鉄底海峡に待雪草を   作:在田

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Stain(A Perfect Day)

 どれほどレ級が強靭だろうと、砲弾を全て注ぎこめば多少なりとも削ることはできると考えていた。

 しかし全ての弾薬を費やし全てを命中させても、レ級の外套に焦げ目を作ることすらできない。

 

 接近戦を経て、夕立が掴んだ答え。

 すでに弾はない。至近距離故に魚雷は使っていない。

 どうやって勝てば良いのか、想像がつかない。

 

 ――妹である春雨が行った、自殺行為にも等しい危険な戦い方。

 動きそのものがそれ以上に危険だと見られている夕立自身は……むしろ、あんなことはできない。

 

 夕立が接近するのは敵の死角を突きやすく、同時に射角から外れやすいため。俊敏な動きは敵から狙われ難くするため。そして曲芸じみた奇天烈な挙動は敵から動きを予測されないため。

 攻撃は最大の防御――圧倒的な膂力を持つ肉体と、本能にも等しい直感で実現しているに過ぎない。

 

 だから夕立は、目の前のレ級を恐れていた。

 攻撃をどれだけ叩きこんでも傷らしい傷も見せず、痛がるような素振りもなく、爛々と輝く瞳でこちらをじっと眺めるだけ。

 

 敵の攻撃から逃れるための努力をしてきた夕立とは、そもそもの理屈が違う。

 敵の攻撃など意に介する必要がないほどの頑強な身体ならば回避や激しい動きなど考える必要がないのだ。

 

 夕立の努力が無に帰すことをわかっている。

 どこまでも嘲笑うかのような振る舞い。

 最初は夕立の神経を逆撫でされ、憤りのボルテージが燃え上がるままに攻撃を繰り返した。

 

 しかしレ級へ繰り出した攻撃は現に泡沫と消えて、肌寒い焦燥に駆られる。

 ……勝てない。一人では、夕立に残された手立てはない、と。

 

 金色に光る瞳の奥、深い深淵が見える。

 肉体を酷使した果てに、その深淵へ深く沈んでいくような錯覚さえ感じる。

 暗く、冷たく、全ての音を圧潰させるような沈黙――まさしく深海へ。

 

 どれほど夕立が真紅の双眸に敵を捉えることができても、しかし全てを呑み込む暗闇に立ち向かうことなどできない。

 ――絶望が夕立を支配する。全身をくまなくすり潰されるような、あまりにも重い絶望に。

 

「夕立ちゃん!」

 

 劈くような那珂の慟哭は、しかし届かない。

 何も見えず、何も聞こえず……やがて何も感じなくなるだろう漆黒に、心を塗り潰されていく。

 

 レ級の咢が夕立を捉えんとしていることすら、知覚できない。

 だがレ級に突如として起こった爆発と顔へ叩きつけられる爆熱が、意識を強引に現実へ引き戻す。

 

 ……まだ夕立は海の上にいる。深海などに堕ちていない。

 顔も髪も焦げついてしまいそうな熱風に飛ばされ、倒れこむ夕立。

 

「退避を!」

 

 小さく、しかし鋭く頭の奥に突き刺さる命令。

 ――衣笠の砲撃。爆煙に夕立が巻きこまれるリスクを払って――レ級に殺させるなら自分で殺すとでも言わんばかりの覚悟で放った一発。

 

 慌てて夕立が走り始め、先程まで居た海が爆音とともにたわみ、歪む。

 立ち込める黒煙を振り払い、レ級が艦娘たちを睥睨する。

 

『ナゼ、オ前ラミタイナ奴ラガ現レル?』

 

 次の瞬間に、再びレ級の胴部で爆炎が踊った。

 

 ――一目散に駆け抜けた夕立を、砲撃を放ったハンターが受け止める。

 艦娘を何人も殺してきたのだろう叢雲の顔が、夕立に微笑んだ。

 

「夕立……一人じゃないっぽい?」

 

「孤独になることはないわ。私も一人じゃない」

 

 珍しく肯定的な叢雲の返答に、夕立が喜色を浮かべて春雨を探す。

 その間にも、レ級の声が闇の底から語りかけてくる。

 

『俺タチハ守ルタメニ生ミ出サレタ。俺タチノ使命ヲ守リ……コノ世界ヲ守ル為ニ』

 

 それを聞きながら、しかしもう誰も飲まれることはなかった。

 衣笠が再び隊列を組むよう指示。距離を縮めながら迅速に単縦陣を形成した艦隊が、それぞれに砲を構える。

 

 世界を守るために生み出された。

 このレ級が――深海棲艦が何をしてきたのか、艦娘たちは知らない。

 

 深海棲艦よりも後に艦娘たちは生み出されたのだから。

 だが人類にすら反旗を翻そうとする艦娘がいるのも確かだ。

 

 潮……艦隊で唯一、旅団に所属している艦娘が口を開いた。

 

「……艦娘も人間も、どうせ根っこは同じなんです。あなたたち深海棲艦のことはわかりません。でもいつまでも争いが途絶えないなら……それは、人類が間違えたんだと思います。

 この海は誰のものでもありません。あなたたちのものでも、私たちのものでも、ましてや人類のものでも。

 私たちも人類も、間違えてばかりなんです。だからきっとあなたも間違っている」

 

 ともすれば暴論に等しい言葉。正しいものが存在しないことを前提にした、全てを間違えているとする言葉。

 そもそもレ級に、正しいことや誤っていることに関する価値観などないと、艦娘たちはどこかで思っていた。

 だから潮に対する言葉に驚きもした。

 

『……ナラ、オ前ハ何ヲ望ム?』

 

「間違っていることを認め合える世界です。その上で正しさを模索できる世界です」

 

『……面白イジャナイカ。失敗作ガ創ル可能性カ』

 

「だから私は、誰もが間違っていることを証明します」

 

 立派だ。自分はそんなことを絶対に言えないな――そう思いながら、衣笠が潮の頭に手を載せた。

 衣笠の後ろで、皆が準備を整え始める。

 

 神通に連れられた春雨が加わる。

 真っ赤に火傷した夕立の顔を見た春雨はしかし、すぐさま夕立へ弾薬を渡した。

 受け取った夕立も頭を掻きながら春雨に誤って、装填を終わらせる。

 

「夕立、間違っていたっぽい。一人じゃなくて、みんなで戦っているんだって」

 

「当たり前です。だからもう独りで突撃なんてしないでくださいね」

 

 広げられる二人の会話を聞きながら、神通と那珂が互いを見合わせる。

 最後尾で二人のハンターが、艦娘だった頃の懐かしさに顔を綻ばせる。

 

 衣笠が息を飲んで、皆の思っていることがそれぞれ違っていても、ただ一つの方向を向いているだろうことを認識する。

 旅団や人類……複雑になっていく一方だった関係図の全ては取り払われ、たった一つの目的へ向いている。

 

「そう。私たちは一人じゃない。

 独りじゃ勝てない相手にも立ち向かえるのは、皆がいるからよ。

 ……誰が失敗作とか、そうじゃないとか、そんなことはどうでもいいの」

 

 衣笠が腕を振り、皆も倣う。

 

 号令と共に、砲声が轟いた。

 幾多が赤い放物線を描き、数多の火球を作り出す。

 次いで殺到した魚雷が、爆炎をかき分けて新たな爆炎を噴出させる。

 夜闇に輝く炎。水面が赤を反射する。

 

 飛び交う火の粉と熱波に肌を撫でられ、髪をかき上げられながら、艦娘たちは中心にいるだろうレ級を見つめる。

 ほぼ全員による一斉射。これをまともに食らって平然としていられるはずがない。

 そうであってはいけないと思いながら夜闇に目を凝らす。

 

 シルエットを見つけて、衣笠は息を飲んだ。

 外套も腕もなくなっている。焦げつき、いくつかの肉が削げていても、巨大な尻尾はまだ残っていた。

 ……先端にある咢も、砲門も。

 

 力なく、ゆらりと咢が動いたかと思えば、莫大な咆哮と共に衣笠の砲が消し飛び、ずっと後方まで吹き飛ばされていた。

 皆の叫び声が自分を呼んでいるのだろうことだけはわかる。しかし発言の内容は聞き取れない。

 頭ががんがんする。被弾の衝撃が頭蓋で反響しているかのように脳味噌をかき回される不快感が、体幹を乱す。

 上と下がわからなくなる。頬に触れている海面だけが方向感覚の指針だが、爆発の衝撃で感覚すら狂っている今の状態で、それがわかるはずもない。

 体のあちこちが痛い。悶えるような激痛が身を灼いていても、しかしどこかどう痛いのかまで把握しきれない。

 

 そんな中でも思っていることは、たった一つだった。

 ――帰らなきゃ。帰って、話さなきゃ。

 動いているのか動いていないのかわからない体躯で必死にもがいて、立ち上がろうとする。艤装がなくなったことも忘れて、ただとにかくレ級へ立ち向かおうとしていた。

 

 艦隊の皆が、衣笠と同じように消耗している。

 例え弱らせてもレ級へトドメを指すに至るまではまだ時間がかかるだろう。

 

 そもそもハンターがここまで味方してくれていること自体がおかしい。

 これ以上味方で居続けてくれる可能性がどれぐらいかもわからない。

 

 ……それでも立ち上がろうとした衣笠が、しかし腕に力が入らずにまた海へ倒れこむ。

 

『……例エ失敗作デモ、オ前ラハ秩序ヲ破壊スル。プログラムニハ不要ダ』

 

 遠くから聞こえてくるレ級の声。

 皆が撃っているのだろう砲音。

 

 頭にいつまでも残る残響の隙間から辛うじて聞こえる……声。

 

『――死線に踏み込んでいるね』

 

 次の瞬間、衣笠はふわりと持ち上げられていた。

 誰? 確認しようとして目を開き、見えたのは輝く目だった。

 

 レ級の禍々しい金色ではない。

 明るく照らしだすような左目。

 依然として茶色いままの右目。

 

 左肩に伸びる長大な黒鉄の艤装。

 右腕を覆った巨大な白銀の艤装。

 

 意識すら残響に溶けてしまいそうな中で、衣笠は記憶にある知人を思い出す。

 だが名前が出てこない。

 知っているはずの顔だというのに、見知ってきた笑顔だったはずなのに、しかし思い出せない。

 

 そのまま意識が残響に呑まれて、掠れていく……。

 

 

 神通に頬を叩かれて意識を取り戻した。

 慌てて周りを確認してみれば、まだついさっきまで見ていた景色と何ら変わりはない。

 日が登っているわけでもないから、まだそう時間は経っていないのだとわかった。

 

「知らない誰かが、通りかかりました。その方がレ級を倒しました」

 

「誰か……?」

 

「ハンターもいなくなりました。次に会ったら殺す、と言われました」

 

「……ねぇ、その誰かって、どんな見た目だった?」

 

 ハンターがいなくなったことなどどうでもいい。

 

 レ級を倒した、誰か。

 夢で見たような誰かが気になった。

 どんな見た目をしていたのか思い出せない。夢のことなど綺麗さっぱり忘れてしまうかのように。

 

「さあ、暗がりだったので……でも片目だけ金色に光ってました」

 

「片目だけ光っている……痛たたた!」

 

 慌てて記憶を探ろうとする。立たせようとした神通が腕を引っ張り、全身が痛みを叫んでまたうずくまる。

 つい今まで全身の痛みを忘れていた。残響はもう頭からなくなっているが、それでも朧げな記憶を必死にかき集めようとする。

 

「……その人のことを思い出すのは後でもできるでしょう」

 

 再び神通が手を差し伸べて、ようやく気づく。

 神通だけではない。那珂も、夕立も、春雨も、潮も……皆が衣笠を見下ろして、心配げな顔を浮かべている。

 

 ようやく思い出す。

 その誰かのことではない……自分たちの目的を。

 

 帰らなければいけない。旅団の目的を話さなければいけない。

 痛みを堪えながら、ゆっくりと立ち上がる。

 眼前の春雨が笑顔で見上げてくる。自分もふと笑みをこぼした。

 

「……ありがとね、春雨。私もあの時、帰ること諦めちゃってたかも」

 

「いえ、全然! ……私なんか何もしていないですよ」

 

「違うっぽい! あのレ級を一人で倒したっぽい!」

 

 夕立に飛びつかれて、春雨が苦笑しながら頬をかく。

 連装砲がなくなった潮と同じく、砲と同じ艤装すらほとんどを失った衣笠がそろそろと前へ歩み出て、進路を取る。

 

「……よし、艦隊。帰投しましょ!」

 

 皆疲れ切っているはずなのに、今までで一番大きな返事が来た。




というわけで春雨パートの第9話です。

この話でようやく、出し切るべき情報を全て出しました。

春雨パートと雪風パートの合流章で、年内の更新は終わるでしょう。

完結は来年になりそうです。
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