鉄底海峡に待雪草を   作:在田

68 / 97
「人間の欠陥を証明し、そして完全な破滅を。僕を連れて行ってくれ。お前の誤りを証明してみせよう」


Enemy In Sight

 夜を前に準備を行う。

 

 明石が給油管を取って栓を締める。

 

「……この泊地にある燃料はそれが全部です。弾薬はもう少し残ってますけど」

 

「いいわ。これ以上は重くなるから……でも、本当にいいの? あなたの艤装も燃料がなくなったけど」

 

 衣笠が艤装を背負いながら返答し、立ち上がる。

 

「その時はその時です。私は最後までここにいますから」

 

「そう……迷惑かけちゃったね」

 

 明石は返答しないまま、ゆっくりと歩み去っていく。

 

 廃墟と化した泊地を独りで生きていくのだろう。他に誰も来ない限り。

 そしてそれが、自分に最期をもたらしてくれると信じて。

 

 ゆったりと皆を見て、腰に手を当てる衣笠。

 

 神通、春雨、夕立、潮、そして那珂……皆の視線が集まる。

 期待と高揚ではない。のしかかる責任感と重圧を感じる。

 

 皆も同じことを感じているのだろう。それを吹き飛ばせるように、一人ひとりの目を見つめながら声を張り上げた。

 

「これから泊地に帰るわ。また長い道のりだけど、那珂も潮もいるから、来たときより心強いはずよ。

 ここを出たら、きっとハンターってのにまた遭遇すると思う。でも戦うことが目的じゃないわ。だから逃げて泊地に辿り着くことだけ考えて、弾薬の消耗も最小限に。

 どうせ後で深海棲艦がやってくるんだから、そうなったら本当に逃げられない。その時にだけ戦うの。わかった?」

 

「「はい!」」

 

 その中で、潮の視線だけ怯えるようなものになっているのも理解できる。

 ……一度動かなくなった以後の記憶が、全てなくなっているらしい。当然、自分がここにどうやってきたのかも。

 

 桃色の連装砲をぎゅっと握り締めるのが見えた。

 

 まともな艤装もなく海中から浮かんできたのだ。衣笠もどうやったのか知りたいほどだが、考えるだけ無駄だ。

 

 何もかもを不安に思うだろう。どうしてここにいるのか。自分たちを信じて良いのか。道中に何が待ち受けているのか。ちゃんと帰って、歓迎されるのか。

 

 ……潮は壊滅したはずの泊地に残された、まだ新しい艤装――綾波型に共通するそれを背負っている。

 明石が言っていた。この泊地が壊滅した後に来た誰かの忘れ物だと……だがわざわざ取りに来るほどの物好きもいないだろう。

 

「特に、潮ちゃんは旅団に所属しているから私たちの味方なんてしたくないと思うけど、それでも一緒に来て。

 そのために私たちはあなたを守る。だからあなたも私たちを助けて」

 

「……はい」

 

 小さく、しかし確かに首を振る潮。

 じっと見つめてくる視線が少し痛い。

 逃げるように前を向いて、開かれた暗い空と向かい合う。

 

「――抜錨!」

 

 散らす飛沫を足跡に、衣笠たちは泊地を後にする。

 

 かつてショートランドと共に最前線を誇っていた場所。トラック泊地。

 誰からも見捨てられた場所ではなく、自分たちの生活がある場所へ――ショートランド泊地へ。

 

 ……しかしすぐに、それは現れた。

 

「あっ……」

 

 桃色の連装砲――潮の持っていたそれが、粉々に砕け散る。

 

 深海棲艦が放ったなら砲弾だったはず。しかし爆発がなかったということはただの鉛玉。

 第一、連装砲も装甲粒子を纏っている以上、深海棲艦の弾でいとも簡単にバラバラになるはずがない。

 

 ……ハンターであることなど確認するまでもなかった。

 

 潮だけではない、皆の背筋を駆け上る悪寒が身を引き締める。

 

「来たわ! 方角わかる?」

 

「四時です。砲火が見えました」

 

「わかった。じゃあ夕立と春雨、とにかく撃って! 進行方向も速度もそのまま! 逃げ切るわ!」

 

 衣笠が言い終えないうちに後ろから砲声が響く。

 

 赤道直下の熱に晒されているにも関わらず、体をなぞるのは暑さではなく、緊張の粘っこい冷や汗。

 

 那珂が衣笠の横まで踊り出た。

 

「ねえねえ、那珂ちゃんは?」

 

「走れるだけ走って! 那珂ちゃんまで撃ったら遅くなる!」

 

 那珂が文句を言う前に神通が引っ張って制止する。

 

 風を切って進む艦隊。

 単縦陣。衣笠を先頭に、潮、夕立、春雨、那珂、神通と並んで、黒々とした海を突き進んでいく。

 

 ……両手の指では足りないほどに夕立と春雨が砲撃を重ねた頃、向こうからの銃声が聞こえなくなっていた。

 

 牽制砲撃は行った。だからこそ近づいているわけではないだろう。

 ちらりと脇を見れば、遠くに二つの黒い影があるのが見える。

 

 こちらを伺うような並走。砲を向ける素振りはなく、しかし離れる様子もない。

 

 艦娘を殺すために行動しているような敵、と那珂は言った。

 言わば自分たちは獲物。そう安々と逃してはくれないだろうと。

 

「諦めてくれたのでしょうか?」

 

「だといいけどね」

 

「……泊地まで着いてこられたら、倒せるっぽい?」

 

「みんないるからね、全員でやれば倒せない相手なんていないよ」

 

 春雨と夕立のぼやきに答えながら猛進する。

 穏やかな波を突っ切り、燃料の消耗も構わずにひたすら速度を上げる。

 

 まだ水平線の向こうに島らしいシルエットが見えるはずもない。丸一日かかった距離だ。どれだけ速度をあげても半日を割ることはない。

 

 あとどれほど、凍てつくような怯えに耐えながら睨み合いを続ければいいのか。

 

 悩む間もなく、眼前に黒いシルエットを見つける。

 

 ……黒い布を纏っていても、しかし中身が見えないハンターではない。

 黒いフードと、白い肌。胴体ほどの太さがある尻尾の先にある咢。金色の目。

 

 ――レ級。

 

「なんでこんな時に!?」

 

 悪態と共に飛び跳ね、波に足を突き刺しながら屈む。後ろとの激突だけは避けるべく足首をひねって、進行方向を強引に変える。

 転進――ハンターとも離れるよう、直角に。

 

「取、舵……!」

 

 駆逐艦ならばまだ出来ただろう技だが、重巡が行うとなれば、その一瞬で足首にかかる負担の桁が変わる。

 進んできた慣性と波、回転速度が変わらない主器が進まんとする先と、艤装と自分の重さ――みしりと悲鳴をあげる足首と、脳幹を突き上げる激痛。

 

「――ッ!」

 

 今にも溢れそうな絶叫を、歯を食いしばってこらえる。

 

 体勢を持ち直す前に、砲声が轟いた。

 背後を爆轟が突き抜けて、今度こそ衣笠は吹き飛ばされる。

 

 ……衣笠だけではない。衣笠の号令に反応しきれないままの皆も、転進しかけて衝撃に吹き飛ばされた。

 

『後悔スルッテ、言ッタハズダケドナァ……!』

 

 レ級の声がこだまする。そこにいるはずなのに、足元の遥か奥底から手を伸ばして鷲掴みにしてくるような、暗い深淵が凝固したような声。

 

『ダケドマア、ドウセコウナルッテ思ッテタヨ。浅ハカナ艦娘タチ……!』

 

 海水まみれの重い髪と水兵服を持ち上げて、どうにか上を向いた衣笠――レ級の咢が、砲口がこちらを覗きこんでいた。

 距離は少しだけある。だが戦艦級ならば気にするほどではない。たった一撃でバラバラになってしまう。できてしまう距離。

 

 まだ立ち上がってすらいない。衣笠ではなく、全員が。

 

 持ち帰るべき話が……泊地の皆に伝えなければいけないことが、たくさんある。

 責任を果たせないまま――もしなかったとしてもここで終わるわけにはいかないと、歯を食いしばった。

 

 ――砲を構えるよりも早く。

 その咢の表面を、甲高い金属音と火花が散って、咢が衝撃に揺れる。

 

『アア、オ前モ居ルノカ……一番ノ失敗作ガ』

 

 レ級が、体を後ろへ向ける。

 衣笠たちとは反対側。懸命に逃げようとしていた相手――ハンターへ。

 

「失敗作とは無礼ね。もう少し口を謹んだら?」

 

 通信に割り込んでくる声。どこかで聞いたような声。むしろ聞き慣れていたはずの声。

 ブイン基地へ出向して、そのままいなくなってしまった艦娘と酷似していた。

 

「叢雲さん!?」

 

 声を荒げたのは衣笠ではなく春雨だった。

 

 瞠目が伝播する前に、衣笠が号令をかける。

 

「立って! すぐに逃げないと!」

 

 思い出したように動き始めた皆。

 レ級が、ちらりとこちらを向く。

 

『失敗作ニ名前ナンテ必要ナイ。オ前等ニモアリエタ未来ノ一ツサ』

 

「話を聞いている場合じゃない! さっさと帰るの!」

 

 間髪入れず引き金を絞って、レ級の顔面で飛び散る爆炎を確認しないまま潮を引っ張る。

 

 そしてレ級もハンターも居ない方へ主器を回そうと体を起こし――衣笠は止まってしまう。

 

 ……目と鼻の先に、レ級がいる。

 振り返る内の一瞬で移動できるはずもない。

 

 からからと陽気な笑顔を浮かべるもう一体のレ級が、口を開いた。

 

『実験ハ続イテイル。俺タチノ使命ダカラナ』

 

 怖気が、衣笠の胸ぐらを掴んで離さない。

 逃げられない。

 

 最初に居たレ級の声が、後ろから首筋をなぞるように語りかける。

 早鐘を打つ心臓すらも、レ級に握り締められたみたいに窮屈な痛みを訴える。

 

『知リタガリ過ギルンダヨ! 余計ナコトヲサ』『ソレカラ……オ前等ニモ消エテモラオウカ』

 

『ギャハハハ『ハハハ!『ハハハハ!!』』

 

 深淵から這い上がってくるような二つの笑声が、あたりを満たした。

 今にも崩れ落ちそうになるほどの絶望が、身体へ染み入ってくる。積み重ねてきた努力を諦めてしまいたくなるような虚無感に支配されて、今まで軽々と扱ってきたはずの艤装が途端に重くなる。

 

 二体の戦艦級……それも以前、たった一体に艦隊が潰されかけたというレ級が、二体。

 

 さらにはいつ自分たちの装甲を貫いて命を刈り取られるかもわからないハンターもいる。

 

 勝てる見込みなどない。しかし逃げ出せる状況でもない。

 

「……やりましょう」

 

 だが声があがった。

 衣笠だけではなく、皆が一斉に声に顔をあげる。

 

 ――視線が春雨へ集められる。

 

 彼女がこの艦隊で、一番レ級の恐ろしさを知っているはずだ。

 衣笠たちが遭遇した昨夜よりもずっと前……比叡と雪風と共に出撃し、暁を失った時にも、春雨はレ級へ立ち向かっていた。

 

「戦いましょう。帰らないといけないですから」

 

『ソウダヨ。ソウイウ面白イ奴ヲ待ッテイタンダ』

 

 レ級の口元がさらに釣り上がるのを他所に、春雨は一人に言葉を投げかける。

 艦隊の誰でもない。ハンターと呼ばれた存在。皆の視線が遥か遠くへ集められる。

 

「一緒に、戦ってくれますよね? 叢雲さん」

 

 ローブのような黒い布――フードを外して、出てきた顔に瞠目した。

 叢雲……彼女が大人になったら、そうなっていただろう顔立ち。

 

「私は叢雲じゃないわ。今はね」

 

 声を聞けば聞くほどに、叢雲だという思いが強くなる。

 しかしハンターは叢雲なら少しばかり躍起になっていただろうことも、淡々とした言葉で終止させる。

 

 疲れ果ててやつれてような顔で、叢雲とは別の誰かとも考えさせられてしまう。

 

 だがそれよりも――まさか返ってくるとは思っていなかった返事に愕然とする皆を差し置いて、叢雲と……もう一人は武器を構える。

 元々持っていた銃ではない。また別の――艦娘の連装砲。

 

 深海棲艦に人類の兵器は通用しない。だから妖精さんの加護がある艤装を用いる必要がある。

 無論味方による誤射を避けるため、艦娘の装甲粒子は艤装の砲撃も耐えられるように設計されている。

 

 ……つまりハンターの狙いはレ級だと。

 

『ソウダ! ソンナオ前等ヲ! ……失敗作ヲ、愛シテイルンダァ! ギャハハハハハハハハハ!!』

 

 気がつけば、皆がその場に立って艤装を構えている。

 前と後ろ……どちらにもいるレ級へ、皆で背を預けて対峙する。

 勝てるはずのない敵から勝利をもぎ取るために。

 

「失敗作かどうかなんて、どうでもいいんです!」

 

 きっと艦隊の誰もが初めて聞くだろう、春雨の怒号。

 

 衣笠が感じていた怒りを、春雨も抱いていたと悟る。

 それだけで胸のどこかがふっと軽くなるのを感じた。

 きっと皆が同じ思いを共有しているだろうと思える。

 

 つっかえそうになる呼吸をぐっと飲みこんで、目尻に膨らむ涙を堪えて、衣笠は叫ぶ。

 

「じゃあ、勝つよ! みんなで!」

 

「「はい!」」

 

 つい数十秒前まで陥っていた絶望を感じさせない、覇気に満ちた声が響いた。




というわけで春雨パートの第7話。

以降、春雨パートは第9話まで連続で続きます。

最近あまり書き溜めを行っていないので、年内は安定して更新できると思いますが、
それより後は、どうなんでしょう……。

すでに1年以上続けているこのシリーズ。読者の皆さんがどれほど着いてきてくれているのか、実は結構不安です。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。