吹き飛ばされた固い扉――立ちこめる砲煙にむせて、手でばたばたと振り払う。
先程の砲撃で馬鹿になった鼓膜が甲高い音を頭にだけ響かせる。
脳味噌をがんがん揺すられるような不快感を抱えたまま、龍驤は砲煙が落ち着くのを待つ。
……やがて見えた室内を見て、龍驤は絶句する。
閉じきったカーテン。点いていない照明。強いて微かな明かりはカーテンの隙間から漏れ出る光のみ。
サウナのような熱気が、内側から漂ってくる。
「居てられんわ、こんなとこ」
耳鳴りが収まって、部屋から感じるのは異質な静謐さだ。深閑と言っていい。虫ほどすら、生き物の気配を感じない。
真っ暗な部屋を見回してからカーテンへ歩き始める。
先程の砲撃で埃が舞い上がったのだろう……吸いこんだ空気ですら砂を飲むような感触で、またむせた。
げほげほ咳きこみながら、何かのケーブルを何度か踏んだ。
お構いなしに進んで、ようやくの思いでカーテンへ辿り着く。
口元を手で抑えながら、鷲掴みにして脇へ退ける。輝かしい陽光が部屋を照らし出す。
窓も開けて埃を逃し……全てのカーテンと窓を開けてようやく、部屋へ視線を移した。
赤かったのだろうカーペット、机、椅子、書棚……その全てが埃に白っぽく塗り潰されている。部屋の空気でさえも。
見上げた天井はカビまみれで、埃が蜘蛛の巣を形成している。
人の住んでいる気配などという話ではない。およそ廃墟と称した方が適切な表現だ。
こんなところに提督が、生身の人間がいるとは到底思えない。
確認のため覗いた机の下も、何もない。
ならばここに何があるのか。初めから提督などいないのではないか?
だったら龍驤が今まで通信をしてきた相手は、誰だったのか?
……その疑問に答えるように、それは置いてあった。
先程のむせ返るような埃まみれの空気も、部屋の熱気も忘れて……龍驤を襲ったのは寒気と怖気だった。
「なんや、これ……」
部屋の中心。壁へ向けていくつもの太いケーブルを並べている真っ黒な機械があった。
先程踏んだケーブルはこれのものだろう。
一抱えで済む大きさではない。戦艦級の艤装と同じぐらいだろうか。
同様に埃を被っているが、他ほど積もっているわけでもない。
触れてみれば微かに震えているのがわかる……今もなお、その内側は動作している。
――提督はでかいパソコンでした。
冷静にして公正、気持ちに左右されず間違った選択を取らない。
なるほど実に合理的な考え方だと、言葉にすれば簡単だ。
――ならば、その黒い機械の中心に据えつけられた円筒状の水槽は?
――その中でぷかぷか浮かぶ、人間の脳味噌にしか見えないものは?
表情があるはずもない、むき出しとなった人の脳味噌。
いくつも貼りつけられた電極から伸びるケーブルが水槽の底に――黒い機械に繋がっている。
「嘘やろ……」
考えたくもない憶測が、凍えきった龍驤の中で飛び交う。
結論は一つしかない。
確かに提督の文面は徹底的に事務的だった。機械らしいとすら思えた。だから声を出さないのだと合点すらいく。発声器官などないのだから当然だ。
泊地が襲撃された時、提督は一歩も部屋から出なかった。出る素振りすら見せなかった。足などないのだから当然だ。
「どういうことや」
いつ、これは設置された? これほど巨大な物体をどうやって、誰が運んで、ここに設置した?
それを誰も見なかったのか? 提督という泊地を執り仕切る存在が、誰にもバレないうちにこんな状態になれるのか?
……今はもういない叢雲は知っていたはずだ。今の、こんな機械になった提督じゃない、以前の提督を。
そして、叢雲より前から泊地に居たはずの龍驤も。
懸命に頭を回しても、思い出せない。確かに居た。顔を合わせて会話だってしたはずだ。
だが一向に思い出せない。
単純に忘れてしまったのか? ……欠片も思い出せないほど?
頭を抱えて、振って、どこに眠っているとも知れない記憶を引きずり出そうとする。
「なんや? 何が起こっとるんや!?」
むしろその時期に自分が何をしていたのか?
……治安維持機構という組織を仕切ることになった経緯はおろか、そうなった時の自分すら、思い出せないのに?
何が起こっているのか、理解が追いつかない。かつての泊地に一体何があったのか?
そこにいた艦娘に……龍驤に、何が起こったのかも。
気味が悪い、だけで済むような話ではない。
治安維持機構として、少しでも過ごしてきた日常を守ろうとしてきた。
だが自分が何気なく過ごしてきた日常ですら、正体の掴めない大きな力が介在していた。
……自分が信じてきた現実ですら何者かに操られている。
それを見ていた自分すらも。
動揺を隠す余裕すら、今の龍驤にはない。脚が震えて、力の虚脱と共に床へ崩れ落ちてしまう。
今までの自分と今の自分が、同じ自分なのかわからなくなってきた。
ゴーストの身体と今の自分の身体――考えてみれば全く違う身体に連続性を抱ける自分そのものがおかしいのではないか? と。
寒くもないのに、何故か悪寒に震える手を、じっと見つめる。
思わず自分の肩を抱きしめる――自分の肉体が、もしかしたら眼前の機械みたいに都合よく閉じこめられて、操られているのではないかという疑念が振り払えない。
強く握りしめて、感じる圧迫感と痛み――だがそれすら何者かの意思の上に成り立っているのではないか? と。
今こうしている龍驤自身が、自分ではない誰かに操られて、今、ここで、これを思って、こうするように……その全てを操られているのではないか? と。
だから都合の悪い記憶はなくなっている――消されたのだと。
この脳味噌のように、電極をべたべた貼りつけて機械に繋いでしまえば、なんでもできるとさえ思える。
艦娘には艤体だってある。神経に繋いで本来の身体と同じように動かし、むしろ艤装との接続をより強固にできる技術が。
ならば繋がっている艤体側から艦娘の脳をいじることだって……。
「……ッ」
思わず、頭のバイザーを毟り取って投げ捨てる。
それも龍驤の艤装だ。提督との通信にも、戦闘の際に立体映像を脳内で構築するために必要なレーダーも兼用する装置。
もしかしたらその端末から操られていたのかもしれない。
だがそれですらない可能性だってある。
龍驤が艤装を着けられるのは肉体にその機能を備えているからだ。
ならば自分すらどこにあるかわからない、肉体のどこか……。
早鐘を打つ鼓動が揺さぶってくる。
荒い呼吸が囁いていくる。
自分が見てきた現実も、過去の自分も、そして今の自分自身も――その一切合切に信じられるものが、何一つとしてない。
……力がこもらず震える手を無理に床へ叩きつけて、痛みで我を思い出す。
「考え過ぎや」
そう自分に言い聞かせるしかない。
改めて床を叩いて痛む手をひらひら振る。
埃のように沈殿していく思いを、振り払うように。
誰かに操られているかもしれない自分がいたとして、しかし気づいている自分がいればまだ現実を見ることはできている。
……第一、その不安を裏付ける証拠はどこにもない。あるのは目の前の現実、そして現実を目に収めている龍驤自身。
かつて鳳翔と会話した時の……旅団の策に踊らされた時の、自分と全く同じだった。
むしろそれを思い出すことができて、まだその時の自分は今もいるんだと実感できたことが幸せに思えた。
古鷹がいなくなる直前……死んだはずの加古の艤体を眺めている時に、青葉と似たような会話をしていたことも思い出す。
……それは確か鳳翔が訪れる前だった。
また、龍驤の記憶の範囲が広がっていることに安堵する。
立ち上がって、生まれたての子鹿のように震える脚を叩く。執務机に手をかけて、よじ登るように立ち上がる。
ただ立るだけでひどく力を使って……ようやく自分を律する。
「昔のこと考えたってきりがない……そやな。これからどうするか、それだけを考えるんや」
自分に向けての言葉。
機械に脳味噌があったところで、自分がそうなっているわけではない。
もし似たような状態だったとしても、誰かに操られているのだとしても、今自分が持っている気持ちと考えだけは、自分のものだと信じるしかない。
まず確かなのは、この黒い機械がショートランド泊地の提督かもしれないということ。
いつも吸ってきた煙草を取り出そうとして……しかし空箱を握りつぶす。
構わず床に捨てた。
改めて部屋を見渡す。
埃だらけの執務室……最初に目についたのは、机に置かれた薄い長方形の物体。
歩み寄って手に取る。それですら長い距離を歩いたように感じてしまう。
真ん中の四角い窪み。
「写真立て……?」
窪みの部分――写真が収まっているだろう部分を拭って、それを見る。
そして再び戦慄する。背骨が一瞬で凍りつくような痛み。
「――!」
また思考が巡ってしまう。
写真には、二人のヒトが写っていた。
一人は若い男。白い制服に帽子。幸せそうな笑顔が浮かんでいる。
この写真がきっと、この泊地の提督だったのだろう。
……だが龍驤が目を見開いたのはもう片方だ。
同じように笑顔を浮かべて、男に手を寄せている。その左手の薬指に指輪も見えた。
――軽空母・龍驤。
思わず、自分の左手を顔に寄せていた。
薬指には何もない――今まで見てきたものと全く同じはずの手。
だが何もないことがむしろ違和感に思えてしょうがない。
――自分の左手に指輪があったはずだ、と。
写真の龍驤は自分と違う別の龍驤かもしれない。
自分がいるよりも遥か前……ずっと昔に生きていた龍驤かもしれない。
だがそうとは思えなかった。写真に写る龍驤こそが、紛れもない自分自身だと思ってしまった。
何度も写真と自分の左手を往復して……その度に、自分の薬指に対する違和感が膨らんでいく。
何度写真を見ても、そこに居る男を思い出せない。
どんな声だったのか? どんな仕草をしていたのか? 何を大事にする人だったのか?
そんな男と、龍驤がどんな経緯で結ばれて、写真に収まっているのか?
目元に浮かぶ涙滴――鼻をすすりながら拭って、写真を机に戻す。
「そか……」
今となっては泡沫と消えた現実。
記憶や痕跡すら残っていない、かつてあったかもしれない幸せの象徴。
だが今の現実はそうではない。
写真の男が今そこの機械になっているとは限らず、覚えていない以上、写真の龍驤が自分自身と決まったわけでもない。
また煙草に逃げたくなるのをこらえて、龍驤は引き出しを開ける。
紙切れ一つない空を確認して、閉めて、次……また空。
最後の引き出しを開けて、絶句する。
――煙草。
自分が吸っているのと同じ銘柄が、何個か入っていた。
溢れる涙を、今度は拭うこともできなかった。
いつから自分が吸ってたのかわからない煙草が、提督の机に入っている。
「そか……そうなんか……」
嗚咽に紛れて、今度こそ崩れ落ちる。
本当にいつから吸ってきたのか、何に影響されて煙草を吸い始めたのか、わかるはずもない。
だが、そうとしか思えなかった。
きっと前の提督に影響されて、自分も煙草を吸い始めたのだろう。
愛してた人がいなくなって、記憶がなくなって、思いもなくなって……それでも煙草を吸う習慣だけはやめられなかった。なくならなかった。
いなくなる前から同じように吸っていたのかもしれない。
むしろいなくなってしまった思いを紛らわすためだったのかもしれない。
だがきっと写真の提督も煙草を吸っていたのだろう。
そうでなければ机に残っているはずがない。
そうでなければ自分が、写真に写っている龍驤と同一人物だなんて思うはずもない。
「幸せになったこと……あるんやな、ウチも……」
拭っても留まらない涙を埃に染みこませて、龍驤は煙草を手に取る。
どれほど時間が経っているのかわからない。だが手にとって一本を咥えて、火を灯す。
部屋に紫煙が立ち上る。埃まみれの空気に紛れ、溶けて、見えなくなる。
肺を満たす臭い、口にべったりと貼りつく味。吐き出す白い息が、嗚咽で不格好に揺れる。
……ずっと変わらないものが、そこにあった。
力なく立ち上がって、写真を手にする。
そのまま黒い機械へ……脳味噌の近くまで運んで、適当なところに置く。
「ダメやな。ちっとも思い出せんわ」
吸いきる前に、煙草の火を機械で始末する。
改めて、脳味噌と写真の男を見比べた。
また涙を拭って、どうにか笑顔を作る。
「キミは、ウチのこと好きだったんか? ウチもキミのこと好きだったんかな……」
写真の男と、水槽の脳味噌――記憶にない、自分の相手を見つめる。
結局龍驤は、この機械のことも、自分自身を信じることもできないことも、肯定してしまう。
ゴーストの身体と今の自分自身との関連も、どこで自分を操っているともしれない誰かのことも。
自分が見ているこの景色と、自分が抱いている思いだけが、限られた数少ない現実だと悟りながら……龍驤は拳銃を取り出す。
「終わりにしよか。こんな、気味悪い夢」
脳味噌に、笑ったまま動かない写真に、語りかける。
返事が返ってくるはずもない。
座りこんで脳味噌と向かい合う。拳銃を向ける。
「ウチらの現実を、自分たちで取り戻さんとな」
そして引き金を絞った。
水槽にヒビが走って、中の液体が漏れ出る。
脳味噌が揺れ動き、弾道に形を歪める。
写真の男と龍驤が笑ったまま、漏れ出た液体に濡れていく。
また撃った。今の提督を破壊して、自分自身の現実を取り戻すために。
また撃った。溢れ出る悲しさが、目尻に涙を溜める。
また撃った。こもらない力で、とにかく拳銃を握りしめるので精一杯だった。
また撃った。思い出せない人との記憶を、いつ忘れてしまったのか嘆きながら。
また撃った。大切だったかもしれない人に、死んでほしくないと思いながら。
また撃った。記憶のどこにもないはずの幸福が、もう戻ってこないことを悲しみながら。
そしてまた引き金を絞って、拳銃が弾切れを告げた。
既に水槽はバラバラに砕け散って、脳味噌だった破片が液体と一緒に床へ飛散している。
ようやく龍驤は拳銃を、握る手ごと床に置いて、天井を仰ぎ見る。
悲嘆に奥歯を噛み締めて、涙を頬に流して……。
ようやく声をあげた。
大声で、失っていたことすら忘れていたものを、今度こそ失ってしまった悲しみに明け暮れて、ひたすら大声を上げて、とにかく泣き続けた。
写真の中で、まだ男と龍驤が笑顔を浮かべているのを見つめながら。
引っ張りに引っ張った伏線を回収します。
艦これのアニメを見て、最初に思い浮かんだシーンがこれでした。
このシーンを書くために、この艦これ二次という大風呂敷を広げてきました。
だから最初は、初期のアーマードコアで全体像を作ったこともあります。
ですがそれでは絶対に収まらないテーマの領域を見つけて、この構成となりました。
長かった……本当に、長かった……。
まだ回収しきれていないテーマも山ほどあります。
これより後は、その風呂敷を懸命にたたむ作業です。
気づけば今年も残りわずか。この合流章に区切りをつけることで今年の更新も終わります。