鉄底海峡に待雪草を   作:在田

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High Fever (Sweetest Thing)・⑤

 眼前で火花が飛び散る。金属の擦れ合う鋭い音が耳に突き刺さる。

 砲声の爆音や砲炎の灼熱ばかりだった今までの戦闘からは考えられないほどに静かで……単純な空気の冷たさをまざまざと感じる。

 

 腕を伸ばせば相手の肩に触れられるほどの距離。だが手にした刃は幾度もの応酬を経てなお、届かない。

 

「この程度か、神通。まだ古鷹の方が根気があったぞ」

 

 戦艦が持つ体格か……あるいは全身艤体という強靭で屈強な日向の振るうたった一振りが、そのまま潰されてしまいかねないほどに重く伸し掛かる。

 剣戟を繰り返していくだけで、びりびりと腕がしびれて力が入らなくなる。

 

「まだ……こんなものじゃ」

 

 速度では勝っているはずだ。あまりにも巨大すぎる艤装を背負っている戦艦に、軽巡が劣るはずなどない。

 だが届かない。艤装が、思い浮かべられるだけの軌道を全て阻んでしまう。

 鈍重にして頑強、そのくせ的確で繊細な動きを、日向は実現している。

 

 神通がいくら刀筋に優れていたとて、覚えたての小手先でできることなど限られてしまう。

 まして砲身を切断できるほどの太刀筋を見せられるのなら、別の話だが。

 

『なあ伊勢、日向。ウチとの話はまだ終わっとらんはずや』

 

 剣戟を重ねる日向に、それを眺めるしかない伊勢に、龍驤はなおも語りかける。

 

 通信を切った神通に届くはずもない。

 だが日向だけでも、神通へ意識を引っ張ることができれば充分だった。

 

「話をする必要が、あるというの?」

 

『これはウチが知りたいだけ。我儘や。

 キミら旅団は、勝つつもりがない言うたな。

 なら目的は何や? 勝つ打算がないなら、なんであんな大規模なクーデターなんて考えるんや』

 

 伊勢の視線が、日向と神通から外れる。

 

 龍驤が会話を重ねている間――周囲を渦巻く黒煙に紛れたショートランドの艦娘が向かっているかもしれない。

 周囲へ目を光らせられるのは、伊勢だけだ。

 

「勝つのは旅団じゃない。でもね、人類に敗北だけくれてやればいいの」

 

 ちらりと伊勢へ視線を寄せた瞬間を突かれて、上段から押し潰さんばかりの一筋が落とされた。

 回避すら間に合わない。慌てて横一本に持ち直した刀で受け止め……圧倒的すぎる衝撃に、足が海中へめり込んでいく。

 

「他所見とは、馬鹿にしてくれるじゃないか」

 

「……ぐ」

 

 ほぼ真上から見下ろしてくる、冷たく研ぎ澄まされた、静かな眼光。

 

 ……ぎちぎちと刃が軋む。刃先を支える手のひらに、それこそ切り裂きそうなほどに食い込む。

 跳ね返すための膂力すら腕に残されていない。

 

『キミらは、それでええんか。誰かを勝たせるのが、キミらの戦いなんか』

 

 これが単なる剣戟であれば、このまま押し潰されてしまうだけだろう。

 だが神通は艦娘だ。ただ単に剣を振るうしかできないほどまで、艤装がなくなっているわけではない。

 腕の単装砲が砲声を上げて、二人の間に新しく砲煙が立ち込める。

 

「……日向!」

 

 驚いた伊勢が、しかし次の瞬間には自分へ降り注ぐ砲弾を浴びて火球へ包まれる。

 伊勢と日向、二人同時に隙を作ることができた。

 

 黒煙から力なく這い出た神通が、まだ震える手で、どっと噴き出る汗を拭った。

 なんとか、危機を脱したというところだろうか。

 

 横目を確認すれば、少し離れたところから近づいてくる味方たちの影があった。

 夕張を最後尾に、三人の駆逐艦。

 

 安堵に思わず、肩から力が抜けて頬が釣り上がる。ため息がこぼれた。

 彼女たちが伊勢を攻撃できるまでの道を、ようやく繋ぐことができたのだ――と。

 

 ……しかし黒煙を突き破って現れた姿に、その暇すら奪われる。

 

 黒く煤けた艤装を背負い、日向が一気に距離を縮めた。

 一目散に距離を詰めてくる突きの姿勢。

 

 軽巡がいくら至近距離で砲撃したところで戦艦を倒しきれるはずがない。

 神通にできる術はほとんど残されていない。傷だらけの体を引きずり、全身には力が入らない。刀を握っているのがやっとの状態だ。

 

「なら……」

 

 神通も構え直す。崩れかけていた姿勢を正し、真っ向から相対する――日向と同じく突きの姿勢。

 道連れにする他に、思い浮かばなかった。

 

 那珂が消え、川内も砲撃に吹っ飛んだ。

 既に目的は果たした。道を作り上げることはできたのだ。

 ならば今の自分ができるのは、せめて川内が生き延びられるようにすることだけ。

 

 向かってくる日向の眼光で、わかる。

 日向もこれを最後にするつもりだ。

 

 ならば自分も覚悟を決めるまで――。

 そう深く息を吸い込んで、渦巻き始める後悔を鎮めようとした。

 

 視界を横切った影に、意識が逸らされた。

 自分と同じ――そして那珂とも同じ――黒焦げになった、真っ赤な衣装。端が焦げて煤けた、真っ白だったはずのマフラー。

 

「姉さん……!」

 

 呟いたときには、その体は日向の胴体へ突っ込んでいた。

 ただ艦娘同士がぶつかっただけの衝撃で、波が広がり飛沫が巻き上がる。

 

 日向の刀が……赤く濡れて背中から伸びていた。

 表情が一変し、焦りと怒りに歯茎を見せる日向。

 

「まだ生きていたのか。川内!」

 

「ほら、私……往生際、悪いから、さ」

 

 日向の刀を……握りしめる腕ごと抱えて決して離さない川内。

 咽て真っ赤な液体を吐き、喉が血に溺れていても顔を上げた。

 

 その双眸を見て……その奥に見える光を、視界に収め……日向は悟る。

 

「なるほど、な」

 

「姉さん! なんてこと、を…………ッ!」

 

 叫びかけた神通は……しかし振り返った川内の笑顔に、凍りつく。

 異様に白く染まった肌は、断じて血色が悪いというものではない。

 

「ごめん。神通」

 

 肌を突き破って額から伸黒い角は、頬から映える黒い硬質な肌は……艦娘のものではない。

 深海棲艦に、なろうとしている。

 

 瞳の奥から青白い光が覗き――それを隠すように目を細めて、川内は笑う。

 

「やっチャってヨ。私ガ私じャナクなる前ニ、殺シてクレないカ?」

 

 直視することすら怖くて、神通は俯く……。

 だが迷う暇などない。せめて生き残ってもらいたいと思っていた。

 

 それすら叶わないのなら……。

 

「わかりました」

 

 今度は、神通が前進する番だった。

 突きの姿勢を崩さないまま、川内の肉体から刀を抜けず狼狽える日向へ――。

 

 そして、自らの姉の背中へ――。

 

 初めて肉体を貫くという感触を覚えた。

 川内の背中を貫き、日向の腹に、刀が突き立てられる。

 

 神通の眼前……お互いの肩が触れ合うほどの距離で、わかる。

 

 川内が再び吐いた血が、足元でべちゃべちゃと音を立てた。

 

「迷惑 かケ チャッたネ。最期ニ」

 

「姉さんはいっつも、そういう人ですから」

 

 気づかない内に、神通の声は震えていた。

 気づかないうちに頬を伝っていた涙を拭うことすらできない。

 

 ……それっきり、川内から返答はなかった。

 静かに頭を項垂れさせて、膝をついて倒れる。

 

 一度強く押しこんでから、一気に引き抜く。

 

 しかし斃れた川内の肉体を引きずるように立ったまま、日向は動かない。

 日向は、刀を抜き取ることも、日向はできない。

 その手はまだ、息絶えたはずの川内に、握りしめられたままなのだ。

 

 口の端から漏れる真っ赤な血を拭えないまま、ゆっくりと顔をあげる。

 穏やかに……どこまでも冷静に、日向は口を開く。

 

 呼応するように、神通が刀を振り上げた。

 

「よくやったな。君の……いや、君たちの勝ちだ」

 

「ええ。私一人では得られなかった勝利です」

 

 そして日向が瞼を閉じるのと同時に、その首が海中へ転げ落ちる。

 艤装の管制システムを失い、主器が機能を停止する。

 

 戦艦級という巨大な艤装が、日向の艤体も、川内の肉体も巻き込んで、あっという間に海へ呑まれた。

 その奥へ、淀んで、掠れて、見えなくなる。

 

「あ……」

 

 海面に残されたのは、二人の吐いた真っ赤な血潮だけ。

 じきにそれも波に歪められて海と混じり、溶けて見えなくなるだろう。

 

 ついに手から滑り落ちた刀が、音もなく川内と日向の後を追いかける。

 

「ああ……あぁ……っ」

 

 溢れる涙を頬から流している自分の顔を、海の底にいる姉に見せたくなくて、両手で覆いながら嗚咽に肩を震わせる。

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