……ブイン基地にいる艦娘に、一つの辞令が下された。
「移籍? このタイミングで?」
「このタイミングだからです」
書類を受け取った叢雲が首を傾げて、椅子に背中を預ける吹雪が煙草を手に取る。
その艦娘の頭の上で、二機の艤装が宙に浮かんでいる。
吹雪がそれを一瞥して……煙草の火を灯す。
「ショートランド泊地に前任されていた提督が解雇となったんだって。事実上は知らないけど。
だから新しい提督が配属される。叢雲にはその準備を手伝って欲しいんだって」
「別に、いいけど……」
書類を持つ艦娘――叢雲が、不機嫌そうにしかめた眉を、片方だけ持ち上げて吹雪を見つめ返す。
「今日からなんて、いくらなんでも急じゃない?」
「いいじゃない。どうせ繋がっているんだし」
鷹揚な吹雪の発言に、叢雲は再び顔をしかめて……踵を返す。
硬い踵が木製の床を叩いて、開かれた木製のドアが軋む。
ドアに手をかけながら、叢雲が吹雪を横目に振り返った。
「……寂しくならないでよね。吹雪」
「寂しくならないよ」
吹雪が煙草を咥えて、白い息を吐き出す前に、叢雲はドアを閉めた。
一人は角材、一人は金具、一人は艤装、一人は私物の詰まったバケツ。
忙しなく動き回る艦娘たちを見渡し……龍驤はメガホンを口元に当てる。
「ほらー! サボってないでキビキビ働きぃ!」
眩しく降りかかる陽光。予めついているバイザーがひさし代わりになって、龍驤は台の上で腰に手を置く。
……旅団との戦いが終わり、途絶えていた補給物資の流通も再開された。
深海棲艦との交戦で、最も最前線にいるショートランド泊地。
迎撃のための出撃も、旅団との騒動が収まって、今までと同じぐらいにまで戻った。
それでも深海棲艦たちが現れ続ける限り、出撃がなくなるわけではない。
だが当面の、泊地に課せられた急務は一つ。
旅団に破壊された泊地を修繕することだ。
艦娘寮もいくつか被弾を被り、立て直しの見積もりと共に他の寮の空き部屋へ移動する艦娘たち。
そして、ほぼ壊滅状態にある泊地庁舎は完全立て直しとして見積もりを提出するつもりだ。
――ボロボロになった庁舎。その執務室がある位置を、龍驤は見上げる。
今は亡き提督……ともすれば、ずっと昔からいなかった提督。
写真に映っていた自分を、まだ龍驤は信じることができていない。
だが今は、それを忘れている自分そのものを受け入れなければならない……そう、龍驤は改めて前を向く。
「こら雪風! ホースで遊ぶんやない!」
……ブイン基地。
荷物をまとめた叢雲が階段を降り……磯波と顔を合わせる。
日課となっている水やりの最中だった。
「今日、出ることになったわ」
「出るって……どこに?」
「ショートランド」
「隣ですけど、ちょっと寂しいですね」
「隣なら、いつでも会えるじゃない」
皮肉げに笑って、叢雲は磯波の水やりを見つめる。
初めに大きな植木の根本、そして葉っぱへ。次いで横長の植木鉢に早めの三往復。最後に芽すら出さない小さな植木にたっぷり。
終わって、音を立てずに空のじょうろを横に置いて、満足げに頷く。
……その一つに始めて見るモノを見つけて、叢雲がふと顔をあげる。
「それ、ずっと土のまんまだったやつじゃない?」
「そうなんです。始めて、私も始めて見ました」
へぇ、と頷いて、叢雲は寮を出る。
……誰が置いてけぼりにしたのか、スーパーカブが埃を被っている。
荷物を地面に置いて、まずこれが動作するのか確認しなければいけないことにため息を吐きつつ、叢雲は煙草をポケットから出す。
また誰が置いてけぼりにしたのかわからない、ロンソンスタンダードで火を灯す。
遠く、どこかの海。
一人の、艦娘とも深海棲艦とも呼べない少女が、そこに居た。
右肩には、腕を覆わんばかりの銀の艤装。
左肩には、ぎっしりと武装が積み重ねられた黒の艤装。
右目は深い茶。
左目は眩しい金。
……かつて古鷹と呼ばれていた艦娘であり、加古と呼ばれていた艦船であり、深海棲艦と呼ばれていた怪物であり、かつて人間であった少女であり、肉体のほとんどが艤体と呼ばれる機械へ置換されている存在。
その全てであり、そしてどれでもないのが、彼女だった。
深海の暗闇を知り、浅瀬の煌輝を知り、冷たさも、暑さも……全てを、彼女は自分のものにした。
地球全体に広がっている海。その全てと同化しているに等しい。
……それでも、彼女には見上げる必要があるものがあった。
空。どこまでも広がり続け、そして手を伸ばしても決して届かない場所。
海から離れられなくなった自分では、もはやたどり着けない領域。
ぽつりと、少女は告げる。
この海のどこかにいて、しかしどこからもいなくなってしまった存在へ……。
「今立っているこの海も、見上げている空も……全部、全部繋がっているんだよね。青葉」
高いエンジン音を響かせるスーパーカブが、巨大な連絡橋を渡る。
大きなブイン島から、小さなショートランド島へ。
連絡橋を過ぎ、森を抜けて、カブは広がる基地を見やる。
――ショートランド泊地。
つい先日に壊された連絡橋が修繕され、ようやくの開通となった場所だからこそ、叢雲はスーパーカブで移動ができた。
どこもかしこも忙しなく動き回る艦娘たちばかりが溢れ返るのを見て、着任の書類を誰に渡せばいいかもわからないことに辟易する。
……だがそのうちに、それらしい艦娘を見つける。
「おー、随分早く来たもんやな」
若干なまった言葉遣いの、少女然とした赤服が歩み寄ってきた。
背丈は叢雲より少し低いが、サンバイザーのような頭部の艤装と、その両脇に並ぶ太くて柔らかそうなツーサイドアップと、特徴的な見た目の彼女は、綾波たちよりもずっと高度な戦闘を得意とする艦娘だ。
龍驤――軽空母と呼ばれる艦娘の一人。
軽い握手と共に、笑顔を浮かべた龍驤が叢雲を見上げる。
「キミを待っとったで。叢雲」
時間は、少し前に遡る。
連絡橋を渡るスーパーカブを、海から見ていた人間がいた。
艦娘・叢雲の艤装をつけて、叢雲と似たような顔立ちが、少し大人びて古くなったような女性だった。
しののめ、という名前があるが、俗な名前はハンターとされている。
百年以上も前……最初の五人と言われていた艦娘だった。
同じく最初の五人だったもう一人は、ブイン基地にいる。
……自分と同じ姿の艦娘。その横顔を遠目に見つけて、しののめは……やはり叢雲だった記憶と同じように、皮肉げな笑顔を浮かべて、踵を返す。
もう一人。自分の相棒へ静かな笑顔を浮かべながら。
「行きましょう。初雪」
……ブイン基地で、水やりを終えた磯波が寮へ引っ込む。
艦娘の日常は退屈だ。出撃して、暇を持て余して、間宮でミートパイを食べて、寝て、そして出撃する。
退屈しのぎに煙草や酒に手を出す艦娘たちがいるのも頷ける。
……何一つ変わらない日常。誰が使ったとも知らない道具たち。
生まれたばかりの艦娘たちはそれを受け継ぎ、また変わらない日常の一部になって、また誰かにそれを引き継ぐ。
いないことになった存在など一人もいないことを、無自覚的に自覚しながら……しかし気づけないまま。
来る日も来る日も、彼女たちは生き続ける。
どれほどの期間が経っても、誰かが誰かのことを忘れても。
それでも細やかな変化はどこかにある。
南方であるブイン基地で、咲くことのないだろう冬の花が……
――最終章『Day after Day』完
――『鉄底海峡に待雪草を』完
……全ての話を、これにて描き終わりました。
最初に投稿してから、2年弱という時間が経っています。
『鉄底海峡に待雪草を』いかがだったでしょうか?
かなり際どいチャレンジをこれでもかと盛り込んだ作品でしたが……どうにか完結へこぎつけたことに、ほっと一息つけます。
ながーい方のあとがきはこっちに書きました。
https://zaita1217.blogspot.com/
完結できたので、今更、という感じがしますが……。
是非とも! 感想や評価など! どしどしください! お待ちしてます!!