最初の砲撃はハンターからだった。
二体のレ級―それぞれの顔面を狙った正確無比な砲撃。
着弾と共に広がる炎と煙を見て、衣笠が号令をかける。
「散開して! その後に那珂ちゃんと夕立、神通と春雨でペアを! 潮、こっち!」
一斉に別方向へ駆け出していく皆を見ながら、衣笠はハンターを見やる。
最初の一撃はそれぞれ顔面を狙った。つまりは目眩ましとしてかもしれない。
挟撃に遭う寸前だった艦隊を逃してくれたのか? と。
それぞれのレ級から離れられる場所へ移動して、脇に潮が来るのを確認する。
「私の、連装砲がなくなっちゃって……」
「しょうがないわ。タイミングはこっちで言うから、魚雷を使って」
「はい」
ゴーストが入っていた、潮のための特注品。潮が自我を取り戻すきっかけとなり、同時に艦隊が追いかけてきた重要なもの。
潮自身にも相当の思い入れがあっただろうが、しかし失ったものへ嘆く暇はない。
見渡せば、ペアがそれぞれのレ級へ対峙している。
最初に現れた方へ春雨が近づき、後ろから神通が牽制の砲撃を繰り返す。
次に現れた方と夕立が既に接敵している。振り回された尻尾へ、艤装を背負っているとは思えないほど軽快なバク宙で回避。
……まだ隊列に加わって一時間と経ってないからだろうか、那珂は夕立の動きに驚きを隠せず、そして近すぎる故に砲雷撃を割り込ませられないでいる。
圧倒的な力を持つレ級を相手に、駆逐艦と軽巡のペアでは力不足なのは否めない。どちらも足止めで精一杯――消耗戦となれば、翻弄されるばかりのこちらが不利となる。
どちらか片方に集中しなければいけない。つまりもう片方は野放しになってしまう。
思わずこぼした舌打ちに、潮がビクリと肩を強張らせた。
「ごめんね。でもどうにかしないと……何か思いつくことある?」
「それは……」
潮もそれぞれの戦いを見つめて、しかし首を横に振る。
「……だよね」
逸る気持ちだけで、何もできないまま時間だけを消耗している。
こちらに砲撃が飛んでこないことを祈りながら、しかし安全地帯にいると思う自分を呪って。
二度も尻尾による打撃で意識ごと飛ばされてる。
最初は雪風と比叡と共に出撃した時。そして二度目は昨日。
だからこそ不用意に近づくことはできない。
幸いにもレ級の動きは機敏ではない。尻尾の方向さえ気をつければ被弾することはない。
だが、春雨の手持ちでは有効打がないのも事実だ。
連装砲は爆煙を散らす目眩まし。魚雷は足止め。それでしかない。
後ろに控えている神通も多少強力であれ、結果は同じだろう。
『オ前ト遊ンデモ、ツマラナインダヨ』
呆れ返ったレ級の言葉。
ぐっと奥歯を噛みしめる。どうやって一矢報いればいいのかと頭を絞っているのに、レ級はただの遊び……むしろそれ以下だと一蹴する。
駆逐艦である自分が恨めしくなるような屈辱。
それでも春雨はレ級の周りを駆け回り、どこを攻撃すれば良いのかを探る。
無闇に魚雷を放っても、これといった損傷を与えられる気がしない。
……戦うと宣言した。皆も応えてくれた。
だが決意でなく覚悟に近い。勝算があったのではない。
諦めて、諦めたまま沈むのが嫌だった。
今いる夕立の、さらに前――ブイン基地に配属されていた過去の夕立。
突如として失踪した彼女。なぜ消えたのか、何があったのか……それを知るきっかけを求めて治安維持機構へ志願した。
だがまだ何も掴めていないことが、もどかして堪らない。
今の夕立が、失踪した夕立とは違うことを今までの生活で思い知っている。
……知ってどうするのかは春雨にもわからない。だが知らなければいけないと思っている。
だから沈むわけにはいかないと、改めて覚悟する。
眼前のレ級が尻尾をもたげる――薙ぎ飛ばされるほどの距離ではない。
残るは射線にのみ気をつけていれば……。
尻尾の先――巨大な砲が連なる先端を見て、数瞬だけ止まる。
砲塔の下には巨大な咢があったはずだ。それこそ春雨の身体ぐらいなら丸呑みにしてしまえそうな大きな咢が。
だが今のレ級にはない。砲塔だけは残っていても、咢があった場所にはボロボロになった肉塊しかない。
……昨日、トラック島へ入る前に遭遇した時。二度目の叩き飛ばされた時――開かれた巨大な咢へ、春雨は魚雷を投げ入れていた。
ならば目の前のレ級は、あの時に一矢報いたレ級……!
勝てないと決まっているわけではないと、改めて実感する。
腹の奥から、静かな熱がこみあげてくるのを感じる。
夕立のように曲芸じみた軌道ができるわけではない。神通のように熟練された動きができるわけでもない。
だが春雨も同じ艦娘だ。戦える。
何度となく負傷を繰り返してきたが、それでもここまで戦ってきたのだという自信を持つ。
牽制に魚雷を放った時に、レ級が動きを見せた。咢のない尻尾が、春雨へ向けられる。
戦艦級となれば、至近距離であれば命中しなくても春雨ぐらいすぐに木っ端微塵にできるだろう。
だからまともに照準を定める必要すらなく、春雨のいる方向にさえ向けられればいい。
魚雷の命中を待っている暇はないと判断が追いついた直後に、しかし尻尾は爆発の衝撃に揺らめいて、春雨がいる方向を大きく逸れる。
神通の砲撃だと理解した次の瞬間に、春雨は踏み出していた。
レ級の持つ唯一の砲塔。不意を突かれて怯んだだろう瞬間。
そして数瞬後には魚雷の炸裂が控えている瞬間。
その瞬間を、今を狙わなければ、春雨はおろか、艦隊全員を以てしても勝機を見出すことは至難となる。
『小細工ゴトキデ! 俺ガ倒セルノカナァ~?』
嘲るように笑うレ級を、間欠泉のごとく吹き上がる海水と黒煙が飲みこむ。
飛びかかってくるそれらに構わず、一瞬の加速……主器の回転数が最高度に達する。
『ギャハハハハハ!!』
雷撃を受けても笑声を撒き散らすレ級。まだそれができるほどの余裕があるとでも言いたいのだろう。
春雨にできることといえばこれぐらいしかない。
発射管から魚雷を抜き取った。
夕立のように上手くできるかはわからないが……。
「うあぁー!!」
海面を、飛んだ。
一歩目は怯んだままの咢へ。二歩目は水柱の中心にいるだろうレ級の胸へ。
最高速度に近い勢いでレ級へ飛びかかって、倒れていくままに身を任せる。
一頻り収まった水柱の後に、小さい飛沫が起きる……春雨の足元、レ級の背中。
だが笑い声を響かせる胸へ飛び蹴りすることが目的ではない。
ずぶ濡れの髪や顎から滴る海水が、春雨の肌を厭らしく撫でる。
大の字で水面に倒れて見上げる形でも、まだ戯けるレ級。
『無理ダ。オ前ジャ俺ヲ倒セナイ』
「私もそう思います」
すぐさまレ級の顔面目掛けて連装砲の引き金を絞る。
爆炎と爆轟が体を揺さぶって、ちりちりと肌を焼く。頭の上にあった帽子が燃えながらどこかへ飛んでいった。
だがそれよりも、再三耳へ飛びこんでくるレ級の笑声が耳に障る。
「同じ口なら……!」
噴き出る黒煙へ、手に持った魚雷を突き入れた。
笑い声が止む。手に握った魚雷の先に、柔らかい肉の感覚がある。
途端に、今踏みつけているものが生きているのだと思い知って、手が震える。
それでもやめるわけにはいかない。
連装砲を構え直す。
だが後ろから迫り来る尻尾に気づけなかった。
あっという間に、身体を自分よりも太い筋肉の塊が巻きつけられ、軽々と持ち上げられる。
砲を持った右腕でどうにか狙いを定めようとしても、体が弄ばれるように絞められる。潰された肺腑から空気が溢れ出た。
「……ぅう、あ」
息が吸えない。力を入れれば入れるだけ、それ以上の力で握り潰されそうになる。
右腕だけは自由だが、左腕も足も絞めつけられてまともに動かせない。
背負った缶が背中に食い込んで、内蔵をすり潰そうとしている。
何度も宙を振り回される。慣性で頭がぐらぐら揺すられて平衡感覚を奪われる。視界の焦点が定まらない。狙いを絞れない。
胃の中身が逆流して口から漏れ出る。
すぐに力をこめてしまえば、春雨など容易く潰されるだろう。
そうしないのはレ級の遊びなのか……だが判断するまで春雨の頭が回らない。考えるための酸素も、考えられるだけの余裕もない。
とにかく、突き立てた魚雷を撃つことだけが頭にあった。
視界の片隅で、レ級の手が口に伸びるのが見えた。
我武者羅に腕を動かして引き金を絞る。
その着弾を見届けることなく……次の瞬間に春雨がいたのは海の中だった。
尻尾ごと海中に叩き込まれたのだと理解するまで、そう時間はかからない。
赤道直下に居ることを忘れそうになるほど冷たい懐中。同じように冷たく、そして太く固い尻尾に包まれた自分の身体。
口の端から頬を撫でて上る気泡で、呼吸ができないことをようやく思い出す。
ずっと海上にいたせいなのか、海中のことを忘れていた。
缶の抗磁圧があったところで強大な尻尾を阻めるはずもなく、それにより海へ叩き込まれてしまえば意味を成さない。
身じろぎが精一杯で、腕や足を動かすことすらままならない。
連装砲を持っている右腕を除いて。
「……!」
耐えきれず、大きな気泡がゴボゴボ溢れる。
水面は見える……手を伸ばせば届きそうな距離にある。
月の光が見える。春雨を見下ろして、レ級が嘲笑うのと同じように、ゆらゆら波間の向こうで形を変えながら。
今レ級が生きているからこそ弄ばれているのか、あるいは死んだまま固まってしまったのか……。
そんなことを気にする余裕も、知るすべもない。
連装砲すら手放して、腕を上げて指を伸ばす。
背負った艤装の重みが水底へ引き込み、固く閉ざされたままの尻尾が海中へ留めようとしてくる。
帰ろうと、勝とうと、そう宣言した。
そんな自分が一目散に死ぬわけにはいかないと、ひたすらに腕を振る。水面を、月の光を掻きむしって、抜け出せるはずのない尻尾から逃れようと。
自分の身体から、深く暗く冷たい海へ意識が滲んでいくような錯覚を覚える。
右腕を振っている感覚が薄れる。水をかき分けているはずの抵抗を感じなくなる。それどころか、本当に自分が腕を振り回しているのかどうかすらも。
見えているはずの月の光が見えない。
肺の空気が、意識と共に次々と体を離れていく……。
ずっと奥。上も下もわからなくなった自我へ、どこかから声が聞こえるような気がした。
聞き慣れているはずの声。だがひどく懐かしい声。
力が入らなくなった肉体が、奥の声に振り向こうとする。
「姉……さん……?」
夕立は共に艦隊を組んで戦ってきたはず……今も戦っているはずだというのに、夕立の声が聞こえた。
『――――』
「え? なんですか?」
『――――』
「姉さん。聞こえないです。もっと近くで話してください」
『――――』
「どこにいるんですか? 見えないですよ?」
返答しているはずの自分の声すら聞こえなくなりそうだが、確実に尋ねているはずだ。
夢を見ているような微睡みが意識に浸潤して、じわじわと満たしていく。
先程まであったような息苦しさも、痛みも、寒さも、絶望も……全てを忘れてずっと心地良く揺蕩う感覚。
どこにいるともしれない夕立の声が近づいてきたような気がした、次の瞬間だった。
手首を強く掴まれて、上へ引っ張り上げられる。海の抵抗も艤装の重みも春雨自身の体重も全て、右腕一本にのしかかって生じる痛み。
その痛みが、春雨を現実へ引き戻した。
気がついた時には、全身スブ濡れで宙ぶらりんになって、飲んでいた海水を吐きながらえづいていた。
鼻を海水が通る時のじんと来る痛みが、何故かこそばゆい。
春雨の右手首を掴んでいるのはレ級ではない。
呆れたような声が真っ先に入ってきた。
「全く、艤装があると大変ね」
「ありが……ござっ……」
まだ呼吸が落ち着かない中で喋ろうとしたせいか、またこみ上げてきた海水を吐いて、ようやく手放されて膝をつく。
背中をさする別の手。しかし声は聞こえてこない。
「海に潜ることもできないなんて……見殺しにするところだったわね」
春雨が横たわる傍ら――春雨を引き上げたハンターが神通を振り返る。
ハンター……姿は叢雲に酷似している。いや実際に叢雲だったのだろう。
解体処分を受けた艦娘は人間に戻れる……そうやって叢雲が、叢雲ではなくなった姿なのではないか? と。
春雨の背中をさするもう一人も、今はフードを外している。
現れた顔は初雪そのものだが、しかし眼前の叢雲と同じように、年齢を重ねた風貌から、艦娘の初雪とは思えない。
「……ありがとう、ございます」
苦い表情を噛み殺した神通が、絞り出すように返答する。
艦娘は艤装が纏う抗磁圧の影響で、海中に入ることが出来ない。
落下した衝撃などを使えば海面にめりこむことはできるだろう。だが自身の力だけなら、浅い水たまりを叩くように海面を撫でることしかできない。
つまり海に入ってしまった仲間を、助けることもできない。
「くだらないことを喋る暇があるなら、さっさと仲間を助けに行きなさい。艦娘なら味方の安否を重んじることね」
ハンターはピシャリと言い返す。
すでに春雨と戦っていたレ級は海に沈んだ。いくら深海棲艦とはいえ頭がなくなれば当然だろう。
ようやく顔をあげた春雨に、ハンターは屈んで涙目の顔をじっと見つめる。
海水まみれの顔。髪がぺっとりと貼りつき、涙も鼻水も胃液も全部海水と混じっている。
暗闇と、消えかけた意識に開かれた瞳孔。決死と懸命が混在した力にみなぎる赤い瞳。
「あんた、死ぬ気だったの?」
「いえ、あれしか倒せる方法がないと思って……」
魚雷を食わせて爆破する。普通なら選べる選択肢ではない。どう考えても爆発に巻きこまれる。
奇しくもレ級が春雨を図太い尻尾で包み、かつ遠ざけたからこそ、ハンターは撃ち抜くことができた。
初雪と目を合わせる叢雲……未だ疑問符を顔に貼りつけた相棒へ、ため息と共に返答する。
「あいつの定義で、成功したものなんてないわ。だから失敗作もありえない。でも私は失敗作呼ばわりが気に入らなないのよ」
「……いつもなら気にしなさそうなことだけどね」
穏やかにいじらしく告げる初雪。
ぷいとそっぽを向きながら、叢雲は自棄で腕を組んでふんぞり返る。
「私だって艦娘だった。ちょっとヤキが回って情がうつった。これでどう?」
「だったら最初からそういえばいいのに」
静かにニヤける初雪の傍ら。春雨がまだ酸欠状態から復帰できず、二人の会話を聞く余裕がないことだけが、叢雲にとってありがたいことだった。
というわけで春雨パートの第8話。
いつも土曜に更新するようにしているのですが、忘れてしまってました……。
なので今から来週分も投稿予約しておきます。次話こそ土曜です。