……一つの戦いが、終わった。
先程までそこら中に満ちていた紫の光もない。駆逐棲姫からは金のオーラも出ていない。
その瞳の奥に……小さな、ごくわすかな青白い光だけが残されていた。
冷厳な満月が、全てを見下ろす。
静粛な夜闇の下、月光を水面が冷ややかに反射する。
駆逐棲姫と、春雨……酷似した二人の体が、寄り添うように波間を揺れていた。
遅れて、艦隊の皆が訪れる。
……見下ろしてくる夕立の手が、春雨の額を撫でる。
「夕立姉さん、ごめんなさい。恨まれても……しょうがないですね」
「……こんな時に、誤って欲しくなんかないっぽい」
そうはにかんだ春雨に、夕立の手がびくりと強張った。
何かを果たしたと、喜悦する笑顔。
溢れた涙が、春雨の顔にぽとりと落ちる。
「これで、良かったですか……?」
「……」
春雨の問いかけに、艦隊の誰もが答えられなかった。
春雨のやったことを、正しいとも悪いとも、言えない。
彼女を犠牲にしてまで得られる結果として喜ぶべきなのか、それとも全く違う何かなのか……。
それを知る者は、ここに一人もいない。
『月ガ……』
ぼそりと、小さく溢れた声があった。
――駆逐棲姫。
春雨の隣に、同じように浮かぶ深海棲艦。
記憶が巡る。
かつて――この全ての始まりに、二人の艦娘が、同じ月を眺めていたことを思い出す。
ヴェールヌイだけがその意識を支配しているはずだった。
だが、駆逐棲姫の中に眠っていた別の人格が……深海棲艦へ染まりきっていた艦娘たちの魂が、再び目を覚ます一瞬があった。
『月ガ……綺麗……』
「そう、ですね……お月さま……綺麗ですね……」
春雨が微笑む。
駆逐艦・ヴェールヌイがその中にいる――暁も。
そして……同じく月を見上げていた二人……綾波もいる。
春雨がずっと探し求めていた、いなくなってしまったもう一人の姉も。
同じ海に揺らめいて、同じ今際を超え……ようやく、春雨は出会ったことに、純粋に、笑顔を作っていた。
「もう、二度と……こんなことしないでくださいね」
力なく震える春雨の手が、駆逐棲姫のそれを握る。
微かに、駆逐棲姫も握り返した。
……二人の体が、海に消えていく。
暗い海の底……水面の向こうにある、深く静謐な世界へ、還っていく。
戦争は、幾多もの死を繰り返す。
……春雨の遺した言葉が、長門へなのか、駆逐棲姫へなのか、それとも艦隊へなのか……今更、それを確かめることはできない。
しばらくの沈黙が、艦隊を横たわる。
すぐ足元にあるはずの波の音が、とても遠くから聞こえた。
――バイザーを深く被り直して、龍驤が告げる。
「……これで、これで満足か? 長門。ぶっ壊れているのは、貴様や」
「認めがたいな……ヒトの可能性など」
長門の声に、怨嗟が滲む。
旅団の最終兵器は無くなった。
幾多いたはずの団員も、残り少ないだろう……もしかしたら、長門だけなのかもしれない。
それでも長門は自らの結論に従う。言葉を吐き出す。
「私の一生を……全てを破壊したあの汚れた力を、私は決して忘れられないだろう。
だが、お前たちの選択だ。
これからも深海棲艦の猛攻は留まらないだろう。
この戦いはいずれ、全てが破滅するまで続くと知れ」
「長門さん……」
――雪風が、顔を上げた。
いつになく表情が引き締まっているのは、迷いを捨てたからだろう。
ありとあらゆる戦いに居た、逃れられない運命だと知った。
様々な人の思いを背負って、しかし自分だけでは力不足に届かない現実も知った。
助けられたかもしれない命を、何度となく取りこぼしてきた。
それでも雪風には、積み重ねてきた経験がある。
これまでに悩み続け、戦い続け……泣き続けて……。
ようやく雪風は答えを出せた。
「深海棲艦は、別の可能性だって作っています。
お互いの対話です。
きっと誰もが幸せになれる……そんな終戦が、今までの私たちが見てきたものとは違う未来が……きっと、あるはずです」
……長門はしばらく、黙したままだった。
雪風の言葉を受け止めているからなのか、それとも何かを考えているからなのか……。
だが告げられた言葉は、明確な決別だ。
「……もしお前たちの言う未来があるのなら、生き延びて、証明してみせろ。君たちにはその権利と義務がある」
「勿論や」
答えたのは龍驤だった。
顔を上げて――この海のどこにいるとも知れない長門を睨みつけて、龍驤は告げる。
自信満々を漲らせて……その言葉を、これからも嘘にしないためにも。
「生き延びてみせるで。ウチらが、戦い続ける限り。
……ソロモン海のようには、いかせへんで」
長門の返答は……なかった。
どこかへ去ったのだろうとわかる。
……長く、長く続いた旅団との戦いが、終わった瞬間だった。
失った命は多く、その被害と影響がどこまで及んでいるのか想像もつかない。
だが、ようやく終わった。
海の上で……雪風が、艦隊を振り返る。
全員が全員、ボロボロとなった艦隊へ――六人の艦隊へ。
ゆったりと口を開いて……その言葉に、全員がうなずく。
「帰りましょう。ショートランド泊地に」
さて、最後のバトルシーンゆえ、気合を入れて連投でした。
これにて『鉄底海峡に待雪草を』の本編は終わり……残すは1編のエピローグのみ。
来週の更新で、最終回でございます。