「艦娘である以上、戦い続ける運命を背負わされる……そのことを、恨んだことはないのか?」
雪風が顔を上げた瞬間の、言葉だった。
吹き飛ばされた衝撃からようやく起き上がったばかりだ。まだ背中が焼けるような痛みを訴えている……まだ目尻に浮かぶ涙をこぼしてはいないが、決して涙を乾かせない。
ぐらつく視界の中……二人の駆逐艦娘がいた。
春雨と夕立……度重なる猛攻に、すでに艤装のほとんどが失われてボロボロになっている。
雪風でさえ被弾してしまう猛攻の中で……雪風のような幸運を持っていない駆逐艦が、それ以上の被弾をしているのは必然だった。
損傷の経験すら少ない故に痛苦を知らない雪風とは、違う。
二人は痛みに耐え、屹立する。姿すら捉えられない駆逐棲姫に、まだ立ち向かうと決意の炎を燃やしている。
「違います!」
叫んだのは春雨だった。
問いかけられた雪風ではない……だが、同じく駆逐艦娘であり、同じ艦隊にいる仲間。
「私たちは、戦います。艦娘である以上、ずっと戦います。
でもそこから逃げ出して、強引に終わらせるなんて……ダメなんです――」
春雨は戦争の終わりを知らない。知らないままに鋼鉄の体も沈んで……艦娘となった今も、終戦後の平和なんてものを知らないままに生きている。
戦い続けている。
「――私たちはいつか、終わりがくることを信じて戦い続けるしかないんです!」
「お前はそれでいいのか!!」
殴りつけてくるような長門の怒声。
終戦を知る艦娘が、再びの終戦を望む……平和な世界が来ることを、春雨と同じように望んでいる。
だからこそ長門は、最もわかりきっている手段を選んだ。
自分にとってどれほど忌まわしいものであろうと、それこそが終戦をもたらした前例だと知っているから、それを選んだ。
長門からすれば、春雨の言葉など理想論だ。このままでは片方が滅ぶまで戦いが続く……そう、長門は受け取ってしまう。
「ぽい!」
だが呼応したのは夕立の絶叫だった。
春雨と並んで……艤装も服もほとんどがなくなって尚、しかしそれでも戦い続けている。
夕立もまた春雨と同じく、終戦を知らない。知らないまま今を戦っている。
長門とは、違う。
だが、春雨とは同じだ。
「私たちは、一人じゃないっぽい!」
「そうです!」
もはやどこにいるかもわからない駆逐棲姫へ、立ち向かう決意を固めて。
駆け出した二人の艦娘が、一瞬で水柱に飲まれる。
だが、体を打ちつける激痛が留まらなくても、進もうとする足を止めるわけにはいかない。
水柱を突き破り、春雨は突き進む。右へ左へ視線を動かし、視界の隅に一瞬だけ浮かび上がる黒い艤装を追いかける。
夕立は、その頭上――水柱に乗り、遥か上空にいた。
輝く月光を背負い、金の髪をなびかせ、赤い瞳が煌めく。
自分と同じく眩い光を背負う、たった一人の軍団を追いかけて。
「痴れ言をっ!」
「確かに私は、私たちは、戦いが終わった瞬間なんて知りません」
春雨は、決して夕立のように個人としての戦力が高い艦娘でも、雪風のように不可思議な力に守られている艦娘でもない。
だが幾度の戦いを乗り越えてきた。
始めはたった一撃に気絶させられたレ級を……ようやく、自殺覚悟とは言え、倒すことができた。
その成長は、今の春雨が誇るべき力だ。
「でも自分が積み重ねてきたことは……私たちが走ってきた道は、決して無駄にならないと、教えてもらいました!」
雪風や比叡と共に出撃したこともある。
途中から、艦娘を無差別に攻撃していたハンターという存在と列を成したこともある。
……そして、同じ戦列だった川内たち三人が、自分たちのために身を捨ててでも作り上げた道がある。
川内たちの作った道を――土の中に眠っている潮が抱いていた思いを……叶えてあげられる世界を作らないといけない。そこにたどり着くための道を、今度は自分が作らないといけない。
今の春雨を……疲弊と消耗、損害に、すぐにでも倒れてしまいそうな身体を突き動かしているのは、その思いだけだ。
「一緒に戦ってくれる仲間がいます。艦隊はずっと、そういうものでしたから」
夕立の砲撃が、空から降り注ぐ。
駆逐艦程度でしかない、心もとない砲撃のはずだ。
だがそれは、あまりにも速すぎた駆逐棲姫の動きを制限するには申し分ない力だ。
……駆逐棲姫の誇る速度は、それゆえに被弾した際の損傷を深めてしまえるだけに速い。故に、本来なら微かな損傷で済む攻撃でも、絶対に避けなければならない。
だからこそ牽制が効く。誘導を可能にする。
「そうじゃなくても……この思いを、きっと引き継いでくれる誰かがいます!」
……その誘導に、雪風の砲撃も加わる。
常に動き回っていたはずの駆逐棲姫……その軌道がどんどん制限される。無限に広がる海――広大な鉄底海峡を駆け回れたはずの速度が、見る見るその範囲を狭められる。
範囲が狭まれば、無茶苦茶な速度を出すことも難しくなる。
……春雨の前へ、来たる。
彼女と全く同じ見た目をしているはずの駆逐棲姫が、すぐ真正面に――一直線に、春雨の元へ訪れる。
「……過去の私たちだって、艦の頃だった私たちだって……今の私たちに引き継がれてします! 違いますか!?」
駆逐棲姫の砲撃が、春雨の缶を吹き飛ばした。かき消えた高磁圧と共に、バラバラに砕け散った破片が彼女の服も、皮膚をも引き裂く。
切り口から真っ赤な血が吹き出て、傷からさらに紫の光が……高濃度の汚染が春雨を汚染する。
肉体的な痛みで済むものではない。強く打たれた鋼鉄が歪むように、全身が、その形すら無理矢理に変えられるかのようだった。
それは意識をすら蝕む。今見ている前も、見えていない後ろも、全てがまぜこぜにされる。
本来なら見えないはずの人の顔も脳裏にちらついた。
それでも、春雨は……前に来た、自分と同じ顔の深海棲艦の突撃を受ける。
その体にしがみついて、自分と同じ顔をじっと見つめる。
混濁する意識の中――それは鏡を見ているかのような錯覚へ変わる。
全身から溢れ出す血――そして接しているせいでかつてない速度で体を駆け巡る汚染が、彼女の体を、内蔵をも尽く破壊する。
口から飛び出た血が、駆逐棲姫の頬を赤く汚した。
「駆逐艦・春雨よ……お前のその精神は、称賛にこそ値する。
だがその行動は……かつての帝国から何も変わらない自己犠牲の再現だ。
何も……何も、変わってなどいない」
長門が、諦めたように告げる。
何かを悟り、先程まで漲らせていた力を手放したように、空虚な言葉が並ぶ。
「……
艤装の機能などとっくに喪失している。駆逐棲姫にしがみついていなければ海に立つこともできない。
艤装がないということは、妖精さんをも失っていることを意味する。
このまま、春雨が戦う意志を握りしめていたのなら、かつての仲間たちが辿った末路をなぞることになる。
眼の前の駆逐棲姫と同じように……同じく、深海棲艦へと成り果ててしまうはずだ。
……だが、その兆候は表れない。
それは彼女の体が限界を超えて汚染に塗れているから起こる異常事態なのか……。
――あるいは、戦う意志を持っていないか。
「でも長門さん。私がここまででも、これからを生きる他の皆さんは……私より一歩先へ進んでくれるかもしれませんよ?」
残された魚雷発射管から、春雨が一本を取り出す。
努めて表情の見えない、自分と同じ顔――彼女の艤装へ、それを差しこむ。
「姉、さん……!」
絞り出すような春雨の声――夕立の砲撃は、一瞬の迷いもなく放たれ……残酷なほど正確無比に、それを穿つ。
生じた火球が、駆逐棲姫も……春雨も飲み込んだ。