膨らむ爆煙の黒が、視界を埋め尽くす。
「姉さん!」
遠くまでいたはずの伊勢と日向……並みいる深海棲艦の軍勢を跳ね除け、ようやく川内がたどり着けた――その瞬間だった。
至近距離での戦艦による砲撃をまともに喰らって、軽巡が耐えきれるはずなどない。
煙が、宙を舞う灰が目にしみる。まばたきこそすれ、閉じたままになど決してできない。
周囲を埋め尽くす熱波に身を屈ませながらも、神通は前へ進む。
歯を食いしばって、腹の底から溢れてくる冷たい感情を体の外へ押しやる。
すでに妹である那珂はいなくなった。同じく戦艦の一撃を受けて。
その時も川内は進むことを選んだ。神通も進むと決めた。
ならば今更、嘆いている暇など与えられていない。
神通に残されているのは、焼け焦げた単装砲と魚雷発射管。そして深海棲艦相手では使う機会など無いだろう刀。
そして、後ろにいる味方の艦娘たち。
黒煙をかき分けながら、まだそこにいる戦艦たちへ魚雷を放つ。放射状――全ての命中を望めるほど夢見がちではなく、多少移動していたところで、確実にどれかを命中させられる方を選んだ。
間もなく、陽の光が煙の向こうから差し入る。
魚雷の着弾による、海面が炸裂する音が聞こえた。
――近い。
息を飲みこみ、魚雷発射管を捨てる。これから更に距離を詰めると考えれば、魚雷を有効打として使える瞬間などもうないだろう。
そして、視界が開かれる。
体中を煤だらけにして煙の尾を引きながらも、すぐに単装砲を掃射する。
見えた二人の姿に、未だ大きなダメージなどは見えない。
確かに足元が焼け焦げている。伊勢に至っては二つあった下部の砲塔を失っている。
だが、それだけだ。
身構えた日向に、単装砲の炸裂など些細な火花程度にしか思われていないだろう。
「全く……飛行甲板は盾ではないのだが」
日向の静かな声は未だ、余裕があるように聞こえる。
日向から砲塔を奪えたわけでもなければ、二人を行動不能とさせられるような打撃ができたわけでもない。
二人を同時に相手できるほどの余力が残されているはずもない。
……だが、片方をこちらへ集中させることはできる。
また後ろにいる味方は、黒煙に阻まれてこちらを見ることなど適わないだろう。
だがそれは伊勢と日向も同じだ。この黒煙が晴れない限りは、味方が狙われることもない。
ならばその間だけ、神通が持たせればいい。
――刀を抜きながら、日向を望む。日向も腰に差した刀へ手を伸ばしている。
「皆さん、後はおまかせします」
「ちょい待ちや神通! 何が起こって――」
慌てて叫びかける龍驤の声を聞きながらも途中で通信を切り上げる。
……それまで、龍驤と伊勢・日向が何か会話をしていたはず。
だが川内にも神通にも、そんなことなど聞こえていなかった。
耳に入れる余裕などなかった。
道を作るために、川内は身を捨てる覚悟で挑んでいた――同じく那珂も、そして神通も。
「神通。君一人でも戦うつもりなのか?」
「ええ。姉さんたちと一緒に」
今ここに立っている神通は一人だ。
だが抱いている思いも夢見た光も、決して一人のものではない。
だからこそ一人だが、決して一人ではない。
戦いに身を投じるとは、そういうことなのだろう。
勝利とか人類とか、そんな大きなことへ意識を向けていけば、気が狂ってしまう。
先程砲撃を浴びせてきた利根も、同じことを考えていたのかもしれない。
利根は、過去に戦った自分たちの戦争そのものを否定されたことを嘆いていた。
だから自分たちだけでもなけなしの勝利が欲しいと言った。
その気持ちは……わからなくもない。
日向の腕が伸びていき……日光に鈍い光を反射する刀身を見せ、構える。
自分の周りに渦巻く空気の温度が冷めていくような錯覚。そう感じてしまうほどの緊張があった。
「皮肉なものだな。そんな生き方も……死に方も」
「どう思われようと、これが私の誇りです」
仲間のために身を削り、かつての自分がその矜持を抱きながら果てた。その時に仲間を逃してやる時間を作ることができた。
だがその誇りを抱けた戦争そのものを否定された。
それなのに今度は心や意識なんてものを持って生まれ変わったのだ。再び否定されてしまうなど、きっと耐えられない。
「誇りか……そう思えるなら幸せだろうな。私は思わないが」
ならば神通は、それをここで繰り返すまで。
今度は、仲間の逃げ道を作るための囮などではない。
仲間が進むべき道に、自分自身がなるのだと。
「ねえ日向……」
「下がってろ伊勢。神通は……どうしようもないほどの馬鹿だ」
心配げに眉を潜めた伊勢に、日向が言い返す。皮肉げに、だが嬉しそうに。どこかで喜びに笑いながら。
……そう、この一対一さえ構築できればそれでいい。これは時間稼ぎ。
刀を使うなど記憶にない出来事だ。
だが……わかる。戦闘用のOSが保持している、艤装として認められた刀だからだけではない。
ゴーストに埋め込まれた、男たちが持っていた誇りの証。戦うと決めた、真っ直ぐな迷いなき心の象徴。
彼らの魂が、自分のゴーストに染み込んでいる。初めて握るはずの刀が、自分でも信じられないほどに馴染む。
「だが君なら気づいているだろう?
始めから私たち艦娘は、艦娘として生まれた時点で、犠牲者みたいなものさ」
「知っています。でもその役目を、私は全うしましょう」
神通と日向……奇異にも、砲を持っているはずの艦娘が刀を構え、対峙している。
不思議なことに、二人ともが静かな笑みを浮かべている。
同じ艦娘がこれから殺し合うというのに。
どちらから、というのは判然としない。
だが次の瞬間に二人は前へ踏み出し、刀を振りかざす。
……神通に通信を切られた龍驤が、舌打ちと共に甲板を広げて艦載機たちを回収する。
「夕張。先攻、頼むわ」
「でも、奥で神通が……それに、川内も」
躊躇う夕張の声は……彼女だけの気持ちを表したものではなかった。
艦隊全員が狼狽えている。死地へ飛び込んだ川内たち三人に。
理解できない、というわけではない。それでも堅実に着実に、隊列として攻略することだって出来たかもしれない。
……なのに、彼女たちは前へ突き進んでしまった……と。
那珂が敵の砲撃に轟沈した。
川内も爆発を受けてどうなっているかわからない。
そして神通は……。
「あいつらの気持ち、ちょっちわかるんや、ウチ」
前を走っていた駆逐艦たちが、思わず振り返って龍驤を見ている。
頭を垂れたまま立ち尽くす、表情の見えない姿を。
……敵へ一目散に飛び込んでいく彼女たちへ、頼むと告げたのは龍驤だ。
今更後悔など感じているのではない。
だが彼女たちの覚悟は、自分が万全な指示を出せればそうではなかったのかもしれないと思ってしまう。
……死ぬ気で挑む戦いなんてさせずに済んだかもしれないと。
だが龍驤も、同じことをしたかもしれない。
誰かのために……自分を犠牲にすることなど厭わないかもしれない。
例えば少し前、自分へむざむざ言葉を重ねるべく訪れた鳳翔が、そうであったように。
思わず拳を握りしめてしまう。力が声にこもり、震えてしまうのを堪えて、努めて静かに絞り出す。
「頼むわ……あいつらの気持ち、無駄にしたくないんや」
「わかったわ」
夕張の返事は龍驤が思っている以上に早く、待ってましたと言わんばかりに軽快ですらあった。
死地にいる二人を思ってからこそなのか、夕張は軽やかな笑顔すら浮かべて、海を駆けていく。
「私ね、龍驤さんがそういう上司で良かったなって思うよ」
前回に「次で一区切りつく」と言ったな。
あれは嘘だ。
……すみません。また話が膨らんでしまいました。
面白くできるな、と思ったら、やっぱり面白いものにしたいので……。