鉄底海峡に待雪草を   作:在田

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Vendetta・③

 妙高だった肉体が海へ飛び散っていく。

 沸騰した返り血を浴びながら、衣笠の頭を支配するのは先程まで煮えたぎっていた激情ではない。

 

 最期の瞬間に妙高が告げた言葉。

 ――艦娘が生まれたことが、そもそもの間違い。

 

 俯いて、妙高だった欠片に問いかける衣笠。

 

「それって、どういうことよ……」

 

「だめ衣笠! 今そんなこと考えないで!」

 

 すぐ後ろにいる夕張の焦りが、叫び声に滲む。

 だがそれが届くよりも早く、横っ面に浴びせられた爆発に、衣笠の体が軽々と吹き飛ばされる。

 

 ……龍驤が舌打ちと共に巻物を開いて甲板を顕現させた。

 

「瑞雲、どっから飛ばしとるんや……」

 

 艤装の一つ、肩から伸びる鉄骨のカタパルトを撫でたその艦娘は、味方が死んだのを見届けたと思えないほど晴々とした表情で、胸を張っている。

 

「妙高さんの言葉、あなたからも伺いたいところですね」

 

「そのままの意味じゃ。吾輩ら旅団はそれを心得ておる」

 

 神通の問いかけに、利根は見定めるように目を細める。

 

 どこから余裕を引き出しているのか、知るつもりはない。

 速度を上げようとしたが、それよりも早く両脇を駆け抜けた二人にそれを委ねる。

 ……春雨と夕立。

 

「私たち艦娘が生まれたことを、生きていることを、否定すると?」

 

「応とも。吾輩ら艦娘は生まれるべきではなかったし、こうやって戦っているべきでもなかった」

 

 両手を広げた利根の斉射が始まる。

 次々にめくれ上がる海面の隙間を縫うように、二人の駆逐艦が距離を詰めていく。

 

 だが直後に、三体の深海棲艦が立ちはだかった。重巡リ級が二体もいる。

 それぞれに放った砲弾は爆煙こそ上げているが、しかし装甲を穿つことが敵わないまま終止する。

 

「吾輩ら艦娘は、先の戦いの記憶を持っておる。お主もそうだろう?」

 

 神通は答えるよりも先に、リ級の片方へ牽制を叩き込む。

 

 敵のど真ん中へ飛び込んだ状況の春雨と夕立が、それぞれ背負った缶をくっつけるように背中を預ける。

 戦いながらも、利根の言葉を聞いていた春雨が怪訝な表情を見せた。

 

 春雨の代わりに、神通が答える。

 

「それが、どうかしましたか?」

 

「知っておるか? あの戦いは、人類史でも忌まわしいものとして記録されているらしいぞ。

 戦うために生まれた吾輩らの活躍は全部、記録では穢らわしいものだ、と」

 

「戦争なんてそんなものでしょう! ……嫌われて当然なんです。こんなこと」

 

 思わず叫び返していた。

 脇に差した刀を握る手が震えて……やがて止まる。

 

 気づいたのだ、利根が言わんとしていることに。

 利根も神通を察した。腫れ上がった傷口を痛めつけるように、ゆっくりと言葉で思考をなぞる。

 

「だったら、忌まわしい記録を、人の形で蘇らせることなどしないはず」

 

「そうしなければならない事情があったのでしょう。最初の私たちが生まれたのも、それで説明がつきます」

 

 すでに神通は利根を見ていなかった。言い訳を探し、言葉を探し、視線を右往左往させて、ひくつく喉から声を絞り出す。

 

「人類にとって深海棲艦はその通りだろうな。武器が効かぬ、会話もできぬ、目的もわからぬ。これで為す術などあるはずがない。

 だから、せめての対抗策として吾輩たち艦娘が生まれた」

 

「なら私たちの戦いに、意味はっ……!」

 

「だがな、戦いが終わったら、吾輩らはどうなるのであろうな? 戦いしか知らぬどころか、忌むべき記憶の象徴である吾輩らは、用済みになったらどうなるのだろうな?

 お主は、知らんだろ?」

 

 旅団の構成員に共通すること。

 泊地に戻った時、龍驤たちから知らされた。

 ……ゴーストの戦争。その果て……終戦を迎えたことのある艦娘たち。

 

 神通は迎えないままに海へ没した。戦いが終わった後の世界を知らないまま、今もこうして戦いに身を投じている。

 だが、利根は……。

 

「無惨なものだ。如何程の努力があろうと、全て無に帰す。いや全部を否定されるのじゃ。

 それも敗北で終わった吾輩らでは、未来なんてないのも当然だな」

 

 飄々と語る声音に渦巻くのは、純然とした絶望だ。

 

 終戦まで戦い抜いたこと……神通からすれば憧れの一つだ。

 だからこそなぜ、そんな面々がこんなことをするのかとさえ思ってしまった。

 

 だが改めて聞かされて、同じ考えを抱き続けられる自信などない。

 

 終戦まで戦い抜き、しかし終わった途端に戦いの誉れも誇りも、一切合切を踏み躙られて……。

 また戦うために、今度は感情まで持たされて海へ呼び戻された彼女たちの気持ちなど、神通には推し量ることすらできない。

 

「――神通さん!」

 

 頭蓋に響く声が春雨のだと思った瞬間に、吹き飛ばされていた。

 体の至る所が熱い。皮膚を焦がし、肉を焼いて、骨にまで届こうかといういくつもの灼熱。

 ……被弾したとわかった時、神通は海に突っ伏していた。

 

「……ッ」

 

 呼吸をしようとして、しかし咳き込む。熱で口と喉の水分が全て揮発したとすら思えるほど、干上がっている。

 乾ききった眼球を濡らそうと瞼の裏で涙が滲む。

 

「春雨! 神通さんを!」

 

 夕立の判断は早かった。

 まだ敵の一体も倒すことができないのに、しかし神通を助けるべく春雨を向かわせた。

 

 ……利根も含めれば重巡三体。

 夕立は舌なめずりと共に、深紅の双眸を輝かせる。

 

「できない相手じゃ、ないっぽい!」

 

 

 ……一方で、春雨に背中を支えてもらいながら、どうにか立ち上がった神通が口を開いた。

 掠れた喉から、枯れた声が通信に乗る。

 

「……なら、あなたは本当に、勝つつもりなんですか?」

 

「いや。今この場で勝つことは別に、吾輩の望むことではない。

 武勲など、どうせ後で否定されるなら、それこそ意味のないことだからな」

 

 利根は朗々と語る。

 眼前で、味方する深海棲艦たちが、たった一人の艦娘に圧倒されるのを見ておきながら。

 

 ……夕立。ソロモンの悪夢。

 かつて夜戦にて単身、敵の艦隊を圧倒した伝説的な駆逐艦。

 駆逐艦の本領である夜戦でもない、この真っ昼間でも、その実力は健在なのだろう。

 

「吾輩が欲しいのは自分たちでこの戦いを終わらせることだ。

 なけなしでもいい……よくわからないうちに敗北を押し付けられるのではなく、自分たちの勝利を飾れる幕引きがほしいのだ」

 

 すでに二体の味方が魚雷に体を崩している。

 常識の範疇を超えた俊敏さ。そしてそれを最大限に活かした、奇天烈な軌道。

 

 ……味方の深海棲艦が、リ級が、圧倒的な動きに恐れを隠せないで、震えていた。

 リ級の隣に立ち、その手を握った。

 

 本来なら駆逐艦が恐れるはずの砲撃力で以て、一斉掃射する。

 それでも利根は語る。

 

「だがな。吾輩ら旅団だけで、人類になど勝てるはずもないことは承知しておる。だからな……」

 

「……深海棲艦を利用しようって魂胆やな」

 

 遮ってきた声は、夕立でも春雨でも、ましてや神通のものでもない。

 龍驤。

 

 自分の肩から飛び立ったはずの瑞雲が、黒煙の尾を引きながら海へ落ちていく。

 それを覆い尽くすように、三角編隊を作った翼の数々を見上げる。

 

 龍驤の鋭い眼光が、遥か遠くから利根を射抜かんと向けられている。

 

「違うぞ。龍驤」

 

 隣にいるリ級が手を強く握った。

 

 呼応するように、二人で砲撃を空へ放つ。

 赤色した砲弾の軌跡が空を裂いて、いくつかの翼を落とす。

 だが、その大半を屠ることなどできるはずもない。

 

「吾輩はな、深海棲艦を敵だと思っとらん。同じ魂を持っている、かつての仲間だ。

 だから利用などではない。これは共闘である」

 

 夕立の放った魚雷へ対策が取れなかった。

 気づいても、遅い。

 

 艦載機たちが一斉に、その腹からいくつもの爆弾を落としていく。

 空と海中――二方向から迫りくる必殺の攻撃。

 

 逃げられるほど足は速くない。迎撃できるほどの弾数を揃えているわけでもない。

 

 諦めがつくのは思いの外、一瞬だった。

 着弾の直前で、利根は隣のリ級へ静かに笑いかける。

 

「なあ、そうだろう。筑摩――」

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