鋭い日光の輝きが、不眠の瞳に容赦なく突き刺さる。
心身ともに摩耗して、疲労して、消耗しきっている。
疲弊しきった艦隊は近くに見えた島にたどり着いて、なんとか木陰である砂浜で眠るしかなかった。
樹木が鬱蒼と茂る森へ入るわけにもいかない。泥のように眠れるだろうが、目覚めた時に旅団が何か行動を起こしてしまった後では遅い。
それでも眠るための体力すら残っていない。
まとわりつく砂を気にする余裕もなく、とにかく眠ろうとしても眠れない苦しさと戦いながら転がり続ける。
ただ一人、雪風を除いて。
比叡がいなくなり、そして敷波もいなくなった……六人で出撃したはずの艦隊が、今は四人になった。
皆が同様に重ねてきた戦いに加えて、雪風はたった一人で敵艦隊を一つ打ち倒した。
小さな体のどこにそれほどの体力があったのか定かではないが、どちらにせよ戦闘の疲弊と泣き疲れですっからかんになり……海上を走りながら眠りこけてしまった。
背負うことすら誰もできず……こうして、四人が木陰と呼べる場所に居座っている。
「……起きとるか?」
「なんとか」
呻きに似た龍驤の声に、蚊の鳴くような青葉の声。
龍驤はバイザーで目元を隠して、青葉は手首を目元に置いて光から逃げている。
眠りこける雪風の横で川内があぐらをかいて座っている。しかし一向に反応がない。
「器用なやっちゃな」
座りながら寝ているのだと判断した。
「……こんな状況なのに、まともに帰ることすらできんのかウチらは」
「疲れすぎました。まだ波の感覚がありますよ」
「ウチもや。ガクガクいうとる」
陸と海は違う。踏めばしっかり支えてくれる陸には沈む恐怖も不安定に揺れ続ける波もない。
そんな海の上に居続ければ、体を支える足に波の揺らめきが残響のように残り続けるのも無理はない。
疲れきった体が、眠るのは危険だと知らせているような気がする。脱水症状が待ち構えている、と。
横になるだけで楽になっているのは確かだが、意識を保つために言葉を交わし合うのが精一杯だ。
「帰って、旅団の何を報告すればいいんでしょうか……?」
「……鹿島のことやな。深海棲艦と仲良くしとったこと。なんでか味方してくれたこと。あとあの白い響」
手放しそうな意識が懸命に頭を回す。ついさっきの出来事すら忘れているかもしれない。
「本当に、私たちの味方だと思いますか?」
「泊地をぶっ壊したんや。ウチの中ではいつまでも敵や」
寝返りをうって青葉へ背を向ける龍驤。
頭に浮かんだのは、泊地の建物が旅団の爆撃で次々と黒煙を噴き上げる光景。
そしてその最中でも決して部屋から出ることなく、同時に旅団による爆撃を信じなかった提督。
「私は……正直、わかりません」
「せやろな」
個人に絞ってしまえば仇敵も恩人も入り混じっているのが、今の旅団に対する印象だ。
旅団の作戦として泊地が爆撃されたのだと覚えていなければ、龍驤も青葉と同じことを言っていただろう。
「誰が敵とか味方とか……それ以前に何が良いこととかと悪いこととかも、どれが本当で嘘なのかも……わからないです」
「んなもん自分の見とることだけが事実や。覚えていることも、考えてきたことも……結局本当に信じられるのは、それぐらいや」
どうして敷波は深海棲艦になってしまったのか……憶測だけならいくらでも交わせるだろう。
しかし敷波がそうなってしまい、青葉が殺した事実は揺らがない。
戦ってきた深海棲艦の中にもしかしたら艦娘だった者もいるかもしれない。いやきっと居たのだろう。
だが知ったところで深海棲艦を野放しにできないのが艦娘だ。
旅団がどうして大本営から離反して、深海棲艦と手を組むようなことをしているのか。
それでいながら今度は自分たちの援護までする。
何を意図しているのか見定められるはずもない。
だが龍驤からすれば、吹き飛んだ泊地だけが紛れもない現実だ。
きっと青葉から見た別の真実があるのだろう……喋る深海棲艦と出会い、記事にして、気がつけば仲間が深海棲艦になり、仲間を失って、仲間を殺した……そんな青葉にしか見えない真実が。
ゴーストの記憶が沈んだところで止まっている龍驤と違って、戦争が終わる瞬間まで知っている青葉だから見える事実が。
だから、龍驤は聞いてみたかった――青葉が割り出した旅団の共通項。そしてそれに当てはまる青葉自身の考えを。
きっと同じことを見えていたのだろう鳳翔が最期まで言わなかった現実を。
「そんで……結局、喋る深海棲艦とか、さっきの鹿島に付き従っとった深海棲艦の……なんていうかなぁ……共通項みたいなのって、わからんか?」
「わかったら苦労しませんよ。タ級が全部やっちゃいましたけど、それでもあれだけの数の深海棲艦がいたらかなりの脅威になります。旅団が本当に大本営と事を構えようとしているなら、少しわかっちゃうぐらいの勢力でした」
「あれが全部だったら、やけど……きっと他にもぎょーさん居るんやろなぁ」
煙草を咥えた龍驤が、マッチが湿気っていることに気づいて箱へ戻す。
ふと青葉を覗き見ても、しかし青葉は手で目元を隠したままだ。表情が見えるはずもない。
今青葉が何を考えているのかはわからない。
敵艦隊を一人で返り討ちにした雪風を見て、青葉は「勝てない」と言った。
……もし青葉が、雪風の立場なら敵艦隊に敗れていたという意味の発言だと解釈するのは簡単だ。
だが龍驤には別の意味合いに聞き取れた――雪風と青葉がもし戦うとしたら勝ち目はない、という意味に。
「……でもあそこに居ったのはやられたわけやろ? それに単純な数だけだったら結局大本営も数を用意して終わりや。さすがにそれで勝てるってほど能天気でもないやろ」
「まだそこまでわかりません。先程の響さんが何を急いでいたのかだって……」
静かに寝返りをうって背中を向ける青葉。
……おそらく青葉は視線に気づいている。だが一度も龍驤を伺わない。何かを隠そうとしているかのように。
ブイン基地に消えた叢雲についても、青葉は何も言わなかった。
泊地が旅団に襲撃された時も、あまり行動を取らなかった。
古鷹や加古がいなくなったことがそこまで、心に堪えているのだろうか?
だが気持ちの浮き沈みぐらいで作戦に支障を来すような人柄ではないことを、龍驤は知っている。
でなければ別の何か――本分から気をそらしてしまうほどの何かがわだかまっている。
旅団にしか見えないことが同じように見えているだろう青葉が、何に苦悩してどんな葛藤を抱いているのか。
「悪かった。別に悩んでほしくて聞いたわけやない」
「別に悩んでいるつもりはありませんよ……ただ、ちょっと後悔しているだけです」
「……そうか」
何を? とは聞けなかった。どの後悔なのか、どれほど深いのか、龍驤にはわからない。
今回の作戦のことなのか、もっと前の失敗なのか、あるいはゴーストの記憶にある青葉しか知らないものなのか。
突然に起き上がった青葉を尻目に、龍驤も起き上がって川内の肩を叩く。
浜辺に走って、青葉と同じく艤装を付け直す。
「でもまあ、ウチらはできることをやるだけや。こんな時にまで襲ってくる奴らより、まだ話せる旅団の方が信用できそうやんか」
「おしゃべりは後にしましょう」
吐き捨てるような口調で、青葉が海へ踊り出る。
龍驤もバイザーを深く被り直して、脇を駆け出した川内と共に空を見上げる。
浮かぶいくつもの黒い影。こちらに向かっていることは明白だった。
「川内! 弾は?」
「雪風から少し借りたよ。返せないけどね」
「なら上々や」
振り向いて、まだ雪風が砂浜で横になっているのを見つめる。
「……少しばかし、休ませるべきやな」
すでに泊地は近いはずだが、あと何度戦いがあるのか見当もつかない。
過去に何かの爆発があったのか……大きく抉れた砂浜を後にして、龍驤たちは駆け出す。
巻物を展開……組み上げられた術式が構成する甲板を駆け抜けた式が変貌――空へ放たれる艦載機の群れ。
駆け出した川内と青葉の砲撃が、遠くに見える敵艦隊を穿つ。
遠くで対空砲火が空を裂く。
一斉に散開する艦載機たちが腹から爆弾を落として、海上に火球を生み出した。
敵の砲火が見えたと思えば、周囲の海がいくつも炸裂して飛沫を散らす。
龍驤はそれほど進んでいないから被弾を免れたが、川内は複雑な軌道で全てを回避する。先程まで寝ていたとは思えないほどの研ぎ澄まされた挙動。
だが青葉はそうではなかったらしい。
吹き飛ばされた腕……機械の部品をと人工筋肉から潤滑油が滴っている。
「雪風さんなら、回避できたんでしょうね」
以前、古鷹と加古が失踪した時に失った生身の腕。
……その時のことも、青葉はあまり語りたがらない。
「後悔、か……」
「聞こえていますよ」
釘を刺すような青葉の言葉。
失ったものが艤体で良かった、とでも言いたいのだろうか。生身の腕――もう片方の腕なら痛みで動けなくなっていただろう。
未だに青葉は龍驤の方を向くことはない。ずっと敵を――その向こうにある何かを見つめているような気さえする。
空を飛び交う、敵と龍驤の艦載機たち。
ドッグファイトという綺麗なものではない。どこから敵の弾が飛んで来るかわからない恐怖に妖精さんたちも怯えながら、同時に頭上でそれが展開されている艦娘たちもいつまでも不安を拭えない。
それを安心させる土台を頭上に構築することが、龍驤の役目だ。
敵陣に単身で飛びこんだ川内を通信から外して、青葉とだけ回線を開く。
「なあ青葉。ウチはキミの昔のことに興味があるわけやない。どんな生き方をしてもや、結局誰だって後悔の一つや二つあるもんや。今更、何か悪く思う必要もないやろ」
黒煙を散らして海へ落ち行く艦載機。離れていてもわかる――龍驤へ敬礼をした妖精さんに、龍驤も応えた。
失ったものは帰ってこないとわかっているから、失わる瞬間に悲しいと思える。
戦いはそれを常に実感させられる。
……過ぎ行く日々も。あるいは辿り来る日々も。
「ありがとうございます龍驤さん」
青葉の砲撃が敵の空母を吹き飛ばす。
「私は、どこかで諦めたふりをしていたんです。戦いが終わることを。
もうこのまま戦い続けて、どこかで死ぬんだろうなって。
どうせ記憶がなくなっても、繰り返される命ですから」
もはや呪いだ。
戦い続ける運命にある艦娘にとって、終わりのない戦いこそ絶望に等しい。
いつか終わることを夢見て戦って、誰もが死んでいったはずなのに。
いつか来る終わりのために、あらゆる感情を注いで戦い、犠牲となった。
ゴーストの記憶……戦いの終わりを見た青葉なら、より強く抱いてもおかしくないはずだ。
だが戦いはまだ終わっていない。現にこうして戦っている。
今の青葉が死んでも、また別の青葉となって生まれ変わる。
記憶をなくして、ほとんど同じようなゴーストだけを持って、今まで生きてきた思いを失って、また戦いに明け暮れる。
川内は割り切っていた。艦娘は兵器だと。そう考えていても、敵へ堕ちていく仲間を――敷波を討てるほど非情になれない。
艦娘は兵器だ。人類が操作するのではなく、自らの意志を持って深海棲艦を攻撃するための兵器に過ぎない。
それを自覚してしまえば、自分たちが今懸命に生きようとしていることが全て無駄に思えてくる。
戦うことはおろか、生きることすらできなくなってしまうほどに息苦しい絶望が口を開けて待っている。
青葉は今、その深淵を覗き込んでいる。
「でもやっぱり、諦めちゃいけないですよね」
「そうやな。もうちっと頑張って、帰らんとな」
「……違います龍驤さん。私のゴーストが、戦争に惹かれているんです」
「……っ」
言葉が継げなかった。
青葉が深淵の奥底に何を見つけたのか――何を抱けば、絶望の渦中で一番逃げたいはずの戦いに魅了されるのか?
「そうか。ならば来るか? 重巡青葉よ」
唐突に割り込んできた声。
龍驤ではない、川内でもない。雪風はまだ寝ているはずだ。
誰でもない、低く、憮然とした声。
それが誰なのか、龍驤は知っている。
「戦艦・長門……」
ゴーストの記憶にもその名はある。
かつて最強を謳われた戦艦。いくつもの武勇伝を、逸話を残した、伝説的な存在。
あの時代の船として――誰もが知っている、頂上とも言うべき艦娘。
一体その声がどこから飛んできているのか――長門がどこにいるのかを、もう一つの現実――戦場を俯瞰するレーダーのどこを探しても見当たらない。
「嘘やろ……まさか長門が旅団に……」
龍驤のことなど眼中にないとでも言わんばかりに、長門は青葉へ言葉を続ける。
「歓迎しよう。重巡青葉。旅団は決戦を望んでいる。人類も深海棲艦も艦娘も……共に永劫続いてきたシステムを破壊しないか?」
川内には聞こえていないのだろう。遠くで縦横無尽に動き回り、次々に敵を屠っていく。
そして空から敵の艦載機が消え、残された少しばかりの艦載機たちが龍驤へ帰ってくる。
青葉の放った一発が、最後の一体を撃破した。
訪れる沈黙。青葉が長門の言葉を待っている気がして、割りこまざるを得ない。
「……どうにか生き残ったな。ご苦労さん」
帰ろうと続けられなかったのは、勇気がなかったせいかもしれない。
龍驤でも川内でもない、どこか遠い海の向こうを見つめる青葉の背中。
ゆっくりと振り向いた青葉の顔を、見たくなどなかった。
「龍驤さん、私、行きますね」
終わりのない戦いへの諦め。
それを救ってくれると告げた長門。
龍驤にも、止める材料がなかった。
それは青葉にとって、最良の選択なのだろう。諦めたことに対する後悔を払拭するには充分であるほどの。
青葉を向けず、バイザーに指をかけて下を見る。波間に揺れる自分のひどい表情を。
龍驤もまた川内と同じく、非情にはなれない。
「そうか……寂しくなるわ。ほんま」
「合流を歓迎しよう。ソロモンの狼。私の誘いを一度断っても、素晴らしい執念だ。
どんな理由であれ、目的を果たせれば問題ない。
あの戦争の死神が来ればもっと心強いが、だがそれにしても興味深い。その、戦いへの思い入れというものは」
やがて青葉はゆっくりと舵を取る――今まで辿ってきた道のりをなぞるように。
きっと川内にも龍驤にも聞こえない、別の回線の指示を受けて。
慌てて追いかけようとした川内を静止して、その背中を見つめる。
仲間を亡くして、腕を失って、それでも戦い続ける哀れな艦娘を。
最後に見つけたのだろう希望にすがりつく姿を。
抗議を立てる川内に龍驤は応えない。
そのまま雪風を起こして進路を取る。
懐かしいと思える泊地へ――旅団に壊された、生きてきた人生の詰まった島へ……。
というわけで雪風パートの8話にして、最終話。
この後に続く春雨パートでこのW主人公という体裁は終わり、また別の話へシフトします。
ACVD編、自分でもこれはかなり詰め込むことになるんだろうなと思っておきながら、それでもこれほどの文量になるとは思ってもいませんでした……。