東京都は有明、東京湾を望むその場所に鎮座する日本最大級のコンベンション施設。その名は東京国際展示場。またの名を東京ビッグサイトと呼んだ。
この施設は年間を通して様々な企業や団体による展示イベントや会談、講演会などが行われており、各業界の市場が動き情報の発信源となる。アジア圏最大の規模を持ち、経済的にも極めて重要な位置を占める施設であった。
そして安曇達が参加するイベントもそういったイベントの一つであるのだが、事このイベントに限って言えば若干他とは毛色の違うものであった。
大淀に紹介されたイベント当日、梅雨も明けきらないこの時期。今にも降り出すと言わんばかりに黒く厚い雨雲が空を覆うその下、湿度こそ高けれど外気はそれほど熱くないにも関わらず、ホール内は妙に蒸し暑く彼女たちの白い肌にも自然と小さな汗の粒が噴き出していた。
「ねぇ、レーベ」
相変わらず涼やかで感情の起伏に乏しい表情のマックスだが、気温のせいかほんのり朱のささった頬に一筋の汗が落ちる。
「どうしたんだいマックス」
横に並び立つレーベもそれは同様だった。
「私たち、イベントの売り子をしに来たのよね」
呆れとも疑問ともつかない曖昧な問いにレーベは頷いた。
「うん。そうだね。具体的に何の売り子かはまったく聞かされていなかったけれど」
「それも問題なのだけれど、今はこの状況の方が大いに問題よ」
「ああ、全くだよ。僕たちどうして——」
「いつもの格好で自分たちの本なんて売っているのかしら……」
小さな長机の前には長蛇の列。そして机の上にはおそらく自費出版と思われる薄い冊子が何百冊も積み上げられており、列の人々はその冊子を買い求めて長蛇の列を組んでいた。
二人はスペースに訪れる人々に手際よく本を売っては、時々握手だの写真をせがまれそれに応えていく。
始めこそ疑問や不満は山ほどあったが、捌けども捌けども大挙して押し寄せる妙に規律の揃った隊列を前に開始三十分で二人は些細な疑問を抱くことは諦めた。
考えてもムダ。それもあるが、何よりも目前の任務に忙殺されそんなことすら考える余裕も無くなっていたのである。
「それにしてもお客さん全然減る様子ないね」
イベント開始から三時間。最初の波を乗り越えようやく落ち着いたところで、周囲に目を配る余裕が出来た二人はホール全体を見渡した。といっても周囲は人人人の人海蠢く黒き魔の海となっていて大凡観察できるなどと言ったものではない。
息も苦しければ視界も息苦しいこの空間に、流石の二人も疲れを顔に出す。
「客もそうだけれどさっきから売っている冊子もまだまだ段ボール詰めで後ろに積まれているわよ」
マックスはどこか憎々し気に背後に積まれたダンボールの山に目を向けた。
「それにしても、心なしか男の人が多いよね」
異国のディープカルチャーショックにもめげずレーベはよくよく周囲を観察しながらそんなことを呟いた。
「それも二十代から中年が殆どよ。これ、何のイベントなの?」
「提督曰く、ドウジンソクバイカイって言うらしいよ」
来日して日も浅く、事前に日本の文化や言語についてある程度講習は受けていたが、そんな単語は一文字も聞き覚えが無く、名前というよりは不気味な呪文の趣が感じられた。
二人も本国ではある程度日本がどのような文化圏に属し、如何様に人類史を構築してきたのかという対外的な文化、また近年日本が推進するクール・ジャパンの一環としてのサブカルチャーについては知識として入っていたが、今目の前に広がる日本文化の深淵、所謂OTAKU文化には殆ど見地が無かった。
「変よね。名前も変なら会場に集まる人間も変だし、何より不思議なのは何故個人が本を売っていてそれをこれだけの人間が買い求めるのかしら。本なら本屋で買えばいいじゃない」
同人即売会。
それは同人誌と呼ばれる個人が制作し自費出版した書籍類を頒布・販売するイベントの総称である。オリジナルや二次創作物、ジャンルや指向は多種多様であるが、そのどれにも共通していることは、自分の好きを形にして多くの人間に伝えたいという熱い魂の集う場所であるということだ。
そこには参加者と来場者の差はない。皆等しく何かのファンであり、その好きな想いを交流させる場所である。
そして事このイベントに限って言えば、男たちの熱いリビドーが、その本能に突き動かされる信念が激しくぶつかり合い、魂の咆哮がこだまするまさに聖戦であるということだ!
「なんて提督は妙に熱弁していたけれど……」
イベントが始まる直前。いつもの海保制服からは想像もできないほどに安っぽい、良く言えばカジュアルで動きやすいTシャツ半パン姿に首から白いタオルを提げた安曇が目を血走らせ、傍から見れば悪霊にでも憑りつかれたかのような形相でそう熱弁していたことを思い出しながら、二人は自分たちの着ている服を不審そうに見下ろした。
「私服でいいって言われたから来たのに、着くなりいきなり着替えを渡されてこれに着替えろって……これ私たちがいつも着ている制服じゃない」
「しかもこれよく出来た模造品だよね。本当によく出来ているなぁ」
生地を除いては細部の装飾に至るまで忠実に再現された衣装を、レーベは感心しながら見た。
「一周回って不気味よ……サイズも妙にフィットしてるし。それに服も問題だけれど、それ以上に問題なのはどうして私たちの漫画が置いてあって、それを求めて長蛇の列が出来ているのかよ」
そう。彼女たちが売っている冊子の表紙には可愛いイラストにデフォルメされたマックスとレーベだった。それも普通のイラスト集ではなく、頬が紅潮した二人がどこか艶めかし気に身体を絡ませ舌を出し、何かに怯えるように瞳を潤ませる、妙に湿っぽい雰囲気のイラスト。
そしてそのタイトルがまた珍妙なものだった。
《僕っ子レーベはしゃぶりたい》
一体何をしゃぶるのか、そもそも何故自分たちがイラストにされているのか。色々気になり安曇を問いただそうとしたが、彼はただ一言『いいかお前ら。本の中身は絶対に開くんじゃないぞ。絶対だ』とだけ告げると、どこから持ってきたのか長期旅行用のキャリーバッグを引きながら、さながら榴弾飛び交う戦地前線に赴く歩兵のような緊迫感で有象無象の人混みへと姿を消してしまった。
「うん、なんかもう頭痛くなってきちゃったよ……状況が自分の理解を超越すると、人間って簡単に思考停止できちゃうんだね」
「あとそこはかとなく視線が嫌らしいわね。私はともかくレーベにまで嫌らしい視線を送るなんて、ここが海なら容赦なく藻屑にしてやるのに」
「ま、まぁこれも立派な仕事だよ」
「おいおいなにぼーっとしてんだお前ら」
ちょうどその時、しばらく姿を消していた安曇が再びスペースへと戻ってきた。
「あ、提督」
「よう。大丈夫か?」
「それよりどうしたの、そのキャリーバッグ。どこか旅行にでも行くの?」
「色々と必要なものがあったから買い揃えに行ってただけだ」
安曇は顎回りの無精ひげを撫でながらレーベの問いに曖昧な返答をした。そんな返答が気に入らなかったのか、マックスの視線が鋭くなる。
「仕事をほったらかして勝手に買い物とはいい度胸ね」
「悪かったよ。今から俺もちゃんと手伝うから」
安曇は自販機で購入してきたお茶を二人に渡しながら、苦笑いを漏らした。
「ところで一体何の買い物をしていたの?」
「え⁉ なんというか、日々の生活に欠かせないものというか……」
突然挙動不審になりしどろもどろと顎を撫でる手を早める安曇。普段あまり見ることのないこの男の、動揺した目の泳ぐ反応に二人は不審そうな顔を見合わせる。
その時スペースの奥から一人の女性の声がした。
「ああ、お疲れ様ですアズミさん」
現れたのは一見すれば中学生か高校生にも見えそうな童顔の女性。サングラスをしていて年齢までは推し量れないが、少なくとも安曇よりは年下であることに間違いない。
栗色の髪を後ろで括り大凡色香を感じさせない紺のスカートに無地の白Tシャツといういで立ちと、童顔には不釣り合いなサングラス、まるで悪徳商人のような妙に媚びた声は存在そのもののキナ臭さを加速させていた。
「すみませんオークラさん。席を離れていて」
「いえいえそれくらいどうってことないですよ」
オークラと呼ばれた女性は、スケッチブックと鉛筆を片手に安曇に近づくと囁くように訊ねた。
「それでアズミさん、御目当てのものは?」
「ええ、勿論。今回も大量です」
下衆な笑みを浮かべ安曇ははち切れんばかりに膨れ上がったキャリーバッグを指さした。
「そうですかぁ! それは良かった」
「いやあ、本当に助かりましたよ。しかしまさかあの大手サークル夕雲亭の有名絵師オークラ氏と会えるとは」
「いやいや、こちらこそ。いきなり悪魔……げふんげふん。大淀氏から連絡があった時はついに取り締まられると思っていましたが、まさかむこうからこれだけの人材を斡旋してくれるとは思いもしませんでしたよ」
「やはり持つべきものは人脈ですね」
「ええ、良ければ今後ともよろしくお付き合いしたいものですな~!」
どこぞの悪徳代官と商人の密談のような、芝居がかった安曇とオークラのやり取りは、本人たちのいで立ちも相まってなおのことキナ臭い。
レーベは少し前から気になっていたことを口にした。
「今日はビスマルクの姿が見えないわね」
「あいつは留守番だ。今回は居ても邪魔なだけだし」
「提督、結構そういうところ容赦無いよね……」
「あいつはこういう場所、人一倍嫌いそうだしな」
「そうかな。むしろこういうお祭りイベントには参加したがるとおもうけどなあ」
「それよりも提督、さっきから気になって仕方ないのだけれどこの本は一体なんなの?」
マックスは机に積まれた薄い冊子を指さした。
「それは同人誌といってだな。読んで字のごとく同じ嗜好を持った人たちが自費で出す本のようなもんだ」
「えっ、それって」
レーベとマックスは神絵師ことオークラ氏を見やった。
「うんうん。レーベちゃんもマックスちゃんも日本じゃとても人気なんだよ」
「まぁ確かに二人とも外人だから日本人ウケはいいわな。肌も白い可愛いし」
「か、可愛いってそんな……」
然もありなんとばかりにそう言い放つ三十二歳独身の男の言葉を真に受け、頬を林檎のように染め分かり易く嬉しそうに照れるレーベ。年端もいかない少女が軍属にあるという特殊な環境故なのか、外見を褒められる経験が無かったのだろう。
「あとその制服も人気ありますよね。特に一部の層からの支持は熱い」
「一部の層って?」
「やめとけ。聞いたら多分後悔するぞ」
妙に重みのある安曇の忠告にレーベは喉を鳴らして小さくうなずいた。
「それでオークラ。私たちはいつまでこの作業続ければいいの?」
「うーん、そうですねぇ。列も無くなって新刊も大分捌けてきたし、午後もしばらく続くから、二人とも一度休憩してくれていいですよ」
「お前ら飯もまだだったろ? ここのホールを出たロビーに食堂があるからそこで何から適当に食ってこい」
安曇は財布から五千円札を抜き出すと二人に渡した。
「ありがとう提督」
「あと飯食う前にちゃんと私服に着替えるんだぞ? 一応それ借り物なんだからな」
「そもそも気になっていたのだけれど、どうして私たちが普段着ている戦闘服じゃダメなの? ほとんど大差無いと思うのだけれど」
「当たり前だろ。営利目的で公務員の支給品を無断で使用するのは禁止されている」
レーベはここに来るまでのホール内の様子を思い出しながら視線を宙に泳がせ問う。
「でも奥のブースでは自衛隊が広報活動していたよね。本物の制服だったよ」
「あれは公務の一環だ。広報部が申請して防衛省が許可を出したから公然と活動できている。だが俺たちは今あくまで公務ではなく個人として参加している」
「ねえ、提督。思ったんだけど僕たちって今結構危ないことしてるんじゃない? これってもしかしてかなりグレーゾーンなんじゃ……」
「さ、さあーなんのことかな⁉ いいからお前らはさっさと休憩して来い! 午後も忙しくなるしな!」
「え、でも……」
「いいからはよ行って来い!」
何かを必死に誤魔化そうとする安曇の強引な後押しにより、二人は不承不承にスペースを後にした。
「ふう、危ない危ない」
首に巻いたタオルで額の汗を拭きながら安曇はため息を漏らした。
「アズミ氏も大変ですなぁ」
オークラは注文を受けたイラストを仕上げる為、スケッチブックに鉛筆を走らせながら笑った。
「お互いさまですよ。あなたもうちの監察艦殿には色々と弱みを握られているみたいですし」
「ははは……ホントにねえ。一体どこから私が隠れて同人活動をして儲けていることを嗅ぎ付けたのやら」
そう言って重いため息を漏らすオークラ。どうやら大淀の情報網は相当広いらしい。裏で海保を牛耳っている噂はあながち間違っていないのかもしれない。
「そういえば、オークラ氏は一体大淀さんとはどういったご関係で? 艦娘と知り合いの一般人なんてそうそう居ないと思うんですが……」
「いやあ、なんといいますか。職業柄、あの人とは昔に色々と関わることもありましたから」
「といいますと、艤装の整備士ですか? そんな風には見えませんけど」
「そんなんじゃないですよ。もっとこう、身近でこき使われると言いますか……」
自分の話になると急に歯切れの悪くなるオークラは誤魔化すように目を背けると、背後に積まれた段ボールにある残りの同人誌の在庫を確認した。
「それよりもまだまだこれからですよアズミ氏。お昼時でお客も減りましたが気合い入れていきましょう!」
「そうですね。午後も売り上げ伸ばして目標の金額に——」
その時、会場内に聞きなれた、今最も聞きたくない女の声が響いた。
「やっと見つけたわよ!」
周囲の目も憚らないその不遜な声の主は不満げに安曇達のブースの前に立っていた。
「ビスマルク⁉ お前なんでここにいるんだよ!」
白いワンピースに身を包み、湿った空気の中涼やかな面持ちに不満を蓄えビスマルクは安曇を睨み付けた。大声もそうだが、コスプレでない本物の外国人である彼女の容姿に加え冷凛で美しい顔立ちは、奇天烈な格好をしている連中が多い中にあっても充分に異彩を放っていた。
ビスマルクは安曇達のブースに詰め寄ると、より不満を顔に露わにした。
「ズルいわよ! 折角のフェスタに私だけ置いていくなんて!」
「馬鹿、来るなって言ったろ! 大体外出許可は!」
「オオヨドが出してくれたのよ!」
「あんのクソ軽巡! 今度会ったらメガネに穴開けてやる!」
庁舎でほくそ笑んでいるであろう忌々しい軽巡の悪辣な笑顔を思い浮かべ、安曇は忌々し気に顔を歪めた。
「私だけ仲間はずれなんて嫌よ!」
「お前がいると商売、っじゃなくてサークル活動の邪魔だ。さっさと帰れ」
しっし、と手を振り追い払おうとする安曇。
「アズミの意地悪……何よ! せっかく私も手伝いに来たのに」
そんな安曇のあまりに無下な態度がショックだったのか、ビスマルクは年甲斐もなく涙目になるとむくれ始めた。こんな顔をされれば流石に安曇も良心が痛む。
などということはない。こんなことは日常茶飯事であり、加えれば、いい歳した女が子供みたいに駄々をこねる様にむしろ呆れと苛立ちが沸き上がる。
衆目のある中で面倒ごとは御免だ。しかしここで鬼にならねば全ての計画は水泡に帰してしまう。
「だからお前がいたんじゃ活動の邪魔に——」
「可愛い!」
突然オークラが前へと飛び出すとビスマルクの両手を掴み目を輝かせた。
「へ?」
「お姉さんとても可愛いですね! 外人の方?」
「え、ええ。そうだけど」
可愛いと言われて少し嬉しいのか、満更でもなさそうに肯定した。
「アズミさんと知り合いってことは、もしかしてガールフレンド?」
「が⁉ がががががががガールフレンド⁉ そんなわけないじゃない! 誰がこんな男と!」
オークラの予想だにしない問いにビスマルクは顔を真っ赤にしながら大声で全力否定をした。
「そんな露骨に否定せんでもええやん……おじさんショックだよ」
「なんだぁ、違うのか」
残念がるオークラに安曇がとりあえず紹介も兼ねてフォローを入れる。
「あー、あれですよ。会社の部下みたいなもんです」
「ああ、なるほどね。でもとってもいい! レーベちゃんとマックスちゃんは休憩に入ってるし、せっかくだからあなたも売り子してみませんか?」
「いいの? やったー!」
両手を挙げて喜ぶビスマルクに安曇は蒼い顔をしてオークラに問う。
「え、ちょっ、オークラさん、いいんですか?」
「こういうのは面白い方がいいんですよ。じゃあビスマルクさんはこれに着替えて売り子をしてください」
オークラはビスマルクにレーベやマックスが着る予備のコスプレ衣装を渡すと、更衣室へと向かった。
十分後。更衣室から戻ってきたビスマルクに、安曇とオークラは喉を鳴らす。
「な、なんかヤバくないですかこれ?」
「ええ……ヤバいわ。言葉にできないけど、なんだかいかがわしさが倍増した気がするわぁ」
本来小柄なレーベやマックス達に向けて作られたその衣装は、当然体格も身長も違うビスマルクには小さく、胸部は強調され太もももぎりぎりまではみ出しており、屈めば下着も丸出しになりかねなかった。
これには流石のビスマルクも内腿をもじもじと擦らせながら羞恥に頬を染める。
「ア、アズミ? なんだかこれ小さくないかしら? それにスカートが短くて足がスースーするのだけれど……」
「お前いつも似たような服着てるだろ」
「そ、それとこれとは違うわよ! それに胸だってキツイし……」
そういいながらスカートや胸を抑えるが、それによりさらに尻や胸部が強調されてしまい、いかがわしさが倍増した。
ビスマルクの格好の是非を問おうとすると、再び列が増え始めスペース内は慌ただしくなり、結局なし崩し的にビスマルクは駆逐艦のコスプレをして売り子を務めることとなった。
「本当にこれでいいのか……」
コスプレというよりはイメクラの趣が強い気もする。
「いいじゃないですか。本人も楽しそうですし。それにほら」
オークラが指さす先には既に長蛇の列が出来ている。
「いつの間に」
「みんな彼女目当てですよ。ここじゃ写真撮影会は出来ないので一目見ようと並んでいますね」
やはり外国人がコスプレして売り子をしているということが物珍しいのかもしれないが、加えるならブロンドの美女がむちむちのエロい恰好で少し恥ずかしそうにしながらも、健気に売り子を頑張っているというギャップが受けたらしい。
時折握手や写真を求められてはぎこちなくそれに対応していった。
「最初は恥ずかしがっていたくせに、意外とノリノリだな」
「あら、結構楽しいわよ。アズミも何か仮装してみたらどう?」
「そういうのはあんまり好きじゃない。それにしてもレーベとマックスは何をしているんだ。もう一時間は経ってるぞ」
腕時計の針を確認しながら安曇はぼやいた。
ここ東京ビッグサイトの敷地は非常に広大である。一つのホールだけでもその広さはサッカーコートよりも広い。加えてこれだけ人が居たのでは迷子になってもおかしくはない。
仕方なく安曇はスペースを任せると二人を探しにホールを出て行った。しかし二人はレストランや休憩場、更衣室を探しても見つからない。
「あいつら、仕事サボってどこに行きやがったんだ……」
そんなことをぼやきながら屋内の湿気に息苦しさを覚えた安曇は、一旦外の空気を吸うため屋外スペースへと足を運んだ。屋外にも人は多く、奇抜な格好をした人間がちらほらと伺える。どうやらここはコスプレの撮影スペースらしい。
ふと、遠くから野太い歓声が聞こえた。何事かと思い、己の用事も忘れ安曇は人混みをかき分けながら、むさい歓声が響く場所へと足を運ぶ。
「この豚! そんな汚い顔で私のレーベを撮ろうとするんじゃないわよ!」
「ブヒィ! ありがとうございます!」
そこではマックスがカメラを持つ一般人を罵倒しながら、その顔を足で踏みつける阿鼻叫喚の地獄絵図が広がっていた。
「何してんだお前らあああああ!」
これには流石の安曇も顔を蒼くして二人の元へと駆けつける。
「あ、提督!」
何やら困り顔のレーベはようやく助け舟が来たと言わんばかりに表情を崩し安曇を呼んだ。
とりあえず安曇はレーベとマックスの腕を掴むと即座にその場から退散。会場の係員に見つからないことを祈りながら、人影の少ない屋外の休憩スペースへと二人を連れて行った。
「これは一体どういうことだ、説明しろ!」
二人を地べたに正座させ説教モードに入る。流石に不味いことをした自覚はあるのか、レーベは分かり易く落ち込み、マックスも太々しくはあるが若干バツの悪そうな顔で説教する安曇を見上げた。
「あの変態共は無断で私たちを撮影しようとしたのよ」
「そりゃ確かにいけないな」
「止めろと言っても聞かなかったのよ。だから踏みつけてやったわ」
「なんでそうなるの⁉」
飛躍した話に理解が追い付かず頭を抱える安曇。するとレーベが恐る恐る手を挙げた。
「違うんだ提督、誤解だよ。僕たち頼まれてやっていたんだ」
「頼まれて?」
それからレーベの説明が始まった。レーベの話を纏めるとこうだ。
最初道に迷い誤ってこのコスプレブースに来た二人は、レイヤーと勘違いされ写真を撮られる。そのすぐ後にマックスが抗議したことにより誤解は解けたが、折角なので撮らせて欲しいと改めて頼まれ、有料で写真撮影を許可した。
「じゃああの顔面踏みつけと罵倒は何だ」
「あれは向こうの人達に頼まれたんだ。オプション追加料金で」
「金取ったのかよ」
「そうなるわね」
抜け目のない娘達である。
「だとしてもあんなことしていいわけがないだろ。そもそも許可の無い人間が勝手にコスプレブースで撮影することは禁止されている。もう二度と馬鹿な真似はするんじゃないぞ。迷ったのならちゃんと連絡しろ」
流石に反省したのか、二人は頭を下げると安曇に謝罪した。
すると急に安曇は二人の前にしゃがみ込み顔を近づけた。
「因みになんですが、お二人はどのくらいお布施を頂いたんですかね?」
「ああ、それならこれくらいだよ。僕まだ日本円の価値がよく分からなくて……」
そういいながらレーベが渡してきたポーチの中にははち切れんばかりに紙幣が詰められていた。
「うそやん」
♢
その後、ビスマルクのコスプレに衣装の胸囲が耐え兼ね破けるというアクシデントもあったが、イベント終了の定刻までには無事に完売することに成功した。
四時になり無事即売会が終了すると、片付けを終え一行はビッグサイトを後にした。
「今日は一日ありがとうございました。いやー、人手が無くて困っていたんで助かりましたわ~」
昼間雨の降りそうな曇天だった空もすっかり晴れ渡り、赤光の西日が差し込む東京ビッグサイトを背に安曇とオークラは握手を交わす。
「こちらこそ今日は色々とありがとうございました」
オークラと安曇は互いに連絡先を交換した。
「報酬は大淀氏経由で口座に振り込ませていただきますので」
「本当に何から何まですみません。今日は色々とご迷惑をおかけしまして」
「いやぁ、中々面白かったですよ。レーベさんもマックスさんも、ビスマルクさんもありがとうございました。それじゃあまた機会があれば!」
オークラはそう言い残すとキャリーケースを引きながら駅へと向かっていった。この後打ち上げでもしないかと誘ったが、どうやら彼女は明日から仕事があるらしく忙しいとのことらしい。
「オークラ氏も大変なんだなぁ」
しみじみと安曇が呟いていると、レーベが問うた。
「ねえ、提督。オークラさんって何の仕事をしているんだろう。見た目は僕とあまり変わらなさそうな年齢に見えたけど」
「さあな。ただ大淀さんとは知り合いだったみたいだから、もしかするとこっち側の人間かもな」
「それってまさか艦娘ってこと?」
「まさか。精々防衛省の関係者ってところだろ。同人誌を書く艦娘なんて聞いたことないしな」
「あはは、そうだよね」
オークラを見送った後、四人はゆっくりと歩き出しゆりかもめ東京臨海線の走る駅へと向かった。その道中どうしても一つだけ疑問の残ったビスマルクは安曇に訊ねた。
「それで、結局アズミは何を売っていたの?」
「ビスマルクお前、知らずに売っていたのか?」
呆れたように返答する安曇にビスマルクは口を小さく尖らせた。
「仕方ないじゃない。中なんて読む暇なかったもの」
「僕も気になるなぁ」
「私もよ」
レーベとマックスも納得いかない部分があったらしく強い抗議をするが、安曇はそれをあしらった。
「お前らなあ、最初に言っただろ。中身は絶対に見るなって」
「えー、でも気になるよ。だって僕たちが絵になっているんだよ? どんな内容なのか知る権利くらいはあるんじゃないかな」
「諦めろ。どのみち本は全部売り切れたんだ」
「そういえば、アズミ。あなた最後にオークラと別れる前に一冊彼女から貰っていなかった?」
「な⁉ なんのことかな⁉」
ビスマルクの指摘に露骨に目を泳がせる安曇。ビスマルクは目を細めると訝しむ様に安曇の身体を押さえつけ、ショルダーバッグのファスナーをこじ開けた。
その隙を逃さないようにマックスが安曇のショルダーバッグに手を突っ込むと、中から一冊の同人誌《僕っ子レーベはしゃぶりたい》が姿を現す。
「あっ、ちょ、それは!」
安曇が蒼い顔になり同人誌を取り返そうとするが、ビスマルクに顔を押さえつけられ動けない。その隙にマックスとレーベ、ビスマルクの三人は薄い冊子の固い表紙を捲った。
「さてさて、どんな内容なのかしら」
三者三様好奇心に目を輝かせながらページを捲った。
その本の内容は端的に言えば春画本だった。つまりはエロ本。それもかなりニッチなもので、ナニの生えたレーベとマックスが脂ぎったおっさんに刺されたり無理やりしゃぶらされたりといった凌辱モノだった。
瞬間、三人の時間が止まった。そしてビスマルクは顔を真っ赤に、マックスは青ざめ、レーベは立ったまま一瞬気絶した。
安曇は察知した。この後自分がどんな運命を辿るのか。そしてそれを回避するには何をするのが最善であるのかを。音を立てずこちらの気配を悟られないよう静かに彼女たちから距離を置き、脱兎の如く一気に駆ける。
しかし現実は非情である。そんな安曇の逃避行は虚しく叶わず、逃げようとした肩を、ビスマルクの手により肉を捥がんばかりの握力で掴まれた。
「——アズミ、どこに行くの?」
「ちょ、ちょっとトイレに……」
恐る恐る振り向くと、ビスマルクは爽やかな笑顔で答えた。
「あら、奇遇ね。私たちも丁度トイレに行こうと思っていたところよ。——不浄なゴミを流しに、ね」
「違う、誤解だ! これは誤解だ!」
「どこが誤解なのよ。やっぱり変態は海に沈めるしかないようね」
ビスマルクの手を振りほどき逃げようとする安曇の腕をマックスが押さえつけた。
「待ってくれ。話だけでも聞いてほしい。これは止むに止まれぬ事情というか、如何ともしがたい話で——いでででで!」
しつこく言い訳を繰り返し、ビスマルクとマックスから逃れよと体を動かしていた安曇はついに地面へと組み伏せられた。もはや言い訳など通じない。ならばせめて可能な限りの刑減を図ろうと、安曇は顔を上げ目の前に立つレーベに悲壮な眼差しで訴えた。
「なあ、レーベ。お前なら分かってくれるだろう?」
沈黙。レーベは無表情で安曇を見下ろした。そして安曇の顔の高さまでしゃがみ込むと、小さく微笑む。
「そういえばアリアケってすぐ近くに海があるよね」
「れ、レーベ? 急に何を——」
「今日は提督の進水式だよっ☆」
「レーベ止めて! 俺は艦娘じゃないから! ただの入水式だから!」
同人即売会。それは幾多の熱い魂が集い、そして互いにぶつかり合う正に聖戦。多くの魂が散り行く聖戦で今日もまた、一つの魂が麗しき乙女たちの鉄拳により天へと召されていった。