鉄底海峡に待雪草を   作:在田

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Scavengers・後

 煙草を咥えようとしてしかし、金剛の鋭い視線に仕舞わざるをえない。

 

 どこから持ってきたのか、華奢な白いテーブルと椅子が運動場脇に鎮座している。

 ティーポット。ティーカップと受け皿。なみなみと注がれた紅茶を眺めながら、龍驤は椅子にもたれかかる。

 

「……付き合うっていうてもなぁ。ウチは紅茶の良し悪しとかわからんで?」

 

「わかる必要はNothingネ。美味しい紅茶とちょっとしたお話。この時間こそが、ティータイムね」

 

 得意げに指を振って、カップに口をつける金剛。

 仕方なく龍驤も紅茶をすすって、口に飛び込んできた熱い液体に舌を出す。

 

 ……早朝に泊地中へばら撒いた、自分の宣誓。あるいは宣戦布告。

 ここにいないはずの旅団へ向けられた、明確な意志。

 

 聞かなかった者はいないだろう。泊地中が動揺しているのがわかる。

 

 同じ艦娘を相手に戦うことができるのか? その度胸は、覚悟はあるのか?

 確かに龍驤は、それを問いかけた。

 

 ……だが深海棲艦も艦娘の成れの果てだということも知れ渡っている。

 そして旅団が大本営に対して明確な敵対意思を表明していることも。

 

 ならば龍驤にとって違いはない。敵の姿が変わっただけ。むしろ脳があるだけ厄介になった。それぐらいだと。

 

 冷酷だとは思わない。想像できる中で一番残酷なことを、ついさっきにやってきたのだ。

 もうこれ以上の残酷さはない。そこに責任や呵責が生じる余地などない。

 

 だからこそ涙を飲みながら叫んだのだ。

 

 それよりも残酷な虚構が、脳内に、記憶に……泊地の艦娘たち全員に焼きついている。

 

 ゴースト。龍驤が龍驤たり得るアイデンティティであり、同時に、龍驤が龍驤以外の誰でもないことへ縛りつける、頭の中にだけある記憶。

 無論それだけではない。提督というシステム。ゴーストだけを残して、記憶がすっぽり抜け落ちてしまう不可思議な現象。

 

 今でこそ写真に見た男なのだろうとわかるが、しかし龍驤は未だに、ずっとこの泊地にいるはずなのに、提督の顔も、声も、どんな人間だったのかも思い出せない。

 まるで艦娘になったばかりの少女のように、龍驤個人の記憶には何も積まれていない。

 ……きっとこの紅茶という飲み物も、いつか飲んだことがあるのだろう。しかし思い出せない。

 

 受け皿をテーブルに置いて、瞼を閉じ眠るように呼吸を宥める金剛へ、口を開く。

 

「なぁ」

 

「妹たちは……」

 

 しかし金剛は遮る。

 いつものような勝ち気におどけた声でなく、真剣さに落ち着きを得た、凛とした声。

 

「比叡は、榛名は、霧島は……今まで頑張ってくれまシタ」

 

「……せやな。ウチが見たのは比叡だけやけど。でもあと二人は、キミ、直接見たんやろ?」

 

 首肯する金剛。

 

 今後は龍驤がカップを取る番だった。紅茶へ何度か息を吹きかけて、唇で触れる。

 ほのかに広がる香りを感じながら、金剛の言葉をじっと待つ。

 

「あの子たちに戦う理由なんてなかった。そう思うことがありマス」

 

「艦娘。それだけで戦う理由だったんや」

 

 いや、戦わされる運命だった――そう繋げようとしてしかし、金剛は顔をあげて龍驤と向かい合う。

 

 そこに普段の笑みはない。眉根に寄ったしわと、つりあがった目尻。

 ……怒っている表情だと気づくまでに、時間がかかった。

 

「でもそれじゃ、死ぬ理由にはならないワ」

 

「それは、生きる理由を探すようなもんやで? どうせ見つかりっこないもんや」

 

 激しい音と共に、テーブルが揺れた。

 カップが受け皿とぶつかって音を鳴らし、衝撃で紅茶が散る。

 

 金剛が拳を叩き落としたのだ。

 

「艦娘を辞めることだって、許されているネ!」

 

 自ら辞めたいと申し出る艦娘は、極めて稀だ。

 皆そうなる前に沈むか、あるいは配慮として解体処分を受ける。

 

 戦いとは、死ぬか死なないかの瀬戸際を延々と繰り返す作業だ。

 目的としては殺すことかもしれないが、しかし実情は決して、そうではない。

 

 一つの戦いで生き残って、次の戦いで死ぬかもしれない。

 ひたすらに繰り返して……しかし結局、艦娘が辿る結末は変わらない。

 

 故に逃げ出す権利は認められている。

 だがなぜ艦娘は戦いから逃げ出さないのか?

 ……改めて、それを考えたことはなかった。

 

 だがすぐに思い至る。

 これも、ゴーストのせいだ。

 

 前の記憶でも龍驤は戦っていた。何度も何度も……それこそ作業のように。

 何かを考えたり思ったりするのは人間たちの役目で、弾を浴びようが魚雷が爆発しようが、ただ黙々と戦ってきた。

 

 脳がなければ考えることも思うことも、あるいは痛みを感じることすらもない。

 おまけに一度、海底に沈むという擬似的な死すら、龍驤は経験している。

 

 だから肉体だけ得ても、逃避したいという選択肢がそもそも思いつかない。あるいは自らの死すら恐れないのだとも。

 それに気づけば、逃れようとする手段は簡単だ。

 

 艦娘を辞めればいい。

 頭に巣食うゴーストは剥離され、艤装と繋がる体内の部品は除去され、人間として認められるだろう。

 

 だが気づいたところで、艦娘を辞めたいなど微塵も思えない。

 それより先行するのは旅団に対する憤怒であり、自分の記憶を奪う何者かへの激憤であり、それを今の今まで気づかなかった自分自身への激怒だ。

 

 本来なら、そのまま身を任せて出撃してもいいところを、どうにか理性で抑えつけている。怒りのままに死すら許容するだろう。

 ……その不均衡な心境で、金剛の話を受けている。

 

 紅茶を飲んで多少なりとも穏やかな気持ちになっていなければ、とっくのとうに金剛へ掴みかかっていた。

 金剛の怒りですら八つ当たりなのだから。

 

「じゃ、キミは辞めるんか?」

 

「辞めないヨ。妹たちがやってきたことを、私だけ逃げるわけにはいかないワ」

 

 即答できてしまうことが、金剛自身が艦娘であることの証左にもなる。

 戦いで死ぬつもりだと自ら宣言しているようなものだ。

 

 取り繕うでもなく、つい今しがた見せた剣幕などなかったかのように席へ座り直す金剛。

 

「……でしょう? 衣笠」

 

 金剛の視線が、席を共にするもう一人へ向かう。

 

 紅茶を飲むこともなく、ミルクだけ入れて、ゆらゆらと溶けていく様をじっと見つめたまま。

 衣笠は一言も発さずに座っているだけ。

 

 長い長い沈黙の果てに、ようやく口を開いて、溜めに溜めた嘆息を漏らす。

 

「そうだね」

 

 弱々しい言葉。ずっと眠っていないままだからこその疲労と、潮を殺した直後で疲弊。

 悠長に紅茶など飲んでいられる心情ではない。

 

 すぐにでも布団に潜って回復した方がいいが、しかし衣笠は、金剛の誘いを断らなかった。

 

「青葉は、本当に旅団に行ったの?」

 

「そうやろな」

 

「明日出撃したらさ、会うのかな」

 

「……」

 

 掠れてか細くなっている声は、単に疲れているからだけではないだろう。

 

 例え船の記憶であって、人間としてそうではないとしても……青葉は衣笠の姉だ。

 だから慮るのも当然だ。敵になったとして、割り切って敵対しきれるはずもない。

 

「……ウチは、無理に誘っているつもりはないで。最悪ウチ一人でも出撃する。それだけや」

 

「でも、このまま出撃しなかったら青葉に会えないまま、きっとこの島にずっと引きこもって終わるよね」

 

「かもしれん」

 

 そこでようやく、衣笠は冷え切った紅茶を一息に嚥下した。

 眉尻を上げて、なるべく大きな声で、龍驤に宣言する。

 

「明日の準備するよ。神通さんたちがやっている処理、私も受けなくちゃ。一緒に行くから。ごちそさま」

 

 それだけ行って、衣笠は早々に立ち去ってしまう。

 疲れが抜けない足取りを見守りながら、二人は再度目を合わせる。

 

「……姉思いの、良い妹デース」

 

「キミこそ、妹思いの良い姉やんか」

 

「でも龍驤は……そうだったネ」

 

「強いて、鳳翔ぐらいやな」

 

 姉妹艦がいない、数少ない艦娘の一人だ。

 その鳳翔も姉妹など存在しない。だが近い時期に作られ、共に海を駆けたゴーストの記憶も存在する。

 

 だから互いのことは勝手知ったる仲で……そう思いを巡らせたところで、しかしもう解体でいなくなってしまったことを思い出す。

 

 皮肉に、龍驤は口の端を釣り上げた。

 

「なあ、金剛、一緒に来てくれへんか?」

 

「積極的な勧誘をしないんじゃ、ないんデスか?」

 

「でもキミ、戦うつもりやろ? 旅団が相手でも、キミはできるやろ?」

 

 龍驤が泊地全体に問いかけた覚悟。

 金剛は既に備えている――この会話の中で、龍驤が気づいた事実の一つだ。

 

 答えず、ティーカップに唇を浸す金剛。

 だが紅茶を飲み干した龍驤へ、新しくティーポットを掲げて、笑みをこぼすのみだった。

 

 

 ――翌。明朝。〇五〇〇。

 

 出撃の港に集まった艦娘は、十人だった。

 龍驤、金剛、衣笠、夕張、川内、神通、那珂、雪風、春雨、夕立。

 

 それぞれが艤装を身につけて、残された限りない資材から、最大限まで補給する。

 

「ええか。ウチらは深海棲艦と戦うわけやない。同じ艦娘と戦うんや。

 今なら何も言わん。覚悟できてる者だけ残ってや」

 

 いつになく厳しく険しい龍驤の口調。

 既に龍驤は覚悟しているのだろう。目つきも鋭く、言葉も重くなっているという自覚があって尚、躊躇わない。

 

 ……誰も、そこから退かない。

 

 ただ雪風だけが、一歩後ろへ下がろうとしてしまう。

 力いっぱいに踏み留めて、覚悟ではなく決意で龍驤を見つめ返す。

 

 どうしても、行く必要がある。

 

 このメンバーの中で雪風だけが、旅団に加わっていたかもしれない艦娘だ。

 だから旅団が考えていることもなんとなく理解できる。

 それを止めようとする、龍驤の考えも。

 

「……わかった。

 繰り返すで。これは提督の命令やない。だからウチらにそもそも、出撃する権利なんてないんや。

 泊地に所属する艦娘として、これは規則違反や。あとで帰ってきて、どんな罰則を受けるかもわからん。

 それでも行く理由が、キミらにはあるんやな?」

 

 衣笠が頷いた。残りも続いた。

 

 衣笠は本来戦う理由などない。旅団の事件に対しても、治安維持機構としての要請以外で干渉しなかった。

 だが今回の作戦は違う。

 

 重巡・青葉――自らの姉が、そこにいる。

 迎えなければならない。姉が何を考えてそこにいるのかを知り、その上で律さねばならない。

 だからこそ第二次改装までして、ここにいる。

 

 ……衣笠だけではない。他の艦娘にも、それぞれの理由がある。

 

 全員を見渡して、龍驤がバイザーを被り直す。

 

 装甲粒子の白い煙を吹きかけられて、歩を進める。

 

 海へ……敵がいる場所へ。

 

 皆が続く。総勢十人という大艦隊が編成され、空に昇る日の光を見つめる。

 

「ほな、行こか」




さて更新が遅れてしまい申し訳ありませんでした……

が、これにて〈中〉は一区切りとなり、最後の出撃と戦いが始まります。

それは次の〈下〉から、とても長い戦いになりそうです。
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