先日の件から数日が経過した。あれから特にこれといった変化もなく、今日もいつものように執務室で任務報告書や始末書と格闘していると、ビスマルクが入室してきた。
ここ数日、先日の件について彼女の方からは何も言ってこない。酒のせいで覚えていないのか、はたまたあまり思い出したくないからなのか。質問すれば何をされるか分からない為、シュレディンガーの猫のような状態ではあるが、本人が言わないのだからこちらから切り出さないが吉だろう。君子危うきに近寄らずである。
ろくな挨拶もせず早速本題に切り出した。
「ついさっき執務室にオオヨドから連絡が入ったわ。なんでも明後日到着の新しいドイツ艦娘が、予定が繰り上がって今日の午後に到着するそうよ」
「そいつはまた性急だな。監察艦様は何か仰っていたか?」
「いえ、特筆すべきことは何も。ただちょっと変なことは言っていたわね」
「変?」
「んー、そうね。なんだか裏のある言い回しだったから。どうもあなたたちヤーパンはモノをはっきり言わずに遠回しに表現するのが美徳と思っているようね。そういうの本当にイライラするわ」
「そこに関しては同感だ。連絡は素早く端的に。行動の基本だ。それで大淀さんはなんと?」
「覚悟しておけ、と」
「覚悟?」
安曇は眉をハの字に曲げて困惑する。
「覚悟って、何に?」
「さあ、だからヤーパンの言い回しは嫌いって言ったのよ」
それだけ言い残したビスマルクは挨拶も残さずにさっさと執務室を後にしてしまった。
結局何だったんだろう。そんな疑問も始末書に意識を戻すと霧散していった。
二時を回ったころ、庁舎内の特殊生物災害対策室第七係の執務室の扉をたたく音が聞こえた。
「どうぞ」
「失礼するわ」
「失礼します」
入ってきたのは見た目麗しい二人の少女だった。一人はベリーショートの白髪で快活そうな目をしている。もう一人はボブカットの赤髪で白髪の少女に対してどこか剣呑な目つきをしていて威圧的だ。
正反対な二人だが同じセーラー服と帽子を被っており、なんだか双子のようにも見える。
「ドイツからの研修留学生。駆逐艦娘Z1」
「同じくZ3只今着任しました」
「ああ、長旅ご苦労さん。俺はここの指揮官を務めている安曇恭弥二等海上保正だ」
「はい、こちらこそよろしくお願いします。僕のことは気安くレーベとお呼びください」
安曇は席を立ちレーベと握手を交わした。
「そうか。よろしくな、レーベって……僕? もしかして君男なのか?」
よくよく見れば中性的な顔立ちをしている。ベリーショートに加え未発達な凹凸の少ないボディラインも、男に見えなくはない。
「ち、ちがいます! 僕の性別はちゃんと女ですよ!」
レーベは顔を赤くして抗議した。余程気にしていたらしい。
「そ、そうかすまない」
「アズミ……あなた頭大丈夫? 艦娘になれるのは女性だけよ?」
「んなこた言われなくったって分かってるよ。ただ今日日僕っ娘なんて見ないからちょっと驚いただけだ」
「し、仕方ないじゃないですか。この一人称は子供のころからずっとなんです」
「いやー、しかし最近は男の娘なんてのも流行ってるし、そういう類のものかと思ったよ。それにしても本当に美少年にも見えるな」
安曇はじろじろとレーベの小さく細い身体を顔から足のつま先までじっと観察する。
「て、提督やめて……恥ずかしいよ」
頬を紅潮させ恥ずかしそうに身体をもじもじとするレーベの仕草は正に少女のものであり、同時にそんな仕草が愛らしくもあった。故に安曇は若干彼女を虐めてやりたいという悪い加虐心に駆られる。
「いやね、でももしかしたら万が一ってこともあるでしょ。ドイツだし。とっくに男性用の対深海棲艦戦略兵器を開発しているかもしれないじゃん。だからもしかするとこのスカートの中にもアレが生えて……」
そういいながらレーベのスカートをのぞき込もうとしたところでレーベが涙目で悲鳴を上げながらスカートを抑え、ようやくビスマルクが安曇の頭に鉄拳を食らわせた。
「うちの子に何してくれてるのよ変態! レーベはれっきとした女の子よ。この私が確認したんだから」
「ご、ごめん。ついからかってみたくなって」
「それって要するにビスマルクも確認するまで少なからず男の可能性を考慮していたってことじゃ……」
「と、とにかくこの件はもうお終いよ。次、マックス!」
ビスマルクに促されマックスと呼ばれたZ3は無言で頷くと、安曇に小さく会釈した。
「先ほど紹介にも預かりましたZ3です。呼び方はご自由にどうぞ。よろしくお願いします」
そう言ってマックスは手を差し伸べてきた。挨拶は簡素で見た目も若干冷ややかに見えるが、ビスマルクと違いちゃんと常識はあるようだ。これでようやくまともな人員が増えた。
そう安堵して安曇はマックスの差し出す手に握手をして、骨が軋むほどの握力で手を握り潰された。
「いだだだだだだだだだ⁉ 痛い! ちょっ、痛い! 痛いってば!」
少女のものとは思えない握力に安曇は思わず涙目になる。冷静に考えれば駆逐艦とはいえ彼女も艦娘である。本気になれば安曇程度の大人一人殺すのも容易いだろう。といってもそれは艤装を装着している時だけである。要するにこの幼女、滅茶苦茶握力が強い。
必死の抵抗にようやく手を放してくれたマックスだが、その表情は先ほどと一切変わっていない。むしろ若干怖くなっている。
「いきなりなにすんだよ!」
「あまり調子に乗らないで頂戴。この変態」
第二声からこの罵声である。悪意がないだけまだビスマルクの方がマシだったのかもしれない。
「へ、変態?」
「そう。変態。つまりは女の敵よ。力が強いことをいいことに無理やり女性を押さえつけて性欲の限りをつくし、心も身体も貪り尽す外道の中の外道。それが変態。そしてあなたのことよ提督」
「俺君に前世で何か悪いことでもしたのかな⁉」
「いいえ、しかしつい今しがた、その汚い手で私の大切なレーベに触れたわ。もっと言えばレーベと目を合わせたし、レーベと同じ空気を吸っている」
「やっべえ。よくわからんけどこいつは多分一番やばい」
「そしてなによりも許せないのは! 下衆の勘繰りでレーベの心を傷つけた挙句にスカートの中を覗こうとしたことよ! 死んで償いなさいこの変態!」
先ほど寸分変わらぬ鉄壁面のまま怒鳴りを上げる少女はよもや恐怖の対象だった。なにこの娘めっちゃ怖い。
「た、たしかに今のはやり過ぎたと思うけど、いくら何でもそれは言い過ぎじゃない⁉」
「反省しているの? ならいいわ。許してあげる。その代りコンクリートの入ったドラム缶に詰められて相模湾を遠泳しなさい」
「それを世間じゃ死ねって言うんだよ!」
「そう。なら最上の苦しみでもって死になさい」
「結局死ねってことかよ……」
「ま、マックス。もうその辺にしなよ。僕も怒ってないし、それに相手は提督だよ? また前みたいに問題になると今度こそ除隊させられちゃうかも」
「またってまさかレーベ」
「うん、実はここに来た理由も本国で色々問題を起こしたせいなんだ」
「主にマックスが、か」
「そ、そこはノーコメントで」
レーベは乾いた笑いで誤魔化したが、要するにそういうことだろう。
安曇は内心頭を抱えた。ああ、なんということだろう。一人はまともそうだが、もう一人はビスマルクすら凌駕しかねない問題児ときた。しかもレーベにご執心なのだから余計にタチが悪い。下手にレーベと絡もうものなら間違いなくマックスの暴挙の餌食となる。
まとも一に対して問題児が二。しかも極度の自己中とフェミニストときたものだ。
どうしてウチの艦隊には問題児ばかり集まるんだ!
そんな悲鳴を心中で叫んでいると執務室の固定器がけたたましい音を響かせた。確認すると内線である。
「はいこちら特殊生物災害対策室第七係」
『私です』
「うわ、大淀さん?」
『はい。あとうわって何ですか? また始末書書かされたいのですか?』
「と、とにかく、何用で? 前回の件は反省文も含めて全て報告は終わったと思いますが」
『そうではありません。出動要請です』
「またですか」
『ええ、残念ながらまたです』
第七に出動要請が掛かることは殆どないのだが、ここ最近急激に都内各所での対策室出動要請が増え始めたことにより、猫の手も借りたいと言わんばかりに、第七にも出動要請が掛かるようになり始めていた。
「今度はなんですか……まあ、問題ばかり起こしているウチの第七に声が掛かるくらいですから、どうせ大したことじゃないとは思いますけど」
『残念ながら大した事です』
「え?」
『都内に深海棲艦の因子を取り込んだ強盗が現れました』
♢
ここまで読んで戴いた方々なら少しは疑問に抱くだろう。この艦娘というものが一体どういう存在で、何と戦う集団であるのかを。
艦娘の詳細についての解説はここでは省くが、今から十年ほど前まで、この日本を含め世界は大きな脅威に晒されていた。それは決して戦争でも人災でもなく、自然災害とも言い難い。言うなれば生存権の獲得を巡り他種族と争う大局的戦争と呼ぶべきだろう。
SFの父とも称される作家、ハーバート・ジョージ・ウェルズ。彼の残した作品の一つに宇宙戦争というものがある。内容については各々調べてほしいが、ともかく宇宙侵略物の古典的作品であるこの作品のような出来事が現実のものとして十年前まで起きていた。
其の名は深海棲艦。正式名称は海洋敵性因子だの深海からの来訪者だの、深海の君だのと色々呼ばれているが、ともかく突如海上に姿を現してから後、今から十年前までこの化け物が地球の海を跳梁抜鈎していた。
この深海棲艦の正体もどこから来たのかも未だに不明瞭な部分が多いが、少なくとも彼らが人類を憎み、人理に仇為す存在であることは世界国家の共通認識だった。
彼らとの戦いは半世紀近く続き、その中で世界は様々な対抗策を講じていった。その数多の対抗策のうちの一つが対深海棲艦戦略兵器、通称艦娘である。彼女らの登場により戦局は大きくこちら側へと傾き、そしてついに十年前この地球上からその脅威を完全に消し去ることに成功した。
では何故、敵が消え用済みとなった彼女たちが未だに海の上を駆けるのか。
戦争とは敵が敗北すればそれで終わりではない。深海棲艦の登場は良くも悪くも人理に多大な影響を及ぼした。
深海棲艦への対抗策として大戦後期に導入された対深海棲艦戦術システム通称《艤装》は、戦後戦災復興の一環として艤装開発元である曾根崎重工を中心に産業用にも利用できるよう改良され、その名を産業用艤装として一種の強化外骨格の扱いで多くの復興現場や建設作業などで利用されるようになった。
この艤装は土木関係に限らず災害救助や医療関係にも大きな発展を呼び起こし、まさに戦後の日本産業を復興させる象徴そのものとなった。
しかしそれは同時に艤装による新たな犯罪の温床でもあった。
長きにわたる戦乱の中で日本の政治や経済は大きく揺らぎ、その中で多くの難民が流れ込み、犯罪率は飛躍的に増加。艤装を用いた犯罪は勿論、深海棲艦の肉を用いた不法な取引が横行し、警察組織ひいてはこの国の治安維持組織は新たな局面を迎えることとなった。
そうした新たな犯罪に備えるべく急きょ組織されたのが、かつてこの国を守り深海棲艦と戦った艦娘たちを中心に組織された集団。特殊生物災害対策室。
深海棲艦に関わる通常装備では対処しきれない特殊犯罪を専門とした対策組織が戦後新たに発足された。
彼女たちの戦争はまだ終わっていない。
♢
《三十分前品川駅前のあすなろ銀行で立てこもり事件が発生。警邏中の警官二名が対応に当たるも、犯行グループは産業用艤装を二隻所持しており、警官二名に軽傷を負わせた後店内に残っていた従業員と一般人合わせて二十名を人質に立てこもっています》
首都高神奈川一号線を海上保安庁の艦娘陸上指揮車両と安曇の運転する白調のレクサスが都心へ向けて北上していた。
助手席にはビスマルクが、後部座席にはレーベとマックスがいつもの服装で座っている。
「レーベ、対象の動向は?」
「現場の隊員さんの情報によると状況は硬直しているみたい」
「逃げずに立てこもっているっていうの?」
「現場で警察が対深海棲艦システム(艦娘の持つ艤装展開能力)を導入した艤装犯罪対策チームの対艤装外部装甲部隊を展開させているみたいだね」
「じゃあどうして私たちが呼ばれたのかしら。警察で片を付ければいいじゃない」
「本来ならそれで済むはずなんだが、どーもそれを許してくれないらしい」
「何かあったの?」
「連中、産業用艤装に加えて深海棲艦の因子まで取り込んでいるらしい」
「それって……」
「ああ、因子を取り込めば艤装との同調率も飛躍的に向上する。そうなれば警察の艤装じゃまず対応できない」
「そこで私たちの出番ってわけね」
「それで提督、対象の特徴は?」
「今はまだ何も。ただ対応にあたった警官曰く、興奮状態で『雨』とぼやいていたらしい」
「アメ? Regenのこと?」
「そうだ。この時期なら梅雨とも言う」
「でも雨なんて全然降ってないよ?」
車窓から空を見上げると見事な五月晴れが広がっていた。
「むしろこの時期にこれだけ晴れていることの方が問題だ。ここ最近ちょっと異常気象が続いているみたいだしな」
「それにしてもヤーパンって同じ意味の言葉に文字を重ねることが好きよね」
「多様性があると言え。それだけ繊細な文学的表現を持ち合わせているということだ」
「相変わらずヤーパンの変態的なまでの緻密さには呆れるわ」
「変態的って意味ならお宅らの国も負けてないだろ。単語に性別振り分けるってどんだけ性欲持て余してるんだ」
「セクハラよ。死になさい提督」
「こりゃ失言!」
「それにしても……アズミ! この車狭い!」
ビスマルクは上手く足を延ばせない日本車に不満らしい。確かに日本人向けの乗用車に外国人の、しかも足の長い彼女が座れば狭苦しく感じるのも無理はないだろう。
「仕方ないだろう。今は御用車全部出払ってるんだから。俺らに出動要請かかってるのだってほかの艦隊がみんな仕事に出ずっぱりだからだろう」
「そんなの関係ないわよ。私が狭いって言ってるんだからもっと広い車を用意するべきよ!」
「さっき俺が海保のハイエースに乗せようとしたらお前全力で嫌がったじゃねえか! 『嫌よ! こんなの人間の乗る乗り物じゃないわ!』とか言ってよ」
「当たり前でしょ! あんなだっさい車に乗って出動なんて死んでもゴメンよ!」
「テメーの生死の価値基準がたった車一台で揺らぐことの方がよほどゴメンだよ」
「それと一つ言い忘れてたけど、あなたの車なんか臭い! なにこれ? イカの臭い?」
「最低ね。事を致した車にワザと乗せて性的快楽を得ようとするなんて下衆の極みよ。今すぐ死になさい」
「オメーらほんと言いたい放題だな! 言いがかりにも程があるわ」
「ねえ、提督。性的快楽ってどういうこと?」
「止めなさいレーベ! 君だけは綺麗なままでいて!」
『無駄話はそこまでです』
突如盛り上がった会話に水を差すように無線が入った。
「げ、その声は大淀さん?」
『なんですかそのげって。ふざけているんですか? また始末書書きますか?』
「と、とにかく、何用で?」
『対象に関する新たな情報です。犯行グループは二名。二人とも五菱重工製のK—六○○型、汎用土木作業用艤装を装着しており、様態から見て約六時間前に因子を摂取したものと思われます』
「ということは既に第一期は終えているのか」
『はい。すでに都庁からの認可も降りているので射撃許可は出ています。速やかな処理を』
「了解した。合流地点へ急ぐ」
♢
しばらくしてから車は現場となったあすなろ銀行品川駅前店に到着。特質故か、駅前という人口密集地の現場はすでにマスコミと野次馬だらけとなっており、指揮車両が入るには中々の困難を要した。
「うわあ、凄い人だかりだね」
「まったく呑気なもんだよ」
車を降り指揮車両に向かう途中、規制線の張られた黄色いテープの外から現場で中継している女子アナウンサーの声が聞こえた。
「只今海上保安庁の特殊生物災害対策室が到着したようです! あれは……最悪です! 現場にやってきたのは第七です! よりにもよって第七係です! これはもはや最悪の事態は免れないかもしれません!」
「そこのあなた! それはどういう意味よ!」
女子アナの言葉に歯をむき出して怒るビスマルクはそのまま突っかかろうとするが、慌てたレーベと安曇により取り押さえられてしまう。
「落ち着けビスマルク!」
「ちょっと何するのよ! はなして!」
「今ここで暴れちゃそれこそマスコミの思うつぼだよ!」
「目的を見失うなビスマルク。所詮は外野が騒いでるだけのことだ。放っておけ」
「でもあんなこと言われてあなたは悔しくないの⁉」
「俺たちは別に正義の味方でもヒーローでもない。ただの公務員だ」
「だけど!」
「とにかく今は事件解決が先だ」
半ば強引にビスマルクを引きずると三人は指揮車両に向かった。
「それで作戦は?」
なおも不満そうにぶすっと頬を膨らませたビスマルクは安曇を睨み付けた。
「現状犯行グループが人質を取って立てこもっている以上こちらから下手なことはできない」
「犯行グループからの要求は?」
「依然沈黙を貫いているそうだ」
「妙ね。普通人質をとったならまずは逃走用の足を要求するはずだけど」
「既に逃走用の経路を確保している可能性があるかもしれないな。わざわざリスクを冒してまで因子を取り込むような連中だ。それなりの切り札があるということだろう」
「でもこの状況で逃走って一体どこに……」
「そもそも、この犯行グループはどうやって銀行に侵入したの? まさかご丁寧に自動ドアをくぐって入ったなんてこともないだろうし」
『それは私がお答えします』
指揮車両内部の無線から大淀の声がした。
『艤装犯罪対策チームからの情報によりますと、犯人はこの銀行の付近の地下を通る水道幹線を掘り進めたものと思われます』
「ええ⁉ 地面を掘ったの?」
『はい。なんでも作業用艤装というのが、悪環境における採掘作業を目的としたものらしく、これがその地図です』
指揮車両内のPCに品川区一帯の地下下水地図が送り込まれた。
「すごい……まるで蜘蛛の巣みたいだ」
『大小合わせても三百以上、艤装を付けたまま移動できるものだけでも百近い水道管があります』
「これじゃあ犯人がどこに逃げるのか見当もつかないわね」
「じゃあ私たちもその下水から攻めればいいんじゃない」
『それがなんと、銀行周辺の下水管に採掘用の爆薬が仕掛けられていて、特定域以外の周波数のみを感知すると連鎖的に爆発する仕掛けになっているそうなんです』
「つまり艤装を装着した状態で突入すれば……」
『はい。大規模爆発は免れません』
「なるほど。人質を取ることにより地上に目を集めておいて、その隙に地下の安全な経路を伝って海へと逃げるってことか」
『はい。おそらく深海棲艦の因子を取り込んだのも水中を利用して逃走するためかと』
「もし不法難民地区に逃げ込まれたら厄介だな。あそこは下手に手を出せないぞ」
『おそらく当初からその計画であったと思われます』
「海上用の艤装を持たない警察が対処できないわけだ。この犯人グループも意外と頭がいいのかもしれないな」
「褒めている場合じゃないでしょ! それでどうするの? 犯人たちが逃げるのも時間の問題よ」
「地上から攻めようにも人質が、地下から攻めようにも音感式の爆薬があるのね」
『あとこれは水道局からの要望で、この付近には巨大な貯水槽があるから地下水道内での戦闘は認可できないと……』
「はあ⁉ それじゃあどこでこの犯人を捕まえればいいのよ! 下水から逃げられたら追いかけるのは殆ど不可能よ!」
『それが……都庁からの戦闘許可は下りていますが品川区からはまだ許可が降りていなくて』
「因みにその理由は?」
『第七に任せたら品川区は荒れ地になってしまうから、とのことです』
「ですよねー」
「何を呑気な!」
「仕方ないでしょうに。半分自業自得みたいなものだし」
「あ、あなたはそうやっていつもいつも他人事みたいに!」
「痛い! 馬鹿! こんな狭い場所で暴れるな!」
にわかに騒がしくなる指揮車両内。安曇に掴みかかるビスマルクと、それを牽制する安曇、とりあえずビスマルクを抑えながらバレないように安曇の向う脛に蹴りを入れるマックスの三人。
そんな中たった一人レーベだけはじっと先ほど送られてきた地下水道の地図を見つめていた。
「……変だ」
「ど、どうしたんだレーベ」
興奮するビスマルクを強引に押さえつけ逃げるようにレーベのもとへ移動する。
「提督、やっぱり変だよ。だってこのままじゃ犯人はここから逃げられないんだから」
「どういうことだ、逃げられないって」
「ここから海に出るまでは直線距離で約二キロ、地下水道ならおそらく四キロ近く移動する必要があるんだよ」
「べつにそれくらいの距離なら因子を取り込んでいるんだし移動することだって……いや、まて。そういうことか」
安曇は指揮車両から出ると空を見上げた。
「そうか、しばらくの間雨は降っていなかったんだ」
「今地下水道って……」
「大淀さん!」
『はい。今水道局に問い合わせてみたところ、確かにここ連日の晴れの影響で当該区域の地下水道に水は殆ど流れていないそうです』
「ただでさえ作業用艤装は地上の高速移動に向いていない。そんなものを使って移動していてはすぐに捕まってしまう。だからこそ水中を移動するためわざわざリスクの高い因子取り込みを行い、梅雨であるこの時期を狙って犯行を計画したんだ。だがその計画は連日の晴れにより破綻した」
「じゃあどうして失敗すると分かっていて実行をしたんだろう……」
「のっぴきならない事情があったのか、はたまた、いや、……代替案が見つかったのか」
「代替案って何なのよ」
「多分こいつだ」
安曇が指さしたのは地下水道地図の一角。広大な面積を有するとある区画だ。
「これは……貯水槽?」
「ああ。おそらく爆弾はここにも仕掛けられている。俺たちが強行突破したときに同時に起動して一気にこの地下水道に流れ込むよう仕組んでいるはずだ。そうなればひとたまりもない。あとは流れに任せて海まで逃げるつもりなんだろうな」
「それじゃああいつらは私たちが初めから突入することを想定してたってこと?」
「ああ。人質を取ったのも、なるべくこちらの判断を急がせて強行突入の時間を早める為だろう。加えて爆弾が貯水槽に仕掛けられていることを悟らせない為にもな」
「でもそうなるとこっちから手の出しようが……」
「いいや、手はまだある」
にたり、と安曇は悪魔的な笑みをこぼした。
「そんなに泳ぎたいのなら、思う存分泳がせてやるよ」
♢
事件発生から既に一時間が経過。
人質の手足を結び猿ぐつわをさせて部屋の隅に固めた犯人は、銀行のカウンターに腰を下ろすと、拳銃を片手に、何度も時計の針を確認していた。
「クソ! 警察はなんで動こうとしない! こっちには人質がいるんだぞ⁉」
「どうも外の様子がおかしいと思ったが、どうやら海保の特殊災害対策室に権限が委譲されたらしい」
「特災室だと⁉ どこのだ」
「それが、よりにもよってあの第七だと」
「第七? ハッ、そいつは都合がいい。あいつらは馬鹿だからすぐにでも水道から突っ込んでくるだろうさ」
「いや、でも油断は出来ねーぜ。噂じゃあいつらに関わった犯罪者は全員半殺しになっているそうだ。馬鹿な分、加減をしらないんだろ」
「な、なんでそんな奴らが公務員なんてやってんだよ……」
「さあ、今のご時世公務員様も人手が足りないんだろ」
「まさに、猫の手——いや、無能の手も借りたいってか?」
「ははは、そうかもな」
その時犯人のうちの一人の持つPCから警告を知らせる機械音が鳴り響いた。
「どうした!」
「どうやら地下で何かがあったらしい」
「まさかホントに突入してきたんじゃ……」
「まさか。警察だってそこまで馬鹿じゃないさ」
「と、とにかく確認しに行こう」
「そうだな」
二人は人質の固まる隅に一発銃弾を撃ち込み牽制させ、下手な動きをすれば命はないと告げると艤装を装着し、侵入する際に穿った床の大穴から地下水道へと戻っていった。
直径六メートルほどの大空洞が広がる地下水道は光が一切入らない為、ライトで照らしても闇の奥までは目視できない。
「おい、何もねーぞ」
「おっかしいな……確かに音感爆弾には反応があったと思ったんだが」
「おいおい、まさか誤作動なんてことはねえだろうな」
「はは、まさか。この俺がそんな失敗——」
その時、水道の上流から何かが聞こえた。
貯水槽に仕掛けた爆弾が誤爆したとも考えにくい。それにこの音は爆弾のような単発的なものではない。まるで何かが地を這うように擦れるその不気味な音は徐々に大きく、気のせいか近づいてきているようにも思えた。
「な、なあ。本当に大丈夫なんだろうな?」
「ああ、大丈夫だ」
「じゃ、じゃあこの音は何だよ!」
「知るか!」
犯人たちが言い合う間もなお音は大きくなりつつある。そしてそれは蛇の這うような音から徐々に雪崩のような、何かとてつもなく大きな質量が一気に加速して迫ってくるような音へと変化していった。
すると風の吹かないはずの地下水道に緩やかな風が吹く。それは冷たく、どこか湿っぽく、ほのかに水臭かった。
「おい……まさかこれって」
「ああ。そのまさかかもしれない」
犯人たちの顔が徐々に青ざめ始めた頃、ライトの照らすその先に姿を現したそれは、時速六十キロ近くで移動する高さ六メートルの水の壁だった。
「「ぎゃああああああああ⁉」」
犯人たちはようやく己の身の危険を察知し慌てて地上へ戻ろうとするが、時すでに遅し。濁流のごとき氾水はあっというまに犯人二名を飲み込み地下水道を勢いよく流れていった。
何故これほどの水が流れてくるのか。そんな疑問などかき消すほどの水流は二人の犯人を目的の場所へと連れて行くと、東京湾湾岸地区の一角、雨水など不要な水を海へと放流する地下水道の出口から勢いよく噴出された。
犯人二名はどうにか気を失うことなく水上に浮くと、ようやく起きたことを振り返った。
「畜生! 一体何が起きたっていうんだ!」
「あれはどう考えても貯水槽の水だ……誰かがわざと大量に流したんだ」
「わざと⁉ アレがだと! 俺たちが死なないように計算した水量の倍以上はあったぞ! もしワザとだとしたらこんなことする奴は頭がイカれてやがる!」
「悪かったわね、頭がイカれていて」
突如聞きなれない女の声に二人は反射的にその声の方を向いた。
そこには海上に立つ戦艦ビスマルク、そしてレーベ・マックス。海保の船が二隻と地上には武装した警察が犯人グループを取り囲んでいた。
「な、おま……」
どうしてここにいるんだ。そう言いかけた。
「簡単よ。私たちがあなたたちをここまで運んできたの。貯水槽の水を使って、ね」
「こ、この人殺し! 鬼! 悪魔!」
「なっ、人聞きが悪いわね。あとこれを立案実行したのは私じゃなくて、うちの上司よ。文句があるならアイツに言いなさい」
そう言ってビスマルクが親指を立てて指したその先の一隻の巡視船から、拡声器を持った安曇が顔を出した。
「えー、よく聞け強盗犯。お前たちは既に包囲されている。武器を捨て艤装を停止させて直ちに投降しろー。さもなくばさっきの鉄砲水より悲惨な未来が待ち受けている」
「冗談じゃねえ、こんなところで!」
にわかに犯人たちの目からエメラルドの光照が覗いた。これは因子を取り込んだ人間特有の症状。そしてこの光照の現れは因子摂取後第二期変容の表れでもあった。
犯人たちの右腕がにわかに黒く盛り上がるとその形を大きく変質。まるでカノン砲のような筒が出現した。あれは軽巡級にある五インチ単装高角砲。
「レーベ・マックス!」
二人が主砲で犯人たちを牽制するがそれでも動きは止まらない。徐々に砲身をこちらへ向けてくる。
「だめだ! まるで効かないよ」
「いいえ、効いているはず。でもこいつら……!」
マックスが焦燥に表情を歪ませるのも無理はなかった。犯人たちは艤装が音を立てて砲弾を弾こうと、身体から血を流そうと動きを止めなかった。
「マズい! このままじゃ!」
「私に任せなさい」
ビスマルクが主砲を展開。標準を定める。
「び、ビスマルク、それは……」
思わずレーベの顔が青ざめるが、そんなことお構いなくビスマルクは主砲を鳴らした。
♢
その後水門の壁までふっ飛ばされ見事にめり込んだ犯人二名は警察に回収されると、有無を言わさず警察病院へと運ばれて行ってしまった。こうして事件はこれといった大きな被害も出さず無事に解決するに至った。
「で、どうしてまた俺らが始末書なんですか」
大淀の座る執務室に前回同様立たされた安曇とビスマルクは不満げに文句を言い立てる。
「今回はちゃんと解決したじゃない!」
ぶーぶー文句を言うビスマルクに、大淀はこめかみに血管を浮かばせながら大声で怒鳴る。
「どこがですか! まずビスマルクさんは犯人グループを半殺しにして病院送り! 水門も半壊! 提督は品川区からの抗議の電話が止まりません!」
「げっ、もうバレたのか……」
「当たり前です。どんな方法を使って品川区の区長を脅したのかは知りませんが、あんな大量の水を放流したおかげで水道局は今てんてこ舞いなんですから! 想定しえない水圧のおかげで水道管のあちこちにヒビは入るし、放流の影響で品川区のマンホール一帯から間欠泉のように下水が噴き出して地上は大騒ぎです!」
「しかたないでしょ。あれしか方法なかったんだから」
「それにしたってもう少しやりかたってものがあるでしょう! あなたがた第七の方法はガサツすぎます。大体いつもあなたたちは……」
それからしばらく、安曇とビスマルクは大淀の説教を聞かされる羽目となり、ようやく解放されたのはどっぷり日が沈んだあとのことだった。