ハイスクールD×D 呪われし鉄刃   作:椎名洋介

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第二章 残された記憶

       

 

 

 私は悪魔よ。

 リアス・グレモリーからそう告白された兵藤一誠は、その単語に違和感を覚えた。

 ……へ? あ、悪魔?

 駒王学園の『二大お姉さま』の一人であるリアス先輩が……あの『悪魔』!?

 正直なところ、あまり現実味がなかった。悪魔と呼ばれるものはもっとこう、何というか黒い外骨格みたいな皮膚をして三又(みつまた)の槍を携えているようなイメージだったからだ。

 それに、彼女は自分のご主人さまであるときた。

 しかし昨夜見た夢が夢でなかったとするならば、消え入る意識の中で再び紛れ込んだ紅の髪の説明が可能であることも事実だった。

 彼女だったのだ。

 天野夕麻によって腹を貫かれた夢の時も、昨日の夢も、必ず最後に一誠が目にしたのはリアス・グレモリーの紅髪だった。

 つまりは、そういうこと。

 ここ数日の間に、俺とリアス先輩は何かしらの関係性を持ち合わせていたんだ。

 なぜ本人でさえ気づかない間に学園のアイドル的人気を誇る彼女と主従の関係を結んでいるのかは知らないが。

 だが今までのことがすべて夢でないとしたら、おそらくは……。

 

「やあ、どうも」

 

 放課後である。黄色い歓声に包まれて、一人の生徒が教室へと入ってきた。

 同学年で学年一のイケメンくん、木場祐斗(きばゆうと)である。

 一誠達の……いや、モテない男たちの宿敵だ。

 まっすぐこちらへと歩いてくる木場に向かって、

 

「……何のご用ですかね」

 

 一誠は半眼で尋ねるが、木場は相変わらずのスマイル・フェイスで応えた。

 

「リアス・グレモリー先輩の使いで来たんだ」

「……ああ、そういうことね」

 

 彼女が今朝言っていた『使い』とは、彼のことだったのか。

 

「オーケー。判った」

「じゃ、行こうか」

 

 先に歩きだす木場に続いて、一誠も歩き始めた。

 変態仲間と木場ファンの悲鳴を背中に受けながら。

 

 

 どこにも、学園七不思議と呼ばれるものが存在する。

 そしてそれは、ここ駒王学園においても例外ではなかった。

 その一つとして囁かれているのが、現在の学び舎である新校舎の裏に位置する旧校舎である。現在使われていないにもかかわらず窓ガラスは一枚も破損していないことや手入れの行き届いた木造の校舎内の様子から、一部の人間から気味悪がられている場所だ。

 一目見ただけでは、いったいどこが壊れているのかすら判らない。

 ホコリやチリの見当たらない廊下を抜け、奥の階段を昇る。

 

「ねえ、斬輝くん」

 

 突然、リアスが声をかけてきた。二人は肩を並べる格好で、斬輝がその左側を歩いている。

 

「あん?」

「その……腕の傷はどう?」

「……ああ」

 

 そのことか。

 

「まあ、なんとか頑張って縫ったよ。チョー痛かったがな」

「ごめんなさいね、何もしてあげられなくて」

「謝るこたぁ、ねえだろうがよ。その辺もぜんぶひっくるめて、これから聞かせてもらうんだからな。それに腕はもう……」

 

 言いかけて、斬輝は途端に口をつぐんだ。

 駄目だ。

 ここで言うのは、駄目だ。

 

「もう……なに?」

 

 ああ、しまった。階段を昇りながらも、彼女が怪訝そうにこちらを見てくるではないか。それも身長的にわずかにこちらが勝っているため、それは自然と上目使いになる。

 

「どうしたの? 何かあるのなら言ってちょうだい?」

「……いや、良い」

 

 たしかに、止血こそ時間はかかった。断ち切られた血管から流れる血を抑えるだけでも一苦労だったのだ。

 しかし消毒を済ませて簡単な縫合処置をしてから、家の救急箱から取り出した包帯で何重にも巻いてからわずか一時間半ほど経ってから、わずかながらも腕の痛みが失せ始めたのである。

 そして今朝、包帯の上から患部に触れてみて驚愕した。

 傷の痕が、判らない。

 さらに七時間ほど経っていたとはいえ、驚くべき回復力だった。

 まるで、ヒトでなくなったような気分だった。

 

「正直、俺にも判らねえんだよ」

 

 何が起こっているのか。

 俺の軀で、どんな変異が生じているのか。

 

「……そう」

「おい……」

 

 瞬間、彼の瞳に映った彼女の顔からとれた感情は何だったのだろうか。

 罪悪感か、

 それとも後悔か。

 いずれにせよ、と斬輝は思う。

 その感情は、おそらく俺に対するものだ。

 

「ここよ」

 

 二階へ上がった二人は、いくつもある教室のうちの一つで足を停めた。

 彼女が指さすのは、扉にかけられたプレートである。

『オカルト研究部』。

 なるほど、ここが彼女達の部室だったのか。それにしても、まさかこんなところにあるとは斬輝も思わなかった。

 リアスが部室の扉を開けて入ってゆくのを見てから、斬輝も続いて入室した。

 だがその瞬間に、

 

「……ぅお」

 

 自然と声が漏れた。

 日は沈み始めているというのに、この部屋の光源は窓から入ってくる光といくつかのロウソクだけ。それだけでも充分薄暗く感じるのだが、さらに壁にかけられたいくつもの額縁やいたるところに奇妙な円……魔方陣が描かれており、むしろオカルトというよりは黒魔術か何かに近いようにも思えた。

 その他には中央に敷かれた絨毯の上にロウソクがたてられたテーブルが一つと、それを挟み込むようにして向かい合ったソファが二つ。さらにその奥には大きな木製の執務机のようなものも見えた。

 しかしこの部屋からは、なんというかちょっとした生活感が感じられた。

 

「ちょっとした家だな、おい」

「ふふっ、そんなことを言われたのは初めてね」

 

 嬉しそうにそうリアスは、ソファを見て少し意外そうな顔をした。

 

「……あら」

 

 彼女の視線を追って、ようやく気がついた。

 ソファの上に一人、銀髪の小柄な少女が座っていたのだ。華奢な軀つきで、その手は黙々と羊羹(ようかん)を口に運んでいた。

 

「紹介するわね。この子は一年生の塔城小猫(とうじょうこねこ)。……小猫、こちらが黒鉄斬輝くんよ」

「……どうも」

 

 言われて、羊羹の少女……小猫が軽く会釈してきた。

 こちらも、手を軽く挙げて応える。

 斬輝も、彼女の名前だけは聞いたことがあった。なんでも、年齢の割に小柄であるがゆえに学園のマスコット・キャラクターとして一部の男子生徒や女子生徒達から人気があるらしい。

 だが実際にこうして逢ってみると、どうしても眠たそうに見えてしまう。

 あるいは、本当に眠いのか。

 

「……うふふ、ようやく来ましたわね」

 

 すると、部屋の奥にあるカーテンの向こう側から別の女性の声が聴こえてきた。

 というより、この声は……まさか?

 

「あら、朱乃(あけの)

「姫島かあ!?」

 

 カーテンを開けて中から出てきたのは、リアス・グレモリーと同じく学園の『二大お姉さま』である姫島朱乃(ひめじまあけの)だった。長い黒髪を後ろで束ねており、その姿は自然と『和』を彷彿させる出で立ちである。

 リアスのようにクラスメイトであるわけではないが、それでも彼らが一年生のころからの顔見知りではある。

 そんな朱乃と、一瞬目があった。

 

「あらあら、斬輝くんじゃありませんか」

「おう。まさかお前もここの部員だったとは思わなかったぜ」

「そうでしたの? これでも一応、副部長を務めておりますのよ」

 

 むう。何から何まで初耳だ。

 

「あ、そうだ」

 

 そこで、思い出した。

 

「そういや、兵藤はどうした?」

「彼にもちゃんと来てもらうわ。別の使いを出してあるから、じきに到着するはずよ」

 

 なるほど、そういうことか。

 とりあえず、とリアスが手を鳴らす。

 

「イッセー達が来るまでの間、くつろいでいてもいいわよ? 私はこれからシャワーを浴びるから」

「おう、そうかい。そんじゃ待たせてもらお……」

 

 小猫とは反対側のソファへと言われたとおりに座ったところで、ふと今の会話の中に覚えた違和感に気がついた。

 ……ん?

 まて。

 今、なんてった?

 カーテンが閉まった音がする。

 

「おいグレモリー、シャワーって……」

 

 背もたれ越しに振り返った斬輝が見たのは、

 

「はあ!?」

 

 カーテンの向こうでいきなり服を脱ぎ始めたリアスだった。

 なんだあ!? あのカーテンの向こうはシャワー・ルームってことか!?

 しまいには、奥から水が流れる音まで聞こえ始めた。

 おいおい、マジかよ!

 

「……シャ、シャワーっていったいどういうつもりだよ、おい」

「昨夜一誠くんのお家にお泊まりしたから浴びれなかったのよ。軽く汗を流すていどだから、勘弁してくれない?」

 

 ああ、そうか。彼女も昨日は、一夜がかりで彼の治療をしてくれたのだ。

 

「……はあ」

 

 男の俺がいるところでアレだがなあ、と思いつつも、しかし仕方がなかった。

 

「わーったよ、好きにしろや」

「ごめんなさいね」

 

 しかし言ってしまってから、くつろごうにもくつろげないのが現実であることに気がつく。

 

「……はあ」

 

 ここにきて、二度目の溜め息である。

 すると目の前のテーブルに紅茶が置かれた。どうやら朱乃が淹れてくれたものらしい。

 

「熱いですから、気をつけてくださいね」

「おう、サンキュウ」

 

 ためしに一口だけすする。

 

「……うま」

 

 その予想外の味に、思わずそうつぶやいた。それは世辞のない、本心からのものだ。

 

「すげえな、これ。淹れ慣れてるっつぅか、今まで飲んできた中でイチバンかも知れんな」

「あらあら、そう言っていただけると嬉しいですわ」

 

 そう言ってから、朱乃はシャワー・カーテンの向こうへと入っていった。おおかた、バスタオルか何かを出しに行ったのだろう。

 

「……」

「……ん? どしたぃ?」

 

 ふと正面を見ると、ちょうど向かい合うように座った小猫がこちらを見ていた。さっきまで羊羹を黙々とくっていた手をとめてまで。

 

「……黒鉄斬輝(くろがねざんき)先輩、ですよね?」

 

 さっき彼女がそう紹介していたはずだが……それにあの距離だから聴き逃すわけもないだろう。

 

「おう。それがどうかしたか」

「いえ、以前部長から何回か話を聞いてたので」

「ほう? 例えば、どんな?」

「格闘技を嗜んでらっしゃることとか……」

 

 おい、いきなりそれかい。

 斬輝としてはリアスにそんなことを直接話した覚えはないのだが……いや、ひょっとしたらどこかで話していたのかも知れない。そうでなくとも、誰かの会話からたまたま聴こえたのか、あるいはちょっとしたトレーニングを偶然見られ……いや、それだけは絶対にないな。

 しかし、ここでそんなことをわざわざ言うということはつまり、

 

「お前も、そうなのか?」

「はい」

 

 そういうことなのだ。

 

「驚いたな。その体格だったら、相手の懐に潜り込むのもラクそうだ」

「……先輩は、私が小さいとおっしゃりたいんですか?」

莫迦(ばか)言うなよ。俺ぁただ、羨ましいと思っただけさ」

「う、羨ましい……?」

 

 それが彼女の考えていた答えと違ったからなのか、訝しんだ顔をしてきた。

 

「なんだよ、何か変なことでも言ったか?」

「……いいえ」

 

 おう、そうか。それなら良かった。

 ともあれ、流れるシャワー音をBGMにしながら斬輝はおよそ一五分ほど後輩の到着を待ち続けることになった。

 

 

 

       

 

 

『人類』が歩んできた歴史は、すべて光に向かって手を伸ばし続けた歴史であると言える。

 太陽に始まり、炎、電気、核、そして再び太陽……。夜を追い払い闇を照らす光を、彼らは求め続けてきた。

 だが夜は日毎(ひごと)に巡り、闇は消え去ることがない。それどころか、光に追われた闇は影となって凝縮し、より濃密になってゆくのだ。

 照らしつける光が強ければ強いほど、そこに生じる影は濃い。

 だが問題なのは、光があるから影が生まれるのではない、ということだ。

 影が生まれるのは、そこに光を遮るなにものかが存在するからである。

 そしてその存在が巨大であればあるほど、影も巨大に膨れ上がってゆく。

 その中に巣くうものがいるとすれば、

 それは表の世界に背を向けた『裏の住人』だ。

 

「……さて、これで全員そろったわね」

 

 もしかしたら、とリアス・グレモリーは思う。

 

「黒鉄斬輝くん、そして兵藤一誠くん。……いえ、イッセー」

「おうよ」

「は、はい」

「私達オカルト研究部は、あなた達を歓迎するわ」

「は、はいっ!」

 

 それは、私達にも充分当てはまるのかも知れない。

 

「悪魔としてね」

 

 瞬間、二人の顔が強張った。二つあるソファのうち、一つを斬輝と一誠が、もう一つに朱乃と小猫、そして一誠を連れてくるように連絡していた祐斗が座る格好で、リアスは自身の執務机に寄りかかっている。

 古来より、人間という種が悪魔に対して抱くイメージはあまり良いものではないと言われている。単なる幻想だと言われたこともないわけではなかった。

 しかしそれでも、

 

「……単刀直入に言うわ。私達は悪魔なの」

 

 彼女達は悪魔なのだ。

 

「悪魔、ねえ……」

 

 斬輝だ。腕を組んでやや前傾になって、その目はリアスへと向けられていた。

 そこにあるのは、明らかな疑心である。

 

「信じられないって顔ね」

「そりゃあな。別にお前を信用してねえわけじゃないがよ、さすがに話がぶっ飛び過ぎてるってぇか、なんつぅかよ……」

「まあ、仕方ないわよ。私だって隠したくて隠してたわけじゃないもの。でも、悪魔は現代(いま)においてもちゃんと存在しているの」

「んなこと言われてもよぉ……」

 

 そう言ってふてくされる斬輝だが、一誠にいたってはもっと酷い。目の焦点こそ定まっているが、その口は空いたまま塞がっていないのだ。

 ……そうね。

 

「ゆうべ、あなた達も黒い翼の男を見たでしょう? あれは堕天使よ」

「……ああ、そういや、そんなことも言ってたっけな」

 

 ドーナシークのことだ。

 彼らももとは神に仕える天使だったのだが、その心に邪な感情を抱いてしまったがゆえに地獄へと堕ちてしまった存在だ。

 悪魔であるリアス達の敵でもある。

 

「私達悪魔とは、冥界……人間界(ここ)で言うところの地獄の覇権を巡って長年の敵対関係にあるのよ。しかもそこに、神の命を受けて悪魔と堕天使を問答無用で倒しに来る天使も含めると三すくみの状態になってしまうわ……。でも、それを大昔から繰り広げているのよ」

「……ちょ、ちょっとリアス先輩、待ってください。悪魔だとか堕天使だとか、いきなりそんなこと言われても話についてけないって言うか……」

 

 ここでついに、当惑した一誠が声をあげた。

 

「普通の男子高校生である俺には難易度が高い話だと思うんですが……もしかしてこれって、もうオカルト研究部の議題か何かなんですか?」

「いいえ。オカルト研究部は仮の姿。私の趣味に近いわね」

「趣味、ですか……、だったらなおさら……」

天野夕麻(あまのゆうま)

 

 瞬間、一誠の顔が驚愕の色に染まった。

 まるで、知らないはずであることを知っていたように。

 

「イッセー。あなたはあの日、彼女とたしかにデートしていたわ。間違いなくね」

「冗談なら……」

 

 すると、兵藤一誠の声音がいくらか低くなった。

 だがリアスは、彼の感情をすぐに理解した。

 怒りだ。

 

「……冗談なら、ここまでにしてください。斬輝先輩以外誰も覚えてないってのに、こういう雰囲気で話されるのは胸糞悪いです」

 

 無理もない、とリアスは思う。

 斬輝から聞いた話では、『天野夕麻』と名乗る女子は一誠にとって初めての彼女だったのだ。

 そしてあの日のデートも、初めて彼の人生に刻まれた一日だったのだ。

 

「……彼女は『存在』していたわ。たしかにね」

「なに?」

 

 ふたたび紅茶を飲もうとしていた斬輝の手が、ふいに止まった。

 

「そいつは間違いねえのか、グレモリー」

「ええ」

 

 言いながらリアスが取り出したのは、一枚の写真である。

 

「この子よね? 天野夕麻ちゃんって」

 

 差し出された写真を斬輝達が覗き込んだ時、一誠の血相が変わる。

 そこには、一誠が探し求めていたであろう天野夕麻の姿が鮮明に映し出されていたのである。

 

「なんで……」

「だから言ったでしょう? 彼女はたしかに『存在』していたと」

 

 もっとも、とリアスは付け加える。

 

「念入りに自分であなたの周囲にいた証拠を消したようだけれど」

 

 だがそこに映る彼女は、いくらかヒトならざる者の証を持ち合わせていた。

 

「黒い、翼……」

 

 呻くように、斬輝がつぶやいた。

 そう。

 写真の彼女には、その背中に闇よりも深い漆黒の翼が生えていたのだ。

 

「この子……いえ、彼女は堕天使。昨夜(ゆうべ)あなた達を襲ったのと同種の者よ。この堕天使は、ある目的があってあなたと接触したの」

「目的、ですか……?」

「ええ」

 

 堕天使が、何の変哲もない一般の高校生に自ら接触した理由。

 それは……、

 

「……あなたを殺すためよ」

「殺すって……!?」

 

 動揺する一誠をよそに、しかし斬輝はリアスから視線を放さなかった。

 それは動じていない、というよりも、むしろ受け入れていることに近いかも知れない。

 

「なっ、なんで俺がそんな……」

「落ち着いてイッセー。仕方がなかった……いいえ、運がなかったのでしょうね。殺されない所持者もいるわけだし……」

「そんな……でも、俺生きてるっスよ! だいたい、なんで俺が狙われるんだよ!」

「彼女があなたに近づいたのは、あなたの身にとある物騒なモノが付いているかかどうかを調査するため。でも、きっと反応が曖昧だったんでしょうね」

 

 だから嘘の告白をし、仮初の恋人関係として彼との距離を縮めた。じっくり時間をかけて調べる必要があったからだ。

 デートも、結局のところ彼女にとっては単なる情報収集の機会でしかなかったのである。

 

「そして、確定した。あなたが神器(セイクリッド・ギア)を身に宿す存在だと」

 

 神器(セイクリッド・ギア)

 リアスの放ったその言葉に、一誠の肩がわずかにひくついたような気がした。

 やっぱり。

 心当たりがあるのね。

 

神器(セイクリッド・ギア)とは、特定の人物に宿る規格外の力。例えば、歴史上に残る人物の多くはその神器(セイクリッド・ギア)所持者と言われているんだ」

「現在でも軀に神器(セイクリッド・ギア)を宿す人は存在するのよ。世界的に活躍する方々がいらっしゃるでしょう? あの方々の多くもその身に神器(セイクリッド・ギア)を宿しているのです」

 

 祐斗と朱乃の説明に続くように、リアスは言った。

 

「大半は人間社会の中でしか機能しないものばかりだけど、中にはずば抜けた力を持つものも存在するの。あの堕天使はあなたの中に眠る神器(セイクリッド・ギア)が危険だと判断して、あなたを殺した」

 

 それが、『天野夕麻』と呼ばれていた堕天使の目的だったのだ。

 

「あなたの周りから彼女の記憶が消えたのは、目的を果たした彼女自身が自分の記憶と記録を消させたからよ」

 

 なるほどなあ、と得心したように斬輝がつぶやいた。

 

「じゃあ、何か? 俺は直接彼女に逢わなかったから、記憶を消されなかったと?」

「……いいえ」

 

 そう。

 兵藤一誠が堕天使に狙われたことは、たしかに問題ではあった。だが彼の身に神器(セイクリッド・ギア)が宿っていることは、張り込ませていた小猫の情報を含めてリアスもあらかじめ判っていたことだ。

 しかし、本題はここからでもあった。

 

「斬輝くん、それは違うわ」

「ああ?」

「彼女はね、この学園にいる者全員の記憶を消したのよ」

 

 万が一、自分のことを覚えているものが現れないように。

 しかしその効果は、あくまで何の力も持たない人間までしか及ばない。悪魔などは一切の影響を受けないのである。

 

「でも、あなたには彼女の記憶が残っている……これがどういうことか、判る?」

「……どういうこった?」

 

 だが例外がないわけではないのだ。

 

「あなたにも……」

 

 リアスの声が、少しだけ弱くなる。

 予兆がなかったわけではない。これまでにも、彼に対して普通とは違う『なにか』を感じたことはあったのだ。

 正直、とリアスは思う。

 あなただけには関わってほしくなかった。

 あなただけは、この青春時代を謳歌してもらいたかった。

 

「……あなたの軀にも神器(セイクリッド・ギア)が宿っているのよ」

 

 だけど、それは出来なかった。

 判ってしまった以上は、

 もう……。

 

 

 黒鉄斬輝はこれまで、あらゆる事柄はそのほとんどが科学的に解釈が出来るものだと思っていた。

 例えば一部の『幽霊』の可視は自己催眠と他者催眠による幻覚だし、金縛りだって、軀が動かないのは何者かに抑えつけられているわけではなく脳だけが覚醒しているためであることは知られている話だ。

 だが、これはなんだ?

 次元が違う、というのが率直な感想だった。

 悪魔?

 堕天使?

 そんな話をしているのがリアス・グレモリーでなければ、おそらく斬輝はしびれを切らしてここから出ていたかもしれない。

 正直、話の流れが飲み込めないわけではなかった。しかしそれでも頭の中で情報の処理が追いつかず、ただじっと彼女を見ていることしか出来なかったのだ。

 それは話をしている相手への、最低限の態度である。

 そして彼女は、彼に言った。

 

「……あなたの軀にもセイクリッド・ギアが宿っているのよ」

「あぁん?」

 

 セイクリッド・ギアってやつが、か?

 そいつが俺にもあるってのか!?

 じゃあ……、

 

「だから……なのか?」

 

 俺だけが唯一、ヒトとして『天野夕麻』という存在を覚えているということは。

 偶然などではない……、そういうことなのか!?

 

「ええ」

 

 リアスは、そう言った。

 

「あなたの中に眠るセイクリッド・ギアが、堕天使の記憶操作を無効にしたのよ」

「けどよぉ、特に何にも感じないぜ? 俺の中に何かがあるようには思えねえがな」

「そう……判ったわ」

 

 そして、リアスは一誠の方へと向き直る。

 

「イッセー、ちょっと手を上にかざしてちょうだい」

「え?」

「いいから、早く」

 

 リアスに急かされ、わけが判らないまま一誠は左腕を上にあげた。

 

「目を閉じて、あなたの中で一番強いと感じる何かを心の中で想像してみてちょうだい」

 

 この空気、この流れ……、

 間違いない。

 彼女は、出現させるつもりなのだ。

 兵藤一誠の中に眠るセイクリッド・ギアとやらを。

 

「い、一番強い存在……。『ドラグ・ソボール』の空孫悟(そらまごさとる)かなあ……」

 

 漫画のキャラクターか、と思ったが……なるほど、一誠にとっての最強は彼であってもなんらおかしくはないのかも知れない。

 二年ほど前に、彼の『ドラグ・ソボール』話に付き合わされた思い出がある。

 

「では、その人が一番強く見えるを思い浮かべるの」

「……」

 

 リアスの言葉で、一誠が静かになった。おおかた、彼がドラゴン波を撃つ時のポーズでも考えているのだろう。

 

「そして、その人物の一番強く見える姿を真似てみて。強くよ? 軽いと意味がないから」

 

 リアスがそういうものの、いっこうに一誠は『構え』を取ろうとしない。

 それどころか、閉じた瞼の下で、その唇はわずかにひくついているのである。

 ……まさか、ここにきて羞恥心か?

 そんなもんとうの昔に置き去りにしてきただろうに、と思いつつ、斬輝は立ち上がった一誠の尻をはたいた。

 

「ほれ、早くしろや」

「いってぇ! ……あーもう、判りましたよ!!」

 

 意を決した一誠はそのまま開いた両手を上下に構え、すばやく前に突き出した。

 

「ドラゴン波!」

 

 その恰好のまま、声を張り上げて。

 瞬間、わずかに上に重ねた彼の左腕の、その前腕が光ったように見えた。

 

「さあ、目を開けて。この空間だったら魔力が漂っているから、セイクリッド・ギアの発言も容易に出来るはず」

 

 その時だ。

 

「……ぅわっ!?」

 

 思ったとおりだった。鈍く光った一誠の左腕が輝きだし、瞬間彼らの視界を遮ったのだ。

 やがて光は弱まり、一誠の左腕を覆うようにして新たなカタチを形成させてゆく。

 

「な……なな、何じゃこりゃぁああぁあああっ!?」

「……マジかよ」

 

 光が晴れた時、そこにあるのは真っ赤な籠手だった。思っていた以上に凝った装飾で、凹凸の激しいそいつの手の甲の一には鈍く光る丸い緑色の宝石が嵌め込まれている。

 これが……、

 

「こいつが、セイクリッド・ギアなのか……」

 

 驚愕の中、絞り出すように斬輝は言った。

 

「ええ、そう。だけどイッセー、あなたはそのセイクリッド・ギアを危険視されて堕天使……天野夕麻に殺されたの。そして瀕死の中、あなたは私を呼んだのよ。この紙から私を召喚してね」

 

 彼女が渡してきたのは、一枚のチラシだった。そこにあるのは、『あなたの願いを叶えます!』という謳い文句と、裏面には奇妙な魔方陣の描かれたチラシである。

 

「ん?」

 

 それを見つめていると、ふと気がついた。

 このチラシに描かれている魔方陣が、ここオカルト研究部の部室の床に刻まれたものと同一のものだったのだ。

 ああ、そうか。

 そういうことか。

 

「じゃ、あのコスプレは単なるコスプレじゃなかったってわけか」

「あら。あなたもそれを貰ったことがあるの?」

「いいや。ただずいぶん前にこいつと同じような奴を配ってる連中がいてな。たしかそン時に渡されてたやつが俺ン()のどっかにあると思うんだが……そうか、お前ンとこの奴らだったのか」

「そうよ。実はこれ、私達が配っているチラシなの。裏の魔方陣は私達悪魔を召喚するためのもの。悪魔を召喚しそうな人間に、こうやってチラシとして配るのよ。あの日、たまたま私が使役している使い魔達が人間に化けて繁華街で配っていたところを、イッセーが手にした。そして堕天使に攻撃されたイッセーは、死の間際に私を呼んだのよ」

 

 きっと、願いが強かったのね、と彼女は言った。

 

「普通なら眷族の朱乃達が呼ばれているはずなんだけれど」

 

 そうか。

 そうだったのか。

 ようやく、判った。

 二日前、一誠があれほどうろたえていた理由が。

 そして昨日、彼が黒ずくめの堕天使に襲われた、その真意が。

 

「イッセー」

「は、はいっ!」

「あなたは、たしかに一度『死』んだわ」

「はあ……」

「けれど、あなたは私、リアス・グレモリーの眷族として生まれ変わったわ。私の下僕の悪魔として」

 

 すると次の瞬間、

 ばっ!

 とリアス・グレモリーの背中から黒い翼が生えた。

 ゆうべ見たような、薄汚い黒ではない。こちらはもっと潔いというか……本当の意味で黒い色合いをしていた。

 それだけではない。姫島朱乃も、木場祐斗も、塔城小猫も、みな彼女と同じ形の翼を展開させたのだ。

 そして、

 

「……うわっ! え!?」

 

 まるで共鳴するかのように、一誠の背中からも一対の翼が展開する。彼も例外でなく、リアスのそれと同じ形状だ。

 唯一翼が生えていないのは、斬輝ただ一人である。

 CGではない、そう直感した。

 

「改めて紹介するわね。……祐斗」

 

 促されて、金髪の少年が一歩前へ出る。そして浮かべるのは、こ学園の女子を虜にする笑みである。

 

「僕は木場祐斗。黒鉄先輩とは初めましてですが、兵藤くんとは同じ学年だってことは判ってるよね。えっと、僕も悪魔です。よろしく」

「……一年生の、塔城小猫です。よろしくお願いします。……悪魔です」

 

 木場に続いて、塔城小猫が小さく頭を下げた。緊張のせいなのか、それとももとからなのか、よく耳を澄まさないと彼女の声は聞き取れなかった。

 

「三年生、姫島朱乃ですわ。一応、研究部の副部長も兼任しております。今後もよろしくお願いします。これでも悪魔ですわ、うふふ」

 

 こちらは礼儀正しく、深く頭を下げる。

 どのメンツも、最後には必ず『悪魔』という単語が含まれていた。

 やはり、そうなのか。

 

「そして、私が彼らの主であり、悪魔でもあるグレモリー家のリアス・グレモリーよ。家の爵位は公爵。よろしくね、斬輝くん。そしてイッセー」

 

 

 

       

 

 

 それはリアスの提案だった。

 斬輝は即座に却下したが、リアスは譲ろうとはしなかった。

 兵藤一誠がリアスによって転生悪魔になったことが判明し、今日は事実上の解散となった後のことである。

 一誠達といっしょに部室を出ようとしたのだが、そこをなぜか彼女に呼び止められた。

 部活などへの興味はないのかと尋ねてきたのだ。

 実際、部活にはそこまでの興味はない。ただ楽しく過ごすことが出来るのなら、別に入ろうが入らまいが構わなかったのである。

 事実、今のところ彼は帰宅部の扱いになっている。

 だったら、と彼女が言いだしたのだ。

 

「あなたも、オカルト研究部に入りなさい」

「冗談よせよ。今さら入ったところで、たかだか半年ていどだろ? 意味あんのかよ」

「大アリよ」

 

 突然距離を詰めたリアスが、右の手を斬輝の胸へと当てる。もともと向かい合っていたために、二人の距離は最大限に縮まったと言えるだろう。

 こちらを見上げる彼女の髪が斬輝の鼻にあたって、少々くすぐったい。

 

「判ってるの? あなたの中にはセイクリッド・ギアが宿っている。このままだったら、間違いなくあなたは堕天使達に狙われてしまうわ」

 

 そして最悪の場合、殺される。

 巻き込まれるのではない。

 狙われるのである。

 だからお願い、とリアスは言った。

 

「私に……私達にあなたを護らせて」

 

 彼女達が悪魔であることは、理解した。それも一般の認識とは違って、人間に対してかなり友好的であることも。

 だが肝心な彼のセイクリッド・ギアについては、その正体がまだ判らずじまいなのだ。

 そんな不確定な要素を理由に『拘束』されるなんて堪らなかった。

 だいたい、狙われるタイミングだっていつになることやら……。

 ……断る、と言おうとしたが、

 

「それとも……」

 

 ふいに紡いだ彼女の声に、喉まで出かかっていた言葉をあわてて飲み込んだ。

 

「……悪魔として、私の下僕になる?」

 

 下僕。

 ようは、彼女の眷族悪魔になる、ということだ。

 かつて冥界で起こった大戦の影響によって、混じりけのない純粋な悪魔はその多数が命を落としたと言われている。

 だが彼女を見れば判るように、悪魔にも性別は存在する。ゆえに子孫を作ることは可能なものの、悪魔は人間よりはるかに強靭で長命だからか、自然出生だけで失った数を補うことには相当の時間を費やす必要がある。

 極端に出生確率が低いのだ。

 ゆえに爵位持ちの悪魔達は、素質のある人間を手下……つまり下僕として悪魔側に引き込むようになったらしい。

 だがそれでは数が増えただけで、力ある悪魔を増やす、という根本の解決にはならない。

 そこで悪魔達は新たな制度を設けたのだという。力の持つ新たな転生者……人間から悪魔になった者にもチャンスを与えるというものだ。

 つまり、純潔の悪魔でなくとも充分な力さえあれば爵位持ちになれる、ということである。

 そして彼女が懐から取り出した二つの駒は、そのために必要なものだ。

 血のように紅いそれらは、見るとチェスの駒のようにも見える。おそらくこれによって悪魔に転生した者達が、さっきの一誠や木場達なのだろう。

 

「まだ『戦車(ルーク)』と『僧侶(ビショップ)』の駒が残ってるわ……どうするの?」

 

 一年生のころから彼女とはクラスメイトだったが、しかしこんな彼女は初めて見たかも知れない。

 彼に出された選択肢は、二つ。

 オカルト研究部に入って保護されるか、

 今すぐ悪魔に転生するか……。

 だが、と斬輝は思う。

 どっちを選んでも、けっきょくはこいつの近くになるってことか。

 だとすれば、答えは一つしかない。

 

「……わーったよ、入りゃイイんだろ? 入りゃよ」

 

 頭を搔きながら、折れた斬輝はそう呟いた。

 

「だから、下僕は勘弁してくれ。俺はまだ人間やめたくねえからな」

「判ったわ」

 

 そう言って浮かべる、こんな子供のような無邪気な笑顔も、何度目にしたことか。

 少なくとも最近で言えば、三か月ほど前に彼女から食事に誘われた時だった気がする。新作のパフェを一口喰った時の彼女の顔は、割と鮮明に覚えている。

 心から楽しそうな、嬉しそうな笑みだった。

 

「……けど」

「ん? なに?」

 

 いつだったか、学園の中で聞いたことがあった。誰が言っていたのか覚えていないが、たしか同じ三年で、眼鏡をかけていたような気がする。

 そんな彼女とすれ違った時に、ふいに聴こえたのだ。

 まったく、リアスのワガママに付き合わされるのもこれで何度目なんでしょうか……。

 その言葉になかば諦観の色が感じられたことを、今でもなんとなく覚えていた。

 

「同じ部活になったからって、俺ぁあいつらみてえに『部長』とは呼ばねえからな」

「それは駄目よ。ちゃんと『部長』と呼びなさい。歳が同じだからと言っても、朱乃にだってそう呼ばせているのよ?」

 

 あのなあ、と、斬輝はふてくされるリアスの両肩に手を置いた。

 

「あいつはクラスが違うだろうが。それならまだしもよ、同じクラスで、しかも席だって隣同士なんだ。むしろそっちで呼んじまったら、違和感しか残らねえだろ。ん?」

 

 だから今まで通りにさせてくれ。

 斬輝が言いたかったのは、つまりそういうことなのだ。

 

「……やっぱり駄目よ」

「はあ?」

 

 だが。

 

「……『部長』がイヤなのであれば、せめて『リアス』って呼んで」

 

 なにぃ!?

 驚いたのは、今度はこっちの方だ。

 自分はただ、今まで通りの呼び方にさせてくれと言ったに過ぎない。だがそうしたら今度は、名前で呼ぶようにしろってか!?

 だが、『部長』というのはやはり彼の性に合わないというか……呼び辛いのは確かだ。

 しかし名前となるとさらにハードルは高くなるわけで……。

 

「……まあ、それはそれで考えとく」

 

 だがまあ、彼のその返事でひとまずの了承は得られたみたいで何よりだった。

 ……少々引っかかる点がないわけでもなかったが。

 

「んじゃ、帰るからな」

「ええ。またね、斬輝」

「……斬輝って、もうそっちはソノ気なのかよ?」

「いいえ、あなたが私のことを名前で呼んでくれるなら、こちらもちゃんと呼ぼうと思っただけ。あなたのことだし、『くん』だってきっといらないでしょう?」

「むう……」

 

 それはたしかに思っていたことではある。これまで斬輝が『グレモリーさん』と呼んでこなかったように、同い年の相手からは基本的に『くん』付けで呼んでほしくはなかったのだ。

 しかしリアス・グレモリーはことあるごとに『くん』付けだったこともあって、正直諦めかけていた部分でもあったのである。

 

「……好きにしやがれ。とにかく、俺はもう帰る」

 

 踵を返したその背後で彼女がわずかに微笑んだような気がしたが、ひとまず斬輝は部室の扉を開けて廊下へと出た。

 ……出ようとした。

 

「……ぐっ!?」

 

 突如言うことをきかなくなった軀が、そのまま垂直に廊下へと崩れ落ちた。膝が床板に激突した時、だん、と普通ならばあり得ない音を響かせてだ。

 脳震盪を起こしたわけではないが、しかし感覚はそれに似ていた。金属のバットで頭をぶん殴られたような衝撃だったのだ。

 

「斬輝っ!?」

 

 突然のことに驚いたリアスが、あわてて駆け寄ってくる。

 

「大丈夫!?」

「ああ、まあ……。大丈夫って言えるかは知らねえが……な……!」

 

 今にも床に突っ伏してしまいそうなのを両腕で必死に支えて、しかしその腕さえも謎の『重さ』に耐えようと筋肉が硬直している。

 この感覚を、斬輝は覚えている。

 昨日、ドーナシークの槍をかわそうとした後のことだ。

 あの時も、軀が重かった。

 信じられないくらいに。

 だが昨日は、まだかろうじて立つことは出来ていた。しかし今は、それすらもままならないのだ。

 四つん這いの格好を保っているだけで精一杯なのである。

 なんだ?

 なんなんだ、これは!?

 

「……セイクリッド・ギア……?」

 

 ふいに、その言葉が脳裏をよぎった。

 だが次の瞬間、

 

「ああっ!?」

 

 今まで経験したことのないような激痛が、全身に叩きつけてきた。

 

「斬輝!? しっかりして! 斬輝!!」

 

 声を張り上げる彼女には、明らかな焦燥が見て取れた。

 

「いったい、何がどうなっていると言うの!?」

「知るかよ……いきなり、こうなったんだ……糞っタレ……!!」

 

 ここで気を抜けば、間違いなく意識を持っていかれる。

 こン畜生が。

『痛み』は、とどまることを知らないのだ!

 

「……がぁああああぁあっ! ぐ……ぁあぁあぁぁぁあぁああ!!」

 

 それはまるで、全身を内側から鉄のナイフで斬りきざまれているかのように感じる。骨を断ち割り、皮膚を抉ろうとしているように思えるのだ。

 やがて自身を支えていた腕も限界を迎え、斬輝の上半身も床へと叩きつけられる。

 

「ぁぁああぁあぁぁあぁあぁああぁぁあぁあああああぁぁあぁあぁぁあああっ!!」

 

 斬輝は吠えた。

 それは絶叫だった。

 そして反動でうつ伏せだった状態から仰向けになった時、

 こちらを覗き込む紅が見えた。

 直後、黒鉄斬輝の意識は『痛み』とすりかわった。

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