Trickstar
うだるような暑さとは裏腹に、空と海は真っ青に広がっていた。
緩やかに揺れ動く波間を、二条の軌跡が白く水面を切り裂く。
ドン、とどこからともなく聞こえてきた重い音の直後、それが彼女の真横を通りすぎたのか、空気のうねりに髪がなびき、海面が炸裂して舞い上がった水柱に飲まれそうになる。
彼女――雪風は手慣れた動きで海面を滑り、降り被ってくる水柱を潜り抜けながら、手に持つ連装砲を構えて首を回す。
最初こそ同じような状況に陥れば悲鳴の一つでも口から漏れ出ていたはずだが、今となってはこの水柱と共に上がってくる潮の臭いに、また別の不安を感じる。
やっぱり当たらないのか、と。
雪風に攻撃は当たらない。理屈などわからない。敵の攻撃が命中しないことは一つの誉れでもあるが、しかし何度となく続けば一種の不安にも苛まれる。
他の艦娘が当然のように経験している痛みを、雪風は知らないのだ。
だから弾と燃料と体力が続く限り戦い続けることができる。
この深海棲艦との戦いを、いつまでも続けることができる。
いつから続いているかも、いつまで続くかもわからない戦いの渦中。そこに雪風はいつまでも居ることになる。
「遅れてるよ、雪風!」
「はい!」
緊迫に満ちた敷波の声で、雪風は一気に前へ踏み出す。
その間にも雪風を狙った砲撃が次々と降り掛かってくる。
だが、そのどれも当たることはない。
何か特殊な動きをしているわけでもない。器用な回避運動を取っているわけでもない。
単なる直進であるはずなのに、なぜか敵の砲撃は真横を通過し、真後ろに落ちて、真正面に炸裂する。
吹き上がる水柱を突き破って、連装砲を構える。
その砲撃は狙い澄ましたように敵の頭を吹き飛ばした。
雪風を狙う弾は一つ足りとも命中せず、しかし雪風が狙う弾は一つ残さず命中する。
群がる敵をたった一人で一網打尽にしていく雪風。同じ駆逐艦だけだからとはいえ、雪風という存在の異常さが浮き彫りになるのも当然だった。
敵にとっても味方にとっても圧倒的な脅威そのものとして映る。
「すご……」
敷波が呆然と見つめ、眼前を通り過ぎた艦載機に驚いて我に戻される。
味方のもの――呆ける敷波を焚きつけるための行動だった。
「何しとんのや! まだ次が来とるで!」
龍驤の怒声。慌てて戦火へ飛びこむ敷波――一連のやり取りを見ていた旗艦・青葉が龍驤へ通信を飛ばす。
「龍驤さん。まだそこまで慌てる必要はないです。むしろこの後を考えたらゆっくりするぐらいでちょうどいいぐらいですよ」
「せやけど、わかっとるんか青葉?」
踊るように戦果をあげていく雪風と、追いつくことで精一杯の敷波。
敷波が劣っているのではない。どう見ても雪風が他を逸している。
「わかっていますよ。こんな近場まで進行してきています。今回は異常です」
戦場を奔走する雪風を見ながら思いを巡らせる青葉。
――自分があれほどに動くことができていたか? あるいは、自分があれぐらいの身体の大きさだった頃は、何をしていたのか?
艦娘だった頃の記憶など始めからこの身体だ。その前を辿れば身体の大きさも材質も動きも変わってしまう。
……存在しないかもしれない幼い頃。
苦々しく奥歯を噛みしめる。
「皆さん、聞こえてますね?
今回の任務は泊地近海まで侵攻している深海棲艦の掃討です。その後なるべく前進し、できる限りの敵艦隊を打破します」
「……本当にそんな任務なの? 今までで一番ロクでもないよ?」
雪風と敷波を追いかけながら尋ねる川内。
できる限りとはどこまでなのか。そして、そのできる限りを行った後の帰路は、果たして安全なのか。
まして敵と一緒に泊地へ帰るなどありえない。
「それでもっ。やるしかありませんっ!」
青葉の真横で轟音が響き渡る。
比叡の砲撃。
青葉と川内、雪風と敷波の頭上を悠と超えて、敵の艦隊に火球を広げた。
艦隊はこの五人――遭遇戦にならないよう作戦も決まっている。
龍驤が索敵、可能ならば牽制。射程内に入り次第比叡が一斉射で敵を砲撃。残敵を雪風と敷波が掃討。川内は補助。青葉が司令塔となり全体の不足部分も補う。
……この段取りを、それぞれの燃料と弾薬を鑑みながら何度となく繰り返していく……今は一巡目である。
だが何より恐ろしいのは、すぐ背中にショートランド島が見えていること。
先日の旅団による襲撃でレーダー設備が破壊され、進行する敵を事前に見つけることがほぼ不可能となった。
だからこそ一度の出撃で出来る限りを打倒しなければならない。
眼前に現れた最後の一匹を、雪風が倒す。
「既に第二波が見えています。全速前進。龍驤さんは第三波へ索敵を」
「はいはい、わかっとるで」
龍驤が再び巻物に光を宿し、式神を走らせる――炸裂と共に艦載機へ具現化。幾つもの翼が空の彼方へ消えていく。
入れ替わりに戻ってきた艦載機たちを、巻物をリボンの如く流麗に振り回して受け止め、妖精さん一人ひとりの頭を撫でている。
「雪風、敷波。キミらも頑張りぃや。そやな。どっちか多い方には飴ちゃんあげたるわ」
「わかりました!」
「……お手柔らかに、雪風」
諦めか呆れか、あまり元気そうでなく手を振る敷波。
すでに比叡の砲撃で損傷を受けて動きが鈍っている艦隊へ、雪風は突撃する。
つい今しがた終えたばかりの第一波。そしてこれから戦う第二波。
あと何波あるのだろう? どれほどの敵を倒せばこの任務は終わるのだろう?
考えるだけ無駄なことだ。
艦娘は戦うものだ。この任務が終わっても明日にはまた出撃がある。またそこで戦う。そしてまた帰る。
それが雪風の毎日だ。
だが雪風だけではない。艦娘みんながそんな日常を過ごしている。
「あかん! すぐ脇から第三波が来とる!」「方向、十字です!」「斉射あっ!」
龍驤の怒号。青葉の号令。比叡の砲声。
敷波が魚雷を走らせ、雪風が砲撃で敵の負傷部分を打ち貫く。
「見逃したウチの責任や! 多い方には二個あげたるで!」
「じゃあ、思いっきりやります!」
雪風が身をくねらせた。
反転する勢いを、眼前の敵を撃破するための砲撃で増幅させて、飛んでくる弾が先程まで居た場所を通り過ぎていく。
魚雷を放射状に放たない。全てを真っ直ぐに――一つ残らず第三波へと馳駆させる。
数瞬しかない猶予に、ふと考えてしまう。
――雪風はずっと傷一つ負わない。
ずっと戦って、戦い続けて……比叡のように負傷で戦線を離れることもなく、来る日も来る日も戦いだけを繰り返す。
まるでずっと戦い続けていられるよう神様が作った仕組みのように。
その仕組み通りにしか動けていないと思ってしまう。
良いことなのか悪いことなのかもわからないが、言い様のない気持ち悪さだけを感じてしまう。
飛沫の白と、煙の黒と、炎の赤が一斉に巻き起こる。
第三波が密集していたからこそ――幸運にも――魚雷が全て命中して甚大な損害を与えた。
飛沫が収まり、雪風の背中にいた最後の一体も青葉が仕留める。
「……敵影なし。近くにもいなさそうですね」
ぼそりと青葉が呟く。
遠くまで目も耳も届く青葉の言葉は、それだけで艦隊の皆が安堵するに充分だった。
ぜぇはぁと疲れ果てた喘ぎ声が後ろから近づいて、肩に手がかかる。
「やっぱりすごいよ雪風……あたしなんかもう……」
項垂れるように、敷波の額が雪風の背中にくっついた。
汗がじんわりと滲んでいるのがわかる。
……まだ雪風は汗一つかいていないのに。
止まっている二人へ、四つの足音が近づき……艦隊が集まった。
「二人とも、ようやってくれたわ!」
龍驤が両手で雪風と敷波の頭を抱えて、ひっしと抱き締める。
「まあまあの敵でしたけど、やっぱり雪風はすごいですね。これなら安心して戦えそうです」
比叡が艤装の構えを解いて雪風の頭に手を乗せた。
そういえば近頃、比叡は頭に手を載せたがる。安心するのかどうかはわからないが、ちょうどいい高さだというのは聞いた。
一方で青葉が龍驤へ顔を向ける。
「次の敵への索敵は大丈夫ですか?」
「もうやっとる……ほれ飴ちゃん。雪風が二つやな。敷波も頑張っとったから、ほれ」
青葉を向くこともなく飴玉を取り出す龍驤。二人が揃って飴玉を口に放り込むのを見届けてから、腰に手を置いてゆっくりと吐息を漏らす。
川内が手でひさしを作りながら、周囲をじっくり見渡す。
「だけど結局、なんでこんな近くまで敵が来てるのかわからないんでしょ? 本当に大丈夫?」
「今はそれでやるしかありません。知らなくて良いことは知らなくていい。何一つ」
龍驤に答える青葉が、どこか不機嫌そうに俯いた。
「新聞記者のセリフやないな。そういうの、気に入らんタチやろ?」
龍驤が青葉の胸をぽんと叩いた。柔らかさで揺れる。舌打ち。
今の雪風に聞こえなかった。
甘さをころころ舌で弄びながら、戦いの区切りを少しだけ考える。
……飴のように甘いものではない。龍驤も比叡も喜んでくれているが、それでもこれからの戦いへ頭を切り替えている。
雪風は戦績に貢献した。
だが雪風が何かを会得したわけではない。海で束の間の休息を得た。それだけだ。
青葉や龍驤が考えているように、次の戦いが控えている。
戦いが終わっても、戦いのことを考えている。
まるで戦うことだけが生きている証拠みたいに。戦いの中にしか存在価値がないかのように。
ならば雪風は……生き延びたのか、生き残ってしまったのか。
塩辛い風と相反して、飴玉の甘さが身に染み渡っていくようだった。
でも嬉しくない。悲しくもない。
これが日常なのだから特に何かを思うまでもない。
今更に疑問を持っている自分が馬鹿らしくなったような気がする。
考えていたことを飴と一緒にがりごり噛み潰して飲みこみ、青葉の指差す先を目指して、進む。
さて、パソコン大破などトラブルがあって間が空きましたが、ようやく最終章が始動します。
最終章はかなり長くなると共に、
今回の雪風ともう一人による、W主人公という形式でスタートします。
交互に話を展開することでやや複雑化しますが、
これまでの話を追いかけてくれた人たちなら大丈夫だと信じて……
そしてその期待に応えきれる作品となるよう全力を尽くします。