鉄底海峡に待雪草を   作:在田

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「勝つためには、誰かが負ければいい。俺以外の誰かが!」



Choral

 目標は果たせず、仲間の一人を失った。成果と呼べる成果もない。失ったものに対する、得られたものは何もなかった。

 

 帰路の空気が、肩に圧し掛かってくるかのように重たい。

 さめざめと泣く電の肩を雷が支えている。春雨が呆けたように空を見上げて、雪風は所在なく人の横顔を伺うばかり。

 前を向いているのは比叡だけだった。だが皆と合わせる顔がないからこそ、先頭で前を向いて、見られないようにしているからこそでもある。

 

 しかし帰り道が安全だと保障されたわけではない。自分たちが潜り抜けた道のりを、別の深海棲艦が走っている可能性だって充分にあり得る。

 

 やがて遭遇する。

 

 弾を惜しまなくなった比叡が駆逐も軽巡も全て追い払ってくれる。虚無感と憤りの合間にある当てつけだと気づけないまま、雪風たちは黙って見ているばかりだった。

 

 次から次へと、敵は海の中から顔を除かせる。雪風も春雨も、それらを撃ち抜くようになった。

 

 もはや敵などどうでもいい。とにかく帰りたかった。陸に上がって、何かができるわけでも、思いが消え去るわけでもないとわかっていながら、一刻も早く他の誰かの顔が見たかった。

 安堵できる場所に行きたかった。

 

 海から再三と顔を出した新たな深海棲艦へ照準を定め――雪風の、引き金を引く指が止まる。

 

 目に浮かぶ表示枠の向こう。その姿に、雷も電も、息を飲んで見つめた。

 

「暁……?」

 

 帽子がない。連装砲がない。魚雷発射管も、缶のほとんどもない。

 間違いなく、さっきまで雪風たちと一緒にいた暁だった。

 

「暁だわ!」

 

 駆け寄ろうとした雷を、比叡が手で制す。

 

「待って、ちゃんと見てください」

 

「ちゃんと見なくたって、あれは暁に決まって……」

 

 見上げた雷が、見定めるように注視している比叡の横顔を見て、止まる。

 

 そして再び、仲間であるはずの暁へ視線を向けた。

 雷の表情が一変する。

 

〝駆逐ハ級〟

 

 暁を取り囲んでいる表示枠には、そう表記されていた。

 

「どういうことよ……だって、そこにいるのは暁のはずじゃあ」

 

 よろめく体を引きずるように進んでくる暁。

 傍らにいる深海棲艦たちも同様に距離を詰めてくる。決して暁へ攻撃をしない。艦娘だとわかれば即座に砲撃してくるはずの深海棲艦が、そうであるはずの暁へ、それらしい素振りを全く見せない。

 

 暁の目を見て、雷は小さく悲鳴を上げた。

 

 金色の目。

 レ級がそうであったように、暁もまた、今まで持っていた深い紺色の瞳をなくしている。

 

「暁が、深海棲艦になった……?」

 

 信じられないとでも言うかのように、声は震えていた。

 

「そんなの嘘よ!」

 

 雷が躍り出た。後を追う電。近づく深海棲艦の砲撃を潜り抜けて、撃ち返し、雷は暁の前へたどり着く。

 

 雪風も比叡も見守ることしかできない。その間に浮かび上がってくる敵を、二人は撃ち払う。

 事実を受け入れられないのは、二人も一緒だった。

 

 だからこそ雷と電ができるのなら、賭けたかった。

 

「暁!? 大丈夫?」

 

「聞こえますか? 私です。電なのです」

 

 語り掛ける二人に顔を上げる暁。ゆっくりと、心配そうに覗きこむ二人の顔を交互に見つめる。

 そして電が伸ばした手を振り払った。

 

「うああっ!」

 

 獣のような叫び声。電の胸を突き飛ばして、電はそのまま尻餅をついた。

 

 砲があったはずの部分を、艤装の千切れた部品が不器用に蠢く。

 そこに砲が残っていたのなら、暁は二人を撃っていたのだろう。

 

「なんで……」

 

 雷の声が震える。

 次の瞬間には、思いを堰き止めていた呵責が弾けて、雷は暁の肩を掴んでガタガタと揺らした。

 

「なんでよ暁! 私たちずっと一緒だったじゃない! なんでこんなことになっちゃったのよ!? ねぇ! 深海棲艦になったなんて嘘なんでしょ? 私たちが、一番嫌っていたものじゃない!」

 

 暁は表情を変えない。何も聞こえていないかのように、暁はぼうっと中空に視線を彷徨わせる。

 暁が腕を伸ばした。袖口から黒いものが見える。

 

 雷も電も知っている。深海棲艦が持つ皮膚のような装甲――生半可な金属よりも固く、通常兵器では決して貫くことのできない、深海棲艦だけが持ち得るもの。

 生き物の筋肉が動くような脈動と共に、皮膚装甲が暁の腕を見る見る取り囲んでいく。真っ直ぐ、黒く、一本の棒のように。

 

『ヤレル ヤレルノヨ ワタシハ』

 

 今まで聞いてきた声。だが決して同じ人物とは思えない声色。二人の背筋を、悪寒が駆け上っていく。

 やがて指先までを取り囲んだそれを、暁は雷の眼前に向ける。何かを狙うように。照準を定めるように。

 

「嫌……嫌よ暁。それは何かの間違いでしょ」

 

 ふるふると顔を横に振り、後退る。

 電が暁を突き飛ばしていなければ、雷の頭がどうなっていたかなど、想像に難くなかっただろう。

 

 今さっきまで腕だったところが、一本の砲身になっていた。

 砲煙を立ち上らせながら倒れこむ暁。砲身が海に触れて水蒸気を昇らせる。

 

 全身が強張る怖気を感じながらも、二人は暁を見下ろすことしかできない。

 

『死ニタクナイ』

 

 再び暁は砲身を掲げた。二人を狙おうとして。

 雷も電も砲を向けることなどできない。一緒に過ごしてきたはずの姉妹へ攻撃することはおろか、殺すなど、できるはずもない。

 

 そして――

 

 暁の頭を一つの砲弾が通り過ぎた。

 帽子のなくなった頭が赤く割れて、ぐったりと海面に落ちる。次第に、暁の体は海に飲まれていく。染みこむように、海の黒へ消えていく。

 

 一瞬、二人の中を流れている時間が止まった。

 何が起こったのか、理解するまでに時間を要した。

 

 二人の後ろで、硝煙を昇らせる砲を構えた雪風が、膝をついて倒れこむ。

 

「うっ……うう……」

 

 呻くような泣き声。

 ゆっくりと……しかし彼女たちにとってはできる限りの速さで、振り向いた。

 

 崩れ落ちて、雪風は目元を何度も拭っている。それでも次から次へと零れ落ちるものは月光に煌き、海に滲む。

 

 雷も電も雪風に怒鳴りつけたい情動があった。だがそれを向けてはいけないと悟る。

 雪風もまた二人と同様に、味方であった暁へ攻撃などしたくないはずだった。

 雪風の言葉を一番に信じて、一番勇猛に戦ってくれた暁を裏切るように殺してしまったことなど――一番胸を痛めているのは、雪風自身だろうから。

 

 二人の中で渦巻く熱い衝動は、行き場をなくして両手に握り拳を作ることしかできない。

 

 悲愴、でなければ後悔。

 

 比叡が雪風の頭に手を置いて、撫でる。雪風の泣き声が、次第に大きくなる。

 

「大丈夫です。雪風は頑張りました」

 

 優しく包み込む言葉。

 

「もうこれで終わりです。もうそろそろ帰れますから……」

 

『マア ソンナワケナイヨネ』

 

 それは突如として皆の耳に飛び込んできた。

 水底へ引きずりこもうとするような声。

 

 背筋を鷲掴みにされるような凍えた戦慄を覚えながら、周囲を見渡す。

 

 ――レ級が再び姿を見せていた。雪風たちの魚雷を喰らっていたはずなのに、傷一つ負っているようには見えない。ニタニタとした笑いを変えない。

 

 比叡が艤装を構え、他の艦たちを守るように前へ出た。

 

「そこを退きなさい。私たちは帰るんです」

 

『ソリャ無理ダ 申シ訳ナイケド』

 

 申し訳なさなど微塵も感じていない、遊んでいるような喋り方。

 尻尾のようなもう一つの口が、欠伸でもするように大きく口を開いた。

 

『安ッポイ言イ方ダケド ソコノ死神ニハ沈ンデモラワナキャ イケナイ』

 

 レ級が指差したのは雪風。仲間とも敵とも呼べなくなった一人を殺し、その葛藤に涙を流す以外にできない、ただの少女。レ級が雪風を見るときだけ視線の色が変わるのを、雪風は感じていた。

 

 憎悪。確固たる暗い情念が宿っている。

 

 全身が凍りついて、痛みも感じないままバラバラになっていくような感覚――自分が本当に立っているのかどうかすら危うく感じるほどに、雪風は射竦められていた。

 

 ――殺される。今この場で、レ級に。

 それは疑念ではない。不安でもない。純然とした確信として刷り込まれる。

 

 まだ怪我という怪我を負ったわけではない。いつものように、いままでのように、飛来する弾は雪風の脇をすり抜けるかもしれない。それら全てを通り越して、雪風は知覚する。認識させられる。

 

 気がつけば体が震えていた。

 レ級の金色の瞳――ずっと雪風の目と体を貫いて離さない死線。

 

 その間に白い布が立ち塞がった。大きな艤装が、雪風に背を向ける。

 

「何が、あなたをそうさせるんですか?」

 

 比叡が屹立していた。艤装の照準を定め、レ級に立ちはだかる。

 守るように。

 

「なんで、雪風ばかり死神と呼んで、憎むんですか?」

 

 声音は引き締められていた。

 質問に意味はないのだろう。比叡はすでに覚悟を決めて立っている。

 

『俺ハ ソイツニ殺サレタ』

 

 意味が理解できなかった。

 レ級は上を向く。遠い記憶を呼び覚ますように。

 

『マダ戦エタ! マダ闘エタ!』

 

 レ級は月を眺め、叫ぶ。自らの身体を抱きしめるように、腕を肩にあてる。

 

『俺ニハ誰モイナクナッタ 敵モ 味方モ』

「裏切られたとさえ、私だって思いました」

 

 比叡が拳を真っ白になるまで握り締めている。比叡の表情は雪風からは見えない。

 か細く、絞り出すような声。

 

『冷タカッタ 寒カッタ』

「こんな南海でも、海の中は暗くて、そして寂しいです」

 

『死神ハ 俺ノ上ヲ泳ギ続ケタ』

「みんなの活躍に、加われない悔しさが募りました」

 

 会話に雪風は追いついていけない。各々に言いたいことを並べているだけには思えない。二人の間に共通する何かがあるような言葉の応酬。

 その何かを、雪風は掴めずにいる。

 

『死神ハ 最期マデコッチニ来ナカッタ』

「雪風は戦いが終わっても生き続けました」

 

 二人の視線が雪風に注がれた。

 比叡の目尻に涙滴が見える。悲痛に歪んでも尚、優しさに満ちた笑顔。

 

 そして比叡はまたレ級を向く。

 先ほどまでの覚悟に満ちた、ただの問いかけではない。

 

 何かを求めるような、願うような声音。

 

「……辛いことですよね。戦うことなんて」

『俺ハ ソウ思ワナイ』

 

 レ級が初めて比叡と目を合わせた。

 比叡が何かを告げようと口を開き……しかし言葉になることはなく、比叡は口を閉じる。

 何かを分かち合えると期待して、しかし叶わなかった失意。

 

 しばらくレ級と比叡は互いの視線を交わしたまま、動かなかった。

 レ級の表情が変わったのが見えた。だがそれがどんな表情なのか、雪風からは遠くて見えない。

 

 比叡が声を出す。

 

「自分たちも滅ぼしあうとわかっていながら、それでも戦うことをやめないんですか?」

 

『戦イコソ 可能性カモシレナイ』

 

 レ級が、再び雪風を向いた。

 射殺されるような殺意の視線ではない。何かとても眩しいものを見つめるかのように、レ級は宵闇に蹲る雪風を見つめる。

 

 羨望。

 

「可能性……?」

 

 比叡が戸惑いを隠せないでいる。

 

『俺ハ見タインダ 死神ノ……本当ノ 力 ヲ』

 

 レ級の尾の咢が、大きく口を開いた。

 

 比叡が再び身構え、皆も揃って艤装を持つ手に力を入れ直す。

 

「そんな可能性を誰が望むんですか……!?」

 

 比叡の問いかけ。切迫した声音。

 

『証明シヨウ』

 

 レ級の咢がこちらを向き、空気をびりびりと震わせる咆哮が轟いた。

 

『貴様ナラ ソレガデキルハズダ』

 

 咢の頭から伸びる砲口。

 噴き出た砲炎が、その始まりだった。

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