を?」

 

 後者ではないことを祈りながら、龍驤は歩を進める。

 

「大淀さんです」

 

「大淀?」

 

 眼鏡に黒髪、落ち着きのある利発的な印象の軽巡。

 ショートランド泊地にも、隣のブイン基地にも配属されていないはずだ。

 

「はい。ちょっと前にちょろっと見ただけなんですけど、なんでいるのかなって」

 

「輸送とか、ウチらんとこの司令官への伝令とか、そんなもんやろ?」

 

「だと思うんですけどねぇ……」

 

 脳裏を過ぎったのは、鳳翔の笑顔だ。

 ――戦争はとっくに始まっている。

 

 今は銃弾が飛び交っていないだけで、いつ連中が引き金を絞っても不思議ではない。

 

 だが龍驤にはもう一つの懸念があった。

 

 軍人連中が戦うべき相手は旅団だ。それの見張りも兼ねて泊地全体に居座っている。

 

 だが連中が守るべき相手はショートランド泊地の艦娘なのか? それとも泊地そのものなのか?

 もし後者ならば、艦娘はいるだけ邪魔になってしまう。下手に旅団を迎撃しようと勇ましい姿を見せる艦娘が現れれば、男たちの作戦に支障が出ることは間違いないだろう。

 

 ……そうなったら、男たちは艦娘をどうするのだ?

 直接聞いたところで的を得た解答は来ないだろう。

 

 男たちも艦娘を殺そうとしているわけではない。男たちの上層部の判断に基づいて行動する。

 泊地の提督もそうだが、男たちを操る存在も、龍驤は信用ならなくなってしまった。

 

 

 翌朝に、それは起こる。

 横に並んで、ショートランド島を遠くに望む艦娘たちがいた。

 

 泊地に人類の軍隊が大挙して居座り、彼女たちの攻撃を今か今かと首を長くしている。

 ……そう、三人は聞いている。

 

 巡視船が泊地の外を回っている。旅団が艦娘で構成されているなら、艦娘は海から来るはずだと。

 それは正しく、同時に間違ってもいる。

 

 隼鷹、葛城、天城……それぞれが飛行甲板の代わりとしての巻物を展開して、光を纏わせる。

 

 ……視線の先に、本来彼女たちが戦うべき深海棲艦の姿はない。

 

「――こちら大淀。聞こえますか」

 

「良好です」

 

 躊躇いがちな天城の返答。

 既にレーダーでの捕捉もされているだろう。巡視船が艦娘たちの通信を拾い、介入する。

 

『そこにいる艦娘へ。空母の出撃要請は出ていない。所属と官姓名を名乗れ……どうした?』

 

「それでは皆さん、状況を開始します」

 

「了解。状況開始」

 

 巡視船からの警告など聞こえていないかのように、大淀の言葉に応えた三人が一斉に、艦載機を空へばら撒く。

 

 空母艦娘の艦載機発艦には大きく二パターンがある。

 鳳翔のような弓矢の形式と、龍驤や三人のような巻物の形式。

 

 発艦のカタパルトの役割を持ち飛距離を稼ぐことができる弓矢型に対し、巻物型にはそのアドバンテージはない。

 代わりに持つ優位性は、発艦できる艦載機の数が桁違いに多いことだ。

 

「おい。今のは何だ? 状況って何だ!?」

 

 巡視船の言葉など、もはや空に届くはずもない。

 

 蜘蛛の子を散らすように、妖精さんが乗り込む艦載機の群れは泊地へ距離を縮めていく。

 その腹に大量の爆弾と、銃弾を詰め込んで。

 

 

 ――夕張はその時、工廠のシャッターを開くところだった。

 背中を預け、足に力をこめて腰で押す。口には泡立った歯ブラシ。

 運動不足が祟る中でも数少ない運動。いつもの日常がいつもどおりに始まろうとして、しかし崩れ去る。

 

 唐突に訪れたプロペラの音。

 気づいた時には空を埋め着くすほどの艦載機の群れがあって、夕張はあんぐりと口を開けて、落ちた歯ブラシを拾うことすら忘れてしまう。

 

 

 ――龍驤はその時、治安維持機構の執務室に呼び出されていた。

 通信の相手は提督。相も変わらず文章が並べられる。

 

『今朝未明。ショートランド泊地治安維持機構に対して、隊長名を以て出動要請が成された。軽空母龍驤。理由を請う』

 

「その前にや、司令官、キミに言わなきゃいけないことがあるんやが……」

 

 青葉と衣笠と春雨が、既に行動を移している。提督からの通信を切って、龍驤の判断に基づく独自の行動を取っている。

 龍驤の言葉など意に介さないとばかりに、提督からの電文は尋常ではない早さで視界に叩きつけられる。

 

『貴艦の意見は求めていない。司令官である私の承諾も得ず、これは越権行為だ。貴艦の行ったことは治安維持機構内部の秩序を乱し、ひいては、泊地はおろか、全鎮守府へ無用の混乱を招く軽率な行動であると判断できないのか?』

 

 始めから時間稼ぎのつもりでここに居座るつもりだが、それでも苛立ちをこらえきれなかった。

 立ち上がった勢いで、座っていた椅子が倒れる。

 

「じゃあ確たる根拠も具体的な要請もなしにやっとる泊地への警備出動は、軽率な行動やなかったんやな?」

 

 今回の非常事態を招いたそもそもの原因は、一連の事件によって泊地内に醸成された艦娘たちの不安に乗じて、提督が思惑を性急に追求した……そう、龍驤は判断している。

 旅団への不安も当然だろうが、ならば泊地内に旅団がいるかいないかを治安維持機構に調べさせることだってできたはずだ。

 

 しかし提督はしなかった。なぜか?

 

 提督は艦娘ではない。

 泊地にいるのは艦娘であり、治安維持機構もその一員である。

 つまり維持機構は、龍驤は、始めから提督に信頼されていない。

 

 艦娘が起こしたテロに対して、怯えるのはヒトも艦娘も同じだろう。

 しかし、艦娘であれば対処が可能であることに対して、ヒトは生身で海上に居座り続けることなどできない以上、艦娘がどこで何をしているのかを見定めることができない。

 

 ヒトは、艦娘を恐れていてもおかしくない。

 自分たちを守るために創ったはずの存在に裏切られたショックが大きいのは、明らかにヒトの方だろう。

 

 だからヒトの立場である提督は、恐れている。

 恐れているからこそ、幻の友永隊に撃墜要請まで出した龍驤へ責任を問い詰めることで状況から目を逸らさないといけない、と。

 

 だがそんなことをしている間にも、旅団は確実に行動を起こしてくるだろう。

 治安維持機構が機能を停止し、泊地に居る連中が艦娘に慣れ始めたそのタイミングが、最も襲撃に適したタイミングとなる。

 

 今日、でなければ明日。

 

 だから龍驤もそれぞれに命令を下して行動を起こさせ、早速提督に見つかった……という流れだ。

 

 提督の反論がまた視界に叩きつけられるが、読んでいるふりをしながら、鳳翔からもらった携帯端末で夕張へ連絡を取ろうとする。

 工廠は海に面している。旅団が襲ってきたら真っ先に異常を知らせてくれるだろうと思っていたが、しかし夕張は出ない。

 

 そして遠くから聞こえてきた音に、察する。

 始まったのだと。

 

 連絡橋を絶って人の出入りを制限し、その上でヒトを呼び込んで、鎮圧する。

 ……旅団が最初に行う業績として世界中へ喧伝するには、絶好の条件なのだ。

 

 提督からの電文など、もはや読んでいない。

 

 遠くから爆音が聞こえて、それがだんだんと近づいているにも関わらず、未だに龍驤へ責任を求めて電文を押しつけることしかできない者の言葉など、もはや聞く必要もない。

 自ずと、誰にも聞こえないほどの小ささで言葉を漏らしていた。

 

「どうにもならんて……維持機構に……あの連中が……」

 

 ぶつぶつと言葉だけ並べて、龍驤は思案する。

 

 しかし、それを遮るものがあった。

 すぐ近くで起こった爆音。

 ビリビリと震える窓ガラスに、龍驤は目を覚ましたように顔を上げる。

 

『軽空母龍驤、答えてもらおう』

 

 文字列に、嘲笑すら浮かべてしまう。

 泊地庁舎が爆散してしまいかねないこの状況でも、提督は責任を言及している。

 

 ――それでも軍人なのか! と怒鳴り散らしそうになる自分を堪えた。

 

「確か、こうやったな……

 『戦線から遠退くと、楽観主義が現実に取って代わる。

 そして最高意思決定の段階では、現実なるものはしばしば存在しない。

 戦争に負けている時は特にそうだ』ってな」

 

『何の話をしている? 少なくとも、まだ戦争など始まってはいない』

 

「始まっとるんよ。とっくに……旅団ができる前。いや、そのずっと前から……

 ウチらの戦争は始まっているんや」

 

 窓の外で黒煙を噴く生活の跡を見やりながら、龍驤はほくそ笑む。それは嘲笑でもあり、自嘲でもある。

 煙草を取り出しながら、龍驤は歩き始める。

 

「悪いけどな。キミには愛想が尽き果てたわ。ウチは維持機構を降りるで」

 

 龍驤は扉を開けて、既に廊下へ散らばっているガラス片を見つける。

 窓があった場所から吹き込む、焦げた臭い。

 

 そして再び、火球が広がった。

 龍驤しかいなかった空母寮が、粉々に砕け散る。

 

 どこかから、男たちと艦娘たちの悲鳴が耳に入った。

 

 返信こそないものの、まだ通信が繋がっているはずの提督に、一言だけ、言わずにはいられなかった。

 

「だから! 遅過ぎたと言っとるんや!!」

 

 

 空から落とされる爆弾の数々に、男たちも為す術もない。

 手に持っている機銃でどうにか爆弾を空中で爆破させられないかと奮闘するので精一杯だ。

 

 空を飛ぶ艦載機に弾が届くはずもなく、そして戦車も巡視船も、艦載機ほどに小さな目標を狙うことすらできないまま爆発炎上するしかない。

 

 あくまで男たちが想定したのは対艦娘の戦闘、つまり、陸上装備に近しい装備を海上で行うという存在に対する作戦だった。

 手のひらサイズの戦闘機に対処する手段を、男たちは持ち合わせていない。

 

 泊地のそこここで巻き上がる爆炎と爆煙を、誰も何もできない。

 旅団の計画通りに、泊地が壊滅へと追い込まれていく。

 

 

 同刻、再び旅団からの声明が世界中へ発信される。

 遠く上空から映される映像。建物という建物から黒煙を吹き上げるショートランド泊地と、沈みゆく巡視船。

 旅団が、ショートランド泊地を陥落させたと喧伝した。

 

 

 庁舎を出て、逃げ惑うばかりの男たちを脇目に、龍驤は通信を行おうとして……ノイズばかりで誰も応答しないことを悟る。

 通信設備まで破壊されては命令も届けられない。無論発砲許可もなければ、男たちは居るだけで何もできない。

 

 龍驤は頭を回す。

 ほとんどの設備は機能を停止しただろう、と。

 

 おそらく工廠も入渠ドックも、出撃の港も帰還の岬も、泊地としての機能すら壊滅しただろう。

 

 ……だが龍驤たちの戦いはまだ終わっては居ない。

 戦力はまだある。残っている。

 

 予め設定した合流地点へ急ぎながら、龍驤は拳を握り締めた。

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