ショートランド泊地はその日初めて、土へ人体が埋められた。
駆逐艦・潮。
墓地区画として機能してる、少しだけ離れた小島。
今まで掘ることすらなかった深くて大きな穴に、少女の身体を入れる。
その時になってようやく、今までも地面に突き立ててきた杭の、本当の意義を知る。
「潮が深海棲艦になったり、しないよね」
「そうならないように、ここに居させ続けてあげなければなりません。
……確かに残酷かもしれないでしょうが」
神通が持つ杭の先端は不気味なほど鋭い。地面だけでなく、その奥に眠る潮を貫くためにそうしなければいけなかった。
杭を見た漣たち三人が、また凍りついたように固まる。
――だが、それとは別の悲しみを抱える者もいる。
ふと視線を向ければ、川内が膝を地面につけて、手を合わせている姿も見えた。
その前に二本突き立てられた、木の棒――敷波と比叡。
彼女たちが生きていた証になるものなど、戦場から持って帰れるはずもない。
……強いて艦娘たちができるのは、部屋にあった服を埋めるぐらいだ。
だが服に彼女たちの思いや魂が宿っているわけではない。
二人は未だ、広大な海のどこか、あるいはその全てと融合している。
……まだ目に届くところに居られる潮を幸福と呼べるかどうかはわからない。
突き立てられる杭へ、咽び泣きながら縋りつく三人。
冷淡に判別をつけられるはずもない。
姉妹の身体を杭で深く貫かなければいけない感触は、どれほど嫌な気持ちにさせられるのだろう。
春雨には想像すら叶わない。
持ってくるだけ持ってきた、潮が背負っていた艤装はそのまま、春雨の横に置いてある。
そこに書かれた識別名を見てしまえば、あの三人はもっと悲しい顔をするのだろうと思って見せられなかった。
『ショートランド泊地:綾波』
春雨も以前に話したことがある。かつてショートランド泊地に居た――突如失踪した艦娘。
なぜ綾波が失踪したのか。なぜトラック泊地に居たのか。今は何をしているのか……春雨は知らない。それを知っている艦娘が泊地にいることすらも。
だが、もうどこにもいないことだけは、なんとなくわかる。
彼女が……綾波が、その艤装を背負った妹を、最後の居場所まで帰らせてくれたんだと思ってしまうのは気のせいなのか?
あるいは彼女も、ここに帰ろうとしていたのだと勘ぐってしまうのも、単なる杞憂なのか?
胸が苦しかった。長い航路を不眠で駆けてきた疲れが溜まっているにも関わらず、眠たさなど絶無だ。
「ねえ」
……ふと聞こえた声に振り返る。
雷と電――出撃する前に、響を連れて帰ると約束した相手。
結局、響はトラック泊地にいなくて、残された連装砲もバラバラになって海へ消えた。
罪悪感が、重く深く胸の奥を蟠る。
春雨は結局、何もできなかった――と。
潮を止めることも、響を二人に合わせることもできなかった。
できたのはただ帰ることだけ。だが春雨だからできたのではない。他の皆がいて、そのお陰で、ようやくできた。
結局春雨一人で、何かを成し遂げたわけではない。
「ごめんなさい……響さんに、会えませんでした」
「……」
電が涙を覗かせて雷の袖をぎゅっと握る。雷も同じようにスカートの裾にしわを作った。
あれほど大声で連れて帰ると大言壮語を吐いたのに、会うことすら叶わないままぬけぬけと帰ってきた。
そう思われても仕方ない。そう叱責されても文句は言えない。
だが二人ともそうしなかった。
寂しいのは二人のはずだ。だが春雨を責めない。
今できるのは、その申し訳無さを噛みしめることしかない。
「約束を守れなくて、本当にごめんなさい」
「……いいの、いいのよ。だって勝手に行っちゃったのは響なんだし」
雷の声が、泣き出してしまいそうに震えている。しかしそうしないで、頭を下げるしかない春雨を気遣う。
そう取り繕っている。
結局何も変わらず、しかし変えられないとわかっているはずなのに。その無力さを味わっている最中なのに。
だが近づく足音に、春雨が顔を上げた。
――雪風。
春雨たちよりも早く……深海棲艦を倒すために出撃し、そして半分になって帰ってきた艦隊の一人。
朝に潮が絶える場所に居た一人。
「響に、会いました」
「どこ! どこで会ったの?」
雷だけでない、電までもが食い入るように雪風へ近づいていた。
微かな希望を求めて。響が何をしているのか、知りたくて。
「ソロモンの方の海です。高雄さんが一緒でした」
高雄……かつてショートランド泊地に在籍していた艦娘。潮と同じく、きっと旅団に加わったのだろう一人。
春雨は思い返す。トラック泊地で明石が話していたこと。
衣笠だけが聞いていたのではない、そのすぐ近くで、春雨も漏れてくる単語ぐらいは耳に入れていた。
……旅団の高雄が、響と一緒にトラック泊地を出発したこと。
雷が縋るように問いかける。
「どう……どうだった? 響は、元気そうだった?」
「いつも通りでした……名前も、姿も変わってましたけど」
「それって……」
電が息を飲んで青ざめていく。
「あ、いや。深海棲艦ってことじゃないです。
ちゃんと艦娘でしたけど……
でも雰囲気が、いつもよりなんだか、寒い感じでした」
寒い……対応が冷たい。冷徹になった。そういう意味だろうかと考えて、でもそれなら「冷たい」というだろうとも思った。
加えて、艦娘のままで姿が変わるとはどういうことなのか……あまりイメージはつかない。
第二次改装を経て、例えば夕立は姿が変わってしまう。より戦いの中で爛々と輝きそうな紅い目を持つように。
だが紅い目なら春雨も同じだし、夕立は性格が変わってしまうということはない。
響が、寒い雰囲気を持つようになったというのは、どういうことなのか?
「……ヴェールヌイ」
「そうです。その名前です」
春雨の言葉に反応した雪風。
しかし雷と電の視線にも改めて気づき、やむなく言葉を続ける。
「ごめんなさい。ソロモンのもっと奥に進んでいきましたけど、雪風たちじゃ追いかけられませんでした」
雪風も、雷たちとの会話を聞いていたのだろう。
だから追いかけられなかったことを口にする。
……もし知っていれば、無理矢理に連れてくることもできたはずだ。
「ソロモンの奥……」
雪風の後ろから顔を見せる二人――川内、そして神通。
おそるおそる、神通は言葉にし難いその言葉を口にする。
「雪風さん、姉さん……その二人は、鉄底海峡へ向かうと言ってませんでしたか?」
「いや……聞いてなかった。むしろ、聞ける状態じゃなかった」
雪風よりも早く答える川内。
……鉄底海峡。春雨も知っている。何より、川内と神通の方が恐れている言葉だろう。
自分たちが沈んだ場所と程近くに、それはある。
「鉄底海峡に、何かあるんですか?」
「それはわかりません。でも響さんが向かっているというなら、そこで旅団が何かをしようとしているのでしょう」
雪風が尋ね、神通が答える。
春雨を一瞥し、話すべき内容を一度確認して、明石から聞き出したことを改めて言葉にする神通。
「その近くで、大規模な深海棲艦の艦隊を束ねていることも聞きました。
確か、練習巡洋艦の鹿島さんが引率していると」
神通と春雨にとっては、明石から語られた伝聞でしかない。
だが雪風と川内にとっては、違った。
二人が互いの顔を見合わせて、鹿島という艦娘を思い出す。
出会った艦娘のことを、語られていたことを口にする。
「鹿島なら、会ったよ。確かに深海棲艦をたくさん従えていた」
「……! なら、襲われたのですか?」
驚愕に顔を歪めた神通が、川内の肩を掴んでいた。
だが川内は穏やかに、首を振るだけ。
「いやむしろ、助けてくれた。私たちと戦う理由はもうないからって。
でも喋る深海棲艦にやられた。その深海棲艦の艦隊ごとね」
「鹿島さんは、役目が終わったって……旅団の戦いがもうじき終わるって。そう言ってました。
その深海棲艦の艦隊が、旅団の皆だって……」
思わず、川内の視線が雪風の背中へ落とされる。
再び雪風は、両手で自分を抱きしめるように、うずくまっていた。
……鹿島を背負って、全身に鹿島の血を浴びていた。最後に鹿島と会話をした。
つい昨日まで自分に降り掛かっていた鹿島の体温、すっかり乾いて体温すら抜け落ちてしまった時の虚しさ。
だからこそ炎天下でも感じてしまった寒々しい気持ち。
雪風の肌や奥にまで染み込んで、決して離れない。忘れられない。
鹿島の命が自分の背中で潰えてしまった感触は、いつまでも拭いきれるものではないだろう。
「深海棲艦になった艦娘が、あんなに仲良いままなんて、雪風には信じられません」
艦娘が深海棲艦へ堕ちてしまう瞬間を、雪風は二回見た。
最初は暁――所在なく視線を彷徨わせている雷と電、そして響の姉。
そして敷波――かつて失踪した綾波の妹。
同じく川内も、敷波がそうなるのを見た。それだけでなく戦艦・榛名がそうなってしまう瞬間も。
綾波を失った直後。悲しみに明け暮れる暇もなく……。
全員が全員、主人格を失って、仲間だったはずの自分たちを……艦娘を攻撃してきた。
だから雪風の疑問は、川内も同様に抱えていた。
「深海棲艦になったらまともな人格なんて保てるはずがない……そう思ってた。
でも旅団は……というか鹿島たちの艦隊は、ちゃんと敵味方の区別がついてたよ。
私たちを攻撃しなかった。むしろ守ってくれてたんだと思う。
そんなことができるものなの?」
「さあ、私も詳しくは……」
眉をひそめた神通が記憶を巡りながらも、この場に衣笠が居ないことを少しだけ恨めしく思った。
トラック泊地に居た旅団の明石と一番会話をしたのは、衣笠だろうから。
だが類似した情報は確かに耳にした。
「私が聞いたのは、艦娘が深海棲艦になってしまう理由……いえ、条件でしょうか」
「ほんと!? なんで旅団がそんなこと知ってんのさ!」
皆が目を剥いて、一斉に神通へ視線を寄せる。
艦娘が深海棲艦となってしまうことが明確となってしまった今、艦娘たちが一番恐れているのは、自分や仲間がそうなってしまわないかどうかだ。
それに明確な線引き――条件があると知れば、それさえ守れば、その恐怖から目を逸らすことができる。
その情報は泊地に一時的な安寧すら与えられるだろう。
「どうやったのかは衣笠さんだけが知っています。でも、妖精さんたちが重要なんだそうです」
「……どういうこと?」
敷波の艤装から絶え果てた妖精さんたちがポロポロと落ちて、海へ還っていく瞬間を川内も見ていた。
だがそれなら、妖精さんがいなければ自分たちはすぐにでも深海棲艦となってしまう。艤装をつけていない今がまさしくそうだ。
ならばなぜ自分たちは、深海棲艦になっていないのか? という話にすらなってしまう。
「妖精さんを失って、それでも、海の上で戦い続けようとすること……それが、深海棲艦になってしまう理由だと」
「海の上で、だけ……?」
確かに艦娘の戦場は海だ。むしろ海以外にない。
だがなぜ陸はその条件から外れてしまうのか?
深海棲艦は海に生きているから、ではないだろう。それは単純な結果に過ぎない。
海でなければいけない理由――そして、戦おうとする意思そのものが引き金となる原因。
すぐに判明するはずもない。今の今まで、きっとこの長い戦いの歴史で、誰もが気づかなかったことだ。
「……少なからず、私が聞いたのはそれだけです」
「でも、旅団がきっかけを起こした理由も、近いんじゃないかと思います」
申し訳なさそうに下を向く神通に対して、皆を強い眼差しで見上げる春雨。
雪風の前に立って、春雨は雪風の肩に手を置いた。
「……旅団の団長は、戦艦・長門さんだと聞きました」
「うん。そうだったね。声は聞こえたよ。何も答えてくれなかったけどね」
瞼を閉じて肩をすくめる川内を見て、合点がいくと頷いた春雨。
「青葉さんがちょっと前に書いた新聞を、長門さんも読んだそうです」
「新聞……喋る深海棲艦ってやつ?」
寮舎へ繋がるロビー……しばらく前、川内は敷波と一緒に読んでいた。
雪風と春雨は、喋る深海棲艦と聞いて、あの金色の瞳を持るレ級を思い出しながら。
……確かにレ級は会話が可能だった。
だが戦うしかレ級との選択肢はなかった。
レ級が戦いを望んでいたから。圧倒的過ぎる力を前に、雪風たちも戦うことを余儀なくされた。
だがそこまでのことが記載されているはずもない。
青葉が会った喋る深海棲艦は、レ級とは別だった。
「おそらく、それだと思います」
だが新聞を読んだ長門は、何を思ったのか?
会話ができる深海棲艦という存在に何を見出したのか?
長らく、本当に長らくお待たせしました。
合流章の残りを更新していきます……! が。
この話だけ、本当にやたら長いので、前後に分割します。後半は明日に。