鉄底海峡に待雪草を   作:在田

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「このまま、無事に済めばいいのですが……」


Birthday

 戦いはカレーを食べきることから始まっていた。

 トイレに行くと称して間宮に向かっていく人たちに混じり、そして食堂に入っていく龍驤に挨拶しながら、雪風も逃げ出していた。

 

「おー、カレーかぁ。なんや珍しい臭いするなあ。

 え、キミたち食わんでええの?

 作戦前やろ? ちゃーんと腹いっぱい食わなあかんで?

 勿体ないでぇお化け出るでぇ。しゃーないなぁ、ウチが食べてまうでー」

 

 そのまま揚々と食堂に入っていく龍驤を尻目に、雪風はいつも食べているはずのカレーに感謝しながら平らげた。

 

 

 

 しばらくして、雪風たちはすでに潮風を受けている。

 

 比叡を旗艦とし、駆逐艦五隻を随伴させた高速艦隊。

 目標までの道のりを最速で作り上げるために駆逐艦たちを揃え、比叡は目標の破壊や緊急時のために温存する――強引な電撃突破を前提とした編成。

 

 もし、駆逐艦では対処できないほどの敵が出てしまえば困難を極めるだろう。強行偵察とはいえ、一か八かの戦いだと、たった一人を除いた皆は思っていた。

 

 ――日が傾き始めた時に邂逅した敵の第一波との戦いで、それは覆る。

 敵のヘ級が、雪風の放った一撃で、断末魔と共に水面から姿を消した。

 

 暁の頬を汗が伝っている。雷も電も被弾こそないものの、にわかに疲弊の色が見えていた。

 

「すごい……」

 

 そう言わずにはいられなかった、というのが近いだろう。

 

 駆逐艦と軽巡……敵がそれだけで編成されていたことも一つの理由だろう。

 しかし暁たちが奮闘して何発も弾を飛ばし、敵との距離を測り、そうしてようやく仕留めている間に、雪風はたった一発で悉くを打ち倒していた。

 

 ブイン基地から配属されてきたばかりの三人の目には、それが最前線の艦娘が誇る練度の差に見えた。

 

 しかし雪風と同じくショートランドにいたはずの春雨も、暁たちと同じように弾数を重ねて敵と戦っていたことを鑑みれば、それは変わる。

 雪風には、通常の艦娘とは違う何かがある。最初こそ疑念だったそれは期待になり、そして希望に繋がる。

 

 

「雪風、あんたやるじゃない!」

 

 雷が笑顔を見せて雪風に近づく。

 

 えへへ、と雪風は照れに少し顔を赤くしながら笑って、雷に頭を撫でられていた。

 

「皆さんのおかげです」

 

 やがて春雨も電も混じっていき、暁は近づこうとして、こちらへ手を振る雪風の笑顔を見る。

 暁にはその光景が少し羨ましかった。自分よりも強く、明るく、そして素直に笑顔を浮かべる彼女も。

 

「わ、私もあんな程度じゃないんだから!」

 

 腕を組んでそっぽを向きながら、暁は自分に語り掛ける。

 あれで喜んでいるようではお子ちゃまだ、と。

 もっと一人前として、次は活躍するんだ、と。

 

 頬を膨らませていると、遠くで静観していたのか、遅れてきた比叡が暁の肩に手を置いた。

 

「はい。そうですね。暁も頼もしいですから、私たちは絶対、大丈夫ですね」

 

 背を押しながら皆の輪に入る比叡を見上げて、暁は声を張り上げる。

 

「と、当然よ!」

 

 意地で返したところもあったが、嘘をついたつもりはない。

 

 

 

 続く第二波は、過酷だった。

 先ほどの戦いにはなかった艦載機が現れたのだ。

 

 まだ敵がこちらの有効射程にいない状態で、空から一方的に機銃の弾丸と爆弾の雨が落ちてくる。

 前からの砲撃だけ目を向ければいいというわけではなくなった。装備していた対空機関砲で、遥か上空を飛び回るそれらへ火線を走らせる。

 

 しかし落としても落としても、羽虫のようにわきあがる艦載機を前に、疲弊ばかりが積み重なっていく。

 爆弾と鉛の雨が行く手を阻み、憔悴と焦燥に急き立てられる。

 かいくぐりながらも、艦隊は前に進まなければならなかった。

 

 そうしなければ、無限にわいてくるだろう艦載機へ機関砲を呻らせることしかできなくなる。

 艦載機を飛ばしている敵が――空母が、その向こうにいるはずだ。

 

 やがて雪風と暁のちょうど間で、間欠泉のように水柱が立ち上った。

 

「きゃあッ!」

 

 雪風は難なくかわすも、近くにいた暁が炸裂を受ける。

 

「暁さん!」

 

 春雨が機関砲から火を噴かせながら近づき、艦載機が体勢を崩して海面へ突っ込んでいく。

 

 前方でこちらへ砲撃を送り込まんと待っているだけの深海棲艦が、遥か遠くに居るように見える。

 

 ……このまま進むのが、雪風は少し怖かった。

 

 皆が一ヶ所に集まれば袋の鼠。

 だからと言って打開するために前へ躍り出れば、今度は深海棲艦にとって格好の的となる。

 

 装甲粒子が体に塗されていても、痛いものは痛い。最悪沈んでしまうリスクもある。

 

「大丈夫です。雪風は不沈艦ですから……!」

 

 自分にそう信じ込ませるための呪文のようなものだ。

 

 鉄の体の頃も、たくさんの沈む艦を見てきた。しかし雪風は沈まなかった。沈むことを知らなかった。今の体でもそれは変わらないはずだと言い聞かせるための呪文。

 願掛けや願いではない。それこそ呪いのような言葉を、雪風は自覚なく唱える。

 

 雪風が敵から最適の的であったとしても、沈まない。敵の空母をなんとか発艦不能に持ち込めるほどの打撃さえ与えれば、あとは艦隊の皆がこの場を切り抜いてくれる。

 

 雪風は信じていた。自分が沈まないことを――そして、艦隊の皆が状況を打開してくれることを。

 多少の痛い思いぐらい、乗り越えられる気がしてきた。

 

 皆のために、雪風は一人で突っ込む覚悟を整える。目を閉じて、すーっと息を吸い、はーっと息を吐く。

 

 その間にも機銃の掃射が近くの水面を叩き、髪を掠めるが、しかし傷ができることはない。飛来する砲弾が近くで爆ぜても、水を被るだけで痛くも痒くもない。

 まるで弾丸や爆弾が雪風を避けるように、ちょうどその周囲へ落ちていく。

 

 そして目を開けた――。

 

「暁!」

 

 後ろで雷の叫び声が聞こえた。

 振り向こうとして、通り過ぎていく紺色の髪とすれ違う。

 ――さっき被弾したばかりのボロボロの体が、前へ出ていた。

 

 雪風がやろうとしていたこと。暁も同じことを考えていたのだと悟る。

 

「戻ってください暁さん! 危険です!」

 

 通信に比叡の声が響く。

 

「怪我しちゃいます! 痛いんですよ!」「やめなさいって!」「危ないのです」

 

 触発されたように、皆が口を開いた。

 

「沈まない……」

 

 皆が驚き、一様に止まる。返ってきた声は小さく、けれども確かに強い意志のこもったものだった。

 

「ねぇ雪風、言ってたわよね? 私たちは絶対に沈まないんでしょ!?」

 

 砲弾が降りしきり、暁が爆炎と飛沫の向こうに見えなくなる。

 皆の視界から、暁が消えた。だが見えなくなっただけに過ぎない。

 

 暁は前に突き進んでいた。

 

「はい!」

 

 考えて返したつもりはない。ただ信じていることを、そのまま口にしただけ。

 

「雪風も、皆さんも、絶対に沈みません!」

 

 重ねて、雪風は通信があるにも関わらず、その肉声を届けようとする。

 とても大きな声を――暁に、皆に届けるために。

 

「絶対に!」

 

 暁の前に立ちはだかる駆逐ロ級を、他の誰でもない、暁の放った一撃が屠った。

 

 空から降りてくる艦載機たちに、皆が対空砲から弾を吐き出し、弾の雨を切り抜けて前へ進む。

 

「なら安心よね。この艦隊なら、今度こそ!」

 

 明るく自信に満ちた声。生き抜くことを――沈まないことを一点の澱みもなく信じている証。

 

 暁の背中が小さくなっていく。彼女の足から刻まれる飛沫が大きく跳ね、追いかけるように敵の砲弾が炸裂する。しかし快速の駆逐艦に届かない。飛沫は必ず暁を掠め、暁の後ろで巻き上がる。

 

 イ級の放った砲弾が暁へ向かっても、艤装の盾が阻み、盾が代わりに海中へ没する。

 装甲粒子を纏った服が千切れた。肩口が破け、スカートが焦げ、帽子の鍔が欠けた。

 

 それでも暁は進むのをやめない。

 恐怖などなかった。まだ日のある時間。探照灯を持っているわけではなくとも、敵から一網打尽にされかねない状況で、暁は賭けた。

 

 一人前のレディーとは到底思えない雪風が信じていることに。

 

 ……そして、暁の目がそいつを捉える。

 軽空母ヌ級。

 

 今もなお大きな口蓋から艦載機を吐き出すそれ目がけて、魚雷発射管を向けた。

 

「いっけえぇーっ!」

 

 圧搾空気により解放された何本もの魚雷が一度沈み、そして深度を取り戻し、一目散に海中を駆け抜けていく。

 真っ直ぐヌ級へと。

 着弾による爆炎。

 断末魔すらも爆音に掻き消されて――煙が晴れたころには、ヌ級の姿もなくなっていた。

 

「今です!」

 

 比叡の号令が、暁の背中を見守った四人を走らせた。

 これ以上増えない艦載機へ機関砲を斉射しながら、船速を上げる。

 暁ばかりを見ていたせいか、雪風たちに側面を晒す駆逐と軽巡へ砲を向け、浴びせられるだけ浴びせた。

 

 そこから後は思うがままだった。

 敗走する敵を見ながら、皆で暁へ駆け寄る。

 特に、暁の姉妹である二人は暁へ飛び込んでいくように抱き着いていた。

 

「よく頑張ったじゃない! 褒めてあげるわ!」

 

「もー! 私の方がお姉ちゃんなんだから!」

 

「お怪我とかは大丈夫なのですか?」

 

「大丈夫よこれぐらい。一人前のレディなんだから、へっちゃらよ!」

 

 そんな三人を遠目に眺めながら、春雨と雪風が並ぶ。

 

「雪風さんのおかげですね……」

 

「? 何がですか?」

 

 春雨のささめきに、首を傾げる雪風。

 それに答えたのは春雨ではなく、雪風の頭に手を置いた比叡だった。

 

「雪風が、みんなで帰るって約束をしたことですよ」

 

 雪風の頭を撫でる。

 

 例え戦艦と言えども、艤装や服のあちこちに傷や焦げなどが散見した。その程度ならばまだ掠り傷だが、比叡はまだ対空砲火以外で一発も撃つことを許されていない。

 それが提督からの指示書であり、作戦概要でもあった。

 

「みんなで帰れるか不安だったら、やっぱり戦うのも怖いですからね。

 不安がなくなれば、みんなも気合い、入れて、できるんです」

 

 笑いかける比叡から視線を前に戻して、ちょうど暁と目を合わせる。

 少し頬を赤くして、ぷいとそっぽを向かれてしまった。

 

「どうしたんですか暁?」

 

「な、なんでもないわよ!」

 

 近づこうとした雪風から、腕を振って逃げようとする暁だが……しかしすぐに腕の動きも収まって、体だけが真向かいになる。

 顔と目はまだ他所のどこかを向いて、ちらちらと雪風と合わせ……。

 

「って、なんでずっとこっち見てんのよ」

 

「何か、話したいのかなって思ったんですけど、違うんですか?」

 

 図星を突かれたからか、暁がより真っ赤になって、体もくるりと背中を向けてしまう。

 

「ま、まあその……ありがと。あなたのおかげで、勇気持てたから」

 

「勇気ですか?」

 

「これ以上言わせないでよ!」

 

 暁が離れてしまう。

 

 雪風の頭には疑問符ばかりが並ぶ。雪風にとっては沈まないことが当たり前同然なのだ。沈んだことがない雪風は沈むことを考えられない。沈むかもしれない恐怖は他の艦娘より薄い。

 それが雪風の強さであり、無謀さに繋がっている。

 

「雪風、何か悪いことしましたか?」

 

「何も悪くないですよ」

 

 比叡は答えながら、悪いところを一つだけ頭に浮かべていた。

 

 雪風の強さが無謀さであり蛮勇あるからこそ、勇気づけられる者もいるが、しかしそれを勇気づけているとは言わない。

 

 いつか蛮勇さに身を亡ぼされる時が来るかもしれない。いや、確実に来るのだろう。

 

 鉄の体だった暁や比叡だけではない、ここにいる、雪風以外の五人が経験してきたように。

 比叡が、雪風にそうされたように。だがそれを恨むつもりなど、今の比叡にありはしない。

 

 比叡は声を張り、皆を誘導する。

 

「さあ、次に行きましょう! このまま夜になる前に――」

 

『ア、アー。エットォ、ソコノ艦娘タチ、聞コエテルカナァ?』

 

 通信のものではない、聞いたことのない声。どこかの奥底から、こちらを引き込まんとする、明るい調子を持った黒い声。

 

 未だ知らぬ声に、全員が戸惑いを隠せない。

 

「誰です!? 一体どこから?」

 

『悪イナ。時間ガナイカラ要件ダケダ。ソコノ死神ニ プレゼント ガアルンダ』

 

「ぷれぜんと? 死神って……」

 

 どん、とどこか遠くで轟音が響いた。

 

 比叡は知っている。戦艦クラスが持ち得る巨砲。それの砲撃音。

 

 となれば――。

 

「皆さん、早くここから……」

 

 言い終える前に、それは来た。

 海が割れるほどの衝撃。海面がたわみ、皆がバランスを崩して倒れこむ。あまりにも突然のことで、皆が狼狽していた。

 

 戦艦クラス。それも普段見かける敵の砲撃ではない、それ以上の何かがいるという証。

 

『ヤハリ悪運ダケハ良インダナ、死神。マタ味方ヲ殺スナヨ?』

 

「どこにいるんです!? 早く出てきなさい!」

 

 比叡が辺りへ叫ぶも、声は返ってこない。

 禍々しい声の持ち主がどこかへ消えただろうこと――雨のような飛沫が止んだ静寂と共に、ようやく皆がわかった。

 

 奇怪な声に呼ばれた一人を比叡は見やる。

 死神と呼ばれたことのある艦娘。この艦隊で、その異名を得ていた艦娘は一人しかいない。

 

 ――雪風。




次の投稿は10月11日と12日の間の深夜になると思われます。
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