鉄底海峡に待雪草を   作:在田

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「知ってどうしようと? 全く不可解です」


Smasher

 出撃の港に四人の艦娘が集まる。

 春雨、衣笠、神通、そして夕立。

 

 大破した設備から、なんとか使えそうなものを寄せ集めた、戦闘を行うこと自体が不安になるほど頼りない装備。

 しかし出撃しないことには始まらない。すでに旅団が行っているだろう行動へ間に合わせることができなければ、泊地がまた襲撃されるかもしれない可能性を拭いきれない。

 

 いつも以上に入念に、そして慎重に装備を確認する衣笠が、後ろから駆け寄ってくる夕張に気づけるはずもない。

 

「はいこれ」

 

 唐突に視界へ入りこんできた手に驚いて顔を上げ、しかし握られていたものを見る。

 

「……方位磁針?」

 

「羅針盤。昔は使っていたらしいんだけどね。もう時代的に使う必要がないものだから」

 

「じゃあ、なんでそんなものを渡してくるのよ?」

 

「中身はを今回の出撃用に作り変えたの。衣笠が持っている拳銃の発振器。それぞれに反応するようになっているわ。

 ちなみに下の東西南北は普通の方位磁針として回転してくれるわ。

 泊地のレーダーから検出されるから、遠くなるほど感度は悪くなるけど、ないよりマシでしょ?」

 

「……なるほど。これで響を追えってことね」

 

 作り変えると言って、普通なら数時間も経たないうちにできるはずのない作業だろう。しかし夕張がそれほど暇なのか、あるいは必要性を感じていたからか。

 考える必要のない答えに、思わず笑みをこぼす衣笠。

 

「で、これどうやって使うのよ?」

 

「設定は響に撃ったと思う発振器にしてあるわ。針の赤い方がそっちの方角。それだけ」

 

「ふーん」

 

 二人して針を覗きこむ。

 赤い針が指してる方角は、ソロモン諸島を示す南東ではなく、北西。

 

 ショートランドは、北と西をブイン島に囲まれる形で位置している。

 

「……まさか、ブインってわけじゃないわよね?」

 

「近くの陸地だからありえそうだけど、レーダーの範囲で位置を絞ることはできなかったわ」

 

「じゃあ、もっと遠くにいるってことね」

 

 羅針盤をポケットに仕舞いながら、港の向こうに広がる海を見つめる。

 

 ……どこに行けばわからないという不安はなくなったとはいえ、その方角をどこまで進めばいいのかはわからないままだ。

 気持ちと表情を引き締め、脇の妖精さんへ語りかける。

 

「燃料、入れられるだけ入れて。できれば増槽もちょうだい」

 

 

 港の裏――少し離れたところにある駆逐艦寮。

 まだずっと目を開けたままの潮がいる部屋。

 

 他に誰もいなくなった中で、潮が顔も表情も変えないままに起き上がる。

 

「……呼んでる…………」

 

 蚊の鳴くような、小さな声。

 

 ベッドからずり落ちる布団を気をかけず、靴も履かないままにドアを開けた。

 

 誰かの足音を聞き分けている様子も、曲がる先を覗き込むこともせず、ごく普通に歩くように、誰もいない廊下を選んで進んでいく。

 

 やがて誰の目に止まることもないまま、寮から出た潮は、そのまま森を進んでいく。

 

 足がどれだけ土まみれになろうと、木の枝や虫を踏んで傷つき汚れようとも、全く意に介さない様子で潮は歩く。

 

 ……潮に気づく人がいなければ、止められる人もいない。

 

 旧市街区の砂浜にたどり着き、留まることなく、傷だらけの足を海に入れる。

 

 スカートが空気で浮いて翻っても、ブラウスが水浸しになっても、口や鼻が海に沈んでも、潮は進む歩を緩めない。

 

 ……そして誰にも気づかれないまま、潮はショートランド島から姿を消した。

 

 

 ……どれほどの時間を走りながら過ごしたのか、もうわからない。

 だが既に日は沈み、上も下も真っ黒な視界を、ただ羅針盤の針に従って進んでいく。

 

「もう、疲れたっぽい~!」

 

「それは皆同じことです」

 

 静かに檄を飛ばして夕立を黙らせた神通が、前を走る衣笠へ通信を入れる。

 小さな声、夕立の耳に入らないように。

 

「すでにかなりの距離を走っています。増槽も空ですし、休まれては如何ですか?」

 

「……確かに、そうなんだけどね」

 

 汗を拭って、しかし不安げな表情を拭いきれないままの衣笠が羅針盤を取り出す。

 依然、羅針盤は北西を向いたままだ。

 

「でももうそろそろ赤道よね。近くで休む場所なんてないんじゃないかな。燃料も、発進と停止を繰り返せば減りも早くなるし……」

 

「それは、そうですが……」

 

「まあ、休憩じゃないけど、減速してゆったり航行するなら……」

 

 肩を回しながら夜空を見上げた瞬間だった。

 

『ア、アー。エットォ、ソコノ艦娘タチ、聞コエテルカナァ?』

 

 通信ではない。深い暗闇から引き込まんと手をのばすような、明るい調子を持った黒い声。

 

 未だ知らぬ声に、全員が戸惑いを隠せない。

 どこにその姿があるのか、夜闇から見つけ出すことは容易ではない。

 

「喋る……深海棲艦!」

 

 衣笠が身構えた。

 

 脳裏を、赤い瘴気を纏った深海棲艦たちが過ぎる。

 植え付けられた戦いへの執念。加古を暗い海の底へ沈めた敵。

 

 ショートランドだけが遭遇したと相手だと……ソロモン海にだけ出現すると、そう思っていたはずの存在。

 

 だが暗闇から現れた姿に、衣笠は違和感を覚えた。

 同時に、春雨は背筋が凍るような戦慄をこらえきれない。

 

『死神ハ居ナイノカ……デモマア、久シブリニ チョット遊ボウカ。チョットダケサ。ハハハハハハッ!』

 

 目深に被った黒いフード。胴部とほぼ同じ長さのある尻尾の先に、巨大な砲塔とそれを支える咢。

 ――そしてフードの下から覗く、爛々と煌めく金色の目と、狂騒に猛る笑みの口元。

 表示枠に現れたる『レ級』の名。

 

 ……奇しくも、以前に雪風と比叡から聞いていた敵と全く同じ。

 

「迎撃を――」

 

 衣笠の命令が出るが早いか、両脇を春雨と夕立が飛び出した。

 

 一直線の猛進と速射を繰り返す夕立と、遠回りに弧を描きながら連射する春雨。

 

 着弾の爆炎が見える。

 だが夜闇に溶けるような黒煙から垣間見えたのは、依然変わらない凶悪な笑みと、ギラつく金色の眼。

 

 微塵も効いているようには見えなかった。

 

「夕立さん、左へ!」

 

 神通に応じた夕立が跳躍し……ちょうど真下を雷跡が駆け抜ける。

 レ級という戦艦を相手にする以上、砲撃では埒が明かないと判断したのだろう。

 

 神通の放った魚雷は、微動だにしないレ級へ吸いこまれていき……。

 しかしレ級に傷一つつけることも表情に痛みの色を覗くこともないままに爆発が終止する。

 

『失敗作ダッタンダ、オ前ラハ。

 ドコニ行コウトシテイルカ、知ラナイケド、止メタ方ガイイ。

 ……ドウセ後悔スルカラサ! ハハハハハハハッ!』

 

 言葉の意図がどこに向かっているのか読めない。神通は疑問に首を傾げ、衣笠の中で感情がふつふつと熱くなっていく。

 

 自分たちが失敗作とはどういう意味なのか。そしてあまりにも理不尽で唐突すぎる烙印に。

 

「失敗作って、何よ!」

 

 衣笠が引き金を絞る。

 

 尻尾の咢が首をもたげ、振り回された。

 砲弾が辿り着くはずだったレ級の胴体を阻み、巨大な尻尾の一振りで黒煙すら薙ぎ払われた。

 

 砲撃が弾き飛ばされたのだと理解するまで、時間がかかった。

 

 レ級が笑みをさらに深くする。ゆっくりと品定めをするように尻尾の咢を動かす――自らへ一目散に肉薄する夕立へ。

 

 轟く、砲火と砲煙と砲音。

 

 夕立が再度跳躍で回避だけは適っても、しかし弾が通り過ぎただけの風圧に吹き飛ばされて海面を転げてしまう。

 海が抉れる爆音を背に、起き上がらないままに放った砲弾がレ級の顔面を捉える。

 

 広がる爆炎から目を逸らさないまま、今度は春雨が背後へ回り込む。

 

「前のようには、いかないですから!」

 

 発射管から魚雷を抜き取り、中途半端に開かれた咢の中へ投げ入れる。

 みしり、と咢が魚雷を噛み砕き、内側から炸裂させる。

 

『アーアー。頑張ッチャッテルネェ』

 

 黒煙を吹き出す咢を余所に、しかしレ級は痛みを全く感じていないかのように飄々と笑う。

 

 次の瞬間に春雨は宙を舞っていた。

 咢が爆ぜ、動かなくなったと思っていたはずの尻尾が、春雨を叩き飛ばしたのだ。

 

「……春雨さん!」「春雨!?」

 

 神通が駆け出した。夕立が愕然と口を開き、衣笠はレ級を睨めつける。

 

『自分ガ何ヲシヨウトシテイルノカ、オ前ラハ気ヅイテナインダ。

 ……気ヅク術ガナインダカラ、ショウガナインダケドサ』

 

 夕立が踏み出した衝撃で、海が爆ぜた。

 

 並大抵の駆逐艦を凌駕した膂力が、今、夕立の中で炸裂している。

 尋常ではない速度で肉薄する夕立に、レ級は目を合わせる。

 

 金色の目が、衝動に赤く染まった夕立の瞳を見つめる。

 なくなったはずの咢――しかし残されたままの砲口が、直進しかしない夕立の進路と重なる。

 

「いけない! 夕立、避けて!」

 

 衣笠の言葉が、今の夕立に届くはずもない。

 このままだと夕立がいなくなる――悟って体温がぐっと低くなった。

 

 突然、夕立が顔面から倒れこむ。地面なら顔まで潰れていただろう勢いを、まともに取れなかった受け身の分だけ飛沫を散らして、止まる。

 

『オォ……? 来タナ、失敗作ノ、成レノ果テガ』

 

 衣笠は最初、夕立がただ単に躓いただけかと思った。

 怒りに我を忘れて、足元が覚束なくなる。ありそうなことだと。

 

 だがそうではない。

 夕立の足首に、何かが巻きついている。

 

 ――それが人の手だと気づいた衣笠はに、出す言葉はなかった。

 

 手が、海面に指をかける。

 

 艤装をつけて海に立つように、生身にしか見えない人の手が形のない海面を掴んで、ずぶ濡れの頭が現れる。

 紺色の長い髪。衣笠と同じか、それ以上に大きな胸に、濡れたブラウスが貼りついている――抗磁圧で海水を跳ね除ける艤装をつけていないという証左。

 

「潮……!?」

 

 缶はおろか主器すら着けていないはずの彼女が、レ級の眼前で海に立つ。

 ずっと海中を泳いできたとしか思えない。だがどうやったのか想像もつかない。

 

 衣笠からは背中しか見えないが、しかし潮の声が通信に飛びこんで来たことに、驚いた。

 

「あなたたちは、誰ですか?」

 

『答エチャ駄目ナンダ。申シ訳ナイケド』

 

「私は、呼ばれてここに来ました。

 知る必要があるんです。あなたたちが……。

 私たちが、誰なのか」

 

 淡々と、感情のない言葉を紡ぐ潮。

 その発言が何を意味しているのか、何の会話をしているのかすら、理解が追いつかない。

 

 対して、レ級は鼻で笑うような短い笑声を張る。

 

『ハッ! 知ッテ、ドウスルンダ?』

 

「知る必要があるんです。私たち艦娘が、何者なのかを」

 

 どこを見るともつかない、焦点の定まらない瞳。

 

 先程までずっと見せていた笑顔を掻き消して、レ級は潮を見つめ、ゆっくりと手を伸ばした。

 

『……ソウカ……ナルホドナァ』

 

 頭に手を置き、滑るように頬を撫でて、落ちるように肩へ手を置く。

 

『俺ニ、答エル義務ハナイ』

 

 ……次の瞬間には、レ級は黒い影となって宵闇に紛れて、いなくなっていた。

 

 レ級がいなくなっても、しばらく同じところを見つめ続けていた潮が、身体から力を失って倒れこむ。

 起き上がった夕立が、海へ沈む前に抱き留めた。

 

 瞼は閉じられ、胸が呼吸に上下している。ぐっすり眠っているかのようだが、先日まで見ていた彼女と全く同じ状態に戻ってしまったのかもしれいな懸念がある。

 

「……潮さん、どうやってここまで来たのでしょうか?」

 

 春雨の腕を肩に回しながら、神通が歩み寄る。

 

「春雨、大丈夫っぽい?」

 

「はい。ちょっと頭がくらくらしますけど」

 

 姉妹の会話を余所に、神通の視線を向けられた衣笠が、顎に指を当てて思案する。

 潮がどこから来たのか、なぜレ級は潮の言葉を受けて、戦わなかったのか?

 

 おそらく今の潮ならば、たった一撃でも食らわせてしまえば粉微塵にすることだってできたはずだ。

 同様に自分たちも、たった一体に打ち負かされていただろう。

 

 しかしレ級はしなかった。

 

「あのレ級は、なんで私たちと話そうとしたの?」

 

「あれは……」

 

 声を出したのは、春雨だった。

 まだ打たれた胸が苦しいのか、呼吸につっかえながら、声を絞り出す。

 

「あれは、以前に私と、雪風と比叡さんで戦った、深海棲艦です。一度倒したと、思っていたんですが……」

 

「甦った、ということでしょうか?」

 

「たぶん、ですけど……。

 あれは、艦娘とか深海棲艦とか、そういうのじゃなくて、もっと違う何か……ずっと私たちを見ている何か……そんな気が、します」

 

「見ている、ねぇ……」

 

 衣笠と神通が目を合わせて、お互いに何か知らないかと問いかけ合う。

 だが、どちらも知らない。

 

 なぜレ級は攻撃してきたのか?

 

 なぜレ級が話しかけてきたのか?

 

 なぜ潮にだけ攻撃しなかったのか?

 

 なぜ攻撃をやめて姿を晦ましたのか?

 

 目的を探るには、あまりにもそれ以前の謎が多すぎる。

 神通が口にした疑問。そして……。

 

「艦娘が何者なのか……って、私たちは私たち以外の何物でもないじゃない?

 それに、失敗作って、どういうことなの?」




春雨パートの第3話。

春雨というより衣笠では? という気がするのは、

春雨が主人公でありながら、衣笠が狂言回しというめんどくさいことになっているからです。
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