ビスマルクはダメマルク⁉   作:少佐5909

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第八話:佐世保の海狼

 五月中旬の朝。ついにその日がやってきた。

 

 東京から東海道新幹線を乗り継いで博多まで。そこから九州高速鉄道に揺らされること一時間弱。第七係は九州最西端の駅、佐世保に到着した。

 

「ん~~やっと着いたわね! ここが佐世保!」

 

 駅改札口を抜けて直ぐ、身体をエビ反りに伸ばし、ビスマルクは大きく深呼吸をした。そのビスマルクに続くようにレーベ・マックス・オイゲン・安曇も改札を抜け出す。

 

 レーベは欠伸を漏らし涙目になりながらマックスに話しかけた。

 

「流石にトウキョーからだと遠かったね」

 

「ええ、まったく。誰かさんが鉄道で行くなんて言い出さなければこんなことにはならなかったでしょうに」

 

 そう言いながらマックスは後ろで全員の荷物を持つ安曇に冷ややかな視線を送る。

 

「仕方ねえだろ……公務の方がギリギリまで入っててチケット取れなかったんだから」

 

 海上保安官の夏用第二種制服に袖を通した安曇は、その純白で張りのある制服とは反面的に目にクマを作り、衰弱した蒼い顔で欠伸を漏らしている。

 

「その……大丈夫なの、提督?」

 

 心配そうに尋ねるレーベに安曇は小さく手を振り大丈夫だと答えた。

 

「それよりも迎えはどうした? 話じゃ向こうの人間が駅まで迎えに来てくれるはずだったと思うが……」

 

 周囲を見渡すが、長期連休明けの平日ということも相まってか構内は閑散としており、用務員と思しき初老の男性が一人ベンチに腰掛け休憩しているだけだった。

 

「誰もいないね」

 

 丁度その時駅構内へ続く正面玄関の外から一人の少女が小走りにやってきた。少女はビスマルクたち第七の前で足を止めると息つく間もなく訊ねる。

 

「やあ、遅れてしまってごめんね。君たちが第三管区の第七係だよね?」

 

 訊ねてきたのはレーベやマックスたちと丁度同じ歳の頃合いに見える少女。長い黒髪を三つ編みに纏め背から流し、癖のある髪の毛は小動物の耳のように左右で反り返っている。白い肌に人当たりのよさそうな優しい顔の少女は申し訳なさそうに微笑んだ。

 

「あら、あなたは……艦娘?」

 

 ビスマルクの問いに少女は小さく頷いた。

 

「うん。僕は第七管区佐世保海上保安部、警備救難部環境防災課特殊生物災害対策室第五係の艦隊旗艦を務めている『時雨』だよ。今日は遠路はるばる佐世保までようこそ。ビスマルクさん」

 

「あら、私のことを知っているだなんて言い心掛けね」

 

「ビスマルクさんはこちらでも結構有名だから」

 

「やはりビスマルク姉様は何処へ行かれても有名人なんですね、流石です!」

 

「ふふふふ、それほどでもあるわよプリンツ!」

 

 相変わらずなビスマルクとオイゲンの反応に時雨は若干顔を引き攣らせて愛想笑いを浮かべるが、これ以上は下手な墓穴を掘ってはならないと悟ったのかすぐさま本題に移行した。

 

「それで、そちらの提督は?」

 

「俺だ。安曇恭弥。階級は二等海上保正。第三管区第七係の指揮官をしている。よろしく」

 

「こちらこそ、本日はよろしくお願いします提督」

 

 礼儀正しく首を垂れる時雨に安曇は思わず感嘆の吐息を漏らした。

 

「おお……めっちゃ普通だ」

 

「どうかしました?」

 

「いえなんでもないです。こっちの話なので」

 

 乾いた笑いで適当に誤魔化した。

 

「ではこれから第七係の皆さんを佐世保海上保安部の庁舎の方へ案内します。駅舎を出て直ぐの場所に車を待たせていますので、それに乗ってください」

 

 言われるがまま、ビスマルク達第七は駅前に止められていたステップワゴンに乗せられると、佐世保海上保安部のある庁舎へ向けて走り出した。

 

 

 

「早速で申し訳ないんだが、今回の演習は中止にしてもらいたい」

 

 第七管区保安部対策室第五係指揮官、播磨健二提督の言葉は冷淡かつはっきりとしていた。しかしそれゆえにビスマルクたち第七は困惑の色を隠せない。

 

「ちょ、それどういうことなのよ⁉ 私たちと演習するってそう約束したんじゃないの?」

 

 十分ほどの乗車の後、佐世保庁舎に入庁してすぐ執務室に通され、第一声で帰れと告げられ憤慨するビスマルクに対し、丸眼鏡で気配の薄そうな男、一等海上保安正の播磨提督は淡々と答える。

 

「事情が変わったんだ。三十分ほど前、佐世保湾外洋の航路にて大型貨物船の機関が停止した。原因はまだ不明だが、船上から火の手が上がっているとの報告も受けている。状況把握と人命救助、安全確保のため直ちにうちの第五係を派遣した」

 

「なるほど、どうりで庁舎内が妙に慌ただしかったわけですか」

 

 播磨は執務机の引き出しから眼鏡拭きを取り出しおもむろに眼鏡を磨き始めるが、その態度には微塵の謝罪も込められていない。

 

「本来であれば私たちもあなた方を歓迎したいところだが、状況が状況だ。佐世保は日本有数の大型軍港。一刻も早く航路の確保と原因究明をしなければならない」

 

「であればうちの人員も貸しましょうか? その方が早く事態も収拾できるかもしれない」

 

「いや、その心配には及ばないよ。こちらも人員自体は充分足りているんだ。ただ問題は船舶停止の原因究明にどれだけ時間がかかるのかというところだ。こればかりは我々対策室にはどうにもならない。原因が判明し、安全を確保できるまでの間は周辺海域の警備と航路規制に艦娘も割かれてしまう。だからすまないが今回の所は諦めて、また次の機会にしてもらえないだろうか」

 

「それにしても、延期(、、)ではなく中止(、、)ですか」

 

 含蓄ある安曇の言葉に播磨は眼鏡を拭く手をぴたりと止めると、その人畜無害を装う小さな目だけを持ち上げじっと安曇を見つめた。

 

「……それが、なんだというんだね?」

 

「いえ、とくに深い意味はありませんよ。ただここへ来る前、ある人物に演習を辞退するよう強要されましてね。無論そんなものは願い下げですので無視してやりましたが。ただ今になってなぜか急にそのことを思い出してしまったんですよ、ええ」

 

「なるほど、つまり君は私が誰かの意向に従って演習を反故にしたと?」

 

「自分はただ思い出したと言っただけですよ。そういう播磨提督こそ何か心当たりがおありのようですが?」

 

 播磨は目を細めた。嫌な餓鬼だ。そんな内心がこぼれたような顔をしている。

 

「いずれにせよ今回の演習が中止になることには変わりない。現状うちも出撃させる艦娘がいないのだし、なによりそんなことにかまけている時間などどこにもないんでね。話は以上だ。分かったのなら早くその扉を開けて横浜に帰って——」

 

 播磨が強引に話を切り上げよとしたその時、ビスマルクが一歩前に出た。

 

「なに勝手に話を終わらせようとしてくれてるのアナタ。話はまだ終わっていないでしょ?」

 

 ビスマルクは続ける。

 

「遠路はるばる私たちをこんな田舎にまで呼びつけておきながら謝罪の一つもないわけ? そんなにあの忌々しいクソ金髪のことが怖いのかしら? いい歳して年下の提督相手に言いなりになるなんて本当につまらない男ね」

 

「……君は確かドイツからやってきた研修の——」

 

「ビスマルク型ネームシップ一番艦のビスマルクよ。おそらく、いえ、間違いなくこの国のどの艦よりも強い戦艦だから覚えておきなさい! そしてこの強くて偉い私が演習したいって言ってるんだからさっさと演習の準備をしなさ——いだぁ⁉」

 

 仮にも上官に対してあまりにも失礼な発言を連発しまくるビスマルクに、安曇は顔を蒼くして思わず頭をはたいた。

 

「痛ったいわね、なにするのよアズミ!」

 

「それはこっちのセリフだダメマルク! 上官相手にさっきからなんちゅー口のききかたしてんだよ! 下手すりゃ俺の首が飛ぶんだぞ⁉」

 

「アズミだってさっきから嫌味連発していたじゃない。大して変わらないでしょ!」

 

「それでも言っていいことと悪いことくらい分別つけろ!」

 

「だってアイツさっきから私たちのこと邪険にしてくるんだもん!」

 

「だってじゃありません!」

 

「それに要は勝てばいいんだから過程なんて関係ないわよ」

 

「その心意気、流石ですビスマルク姉様!」

 

「そうでしょ? もっと褒めていいのよ!」

 

「お前らちょっと黙れえええ‼」

 

 

 

「……話は済んだのか?」

 

 毒気を抜かれアホを見るような目でビスマルクと安曇の問答を見ていた播磨はようやく口を挟むが、ビスマルクは「まだ終わっていないわよ! もう少し待ってなさい!」と再び安曇と痴話喧嘩を再開させる。

 

「なんなんだこいつらは……」

 

 あまりの頭の悪い連中に播磨はこめかみを抑え思わずため息を漏らす。

 

 すると今まで沈黙を貫いていた秘書艦を務める時雨が口を開いた。

 

「じゃあ僕が相手してあげようか?」

 

 その言葉にその場にいた安曇とビスマルク、そしてなにより直属の上官である播磨が最も驚いた表情で時雨を見た。

 

「それってもしかして、あなた一人が私たち第七の相手をするっていうこと?」

 

「うん、そうだよ。僕一人対第七の皆で演習すれば問題ないと思うんだけど」

 

「何馬鹿な事言ってるの。そんな演習成立するはずがないでしょう。数も戦力も差があり過ぎる。そんなフェアじゃない演習認められるはずがないわ。そうでしょうアズミ?」

 

「よろしくお願いしますミス時雨」

 

 安曇は時雨の手を取ると白い歯を見せ二枚目風に優しく微笑んだ。

 

 そんな安曇の態度にビスマルクは顔を苛立ちに歪ませると、こめかみに血管を浮かばせながらヘッドロックを仕掛ける。悲鳴をあげる安曇を無視してビスマルクは怒鳴りつけた。

 

「ア・ズ・ミ・ィ~~~~? あなたこの期に及んでなにふざけてるの? いい加減にしないとその汚い口を二度と聞けなくしてやるわよ」

 

「ばっかお前、超まじめだぞ! 冷静に考えろ、こいつは千載一遇のチャンスだ」

 

「チャンス?」

 

「俺たちの目的を忘れたのか? 第七の予算を増やす為にも、第三管区での待遇を良くする為にも、俺たちは今ここで絶対に勝たなきゃいけない。可能な限り負けるリスクを減らしたい現状、向こうの申し出は願ったりか叶ったりだろ」

 

「そ、それはそうだけど……でもこんなやり方、間違っているわ」

 

「正しい間違いなんて関係あるか! 要は結果だ結果。終わりよければ全てよし。そんなつまらない騎士道精神は帝政ドイツにでも捨ててこい」

 

「あなたね、今の発言は聞き捨てならないわよ。第一、こんな勝ち方したってなんの意味が……」

 

「いいか? この際だから言っておくが俺たちにもう後は無いんだ。これ以上予算削られたら出撃すらままならなくなってしまうんだぞ?」

 

「うっ、で、でも……」

 

「二人とも、話はついたのかい?」

 

 時雨の問いに、ビスマルクはどうしたものかとその答えを乞う。

 

「シグレはそれでいいの? たった一隻の駆逐艦が私たち戦艦の艦隊に蹂躙されるなんて、あまり気持ちのいいものではないと思うのだけれど」

 

 ビスマルクの問いが予想外だったのか、時雨は眉を持ち上げ不思議そうに丸い目を大きくする。

 

「なにを言っているんだい? 僕は負けるつもりなんて微塵もないよ」

 

「……は?」

 

 温厚な声色に反して強気なその言葉に流石のビスマルクも面食らったのか、思わず聞き返す。

 

「あ、あなたまさかとは思うけど、私たち全員の戦力にあなた一人で勝てると、そう言いたいわけ?」

 

 頷くでも返事をするでもなく、時雨はただ小さく微笑みを返した。

 

「……へえ、面白いじゃない」

 

 ビスマルクは歯をむき出すと、先ほどまでとは一変し、まるで猛禽のような双眸で時雨を睨む。

 

「そこまで言うんだったら、見せてもらおうかしら。駆逐艦(あなた)の実力とやらを」

 

「つまり、そちらも了承したということでいいんだね?」

 

 時雨に視線を向けられた安曇は、ビスマルクと同様に面食らった様子で慌てて頷く。

 

「あ、ああ。こちらはそれでも構わないが……ただ、そっちはいいのかい?」

 

 安曇が気まずそうに播磨に視線を向けると、時雨が播磨に問いかける。

 

「いいよね、提督?」

 

 しばらくの沈黙。時雨は言葉では言い表せない何かを伝え、そして播磨も時雨を見返し、ゆっくりと溜息をついてそれに応えた。

 

「まったく。お前という奴は。構わんよ、今回は好きにしなさい(、、、、、、、、、、)

 

「うん。ありがとう、提督」

 

 そう言って時雨は無邪気に笑い返した。

 

「それじゃあ早速演習の話といきたいところだけど、知っての通り今日は例の貨物船の事故もあって忙しいんだ。だから演習は明日のヒトサンマルマル。といっても予定通りの時刻だから今更伝えることも特にないんだけどね。今日の所はここでゆっくりしてくれるといいよ」

 

 そう言い残した時雨は、播磨と共に件の事故に出動した艦娘の指揮を執るため執務室を後にした。

 

 

 

 

 

 《二〇三〇(フタマルサンマル)

 

 佐世保庁舎の近くに併設されている来賓用の宿舎に第七の面々は案内された。

 

 その夜、明日の演習の最終ミーティングを終え各々解散した後、オイゲンは一人建物一階のフロントに置かれたソファに腰を下ろしていた。

 

 夜も更け自分たち以外には誰もいないフロントは薄暗く、自販機の白色灯が放つ無機質な光だけがオイゲンの異邦人然とした白い肌を照らす。

 

 オイゲンは重苦しいため息を吐き出た。胸が、肺が、呼吸が重い。

 

 なるべくいつも通り振舞っていたつもりだったが、いつも通りに振舞おうとすればするほど違和感が胸のつかえとなり吐き出しそうなほどに気持ち悪くなる。

 

「バレていない……よね」

 

 ぽつりとそんな言葉が漏れた。

 

 いつも通り、いつも通りと意識すればするほど頭の奥であの言葉が蘇る。

 

 自己欺瞞と免罪符。

 

 先日出会って間もない安曇にあっさりと見抜かれてしまったオイゲンの内に燻る歪んだ本質。

 

 思えば確かに私はビスマルク姉様に依存しきっていたのかもしれない。

 

 そんな考えが胸中を過った。そしてそれは今回の一件でもはっきりしている。オイゲンの願う理想の姉の姿を、無自覚にもビスマルクへ押し付けていたのだ。

 

 ビスマルクはビスマルクであって、オイゲンの求める偶像ではない。ビスマルクはオイゲンの慕う姉であると同時に、姉から遠くかけ離れた存在でもあり、そしてビスマルク自身がそうであることを求めていた。

 

 そして好意と依存とは往々にして共存する関係にありながらその本質は別物である。

 

 果たして自分の今抱いている感情は好意なのかそれとも——

 

 そこまで考えて首を小さく横に振った。もしそれが真実であるのなら、それほどおぞましく醜いことはない。

 

 これまでの自分の人生とは一体なんだったのか。ビスマルクだけでなく、自分自身すらも欺いて、そこまでして得ようとしたものとは。

 

 生来気が弱く幼少期も虐められることが多々あったオイゲンにとって、ビスマルクは救世の光であると同時に憧れそのものだった。しかし彼女に添い従う内、その光を自分のものであると傲慢にも思い込んでいたのかもしれない。

 

 ビスマルクが本国を去ってからしばらく。オイゲンは自分でも驚くほどに無力だった。ビスマルクが居なければ何も踏み出せず、ビスマルクが居なければ何とも向き合おうとしなかった。

 

 ビスマルクの為? そんなものはただの言い訳にほかならない。

 

 そういう意味でも安曇の指摘は正鵠を射ていた。

 

 本音の所、ビスマルクの結婚などどうでも良かったのだ。ただ唯一不安であったのは、彼女が結婚することにより手元から離れ、自分のモノでなくなってしまうかもしれないという極めて打算的な不安。

 

 安曇の推論はおおよそ正解していた。ビスマルク同様ドイツでは名家の出身であるオイゲンは古くからビスマルクの一族と親交関係にあり、時には互いの血が混じり合うこともあり、宗家分家に近い間柄を保っていた。

 

 ビスマルクが婚姻を拒否すれば、おそらく安曇の言うとおり次は自分にお鉢が回ってくるだろう。そうなれば自然とビスマルクとの関係にも終わりが見えてしまう。何もないオイゲンにとって、ビスマルクの光は唯一自分を証明するものだったのだから。

 

「本当に……最低だよ、私」

 

 自然、目頭が熱くなり、白い頬に一条の涙が滑り落ちる。身体が震え、鼻腔が狭まり息も苦しい。

 

 これは何の涙だろう。逃げられないことへの苦痛の涙なのか、はたまた自己嫌悪が為す認めたくないが故の拒絶の涙なのか。

 

 果たして今の自分にビスマルクを姉と慕う資格があるのか。

 

 その時、薄暗いフロントの奥から人影が現れた。

 

「こんなとこでどうしたのプリンツ」

 

「び、ビスマルク姉様⁉」

 

 オイゲンは袖で涙を拭くと慌てて顔を上げる。

 

「どうしてこんなところに?」

 

「それはこっちの台詞よ。部屋まで行ってももぬけの殻だし、レーベとマックスに訊ねても知らないと言われてずっと探していたのよ」

 

「すみません。ご迷惑をおかけして……」

 

「別にいいのよ。こうして見つけられたわけだし」

 

 そう言いながらビスマルクは自販機で缶コーヒーを二本買うと、一本をオイゲンに渡し、ソファへオイゲンの隣に腰を下ろした。

 

「ところでビスマルク姉様。私に何の用が……」

 

 缶コーヒーのプルトップに爪を立てながらそんな質問をすると、不意にビスマルクが声を低くして訊ねる。

 

「あなた、アズミと何かあった?」

 

 唐突に、しかも核心を突く言葉を告げたビスマルクに思わず動揺してしまう。

 

「な、なに言ってるんですか。確かに提督のことはまだ認めていませんけど、べつにこれといったことは……」

 

「嘘よ」

 

「へ?」

 

「嘘って言ってるの。だって最近のあなたの笑顔なんだかぎこちないわ。必死に何かを隠そうとして無理しているように見える」

 

「うっ……それは」

 

 オイゲンは思わず目をそらしてしまった。これでは認めたと自ら告げているようなものである。しかしオイゲンの予想に反してビスマルクの言葉はあっさりしていた。

 

「まあ、別に無理して言う必要はないわよ」

 

「へ? どうして……」

 

 普段であれば強引に口をこじ開けてでも話を聞こうとするビスマルクが何故。

 

「でも何か言われたんでしょう?」

 

 オイゲンは俯くと小さく頷いた。

 

「やっぱり。あの馬鹿、いっつも一言余計なのよ。まったくもう、何言ったのか知らないけどもあなたもアイツの言葉なんて真に受けちゃだめよ。あの男の言葉の九割は悪意と嫌味と我欲でしか構成されていないんだから」

 

「あの、ビスマルク姉様。聞こうとは思わないのですか?」

 

「……そりゃあ、とっても気にはしているわよ。気にし過ぎてここ数日寝不足になるくらいには。でもね、それはだめ。あなたが私に助けを求めるのなら、私は喜んでそれに応える。けど、あなたはあの馬鹿の言葉にちゃんと正面から向き合って、たとえどれだけ苦しく辛いことでも自分の力で立ち向かおうとしているのだから。そんな子に余計な世話をするほど私も野暮じゃないわ」

 

 ビスマルクは目を細め視線を下に移した。

 

「それに、きっと話を聞いて理解しても私にはそれを解決することはできないから」

 

「そんなこと……」

 

「話しは以上よ。あの馬鹿はいつかとっちめるとして、まあ気張らない程度に精々頑張りなさい。私は姉としていつでもあなたの味方よ」

 

 そういってビスマルクはオイゲンの頭を優しく愛おしげに撫でると

 

「最後に、一つ質問いいですか?」

 

「あら、どうしたの?」

 

「ビスマルク姉様はどうしてそこまで提督(あのひと)を慕うんですか?」

 

「ああ、それはね——」

 

 

 

 《二三〇〇(フタサンマルマル)

 

「本当に良かったのか?」

 

「うん、これでいいんだ」

 

 夜。寝静まった庁舎の一角に薄明かりが灯り、執務室に播磨と時雨の声が響いた。

 

 夜の佐世保庁舎には殆ど光は灯っておらず、庁舎に残る人間もいない。宿直の職員と警備員を除いてはすでに退庁している時間であるから当然だろう。無論、この二人を除いてではあるが。

 

 薄暗い執務室には室内照明が点いておらず、代わりにグラスを用いたライトスタンドの暖色光が優しく時雨と播磨の顔を照らしていた。

 

 最近は節電だなんだと煩い為、夜間に電気をつけていると財務部からの小言が激しい。しかしこれでも十年前に比べればかなりマシになったと言える。

 

 資源に乏しい島国の日本は、発電にさえもその原料となるウランは国外からの輸入に依存しきっていた。それ故に深海棲艦の出現後、海路が絶たれると真っ先に値上がりしたのが電力である。国営を賄うのに必要な電力を確保するため、国は特別措置法の下電力会社を事実上の官営とし電力を独占した。

 

 その為対深海棲艦戦争のあおりで発生した市井の闇市では違法な電力バッテリーの販売が横行しており、場所によってはモノ自体が貨幣として扱われ、時には金の延棒よりも高値で取引される始末であった。

 

 戦後は電力バッテリーを資金源に活動する海外マフィアやヤクザを一掃するため、国は電力会社を民営に戻し電力の再普及を最優先事項として勢力的に復興を行った。

 

 おかげで現在は市井にもそれなりに電力は供給されるようにはなったが、それでもまだ電力が高価であることには変わりなく、そのあおりは公務員である播磨たちにまで及んでいた。

 

 おかげで夜遅くまで執務をすることが多い播磨は、こうしてライトスタンドを購入することになったのだがこれはこれで悪くない。

 

 いつもの執務椅子。そこに腰を下ろす播磨。そして時雨は播磨の膝の上に身体を預け、彼の胸の中にうずくまっている。

 

 二人は上官と部下の関係である。それは公然であり当然の事実だが、それ以外の二人の関係について知る者はだれ一人としていない。否、知る者は存在していたが、それは過去の話である。

 

「時雨」

 

「どうしたんだい、そんな怖い顔をして」

 

 時雨は播磨の胸から顔を上げると、上目遣いで答える。

 

 そんな彼女を播磨は寂しい眼で見つめた。

 

「言いたいことは分かるさ。今日のことだね」

 

 播磨は無言で俯いた。

 

「優しいんだね、提督は」

 

「私に君を止める権利はないよ。君は残りの時間を君の思うように過ごす。それが私と君との約束だ」

 

「ごめんね提督。僕のわがままに付き合わせたりして」

 

「なに構わんさ。愛する女の頼みの一つや二つ、叶えてやれなくて何が男だ。私の人生は君の物だよ、時雨」

 

「もう、それは僕の台詞だっていつも言っているじゃないか」

 

 頬をぷっくりと膨らませ抗議する時雨に播磨は小さく微笑んだ。

 

「ははは、そうだったかな。ただそれくらいの気概があるということだ。誰かを愛するとはきっとそういうことだと思う」

 

 今度は時雨が微笑んだ。

 

「それにしても珍しいな」

 

「何がだい?」

 

「こうして君が嬉しそうにするのは」

 

「僕は提督が傍にいてくれるだけで毎日が幸せだよ」

 

「そうじゃないよ。こう、なんといか、童心に帰った無邪気な喜びとでも言うのかね」

 

「ああ、そういうことか」

 

「もしかして、楽しみなのか? 彼女と戦うことが」

 

「……うん。正直自分でもよく分からないんだけど、でも直感で分かる。彼女——ビスマルクは強いよ」

 

「根拠は?」

 

「艦娘の勘、とでも言うのかな。敵の強さを探る嗅覚みたいなの。彼女はその臭いが一際強い。たぶん、彼女の啖呵は見栄や意地なんかじゃなく、本当に本心で心の底からの言葉だと思う」

 

「ほう。すると厄介だな。時雨が強いと言うんだから彼女の実力は本物なのだろう。噂の悪名は伊達ではなかったということだ」

 

「言葉通り、彼女はこの国のどの艦娘よりも強い力を持っているだろうね。だからこそ僕はこの機会を逃したくはない。逃してはいけないと言われている気がするんだ」

 

 時雨のその言葉に、播磨は一瞬だけ寂しげに目を細めた。

 

「でも提督は良かったの?」

 

「何がだい?」

 

「ほら、例の電話を寄越してきた第三管区第一係の……なんだったかな」

 

「宗谷崎臣子か。なに気にすることはない。第三管区の後ろ盾がなければ何もできない小娘の言葉なんぞ、私もはなから聞く耳を持つつもりは無かったさ。ただ少し気がかりがあってね」

 

「後ろ盾のことだね」

 

「ああ。あの小娘の指示そのものはおそらく私怨だろう。なんら強制力のない子供の喧嘩だ。ただ、初の海保学校出身の提督というだけで一部の上層部が彼女を異常に持ち上げているのは些か気がかりだ。上の連中は彼女を神輿にして何を企んでいる? 正直、あの安曇とかいう男の悪評っぷりも中々に酷いものだが、宗谷崎も権力を盾に負けず劣らずの傍若無人っぷりだそうだ」

 

「僕は別にどうなろう構わないよ。でも提督は……」

 

 そう言い淀んだ時雨の頭を播磨は優しく撫でる。

 

「なに、心配するな。昇進なんてこの佐世保に飛ばされた時点でとうに諦めている。それに私には時雨さえいればそれでいい。あとはどうなろうと構わんさ」

 

「提督……」

 

 不安げな面持ちだった時雨は、頭を優しくなでる播磨の固い皮張った大きくも暖かい掌の感触に頬を朱色に染めた。

 

「ありがとう。愛しているよ」

 

「ああ。私も愛しているさ」

 

 

 

 ♦

 

 

 

 翌日、第七係一行は演習を行うため佐世保から場所を移動し、五島列島の北部に位置する野崎島の海上自衛隊野崎島分屯基地へと移動した。

 

 島の基地は小さな湾状の入江に位置しており、大型の巡視船が入ることは難しく、小型船に乗り換えて入島する。

 

 安曇他播磨や演習を観戦する担当官が島の基地へ入ると、しばらくして艤装を着装したビスマルク一行と時雨が佐世保から直接野崎島分屯基地へと近づいた。

 

「ふあー! すごいよマックス! ここの海、とても綺麗だよ!」

 

 移動して早速レーベは目を輝かせると、同行するマックスにはしゃぎながら語りかけた。確かにここ五島列島の海は都会の海とは比べ物にならない程に蒼く、そして透き通っている。こういった南国特有の海を見ることはドイツではそうそうないだろう。

 

「ええ、そうね。でもレーベの方が十億倍程度美しいわ」

 

「もうマックスったら、こんな時くらい僕のことは放っておいてよ」

 

 白い頬を朱色に染めて恥ずかしがるレーベに、マックスは小さく微笑んだ。

 

「それにしてもなんだってこんな場所に基地があるんだろう?」

 

 ふとそんな疑問が脳裏を過ったレーベが思わず呟くと、レーベの前を航行していた時雨が後ろを振り向いた。

 

「五島列島は長崎最西端の島だからね。外洋の敵に備えるには適した立地だったんだ。それにほら、周りをよく見てごらん」

 

 言われるがまま周囲を見渡すと、五島列島の周辺にはいくつもの小さな島々が集合し、そして入り組んだ湾を多く形成していた。

 

「リアス式海岸といってね。こういう入り組んだ湾は防衛拠点の形成に適しているんだよ。とくに普通の船舶と違って艦娘のような小型で速度も出て小回りの利くような艦は尚の事適している。だから演習場も狭い佐世保湾じゃなくてこっちの方にあるんだ」

 

「へえ、ヨコハマとは全然違うんだね」

 

「向こうも向こうで浦が多いから沿岸拠点を形成するにはとても適した場所ではあるんだよ」

 

「あれ、時雨はヨコハマに居たことがあるの?」

 

「うん。昔ちょっとね」

 

「そういえば時雨っていつから艦娘をしているの? 見た目は僕たちとあまり変わらないように見えるけど……」

 

「それは——」

 

 応えようとしたところで、不意に口が止まった。

 

「時雨?」

 

「うんん。なんでもないよ。それよりほら、もうすぐ到着だ」

 

 時雨が指さすその先には白い砂浜と桟橋、その奥に古びたコンクリート製の二階建ての建物が見えてきた。

 

「す、すごい。まるで南国のリゾートみたいだ」

 

 感嘆するレーベに時雨は苦笑いをする。

 

「そんなに大したものじゃないよ。折角だからもう一つ豆知識を。実はここが基地に選ばれた理由には地理的条件の他にももう一つ理由があるんだ。何だと思う? ヒントは横浜の海と五島列島の海の違いだよ」

 

「うーん、ヨコハマとゴトウレットウの海の違い……海がきれい?」

 

「それはちょっと違うかな……」

 

「難しいなぁ。マックスは分かる?」

 

「魚が美味しい」

 

「たしかに美味しいけどそれも違うよ。オイゲンさんは?」

 

「ふぇ、わ、私? うーん……。あ、分かった! ビスマルク姉様が喜ぶからね!」

 

「それも違うよ。というか君たち欲望に忠実だね……ビスマルクはどう?」

 

「そうねぇ、答えになるのかどうかは分からないけど、ここの海ってヨコハマの海よりも臭うわ」

 

「「「臭い?」」」

 

 レーベ・マックス・オイゲンの三人は声を合わせると、嗅覚に意識を集中した。

 

「あ、言われてみればビスマルク姉様の言うとおり、ここの海って潮の臭いがヨコハマよりもずっと濃い」

 

「ほとんど正解だよ、ビスマルク」

 

「え、今のが正解⁉」

 

「このあたりの海域は黒潮と東シナ海沿岸水の混ざり合う暖流が通っているから、海水蒸発の影響で東日本よりも塩分濃度が高いんだ。潮の臭いが濃いのもそれが理由だよ」

 

「でもそれと基地に適しているのとどう関係するのよ」

 

「塩分濃度が高いということはそれだけ働く浮力も大きいから、僕たち艦娘の出力する浮力出量もそれだけ抑えられるんだ。だからほら、ヨコハマの海に比べてこっちの方が操艦も楽だろう?」

 

「言われてみれば確かに……」

 

 おお、と感嘆の声を上げるビスマルク一行。丁度その時、各々のインカムに安曇からの無線が入った。

 

『まもなく演習を開始する。事前に話した通り所定の場所に待機してくれ』

 

 

 

 ♦

 

 

 

『それではこれより演習を開始します。両隊所定位置へ』

 

 互いの距離は約五百メートル。使用する弾頭は演習模擬弾だが、火薬を詰め砲弾を撃つことに変わりはない為、怪我を負う可能性も充分に考えられる。

 

『本当にこれでいいのね?』

 

 インカム越しにビスマルクは時雨への最後の言葉を語りかけた。

 

『うん。大丈夫だよ。いつでもどうぞ』

 

 これといった恐怖や気の迷いも感じられない。それ故にビスマルクは困惑した。

 

(この子、一体何を企んでいるの?)

 

 ビスマルクの警戒は至極当然だろう。これほどの悪条件の演習を喜んで引き受けるなど正気の沙汰ではない。何らかの形でこちらの裏をかく算段を用意している可能性も充分に考えられた。

 

「……全員この演習降りなさい」

 

 ビスマルクの言葉に全員が目を丸くした。

 

「お、お姉さま?」

 

 突然の姉の言葉にオイゲンは戸惑いを隠しきれず訊ねる。

 

「どうしてですか?」

 

「この演習。やっぱりフェアじゃなきゃ駄目」

 

 すると当然の如く、インカムの無線から安曇の怒鳴り声が入ってくる。

 

『ビスマルク! お前今更何を言い出すんだ!』

 

「ごめんなさいアズミ。でもね。これはやっぱり譲れないわ。シグレが私と闘いたいと言う以上、私も彼女の誠意にちゃんと答えるべきよ」

 

『今自分が何を言っているのか分かっているのか? そんなことしたってなんの意味が——』

 

「意味はある」

 

 ビスマルクは断言した。

 

「これは私が私である為に必要なこと。あなたはあの時そんな騎士道なんて捨ててしまえと言ったけど、私にとってはその騎士道こそが全てなのよ。私の全身から神経、骨、この血の一滴までにもドイツゲルマニアの遺伝子が、そして祖国を護った者たちの魂が宿っているの。私は、私を肯定する者たちを裏切れない。我儘だとは分かっているわ。でもこれだけは本当に……」

 

 絞るような声の嘆願。そしてしばらくの沈黙の後、安曇は大きなため息を漏らした。

 

『分かったよ……お前の好きにしろ』

 

「恩に着るわ」

 

『ただし条件はある。当初の予定通りレーベとマックスにはまず前衛に向かってもらう。そこでもし仮に二人が行動不能になった場合、その時はお前の出番だ』

 

「ちょっと待ってください提督! 私は、私はどうなるんですか?」

 

 二人の会話にオイゲンが慌てて介入してきた。

 

『悪いがオイゲン、お前には演習を降りてもらう』

 

「そ、そんな……」

 

「大丈夫よプリンツ。私に任せておきなさい」

 

「でも……」

 

 今にも泣きだしそうな顔のオイゲンをどうにか言いくるめ、結局演習は三人で行うことになった。

 

 そして担当官の合図とともに演習が始まった。

 

 

 

「それじゃあいくよマックス!」

 

「ええ」

 

 開始早々にレーベとマックスは速力を上げ、電探に反応のある時雨の座標を目指した。

 

 駆逐艦の昼戦における戦闘の基本は中・近距離からの砲撃。目視できる距離まで敵を捕らえるとそこから主砲を撃つのがセオリーだ。それ故に駆逐艦同士の演習は早々にケリがつくことが多い。しかしどうにも二人の様子がおかしい。

 

「あれ、変だな……電探だとこの辺のはずなのに」

 

「おかしいわ。どこにも見当たらない。遮蔽物はどこにもないはずよ」

 

 二人は反応のあった島の沿岸付近を捜索するが時雨の影を見つけることはできなかった。

 

「どういうこと? 彼女、一体どんな手を使って——」

 

「マックス、これを見て!」

 

 海上に浮かぶ何かを見つけたレーベがそれを指さした。

 

 それは時雨の艤装の一部。より具体的には時雨が背負っていた二門の主砲の片割れである。なんらかのトラブルに巻き込まれたのか? よくよく主砲を観察するが戦闘により破損した形跡はない。つまりこれはパージされた艤装。時雨は自らこれを外したということになる。

 

「外した? まさか——」

 

 何かに気づいたレーベは大声で叫んだ。

 

「まずい、マックス! これは罠だ!」

 

 するとまるでその声に呼応でもするかの如く、電探に緊急信号が入る。

 

「三時の方向から魚雷! 数四!」

 

 艤装に気取られ二人は魚雷の進行方向から逃れるタイミングを完全に失った。

 

「まずい、このままじゃ!」

 

 その時、島の沿岸部にせり出した藪の奥から人影が飛び出した。時雨である。時雨は一気に加速すると雷跡を追うように二人へ向かって突進していく。

 

「なっ⁉ 正気なの?」

 

 マックスの言葉はもっともである。このまま突進すれば二人の格好の的であり、加えればもし魚雷が接触すれば確実にその爆破に巻き込まれる。しかしそれでも時雨はためらわなかった。そして残った主砲を展開すると、更に接敵。

 

「まずい! このままじゃ魚雷が——」

 

「大丈夫だよ。その魚雷、中は空だから」

 

 時雨の言葉と同時、砲撃音が二発鳴ると、マックスの艤装からは大破を示す警笛が鳴り響き、白い煙幕が上った。

 

 

 

「今の——」

 

 余りにも現実から乖離した異様な光景にレーベはわが目を疑った。しかし。

 

「よそ見している場合じゃないよ」

 

 時雨は一気に距離を詰めると主砲を構える。本来水上戦闘とは互いに一定の距離間を保ち、その中で有利なポジションを獲得し合うものであり、高速で接敵するなど自殺行為に他ならない。船同士の接敵が有効なのはガレオン船時代までのことである。

 

 一歩間違えれば死ぬ恐れもある。それにも関わらず時雨はためらうことなくレーベに接敵し、そして艤装の弱点を的確に打ち抜いた。

 

 レーベの艤装から警笛が鳴り響き、大破を示す白煙が空に昇った。

 

 

 

 この様子を基地の舎内の観測機から送られる映像で観ていた安曇は思わず口を大きく開いた。

 

 なんだこの戦闘は。こんな獣じみた戦い方など自衛隊の訓練学校時代ですら見たことがない。そもそもこんな戦い方が戦闘として成立していること自体が常軌を逸している。

 

「これは一体——」

 

 安曇は隣に立つ播磨を見た。

 

「播磨提督、彼女……時雨は一体何者なんですか? こんな馬鹿げた戦い方、見たことも聞いたこともありませんよ」

 

「馬鹿げた戦い方、ねえ」

 

 まるでその言葉に得心したといった様子で播磨は頷いた。

 

「あの子はね、現役の艦娘で唯一の第一世代なんだよ」

 

「第一世代……」

 

 その言葉を聞いた途端、安曇の表情が驚きから納得、そして憐憫の目へと移る。

 

「そういうことですか。それならあの荒業も納得がいきます。第一世代。今とは戦闘も心の在り方も、その全てが異なり、そして狂っていた時代。海軍史上最も穢れた歴史、ですね」

 

「ああ。海上自衛隊、そして日本ひいてはこの世界の希望であり、同時に拭いきれない汚点だ」

 

 そんな二人の会話を、演習を下ろされ基地に戻ってきたオイゲンが不思議そうに聞く。

 

「あの、提督。そのダイイチセダイ? ってなんですか?」

 

「半世紀前に出現した深海棲艦に対抗するため開発された対深海棲艦システム及び艦娘、その原初の形(プロトタイプ)。それが第一世代だ。今の艦娘は血管と脊髄にナノマシンを取り付け、防衛省の戦闘統合システムのバックアップを受けることで脳にかける演算能力のリソースを極限まで抑えているが、第一世代(時雨)は違う。操艦から航行、砲撃に至るまでその全てを自分の脳のみによって演算している」

 

「でもそれっておかしいですよ。操艦にかかる演算力は尋常じゃありませんし、なにより人一人で補えるものじゃないです。もしそんなことしたら……」

 

「ああ。だからかつての艦娘たちは別の、おぞましい方法で艤装を操っていた」

 

「おぞましい……方法?」

 

「脳から脊髄にかけての神経系と艤装とを直接つないだんだ」

 

「それって——」

 

 オイゲンの表情が凍りつく。

 

「脊髄に直接ナノマシンを埋め込む手術を施し、特殊な薬物により思考パターンを固定化させることにより艤装とのシンクロを高めた」

 

「でも、そんなことをしたら」

 

「ああ。当然人体に与える影響は計り知れない。彼女の成長が止まったのも薬物の副作用だろう。第一世代が戦場で活躍していたのは四十年以上前のことだ。播磨提督、彼女は今どれほどの薬物投与を——」

 

「三十年近く前だ。時雨と私が出会ったのはその時。私が艦娘の指揮官になって間もなく任された部隊に彼女がいた。時雨はあの時代の唯一の生き残りだ。彼女の命もそう長くはない」

 

「それは——」

 

「五年。それがあの子に残された時間だ。長年の薬物投与の影響により小脳が異常に肥大化し続けていて、今もなお大きくなり他の器官を圧迫している。現代の医学では元に戻す方法も、これ以上の肥大を抑止する方法もない。あの子の脳はいわば時限爆弾のようなものだ」

 

 播磨は自嘲するように嗤った。

 

「残酷だな。人間という生き物は。戦争の為なら少女一人の人生を狂わせることすら躊躇わず、そしていつしか彼女の犠牲の上に未来があるということすら忘れ去られてしまう」

 

「播磨提督……」

 

「だからせめて、私くらいは最期まで彼女のことを覚えてやらなくちゃならない。そうでなければ、いくらなんでもこの世界はあの子にとって残酷すぎる」

 

 播磨は横目で安曇を睨んだ。

 

「もちろん手加減なんてするんじゃないぞ。あの子はそういうふうにみられることを酷く嫌う。それに油断していたら寝首をかかれるのはそちらの方だ、安曇提督。今の戦いを見ても分かると思うが、彼女は強い。かつて戦闘に関しては百戦無敗を誇る実力を持っていた。自分よりも大きな敵の懐に潜り込み、そして一撃で敵の首元に喰らいつく。故に付いた名が海狼(かいろう)

 

『海狼。面白いじゃない。私の敵としては文句なしよ』

 

 突如無線にビスマルクが割り込んできた。どうやらこちらでの会話を全て聞いていたらしい。

 

「彼女を——私の女をよろしく頼むよ。異邦の戦艦、ビスマルク」

 

『まかせなさい。言われなくても完膚なく叩き潰してあげるんだから』

 

 インカム越しにビスマルクがにかりと無邪気に、そして不敵に笑うと、まるでその顔を見ていたかのように播磨の口元も満足そうに小さく弓なりした。

 

「ふん、威勢のいい娘だ」

 

 

 

 時雨との会敵まで残り数分。観測機を飛ばして着弾観測する手もあるだろうが、おそらく彼女相手には無駄弾となるだろう。ビスマルクはレーベとマックスにインカムを繋いだ。

 

「二人とも大丈夫?」

 

『うん。艤装は大破しちゃったけど、身体の方は僕もマックスも無事だよ』

 

「そう、無事なら良かったわ」

 

『気を付けてビスマルク。シグレは強いよ。それに躊躇いがないんだ。接敵することで衝突してしまうリスクや的になることを一切顧みない。まるで生きた弾丸みたいだよ……』

 

 無線通話を終えると、ビスマルクはグローブの袖を引っ張り拳の開閉を繰り返しながら深呼吸した。緊張はしている。しかしこれは良い緊張感だ。頬に当たる風が、潮の匂いが今は心地いい。

 

 そして電探が時雨の正確な座標をビスマルクに伝えると、軍帽を目深く被り直し遠洋に見える黒い一点の影を睨んだ。

 

「それじゃあ、戦闘開始よ!」

 

 ビスマルクは艤装の駆動音を唸らせ、原速から第四船速まで加速。しばらくして時雨を目視で表情まで確認する距離まで近づいた。

 

 時雨は笑っていた。いつもの微笑むような優しい少女のそれではなく、戦闘に血肉昂る獣のような獰猛な笑み。それはまさに狼そのものだった。

 

 そのあまりの凶悪な笑みにビスマルクも思わず顔を引き攣らせるが、気押されてはそれこそ負けであると、睨みつける。そして砲弾を装填。掛け声とともに主砲を唸らせた。

 

 四門の主砲から放たれる砲弾、そして副砲の砲撃までもを時雨は全て僅か数センチの差で除け、海上を滑るように移動していく。

 

「速い!」

 

 ビスマルクは顔を歪ませ、尚も砲撃を続ける。時雨の移動予測地点への誘導威嚇砲撃に本命の砲撃。そのどれもがまるで初めからそこに砲弾が落ちると理解しているかの如く躱されていく。これが第一世代の、艤装を己の意思のみで手足のように操る者に成せる技だということなのか。

 

 そしてついに二人は距離僅かのところまで接敵すると、時雨は背の主砲を展開させる。そしてビスマルクの懐へと潜り込み、艤装の急所である主砲と駆動機関との接続箇所を狙った。

 

「この——!」

 

 ビスマルクは急いで身体を捻らせると間一髪、致命傷は免れた。しかし左の第二砲塔は機関停止。接射を試みようと残りの砲塔を旋回させるが、その時既に時雨は次の行動に移っていた。急激に速度を落とし、再び接敵し懐に潜り込んだ時雨は、ビスマルクの三十八センチ砲、その吸い込まれそうなライフリングを刻む砲門の虚空が眼前を捉えることにも躊躇わず、砲身をビスマルクの身体へ差し込む。

 

 砲撃はほぼ同時だった。両者の間に赤黒い爆炎が広がると、ビスマルクは第四砲塔が、時雨は最後の砲身が花開くように割けへし折れた。

 

 ビスマルクはすかさず次弾を装填、残った砲塔を旋回させる。副砲を持たない時雨には既に攻撃の手段はなく、当然ビスマルクも自身の勝利を確信した。

 

 しかしその喜びはすぐにつかの間のものとなる。時雨は機関を全開にすると全身の速度を拳に乗せ、ビスマルクの脇腹に重い一撃を叩き込んだ。

 

 ただでさえ艤装を着装している艦娘の筋力は常人のそれをはるかに上回る。同様に敵の砲撃を直撃しても耐えうるほどの耐久性も持ち合わせるが、それでもなおこの一撃は重かった。ビスマルクの脇腹にめり込んだ拳は彼女の肺の空気を一気に吐き出させ、一瞬中に浮いた身体は後方五メートルに殴り飛ばされる。

 

「がぁ……‼」

 

 血を吐き出し、一瞬意識が飛びそうになるが、それでもビスマルクは根性で踏みとどまると、歯を食いしばり正面の狼を睨み付ける。

 

 おそらく今の一撃がとどめになると時雨も踏んでいたのだろう。驚くべきビスマルクの耐久力に獰猛な顔が一瞬豆鉄砲を喰らったように驚くと、再び、先ほど以上に喜々として笑い吠える。

 

「さすがだね‼ 僕もひさしぶりに本気を出したくなってきたよ‼」

 

「はっ、今のが本気じゃなかっただなんてつくづく化け物じみているわね、あなた」

 

「それはお互い様だよ。さあ、もっと楽しもう‼」

 

 再び時雨は機関の回転数を上げると拳を叩き込むべく突っ込む。

 

「そう何度も同じ手にかかるわけないでしょ!」

 

 今度は使い物にならなくなった第四砲塔を盾に時雨の拳を防ぐと、時雨同様機関の回転数を上昇させ、瞬発的に脚力を増強、足の長いリーチを利用した豪速の蹴りを時雨に叩き込んだ。

 

 時雨は後方十メートルに吹っ飛ぶと、口元の血を拭い流石に面食らった様子で立ち上がる。

 

「驚いた……まさかさっきの一瞬で僕のわざを理解するだけじゃなく応用するなんて恐れ入ったよ。ビスマルク、君はやはり天才だ」

 

「そう思うのなら今の蹴りで気絶して欲しかったわね」

 

「何を言うんだい。ここからが楽しいんじゃないか」

 

 時雨は再び加速すると拳を叩き込む。今度はビスマルクもそれに応じるように加速し拳を出すと、水上格闘が始まった。基本的に艦娘は両足が水面に着水することで浮力を安定させるが、限定的に脚部の機関を一点加速させることにより、水上での蹴りを可能にしていた。

 

 肌は切れ、所々に血が滲み苦悶の表情が漏れてもなお、両者は拳を、蹴りを止めなかった。

 

「くくくくくくくははははははははははははははは‼」

 

 時雨は嬌声を上げると更に機関の回転数を上げる。

 

(これ以上はついていけない!)

 

 慣れない戦い方ということもあってか、ビスマルクの方は時雨の攻撃を防ぐことだけで既に精一杯の状態だった。

 

 そしてついに限界が訪れる。時雨の猛攻にとうとうビスマルクの膝が落ちた。そしてその隙を海狼が見逃すはずもない。

 

「これで終わりだよ‼」

 

 時雨の拳がビスマルクの脳天に向かって振り落とされる。そして海上に一条の水柱が立つと立ち込める飛沫の中、時雨の影だけがけぶっていた。

 

 どうやら決着はついたらしい。ビスマルクの影だけがそこにはなかった。

 

 だが次の瞬間、立ち込める水飛沫が爆音とともに一気にはじけ飛び、代わりに時雨の身体を赤い爆炎が包み込む。

 

「まだ……終わってないわよ」

 

 ビスマルクは唯一稼働していた第一砲塔を時雨に向け、よろよろと立ち上がり、脳天に拳を落とされた際に飛んで行った軍帽を拾い上げると被りなおした。

 

 対する時雨は既に体力が底を尽きたのか、立ち上がることすらせず海上に横たわり波にまかせて身体をゆらゆらと揺らし、そして艤装の大破を告げる警笛と白い煙幕が空へとゆっくり昇って行った。

 

「やっぱり駆逐艦(僕の身体)じゃここまでが限界みたいだ。ビスマルク、君の勝ちだ」

 

「まったく。これだけ戦艦()を追い詰めておいてよくそんな言い方ができるわね」

 

 呆れた様子のビスマルクは海上に浮かぶ時雨に手を差し出すと歯を見せて笑った。

 

「楽しかったわ。また今度一緒に戦いましょう」

 

「その時は僕が勝つけどね」

 

「あら、私だって負けるつもりはないわよ。次も私の為に負けて頂戴ね」

 

「ふふ、やっぱり君って変わってるよ」

 

「お互い様よ」

 

 それからしばらく、二人の少女の笑い声は蒼い海の只中へと響き、雲一つない蒼空に薄く溶けて行った。

 

 

 

 無事演習に勝利した安曇は内心ほっと胸をなでおろした。演習の内容に関しては大いに問題があったが勝ちは勝ちである。演習を見学していた第七管区のお偉い方や演習の担当官はこの結果をどうとらえるべきか困惑した様子で物議を醸しているが、そんなことは些末な問題であった。結果さえしっかりと残しておけばあとは手八丁口八丁でどうとでもできるだろう。

 

 丁度その時、安曇達の居る室内に分屯基地の無線手が飛び込んできた。

 

「海上自衛隊佐世保基地地方総監部より緊急入電!」

 

 上層部の偉い方は怪訝そうな顔でなにごとかと尋ねた。

 

「特殊生物災害対策室の出動要請です! 佐世保基地第五観測所からの報告によると佐世保湾外、江島沖北三キロ地点で甲種敵性因子の周波数を観測!」

 

「敵性因子? まさか——」

 

 室内に動揺が走る。敵性因子。その名が示す存在はこの国においてたった一つしかいない。

 

「——深海棲艦が洋上に出現しました!」

 

 

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