帰りの海は暗く、寒く、そしてひどく静かだった。
夜になれば騒がしくなるはずの川内ですら閉口している。
真っ赤に濡れているだろう雪風の服。しかし夜の暗がりで見えない。
……見えない方がいいとすら思える。
雪風の背中で息絶えた鹿島が言った。
――見届けてほしい、と。
旅団が目指している、艦娘と人類と深海棲艦が手を取り合えるような世界。そのための作戦。
何を見届ければいいのかなどわからない。
どうすればそんな世界ができるのか、雪風には想像がつかなかった。
「ねえ……あの、さっきの深海棲艦たち……」
ふと、耐えかねたように口を開いたのは川内だ。
誰かが振り向くでもなく、耳だけ寄せる。
「喋れたと、思う……?」
「やめ。考えんなや」
鋭く言葉を突き刺す龍驤。
深くバイザーをかぶり直すように視線を隠して、歯を食いしばっている。
先程の深海棲艦たち――鹿島が連れてきて、鹿島に協力し、そして自分たちには決して攻撃せず、むしろ守ってくれた深海棲艦たち。
先頭に立つ青葉が、どこか上の空で月光を瞳に入れる。
「……いつか沈んだ、私たちの同胞かもしれませんね。あんな姿になっても、覚えてくれていた……とか」
「それ以上言うなや。それに、ウチらが沈んで、そんであんなんなっても、必ず喋れるようになると、心を保ったままって限った話やないやろ?」
突っぱねるような言葉をしていても、しかし龍驤ですら会話に答えてしまう。
……怖いのだ。味方を殺すことが。そして鹿島が率いている深海棲艦たちが本当に自分たちの先達だったとして、そんな人たちが旅団に加わるほどに、良い方法なのかもしれない、と。
「……でもさ。どうせ今までも、何度も深海棲艦を倒してきたじゃん」
綾波だって――と続けようとした敷波が、しかし閉口する。
最後の最後まで、本当に深海棲艦なのかの判別をつけることができないまま沈んでしまった。
なら鹿島が率いてきた艦隊にいたのかもしれない。もしかしたら鹿島がそうなっていたのかもしれない――敷波も、川内も気づかないような姿になって。
「敷波の言うとおりやな。今更の話や。
どれだけ沈めてきたか数え切れん。その何割かもさっぱりわからへん。考えるだけ無駄や、無駄」
「でもさ、思うんだけど……」
川内の言葉が、また深く抉るようなものではないかと思ってしまう。
辛く悲しい事実なのかもしれないと思いながらも、しかし知りたくないわけではない深淵の縁へ手をかけてしまう。
「……あいつらって、何を話したいんだろう?」
答える者は誰も居なかった。波だけがざわめいて、しかし何かを教えてくるわけでもない。
「――敵、見えました」
青葉の声は逼迫している。
燃料も弾薬も体力すらも心許ない。
加えて龍驤は軽空母。艦載機が放てない夜では何もできない。
「ウチにも見えたわ。かなりの数や……これは、ヤバイかもしれんで」
「大丈夫ですよ。私たちなら勝てます……ですよね。雪風さん」
「は、はい!」
唐突とも思える青葉からの問いかけに、雪風も背筋を伸ばす。
「鹿島さんも、良い人でした! みんなも、旅団の人たちも、そして深海棲艦たちも、話せばわかると思うんです!」
青葉が眉尻を上げた。
――話せばわかる。
鹿島は旅団としてこの艦隊に接触した。彼女が率いた深海棲艦は、彼女の指揮で動いていたと考えるべきかもしれない。
話したのだろうか? いや、話す以外のコミュニケーションがあったのか?
鹿島とは、きっとどこかでわかりあえる部分があったようにも思う。
だが結局どこなのかを見極めることは適わなかった。
「だから雪風は、みんなを信じれます!」
川内の言葉もある……喋ることができる深海棲艦は、果たして何を話そうとしているのか?
そこにも、相容れないはずだと思っていた旅団と――鹿島との間にありそうだった部分があるのだろうか?
……だが確かめることはできない。
今の自分たちは、眼前の敵を障害としてしか認識できない。
今までそうだったからであり、今からそうなるだろうことは想像に固くない。
青葉は思う。かつてブイン基地で、叢雲が生きていた頃に話したこと。
自分のことすらまともに信じることができないのに、他人を信じることなど自分には無理だろうなと、思ってしまった。
そんな青葉の横を通り過ぎた川内が、雪風の肩を軽く叩く。
「じゃあ、雪風と敷波は私についてきてよ」
言うが早いか、川内が速度を上げて海を切り裂いていく。
敵のシルエットがようやく掴めた時に、一度後ろを振り返って、二人がしっかり追いかけてきているのを見て安堵する。
「さあ、私と夜戦しよ!」
「「……!」」
川内の服装は夜でも目立つような夕焼け色だ。
だから位置さえ把握していれば衝突はないだろうと、雪風も敷波も思っていた。
だが、その姿が一瞬で掻き消えた時には焦りを隠せなかった。
まるで雲間から月が望むように、川内は遠くにいる深海棲艦の脇に、いた。
至近距離からの砲撃。悲鳴すら上げる暇もなく波に消える敵。
また川内が夜闇に溶ける。月に雲がかかって、光が途絶えるように姿をかき消す。
突然に勃発した爆炎があたりを照らし出す。火球に飲まれたまた別の一体が黒焦げになる。
……敵も、その奇怪な現象とも言うべき川内の攻撃に動揺を隠せていない。
言葉にならない声ばかりを上げて、自分たちの周囲を見渡す。呆然と立ち尽くす雪風と敷波など眼中にないとでも言わんばかりに。
「ほら、二人とも何やってんの! フォローよろしくね」
通信を介した川内の声。しかし当人がどこにいるのか皆目見当がつかない。
慌てて連装砲を身構えた二人が、眼前の敵へ砲撃を始める。
「……よし、上々だね」
二人へ意識を逸らされた深海棲艦が動き始め、予めあったであろう隊列が乱れていく。
川内の動きは俊敏だ。
敵の位置を把握しにくい夜だからこそ、探すために意識を集中させる敵たちの視界から外れた場所へ一気に移動して、至近距離での攻撃を繰り返す。
夜闇に紛れた移動と奇襲の繰り返し。本来ならば駆逐艦が戦法として取るべき基本中の基本――だがあまりにも動きが常識離れしているせいで、神出鬼没と評されるのだ。
深海棲艦の表皮は装甲のように固い。
すでに川内は、その表皮を何度か踏み台にして跳躍を繰り返しているが、まだどの深海棲艦にも気づかれていない。
……本来なら現時点で倍ほど敵を屠っているはずだが、そうしていない。
駆逐艦たちがいるから、ではない。
この深海棲艦たちは、喋る深海棲艦たちなのかどうか、判別するためだ。
敷波を狙おうとしているル級の砲口に、発射管から抜き取った魚雷を引っ掛けて立ち去る。
巻き起こった爆風に驚いて振り返る深海棲艦たち――だが振り返ったおかげで川内が進んでいる場所は敵の視界の外となった。
爆炎に表皮が照らされるイ級の前に屈んで、ようやく気づいた青白い目を覗き込む。
「ねえ、あんた、綾波? それとも別の誰か?」
イ級の咆哮と砲声が、放り込んだ魚雷でイ級ごと吹き飛ばされた。
「まあ、誰だって、ああなっちゃえば倒すしかないんだけどさ。そう思わない?」
同じく雪風目掛けて射出され、海に落ちる寸前の魚雷を拾い上げて、チ級へ問いかける。
金色に輝く目のチ級が、口を開いた。
『コレダケノ戦力ヲ相手ニ挑ムトハ。タダノ愚カ者カ。ソレトモ……』
すぐさまチ級が向けてきた手と一体化した砲を、上腕の単装砲で吹き飛ばす。
苦悶に叫ぶチ級へ、拾った魚雷を放って単装砲で魚雷を撃ち抜いた。
巻き上がる豪炎に背を向ける。
「そっか。喋れても、答えてくれるわけじゃないんだね」
残されたもう一体を振り向こうとして、敷波と雪風に沈められたのを見る。
「……あれが、綾波だったのかな……」
ぼやきながら、二人に近づく。
すでに海中へ没した深海棲艦の亡骸を見ることなく、足元にあることだけを意識しながら歩を進める。
「まあ私たちは兵器だから、そんなこと考えてもしょうがないんだけど」
その一言だけは通信に載せないまま、川内は二人へ手を振った。
「……どうやら、今ので最後だったみたいですね」
「これでまた生き延びたな」
安堵に笑みすら浮かべる青葉と龍驤。
先程まで浮かべていた暗い思案の表情をぐっと飲みこんで、艦隊に合流する。
「どう? ばっちりでしょ?」
「せやな。もう少し命知らずじゃない方が安心やけど」
「ええー」
どうやらバレていないと思いながら龍驤と言葉を交わす川内の横で、雪風の頭に青葉の手が乗った。
「皆を信じきれるだろう貴方なら、きっとこの先も負けるはずないんでしょう」
「はい!」
雪風の返答へ、青葉は反応しなかった。
続けられた言葉は語りかけるものではなく、疑心に自問自答するようなもの。
「……そうです。この程度……貴方が本当に……」
「なんや? 雪風がなんかしたって?」
「い、いえ…」
身長差もあるだろうが、ニヤついた顔で青葉を見上げる龍驤の顔が見えて、青葉は手を引っ込めた。
きょとんと、それでも無垢に真っ直ぐ青葉を見つめ返す雪風を見て、青葉は考えていたことをぐっと飲み込む。
「なんでもありません。このまま帰りましょう」
というわけで雪風パートの第5話。
前々から「強い強い」と説明したものの描写してこなかった川内の戦闘シーン。
ニンジャらしいバトルってなんやねんということでまた艦娘らしからぬ戦闘を……。
まあ、元々隊列を組んでバトルしているシーンないからね。しょうがないね。