夜を出撃の港で過ごし、交代で仮眠を重ねた衣笠たちは、昼前から行動を始めた。
泊地を歩き回って、まともな資材が残されていないことを思い知る。
当然だろう。公開された情報では深海棲艦との激戦の中で壊滅した場所だ。決して放棄や撤退ではない。最後の最後まで徹底抗戦を続けた場所。
となれば、そこにあった資材の全てを投入して戦ったであろうことも頷ける。
ヘリポートからヘリはなくなっており、船着き場にプレジャーボートもない。
……どこにあるのか、衣笠には大凡の見当はいている。
沈んだのだ。ヘリは夕張が撃墜した。かつての赤く喋る深海棲艦たちとの戦いで、その深海棲艦を運んでいた。
そしてプレジャーボートは、同じく赤い喋るヲ級もろとも、内側から放たれた炎ですでになくなっているはず。
……それがトラック泊地のものだと考えれば、あの深海棲艦たちが誰だったのか、想像に難くない。
だが考えることはやめた。考えてしまえば、余計に物悲しくなるばかりだ。
打ち棄てられた泊地というだけで、見たくもない様々な光景を目の当たりにした。
海上からの砲撃に備えるべく、陸でやむなく艤装を構えることになった艦娘たち。
海に沈むことすらできなかった亡骸が朽ち果てているのを、道中で何度も見る羽目になった。
ここには寮があったのだろうか……もはや跨げるほどの高さしかない壁と、散乱した瓦礫と家具しか並んでいない。
「もう気づいている?」
「ええ、あまりにも下手すぎますね」
囁きあった衣笠と神通が、ふと振り返る。
寂れた泊地。何度も目にした死体。赤道に近い場所という、うだるような暑さ。
とはいえ二人が浮かべている表情は戦いを前にした時と遜色はない。
「私……何かまずいことしましたか?」
「いや。何も」
「夕立さんはそろそろ気づいても……その様子じゃ無理ですね」
ため息を着く二人に、春雨が首を傾げ、次には横の夕立を心配げに見つめる。
潮を順番で背負うことになって、今は夕立の番だった。汗だくで舌を出しながら荒い呼吸をしている。
「も、もう二十分経ったっぽい……変わってほしいっぽい……」
「まだ四分です」
「ぽい~……」
「ですが休憩時間が必要ですね。ここで二人は休んでいてください」
神通が衣笠に目配せして、衣笠がリボルバーを取り出して、安全装置を外す。
手近にあったベンチに腰掛ける二人を見てから、衣笠がリボルバーを構えた。
「え……? いきなりどうしたんですか?」
再び呆けた表情になる春雨を他所に、二人は手で合図を送り合う。
建物だった壁の一角。コンクリート製の折れた柱。
その脇にある木材を撃ち抜いて、銃声に夕立と春雨がびくりと背筋をこわばらせる。
そこでようやく二人も気づいた。
……何かがそこにいる。身を隠してこちらを伺っている。
衣笠と神通がまとっていた緊迫感は、それに気づいたからなのだと。
「出てきて。誰かは知らないけど、お客さんに挨拶もないのは失礼じゃない? それとも歓迎してくれない感じ?」
衣笠が柱の奥へ語りかける間に、神通が身を屈めながら音もなく柱に近づき、張りつく。
数秒間待って、もう一度銃声を響かせる。今度は柱の天辺。欠片が向こう側へ落ちる。
「あーもう! わかりました!」
自棄になったような叫び声と、遅れて柱から出てきた両手。
「神通!」
衣笠の掛け声に合わせ、神通がその両手を引っ張って一気にこちら側へ引きずり込むと同時に、うつ伏せに後ろ手を抑える形で捕らえる。
「ぐぇ……」
背中に体重をかけて膝を食い込ませ、完全に動きを封じる。
「確保しました。が……意外ですね」
「そうね。珍しい」
その姿を見て、怪訝な表樹を浮かべる――神通が眉根にしわを寄せ、衣笠も唇を歪ませる。
光沢を抑えた桃色の髪。汚れ塗れの制服姿。
……工作艦・明石。
元々が戦うためではないとなれば、尾行が下手になるのも当然かと二人は察する。
神通が膝から力を抜く代わりに、衣笠が明石の眼前に屈んで見下ろす。
「ねえ、もしかして明石さんも旅団?」
「だったら、悪いですかっ? ゔぇぇ……」
神通の肩に衣笠の体重を少しかければ、そのまま神通の膝が明石の背中にめりこんでいく。
衣笠と目を合わせる神通――一瞬の目配せ。
明石が旅団に所属していることが判明した。
「ねえ春雨! どこかから縄持ってきてくれるー?」
あまりにも手慣れた流れるような確保と尋問の動き。
目の当たりにして凍りついていた春雨が、びくりと逃げ出すように走り出した。
見届けてから、再び明石を見下ろす衣笠。
「最近ダイエットしてないから結構重い自信あるよ。自慢じゃないけど」
「……ご質問は」
「よろしい。まず最初。ここは本当にトラック泊地なの?」
「そうです」
「じゃあ次。なんであなたがここにいる?」
「旅団の……計画のため。今は違うけど」
「なるほど。それは後回しにするわ。
じゃあその計画とやらを守っていたから、外にあんな黒い布纏って旅団たちが私たちを狙ってくるのね?」
驚きに、明石が顔を上げた。
「違っ。それはきっと旅団じゃ……ぐえぇ……」
「きっと嘘じゃないわ」
神通の位置から明石の表情は見えない。だから抵抗だと思って力を入れたのだろうが、衣笠が解いた。
「……じゃあ、あれは一体……?」
「あのー……衣笠……さん……」
遠くから、遠慮しがちな声が届く?
「あ、春雨? 縄見つかった?」
「見つかりましたー……けど……」
「けど、何よ?」
味方に遠慮されるのは心苦しいが仕方ないとしても、春雨の声はあまりにも小さすぎる。
思わず振り向いたところで、衣笠も神通も固まった。
春雨と、もう一人。
ショートランド泊地にいなかった、神通と似たような……しかし違う。白と赤を基調とした服装の艦娘がそこにいた。
両手を上げて、星がちらつくような眩しいウィンク。
「はーい。那珂ちゃんでーす! みんなー初めましてー……じゃない! なんでお姉ちゃんがいるの!?」
「それはこっちの台詞です」
嘆息する神通を他所に、那珂が驚くような速さで衣笠たちに近づいてくる。
「あ、明石さん! 待って何やってんのお姉ちゃん!? 那珂ちゃんの命の恩人に!
あっ!
もしかしてお姉ちゃん……あの旅団とかいうのの一人になっちゃったの……? そんな……!」
一人でに話を進めてコロコロ表情を変えていく那珂。
しかし最後の一言が気になった。
「いや、旅団はこっちの明石で……」
「だって! 明石さんは那珂ちゃんの命の恩人だもん! とーにーかーく! 苦しそうだからやめたげてー!」
もしかして那珂も旅団で、明石と協力しているのではないかと疑念を抱いたが、どちらにせよ衣笠は銃を持っている。
拘束を解かないまでも、二人が立ち上がるだけで那珂は安堵して、わざとらしい所作で胸を撫で下ろす。
「良かった……艦隊のみんなが沈んじゃっただけじゃなくて、ついにお姉ちゃんにまで裏切られたらもう駄目になってたかも……」
「もしかして……あの外をうろついている黒いの?」
「そう。あのハンターに」
「ハンター……?」
「知らない? 旅団とかよりもずっと前から、深海棲艦でも艦娘でもないのに、艦娘だけを狙う極悪非道な人がいるんだって。それがハンター」
「そう! そのハンター! あなたたちがどこの所属かは知らないけど、でも私たち旅団の味方じゃ……あ」
「ええー! 明石さん旅団だったのー!? なんで! どうしてぇー!?」
「あぁーもぉーうっさい!!」
耐えかねた衣笠の怒号で二人が静まり返って……しばらく。
衣笠と神通と那珂が横に並び、向かい合ってあぐらをかく明石。後ろ手は縛られている。
「なんで結局こんなことに……」
「そりゃ旅団だからよ。で、何の話だっけ?」
「ハンターについて、だったと思いますが」
神通が横に座る那珂へ首を向ける。
「そう。黒い布を被った二人組……それがハンターについてわかっていること。
ブイン基地方面に出没しているって話を聞いたから、那珂ちゃんたちの艦隊がそれの迎撃に向かったわけ。ブインもラバウルもあまり関わりたくないらしくて」
「それで、艦隊は全滅した……そもそもどこの所属なのかしら?」
「パラオ」
「……なるほど、ですね。それで、旅団の明石がなぜ那珂の命の恩人なのですか?」
脳内に地図でも作っているのだろう。神通が中空を眺めながら顎に指を当てる。
「もうボロボロだった那珂ちゃんを、そこの入渠ドックで一生懸命に助けてくれたんだよ! 恩人でしょ?」
「まあ、そうなんだけどね……」
衣笠が視線を明石へ向け、ぷいとそっぽを向かれる。
確かに旅団であることを隠して、壊れた泊地の入渠ドックを稼働させたとなれば、そう受け取るのも当然だろう。
ちょうどそのそっぽに、潮がいることを明石が見つけたようだ。
「あ、潮さん」
「そ。うちの……ショートランドで確保したわ。あなたんとこの鳳翔さんと一緒にね」
「作戦は失敗したと聞いていますが、なぜ連れてくる必要が?」
「連れてきたんじゃないわ。突然海から出てきたの……あの子の艤装を追いかけているうちにね」
「確かに潮さんの艤装ならここにありますよ。ですがその前に……」
もぞもぞと後ろ手の縄を解こうとして、しかしできないまま諦める明石を見て、神通が衣笠へ視線を飛ばす。
「夕立、潮をこっちへ連れてきて」
「ぽい」
すぐに、四人の間に潮が仰向けに置かれる。その間に明石の縄を解いて、見守る。
呼吸を聞き、瞼を開いて瞳孔の動きを確かめ、胸に耳を当てて脇と腿に指で脈を測る――医師が患者に行う所作と、何ら変わりはない。
神妙な顔――演技とは思えないほどに緊迫した表情が、そこにはあった。
「ゴーストが侵食されている。気休めでしょうが、潮の艤装を取ってきます」
「なんでわかるの? それに、艤装なんかで治せるものなの?」
「後で説明します。不安なら着いてきてください。もう隠すものでもありません」
「……わかったわ」
衣笠が立ち上がり、神通に待つよう目配せをする。
艤装で艦娘を治療する? ……元々戦うための武器にそんな効果があるとは思えないが、しかし明石が漂わせる神妙さにこそ、真実味を感じたのは確かだ。
「……私も!」
「いや、一人で充分よ」
立ち上がった春雨にぴしゃりと言い返し、歩いて行く明石を追いかけた。
足場と言い切れないような瓦礫の重なりを昇り降りしていく明石の背中を、不安な足元に恐る恐る着いていく。
「……それで、なんでわかるのよ?」
「私が旅団でやっていたのが、そういうことに関することだからです」
「そういうことって?」
「艦娘が深海棲艦になってしまう原因の調査です。そして対話可能な深海棲艦はどういう条件で生まれるのか、ということについても」
衣笠は、自分の背筋が凍るような怖気を覚えた。木陰に入って気温がぐっと下がったから、だけではないだろう。
旅団が現れる直前まで、泊地のあちこちで話題になっていたことだ。
衣笠たちが見たのは赤い機械仕掛けの深海棲艦。最初は雪風が見た金色のレ級――。
「まさか……あのレ級って……」
道中、ハンターに遭う前――潮が現れなければ皆殺しにされていただろう、狂喜の笑顔を浮かべるレ級。
「あなたのお姉さんですよね。青葉さんは」
「そうよ」
「私はラバウル所属でしたけど、読みましたよ。その新聞。恐ろしいことだと思いました」
「なら、どうして……!」
「恐ろしいからですよ。解明する必要がありました。
私は戦うことが専門ではないですけど、仲間同士で殺し合うなんて、誰だって嫌ですから」
衣笠も思っていた。鳥海が旗艦として向かった戦い。
その最後で、プレジャーボートを前に、ヲ級は深海棲艦である前に一人の艦娘であり、また同時に一人の女性だったことを思い知って、撃つことができなかった。
「その時ですよ。団長から声がかかったのは」
「団長……?」
「そうです。私たち旅団のリーダー。
青葉さんの新聞で話せる深海棲艦がいることがわかって、そして深海棲艦が艦娘から生まれるなら、人類と艦娘と深海棲艦で対話で戦いを終わらせることができるかもしれない。
その可能性を、私も感じました」
見る見る距離が開いていく。
明石の歩があまりにも早いから、ではない。
衣笠の歩みが遅くなっているのだ。
明石の言葉一つ一つに、今まで旅団がとった行動を裏打ちできる要素を覚え、そして同時に過酷な道のりを思い浮かべてしまう。
その可能性は、どれほど危険で脆く、そして細い道だったことだろうかと。
艦娘が望んでいるものとは全く別の何かを、レ級は見ていた。
あの赤い深海棲艦の艦隊など、戦うことだけに呑まれてしまい、対話という対話など望めるはずもない。
「その可能性にかけて、あなたは調査したのね……?」
艦娘が深海棲艦になってしまう線引を。そしてその中で会話可能な深海棲艦がどうやって生まれるのかを。
「そうです」
あっけらかんとした明石の声は遠い。
気がつけば歩は止まっており、手に拳を握りしめていた。真っ白になるぐらい固く。
歯を食いしばって明石を睨みつける。
「どうやった!? どうやって……調べたの!?」
「始めはあなたのところの艦娘から伺う予定でした。加古さんから。でも失敗した。
だから手段を変えました。研究ができる設備なんて持っているはずないですから……自分たちの身を削って」
「――っ!」
リボルバーの銃口を明石へ向ける。
小指ほどもないほど遠くに見える姿が、壁のなくなった部屋の奥から衣笠を見やる。
怖気か寒気か、ガタガタと指が震えて定まらない照準のまま、しかし銃を降ろすことはしない。できない。
腹の底で渦巻いているものが怒りか悲しみか、あるいは正義心なのか、わからない。
……ただとにかく許せなかった。許すわけにはいかないと思った。
「何人殺した!?」
「……数え切れるわけないじゃないですか。
でももう深海棲艦にすることはないですよ。結果は出ました」
「……ーっ。……ーっ!」
熱くなりすぎた頭を、どうにか呼吸で抑えられないかと大きく呼吸していた。
肩を大きく揺らして、胸と腹を膨らませて……それで体の震えが抜けないかと、懸命になっていた。
足元にある桃色の連装砲を持ち上げた明石が、ゆっくりと近づいてくる。
笑顔はない。抱え込んでいる罪を自覚して、それでも死にきれずに留まっている、悲しげな無表情をたたえて、明石は呟く。
「艦娘はですね。一緒にいる妖精さんを失って……それでも戦おうとしてしまうと、理性を失って、深海棲艦になってしまうんです」
さて春雨パートの第5話。
ずっと前からある二次設定。そして半ば公式にも拾われた扱いなんじゃろうかと思われる設定。
ではその条件と線引は? ――自分なりに出した答えを、ようやく明示できます。アニメ放映の前ですから、まあ3年ほどかと。
まじかよ…もう2年以上前なのかあれ…