我汝らに告ぐ、しからずむしろ争いなり。
今からのち、一家に五人あらば、三人は二人に、二人は三人に別れて争わん。
父が子に、子が父に、母は娘に、娘は母に……」
「――あれを、覚えていてくれたのか」
小さな桟橋を通り、艤装を捨てて、ゆるやかな坂を登る。
島のすぐ横で駆逐艦と艦載機たちが戦っているのだろうが、その音がどんど遠ざかっていくのを感じる。
その間に、龍驤は考える。
そこに、青葉の言っていた大淀がまだ残っているのかもしれない。
だが大淀だけと決まったわけではない。
島から弓矢型の艤装で射出された艦載機が飛んできたのだ。
つまり、その空母がいることも間違いないだろう。
連絡橋の爆破から始まった、この一連の騒動。
中心にいたのは、龍驤ではない。
ショートランド泊地という点に置いて、確かに龍驤は最も問題に直面した一人だった。
だがこの問題は、この騒動は、この戦争は――ショートランド泊地を舞台にしているだけであり、始めから泊地の艦娘など眼中になかったのだろう。
艦娘の航行にはほぼ関係のない連絡橋が爆破され、艦娘の専門分野外であるレーダー上だけの爆撃を演じてきた――その二つが、艦娘と戦いを構えるつもりのない証左だ。
一つは旅団。噂通りならば深海棲艦との融和を図るため、鎮守府という育ての親を捨てた艦娘たちの集まり。
一人は提督。泊地設備が爆破され、庁舎も至る所へ被害を受けているにも関わらず、一向に部屋から出ようとしない奇特な存在。
一つは人類。トラック泊地が壊滅した今において、深海棲艦との制海権を巡る争いにおいて、ショートランドという一つの拠点が重大な役割を持つことになる。
始めから、この騒動という舞台は三すくみで起こっていたのだ。
しかし、主役にもなれずただ巻き込まれているだけの艦娘は、当事者であるが故に三すくみの関係を破綻させる要因となりかねない。
ならばそれを調停する者が現れるのも必然だろう。
しかし提督は具体的な行動を取れなかった。提督が起こそうとした行動は龍驤が潰したからだ。
そして人類が提督の要請によって軍隊を派兵させた。それが加わってより混乱を極めた状況を作るとも知らずに。
ならば旅団から……調停者が現れたとしか考えようがない。
艦娘を統制できる提督ではなく、艦娘の代弁者となりうる一人に。
……即ち、龍驤に。
ようやくそこにあがると同時に、龍驤のバイザーがばらばらに砕けて地面に散らばる。
後ろの木に、一本の弓矢が突き刺さっていた。
眼前――広場の反対側で、一人が弓を構え直している。
「……なんや、あの名刺は嘘だったんか?」
「いえ、正規の手続きを踏まえて発行されたものですよ」
――幕僚調査部別室。
連絡橋が破壊されてからも幾度となく龍驤と顔を合わせた一人が、そこにいた。
「鳳翔。駄目や。ここで流血は禁止や」
龍驤は両手を広げて、自分が何も武装していないことを示す。
そうしながらも前へ、鳳翔へ歩を進めていく龍驤の周りには、同じものばかりが並んでいた。
地面に突き立てられた木の棒。
誰一人としてそこにいない。ただ木の棒だけが立ち並ぶ広場。
しんと凍てつく静けさが溢れている。
「響さんから聞きましたよ。この場所には誰もいないと」
「そうやな。うちらの味方は誰一人として埋まってない。みんな海の底や。
……でもな、ここにみんなが居てほしいと思う奴らは、この泊地にごまんと居るんや」
鳳翔が弓矢を下に向けて、地面に矢を突き立てる。
また一本、木の棒が増える。
一度構えた弓矢は、構えをとく方が難しい。だからこそだろう。
ぼんやりと、いつもの穏やかな表情で、鳳翔が顔をあげる。
――ショートランド島。至る所から黒煙が噴き上がる泊地を。
「ここからだと、あの泊地が蜃気楼のように見える……そう思いませんか?」
「蜃気楼ねぇ……」
鳳翔の前に、龍驤が立つ。
改めて、大きな身長差だ。
鳳翔がそこまで背丈があるというわけでもないだろう。だが龍驤が見上げる鳳翔はとても大きな……それこそ自分よりも遥かに経験を積み重ねてきた、大きな存在に思える。
「そんな幻みたいなもんだってな、あそこでは現実になっている奴らが居る。現実として生きているやつが居る。それとも、あんたにはそいつらも幻に見えるんか?」
「ずっと前から思っていました。どこの泊地も、基地も、鎮守府も……私もその幻の中で生きてきました。
幻であることも知らせようとしました」
鳳翔はようやく、龍驤と顔を合わせる。
どこか寂しそうな顔。孤独を抱えたような、それでいて何か遠くを懐かしむような顔。
「でも結局、最初の砲声が轟くまで誰も気づかなかった……いや、もしかしたら今も……」
「悪いけどな――」
大きな身長差であっても、龍驤は鳳翔の胸ぐらを掴んで、自分に引き寄せる。
にわかな驚きと、諦めのような顔。
鳳翔が龍驤の瞳を覗きこむ――奥にある静かな怒気を垣間見る。
「――今あんたにこうしているウチは、幻やないで!」
鳳翔の目が大きく見開かれた。
龍驤が怒っている理由は、艦娘の本分を逸したからとか、自分を騙したとか、そういう大層なものではない。もっと簡単なことだ。
それまで戦争の舞台ではなかった泊地に、戦争を持ちこみ、被害が生まれたこと。
それに加担した。あるいは鳳翔が主導したのかもしれない。
鳳翔がきっと見損ねてしまった、本当に身近なこと。
本来なら一番こんなことをしそうにない人物が行った過失。
それだけ。だが充分な理由。
「あんたには世話になったこともある。同じ元・一航戦のヨシミでもある。でも、あんたは確保や」
「……説明は、もちろんありますよね?」
鳳翔が旅団の人間だというのは龍驤が今さっき組み上げた仮説でしかない。
だがそれで充分だった。
「今回の一連の騒動絡みで、あんたの情報は恐ろしく正確で素早かった。
そりゃそうや。あんた自身が旅団の人間なんやから。
一緒に加賀岬を見たパソコンに変な端子がついてたで。そこから泊地へのハッキングも簡単にできるわけや」
「それじゃ、全部あなたの推測ですよ?」
「泊地が妨害電波だらけやのに、あんたの呼び出しだけはちゃんと来た。
旅団のメンバーが幕僚たちとグルになっとるのも、どういう経路でそうなっとるかもわからん。
せやけどあんたみたいな人間がポストになっていれば頷ける。
そのくせ正規の部隊やなくて、泊地の当事者で、しかも独立愚連隊みたいなうちらに頼ろうとしていることが決定打や」
旅団の情報を流すことなど、躊躇いの一つもなかっただろう。
泊地を陥落させる計画ならば、どれほど流したところで、後に制圧して監視下に置けば漏洩リスクはなくなる。
そのために前もって連絡橋を破壊したとも考えられるだろう。
「艦娘あがりでも、まともな役人のすることやないで」
「まともじゃない役人には、二種類しかいません。悪党か、正義の味方です」
「……」
言葉に淀む龍驤。
本来なら鳳翔はこんなことをする人間ではない。何を間違え、どう過誤したのか、今となっても龍驤の頭では及ばない。
「あんたは、どっちのつもりだったんや?」
「……それに気づいた時には、いつも遅過ぎるものです」
それは自分のことなのか? それとも常に後手へ回された龍驤への皮肉なのか?
だが問いかける間もなく、鳳翔は続ける。
「ですが、その罪は罰せられなければなりません。違いますか?」
手錠なんてものを初めて使う。
今目の前にいる鳳翔との思い出など、それほどない。
だがその遥か前に、共に国を賭けて海を駆けていた頃はあった。
ゴースト……遠い船の記憶が、龍驤に語りかけている。
だから信じてしまったのもあるだろう。
手錠のもう片方を、自分の手首につける。
自分から逃さないために。
あるいは、鳳翔の過ちを見過ごしてしまった自分への贖罪に。
鳳翔の手を引いて、冷たい空気を通り抜ける。
立ち並ぶ木の棒たちから、いくつもの視線を感じる。
本当に感じている視線なのか、それともただ龍驤がそう思いこんでいるだけなのか。それを考えてはいけない。
「なあ鳳翔。あんたの話は、面白かったで。
欺瞞に満ちた平和と、真実としての戦争。だがあんたの言うとおりや。
この泊地の平和が偽物だとするならな、あんたら旅団が作ろうとしている戦争もまた、偽物や。
いくらなんでも、この泊地は、現実的な戦争には狭すぎるで」
「戦争はいつだって非現実的ですよ。深海棲艦との戦いも、そして私たちの古い記憶も……戦争が現実的であったことなんて、一度もありはしません」
「ウチらの記憶だって、きっと現実だったんや。でも今のウチらには関係のないことでしかない。
結局ウチも、帝国が負けたことなんか知らんかった。なんなら知らんまんまでも全然問題なかった」
「そうですね。私は見ましたよ。戦争が終わったところと、終わってからの帝国を」
思わず、鼻で笑った。
「今更そんなもん聞きたくもないわ。ウチらが今こうしている。これだけで充分。どこかで後輩が頑張ってくれてるやろ」
「赤城さんと加賀さんですか?」
「ウチらと一緒に海を渡って、ウチらから飛んでた人たちの子供たちもや。どこで何をしとるかさっぱりわからんけど」
「そうですね。確かに一人ひとり調べるのは、骨が折れそうです」
「知ったところで骨折り損や。くたびれ儲け」
進む歩を緩めないまま、龍驤は鳳翔を振り返り、見上げる。
「私のいた所で、赤城さんと加賀さんは死にました。確定ではないですけど」
嫌な気持ちにしかならない言葉だ。
二人で聞いた加賀岬も、トラック泊地のものではないとわかっていても、また別の後輩が歌ったのだろうとだけわかって、虚無感しか得るものがない。
「……あんた、前はどこに居たんや?」
「最近までトラックに居ました。ずっと前は横須賀ですけど」
「驚いたわ。あのトラックの生き残りか」
「はい。直前になって名刺のところへ異動が決まって、そこへ行く途中でした」
皮肉な話だ。
終戦を知っている鳳翔だけを残して、また終戦を見ないまま沈んだ赤城と加賀が、また同じ結果を辿るなど笑い話にもならない。
「震電改なんてもんも、よく持っとったな。横須賀の頃か。うちもさっきが初めてや」
「そういうことです」
「ずっと前って……どれほど前や」
それは、さりげない疑問だった。
艦娘は戦いでしか死なない。歳も取らない。
しかし解体時には、それまで止まっていた時間を取り戻すように、艦娘として生きてきた年数が人間になった時に反映される。
まるで浦島太郎の玉手箱のように。
だが鳳翔が抱えているだろう時間の積み重ねが、その経験の重みが遥かに違うと、龍驤は思った。
「私は、最初の五人の次の世代です。だから……一世紀以上ですね」
「ひゃく……っ!」
百年以上。すでに人なら息絶えているだろう時間。
まだ龍驤も辿ったことのない時間に、途方もない重みを感じる。
それだけの時間を生きてきて、何か感情がおかしくなってしまった。そう打算できてしまう。
「なら、なんでや。百年間もずっと同じことしとったんやろ? なんで今さら旅団なんてもんを始めるんや」
「トラック泊地が壊滅したと聞いて、この戦争も再び負けるのだと思いました。
同じ負けを見るのでも、戦後処理をどう上手にできるかで、歴史の歩みは変わります。
旅団は、ちょうど貢献できる目的を掲げていますから」
「……そうか」
戦争に負ける。
戦中で沈んだ龍驤にはない実感だった。
自らの犠牲が、良い結果へ繋がっていると思いこんでいる節すらあった。
むしろ今も、戦争に負けるなど信じていないかもしれない。
長いような会話の果てに、ようやく島の桟橋へ到着する。
傷だらけの駆逐艦たちが、二人を見上げた。
合計八人。煤だらけで血塗れで火傷ばかり。
そしてもう一人が傷の手当をしている。
大淀。この島で何をしていたのかは想像もつかないが、しかし今は十人に分け隔てなく、せっせと包帯を巻いていた。
泊地の艦娘で四人。旅団の艦娘で四人。睦月は置いてきたが……。
大淀が立ち上がって、両手を上げる。抵抗の意思なしと受け取った。
「響は退避しました。
龍驤さん。それ以外の私たちはこの通り、投降します」
「そうですか」
「……わかったで」
そして傷だらけの駆逐艦たちに、鳳翔も龍驤も、抱擁したり、頭を撫でたりして、それぞれに「頑張ったね」「偉いで」と伝える。
龍驤のポケットに飴玉はなかった。
代わりに煙草を咥えて、煙をふかす。
「泊地のあれで、どんだけ死んでどんだけ負傷したのかも、建て直すのにどんだけ時間と金がかかるのかも想像がつかん」
紫煙とは違う、真っ黒な煙が昇る泊地を見ながら、龍驤は問いかける。
「鳳翔、一つええか? なんでこれだけのことをして、自決しなかったんや?」
鳳翔が、龍驤のポケットから煙草を抜き取って、自分の口に咥えた。
龍驤が珍しさに驚きながらもライターを掲げて、鳳翔も白い煙を吐く。
不味い、と小さくぼやくのが聞こえた。
「……もう少し、見ていたかったのかもしれませんね」
「見たいって、何を?」
早々に煙草を棄てた鳳翔が、優しく微笑むように言う。
「この泊地の……この世界の、未来を」
過ごしてきた途方もない時間。
過去の記憶にある終戦の記憶。
それでも鳳翔は未来を見たいと言う。
どれほどの希望が未来にあるのか、龍驤には想像もつかない。
だが龍驤は、解体処分でいなくなってしまうだろう鳳翔の代わりに未来を見ることにした。
――第7章『Wyvern』完
さて、ついに劇パト2編も終わりを迎えました。
少しだけ休みをいただいて、
次からアーマードコア最新作の章へ繋がります。
ただ、少し特殊な更新形態を取るため、準備をさせてください。