何度もの砲煙がようやく晴れ、開けた視界に映ったのは三人の艦娘だった。
神通、そして日向と伊勢。
神通が刀を構え、対する日向も滑らかに抜刀する姿を見て、夕張は確信する。
「伊勢を狙って、撃って!」
「ぽい!」「はい!」
即応と共に夕立と雪風が、遅れて春雨が前へ踏み出した。
那珂と川内と神通……この三人が開いた活路があってこそ、夕張たちは目立った損害も弾薬の消耗もないままに、旅団の艦娘たちと渡り合うことができている。
わかっていて尚、沸き上がる気持ちは嬉しいものではない。
神通は艤装も服もボロボロに焼け焦げている。
戦っていればどうしてもそうなってしまうとわかっている。だが何も感じないままには、なれなかった。
その表情が、夕張の胸を締めつける。
「……こんな無茶しでかして、そんな綺麗な顔しないでよ」
後ろで龍驤が、金剛が、衣笠が、自分たちの背中を見守っている。
次にも戦いがあるのだろう。それを考えれば、負傷している金剛も衣笠も前へ出るわけにはいかない。
これ以上の人死にを、出すわけにはいかないのだ。
だからこそ夕張は、同じ艦娘への砲撃を躊躇うことができない。
その一瞬を、味方を看取る時間にしてはいけない。
「日向!」
伊勢がこちらに気づく前に、駆逐艦たちの砲撃が始まる。
夕張たちにできるのは、一刻も早く神通を助けることだ。
今まさに日向という戦艦と、一対一を張ろうだなんて愚行する軽巡を、海に沈めないべく行動しなければならない。
……かつて泊地に加古という艦娘がいた。沈んだはずの彼女は、全く別の誰か、別の何かに変わって戻ってきた。
そして、古鷹がその後を追いかけるように姿を眩ました。
夕張は知っている――他の誰でもない彼女こそが、今もどこかにいる古鷹に、第二次改装を施したのだから。
失ったことへの後悔ではない。古鷹は自ら去ると決めたからこそ咎めることも、自責する理由もない。
だが、望まない形で去ってしまう者だっている。それを阻むことはできる。
そのために川内型の三人へ施したはずの第二次改装の報いが――その結末がこれかと、唾を吐き捨てたくもなった。
戦いの間、ずっと噛み締め続けてきた奥歯――その顎が痛むことすら気づかないままに、夕張は歯ぎしりを堪えられない。
「急いで! 神通を! 助けなきゃ……!」
駆逐艦たちには酷を強いているのかもしれない。戦艦を相手に、たった三人で挑めといっているのだから。
当然夕張もそのフォローへ回るべく、砲撃を連ねる。
『伊勢……教えてくれんか。人類に敗北を与えるのは、深海棲艦なんか?』
自分たちの砲撃に気づいているだろう……その上で、戦艦クラスの敵が倒せないとも、龍驤はわかっているのだろう。
爆炎をかき分け、巨大な砲塔が――戦艦という絶大な防御力を誇る艦娘が顔を覗かせる。
砲撃を食らわせた自分たを睥睨し、激情に犬歯を見せる。
「そうよ! 私たちは深海棲艦を動かすだけ。その仲介をするだけ。
そんで人類が降伏することで、この途方もない戦争は終わるの!」
伊勢の反撃が、始まった。
出鱈目な一斉砲撃。
たかだか砲弾を撃つだけで襲い来る、吹き飛ばされんばかりの衝撃波。
砲弾が真横を掠め、砲弾の引き連れた暴風に、文字通り体を持ち上げられてきりもみする。
あちこちで噴水の如く舞い上がる海水が、一帯に雨となって降りしきる。
ずぶ濡れになった体――軽巡の中でも特筆して鈍重な艤装を抱えて立ち上がるだけでも、一苦労だ。
だが夕張よりも過酷な状況へ、果敢にも挑んでいた艦娘たちは数え切れないほどいる。
そんなことを考えるだけの余裕があるだけマシだと自らを叱咤しながら、夕張は眼前に立つ伊勢を望む。
「あの終戦を、私たちは繰り返すの! どれだけひどい末路でも、平和を――!」
『そんな腐った平和が欲しいんか! キミらは!!』
飛び込んできた龍驤の罵声に、頭をガツンと殴られるようなショックすら覚える。
駆逐艦たちも、その剣幕に驚きと戸惑いを隠しきれないまま、夕張と同じように、濡れた体を持ち直す。
「あの静かさを……穏やかさを知らないあんたたちだから、そんなことが言えるのよ!」
晴れた黒煙の、遥か遠く――立ち尽くした龍驤を、伊勢が睨む。
夕張も、龍驤も……戦争の終わりを知らない。
その景色を見た記憶など、ゴーストに存在しない。
『そんなもん、どうでもいいねん。時代なんて。
でもや。ウチは、ウチが否定されない現実が欲しいんや』
誇りを踏み躙られ、自分たちの存在すら否定される時代。
それを平和と定義しても尚、自分たちがそれを求める必要が、どこにあるのか?
艦娘は生きている限り、戦い続けなければならない。そして平和という時代が訪れた時に、不要となる。
ならば艦娘は、自分たちが生きるために平和を望むことなど、あり得ていけないのではないか?
龍驤が尋ねたい答えは、それだ。
艦娘たちは、ゴーストに歪められた記憶がある限り、生を実感することも難しいのだろう。
そこに現実を、自分が自分である確証を認めることができないのだから。
始めから艦娘には、生きるべき居場所がないと言われているのと同義だ。
「その未来が来ればわかるわ! こんな戦いを繰り返すより、ずっとマシだったってね!」
伊勢の砲声が、続く。
まともに照準を定める暇はなかった。
だが放たれた幾多もの放物線たちが、龍驤へ一斉に降り注いでいく――。
時間が止められたかのように、呼吸すらできないまま吹き上がる海面を見つめるしかなかった。
戦艦の砲撃を、それも一斉射を受けて、軽空母が平然と行動し続けられるはずもない。
……真っ先に行動を起こしたのは、夕張でも、離れていた衣笠でも金剛でもない。
「そんなこと……わからないじゃないですか」
伊勢の砲塔、その表面を軽く跳ねる金属音。
ちっぽけな駆逐艦の、些細な砲撃。
――雪風。
「あの時代。雪風は……雪風は良かったと思います。でも皆さんが良かったって思ってくれるとは、思えません」
振り返った伊勢が、その姿を見やる。
火花程度にすらならないほどの砲撃を、そうとわかっていても放った、同じく終戦を知る艦娘を。
「一番幸せで、一番平和だったあなたが、それを言うの?」
「雪風は!」
跳ねるように顔を上げた雪風が、しかし叫びかけてはいけないと自制をかける。
沸騰しそうな情動に操られないように、雪風は懸命にこらえている。
「……雪風は、いっぱい皆が沈んでいくところを見ました。悪いことかもしれません。そうじゃないかもしれないって、思います」
「根拠が、あるというの?」
「ありません……でもそんなことがあるかもしれないって、思っています」
「やっぱりあなたは、旅団に来なくて正解だったのかもね」
呆れるように、諦めるように……伊勢は瞼を閉じて首を横に振り……砲身を向ける。
旅団も目的のために活動している。それには目的のための意欲が求められる。
伊勢にはあった。日向にもあった。他の……旅団に参加した全ての艦娘に、それはあったのだろう。
しかし雪風にはない……そう伊勢は判断した。
「来てくれると、本当は嬉しかったけどね」
だが伊勢の砲口から、砲声は吐き出されたなかった。
立て続けに広がる爆炎が、再び伊勢を包んだのだ。
……それは些細なものに過ぎないはずだった。
軽巡・夕張と、駆逐艦・夕立と春雨の砲撃のはずだと――たったこれっぽちのものだと。それが積み重なって、ようやく掠り傷程度のものだと、誰もが思っていた。
だが夕張も夕立も春雨も砲撃などしてない。
……遥か高空に、龍驤が艦載機を放っていたなど、誰も気づけなかったのだ。
急降下爆撃。
仲間が周囲にいるという状況で、伊勢だけを的確に狙うことができたのは、妖精さんたちの正確無比な操縦テクニックと、的確な指示が求められる。
つまりは――
遥か遠く……黒煙を突っ切り、姿を表した龍驤がほくそ笑む。
『ウチらは艦娘や。
戦ってなんぼの、艦娘なんや。
そこを否定したらキミ……ウチらが居る理由も、生きていたゴーストも否定するんやで?』
煤で真っ黒になり、衣装のいたる所が焦げて千切れても尚……龍驤は淀みない笑顔を浮かべて、変わりなく海を駆け抜ける。
……だが大きな打撃を与えることができても、戦艦という圧倒的な防御力を誇る伊勢は立ち続ける。
砲塔を基部から欠落させ、体がボロボロになろうとも、炎も煙も振り払って龍驤へ立ち向かえるだけの底力を、持っている。
「今更! 自分の現実なんてものを探すなんてこと言い出すような――!」
『――金剛!』
伊勢の怒声を遮り、龍驤は声を荒げる。
それは怒りではない。
龍驤よりも早く……一直線に海を走っていた金剛への、号令だった。
伊勢も、煙に視界を遮られて気づかなかっただろう。
「いい加減、うるさいネ!」
高速戦艦・金剛。
艤装から砲塔を失っても、その速度は健在であることを、金剛自身でさえ把握していなかった。
伊勢の真正面まで迫った金剛が、腕を振り上げる。
硬く握りしめられた拳。力いっぱい放つためにひねられた腰。
その姿を見て、雪風は思い出す。
かつて戦艦・比叡もこうしていた、と。
「せぇええあっ!!」
伊勢の顔面に、金剛の拳が突き刺さった。
戦艦同士が衝突した衝撃故か、あるいは金剛の鉄拳が圧倒的な膂力で放たれたのか、足が海から引き剥がされた伊勢が、そのまま吹っ飛ばされる。
体は慣性のままに海上を滑って……しかし、伊勢はピクリとも動かないまま、海上に突っ伏す。
拳を開いて閉じてを繰り返し、最後に手を振って痺れを払う金剛。
以前、動かないままの伊勢の顔を見下ろし、気絶したことを確認した。
ようやく、広まっていた争いの音も潰えた。
倒れた伊勢が起き上がらないことを願いながら、それぞれ目を合わせては別の誰かを求めて視線を彷徨わせる艦娘たち。
高雄たちとも含めれば、長い時間を戦い続けてきた。
あまりにも多い身体の損傷と、少なくない仲間の喪失。
むしろこの状況になっても尚、戦いの渦中にいなければならないような不安が背中にべったりと貼りついて、離れない。
「……これで、終わったんですか?」
やっと口を開いたのは雪風だ。
そういうことにしておきたいことなど、誰もが思っている。
だからこそ雪風も、それを口にしたのだろう。
だが、まだ、旅団の団長たる艦娘に会っていない。
龍驤の求める現実とやらの所在も、わかっていない。
「終わったら、いいんだけどネ……」
力ない諦念に満ちた金剛の返答が、皆の懸念を代弁していた。
ようやく立ち上がった神通が、泣き腫らした顔を見せる。
「私たちはまだ、目的を果たしていないのでしょう?」
「……」
龍驤が、神通を見つめる。
那珂も川内も失い、それどころか神通はまともに戦力として数えられるかさえ不安だ。
全身が傷と火傷まみれ。艤装もほとんどを失い、動きすら覚束ない。
それでも目的と口にする神通の覚悟を、龍驤はつい推し量ってしまう。
……静けさの中で龍驤は覚悟を決める。
神通の決死を見届けると――そう思った瞬間だった。
海が、爆ぜた。
夕張が噴出した海水と炎に包まれて、叫び声すら爆音に呑まれる。
「!」
皆が、硬直した。
まだ敵が残っていたのかと、慌てて周囲を見渡す……。
だがそれよりも早く……神通だけが、真っ先に夕張の元へ駆けつける。
庇うように、守るように、その前へ。
「待てや神通!」
「神通さん!」
追いすがるような龍驤と雪風の声。
弾道が、見えている。
夕張を狙った――神通が立つ場所へ向けて降りかかる赤色の放物線。
「もう私にはこれぐらいしかできませんから……」
振り返った景色に……背中に雪風がいることで、記憶が巡る。
ゴーストに刻み込まれた自分の誇り。
戦力として参加できるかどうかさえ厳しい神通には、その誇りを貫けるだけでも幸せに感じてしまう。
ふっと、笑みを浮かべてしまった。
悲しいものとして皆に映っていなければいいとだけ願いながら、神通は言葉を紡ぐ。
「皆さんは、生き抜いてください」
次の瞬間には、神通の肉体は吹き飛んでいた。
爆炎に包まれたのか、海へ沈んだのか、それとも爆炎と共に破片となって撒き散らされたのかは、わからない。
だがその瞬間に神通がいなくなったのは確かだった。
敵……神通の見た放物線の向こうに、独り……たった一人の艦娘を見つける。
皆の中で、ずっと黙っていたままの艦娘が、ハッと顔を上げる。
――衣笠。
全身に、熱を伴った苛烈な力が満ちていく。
背中を突き飛ばすような真っ赤な衝動で表情が歪み……それを睨む。
自分と似た髪色。しかしかつてとは変わった姿。
おそらく、第二次改装を受けたのだろう。
拳を握りしめて、衣笠はその名を告げる。
「……青葉!」
High Feverの話はここで一区切り。
次から続く話は、ようやくの……というところではありますが、
すみません、ストックが切れていますので、ちょっと待っててください。