鉄底海峡に待雪草を   作:在田

62 / 97
Dirty worker

 一目散に離れていく背中に、胸が締めつけられる痛みを覚えてしまう。

 

 同じ駆逐艦で、同じ白露型。しかし動きの違いは歴然だった。

 

「夕立姉さん!」

 

 精一杯叫んでも、その背中に届いているのかどうかわからない。

 

 ゴーストの記憶でも、夕立は一人で行ってしまった。

 そして帰ってこなかった。

 

 自分が一緒に行ったところで同じように自分も海へ消えていただろうことは想像に難くないが、しかし独りでイなくなってしまうなどということはなかっただろう。

 

 その再現が、今眼前に広がろうとしている。

 

 程なくして、敵の砲弾が作り上げた水柱に飲まれた夕立を見て、春雨は息を飲む。

 

 夕立が被弾してしまった、などという焦燥ではない。

 

 水柱に乗り上げて、夕立の体は宙を舞っている。

 背にした丸い月。鋭い月光に艤装が鈍く輝く。

 金と赤の髪が纏う、散らばった飛沫の煌めき。

 興奮につり上がる口の端から覗く白く尖った犬歯。

 そして煌々と戦意を灯す、真紅の双眸。

 

 ――艦娘が空を飛んでいるという状況もそうだが、それを平然と行う姉の姿に、春雨は怯えとは違う驚きを隠せない。

 

 かつて悪夢と言われた脅威の駆逐艦。

 姿形が違っていても、そこにいるのは間違いなく、人の形をした悪夢そのものだと。

 

「さあ、素敵なパーティーしましょ!」

 

 夕立による上空からの砲撃。深海棲艦が海上からの反撃。

 

 反動にきりもみする身体を器用に捻って……あるいは敵の砲撃をわざとかするように被弾して、着水のために二転三転と体勢を整える夕立。

 

 瞬く間に二体の敵駆逐艦が没する。

 

 しかし夕立の着水を図ったかのような雷跡が真下へ迫る。

 ほとんど着水に等しいほどの至近距離で、夕立は魚雷を撃ち抜く。

 

 再び巻き起こる水柱。爆裂に乗り上げて夕立は再び飛躍する。

 

 しかし方向は上ではない。

 前方――敵が隊列を構えるど真ん中。

 

 最初の一歩目が海に触れると同時に魚雷をばらまき、大きく跳ねる。

 頭から飛びこまんばかりの、あまりにも大きな跳躍。

 

 追いかけるような火線が飛び交うが、一発たりとも命中を許さない。

 

 砲を持たない手を海へ突き刺して、足を高く上げる――頭が下を向き、足が上を向いた。

 

 その瞬間に次弾装填に勤しむ敵へ砲撃を浴びせる。

 

 缶が放つ抗磁圧が海面をバウンドすると同時に両膝から着水し、勢いのあまりに新しい波を作る。

 

 魚雷の爆発力を利用した海上でのバク転と、同時に行われる雷撃と砲撃の猛攻。

 ……およそ並大抵の艦娘ができる芸当ではない。

 

 一瞬で、それも夕立一人で、敵の艦隊全てを葬ってみせた。

 

 艦隊の誰もが呆然と見届けるしかできない。

 下手に発砲してしまえば、あまりに常軌を逸した動きをする夕立の邪魔すらしてしまいかねない。

 

「春雨! 夕立、やっと、やったっぽい!」

 

 遠くでVサインする夕立。微かに見える白い歯で、きっと溢れんばかりの笑顔なのだろうということは想像に難くない。

 

 尋常ではない動き――一歩間違えればそのどれもが致命傷に至るに違いないことばかりを、理想的な形で実現した夕立。

 獣じみた野性的な感性が可能にしたのか、あるいは裏打ちされた計算があったのか。

 

 ……真実を語ることはないだろう夕立に対して、春雨がまず行うのは息を大きく吐くことだった。

 

 ゴーストの頃と変わらず、一目散に突っ込んでしまったことに対する緊張と呆然。

 そして今度はしっかり沈まなかったことに対する安堵と嬉々。

 

「夕立姉さん! 燃料も弾薬も残り少ないんですから! あんまり一人で行かないでくださいよ!」

 

 そう叱る声が、嬉しさで怒りきれていないのは誰が聞いても明白だった。

 

 そして旗艦の衣笠も、暗い水平線の向こうに島を見つける。

 衣笠よりも先に、神通が声を張り上げた。

 

「春雨さんの言うとおりです。私も少し疲れました。早く休めるところまで行きましょう」

 

 目配せする神通へ、通信越しでも小声で還す衣笠。

 

「そうね。妙な気配もするし」

 

「……やっぱり気づいていましたか?」

 

 首肯して、衣笠が艦隊の前に立つ。

 ……誰かが、追いかけてきている。

 

 潮は衣笠の背中で意識を失っている。か細い呼吸で、なんとか彼女が生きているのだと判断できる。

 

 眼前にある島を除けば、どこを向いても水平線しかない。

 尾行と考えるにはその島から出てきたわけでもないだろう。夜という点を除けば尾行には条件が悪すぎる。

 

 大方黒い何かで身を包んでいるのだろうが、それでも月光が差す波間から見えなくはない。

 

「ただ、距離が離れすぎています。砲撃はまず届かないでしょう。速度を上げて様子を見るのが一番かと」

 

「よし! 速度上げ! 羅針盤の向きは間違っていない!」

 

 神通の囁きに応えるように、衣笠が号令をかける。

 衣笠の後ろに駆逐艦が二人。そして最後尾に神通――駆逐艦たちが気づく前に対処できれば、それに越したことはない。

 

 ……しかし、砲声にしてはあまりにも鋭い音が耳へ飛びこむ。

 音を認識するのと、神通の艤装にヒビが走るのは同じタイミングだった。

 

「なっ……!?」

 

 被弾によろめく中で、神通が振り返る。

 

 遥か後方。例え深海棲艦であろうと、容易に狙えるとは思えないほどの距離。

 

 深海棲艦からの砲撃を守ってくれるはずの装甲粒子――そうでなくとも元より頑強なはずの艤装が、たった一発で呆気なく風穴を開けられた。

 

 ――艦娘ごと吹き飛ばせるほどの威力を持つ戦艦級ならばともかく、ピンポイントでそんなことができる深海棲艦を、神通は知らない。

 

「ぽい!?」

 

「神通さん!」

 

 夕立と春雨が倒れかけた神通の体を支える。

 

 背中に撃ちこまれた衝撃のせいか、肺が潰れてしまったかのように呼吸が覚束ない。

 絞り出すような声で、神通が問う。

 

「……今の、っは……?」

 

「深海棲艦の新手と考えるのが妥当ね」

 

 ――妥当じゃない。また別の何かだ。

 そう切り返したいが、痛みにせき止められる呼吸のせいで言葉が継げない。

 

 駆逐艦二人の手を払って、四つん這いになって呼吸を整える。

 

「迎撃準備! 春雨、夕立、撹乱できる?」

 

「やってみます!」

 

 声を張り上げる衣笠に、夕立が答えるより早く飛び出して、遅れ出た春雨が応じる。

 

「さすがに背負いながらじゃ無理ね」

 

 衣笠も眠ったままの潮を担ぎ直し、艤装を構えようとして、諦めた。

 

 ようやく、呼吸を整えた神通が起き上がって衣笠に耳打ちする。

 

「……あれは、深海棲艦の攻撃じゃありませんよ」

 

「なら、もしかして旅団?」

 

「いえ……」

 

 まだ背中に残り続ける痛みに耐え、考える。

 

 確かに敵の弾は背中に命中した。

 しかし砲弾ならば伴うべき爆発がない。ともすれば単なる鉛玉。

 

 深海棲艦ではない。艦娘でも、ショートランドの治安維持機構やそれに類する組織でなければ、持っているはずがないだろう。

 

 でなければ――。

 

「ヒトが使う銃器です。ですからきっと……」

 

 目を見開いた衣笠が、今にも砲撃を始めそうな距離まで肉薄した二人の背中へ叫びかける。

 

「撤退! 早く逃げて!」

 

「……え?」

 

 突然の命令に驚いてこちらを振り返った春雨の足元で、魚雷発射管に大きな穴が空いた。

 慌てて投げ捨てなければ、爆発に飲まれて火達磨になっていただろう。

 

「そんな……艤装が……!」

 

「とにかく逃げて!」

 

 咄嗟に神通へ潮を渡して、艤装を構える衣笠。

 

 小さな目配せだけで察せる。

 ――駆逐艦が逃げ切れるための、時間稼ぎ。

 

 背中の痛みがあっても、潮を背負って全速力で島へ向かう。

 

 神通の背中で再度、衣笠の砲声が空気を揺らした。

 ヒト一人が背中にいるだけで、簡単に振り向くことすらできない。

 

「あなたたちも、何か撃てるもの撃って!」

 

 急き立てる衣笠の声。

 

 春雨と夕立が応じたのかは不明だが、砲声が増えたのは確かだ。

 

「……よし」

 

 安心しきった衣笠の声に、ようやく神通も安堵する。

 最後の砲声と、海に着弾して飛沫を散らす音。

 

 それが耳に入る頃には、神通のすぐ後ろに三人が揃っていた。

 

「……ねえ、あれ艦娘っぽい?」

 

「深海棲艦じゃないことだけは確かね。とりあえず落ち着いてから考えましょう」

 

 直接見たのだろうか、暗闇を振り返る夕立に、振り返らないままの衣笠が答える。

 

 射抜かれるような鋭い視線を背中に感じながら、木々が埋め尽くす島へ、四人は逃げ込む。

 

 

 島には、人が暮らしていた形跡があった。

 人どころではなく、艦娘が暮らしていたこともわかる。

 

 形跡があるだけで、今は動いていないことも、その荒廃ぶりから察せた。

 

 わずかに差し込む月光に照らされて、皆が陸へ上がる。

 

「どこかの泊地なのかな……?」

 

 艤装を降ろした衣笠が広々とした空間を見渡す。小さくぼやいたはずの声がコンクリートの壁面に反響した。

 ショートランド泊地で言う、出撃の港だろうというところまでは推測できる。

 

「でも、誰もいる感じがしませんね」

 

「そうね。それもつい最近まで……」

 

 錆び始めた艤装が転がっている。だがまだ所々に見えるというだけで、まだ使えそうだった。

 何より、被っている埃が分厚くない。

 

「幸運ですね。多少の時間も稼げますし、それに使える資材の調達も見込めます」

 

 潮を横たえた神通も口を開く。

 

 ふと春雨が、出撃レーンに引っかかっているものを見つける。

 

 高速修復材が入っていただろうバケツ。

 ずっと同じところにあったのだろう。ちょうど海面に接するあたりに藻が貼りついている。

 

「こんなところで修復剤を使うなんて……よほど追い詰められていたってことですよね」

 

「泊地が破棄されるなんて、それぐらいしか理由がないからね」

 

 春雨に返答しながら、衣笠は天井を見上げる。

 崩落か爆撃か――ぽっかりと空いた穴から、星空が見える。

 

 星から現在位置が割り出せるほど、衣笠は勉強をしてこなかった。

 

「そういえば」

 

 夕張に渡された羅針盤を取り出して、潮の艤装の反応を調べる。

 

 ずっと北西を向いていた、電子画面上の矢印。

 しかし今見えるのは、矢印ではなく起点となる点と、端の東西南北のみ。

 

「……これじゃどこに行けばいいのかわからないじゃない」

 

 悪態をつきながらポケットに仕舞い、頭を掻く……その時になってようやく、理解が追いついた。

 

「……! もしかしたら……ここって!」

 

 向かうべき矢印がなくなった理由。

 

 それを皆へ告げる前に、春雨の絶叫が空間にこだまする。

 

「き、衣笠さん! これ! これ!」

 

 駆け寄ってきた衣笠が、たすきのように藻で線が引かれたバケツを見せてくる。

 藻の一部分。おそらく春雨が拭ったのだろう跡。

 

 藻に隠されていたのだろう、プリントされた字面を見て、衣笠の理解が単なる憶測ではなく確信であると把握し……そして同時に、戦慄が背筋を駆け上る。

 

『トラック泊地備品』

 

 たった数ヶ月前……深海棲艦の攻撃に壊滅した泊地。

 かつての、もう一つの最前線に来てしまったことを、衣笠たちは後悔する。




さて春雨パートの第4話。

ここから最終章の中編が始まる感じですね。長い。しかしなんだかんだで書き続けてきた物語を決算させるためにはやはり必要な処理でもあります。

今回はその最たる、第1章の頃から考えてきた舞台。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。