鉄底海峡に待雪草を   作:在田

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9.Day after Day〈中〉
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 ……帰りの岬に、たくさんの艦娘が押しかけていた。

 泊地の艦娘はそう多くない。その全員が並んでいるのではないかと思えるほど、帰りの岬は賑わっていた。

 

 もう日が海に沈もうかという、最も海と空が赤く燃え上がる頃合い。

 紫の雲と。橙の空。黒い影を踊らせる汐彩。

 

 

 その波間を縫うように、雪風たちが姿を見せる。

 最初は聞こえていた歓声に、雪風たちは応えることができない。

 応えられるだけのことなどしてない。

 

 やがて歓声も静まり返る。

 沈鬱な空気が岬に漂っているのを感じながら、雪風たちはようやく泊地に辿り着く。

 

 ずっと波の上を過ごしてきた足がすくんで、がくがくと震えている。

 

 固く揺るがないコンクリートにいるはずなのに、まだ海の不安定な小波が足を揺すっているかのように錯覚してしまう。

 ようやく安全な陸に辿り着いたと安堵できるはずがない。

 

 出撃した時、艦娘は六人いた。

 

 雪風と共に帰ってきたのは龍驤と川内のみ。

 あとの三人はいない。二人は海に消え、一人は去った。

 

 それだけの人数を失って平然としていられるはずもない。

 あまりにも過酷を極めた航路で、肉体的にも精神的にも限界を迎えている。

 

 何かを考える余裕も、思いを巡らせる余力もない。

 とにかく倒れる寸前のような足取りの悪さで、前へ前へ脚を強引に進めるのみ。

 

 言葉もなく、妖精さんに手伝ってもらいながら艤装を外す三人。

 

 それを遠巻きに眺める艦娘たちの中――大きな泣き声が、岬に広がった。

 

 金剛。

 

 ブイン基地から四姉妹揃って移籍したものの、すでに二人の妹を失った長女。

 出撃した六人の中に、唯一の妹となってしまった次女がいた。

 

 大粒の涙を流してその場に崩れ落ち、恥ずかしげもなく泣き叫ぶ。

 

 ふらふらと近づいた龍驤が、金剛の肩に手を置いた。

 表情を作る余裕もない、ただとにかく、掠れた声で囁くのみ。

 

「キミの妹は、最期まで頑張ってくれたで」

 

「当、然、デース!」

 

 悲嘆に近い絶叫。声が裏返るのも、嗚咽に言葉が詰まるのも構わず、龍驤へ叫び返す。

 

「自慢の、自慢の妹なんだから……!」

 

「そか……」

 

 守れなくて申し訳ない。自分が見殺しにしたようなものだ。何もできなかった……そんな謝罪の言葉はいくらでもあった。

 だがどれも届かないだろう。あるいは届いたとして金剛の怒りを買うか。

 

 結局、何も言葉を続けることができないまま、通り過ぎていく。

 

 直後に大きな泣き声が響くと思っていたが、しかし耳に飛び入ったのは全く別の言葉だった。

 

「でも今度は、看取る人がいて、本当に良かったネ……」

 

 それしか言葉が出せないという事実に、奥歯を噛み締めた。

 だからこそ龍驤が思うことは、残された人にそんな言葉を吐かせる死人への叱責と、その死人を作り出してしまった自分への戒告。

 

「……ごめんな。ほんまに」

 

 再び泣き声を溢れさせる金剛へ届かないとわかっていながら、龍驤は小さく呟くしかなかった。

 

 

 疲れ果てて座りこんだ川内が、駆け寄ってきた三人を見上げる。

 朧と、曙と、漣。

 

 ……旅団に組して、鹵獲された潮がいないのは当然かと思いつつ、どうにか笑顔を作りながら三人を見上げる。

 しかしすぐさま、笑顔は掻き消えた。

 

 三人が浮かべている表情。口を噤んで目尻に涙を堪える、寂しげな顔。

 

 いつも四人が仲良くしていて、あまり敷波と話す姿を見ていなかったから、忘れていた。

 彼女たちは敷波と同じく綾波型の姉妹だった、と。

 

「……ごめん。守れなかったよ」

 

 深海棲艦になってしまった、なんてことは口が裂けても言えるはずがない。

 

 せめて何かないかと思っても、何も持って帰ってきていないことを思い出す。

 

 綾波からもらったという、敷波に居た妖精さんたちは海へ還った。

 運ばれていく自分の主器……スクリューがボロボロになっている。おそらく敷波のに躓いた時だと思いながら、しかしそんなものしかないことを思い至って歯噛みする。

 

 戯言のように繰り返すしかできない自分が、悔しかった。

 

「本当に、ごめんね……」

 

「潮が、いなくなっちゃった……」

 

 しかし漣から出てきた言葉に、川内の思考は止まる。

 気を遣う余裕もなく、首を横に振るしか思いつかない。

 

「私も知らないや。ごめん……」

 

「敷波なら……お姉ちゃんなら知っていると思ってた」

 

 ああ朧は敷波をそう呼ぶんだと、くだらないことを思ってしまう。

 

 四人いつも一緒にいるんだし、君たちの方が知っているんじゃないの? なんて思っても、発言できる勇気はない。

 それができないから、彼女たちはここにいるのだから。

 

 三人と目を合わせるのが怖くて俯く。

 

「ねえ、なんでいないの?」

 

「ちょっと曙」

 

 重く突き刺さる、曙の震えた言葉。

 朧が制止しようとしても、川内は強く握り締められた曙の手を見つけてしまう。

 

 理由を聞いて余計に悲しむだけだとわかっていながら、それでも別の可能性にかけたいのだろう。

 途方もないほど遠くにある希望にすら、すがりたくなってしまうのだろう。

 

「ごめん……本当に」

 

 それしか差し出せる言葉がない。

 曙が拳を振り上げて、二人が慌てる。

 

 予期できた痛みなら耐えられると、川内も思った。

 ……しかし川内を殴らないまま、自分の太腿を力なく叩いた。

 

「……っ!」

 

 曙の喉から滲む、押し潰された泣き声。

 

 誰も死者など出したくなかった。望んでいなかった。

 川内は泣き声を上げる三人を前にして、思う。

 

 いなくなった敷波との、いつかの会話。

 綾波が最初に居なくなった時。兵器だったらこんな気持ちにならなかったと敷波は言った。

 

 ――艦娘は兵器だと、自分は割り切ったはずだった。

 だがどうしてもそうなれない。なりきれるはずがない。

 

 鋼鉄でのみ構成されたゴーストの頃とは違う。痛みを得る身体がある。ゴーストが宿る脳がある。そして誰かを偲ぶ心がある。

 

 兵器に、なりきれなかった。

 

「ごめん。敷波……綾波……私、ダメだったみたい」

 

 眼前ですすり泣く三人の声を聞き、自分の涙と共にそれを噛みしめるしかなかった。

 

 

 金剛が最後に告げた言葉が、雪風の身体を大きく揺さぶる。

 

 思わずその方を向いても、龍驤がトボトボと歩み去り、そして金剛は大泣きをするのみ。

 ――比叡は、誰にも看取られないまま沈んだ。

 

「比叡さん――」

 

 ゴーストに植えつけられた記憶が囁く。

 以前、比叡が許すと言ってくれた雪風の後悔――看取ることもなく見殺しにした後悔。

 

 いなくなる直前に、比叡が言ってくれた言葉。

 

「――本当に、幸せだったんですか?」

 

 比叡は許すと言ってくれた。幸せだったと言ってくれた。これ以上ないほどの笑顔を向けてくれた。

 

 だが今になって、本当なのかわからなくなる。

 答えなど返ってこないとわかっていながら、しかし聞かずにはいられない。

 

 真っ赤になった雪風の服を見て、遠退いていく他の艦娘たちを尻目に、覚束ない足取りを強引に進める。

 やがて、ゆっくりと近づいてくる一人を見つける。

 

 夕張。

 心配げな表情……これから出てくる言葉が、あまりにもわかりきっている。

 

「雪風は、大丈夫ですから……」

 

「そう言っている子ほど大丈夫じゃないの。顔色悪いじゃない? ほら乗って」

 

 夕張が屈みながら背中を見せる。抵抗する理由なんてなかった。

 

 ……雪風が鹿島にそうしたように、今度は夕張の背中に乗る。

 熱い血がこべり着いていたはずなのに、今となっては乾ききって熱の抜けた服。

 

 今度は胸とお腹に、夕張の暖かさを感じる。

 

 夕張の足取りに揺れる体。その揺れが海で感じていたものと全く違って心地良いことに、むしろ不安を覚えてしまう。

 

 ――自分の居場所は、本当にここなのか?

 

「ねえ雪風、一つ聞いてもいい?」

 

 小さく首肯して、夕張の肩に顎を載せる。

 ようやく落ち着ける場所に来たんだという安心感が、しかし胸の奥に大きなしこりを産む。

 

 ――本当は、ずっと海の上に居なければいけないのではないか?

 

「青葉は、どうしていなくなったの?」

 

「わかりません。雪風が起きた時にはいなくなってました。沈んだんじゃないそうですけど」

 

「……そっか、なるほどね」

 

 それでお終いとばかりに夕張は口を閉ざして、歩調を速める。

 

 雪風は黙って身を委ねるだけ……だがそうする度に、様々なことがどろどろと渦巻いた。

 

 思わず肩に載せていた手に、力がこもってしまう。

 

「雪風」

 

「はい」

 

 さらりと、悲しそうな素振りもなく、平然と呼ぶ夕張。反射的に答えてしまう雪風。

 

「とりあえずシャワー浴びて、ちょっとでいいからご飯食べて、ぐっすり寝てね」

 

「はい」

 

「明日起きたら、朝ごはんもちゃんと食べて。まあ色々あると思うけどね、考えるのはそれから」

 

「……わかりました」

 

 心配してくれているのだとわかって、夕張の背中に顔をくっつける。

 じんわりと広がる暖かさに、涙がこぼれそうだった。

 

 夕張に連れられるままシャワー室に入って、温かい湯を浴びる。

 海水の冷たさでもない、爆風の高熱でもない、心地良いものが身体に打ちつけられるのが不思議だと思ってしまった。

 

 小さめの皿に、これまた小さく盛られたカレーの臭いがひどく懐かしいような気がした。

 口の中に広がる味というものが、今までよりも強い衝撃みたいに頭を打ちつけるが、それでもどうにかスプーンを口に運んだ。

 

 そして布団に入る前に、ずっと部屋の隅に置きっぱなしだった一つの封筒をポケットに入れる。

 

 柔らかい布団に包まる感触が、今までの何倍も気持ちよかった。

 

 冷厳に見下ろしてくる月じゃない、ほんのりと照らしてくれる豆電球を見つめる。

 でも目を瞑ると海の夜に投げ出されてしまいそうな怖さがあって、意識が途切れるまでずっと豆電球を見つめていた。

 

 ……その間、比叡の笑顔がずっと視界にチラついた。

 

 鹿島の言葉が何度も脳裏を過ぎった。

 

 龍驤の抱擁が布団の感触より強く肌に残っていた。

 

 手を引っ張ってくれていた敷波の熱さが離れなかった。

 

 目に焼きついたヴェールヌイの冷たく射抜くような瞳が胸を絞めつけた。

 

 青葉が頭に手を載せた時に、何に震えていたのかわからなかった。

 

 とにかく繰り返されるあの戦いの記憶に、何も感じないように徹しながら……しかし目から流れてくる涙を止められなかった。

 

 

 目が覚めてすぐにやることは、煙草を咥えることだった。

 

 旅団――鳳翔たちが襲撃をかけてくる前から既に、空母寮舎はなくなっている。

 部屋が余っている戦艦寮舎の一室……ベランダから下着姿の上半身だけ乗り出して、煙草に火を点ける。

 

 いつから煙草を吸っているのか自分でもわからない。

 ずっと前だったような気もするし、つい昨日のことのようにも思える。

 

 この味が美味しいのかどうかすら曖昧になっても、とにかく惰性のように煙草を加えて肺を汚して、ひどい臭気を指先と口から吐き出すようになっていた。

 

「……ほんま、なにやってんやろな、ウチ」

 

 ショートランド泊地・治安維持機構――艦娘しか居住していないこの島において、自警団に等しい組織を提督が設立した。

 それもどうしてだか、いつからなのか覚えていないが、龍驤がその取締を行っていた。

 

 ……だがもう、書類上その組織は存在しない。

 ショートランドが襲撃されている真っ最中に、提督によって破棄された。

 

 肝心の提督は未だ、部屋から一歩も出ない。

 

 だから、事実上はまだ組織の機能が残っていることを知らないだろう。

 

 ……確かに、昨夜まで続いた出撃を拒否できなかったことから、維持機構としての権限は剥奪されているのは揺るがない。

 だが部屋から出てこない提督に、動き回る自分たちを止めることなどできやしない。

 

 駆逐艦・響を追いかけるよう指示した衣笠たちは、まだ帰っていないと聞いた。

 任せたはずの当人を差し置いて自分が発見しておきながら、しかし追いかける燃料も体力もなかった。

 

 そして肝心の衣笠たちが帰っていないとなると、不安がこみ上げてくる。

 煙草で煙に巻けるわけもなく、肺の底に重たい何かが溜まっていく。

 

「どうせ、どっかで道草でも食っとるんやろ」

 

 不安を誤魔化すように自分へ言い聞かせた。

 窓の縁に針金で括りつけた空き缶へ煙草を放って、龍驤は準備をする。

 

 権限が剥奪されたと同時に閉鎖された、提督との通信。

 

 だがあの作戦を経て手に入れた、旅団に関する情報を伝えなければいけない。

 伝えて、信用ならないくせに権力だけある大本営へ打診しなければいけない。

 

 ついでに最後の最後まで部屋から出てこない提督の顔面へ、拳の一つでもぶつけてやろうと思いながら、龍驤はいつものように朝の準備を終える。

 

「さて、やるで」

 

 ……穴だらけの庁舎廊下を渡り、やがて提督の執務室前にたどり着く。

 

 壁に腰を預けていた夕張が、龍驤を見つけて表情を強張らせる。神妙に寄せられた眉根。足元にある巨大な物体へ視線を寄せた。

 

「頼まれてたもの……持ってきました」

 

「ん。ありがとお。飴ちゃんいる?」

 

「駆逐艦じゃないんですから」

 

 飴玉を見せびらかす龍驤に手を振りながら軽く笑ってみせたが、夕張の表情はすぐに固くなった。

 

 執務室のドアノブを捻って、鍵がかかっていることを確認する龍驤。

 

 ずっと見守るだけの夕張が、問いかけた。

 

「……本当に、やるんですか?」

 

「当たり前や。責任を聞くわけやないが、それでもなんか一言ほしいわ」

 

 夕張が持ってきたものを構える龍驤。

 

 ――35.6センチ砲。夕張が手をかけて重巡でも撃てるようにしたもの。かつて旅団に始めて襲撃された時……青葉が使った巨大な大砲。

 海上で使わなければ、よほど下手な姿勢でなければ誰でも扱える。

 

 手探りで方向を調節しながら、龍驤が告げた。

 

「んじゃ、こっからはウチが頑張る時や。下がってええで」

 

「でも、こんなことして処分されるのは龍驤さんじゃ」

 

 言いかけて、しかし夕張は黙りこむ。

 

 明らかな提督への反逆、庁舎の破壊……どれほど難癖をつけられて処分されるかわかったものではない。

 むしろ提督を殺してしまうかもしれない。

 

 それでも龍驤の決意が揺らいでいないことを察したのだろう。

 

 何も言わないまま、夕張はその場を後にする。

 龍驤がその処遇を独りで背負うつもりだからこそ、夕張に下がれと言ったのだから。

 

 やがて轟音と共に、砲煙が辺りに立ちこめた。

 

 

 目覚ましとは思えないほどあまりにも大きな爆音で、雪風の目は覚めた。

 

 飛び上がって、あるはずのない連装砲を探し……手に持っていたのが柔らかい枕だと認識してようやく、ここが海の上でなく布団の中だったと悟る。

 

 大きく息を吐いて、カーテンの向こうに広がる島の森を見やる。

 

 それを見てもまだ、自分が海にいると思えてしまう。

 

 ……さっきまで見ていた夢のせいだろうか、と思った。目元がとても痒いのはその夢のせいだろうなとも。

 

 夢の中で、昨日までの出撃を何度も繰り返していた。

 

 背中にあった鹿島の体。頭を撫でてくれた比叡の手。握ってくれていた敷波の手。

 冷たく射竦めるヴェールヌイの双眸。怨嗟に睨みつけるル級の表情。

 

 幾多も繰り返される砲弾と魚雷の往来。何度となく爆発に吹き飛ばされる自分。

 次々と被弾していく仲間たち。

 対して、回避らしい動きすらしていないのにかすり傷一つ負わない自分。

 

「死神……」

 

 いつかのレ級の言葉。敷波が事切れる寸前で吐いた語句。

 

 ……だがそれを気にする時間もなかった。

 

 部屋の外から聞こえてくる喧騒に、体を起こす。

 何人いるかもわからない。誰が何を言っているのかも。

 

 しかしわかるのは、叫びながらもドタドタと慌てた足取りで走っていく足音。

 

 目元をこすって、とても痛くてやめた。

 着替えもせず、とにかく外を知りたくて部屋を出て、誰かもわからないパジャマ姿を追いかけた。

 

 ……やがてたどり着いたのは、誰も足を運ばなくなった旧居住区。

 ボロボロの白い建物が、浜辺にあるか海に沈んでいるかのどちらか。

 

 浜辺に、艦娘たちは集まっている。

 ……そこに何があるのか、誰がいるのかもわからないまま、雪風は向かおうとした。

 

 つんざくような乾いた銃声が響いて、しばらく。

 その中で顔を上げた一人と、目が合う。

 

 ――春雨と。




というわけで、この「Day_after_Day」章で始まっていたW主人公――雪風と春雨の合流シーン。

この合流編が終わると共に、今年の更新が終わるでしょう。
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