爆発に吹き飛ばされた雪風が、力なく海面へ突っ伏す。
飛び散る破片を浴びて服のあちこちを引き裂かれ……それでも尚、雪風に目立った傷はつかない。
それよりも大きく損傷を受けているのは、対していた青葉だった。
艤体――機械の左腕を失い、すでに雪風との戦闘に艤装のほとんども使えなくなっている。
崩れかけた姿勢を直しきれず、海面へ倒れてしまう。本来あったはずの左腕がなくなり、バランスが取れなくなったと気づいた。
……立ち上がって、彼女を見上げる――自分へ砲撃を撃ち込んだ張本人にして、自分の妹。
未だ煙の尾が漂う砲口……撃った直後の砲を、衣笠は力を抜かれたように下げた。
垣間見えた口元に犬歯が覗く……断じて笑みでなく、強く奥歯を噛みしめるあまりに開かれた唇。
その頬を涙が通った――自分の姉が敵となって、味方を殺そうとしている……その姿に怒りを覚えて。そんなことをしてしまう姉に深い悲しみを抱いて。自分が深く関係してきた、身近な人がそんなことをするようになってしまったという自責を抱えて。
「何が……何が殺してあげるよ!?」
喚くように訴えかける衣笠の、上擦った絶叫。
「誰がそんなこと頼んだの!? 本当は自分が戦いたいだけ。そうじゃないの!?」
思わず青葉は、一歩退いてしまう。
自分の体を抱きしめるように、振り絞られた言葉と涙……その意味を、全くわからないわけではないから。
それでも青葉は唇を噛みしめる。胸の奥で生まれた突き刺さるような痛みを感じないと自分に言い聞かせ、誤魔化そうとする……その言葉を受け入れてしまえば、彼女自身の選択を泡沫に帰するようなものだから。
「だったら何? だから何!? そんなこと、ガサには関係ない!」
再び砲弾が飛び出た。真っ赤な軌道が一瞬で宙を駆け抜けて、僅かに残された衣笠の艤装を粉砕する。
爆炎と鉄片が周囲に飛び散って、衝撃に衣笠の体がくの字に折れ曲がる……倒れかけた衣笠が、しかし足を踏ん張らせて立ち尽くす。睨み返す。
……艤装のほとんどがなくなっても、まだ衣笠は浮揚できる。足で気張り、砲を向け返すことができる。
「戦いたいだけなんて理由で戦うなんて、虚しいって思わないの?」
衣笠の放つ砲弾も、青葉の艤装を砕いた。姉妹艦なのだから、どう動くかなど簡単に想像がつく……いくら第二次改装で姿や武装が代わり、戦術すら変わっても……その根っこにある戦い方の部分まで変わることは、そうそうない。
それを、衣笠は知っている……ずっと一緒にいたのだ。
艦娘として戦列を並べることも、同室で生活することも、治安維持機構として任務をこなすことまで……四六時中一緒だった。
だが、二度目を放つ勇気は衣笠に残されていない。
青葉の艤装を砕いた。戦闘のための武器のほとんどを取り上げた。
その次を……彼女自身への砲撃ができるほど、衣笠は薄情になりきれなかった。
「もう……もういいじゃない。戻ってきてよ青葉。これで終わりにしようよ」
「そうだねガサ。私は戦いたいだけ。それは知っている。
でも、まだ私は戦える。戦える限り戦うんだ。艦娘としてとかはどうでもいい。
一隻の船として戦い抜いた、あの時のように!」
青葉は、高らかに告げる。肉薄する衣笠を見つめ返す。
……しかし直後に、脳味噌を揺さぶられるようなぐらつきを覚える。
視界が黒と赤に染まって、戦い以外の何も考えられなくなる。
迫り来る艦娘が、誰だったのか……その記憶すら混濁し始める。
体中の体温が、駆け巡る血液が……足の裏から海に吸いこまれて、代わりに海の底から吸い上げた冷たく暗い何かが、入り込んでくる。
深海棲艦化――頭の片隅に、そんな単語が思い浮かぶ。
だがどんなものだったか思い出せない。
思い出せなくてもいい。
眼の前に敵がいる。
自分が青葉だという自我が、海に薄れて溶けていく。
代わりに自分の体を満たすのは、海に沈んだ幾多の者たちの慟哭、悲嘆、絶望。
戦う……それにしか、頭が働かない。
そのための発想しか視界に映らない。
敵。戦ウ。倒ス――ただ、それだけの思考に支配されていく。
「この海ガ、私タちノ、魂の場所なンダよ!」
ゴーストの記憶――終戦を知らない衣笠にはわからない、終戦を迎えている艦娘だからこそ持てる誇り。
利根は世界から否定されたと告げた……踏み躙られたと。
それを、青葉は未だに硬く抱き留めているとしたら。戦い抜いた自分に、自惚れにすら等しい矜持を抱いているとしたら。
「こんの……分からず屋!」
怒声を散らして、衣笠は距離を詰める。すでに缶がなく、まともな加速が行えない……それでも、陸と同じように海を走ることはできる。
青葉の瞳孔に輝き始める青白い光。それを悟って尚、衣笠を突き動かす衝動は悲しみではなく、怒りだった。
艤装を失った青葉が戦意に染まっていく――黒く、硬く、青白い肌へと。
眼前に迫った衣笠が手を振り上げて、はたき落とす。青葉の頭が横に向けさせられる。
単なるビンタ。攻撃と呼べるほど盛大でも、絶大な威力を持っているわけでもない。ただ単純な、怒り。
また振り上げられた衣笠の手が、青葉を叩く。
そして今後は反対の手が。
「何が魂の場所よ! ふざけるのも……大概にッ!」
そしてまた、何度も何度もビンタを、繰り返す。
……次第にその手も、力ない緩慢な動きへ変わっていく。
何度も叩きすぎて痛みに赤くなった両手……その指先がぶるぶると震えている。
その間ずっと、痛みすら感じないほど硬質な皮膚に覆われ、表情すらなくなった虚栄に包まれた青葉が、茫然と指先を見つめていた。
痺れに、力すら入らなくなった指が、水平服の返しをスカーフごと握りしめて、しわくちゃにする。
「……なんで、なんでよぉっ…………」
嗚咽まみれの声を聞いて、ようやく青葉が真正面を向く。衣笠と目を合わせる。
ボロボロと顎から伝い落ちる涙。わなわな震える唇。しわくちゃになった顔。
がくがくと前後されて、青葉の視界も大きく縦に揺れる。
「戦うことがそんなに良いことなの? 私にはわかんないよっ。
龍驤さんも戦ってなんぼとか言うし、夕立は戦うのが楽しそうだし……」
衣笠の脳裏に浮かぶ、皆の顔。
直後に浮かんだのは、黒い装甲へ変質していく潮の最期……血に塗れた瞬間の、笑顔だった。
潮がしたかったことは、わかる。それが叶わなかった悲しさが、今も肺を潰してしまうほどに胸を締めつける。
だがわからなった艦娘もいた。皆死んだ。
妙高は自分が殺した。利根も、高雄も、日向も死んだ。那珂も川内も神通も死んだ。
遥か遠く……トラック泊地で、明石は自分が死ぬその瞬間を待っているのだろう。
……それを、衣笠からすれば何がいいのかわからない末路を、同じように辿ろうとする青葉が、わからない。
ずっと一緒に過ごしてきたから、凡そのことはわかると思っていた。
「そんな姿になって、青葉は楽しいの? それでいいの? 満足なの?
私にはもう、何が何だかわかんない……!」
その間にも、青葉は黒く豹変していく。水平服を突き破って黒い装甲が覗き、肌から血色が失われ、体はどんどん冷たくなっていく。
焦点が定まらない瞳に、青白い光が満ちる。
精気に満ちた命の光ではない。ただひたすらに破壊を繰り返すための炎。留まることを知らず燃え広がっていく灼熱。
……遠くで、二人を静かに見つめていた夕張が艤装を構える。
すでに深海棲艦となった青葉に、これ以上衣笠を近づけさせておくわけにはいかないと。
その近くに雪風が突っ伏したままだ。機械の腕の膂力で首を絞められて、駆逐艦の体で気を保っていられないのだろう。
いくら『幸運』が味方しているとて、力なく倒れているままの小さな体など、倒そうと思えばどうにでもできてしまう。
引き金のついたレバーに手をかけた夕張。
しかし視界を遮るように、金剛の手が翳された。
「良いんですか? このままじゃ……」
「私は、榛名にそういうことをしてあげられる時間がなかったネ。敷波にとっての綾波も、私は同じことをしたヨ」
今までにないほどの、落ち着いた温もりと、哀愁の湿度が籠められた声。
ずっと昔のように感じるほど、前……。
まだ比叡も霧島も榛名も、敷波も川内も高雄も潮もいた頃。艦娘が深海棲艦になってしまうという噂が皆の感情を扇動していた頃。
深海棲艦の姿になっておらず、そしてまともな会話もできていたはずの綾波に、金剛は砲撃を浴びせた。
敷波の涙に構っている余裕など、金剛にはなかった。
直後に、深海棲艦となった榛名に霧島が葬られた。
その時点ですでに、まともに会話ができる時間など残されていなかった。
だが青葉がまだ攻撃しようとしていない今なら……深海棲艦へ変貌していくその間に、まだ会話できる余地が残されているのだとしたら……。
「あれは、あの二人にとって、とっても大事な時間デース。もう少しだけ、待ってあげて欲しいワ」
「……」
人差し指を唇へ当てて浮かべられた笑顔を、哀れだと思ってしまった。
それほどの悲しみを背負っても笑おうとする金剛が、見るに耐えきれないほどに痛々しいとさえ。
レバーを握る手に力が入らない。入れられない。入れようとすら思えない。
だから手を離して、金剛からも視線を逸らし……両膝を向かい合わせる二人を見守る。
額をくっつけて、ただ涙を流す衣笠と、涙すら流せなくなった青葉を。
「なあ……」
……しかし同じ艦隊の龍驤が同じことを考えているとは、限らない。
すでに攻撃する手段など残されていない。それでも言葉を紡ぐことはできる。
まだ意識が残されているかもしれない青葉へ語りかけることを、誰も阻めない。
「薄々やけどな、ウチは最初からわかってたんや。キミの中に恐ろしいもんがあるって、わかってたんよ。青葉。
ウチもずっと、戦いの中で生きてきたんや。キミみたいな奴が死んでいくのを、何回も見ながらや。
だから青葉、キミを救えるんやないかって、ちょっち思うとった。
でもそんなん、ウチの思い上がりだった。
好きなように生きて、好きなように死ぬんや。誰のためでもない……もちろん、自分のためでも。
そういうもんやろ? 青葉……」
ふと、青葉は顔を上げる。
何に反応したのかはわからない。本当に龍驤の声が届いているのかもしれない。
焦点の定まらない瞳に……そっぽを向く顔に、それを確認することはできない。
しかし青葉は再度口を開いた。深海棲艦へ染まりきった体で、単なる叫び声ではない言葉を、発した。
「龍驤サンハ 優シスギル」
龍驤とは正反対の方向……何があるとも取れない遥か遠くを見つめていた青葉が、また顔を動かす。
真正面へ。衣笠へ。
ぽっかりと開かれたままの青い瞳……その目尻に浮かぶ涙滴を、頬に垂らして。
「サヨナラ……コレデ、良カッタンダ」
「青葉!」
青葉の顔が、表情が、くしゃりと歪んだ。
しかし判別する前に……青葉の体は吹き飛ぶ。
砲音もなく飛来した黒い光の砲弾に穿たれて、青葉の上半身が消滅していた。
飛び散った青い血を頭から被る。体温のなくなった、海よりも青く冷たい血で、衣笠の服が染め上がる。
時間が止まったかのように、衣笠は虚空を見つめる。
真正面。何もなくなってしまった場所。さっきまで青葉がいた空間。
――視界の隅で、金色に輝く何かが見えた。
右に鈍色の艤装。左に煤色の艤装。異色な二つの艤装を従える、雷が煌めくような金色の左目。
「古ッ……」
思わず、龍驤がその名を呼びそうになる。
かつて泊地から失踪した艦娘。
轟沈したと思しき加古の肉体と共に消えた、一人の重巡。
関係していたとされる青葉は、その事件をきっかけに艤体を使い始めた。夕張の改装を受けて。
……龍驤にすら隠した、青葉と夕張の秘密の守り人が、現れたのだと気づいた。
しかし次の瞬間には、もう見当たらない。
『なるほど。こんな結末か』
……まだ戦いを見ている者がいたことを、皆が忘れていた。
今この場にいない者。
響だけではない。もう一人。
戦艦・長門が、いつから見ていたのか……ようやく口を開いたのだ。
『我々旅団も、人数が残り少ない。
君たち艦隊に、死神に、我々は挑戦しなければならないだろう。
このまま争いを続けたいというならば、人類も艦娘も可能性など望めない。それを証明してみせよう』
「……フザケたことを。
キミもウチも、艦娘や。人間なんてどうでもええ。そうじゃ、ないんか!?」
静かに、しかしふつふつと湧き上がる龍驤の怒気が、声に滲んでいた。
しかし長門は揺らがない。一度の嘆息のみを挟んで、すぐに返答する。
……今の今まで、泊地の誰もが知ることのなかった一つの真実を交えて。
『私も……いや艦娘の皆がそうだ。昔は人間だった。だからこそだ』
ようやくこのシーンを描けて、在田は大満足です。
ストック切れにつき、もう少し待ってください。