ハイスクールD×D 呪われし鉄刃   作:椎名洋介

10 / 27
第二章 這う女

       

 

 

 黒鉄斬輝には、オカルト研究部におけるチラシ配りの担当がない。これはリアスいわく一応の理由があるとのことだが、現在に至るまで斬輝は彼女からその説明を受けたことはなかった。

 だから兵藤一誠がアーシア・アルジェントを連れてチラシ配りにいそしんでいる日も、のんびりと部室のソファで横になるというのが多かった。無論、彼の身長だとソファの横幅から充分はみ出てしまうために両脚は肘掛の上に載せてはいるが。

 特にすることがないからだ。

 これじゃまるで幽霊部員だな。

 だが例外がないわけでもない。

 部室の隅に置かれたトレーニング・マシンは、だから堕天使達の一件があってからリアスに頼んでおいたものだ。ベンチ・タイプで、ベンチ・プレスは当然として、レッグ・プレスやバタフライも装備、必要に応じてベンチはバーチカル・チェストにも変形させられる。

 オカルト研究部に入部することになった以前から、斬輝は日々のトレーニングを日課にしていた。おかげで不健康な食生活にも拘らず、彼の肉体は限界まで贅肉を削ぎ落とされた完璧なものだった。

 文字通り骨までもが、闘うために特化した肉体となっているのだ。

 細身ではないが、しかし余計な脂肪が一切なく、全ての筋肉が自らの役割を心得た、そんな軀なのだ。

 その腕が、今、皮膚の直下に筋肉の束を浮き立たせて、金属製のパイプを押し上げている。

 ベンチ・プレスだ。

 仰向けに横たわった彼の腕を、油圧シリンダーが加える五〇キロの重さが、パイプを通じて押し戻そうとするのである。

 彼はその加重に抗して、バーベル代わりのパイプをゆっくりと押し上げる。戻す時も、単純に力を抜くのではない。放っておけば勢いよく顔の手前まで落ちてくるパイプを、これもまたゆっくりと下ろしてやるのである。

 回数は、数えていない。

 ただ黙々と、押し上げ、戻す。

 ランニング・シャツのままの上半身に無数の汗が玉を結び、腕を動かすたびにゆっくりと胸が開き、ゆっくりと萎む。

 もうじき、午後六時になろうとしている。一誠達がチラシ配りに出かけたのが一時間半ほど前で、最初の三〇分ほどは仮眠に充てていても、それでも残りの一時間はずっとこうやっていた計算になる。

 窓を見ると雲が茜色に染まっていて、東の空はすでに群青色になってきていた。

 

「あらあら、斬輝くん。お疲れですか?」

 

 柔らかな笑みで近づいてくるのは、姫島朱乃である。立ち止まったのは、ベンチからはみ出た斬輝の脚の、ちょうど膝のあたりだ。

 言われて、気がついた。パイプを戻してくる腕が、かすかに震え始めた。

 ゆっくりとパイプを押し上げながら、

 

「そうみたいだな」

 

 ゆっくりと押し戻し、応える。もう少し余力があったが、今日のところはこれで切り上げることにした。

 

「黒鉄先輩って、そうやってトレーニングしてる時って、いつも無口ですよね」

 

 ちょうど斬輝が身を起こしたところで、奥のソファに座る木場裕斗がティー・カップを持ってこちらを向く。

 

「そうか?」

「そうです」

 

 即答したのは、しかし木場ではなく向かい側のソファに座って相変わらず洋菓子を食べている塔城小猫である。

 

「特に、ここ最近」

 

 おやまあ、マジですか。

 いつも寡黙な彼女にまで言われてしまうとは、相当なのだろう。おおかた、筋肉を苛めるのに気を取られて周りが見えなくなっていたか。

 

「でしたら斬輝くん、今日のところは帰ってもらっても構いませんわよ? 今夜は特に討伐の依頼もないですから」

「心配すんな。そこまで酷かねぇよ。兵藤達が戻ってくるまで、シャワーでも借りてらあ」

 

 そのままシャワー・ルームの方へと歩きながら、あるいは、と視線だけを執務机の方に向ける。そこに座るは、ここオカルト研究部部長ことリアス・グレモリーである。

 こちらも相変わらず、と言ったところか。手を小さな拍手の形にしたまま机に肘をつくのは、彼女が考え込んでいる時の癖だ。

 何かを抱えていることは間違いなさそうだが、しかし肝心な『何か』が判らない以上、斬輝にはこれ以上先へ踏み込みようがない。

 なあ、リアス。

 お前は今、その目に何を見てる?

 お前は今、その胸で何を思ってる?

 かつて、孤独であろうとするな、と言ってくれたお前がたった一人で背負わなきゃならねぇそいつは、いったい何なんだ?

 俺はお前に、何もしてやれねえのか?

 

「なに、斬輝?」

 

 しまった、目が合っちまった。

 

「いや……あんまし、無理すんなよ」

 

 その言葉にこちらを向いたリアスはぽかんと口を開けて、けれどそれから、

 

「……ええ、ありがとう」

 

 いつもの笑みを浮かべた。

 けっきょく、答えは出なかった。

 

 

 コンビニで買った焼肉弁当をたいらげて、それから学校の面倒な課題と格闘していたらいつのまにか午前零時を回ってしまっていた。

 勉強机のライトを消して、背もたれに寄り掛かって大きく伸びをする。ぱきぽきと背骨が鳴って、つまりかなりの時間同じ姿勢でいたわけだ。

 やっぱり数学は苦手だ。

 洗面所の洗濯籠にランニング・シャツを放り込んでから、セミダブルのベッドに倒れこむ。同時に、どっ、と疲れが軀から溢れ出した。

 なんとか、仰向けになる。

 頭の後ろで両手を組んだ格好で電気の消された天井を見上げ、斬輝は誰に言うでもなくつぶやいた。

 

「やれやれ、だな」

 

 たった一人の少女の悩み事一つでここまで考え込んでしまうというのは、ちょっと前までの自分では想像も出来なかったことだ。

 

「可愛くなっちまったもんだぜ、俺もよ」

 

 ベッド・サイドにあるオレンジ色のライトとは別の淡い光が彼の部屋を照らしたのは、その時だ。

 赤い光だ。

 

「あん?」

 

 ベッドの上に身を起こした斬輝は、その時になって初めて、フローリングの床にグレモリーの紋章が施された魔方陣が展開されていることに気がついた。

 こんな時間に……というより、いったいなぜこの部屋で魔方陣が展開されているのだ?

 答えは、すぐに出た。

 床の魔方陣にもう一つ同じ形状の魔方陣が重なり、それが遠ざけ合う磁石のように徐々に上昇してゆくのである。

 すらりと伸びた白い足が、見覚えのある紅の髪が、次々と二つの魔方陣の間から(あらわ)れる。

 そして、

 

「……リアス?」

 

 霧散するように消え去った魔方陣のあった場所に立っているのは、他でもないリアス・グレモリーだった。

 だが、

 その目が、いつもと違うことに気がついた。

 酷く追い詰められているような目だ。

 端的に、切羽詰まった時のような目と言ってもいいだろう。

 

「斬輝……」

 

 彼の名を呼んで、しかしそれから先の言葉を言おうとしない。

 迷っているのだ。

 言うべきか、

 言わざるべきか。

 

「お前、どうし……」

 

 ……どうしたんだよ、と立ち上がりかけて、けれど意を決した様子のリアスに遮られた。

 言葉を挟み込まれたのではない。

 ベッドへ押し返されたのだ。

 

「おい、ちょ……」

 

 突然のことで抗議の声を上げようとする斬輝を、

 

「斬輝」

 

 艶やかなリアスの声が遮った。

 いつの間にか純白の下着姿に変わっていたことに、斬輝は初めて気がついた。

 仰向けになった斬輝の、その頭の両脇に手を突いて、彼の顔を上から覗き込む格好である。

 美しい紅の長い髪が垂れて、斬輝の頬を撫でる。

 薄闇の中で、ベッド・サイドのオレンジ色の照明だけが、仰向けに押し倒された斬輝の腰を跨ったリアスの肌を淡く照らす。

 彼女の透き通るような白い肌がいくらか赤らんで見えるのは、気のせいだろうか。

 

「な、なんだよ?」

 

 斬輝の問いに、

 

「お願い、抱いて」

 

 それがリアスの答えである。

 

「は?」

「だから……」

 

 ブラのホックを外し、やがてブラが取れて豊満な乳房が露わになった時、リアスと目が合った。

 彼女の瞳には、悲愴なまでの決意が見える。

 その唇が、かすかに震えていた。

 

「私の処女をもらってちょうだい」

「おい、お前……」

「ねえ」

 

 言いかけた斬輝の右手を取って、リアスは自分の左の胸を摑ませた。

 たしかな弾力とともに、いくらか早いリズムを刻むのは……これは心臓か。

 だが、なぜだ?

 たしかに、リアスにはこれまで助けてもらってきた。そのことに関しては恩も感じてるし、何らかの形で返してやりたいとも思っている。

 なのに、

 なぜ……なぜ今のリアスを見ていると、無性に哀しくなる!?

 

「判る? 私だって緊張してるのよ」

 

 斬輝の掌の中で、そう言うリアスの乳首はたしかに固くなり始めていた。

 

「だからお願い。あなたしかいないの」

「リアス」

「裕斗は根っからのナイトだし、イッセーにはアーシアがいるし……」

「リアス」

「……それに、既成事実が出来てしまえば向こうだって文句は言えないはずよ」

「リアス!」

 

 声を荒げた斬輝は、しかしリアスの首の後ろに手を回すと強引に引き寄せた。

 お互いの顔が一気に近くなる。鼻だって、あと数センチ動いただけで触れてしまいそうなくらいに、近い。

 かすかに、トリートメントの香りがした。

 石鹸の匂いも。

 まさか。

 こいつ、本気で……?

 

「よせ」

「……なに、私に恥をかかせるつもりなの?」

「違えよ。お前は、それで満足なのか?」

「え?」

「このまま流れでお互い『初めて』を卒業して、それがお前のためになるのか?」

 

 リアスは、答えなかった。

 ……いや、答えられないのだ。

 あるいは、どう答えるべきか判らない、っと言うべきか。

 そのまま、斬輝は腰に跨った状態のリアスを半ば無理やり自分の隣へと寝かせてやる。腕が彼女の軀とベッドとに挟まれたが、気にも留めなかった。

 

「お前が本気で俺に抱かれたいって思ってるなら、いくらでもシてやる」

「っ! だったら……」

「だがな」

 

 何か言おうとするリアスを遮って斬輝が言葉を紡ぐ時、ふいに二人の視線が絡み合った。

 リアスの双眸が揺らめいて見えたのは、気のせいではないはずだ。

 だから無意識にリアスの顔へ伸ばした指が溜まった涙を拭う感触があっても、驚きはしなかった。

 

「そんな顔してる奴を抱いて悦ぶ男なんて、マトモじゃねえよ。違うか?」

 

 それに、と空いている左手でリアスの頭を撫でてやる。

 それから浮かべたのは、苦笑だ。

 

「こんなんで処女捧げられても、嬉しかねえよ。ヤるならちゃんと、女として扱いてえ」

 

 瞬間、大きなリアスの碧眼がさらに見開かれ、それから瞳が、そして唇がわなわなと震え始めた。

 やがて鼻をすする音がして、それからリアスは、向き合った格好の斬輝の胸に顔をうずめた。

 聞えてくるのは、かすかな嗚咽である。

 そして、

 

「……ごめんなさい」

 

 うずめられた胸から漏れ聞こえるくぐもった声は、恐ろしいほどに斬輝の胸を打った。

 ここまでか弱い彼女を見たのは、初めてだった。

 こんなにか細くて華奢な女だったのかと、初めて思い知らされた。

 斬輝に出来るのは、まるで子供のようにひたすら謝り続けるリアスの頭を抱き寄せることくらいだった。

 

「ねえ、斬輝」

 

 ふと、リアスがこちらを見上げてくる。

 

「なんだ?」

「……お願いが、あるの」

「言ってみろよ」

「今だけ……」

 

 いつの間にか、リアスの腕が斬輝の背中に回されていた。

 

「……今だけ、一緒にこうしてくれる?」

「いいぜ」

 

 即答だった。

 

「それくらいなら、いくらでもな」

「ありがとう」

 

 言った途端に、生暖かい雫がタンクトップの生地に染みた。

 そのままリアスが剝き出しの脚を太ももごと斬輝の脚に絡ませてきて、豊かな胸を押し付けるようにして抱き着いてきた。

 リアスは分厚い胸の中で泣き笑いになって、もう一度、言った。

 

「ありがとう、斬輝……」

 

 いつだったか。

 思い出すのは幼いころ……両親に挟まれる格好で眠っていたころの記憶だ。

 だが、かつて一緒に眠っていた両親は、もういない。

 誰かと一緒に寝るというのは、だから斬輝にとって実に久しぶりの感覚だった。

 相手がリアス・グレモリーだったというのも、あるいは関係したのかも知れない。

 無意識のうちに、黒鉄斬輝は腕の中の少女を離さまいとさらに強く抱きしめた。

 二度と、腕の中から零れ落ちてしまわないように。

 この感覚……、

 それは彼が久しく忘れていた、たしかなヒトのぬくもりだった。

 

 

 助けて欲しい、と無意識にリアスが思った時、真っ先に脳裏に浮かんだのは斬輝の顔だった。

 累々たる屍の中心で、傷だらけでありながらそれでも不敵な笑みを浮かべては立ち上がる、一人の男の姿だった。

 だから、来たのだ。

 斬輝のもとへ。

 一刻も早く、くだらない縁談をぶち壊すために。

 ……それなのに、

 

「私、莫迦みたい」

 

 たくましい腕に抱かれて、リアスは自嘲の笑みを浮かべた。

 斬輝が規則正しい寝息を立て始めたことに気がついて、リアスはわずかに目を開ける。

 それから彼の寝顔を見上げて、思い出すのはついさっき、彼が言ってくれたことだ。

 お前が本気で抱かれたいって思ってるなら、いくらでもシてやるさ。だがな……、そんな顔してる奴を抱いて悦ぶ男なんて、マトモじゃねえよ。違うか?

 その一言で、目が覚めたのだ。

 それに、こんなので処女を捧げられても嬉しくない、と。

 なんてこと。

 私、なんて酷いことをやろうとしていたの!?

 彼女が許せないのは、いくら冷静さを欠いていたからと言って斬輝の不器用な優しさを利用しようとしていた自分自身だった。

 実際のところ、斬輝になら本当に処女を捧げてもいいとさえ思った。だがその事実が、リアスを恐ろしいまでの孤独に打ち据えるのである。

 情けない。

 女として、情けない。

 個人的な感情に身を任せてしまうなんて、私らしくもない。

 でも、とリアスは思う。

 それでも、あなたは断ってくれた。

 私のために。

 それと同時に、こんなワガママな私を受け入れてもくれた。

 女としての……『リアス』としての私を、彼は求めてくれた。

 それがとっても嬉しくって。

 思えば、こうして誰かと一緒に眠るなんて、いつぶりだろう。

 下僕のためではない、お互いがお互いの温もりを求めるように眠るなんて、何年振りだろう。

 心の底から、さっきまでの沈んだ気持ちが嘘のように吹き飛んでゆくような、そんな感覚がするのだ。

 とても、とても安心する。

 だけど……ああ、なんてこと。

 あなたと眠ることが、こんなにも愛おしいと思えるなんて。

 あなたと眠ることが、こんなにも尊いと思えるなんて。

 そして。

 あなたのことだから、とリアスの口許が笑みに歪む。

 

「きっと、気づいていたんでしょうね」

 

 眠っている斬輝を起こしてしまわないように、吐息だけの声で。

 でも、それでも私のために訊かないでいてくれたのよね。

 あなたのそういうところって、本当に、本当に…………、

 その時だ。

 

「ひゃ……」

 

 斬輝がリアスを抱きしめる力が、わずかに強くなった。

 鍛えこまれた分厚い胸板にリアスの胸も押し付けられて、ほんの少し息苦しくなる。だけど、そんなことが気にならないくらいに、彼の太い腕は強く、けれど優しく抱きしめてくれていることが嬉しかった。

 あわてて斬輝の顔を見上げるが、目が覚めた様子はない。

 だがその唇が、かすかな音とともに動いた。

 

「逝くな……」

「え?」

 

 耳元で囁かれるくらいの、小さな声である。

 だからそれが彼の寝言であるということに気づくまで、少しかかった。

 

「一人に……しないでくれ……」

「斬輝……?」

 

 ぴん、ときた。

 彼の両親は数年前に事故で他界している。それは以前、彼がリアスに話してくれたことだ。

 身柄を引き取ってくれる親戚はいたが、それでも彼はその誘いを蹴ってこの町に残ったのである。

 たった一人で。

 独りきりで。

 そんな生活が精神面に及ぼす影響は、きっと少なくないはずだ。いくら達観しているように見えていても、彼はまだ一八の子供なのだ。

 それなのに、表向きには強がっちゃって。でも彼のそんな意地っ張りなところが、リアスが彼を気にかけてしまう理由でもあって。

 私には愛してくれる家族がいる。

 でも、彼には愛してくれた家族はもういない。

 だとすれば、

 きっと……私に出来ることも一つだけ。

 リアスもまた、応えるように斬輝を抱きしめた。足もさらに絡ませて、彼を離さまいとホールドする。

 軀が熱い。

 すぐそばに斬輝がいると思うと、なぜだかドキドキする。

 こんな風に彼に甘えられるのも、今だけ。

 明日になったら、ちゃんと『いつものリアス』に戻らなきゃ。

 いや、でも。

 だからこそ。

 今夜は……今夜だけは、あなたの腕の中で眠らせて。

 この胸の高鳴りが……この熱がニセモノでないというのなら。

 心が安らかな気持ちになってゆくのを感じる。

 目を閉じると、睡魔はあっという間にやってきた。

 それきり、二人が動く気配は、二度としなかった。

 夜が明けるまで。




 個人的にちょっと区切りがいいのでここまで出しました。

 さて、グレイフィアが乱入してこなかった理由をどうしようか(おい)。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。