ビスマルクはダメマルク⁉   作:少佐5909

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第六話:異邦の少女は何処吹く風か

 横浜。海上保安庁第三管区本部庁舎正面玄関の前に一人の少女が立っていた。海風にたなびく赤味を帯びたブロンドの髪を二つに括り肩に下げ、黒のプリーツスカートに上着は黒地に革製の意匠が込められた、どこか軍服を思わせるデザイン。快活それでいて意思の強さを思わせる大きな目を真っすぐに、小さく張りのある桜色の唇をきゅっと絞めながら、庁舎を見上げた。

 

 少女は周囲から浮いていた。それは当然ここが日本であり、彼女が異国の地の者であり一般人とは毛色の異なる服を着ていることも十分な要素だが、何より彼女の異彩を際立たせていたのは、彼女が背負っている唐草模様の風呂敷袋だろう。

 

 今日日街中で見ることも早々ない、昭和の漫画の一コマにありそうなアイテム唐草模様の風呂敷袋は大きく膨れあがり、少女はふらふらとバランスを取り辛そうにしながら、被った無骨な軍帽の隙間から庁舎を睨んだ。

 

「待っていてください。ビスマルク姉さま。必ずお助けします!」

 

 少女は誰に宣言するでもなく自然に自分の内なる思いを、親愛なる義姉への好意を口にした。

 

「ママー、あのお姉ちゃん変だよ。誰に向かってしゃべってるの?」

 

「こら! 見ちゃいけません!」

 

 

 

「お、お助けします……」

 

 異国の風はどこか冷たく肌に差し込んだ。

 

 

 

 ♢

 

 

 

 東京都某所。防衛装備庁艦艇装備研究所艤装技術研究局。その地下にビスマルクと安曇は居た。

 

 この施設はその名のとおり艦娘の艤装に関する研究・開発を行う官営研究施設の一つであり、艦娘であれば誰しもが一度は足を運ぶ場所である。それは海外艦であるビスマルクも例外ではない。

 

 深海棲艦との戦争時に新たに施行された艦娘に関する特例法の設置に当たり、特定通常兵器使用禁止制限条約付属議定書六内において、国の管轄する艤装及び艦娘は国際法に順じた当事国の管理下に委任されると記されている。

 

 ビスマルクは所属こそドイツ連邦海軍であるが、現在は日本国の管轄下に置かれた日本の艦という扱いである為、他の日本艦娘と同様に日本の防衛装備庁の技術協力の下活動を行っていた。

 

 ビスマルクはカプセル装置の中で横になり目を閉じている。背に取り付けられた艤装と肉体を繋げるための拡張端子には、現在艤装の代わりに幾本ものコードやチューブが取り付けられ、それらはカプセルの外にある無骨な筐体の電子演算機器に繋がっていた。その横には同じくコードに繋がれたビスマルクの艤装があり、時折砲塔が旋回したりどこかへ狙いを定めるように砲身が同じ仰角で持ち上がったりしている。

 

 カプセルや電子演算機器の置かれた薄暗い部屋を隔てるようにガラス張の大窓が設置された空間。数人の技術者が作業するその傍らを海上保安庁二等海上保安正の安曇恭弥がのぞき込みながら問うた。

 

「どうですか、調子は。と言っても、素人の俺にゃあ何がなんだかさっぱり分からないんですがね」

 

「神経系の経絡は問題ありません。拡張空間の構成率に関しても規定値の範囲内です」

 

 顔を寄せる安曇に振り返りもせず、技術者の男は淡々と答弁した。

 

「ああ、そう」

 

 技術者のにべもない返事に安曇は若干気まずそうな顔をする。

 

 どうにもここの連中というのはどこか機械染みた感じがしてやり辛い。ただでさえ防衛省と聞くといい気分にはならない安曇にとって、この空間はあまり好ましいものとは言えなかった。

 

 適当に理由をつけて休憩所で煙草でも吹かそうなどと考えていたその時、ガラス張りの部屋もといコントロールルームに翡翠色の変わった制服の上に白衣を羽織った銀髪で小柄な若い女性が入ってきた。

 

「遅くなりましたー、すみません今所長は緊急案件で市ヶ谷の方に出向いていまして、私が定期メンテナンスの代理をすることになったかも、っじゃなくて、なりました」

 

 場違いな容姿と明るい声に安曇は思わずぎょっとその女性を凝視する。背は安曇よりもずっと低く、おそらくレーベ達駆逐艦娘よりも一回り大きい背丈と年齢。どこからどう見ても少女と言わざるを得ない。

 

「あの、どちらさま?」

 

「ああ、申し遅れました。私ここで技術顧問兼副所長代理を務めている飛行艇母艦の秋津洲かも」

 

「飛行艇母艦って、もしかして艦娘?」

 

「そうかも!」

 

 白銀の長いサイドテールを可愛らしく揺らしながら、胸を張りどこか自慢げに秋津洲は元気よく答えた。妙な語尾だ。

 

「どうしてこんなところに艦娘が」

 

「艦娘が陸にいたらおかしい?」

 

「おかしいなんてことはないんだけど、こういうのって普通は官僚の役職だと思っていたから」

 

「もちろんうちの所長は艦娘じゃない一般人かも。ただこういう場所って技術的な問題も含めて話の分かる艦娘も一人は居たほうがいいから。それに私、海じゃあまり仕事もないし他にすることないんだよね……」

 

 秋津洲は恥ずかしそうに笑った。

 

「理屈はわかるけど、君——」

 

「秋津洲!」

 

 大声で安曇の話を遮った。

 

「私のことは秋津洲って呼んでほしいかも!」

 

 秋津洲は屈託のない笑みで答えた。

 

「じゃあ秋津洲は今自分のことを飛行艇母艦と言ったが、この手の仕事はもっと専門知識に飛んだ艦娘もいるんじゃないのか?」

 

「たしかにそうかも。本当ならここには私じゃなくって工作艦の明石さんがいるべきなんだろうけど、あの人この間急に呉の方に移動になっちゃって、それで明石さんのお手伝いをしていた私がここで仕事を引き継ぐことになったの」

 

「そういうことか」

 

「ところであなたは?」

 

「そういえばまだ名乗っていなかったね。海上保安庁二等海上保安正の安曇恭弥だ。よろしく」

 

 そういって安曇が右手を差し出すと秋津洲は目を輝かせ、両手で手を取り勢いよく上下に振った。

 

「こちらこそよろしくかも!」

 

 なんでこんなにうれしそうなんだ。安曇は苦笑いしながら秋津洲の歓迎に応えた。

 

 まだもうしばらくメンテナンスには時間がかかるとのことらしく、気を利かせた秋津洲がコントロールルームの空いた席を確保し、そこにコーヒーポットと二人分のマグカップを持ってきた。

 

「はい、これ提督のぶん」

 

 そういって秋津洲は湯気立つ明るい緑の水玉模様の入ったマグカップを安曇に渡した。きっと彼女の私物なのだろう。促されるように椅子に座り、秋津洲の制服にあしらわれた水玉模様を見ながらそんなことを考える。

 

「砂糖はいるかも?」

 

「ああ、貰うよ」

 

 安曇は秋津洲が一緒に持ってきたスティックシュガーの入った籠に手を突っ込むと八本ほど取り出しそれをすべてコーヒーにぶち込んだ。

 

「うわぁ……提督、砂糖入れ過ぎかも」

 

 眉を潜める秋津洲に安曇は構わず、砂糖たっぷりのコーヒーを口に含んだ。

 

「コーヒーはこうじゃないと飲めない性分でな」

 

「提督、いつか糖尿病になるよ?」

 

「そ、その話はよしてくれ……」

 

 その後適当な話をしばらく秋津洲と続けた。提督になった経緯や今の第七のことなど。そのどれもを秋津洲は子供のように目を輝かせ聞き入った。

 

「へえ、じゃあやっぱりビスマルクさんって強いんだ」

 

「強いと言っても実際どの程度の強さかは俺にもよくわからん。なんたって今まで相手してきたのはどれも犯罪者、ただの人間だ。ただの人間を半殺しにしてもそれは強いと言えんだろ」

 

「そういうものなのかなあ~~」

 

 座高の高い椅子に座りながら地につかない足をぱたぱたと前後に振るその仕草は、より一層彼女の幼さが際立った。

 

「それにしても随分と好奇心旺盛みたいだけど、もしかして第七ってそんなに有名なの?」

 

 自身の預かり知らぬところでとんだ悪名が広がっているのではないのだろうかと戦々恐々に訊ねてみたが、秋津洲の返答は意外なものだった。

 

「うんん。知らないよ。提督とも今日初めてあったんだから当たり前かも」

 

「え? じゃあどうしてそんな興味深そうに」

 

「だってここに来る提督は提督が初めてかも」

 

「俺が、初めて?」

 

 秋津洲は小さくうなずいた。

 

「大抵は艦娘が一人で来るから、わざわざここまで付き添う提督なんて初めて見たかも」

 

「まあ、俺も色々と勝手が分からなかったかたとりあえず付き添っただけだけどな」

 

「だからどんな提督なんだろうなーって気になったかも。普段は私だってわざわざここには来ないかも。スタッフのみんなも今日はいつもよりよそよそしいよ。きっとみんな緊張しているのかも」

 

 安曇は驚いた。あれで緊張しているのかと。どう見ても部外者をシカトする身内びいきな連中にしか見えなかったが、ただ感情の出し方が下手なだけだったらしい。

 

 秋津洲は嬉しそうに安曇を見た。

 

「な、なにか?」

 

 思わず声が上ずってしまう。しかしそんな安曇を気にする様子もなく、秋津洲は首を小さく横に振った。

 

「うんん。ただ提督さんはきっといい人なんだろうなーって思ったかも」

 

「俺が?」

 

 生まれてこの方そんなことを言ってきたのは秋津洲が初めてだ。親にすらお前は将来ロクな大人にならないと太鼓判をおされていた程である。

 

 なによりも自分自身、いい人であるなどと思ったことも、そうであろうとしたこともないのだから。

 

 ——否、初めてではない。たった一人、秋津洲と同じことを口にした人間を知っている。後にも先にも安曇を評価したのは彼女だけである。しかしそれも全ては過去の話。もう二度とその言葉を聞くこともない。彼女はもう——

 

「提督?」

 

 秋津洲に呼ばれ安曇はようやく我に返った。

 

「どうした?」

 

「大丈夫? 顔色、悪いかも」

 

 心配そうに、何かに怯えるように見つめる秋津洲。余程怖い顔をしていたのだろう。極力いつもの間抜けた表情を保つように努めて応えた。

 

「ああ、大丈夫だよ。心配かけて悪かったね」

 

 丁度その時、技術スタッフの一人が秋津洲の元に訪れ耳打ちした。

 

「うん、わかったかも。ありがとうね」

 

 秋津洲がにへらと笑顔で手を振ると、スタッフは若干嬉しそうな表情で一礼して戻っていった。

 

「どうかしたの?」

 

「今、ビスマルクさんの全メンテナンスが終わったかも」

 

 秋津洲と安曇はコントロールルームを出ると、メンテナンスを終えたビスマルクの元へ向かった。

 

「あら、アズミ」

 

 廊下の向こうからビスマルクが歩いてきた。安曇は小さく手を振ると、廊下にあった自販機で購入した缶コーヒーを彼女に差し出す。

 

「おう、お疲れさん」

 

「ありがと」

 

 ビスマルクは嬉しそうに缶を受け取った。

 

「それでメンテナンスの方はどうだった?」

 

「ええ、特に問題はなかったそうよ。これなら今度の演習も問題なく私の勝利ね!」

 

「あのなぁ……前にも言ったが、戦力を鑑みれば勝てる可能性は精々三割程度だ。お前の技能がどの程度かは知らんが油断はよしてくれ」

 

「あれ、提督知らなかったの? ビスマルクさん、操艦技能と単艦砲撃戦の成績はこっちでもトップかも」

 

「嘘ぉ⁉」

 

 秋津洲の言葉に安曇は思わず素っ頓狂な声を上げた。

 

「ほら、これ、さっきメンテナンスした時に一緒に受けた電脳模擬訓練のリザルト」

 

 そういって秋津洲は一枚の用紙を安曇に手渡した。そこに記されるパラメーターはどれも最高値を示すA+判定。総合得点も全国の艦娘の成績の中でトップクラスである。

 

「お前……何か細工したんじゃないだろうな。ハッキングとか」

 

「失礼ね! ちゃんと私の実力よ!」

 

 憤慨するビスマルクをよそに安曇は再びリザルトに目を落とす。

 

「オイオイ、マジかよ……」

 

「当然でしょ。私を誰だと思っているの? これで私の凄さが証明されたんだからもっと私を敬い崇め奉りなさい」

 

 ふふんと鼻を鳴らすビスマルク。そんな彼女をよそに安曇は口を震わせ呟いた。

 

「これだけの成績が出せるのにお前はどうしてああも役立たずなんだ……」

 

「ちょっと! それどういうことよ!」

 

「どうもこうもあるか! これでようやくお前の人間性に難があることが証明されたんだろーが!」

 

「ちっがうわよ! 私を使うあなたに問題があるんでしょう!」

 

「テメっ、自分の責任を棚に上げて俺の批判か! いい度胸だなコラ。テメーがどれだけ人の指示も聞かず勝手に行動して被害が出たか教えてやろうか!」

 

「何よ! 私のせいだって言いたいわけ? 信じられない。それが指揮官のセリフ? 大体あなたの指示だっていっつも適当じゃない! もう少しやる気と誠意を見せなさいよ!」

 

 二人の口論が過熱を帯び始め、秋津洲があわあわと慌てだす。

 

「ふ、二人とも落ち着くかも……今ここで言い争っても何も始まらないかも!」

 

 その時、秋津洲でも勿論安曇やビスマルクでもない、聞き慣れない女性の声が横やりを入れてきた。

 

「ええ、全く。全くもって彼女の言うとおりよ。無能集団」

 

 無能集団という言葉がよほど引っかかったのか、ビスマルクは口論を止め、その声の方を睨んだ。

 

「今、なんて言った?」

 

 視線の先、廊下の前方に二人の女がいた。一人は安曇と同じく海保の制服に身を包み、挑発的な目で睨み付け、金髪を後ろで結い上げた勝気そうな女。

 

 そしてもう一人は安曇よりも頭一つ背の高い長身で黒い長髪の女。こちらは海保の制服は着ていないが、頭部にアンテナのような鋼鉄のカチューシャを乗せ、へそ出しミニスカというなんとも刺激の強そうなファッションだが、その鋭い眼は大凡女性などという枠組みでは抑えられないほどに強い意志と闘志を宿していた。

 

「聞こえなかったの? 無能集団と言ったのよ。第三管区のお荷物部隊の第七係」

 

 金髪の女は再度挑発的な言葉でビスマルクを煽った。

 

「なん——ですって」

 

 その言葉にビスマルクは思わず足を出すが、すかさず安曇がビスマルクの二の腕を掴んだ。

 

「離しなさいアズミ」

 

「それはできない相談だ。感情任せに動くな。向こうの思うつぼだ」

 

「でも——!」

 

「いいから。ここは俺の仕事だ。俺に任せておけ」

 

 そう言って安曇はいつものへらへらしたやる気のない顔でビスマルクの前に出ると金髪の女と向き合った。

 

「これはこれは随分と酷い物言いですなぁ。何かお宅らに失礼なことでもしちゃいましたか?」

 

「——何か?」

 

 安曇の言葉に金髪の女はこめかみを小さく動かした。

 

「あなたたち第七の身勝手な行動で一体どれだけ多くの人間に迷惑が掛かっていると思っているの? まさかそれを知らなかったで済ますつもりじゃないでしょうね」

 

「第七——つまり第三管区対策室の関係者ってことですか」

 

「あら、私はまだ所属も名前も名乗っていないのだけれど。勝手な憶測で語らないでくれる? 不愉快よ」

 

「憶測も何も、海保の制服を着てこんな場所にいる時点で語っているようなもんじゃないですか」

 

「確証はないでしょ? もしかすると別の部署が別件で来たかもしれないじゃない」

 

 どこか嗜虐的な笑みをこぼす女に、安曇は呆れとも反抗ともとれる目で睨んだ。

 

「よく言いますよ……見せつけがましく隣にそんなの置いておいてしらばっくれるなんて。白々しいったらありゃしない」

 

「あら、こいつのこと、知ってるの?」

 

 ワザとらしいその返答に、安曇は金髪女の隣に立つ黒髪長身の女を見やった。

 

「知ってるも何も超が付くほどの有名人でしょ。戦艦長門。大戦期の英傑ビッグセッブンの一人にして、第三管区の花形、対策室第一係の総旗艦。そしてそんな彼女を従えるお宅は第三管区対策室第一係の指揮官、宗谷崎臣子。確か海保の創設した特殊生物対策部隊指揮官養成学校の初の提督、だったっけ」

 

「あら、わざわざ私の紹介までどうも」

 

「別に。ビスマルクに話を割られたら面倒だからついでに喋ったまでですよ」

 

「はっ、噂に聞いた通り、人の神経を逆なでする事に関しては海保一のようね。防衛省の狗の分際にしてはよく調べているじゃない」

 

「酷く嫌われているみたいですね。俺」

 

「さあ、あなたの自意識過剰じゃないの?」

 

「差し詰めやっかみの理由は防衛省出身ってところですか。別に所属はしていたけど出身じゃないんだよなあ。一度辞めてるし」

 

「似たようなものでしょ? 防衛省から逃げた卑怯者さん」

 

 安曇は押し黙りじっと宗谷崎を睨んだ。おそらく調べたのだろう。安曇の出自を。その薄汚れた経歴をわざわざほじくり返したのだろう。

 

 安曇の反応が楽しかったのか、新しい玩具を見つけ喜ぶ子供のように、宗谷崎は嬉しそうに言葉を続けた。

 

「あらあら、だんまり? それってつまり図星ってことよね? 正解を言われて言い返すことすらできないの? やっぱり噂は本当だったようねえ」

 

「まあ、わざわざ隠すようなことでもないですし」

 

 隠すようなことでもなく、時間を割いてまで語るようなことでもない。それくらい、安曇にとっては最早どうでもいい過去の話であった。

 

「へえ、開き直るの。流石は海自、いえ自衛隊一の卑怯者と言われた男、安曇恭一郎の息子なだけあるわね。あれだけの騒ぎを起こしておいてまだこんなところに居座るだなんて、厚顔無恥もいいところよ」

 

「別に、好きでここにいるわけじゃないので」

 

 適当に話を誤魔化そうとしたその時、隣のビスマルクが怒気を孕みながら宗谷崎を睨んだ。

 

「ちょっとあなた。何勝手にアズミを卑怯者呼ばわりしてくれてるのよ。事情は知らないけど、いきなり現れた分際で私の提督にケチをつけるなんていい度胸してるじゃない」

 

「あら、あなたは——」

 

 宗谷崎はわざとらしく驚いた顔を見せる。

 

「誰かと思えば、第七で一番の問題艦じゃない。まだ日本にいたのね。ごめんなさい。てっきりあまりの無能っぷりにとっくに本国へ送還されたものだとばかり思っていたから」

 

「な——に——」

 

 宗谷崎の煽りを真に受けたビスマルクは顔を赤くして彼女に殴り掛かろうと動くが、再び安曇に動きを抑えられる。

 

「離しなさいアズミ! これだけ言われておいて引き返したら沽券に関わる問題よ!」

 

「アホか! 今ここで暴れることの方がもっと問題だ!」

 

「あなたは悔しくないの⁉ 卑怯者呼ばわりなんてされてどうして何も言い返さないのよ!」

 

「それが拭い様のない事実だからよ」

 

 宗谷崎は続けた。

 

「この男の父親、艦長安曇恭一郎の敵前逃亡で戦時中どれだけの損害、戦死者が出たか。卑怯者の血を引くこの男も同様に卑怯な男だったらしいわよ。さしずめ、自衛隊を辞めた理由もその辺りが絡んでいるんでしょうけど」

 

「それがどうしたっていうのよ。第一、あなたこそアズミのこともろくに知らないくせにどうしてそこまでエラそうな物言いが出来るわけ? 確かにこの男はがめつくて下品で嫌らしくて口も悪くて足も臭くて私の淹れたコーヒーに大量の砂糖をぶち込む嫌な男だけど、少なくとも卑怯ではなかったわ。仕事にも私にもちゃんと向き合ってくれている」

 

 ビスマルクのその言葉に宗谷崎は意外といった風に眉を上げた。

 

「へえ、驚いた。あなた結構信頼されているのね」

 

 安曇は目を細めた。

 

「信頼? 嫌われているの間違いですよ。それで、俺たちに何の用ですか。わざわざこんなところにまで会いに来るんですから、余程重要な案件と伺いますが」

 

「ええ、重要な案件よ。あなたたち、近々佐世保の第五と演習を組むそうね」

 

「それが何か?」

 

「辞退しなさい」

 

「はぁ⁉ 何をふざけた——」

 

「ビスマルク!」

 

 突然の無茶な要望に激怒するビスマルクを安曇は睨み牽制した。

 

 邪魔をするな。そんな安曇の意思を感じ取ったのか、ビスマルクは下唇を噛みしめ引き下がった。

 

「辞退とは、また急な話ですね。それ、辞令ではないでしょう。強制力はないはずです。それに既に互いの了承は確認していますし、何よりこちらから依頼しておいて一方的に演習を反故にするなんて相手に失礼ですよ」

 

「それはあなたの都合でしょ。今私は個人としてではなく、第一係の代表、いえ第三管区全ての対策室の代表として言っているの。ただでさえ周りに迷惑ばかりかけて周囲から疎まれているあなた方第七の、これ以上の勝手な行動は看過できないの。よそに行って負ければ第三管区全体の名誉を傷つけ恥を晒すことになる。これ以上、面倒ごとを起こさないでくれる? 海外艦だかなんだか知らないけれど、あなたたちがいるととても迷惑なの。だから、ね? せめてお飾りはお飾りらしく、大人しくしていてくれないかしら。ねえ、無能な提督さん」

 

「いい加減にしなさい!」

 

 ビスマルクは我を忘れて宗谷崎に飛びかかった。いつもは涼やかで冷凛な目に怒りを蓄えながら、安曇を振り切り、ぎりりと拳を固くして忌々しい女の顔に向けて拳を振り上げる。

 

「アンタに——何が分かるって言うのよ!」

 

「馬鹿、ビスマルク止めろ!」

 

 慌てて静止させようとするが間に合わない。このままでは宗谷崎の顔に拳が打ち込まれ、重傷は免れない。そうなってしまえば、安曇ではなく誰よりもビスマルクが困ってしまう。最悪除隊され本国への送還も十分に考えられる。

 

 後先を考えない馬鹿だが、かつて彼女の語った想いはどこまでも真っすぐで紛れもない本物だった。あの日の晩に彼女が告げた言葉を裏切らせたくはなかった。が——

 

 このままでは間に合わない。拳は宗谷崎の鼻先まで伸びた。安曇の脳裏を最悪の事態がよぎった。

 

「馬鹿な奴だ」

 

 その時、それまで一切の沈黙を破らなかった長門が小さく呟いた。そしてビスマルクの拳を宗谷崎の鼻先寸前で受け止める。力を脇へと逸らし長門側へと引き込むと、バランスを崩し前のめりになったビスマルクの右腕を掴みながらしゃがみ込み、一気に前へと力を入れた。背負い投げである。

 

 ビスマルクの身体は軽々と持ち上がると一気に固い石の廊下に叩き付けられた。

 

 ビスマルクは呻きながら長門を睨む。

 

「何するのよ!」

 

「それはこちらの言葉だ。戦艦の力で人間を殴ればどうなるのか、少し考えれば分かることだ。そんなことも理解できないのか。お前たちドイツの艦は」

 

「なん、ですって!」

 

 ビスマルクは起き上がると長門に掴みかかろうとして、今度こそ安曇に抑えられた。

 

「いい加減にしろ! 長門さんの言うとおりだ。冷静になれダメマルク!」

 

 その言葉にようやく我に返ったビスマルクは肩を上下に荒い呼吸を整えると、ようやく自分の拳に酷く力が込められていることを自覚した。

 

「あれ、私……」

 

 ビスマルクの頬に一筋の涙が流れた。膝を付き地面に座り込む彼女を秋津洲が慌てて介抱する。

 

 宗谷崎はつまらなさそうにビスマルクを見るとため息をついた。

 

「興冷めね。もう少しで第七を潰せたのに。長門、どうして邪魔したの?」

 

「提督を守るのは艦娘である私の義務だ。私はただそれを遂行したに過ぎない」

 

 淡々と目も合わせずにそう述べる長門を宗谷崎は忌々し気に睨んだ。

 

「——ふん、相変わらずつまらない艦ね。まあいいわ。伝えるべきことは伝えた。どうするかは自分たちで決めなさい。安曇恭弥」

 

「どうするも何も、最初から変わっていませんよ。俺たちのやることは」

 

 安曇は相変わらずのやる気のないトーンでつらつらと述べた。

 

「……まあいいわ。どうせ第七のすることなんて誰も目にも留めないでしょうし」

 

 宗谷崎はそう言い残すと長門を促し踵を返し歩き始める。しかしそんな彼女の傲慢な足取りを安曇の一言が捉えた。

 

「それは負け惜しみですか?」

 

 安曇の言葉に背を向けた宗谷崎は、時間が止まったかのように立ち止まる。そしてゆっくりと顔だけ振り向くと、その表情は怒りに満ち歪んでいた。

 

「誰が……誰に……負けたって?」

 

 全身をわずかにだが小さく震わせ瞳孔を開く宗谷崎。大凡二十代の女性は孕む空気ではなかった。しかしそんな彼女の覇気に安曇は臆しないどころか、小馬鹿にしたような顔で鼻を鳴らすと得意げに口を開く。

 

「結局お宅は俺たちが演習に行くことを牽制出来なかった。失敗。つまりは負け。そして——俺たちの勝ちです。そうですよね、無能な提督殿?」

 

 安曇はこれでもかと言わんばかりの満面の嫌らしい笑みで宗谷崎を挑発した。

 

 宗谷崎は今にも殺しにかからんとばかりの眼光で安曇を睨む。

 

「……遠吠えだけは立派ね。負け犬風情が」

 

 それだけ言い残すと今度こそ宗谷崎はその場を後に歩き出した。

 

「何してるの長門! さっさと帰るわよ!」

 

 宗谷崎の怒鳴りに長門はため息をつくと安曇に目を合わせた。

 

「それでは、我々はこれで」

 

 小さく一礼すると長門も踵を返した。しかしその直前、長門はじっと地面に座り込むビスマルクを見つめていた。睨むわけでも憐憫でも慈愛でもない。ただそこにある物体を俯瞰するように、路傍の石を見るような目でビスマルクを見つめた。しかしそれも一瞬で、すぐさま背を向けると長い黒髪を揺らしながら宗谷崎の後を追い、その場を後にした。

 

 

 

 ♢

 

 

 

 秋津洲に心配されながらも、その後は問題もなく安曇とビスマルクは研究所を後にした。

 

 こちらへ来る際に乗ってきた安曇のレクサス。その助手席にビスマルクを乗せ、安曇は日の沈んだ首都高を走った。

 

 先日のように車内が狭いなどとは喚かず、軍帽を目深にかぶり頬杖をつきながら、安曇に顔を見せないように道路照明灯の赤い光が流れる夜の車窓を眺めた。

 

 安曇は何も言わなかった。言っても今の彼女には気休めにもならないことは百も承知だった。自身の欠点を正面から突き付けられては誰だって何も言えなくなるのは当然のことだ。だから何も言わない。

 

 すると不意にビスマルクが顔もむけずに口を開いた。

 

「ねえ、アズミ」

 

 安曇は答えない。それでもビスマルクは続けた。

 

「さっきはごめんなさい。私のせいであなたにまで迷惑がかかるところだったわ」

 

 ビスマルクは小さくため息をした。

 

「艦娘失格ね、私。あんな安い挑発に乗って自分を忘れて、その上最後は無様を晒して。こんなこと、とてもじゃないけど本国のプリンツには話せないわ」

 

 ビスマルクはちらりと安曇を見た。当然運転中である為真っすぐ前を見ており、こちらには一切の返事を寄越さない。

 

 自然、息が詰まった。胸が熱い。目頭に熱い何かが沸き上がるのを感じる。しかし不思議と心だけは酷く冷静で、まるで他人の心を覗き見るように冷めていた。

 

 ビスマルクは思う。分かっていた。心のどこかで期待をしていたその浅はかさに。知らず知らずに身勝手な依存を押し付けていたことに。改めて己に内在する甘さを直視して、強い嫌悪感を抱いた。

 

 皆まで言うな。結局誰が悪いのか。誰のせいでこんな事態に陥ったのか。そんなことは半年前、この国に来た時から既に分かり切っていた。ただそれを認めることが恐ろしかった。もし認めてしまえば、後戻りできないかもしれないから。

 

 胸の奥が焼け爛れるように熱い。喋ることが酷く怖かった。ただそれでも聞かずにはいられない。それ以外に自身の在り様を証明する方法が分からなかったから。

 

 ビスマルクは突き動かされるように、脳裏に浮かんだ本心をそのまま安曇に伝えよと、震える喉を必死に抑え言葉を紡ぐ。

 

「その……もし、もしよ? 本当に私のことが迷惑だったら、早くここを辞めて外務省に戻りたいんだったら、私の方から上に掛け合うわ。きっと私の言葉なら上の人たちも聞いてくれると思うの。だから……だから……」

 

 だから。その先がどうしても口に出せなかった。出せばきっと後戻りはできない。その言葉が金輪際、安曇との別れの言葉になってしまう。そんな気がした。それが堪らなく怖かった。そうなればもうきっと。

 

 再びビスマルクの目頭が熱くなった。今度は止めようとしても止まらない。

 

「おい、ビスマルク」

 

 突然それまで閉口していた安曇が口を開いた。予想外の反応にビスマルクは怯えたように声を震わす。

 

「ど、どうしたの」

 

「明日はレーベとマックスを執務室に呼んで来い。演習の対策練るぞ」

 

「アズミ? あなた何を言って……」

 

「言っとくが負けは絶対許さないからな。それだけ能力があるくせに負けたら俺の指揮が疑われかねない。ヘマしたら承知しねえぞ」

 

「じゃあ、それって……」

 

 目から熱い涙が流れていることも忘れ、ビスマルクは安曇を見た。安曇もビスマルクに目を向けるとにかりと歯を見せ笑う。

 

「あのクソ金髪を見返してやろうぜ」

 

「ええ……ええ! ええ! もちろんよ!」

 

 安堵。否定されなかったことへの安堵もあった。しかしそれ以上に心昂る何かがビスマルクの心に広がっていった。様々な感情がごちゃ混ぜになり、整理できない感情は涙となって外に溢れ出る。

 

「おいおい、いい歳して泣くんじゃないよ」

 

 苦笑する安曇にビスマルクは泣きながら答えた。

 

「誰のせいだと思ってるのよ~~ばかぁ~!」

 

 安曇はハンカチを取り出すとそれをビスマルクに渡した。ビスマルクはそれを受け取ると頬を伝う涙を拭き、落ち着きを取り戻すようにゆっくりと深呼吸を繰り返す。

 

「少しは落ち着いたか?」

 

 ようやく静かになったところを見計らって安曇がそう訊ねると、ビスマルクは小さくうなずいた。

 

「ええ、ありがとう」

 

 ビスマルクは目を擦ると再びいつもの彼女に戻り、大声で宣言した。

 

「あいつらに、私たちの力を見せてやりましょう!」

 

 

 

 ♢

 

 

 

 二人が庁舎に戻ったのは夜の九時を過ぎた頃。既に業務が終了し人の居ない庁舎内に明かりは無く、白い街灯が煌々とどこか寂し気に庁舎全体を照らしていた。

 

 安曇はレクサスを庁舎裏手の駐車場に回すと警備員の居ないゲートを越えて、閑散とした駐車場の一角に車を止める。サイドブレーキを上げてキーを抜いた時、安曇は何かを思い出したかのように「あ」と声を漏らした。

 

「どうしたの?」

 

「大事なことを忘れてた」

 

「大事なこと?」

 

「実は今日入庁許可証の発行申請するつもりだったんだが、総務に手続きするの忘れていた。今の時間じゃもう間に合わないなあ」

 

「忘れたものは仕方ないでしょ。明日また総務に行けばいいじゃない」

 

「それもそうだな。急を要することでもないし」

 

 二人は下車すると庁舎裏口へと向かい歩きだした。夜の湿った海風が二人の間を吹き抜ける。

 

 駐車場から庁舎へ抜ける裏手の一部。安曇達の歩く駐車場から十五メートル先、駐車場と庁舎敷地との間を仕切る背の高い石垣と、その上に植わった垣根に何かが見えた。

 

 街灯の白色灯に照らされた深い緑の垣根に浮き上がる白色の歪な円形は、時折もぞもぞと蠢きながら不気味な踊りを披露していた。

 

「なにあれ……」

 

 思わず声を漏らす安曇。二人は立ち止まり、警戒心を高めながらその蠢く白い物体を凝視した。

 

「人、じゃないわよね」

 

「じゃあ犬か?」

 

「まさか。あんなまるっこい犬が居るはずないでしょ」

 

 このままでは埒が明かない為、二人は恐る恐る白い物体に近づいた。徐々に距離を詰めるにつれ、不気味に蠢いていたその物体のシルエットもはっきりと浮かび上がってくる。

 

 時折跳ねるように蠢く白い物体。端的に言えば、それは尻だった。

 

「尻?」

 

「尻ね」

 

 白く見えたそれは女性ものの無地のパンツ。尻は上下左右前後ろに激しく動き、その下に伸びる足はバタバタと石垣部分を蹴り上げていた。

 

 どうやら石垣をよじ登り垣根に上半身を突っ込ませたものの、抜け出せなくなっていたらしい。スカートも垣根の中で引っかかっているため、スカートが捲りあがり大きな臀部とそれを覆う白い生地が丸見えになっていた。

 

「えっと……どうしましょうか、あれ」

 

 どうやら動揺しているのは安曇だけではなかったらしく、ビスマルクもあまりの間抜けな光景にどう対処すればいいのか分からないといった顔で隣の安曇に訊ねた。

 

「ほっとくわけにもいかんだろ。ここ、一般人は立ち入り禁止だし」

 

 とりあえずビスマルクを警備室へと走らせ、安曇は垣根の傍、突き出した尻の下まで歩いて行った。

 

「あのー、すみません。そんなところでなにやってるんですか」

 

 すると尻が驚いたようにびくりと跳ね上がり、言葉を発した。

 

「い、いえ! なんでもありません! 別に不審者とかじゃないですよ?」

 

「なるほど不審者か」

 

「話聞いてました⁉」

 

 憤慨する尻をよそに安曇は質問を重ねる。

 

「それで、こんなところでなにをしてるんですか?」

 

「えっと……その……そう! 迷子の猫を探していたんです。 この垣根の向こうに行ったと思うからここから入って探そうかなって」

 

「この施設は正面玄関以外関係者以外立ち入り禁止です。正面玄関以外の場所から無許可で侵入しようとすると、防犯センサーに引っかかり一分で警備員が飛んでくるので、猫一匹侵入は不可能ですよ」

 

「嵌められた⁉」

 

「自滅しただけだろ……」

 

 あまりの天然っぷりに思わず本音を漏らしてしまったが、これで一連の会話で直接的な危害がないことは概ね把握出来た。このままでは埒もあかないので、垣根から引きずり下ろしてビスマルクと警備員を待つことにしたい。

 

「とりあえずこのままじゃ会話もままならないので、一度降りてきてもらえませんか?」

 

「あー、実はその……」

 

 尻はバツの悪そうな様子でもぞもぞと腰を動かした。

 

 安曇の脳裏に嫌な予想が浮かぶ。この尻、否尻の主、もしや抜け出せないでいるのではないのだろうかと。

 

 内心小さく首を振った。それは流石にないだろう。そんな馬鹿げた話があるものか。無計画な強盗だってもう少し要領よく盗みを行うというのに。

 

「垣根を抜けようとしてたら制服が枝に引っかかっちゃって、抜け出せなくなったんです」

 

 呆れて言葉も出なかった。正真正銘のアホである。今日日そんな間抜けな話はニュースでも聞いたことがない。とはいえ、彼女の言葉に偽りはないらしく、足を石垣に押しては強引に身体を引き抜こうとするのだが、上半身の方で何かが引っかかっているようで中々抜け出せないでいた。

 

 尻は時折喘ぎながら力いっぱい石垣を蹴るがそれでも身体は抜け出せない。尻が上下に粗い呼吸をした。

 

「おねがいです……助けてください」

 

 自分の力だけではどうしようもできないと悟ったようで、尻は涙声で安曇に懇願した。

 

 最初遠目で尻を見た時内心緊張していた自分が憎い。安曇は苛立ちを覚えながらも、このまま放置するわけにもいかない為、尻の要望に応えることにした。

 

 安曇はポケットからスマホを取り出すとカメラ機能を起動し、真下から丸く張りのある尻と白いパンツを連写し始めた。

 

「な、なにしてるんですか!」

 

 おそらく羞恥と怒りに頬を染めているであろう尻の声に、安曇は連写を止めることなく答える。

 

「下手な動きをされたら困るんで、警備員がくるまでこの写真は保存させてもらいます。あ、もし少しでも不審な動きをみせたらその瞬間にこの写真をSNSで拡散するのでご容赦ください」

 

「鬼! 悪魔!」

 

 自分から突っ込んでおいて勝手な言い草である。

 

「安心してください。ちゃんと警備員に引き渡す前には全部消去しますから」

 

「当たり前です! 人のお尻を何だとおもってるんですか!」

 

 不法侵入者の尻以外になにがあるというのか。

 

 安曇はスマホをしまうと石垣から垂れ下がる足首を掴んだ。

 

「それじゃあ引っ張りますよ」

 

 合図とともに安曇は尻から伸びる足を引っ張るが、なるほど確かに動かない。重心を崩さないよう注意して引くが身体はびくともしなかった。

 

 最初腕の力だけで引っ張ろうとしたが、中々動かせず徐々に苛立ちが積もっていく。躍起になった安曇は持つ場所を足首から膝関節へと変更し、石垣を足で蹴り抑えながら後ろへ仰け反り全体重をつかって引っ張った。

 

 すると垣根の方で枝の折れる乾いた音が響き始め、身体も徐々に引っ張り出され始めた。

 

「あともう少しです!」

 

「ぐぎぎぎ……くっそお、力が入らない」

 

 歯を食いしばり力を注ぐが、如何せん石垣の高さもあってか上手く力をかけ辛く、顔を林檎のように赤くうっ血させながら一層力を込めた。

 

「頑張ってください。ファイトです!」

 

 腹立たしい尻の声援に応えるべく、安曇は最後の力を振り絞り全体重を腕の引く力に注いだ。

 

 そしてついに最後の引っかかりであった枝が折れたようで、ひときわ大きな折れる音が鳴ると、勢いよく尻から上の身体が垣根から飛び出した。

 

 尻の本体が垣根から飛び出すと、当然その本体を全体重をかけて引っ張っていた安曇も後ろへ勢いよく飛ぶ。安曇は仰向けにアスファルトの上に倒れこみ、固い石の地面に頭を打ち付け小さな呻きを漏らした。

 

 ひとまずこれでようやく重労働から解放された。安堵するように目を開き空を見上げようとすると、そこに広がっていたのは諸星輝く夜の空ではなく、視界一面の白い布地だった。

 

 そうだった。強引に引っ張ったのだから当然安曇同様、高い場所にいた尻も飛び出すに決まっている。

 

 そしてその落下予測地点は、もはや言うまでもあるまい。ここまでくれば予測というよりも予定である。

 

 ここまで僅か一秒。次の瞬間、アズミの顔面一杯に白い臀部がヒップドロップをかました。視界が明滅する。意識も若干遠のき気絶しそうになったが、どうにか持ちこたえた。

 

 今日はとんだ厄日だ。そんな愚痴を内心こぼしながら安曇は再び意識を明確に取り戻すと、まるで油断をさせないとばかりに次の問題が発生した。

 

 今度は落下した尻が鼻と口を押えたことにより息が出来ない。流石に安曇はすぐさま覆いかぶさる尻を押しのけると、ひとまず気道を確保し深呼吸した。

 

「ああもう、死ぬかと思った!」

 

 怒り交じりに誰に告げるでもなく愚痴をこぼした安曇は、地面に打ち付けた後頭部をさすりながら起き上がり、尻の全容を確認した。

 

「こ、これは……」

 

 尻の主に思わず生唾を飲み込む。

 

 尻の正体は異邦の少女だった。

 

 ビスマルクよりも若干赤味のあるブロンドを肩口でツーサイドに結っている。服装も一風変わったもので、丈の短いプリーツスカートに制服というよりは軍服の意匠が込められた黒とグレーの革製のジャケット、そして少女の頭部には若干無骨すぎる分厚い革製の軍帽が乗せられていた。

 

 そしてなにより浮いていたのが、今日日日本でも見ることの少ない唐草模様の風呂敷包み。肩から掛けたその風呂敷包みには所々垣根の枝が突き刺さっており、おそらくこれが抜け出せないでいた原因だろうと思われる。

 

 人目を憚り侵入するには目立ちすぎ、かといって一般人とは思えないその少女は存在からして異常の極みだった。

 

「あの、大丈夫?」

 

 安曇の下腹部に顔を乗せ倒れていた少女に声をかけた。

 

 少女は勢いよく起き上がると安曇に目を合わせる。二重で大きな目の中には愛嬌のあるまんまるとしたグリーンの瞳が踊っていた。

 

 目が特徴的であったが為に一瞬気後れしたが、幼さが抜けきれないながらも顔立ちは非常に端正で、目・鼻・口とバランスのとれたビスマルクとはまた違う、愛興味ある外国人らしい美少女だった。

 

「ん……ビスマルク?」

 

 改めて少女を見た。何故だろう。全くの別人であるにも関わらず、何故かこの少女を見ているとあのダメ戦艦の顔が思い浮かぶ。

 

 妙なもやもやが胸中に湧き眉を潜める安曇。そんな安曇の表情に負い目を抱いたのか、少女は大きな瞳を不安げに潤ませ問う。

 

「す、すみません。お怪我はありませんでしたか?」

 

「怪我は大したことないから平気だ。それよりもはやくどいてくれない? 流石にこうずっと乗ってられちゃ重い」

 

「ああ、ご、ごめんなさい!」

 

 少女は慌てて安曇の上から飛び降りると地面に正座した。

 

「それで、君あんなところでなにしてたの? 猫探し、ってわけじゃないよね?」

 

「実はその、私ある人を探しにこの国に来たんです。ですが昼間ここに来ても、許可の無い人間には面会させられないって、何度頼んでも断られて……ついには建物から追い出されたんです」

 

「それで職員の帰った時間を見計らってこっそり裏から侵入しようと?」

 

 少女はバツの悪そうな顔で小さく頷いた。

 

「ごめんなさい……迷惑をかけてしまって」

 

「それくらい別にいいけどさ。それよりも一体誰に会いに来たわけ? 少なくとも、ただ冷やかしに来たってわけじゃないだろう」

 

「はい。実は私——」

 

 その時後ろから安曇を呼ぶビスマルクの声がした。

 

「アズミー! 警備員連れて来たわよー」

 

 一人の警備員を従えこちらへ歩いてくるビスマルクに安曇も声を上げて返した」

 

「おう、こっちも今尻の本体を引っ張り出したところだ。さっさと警備員に引き渡して帰ろう」

 

 そう言って立ち上がろうとしたその時。突然少女は勢いよく立ち上がると迷いなき足取りで駆けながらビスマルクに突進し、歓喜の悲鳴をもらした。

 

「ビースーマールークねーえーさーまあああああああああ‼」

 

 ノンストップでビスマルクの元に駆け寄った少女はそのままの勢いでビスマルクに飛びつき歓喜のハグをした。

 

 これにはビスマルクも驚いたのか目を白黒させ戸惑う。

 

「え、っちょ、なに⁉」

 

「ビスマルク姉さま! やっとお会いできました!」

 

 頬を染め喜ぶ少女を見下ろし、ビスマルクは驚嘆に目を開いた。

 

「あ、あなたプリンツ⁉」

 

「はいビスマルク姉さま。親愛なる妹、プリンツ・オイゲンです! 六か月と十五日六時間九分ぶりの再会ですね!」

 

「それよりも、どうしてあなたがここに⁉ たしかあなたは本国勤務のはずだったでしょう」

 

「はい! ですがビスマルク姉さまのことを考えていると、いてもたってもいられなくなりつい来ちゃいました」

 

「来ちゃいましたってあなたねえ……、そんなことして本国が黙って見過ごすはずないでしょう。一体どんな手品を使ったの?」

 

「いえ、ちゃんと申請を出して艦隊司令部に許可を貰ってきました」

 

「どういうことなの?」

 

 状況が読み込めず困惑するビスマルク。隣にいた警備員も同様にどうすればいいのか分からないと言わんばかりに目を細め首をかしげていた。

 

「それについては俺が説明しよう」

 

 そう答えた安曇は地べたから立ち上がるとビスマルクのもとにやってきた。

 

「彼女、プリンツ・オイゲンは第七係に加わる新たなメンバーだ」

 

 沈黙。そしてすぐにビスマルクの悲鳴にも似た驚きの叫びが夜の駐車場内に響き渡った。

 

 

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