ハイスクールD×D 呪われし鉄刃   作:椎名洋介

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 本日の「第四章~」と次週の「第五章~」はそれなりの分量なので、時間のある時にでも覗いてやってください。


第四章 蔑まれし聖女

       

 

 

 刀剣の善し悪しを語る時、必ず一点だけ共通する部分がある。

 刀剣に要求される硬さ、弾力、長さ、重さ、そして形状……。それらは全て、いかに用いるかによって大きく異なる。

 しかし、可能な限り刃が薄いこと、という条件は変わらないのである。

 刀身全体ではなく、まさに標的に触れる部分、厳密な意味での『刃』のことだ。標的に喰い込み、切り裂く刃の面……いや、線だけは、可能な限りの薄さを持っていなければならない。

 それは、単純な理屈である。

 対象にかかる加重が等しい時、その面積がより少ない方が大きな力となる。釘の先端が尖っているのと、同じ理屈だ。

 ならば。

 究極の刀剣とは、すなわち『厚みのない刃』を持った刀剣であると言えよう。

 それが可能であるか否かを問うことさえしなければ、まさにそれは理想の刀剣である。

 だが、

 そんな厚みのない……完璧な二次元平面の刃など、本当に存在し得るのだろうか?

 弱っていたとはいえ、はぐれ悪魔であるバイザーを一撃で沈めることの出来る刀剣など、あり得るのだろうか?

 

「はぁ……」

 

 何度目か知らない溜め息を漏らしつつ、リアスは二日前の出来事がどうにも解せないでいた。

 陽が沈み始めたころから降り始めた雨は、夜には本降りになった。

 もうすぐ零時を回りそうな今となっては、土砂降りである。

 そんな間断なく続く激しい雨音をBGMに、

 

「……もしかして、斬輝くんのことですか?」

 

 リアスの横に立つようにして、朱乃が囁いた。それはつまり、今ここにいる他の部員には極力聴こえさせないようにするためだ。

 そんなことをしても、悪魔の聴力ともなれば意味がないと判っていながら。

 うなずいて、リアスは執務机の上で組んだ手の上に顎を乗せた。

 バイザーが想定外の特攻を仕掛けてきたというのも、もちろんある。だがそれ以上に、彼の肉体に起きた変化の一端を垣間見てしまったことの方が、よっぽど大事だったのだ。

 まさに、朱乃の言う通りである。

 今リアスの頭の中には、二つの疑問点が生まれていた。

 一つは、なぜバイザーの頭部が……それも斬輝が振り向きざまに薙いだ拳の流れに沿って『上下』に分断されたのか。

 もう一つは、

 

「彼の『骨』……ですか?」

 

 吐息だけの声に、わずかに朱乃の方に瞳が向いた。

 ええ、そうよ。

 彼女も『見』ているんだもの、気づいていて当然だわ。

 

「……そうね」

 

 あの日……悪魔としての闘い方及び悪魔の駒(イーヴィル・ピース)の説明を二人に施そうとした二日前の夜だ。

 リアスを庇って背中にいくつもの穴を穿たれた斬輝を朱乃と二人がかりで治療をした時に、見えたのだ。

 肉を抉られた痛々しい傷の中に、血の赤に混じって鈍色(にびいろ)の光を放つ『それ』を。

 最初に見た時、リアスはそれが何なのか判らなかった。無論、朱乃もだ。

 しかし徐々に止血されてゆくにつれ、鈍色の正体が判ってきたのだ。

 そして、以前から気になっていた斬輝の肉体の『異変』の一部を理解した瞬間、リアスは戦慄した。

 同時に、あり得ない、とも思った。

 あれが……あの鈍色の輝きが黒鉄斬輝の中に眠っていた神器(セイクリッド・ギア)と関係があったとしても、

 

「あんなモノ……一度も見たことないわ」

 

 そこまで自分で言ってしまってから、ふとリアスは気づいてしまった。

 以前、部室で倒れた斬輝を家まで連れて行った、翌朝のことだ。

 あの時、彼は自分で言っていたではないか。

 自分の中にあるのが神器(セイクリッド・ギア)なのかさえ判らない、と。

 たしかにそうだ。

 あれは……神器(セイクリッド・ギア)と呼べるのだろうか?

 おそらく『彼』に訊いたところで、すぐに明確な答えが返ってくることはないだろう。

 

「どうぞ」

 

 朱乃が、つい、と紅茶を淹れたティー・カップを机の上に置く。

 

「ありがとう」

 

 頭を一度整理させるべく、一口だけ飲んだ。

 

「……そういえば、イッセーは?」

「あら、イッセーくんなら今夜も依頼人のもとに行っていますわよ」

 

 今日も?

 

「この雨で?」

「そのようですわね。放課後の部活時にも何やら張り切っていましたから」

「そう……」

 

 無理もない、とは思う。

 一誠の駒が『兵士(ポーン)』だと明かされた時の落ち込み方は、むしろ主であるリアスでさえ同情してしまいそうなほどのものだったのだ。

 期待していたがゆえに、谷底へと叩き落とされたような感覚だったのだろう。

 たしかに『兵士(ポーン)』は弱い。本来のチェスにおいても捨て駒扱いなのだ。

 だが今の朱乃の言葉を聴いて、少しだけ安心した。

 張り切っているということは、とどのつまり、落とされた谷底から這い上がろうともがいているということだ。

 もしもあのまま沈まれでもしたら、それこそどうすれば良いのか判らなくなる。

 カップを口に運ぶ。

 

「何事も起きなければ良いのだけど」

「そうですわね……」

 

 あの夜からこっち、斬輝は部活に顔を出していない。まるでリアスを避けているかのように、話しかけることさえ少なくなっているのだ。

 いや……あるいは、恐れているか。

 この二日で、彼はずいぶん変わった。なんとか傷を塞ぐところまで出来たころには、さんきゅ、とだけ言って一人で勝手に帰ったのである。

 でも、と思う。

 私には、あの時の彼を止めることは出来なかった。

 傍に居てあげたくても、今の私にはそれが出来ないのよ。

 二重の意味で。

 下僕には、心から慕われている。主としても、愛されている。

 またもちろん、リアスだって眷属悪魔達を家族のように愛していた。

 もともと、グレモリー家は情愛が深いことで知られる家系だ。もしかすれば、それが彼女と下僕達との関係を深められている理由の一つなのかも知れない。

 そして実際に、そうなのだろう。これまで何度も下僕達を助けてきたし、助けられてきたのだから。

 しかしそれは、あくまで『グレモリー家のリアス』としての関係性だ。

 悪魔としてではない『リアス』として助けられたのは、あれが初めてのことだった。

 情けない。少ないながらも眷属悪魔を持つ上級悪魔として、そして何より一人のオンナとして、リアスは自分が情けないと思った。

 

「それにしても」

 

 朱乃がふとそう呟いたのは、再びリアスがカップを口に運んだ時だった。

 しかもそれは、囁きではない。ソファに座って本を読んでいた木場が、同じく向かいのソファで黙々と饅頭を食べていた小猫が……その場にいた部員達がその視線を朱乃の方へと向けたのである。

 

「妙ですわね」

「どうしたの?」

「おかしいとは思いませんか?」

「な……」

 

 ……なにを、と言いかけて、

 

「あ」

 

 リアスはわずかに上擦った声をあげた。

 そうだ。たしかに、おかしい。

 兵藤一誠は、どういうわけか魔法陣を介しての移動ができないでいる。そのため、彼は自らの『足』を使って依頼主のもと赴く必要があるのだ。

 前代未聞である。

 ゆえに、依頼主のもとへ到着した際には一度こちらに連絡を寄越すように言っている。それは目的地へ無事到着出来たことの報告でもあり、また彼の安否の確認のためでもある。

 だが今夜は、それがないというのだ。

 それが意味することはただ一つ。

 

「部長」

 

 木場である。見るとすでに本は片づけられていて、だから彼がなにを言いたいのかはすぐに理解出来た。

 そして、小猫も。

 

「ええ」

 

 最後の一口を終えて、立ち上がる。

 

「行くわよ」

 

 

 

       

 

 

 磔にされた男なら、彼女も一人だけ見たことがあった。かつて、全人類のすべての『罪』を背負ったことによって、何の力も持たない普通の人間によって磔にされた男である。

 だが彼女が見たのは、四肢を釘で打ち抜かれ、十字架へと吊るされた男だったのだ。

 それも、本物の人間ではない。彼女が見たのは、精緻な彫刻だったのだ。

 決して民家の……それもリビングの壁に逆さまの格好で莫迦デカい釘に穿たれる生身の男ではない。

 本物の屍体ではない!

 

「……い、いやぁぁあぁぁああぁあああぁあっ!!」

 

 無残に壁に打ちつけられた『男だった者』の姿を見たアーシア・アルジェントは、辺りに響くような甲高い声をあげた。

 金切り声をである。

 酷い。

 酷過ぎる。

 いったい、誰がこんな残虐なことを……?

 その時だ。

 

「おんやあ? 助手のアーシアちゃんじゃあ、あぁりませんかあ! 結界は張り終わったのかなあ?」

 

 聞き慣れた声がした。

 弾かれたようにそちらを向くと、『彼』がいた。肩まで伸びた白髪に、白のインナー。その上には黒のロング・コートという恰好である。

 季節感など、ないに等しい。

 そしてその両手には、一丁の拳銃と一振りの剣が握られていた。

 そこには『刃』はない。悪魔にとって猛毒とされる『光』を『刀身』として扱えるようにしているのだ。言うなれば、光刃剣(こうじんけん)である。

 そして、首にかけられた十字架……。

 

「フリード神父さま!? こ、これは……」

 

 うろたえるアーシアに、しかしフリードはさらなる驚愕を彼女に与えた。

 

「そっかそっか、アーシアちゃんはまだビギナーでしたな。これが俺らの『仕事』。悪魔に魅入られた駄目人間は、こうして始末するンすよぉ」

 

 にたり。

 狂気の笑みを向けて、だ。

 

「そ、そんな……!」

 

 そして、ふいに視線がフリードの肩越しへと移った。

 

「……えっ!?」

 

 瞬間、アーシアは自分の目を疑った。

 リビングの真ん中である。

 屍体から滴る血が広がるフローリングの上で、片膝をつく男性がいた。

 少年である。

 アーシアと同い年くらいの。

 どこの学生かは知らないが、しかしその服装には見覚えがあったのだ。

 シャツを全開にして、その下に真っ赤なTシャツを着た少年である。

 もはや、間違えようがなかった。

 

「…………イッセー、さん……?」

 

 おそるおそる、その名を口にした。

 そして声に出してしまった瞬間、彼女の心の中で何かが崩れた。

 

「ア、アーシア……」

「なぁになに? キミ達もしかしてお知り合い?」

 

 フリードが、面白おかしくアーシアと一誠を交互に見やる。

 

「どうして、あなたが……?」

 

 兵藤一誠は、アーシアの方を向いていた目を逸らした。

 あとに続くのは、

 

「ごめん……」

 

 ただ、その一言だけだった。

 なぜ?

 なぜ彼が、こんなとこにいるの?

 

「フリード神父さま……その人は…………?」

「人ぉ!?」

 

 アーシアの声を遮るように、突然フリードが声を張り上げた。あからさまに両腕を広げて、まるで無知であることを嘲笑うかのようだ。

 

「ノンノン、こいつは『ヒト』なんかじゃありまっしぇえん! 下劣で糞な悪魔くんなんですぜえ!」

 

 悪魔?

 イッセーさんが、悪魔……?

 軽い足取りで近づいてきたフリードが、そのままアーシアの肩に腕を回す。

 

「残念だけどアーシアちゃん。悪魔と人間は、相容れません! ましてや僕達は、堕天使さまのご加護ナシでは生きてはいけぬハンパ者ですからなあ……」

 

 アーシアは、彼の言葉に応えることが出来なかった。

 その通りだからだ。

 悪魔と人間は相容れない。

 そして人間を惑わす下劣な悪魔は、神父によって裁かれるのが常なのだ。

 いや、

 だが、

 しかし、

 彼は、本当に人を惑わす悪い悪魔なのだろうか?

 初めて逢った時、彼はロクに日本語も判らないアーシアに手を差し伸べてくれた。道に迷っていた彼女を、目的地まで案内してくれたのだ。

 そんな彼が、悪い悪魔なのか!?

 

「まあともかく」

 

 フリードが、踵を返して一誠のもとへと歩き出す。

 

「とっととお仕事完了といきましょうかねえ」

 

 そのまま、光刃剣の切っ先を『悪魔』である一誠の首へと突きつける。

 

「覚悟はオーケー?」

 

 剣を振りかざす。その動作を見た瞬間、駄目だ、と思った。

 駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ!!

 このままでは、彼が殺されてしまう!

 フリードの手によって!!

 

「……待ってください!」

 

 気がついた時、アーシアの軀は勝手に動いていた。

 今まさに一誠を叩き斬ろうとするフリードと、なす術もなくその場に座り込む一誠との間に割り込んだのだ。

 一誠には背を向けて、

 フリードを向くように、

 両手を広げる格好で。

 

「……おいおい、マジですか」

 

 ふいに視界が無数の光芒に歪み始めた中で、彼女は自身の行動を思い返していた。

 ああ、そうだ。

 庇っているのだ。

 護っているのだ。

 泣きながら。

 

「フリード神父さま、お願いです! この方をお許しください!」

 

 兵藤一誠という、一人の少年を。

 ……悪魔を。

 正直、まだどちらが真実なのか判らない。

 悪魔は人間の敵で、討伐されし『獲物』なのか、有効的な関係を築ける『友』なのか。

 だが少なくとも、今のアーシアが信じていたのは、フリード・セルゼンではない。

 彼女の後ろにいる少年だ。

 

「どうか、どうかお見逃しを……!!」

 

 背後で、息を呑むのが聴こえた。

 

「キミ、自分がいったい何をしてるのか判ってるんスかあ?」

 

 詰め寄ってくるフリードをまっすぐに見据える彼女の瞳には、涙が溜まっていた。

 たくさんです。

 もう、たくさんです。

 悪魔に魅入られたからって人間を裁くのも、悪魔を殺すのも……そんなの絶対、間違ってます!

 

「たとえ悪魔だとしても、イッセーさんは良いヒトです! それにこんなこと、主がお許しになるはずがありません!!」

 

 心の叫びに、しかしフリードはさらに激昂した。

 そして、

 

「はあ!? なに莫迦こいてんだよ、この糞アマがあ!!」

 

 光刃剣を持っているのとは反対の手を……祓魔弾(ふつまだん)が装填された全長三〇センチばかりの拳銃を一気に横へと振り抜いたのである。

 アーシアへと!

 

「ア、アーシア!?」

 

 激突の寸前、一誠が上擦った声をあげた。

 痛みに声をあげることもなく、アーシアはそのままフローリングの床へと叩きつけられる。

 振り返ったアーシアが見たのは、怒りに顔面を歪めるフリードの姿だった。

 

「こんな糞野郎を庇おうとするなんて、キミには少し調教が必要かなあ!」

 

 標的をアーシアへと変更したフリードが、光刃剣をかざす。

 そして彼女へと斬りかかろうとした時、

 フリードとアーシアに挟まれた恰好の床が淡く光り出した。

 

「あん!? なんですかぁ、こいつはぁ!」

「部長……?」

 

 誰に問いかけるでもないフリードの言葉に、答えるように一誠がつぶやいた。

 次の瞬間、淡い光は深紅の円へと変じる。いくつもの直線や曲線がもつれ合うように組み合わさったそれは、俗に『魔方陣』と呼ばれるものであることをアーシアは知っている。

 突然、床に出現した魔方陣に重なるように、全く同じものがその上に現れた。

 音はない。ただ、魔方陣から悠然と光が放たれているだけだ。

 二つ目の魔方陣が、遠ざけ合う磁石のようにゆっくりと上昇してゆく。見慣れない魔方陣に挟まれて、徐々に数人の足元が見え始めてきた。

 

「やはりね……来てみて正解だったわ」

 

 突如として聞こえる、女性の声。大人びたそれは、どこか聴く者を安堵させる力があるように思えた。

 やがて魔方陣が消え入るように消滅すると、そこには数名の『悪魔』が立っていた。

 

 

 一誠からの連絡が来ない。それが判った瞬間に、リアスは考えうるすべての可能性を思慮した。

 移動中になんらかのトラブルに巻き込まれたか、到着はしたが肝心の依頼主がお留守だったか……いずれにせよ、それならば彼からの連絡は来ているはずだろう。

 ならば。

 残された選択肢は、ただ一つ。

 依頼主の間に何かが起こり、その場に居合わせた一誠までも巻き込まれている。

 眷属を連れて現場へ向かったリアス達が見たのは、惨状だった。

 薄暗い中でもはっきりと視認出来る『赤』に、ベッドが据え付けられた脇の壁に逆十字の格好でどデカい釘に貫かれた人間の遺体。床へと広がる血溜まりは、辿るとその人間へと繫がっている。

 そしてその傍で、片膝をついて苦痛に呻く一誠の姿……。

 思った通りだった。

 

「やはりね……来てみて正解だったわ」

 

 胸の奥底から湧き上がってくる『ナニカ』を無理やり押さえ込んで、けれど呟くリアスの声はわずかに震えている。

 彼女達の前にいるのは、今まさに光の刀身を持つ柄を握る白髪の青年である。その目は怒りに見開かれ、同時に『乱入者』であるリアス達を睨みつけている。

 

「なんですか、なんですかあ!? 悪魔御一行さまのご来店ですかあ! だったらさっさと俺っちに斬られてちょーだい!!」

 

 同時に踏み込んでリアスへと放たれる一撃に、応えるのは鋭い金属音である。持ち前の速度でリアスの前へと入り込んだ木場が、手にする魔剣で受け止めたのだ。十字に交差する恰好のまま、二本の剣は金属の軋みをあげながらお互いの『刃』を削り、その斬れ味を悪くさせてゆく。

 顔の正面で魔剣を横に倒した恰好で、

 

「下品な口だね、とても神父だとは思えないよ。……いや、だからこそ『はぐれ悪魔祓い(エクソシスト)』なのか」

 

 下卑た笑みを浮かべる悪魔祓い(エクソシスト)へと言う。

 

「あいあい! 下品でござーますよ! サーセンね! だって、はぐれちゃったんだもん! 追い出されちゃったもん!!」

 

『悪魔祓い』とは、神の名のもとに魔を滅する聖なる儀式のことである。

 だが悪魔祓い(エクソシスト)と呼ばれる者達には、大まかに分けて二通りの存在がある。

 一つは、神の祝福を受けた者達が行う正規の悪魔祓い。神や天使の力を借りることで、悪魔を滅するのだ。

 そしてもう一つは、悪魔を殺すこと自体に生き甲斐や悦楽を求めたがゆえに教会から追放された者達だ。

 命名の仕方としては、だからはぐれ悪魔に通ずるものがあるのかも知れない。

 だが厄介なのは、同じく悪魔が邪魔な堕天使達と利害が一致してしまった、ということだった。悪魔狩りにはまり込んだ危険なエクソシスト達が、神の名ではなく堕天使の加護を受けて、悪魔とその悪魔を召喚する人間へと牙を剝いたのである。

 目の前のこの少年が、その典型だ。

 無残に殺された男の屍体を横目に、

 

「イッセー、ごめんなさいね。まさかこの依頼主のもとにはぐれ悪魔祓いの者が訪れるなんて計算外だったの」

 

 一誠に向けてリアスがつぶやいた。そこでふと、一誠の脚を見た。

 

「……イッセー、怪我をしたの?」

「あ、その……はい。撃たれちゃって」

 

 弱々しく語る一誠は、それでもリアスに……仲間達に少しでも心配をかけないようにと苦し紛れの笑みを浮かべる。

 おそらく、あの少年神父の握る拳銃によるものだろう。

 エクソシストは、確実に悪魔を滅せられる手段を最優先にしてくることがある。それはすなわち、悪魔を確実に仕留めることの出来る武器を使用するということだ。

 そして悪魔は、光を嫌う。

 つまりは、そういうこと。

 自然と、怒気を孕んだ声が彼女の喉から漏れた。

 

「……ずいぶんと私の下僕を可愛がってくれたようね」

 

 鍔迫り合いからお互いに距離を取り……余裕なのか、しかし神父はいまだに下衆い笑みを浮かべたままだ。

 

「はいはい、可愛がってあげましたよぉ? 本当は全身くまなく斬り刻む予定でござんしたが、どうにも邪魔が入りまし……」

 

 ペチャクチャと喋り続けるエクソシストへ向けて、素早く右掌を突き出す。

 最後まで言わせなかった。

 ぼんっ、というくぐもった炸裂音とともに、神父をかすめるようにして放たれた『滅びの魔力』が、彼の背後に位置する家具の一部を消しとばしたのである。

 

「私ね、自分の下僕を傷つける輩を絶対に許さないことにしているの」

 

 次なる魔力の弾を生成させながら、特に、と付け加えた。

 

「あなたのような下品極まりない者に自分の所有物を傷つけられることは、本当に我慢出来ないわ」

 

 魔力の波動が辺り一帯を支配する中で、両目を細め、わずかに唇を笑みに歪める。

 おそらく彼の目には、それは不敵な笑みだと捉えるだろう。

 まさに、悪魔の笑みである。

 

「……堕天使、複数」

 

 小猫が、『臭い』に反応した。

 ああ。

 たしかに近い。すでにリビングの天井を這うようにして、楕円形の薄暗い空間が広がり始めていた。

 

「ひゃっはあ! 形勢逆転ですなあ!! 皆さんまとめて光の餌食、決定ぃ!!」

「このままでは、こちらが不利になりますわね」

「そうね……朱乃、イッセーを回収しだい本拠地へ帰還するわ。ジャンプの用意を。小猫、イッセーをお願い」

 

 魔法陣による転移である。仕える主の使用する魔方陣に刻印を読み込ませることによって空間の移動が可能になるのだ。

 あるていどの魔力量がある悪魔ならば、基本的な移動はすべてこれで済ませることが多い。

 

「判りました」

「部長! あの子もいっしょに!!」

 

 小猫に担がれるようにして起き上がった一誠が、先ほどリアス達が転移した位置の後ろを指差す。そこには、頬に痣をつけた金髪の少女が座り込んでした。

 おそらく、彼女が以前一誠が言っていたシスターだろう。

 だが、彼女は悪魔ではない。

 それも堕天使側の人間だ。

 

「無理よ。魔法陣を移動できるのは、悪魔と私が認めた一部の人間のみなの」

 

 それに今回の場合、グレモリー眷族しかジャンプが出来ないという、急ごしらえなものだった。

 少女が信用のおけるものであれば少しばかり事情は変わっていたかもしれないが、いずれにせよこの魔方陣の『組み方』では彼女もジャンプさせることは出来ない。

 

「……アーシア!」

 

 シスターに向かって必死に手を伸ばす一誠に、アーシアと呼ばれた彼女はわずかな涙を流しながら、しかしこの状況下で絶対に浮かべないような表情をした。

 笑みである。

 こんな時でも、彼女は笑みを浮かべるのだ。

 

「イッセーさん。また……また、逢いましょう」

 

 それで、終わりだった。

 次の瞬間、

 

「逃がすかって!」

 

 斬り込んでくる神父の剣がリアスに触れる寸前で、

 

「……え?」

 

 見覚えのある銀色が視界に入ると同時に、彼女達は転移を終えていた。

 

 

 激しい金属音がリビングに響いたのは、まさに紅の女悪魔が仲間どもを連れて転移魔方陣でどこかへ移動し終えた直後だった。ちょうどフリードが構えた光刃剣を受け止める格好で、彼の真横から別の銀色が伸びていたのだ。

 刃だ。

 しかも、それはすでに赤く(ぬめ)っている。

 血だと判った瞬間、フリードは首だけを動かした。

 

「ああん? 今度は何ですかあ!?」

「さあな」

 

 応えるのは、男の声である。いや、音の高さからすると……ひょっとしたらまだ若いのかも知れない。

 青年か?

 少年か?

 しかし、声の位置からして明らかにフリードよりは背丈のある者だろう。

 それ以上は判らない。なにしろ、銀色の根元を探ろうとしても、その先にあるのは深い闇なのである。

 ゆいいつの光源だったロウソクの火が消えていたことに気がついたのは、この時だ。おおかた、さっき華奢な白髪の少女が投げ飛ばした家具か何かが激突したのだろう。

 真の闇である。

 仕事柄暗闇に慣れてはいたが、それでも男の纏う衣服さえ黒いのかその姿はまったくといっていいほど視認出来ない。

 男が血塗られた銀色の剣を持っている……少なくとも、理解可能だったのはそれだけだった。

 

「こちとら、その辺散歩してただけだってのに」

 

 男の声には、嘆息が交じっている。

 だが、その声音はどこか軽いのだ。

 まるで、初めてのデートをすっぽかされたみたいな……。

 

「騒がしいと思って来てみたら、案の定か」

 

 だが、今のフリードにはそんなことはどうでもよかった。

 それよりも、『お楽しみ』を邪魔されたことの方が問題だったのだ。

 剣を引き戻し、

 

「案の定だあ!?」

 

 続く動きで振りかざす。

 

「勝手にヒトさまの楽しみを奪ってくれちゃって! そーゆーイケナイコは俺さまが直々に頭カチ割ってやんよぉおっ!!」

 

 狙うは、相手の『頭部』があると思われる位置である。

 男が悪魔だろうが人間だろうが、関係なかった。

 少なくとも、見られたことに変わりはないのだ。

 

「……フリード神父さま! お止めください!!」

 

 涙で鼻詰まった悲鳴のような叫びが聴こえたが、そんなものは聴こえていないも同然だ。

 邪魔する奴は斬る。

 誰だろうと、俺の邪魔をする輩は斬り飛ばしてやる!!

 

「さっさと死んじまってくだせぇえ!!」

 

 だが。

 

「うっせえ」

 

 聴こえたのは、どこか間の抜けた男の声と、

 じゃりん!

 という金属の擦れ合う音。そして、

 がぁん!

 再び金属が打ち合う音だった。

 

「……あれぇ~? なんで斬れないの? ねえ、なんで俺っちの剣で斬れないの?」

 

 思わず、眉を寄せた。

 おかしい。

 柄を握る掌に伝わるのは、肉を割いて骨を断つ際の手応えではない。それどころか、彼が振り下ろした斬撃は標的にすら到達していないのである。

 必死に押し切ろうと左手も使って力を込めるが、彼の刃はびくともしない。

 

「まだ慣れてねぇんだ」

 

 剣の軌道を妨げるもの。

 それは、一つしかなかった。

 

「そんなに数出させるなよ」

 

 常闇の中で、しかし確かに男の口許が歪んだように見えた。

 笑みに。

 にやり。

 すると突然、男の抵抗が終わった。力を入れ過ぎたのか前へつんのめりそうになるのを、

 

「……のわっと!!」

 

 何とか踏ん張った。

 

「あーぁあ、そういうことか。なるほどな。何となく状況は判ったわ」

 

 背後だ。

 いつの間にか背後から、さっきの声が飛んでくる。

 

「どうりで、血生臭いわけだな」

 

 そして聴こえてしまった瞬間、フリードはなぜか心臓を鷲摑みにされるような寒気を感じた。

 なんだ?

 なんなんだ、これは!?

 

「こン畜生がぁああ!」

 

 わずかに芽生えた『恐怖』という感情を振り払うように、フリードは光刃剣を振り向きざまに男へと振るった。

 がきぃん!

 ほら、まただ。

 さっきまで、男は左にしか剣を持っていなかった。だが直前のフリードの剣撃を、男は『右』の手で受け止めたのだ。

 いや、違う。右の剣で受け止めたのだ。

 つまり相手は二刀流。対してこちらは、一本の剣に対悪魔用の祓魔弾が装填された拳銃である。

 光刃剣が男の持つ剣によって弾かれ、柄を握っていた腕をふいに摑まれる。

 

「……ぐふっ!」

 

 直後、腹に強烈ながらも鈍い痛みを覚えた。

 蹴られたのだ、と思った時には、すでに体制を低くしてうずくまってしまっていた。おまけに腕を摑まれていた分、衝撃を分散させる術がなかったためモロに入っている。

 

「が、あ……!?」

 

 暗闇の中で、まさに虚を突かれたと言ってもいいだろう。姿が捉えづらい分、男の挙動に反応するのが比較的難しいのである。

 しかもあの糞悪魔と決定的に違うのは、こちらはあるていどの『経験者』であるということだ。

 あるいは、常に何らかのトレーニングを積んでいるか。

 いずれにせよ、彼の前蹴りは糞悪魔のヘナチョコ・パンチとは比べ物にならないほどの威力を秘めていたことに変わりはない。

 

「おい」

 

 視線を上げたフリードが見たのは、片足で立っている奇妙な姿の『ヒト』だった。

 そう。この時初めて、それがジャケットを着たヒトの形をしていることを目で『見た』のである。

 扉が開け放たれているのか、だから街灯によって照らされた外のわずかな光が、玄関を抜けて廊下へと射し込んでいる。

 もう片方の脚は、顔面に接触するのではないかと言うくらいまで引きつけられている。……いや、振り上げられているのだ。

 すさまじい柔軟力である。

 次の瞬間、フリードは眼前の男が何をしようとしているのかを察した。祓魔弾が装填された銃を使おうと思ったが、さっき両手で柄を握って押し斬ろうとした時に仕舞い忘れたのか、何度ホルスターのあたりを探ってもそれらしき手触りがなかった。

 落としたか!?

 

「あれっ!? ないの? マジですか!!」

 

 ヤバい。

 こいつぁヤバい!!

 反射的に、握っていた刀身を横に倒して剣を構え直す。

 

「ヒトさまの命勝手に奪っちまうようなイケナイコは、頭カチ割らねぇとな」

 

 遅かった。

 ぶん、と大気を切って振り下ろされた右脚は、フリードの脳天に直撃した。

 中に鉛でも流し込んでいるかのように重かった。

 堕天使の加護が効いているのか、頭蓋骨はいくらか陥没しただろうがカチ割られはしなかった。

 フローリングに叩きつけられる直前にフリードが見たのは、

 天井に開いた楕円形の穴から数人の堕天使が出てくるところだった。

 はっはー!

 残念でした、糞野郎! これで邪魔したてめぇもジ・エンドだぜぇえぇええっ!!

 

「ぅげぁあぁあああっ!!」

 

 激突の瞬間、フリード・セルゼンは脳震盪(のうしんとう)を起こして気絶した。

 

 

 部室に到着した時、すでに兵藤一誠は疲労と光に蝕まれる痛みに耐えきれず気を失っていた。

 起こしてしまわないように、リアス達は慎重に彼の治療を進めていた。朱乃は脚に残る銃創を、リアスは左肩から背骨を縦断して右のわき腹へと続く背中の裂傷を、魔力で修復させてゆく。

 だが、この前ドーナシークにやられた時よりも治りが遅いことに、リアスは少なからず動揺していた。

 それはつまり、以前よりも力のある堕天使の加護が、あの少年神父にはもたらされていたということを意味していた。

 

「今回は、少し時間がかかりそうね」

「そうですわね……」

「部長」

 

 包帯を持って来た祐斗が、一誠を寝かせたソファの前にしゃがみこむ。ちょうど、リアスの隣に来る恰好である。

 

「目覚めた時、兵藤くんはどうすると思いますか?」

「イッセーが?」

「はい」

 

 そんなの決まってるわ、とリアスは言った。

 

「あの子を探しに行こうとするでしょうね」

 

 まだ、兵藤一誠との付き合いはそれほど長くはない。つい最近、堕天使によって殺されたのを助け、悪魔に転生させたばかりなのだ。

 だがそれでも、この短い間で彼の性格は何となく把握出来ていた。

 そう。

 それは、愚直なまでに真っ直ぐ、である。彼が学園内において変態として悪名高いことはもはや周知の事実だが、しかしそれは女性経験が極端なまでに無かったがゆえに至ったものだと考えれば、なるほど、と思えなくもない。

 何せ聞くところによれば、堕天使とは知らず彼女と付き合っていたわずかな期間だけは、学園内での変態思考は少しだけ緩和されたというのである。

 たしかに、彼は莫迦だ。阿呆だ。

 しかし、それでも一誠は笑ってしまうほどに真っ直ぐな少年なのである。

 そんな彼が、こんな状況に満足するわけがない。

 認めるわけがない。

 

「でも……」

 

 わずかに口ごもる祐斗に、リアスはうなずいた。

 

「難しいでしょうね」

 

 一誠は、悪魔側の人間。リアス・グレモリーの『兵士(ポーン)』なのである。加えてアーシアは、堕天使側の下僕と言うことになる。

 二つの存在は、決して相容れない。彼女を救うということは、すなわち堕天使を完全に敵に回すことになるのだ。

 そうなったら、もはや真っ向から闘うしか選択肢はない。

 だが、無用な闘いは避ける必要があるのだ。

 それは、先の大戦の結果からすれば、当然のことだろう。たかだか、ちょっとしたいざこざだ。そんなことで純潔の者どうしがひとたび拳を交えれば。お互いの勢力を少なからず削ぎ落とすことに繫がりかねないのである。

 

「部、長……」

「イッセー!?」

「イッセーくん!?」

「兵藤くん!」

 

 突然の声に、リアス達はソファを振り返った。いつの間に気がついたのか、痛む軀でも必死に両腕を使って起き上がろうとしていた。

 

「無理しちゃ駄目! あなたを蝕んでいた光は、想像していたものよりも強かったのよ!? まだ傷は治ってないの! 下手をすれば、また傷口が開いてしまうわ!!」

 

 リアスの制止に、けれど一誠は応じなかった。

 ただ肩を摑んだリアスの手を握って、部長、ともう一度つぶやいただけだ。

 弱々しくも、しかし彼の声はちゃんと聴こえている。

 

「俺、情けないです」

 

 その声が、

 

「女の子一人すら救えなくて……」

 

 震えている。

 それだけではない。リアスの手を包む彼の手までも、彼の心の叫びのようにわなわなと震えているのだ。

 

「弱いです、俺……」

「イッセー……?」

 

 うつむいた彼の顔を覗き込んで……ああ、なんてこと、リアスは彼の瞳にあるものに気づいてしまった。

 後悔、

 憐憫、

 憤怒……。

 さまざまな感情が入り乱れ、絡み合ったような意志が、今の彼の瞳には表れていた。

 ぱたり、とソファの生地に滴が落ちる。

 涙だった。

 唐突に、リアスは理解した。

 ああ、そうか。

 そうだったのか。

 

「部長……」

 

 もう一度、今度は目線を上げて、リアスの双眸を見据えるように。

 

「……俺は、アーシアを……」

「無理よ」

 

 けれど。

 それは許されない。

 

「……そんな!」

「悪魔と堕天使は、決して相容れない存在なの。判ってちょうだい……」

 

 少なくとも、今のところは。

 

 

 

       

 

 

 結局、リアスからは最後までアーシア救出の許可が下りることはなかった。それどころか、翌朝には学校を休めとまで言われてしまったのだ。

 理由は、まだ脚に負った銃創が癒えきっていないため。このままでは悪魔稼業に支障をきたす恐れがあるからだ。

 しかしこれは、一誠にとっては好都合だった。

 学校へ行かずに済むということは、少なくとも今日この日だけは部室へ赴く必要もなくなる。つまり、その気になればアーシアの捜索をすることが可能になるのである。

 脚は、かろうじて歩くぶんには影響ない。

 しかし、いざ探し回ろうと家を出たまでは良かったが、問題はその後だった。

 どうやって彼女のことを訊き出すか、だ。

 アーシア・アルジェントは、ここ数日の間に来日した。シスターゆえに特徴的な衣装をまとっていたことを度外視しても、たかだか一人の少女に対してそれほど有効な情報が得られるとはさすがに考えられないのだ。

 だが、可能性がないわけではない。廃れた教会の近所の住民達から詳しく事情をうかがえば、少なからずの『情報』は手に入るはずだ。

 ……そう思って、早速教会近辺から聞き込みなどをしていたのだが。

 二時間ほど経っても、まったくと言って良いほどに『情報』が集まらない。

 時には、悪魔に転生したことによって高められた視力を使った『目』での探索も行った。

 だが、結果はこのざまだ。

 見つかりやしない。

 公園のベンチにどっかりと腰をおろして、

 

「だはあ……」

 

 肺に溜まった二酸化炭素が、溜息となって一誠の口から吐き出された。両ひざの上に肘を乗せて、両の掌は頬杖の恰好である。

 腕時計を確認すると、すでにお昼を回っていた。

 

「なぁんで、誰も見てないのかなあ」

 

 アーシアを、である。

 教会の近くにいる者ならば、少なくとも一人くらいはその姿を目撃していてもおかしくはないはずだ。修道服に身を包んで、頭にはヴェール。色合い的にはいくらか地味なものの、それが人目につかないような服装でないことは一誠にも判る。

 それなのに誰も、見ていない、の一点張りなのだ。

 あるいは、と一誠は思う。

 アーシア達を『見た』という事実すら、あの堕天使が記憶操作を行って『なかったこと』にしているのか。

 ……天野夕麻が。

 以前部室でリアスから聞いた話からして、彼女は相当用心深い性格のようだ。あれだけ派手に暴れておいて、後始末だけは割かし手を抜かない。

 タチが悪いな。

 いずれにせよ、と一誠は思う。

 あそこでアーシアを護れなかったのは、俺のせいだ。

 俺が弱いからだ。

 神器(セイクリッド・ギア)なんて大層なモノを授かっておきながら、しかしその実、宿主の俺がヘッポコ野郎だったからだ。

 だから俺は、あのイカれた糞神父に手も足も出なかった。ただ、その場で無様にやられ続けているしかなかったのだ。

 

「……ちくしょう」

 

 思わず喰いしばった歯の間から、震える声がこぼれる。

 頬杖をついていた両手が、そのまま滑るように彼の両目を覆った。

 

「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう……!」

 

 瞑った瞼の奥に、一人の少女の顔が浮かんだ。

 アーシアだった。

 笑っていた。

 泣きながら、それでも彼女は精一杯の笑みを浮かべていた。

 

「アーシア……!」

 

 それが、限界だった。

 閉じた瞼の間から、透明の滴が溢れて来た。それは目元に押し当てられた両手の指の間を縫うように、ゆっくりと流れてゆく。

 護れなかった。

 ああ、そうだよ。

 いつも誰かに助けられてばっかりで、けっきょく俺は誰も護れなかった。

 弱い。

 弱過ぎるよ。

 涙をぬぐいながら、俺は、と思う。

 強くなりたい。

兵士(ポーン)』だけど、少なくともオカルト部の仲間を……学園のみんなを護れるくらいの力量はつけなきゃ駄目だ。

 それに、あの糞神父もぶっ飛ばさなきゃ。そのためには、斬輝先輩だけじゃなくて小猫ちゃんの持つ戦闘教義(ドクトリン)を身につける必要もありそうだ。

 

「あれ?」

 

 そこまで思案しているうちに、一誠はあることに気がついた。

 斬輝先輩……?

 ゆうべ、リアスに何か言われていたような気がする。

 なんだっけ?

 あれって、なんの話だったっけ?

 思い出せな…………………………………………………………………………思い出した!

 

「そうだ、先輩の家……!」

 

 弾かれるように立ち上がる。瞬間、治っていない銃創が悲鳴を上げて体制を崩した。

 たしかに今日、リアスには学校を休むように言われている。だが、もし動けるのなら斬輝の家に行ってちょうだい、とも言われていたのである。

 彼の様子を確認してほしいというのだ。

 たしかに最近、斬輝は部活に顔を出していなかった。昼休みにはいっしょに昼飯を喰ったが、それでもいくらか口数が減ったように一誠には思えたのだ。

 何でも、今日にいたっては欠席の連絡まで入っているらしい。

 すっかり忘れていた。

 だが、向こうも向こうで心配であることに変わりはなかった。

 幸い、ここから一誠の自宅まではおよそ二〇分……そこから斬輝の家までは一〇分とかからないから、遅くても一時間半くらい経てばまたアーシアの捜索に戻れるだろう。

 ついでに、どこかで飯も済ませるか。

 そう思って、おもむろに立ち上がった時だ。

 

「……え?」

 

 視界に、見慣れた金色が写り込んだ。

 それだけではない。修道服と、白いヴェールもだ。

 誰だかは、すぐに判った。

 相手も、それは同じようだった。

 だが、

 なぜ?

 彼女はあの時、フリードとか言うイカれた神父のもとに連れて行かれたはずだ。

 

「……アーシア?」

「イッセーさん……!?」

 

 別の声は、

 

「おぅい、どうしたあ?」

 

 アーシアの背後から。

 男性の声音である。両手にペットボトルをぶら下げているあたり、ちょうど公園の入り口付近にある自販機で買ったのだろう。

 アーシアは、

 

「ザンキさん!」

 

 高らかにその名を呼んで振り返る。しかし一誠が見た彼女の唇の動きは、彼の耳に届いてくる日本語の発音とは異なるものだった。

 ……いや、もとからそうだったのかも知れない。悪魔の特性上、そこまで細かいことに気づいていないだけだったのだろう。

 もとより一誠は、読唇術を会得してはいない。だが『言葉』と『動き』の嚙み合わない音に関しては、嫌でもそこに『差異』が生じる。

 彼女は、こう言ったのだ。

 ミスター・ザンキ、と。

 ザンキ。

 間違いない、と思った。

『彼』しかいない。

 

「なんか知り合いでも見つけ……あぁん?」

 

 駆け足でアーシアの横にやってきた男は、その場で足を停めた。

 そして、

 

「お前、兵藤か?」

「斬輝先輩……どうして、アーシアといっしょに…………?」

 

 逢えてしまうと言うのはこういうことだ、と一誠は思った。

 

 

 兵藤一誠は、運命論者ではない。

 幼い頃から女子との関わりが少なかったのも、中学に入ったあたりから制欲に目覚め始めたのも、運命とは何の関係もないと思っている。

 ついこの間まで恋愛とは縁がなかったことも、告白された相手に殺されたことも、だから運命でも何でもない。

 一七年という短い人生の中で積み重ねた一つ一つの選択が、彼をそこへ導いただけのことだ。

 そう思っている。

 だがそれでも、もしも……という仮定の推論を重ねることも、一誠は否定しなかった。

 もしも本当に、運命と呼ぶべき何らかの『力』が存在するとしたら……。

 

「マジかよ、俺がちょっくら顔出さなかっただけで、そこまでか」

「部長も、かなり心配してましたよ? この前のことがあってから、若干自分のこと責めてるようなことも言ってましたし……」

 

 ハンバーガー・ショップである。

 注文したメニューが出来上がるまでの間に、一誠は今までの経緯をざっくりとだが斬輝へと説明を施した。あらかたの説明を聴き終えた彼が最初に発したのは、うわあ、だ。

 

「いやあ、別にそこまで追い詰める必要なんてねぇのになあ。あン時の傷だって、あいつらがちゃんとした処置してくれたんだしよ」

「それでも、連絡くらいはしてあげましょうよ。メールは?」

「きたな」

「電話は?」

「そいつもきた」

 

 つまり、向こうから接触を試みようとする動きはあったというわけだ。

 

「じゃあ、なんで出てあげないんですか」

「むう……そいつを言われるとちょっと…………」

「お待たせしました。どうぞ」

 

 特に明確な答えも貰えぬまま、ついに注文したものが出来あがってきた。

 

「ありがとうございます」

 

 レジで受け取ったメニューを持って空席へと歩いてゆく。

 一誠を先頭に、アーシアと斬輝が後ろを歩く格好だ。

 脚の痛みは、もうない。さっき公園で逢った時、アーシアが治療してくれたのである。

 彼女の神器(セイクリッド・ギア)によって。

 アーシアを向かいの席に座らせて、一誠は奥へと座る。後から来た斬輝は、一誠の隣に来るように通路側の席を取った。

 どうやらアーシアはジャンクフードの類を食べるのは初めてだったらしく、だから少しばかり食べ方を教える必要があった。

 そしてみんなが最初の一口を齧ったところで、

 

「じゃあ、先輩」

 

 一誠は首だけ斬輝の方へと向いた。

 

「ん?」

「質問を変えますね。どうしてさっき、この子といっしょに公園にいたんですか?」

「あー……」

 

 唸って、斬輝はまず手にするハンバーガーを睨んだ。三人とも、同じメニューだ。

 それから天井を眺め、その次にアーシアを見つめ、最後にテーブルに視線を落としてから、

 

「ゆうべな」

 

 瞳をこちらに向けた。

 

「近所をウロついてたのさ」

「ウロついてた?」

「あのバイザーって奴を斬った後くらいから、どうにも軀ン中がムズ痒くてな。気晴らしに散歩してた」

「あの雨で?」

 

 実際のところ、その雨の中で一誠は契約取りに向かおうとしていたわけだが。考えてみれば、それはしかし莫迦な考えだった。早くリアス達の役に立とうと先走った結果が、これなのだ。

 

「まあ、そこは言うな。そしたら、たまたま通りかかった辺りが妙に騒がしくてな?」

 

 まて。

 

「気になっちまって、ちょいと首突っ込んじまったわけよ」

 

 まて、まて。

 話が見えない。

 だが、まさか……。

 

「そこに、この嬢ちゃんが……アーシア・アルジェントだっけ? が居たってわけさ。で、雰囲気的にヤバそうだったんで、こうしていっしょに逃げて来たんだ」

 

 さらりと言ってのける斬輝に、一誠はしばし言葉が出なかった。目を見開いて、ぽかんと口を開いたまま。

 逃げて来た?

 逃げて来ただって!?

 

「ま、マジですか!?」

「おう、マジだ」

 

 それから、一誠はアーシアの方を向いた。

 

「なあ、アーシア。今の話は、本当なのか?」

「え? 今の話……ですか?」

 

 だが当のアーシアは、会話の流れについてこれていないようだった。

 ああ、そうか。

 黒鉄斬輝は、悪魔ではない。厳然たる人間なのだ。

 つまり彼の話す言葉が日本語である限り、それはアーシアにとっても『日本語』として聴こえてくる。悪魔の特性の一つである『言語』の聴覚野における変換が機能しないのだ。

 直後、おう、と斬輝が唸った。

 

「凄えな、お前さんの言ってることが伝わってんのか」

「いや、これは悪魔になった時に着いた特性っていうか……俺らが何か喋ると、相手にいちばん馴染みのある言語で聞こえるらしいんです」

 

 逆もまた然り、である。

 対する反応は、ひゃあ、というやや間抜けな声だった。

 

「そんなもんまで出来んのかあ。俺なんて喋りがからっきしだったからよ、筆談でやっとこさって感じだったのに……」

 

 その際に、お互いの名前を知り合ったらしい。

 いや、正確には、思い出した、と言うべきか。斬輝の場合、以前はぐれ悪魔を討伐しに行く手前で一誠が金髪のシスターと出逢っていたことを聴かされていたのだ。

 名前こそ覚えていなかったものの、治癒系の神器持ちと言うことで、彼の記憶の底に合ったものが掘り返されたらしいのだ。

 

「……ともかく」

 

 それから水の入ったコップを口に運んで、

 

「昨日の夜、斬輝先輩に助けられたっていうのは、本当なのか?」

 

 そう尋ねた。

 彼の言葉の意味を、彼女はすぐには理解出来なかったようだ。

 たっぷり、二秒。

 そして、頷いた。

 

「はい。イッセーさん達が転移した直後に、ザンキさんが現れたんです」

 

 ロウソクの火が消えていたのでよく見えませんでしたけど、とうつむきながら。

 

「そこからは……あまり、覚えてません」

 

 色々な出来事がいっぺんに重なって気が遠くなったのだと、アーシアは言った。

 

「気がついたら、ザンキさんのお家でした」

 

 私は、と震える声音でアーシアは続ける。

 

「戻りたくないんです。これ以上、罪のない人々までも殺められてゆくような場所には、もう……!」

 

 ぱたり、と滴が包み紙の上に落ちた。

 

「おい」

 

 その意味を、斬輝が『日本語』として正確に理解出来たとは思えない。だが続く彼の言葉は、恐ろしいほどにタイミングを押さえていた。

 

「何があった?」

 

 それは一誠自身、気になっていたところだ。こんな純情そのもののような少女が、よりにもよって堕天使達のそばに居るのか。

 裏がないわけがなかった。

 

「……実はさ、アーシア」

「はい?」

「俺も、神器を持ってるんだ」

「イッセーさんも、ですか?」

 

 突然の告白に、アーシアは少しばかり目を丸くしていた。

 ただでさえ、まだ能力の詳細も把握出来ていないのだ、むしろその気配を察知することの方が困難だろう。

 

「なあ……良かったら、教えてくれないか? キミのことについて」

 

 それを聞いた途端、アーシアの様子が変わった。

 表情がだ。

 ぱたりぽたりと滴っていた涙が、頰を伝って徐々に流れ出してくる。

 続くのは、小さな嗚咽である。

 だが一誠は、それ以上何も言わなかった。

 ただ黙って、待つだけだ。

 彼女の口から紡がれるのを。

 待ち続けるだけだ。

 いつの間にか立ち上がっていた斬輝は、するりとアーシアの隣に座ると、号泣を飲み込んでも隠しきれずに震えている肩を抱いてやった。

 そのままシスターの震えが収まるまで、ずっと待っていた。

 そして、ひとしきりむせび泣いた少女が口にしたのは、『聖女』と祀られた一人の少女の物語だった。

 

「判りました、お話しします」

 

 ぴっ、と斬輝の端末から短い電子音がなった。

 それは、壮絶な物語だった。

 アーシア・アルジェントは、産まれてすぐのころに教会の前で捨てられた。

 産みの親にだ。

 彼女は、孤児院も兼ねたそこで長年に渡りシスターや親をなくした孤児達とともに育てられてきた。

 信仰深く育てられたアーシアの軀に奇妙な『チカラ』が宿ったのは、彼女が八つのころだ。まだ九つではない、という意味ではない。もう七つではないという意味である。

 たまたま怪我をして教会に逃げてきた子犬の傷を未知のチカラで癒すところを、カトリックの関係者に目撃されたのだ。

 なぜ自分にあんなことが出来たのか、アーシア自身も詳しいところはよく判らない。助けたいという一心で神に祈り続けた結果に過ぎなかったからだ。

 しかしそれは、僥倖(ぎょうこう)と呼ぶに相応しい出来事だった。

 問題は、それからだ。

 彼女の意思など関係なしにカトリック教会の本部に連れて行かれ、治癒のチカラを備えた『聖女』として勝手に崇められ、あろうことか訪れる信者達に『加護』として肉体の異常に対して処置を施されるのだ。

 別に、そのことについて不満はなかった。もとより誰かの助けに……誰かの役に立つことは、昔から彼女が望んでいたことだからだ。

 神が授けてくれた『チカラ』。

 それには感謝の念を抱くと同時に、彼女にある種の疎外感を与えていた。

 アーシアの周りには、己をヒトとして……心の許せる友として見てくれる者が一人もいなかったのである。

 たしかに、治癒のチカラは絶大だ。誰かの役に立てるのだと、少しばかり誇ってもいた。

 しかしそれは、本来ならば人間が持たざるチカラなのだ。

 つまりは、そういうこと。

 転機は、そう遠くなかった。

 ある日、教会の前で一人の男が倒れていたのだ。

 思わず目を背けたくなるような重症である。

 何があったのかは知らないが、命からがらここまで逃げてきたのだろう。そう直感した。

 そして彼女は、迷わずにその男を治療したのである。

 神にもらった、奇蹟のチカラで。

 

「私は、あの時の自分の行動を後悔していません」

 

 そこまでは良かった。

 

「ですが……」

 

 最大の誤算は、その男の正体にあった。

 アーシアはカトリック……つまり天界側の人間である。

 だが、相手は悪魔だったのだ。

 その場にいたのがアーシアとその男だけであれば、あるいは平気だったかも知れない。だが彼女が悪魔を治療しているところを、居合わせた教会関係者に目撃されたのである。

 それはすぐさま内部へと報告され、瞬く間に教会中に広まった。

 治癒のチカラを持つものは、実際のところそう少なくはない。

 だが、悪魔までも癒してしまうチカラは、いまだかつて存在しなかったのだ。

 ……いや、事例だけなら過去にもあった。

 神の加護を受けない悪魔、そして堕天使すら治療してしまうチカラ……。いずれにせよ、それは『聖女』が持つべきチカラではない。

 勝手に崇拝されてきた少女は、今度は悪魔を癒す『魔女』として勝手に畏怖され、誰も自分を信じてくれる者がいないまま勝手にカトリックから捨てられた。

 またしても、捨てられたのだ。

 アーシアは、一度たりとも神への信仰を忘れることはなかった。

 だがそれすらも、神に届くことはなかったのだ。

 誰も助けてはくれなかった。

 神にさえも。

 少女の味方と呼べる存在は、どこにも居なかったのだ。

 そして、極東にある『はぐれ悪魔祓い(エクソシスト)』の組織に拾われた……。

 

「きっと、私の祈りが足りなかったんです。ハンバーガーもロクに注文出来ない莫迦(ばか)子ですから」

 

 とアーシアは自嘲して涙を拭う。

 正直、一誠は彼女にどんな言葉を投げかけてやればいいのか判らなかった。

 想像を超える、常軌を逸した体験談だったからだ。

 

「……それでも、私には夢があるんです。お友達と一緒にお花を買ったり、本を買ったり……お喋りして…………」

 

 その声が、徐々にかすれてゆく。

 彼女がまた涙を溜めていることには、すぐに気づいた。

 

「……きっとこれも、主の試練なんです。私が全然駄目なシスターなので、こうやって……修業を与えてくれているんです…………。今は、我慢の時なんです……」

「俺にゃよ、もう充分我慢してきたと思うがな」

 

 突然、斬輝が割り込むようにしてそう言った。その手には、携帯端末が握られている。

 しかしそれは、マイク部分を彼の口に近付けるような位置で持たれていた。

 まるで、端末に何かを吹き込んでいるかのような恰好である。

 そして実際に、そうだった。

 ぴっ、と短い電子音が鳴る。

 

《I think that you endured it enough》

 

 数瞬遅れて、流暢に話す無機質な女声が聴こえて来たのである。

 これには一誠も、そしてアーシアも驚いた。

 だが、ようやく判った。

 さっきの電子音の正体は、これだ。

 音声通訳アプリを使って、アーシアの言葉を理解しようとしていたのだ。

 そして今は、彼の思いを彼女に伝えるために。

 

「ザンキ、さん……?」

「神様へのお祈りがどうとか、正直俺はよく判んねえさ。でもな、何でもかんでも神様からの試練、だなんて考えてたらキリがねぇよ」

 

 ぴっ、ぴっ。

 今度は二回。

 そして、翻訳して紡がれる金属質の混じった声。

 

「なあ、アルジェントよぉ」

 

 携帯を持つ左腕を机について、軀をアーシアの方へ向けた。

 

「おめぇ、本当に祈りが足りないだけでこうなったと思ってるか?」

 

 続く電子音声を聞いた途端に、アーシアの表情が曇った。

 涙に濡れたまま、質問の意図が理解出来ずに目と口を開いたままである。

 

「斬輝先輩、それって……?」

「てめぇはちょっと黙ってろ」

 

 瞳だけをこちらに向けた、その有無を言わせないような声音に、腰骨の付け根から一気に何かが背筋を駆け上がってきた。

 

「もう一度言う。アルジェント、お前さんに『生きたい』って意志は、あったか?」

「『意志』……ですか?」

「おう。教会関係者だか他のシスター連中だかの圧に押されるままこうしてきたンなら、それは生きてるとは言わん。ただ『死んでない』だけだ。今を必死に生きようとしてるのか、流れに任せるまま無駄に生きてるだけなのか……おめぇは、どっちなんだい?」

「それは……」

 

 アーシアは、そこから先を言おうとして、口をつぐんだ。

 それは、当然の反応だ。

 彼女には、頼れる者がいなかったのだ。

 教会の中にも、孤児院の中にも。

 頼みの綱だった神でさえも、彼女に何の加護を与えなかったのだから……。

 泣いて詰まった鼻から、ひゅう、と小さな音が鳴った。

 それっきり、彼女は応えなかった。

 ……応えられなかった。

 図星だからだ。

 すると斬輝は、申し訳なさそうに軽く肩を落としてから、

 

「……悪ぃ、ちょいとイジワルな質問しちまったな」

 

 そう言った。それはもう、いつも一誠が見てきた斬輝そのものだ。

 

「え?」

「仮にも、身寄りのなくなったお前さんを育ててくれた場所だ。言いたくても、言えなかったんだろ? ずっと、心の中で思い続けてきたんだろ?」

 

 そして、斬輝は右手を彼女の頭の上に乗せた。

 

「今はもう我慢する時じゃねえ。おめぇは、もう我慢し続けてきた。充分過ぎるくらいにだ。……だろ? 兵藤」

「……へ? あ、はいっ!」

 

 突然話を振られて一瞬慌てそうになったが、なんとか取り戻す。

 

「そうだよアーシア! もう一人で背負い込む必要なんかないんだ! これからは俺らを好きなだけ頼ってくれよ!!」

 

 たたみかけるように、次々と言葉があふれ出てくる。

 伝えたいことが多過ぎて、脳の処理が追いついてこないのだ。

 そのまま熱くなり過ぎて前のめりになるのを、

 

「莫迦。まだ店ン中だ、ちょっとは抑えろ」

 

 いつの間にかメニュー表を持った斬輝に叩かれた。

 ぺちん、と。

 

「あはは……いやあ、すんません」

 

 はたかれた頭を搔きながら、ともかく、と一誠は取り出したハンカチをアーシアに差し出した。

 

「アーシア。俺らはもう、友達なんだぜ。こうしていっしょに話せて、こんなに涙まで流して……俺らの前で泣けるってことは、もう友達なんだ」

「友達……ですか?」

「そうだよ、友達だ。俺、悪魔だけど……でもこれは契約じゃないから、別に代価なんていらない。俺は素直に、キミの友達になりたいんだよ」

 

 だからさ、と一誠は続ける。

 一度、斬輝と目を合わせてから。どうやら向こうも、考えていることはほとんど同じようだった。

 それから、アーシアのグリーンの瞳を見据えて、彼は言った。

 

「今から、遊びに行こうぜ。俺ら三人で」

「え?」

「良いじゃねえか。んじゃよ、さっさと喰っちまって、早いとこ出かけようや。陽が沈むまで、まだ時間はいっぱいあるわけだし」

「よし! そうと決まれば、とっとと喰っちゃうぞう!!」

「え? ええ!?」

 

 かくして、ここに奇妙な三人組が誕生した。

 

 

 けっきょくその日は、午後からとはいえほぼフルに活動した日だった。脚に受けた銃創を癒してもらったおかげもあるのだろう、どれだけはしゃいでいても、疲れている、という実感がなかったのだ。

 繰り出したのは、ハンバーガー・ショップからさほど遠くない位置にあるゲーム・センターだ。メダル・ゲームから、そのメダルを使ったパチンコまで何でもござれの大規模なものである。

 レーシング・ゲームではお手本がてらに『峠最強伝説イッセー!』と我ながらなネーミングセンスをつけつつもCPUに圧勝したが、隣接する機種と通信対戦した際にはボロ負けという醜態を晒す羽目になった。

 対戦相手は、黒鉄斬輝である。

 これでも昔は松田や元浜と派手に競い合っていたというのにもかかわらず、惨敗だった。

 それでもアーシアは、イッセーさん速いです、て大はしゃぎしてくれたっけ。

 その後は世界的に人気のマスコット・キャラクターである『ラッチューくん』人形をクレーン・ゲームで見事手に入れて彼女にプレゼントしたりもした。

 店の奥の方にあるエアホッケーをアーシアとプレイした時は、おどおどしながらも意外と的確にこちら側の『穴』を狙ってきたものだから、かなり苦戦したな。

 けれど何より驚いたのは、そのエアホッケーだけでも二時間近く遊べてしまったことだった。平日で客足がそれほど多くなかったことも重なってか、並ぶ人がいなかったのである。

 ……それ以上に、そのたった二時間の間で『CR/金剛騎士・冴狼<GORO>』で大当たりしまくった斬輝が大量のメダル・ボックスを抱えてきたことも充分驚きに値したが。

 ともあれ、陽があるうちはほとんどゲーセンで過ごしてしまっていた。あとは近所のお店をちらほらと見て回り、その度に新鮮な反応を示す彼女の姿が初々しくて堪らなかった。

 巡回中の警察官に見つからない手段としても、だからこの選択は間違っていなかったのかも知れない。

 だって、判るかい?

 笑ってたんだぜ。

 アーシアが。

 それは、彼女の本音のように思えた。

 嬉しそうだった。

 心の底から楽しんでいるように見えたんだ。

 もしも、彼女が人並みの家庭で、人並みに育てられたのならば、あるいはこんな光景が日常的に見れたのかも知れない。

 しかしそうさせなかったのは、教会側の連中だ。

 神だ。

 ずいぶん勝手じゃねえか、と一誠は思う。

 判ったよ。だったら俺が、アーシアがこれまで遊べなかった分いっしょに遊んでやる。

 とことん、最後まで!

 ……とはいえ、

 

「あー、遊び過ぎたな」

「は、はい……少し疲れました……」

 

 一誠の隣を歩くアーシアも、息は上がっているがその表情は笑みを浮かべていた。

 

「なあ」

 

 雲が茜色に染まり始めたころ、広場を通りかかっているところでふいに斬輝がつぶやいた。だがその手には、音声翻訳を用いた携帯はない。

 

「どうだったよ? 楽しめたか?」

「……アーシア、楽しめたか、って」

 

 すかさず、一誠が『翻訳』して彼女へと伝える。

 

「はい! お二人のおかげで、決して忘れることの出来ない一日になりました!! イッセーさん、ザンキさん、ありがとうございます!!」

 

 その場で立ち止まったシスターは、くるりと斬輝にも顔が見えるように向き直したうえで、深々と頭を下げた。

 そして、何かを得心したように、彼女は言葉を続けた。

 心なしか、その表情は柔和な笑みにも見える。

 

「これが……これが、お友達、なんですね。いっしょに遊んで、いっしょに楽しんで、いっしょに笑い合って…………私、嬉しいです。こんなにたくさんの思い出を一度にいただけて」

 

 そう言って彼女が取り出すのは、一つの人形である。デフォルメの効いた、ネズミを模したキャラクターである。

 ラッチューくんだ。

 

「イッセーさんにいただいたこの人形、だいじにしますね」

「お、おう! それくらいだったら、また取ってあげるよ」

「いえ、これは今日の出逢いが生んだ素敵なものです。ですから、私はこのラッチューくんをだいじにしたいんです」

 

 両手に包んで胸に抱き寄せながら、アーシアはそう言った。

 

「ところで、だ」

 

 会話の合間を縫って、斬輝がつぶやいた。

 だが言ってから、彼は少し考えているようだった。

 一誠には、判った。

 迷っているのだ。

 言うべきか、黙っているべきか。

 けれど、迷いはそう長くはなかった。

 

「これからどうする? 教会から逃げてきちまった以上、もう『あっち』には戻れねぇぞ」

「……あ」

 

 思わず、声が漏れた。日本語が判らずじまいなアーシアは、例によって、ぽかーん、だ。

 たしかに、彼の言う通りだ。今の彼女は、文字通り宿無しの少女なのである。ゆうべは斬輝が泊めてくれたらしいが、こちらの問題にいつまでも彼に迷惑をかけるわけにはいかないだろう。

 リアスに頼んで、かくまってもらうか?

 ……駄目だ、独断行動で堕天使側の人間を連れてきたと判断されれば、それこそ二大勢力のぶつかり合いは免れない。

 

「アーシア」

 

 だとすれば。

 

「はい? なんですか、イッセーさん?」

「俺のウチに来ないか? 父さんも母さんも、あるていど事情を話せば判ってくれるだろうしさ」

 

 それしかあるまい。

 無論のこと、リスクは嫌でもついてくる。堕天使達から狙われることはもちろんだが、それよりもリアスにバレた時だ。

 きっと、跡形も残らないように消し飛ばされかねないかも知れない。

 無論、一誠がだ。

 だがそんなことは、もはやどうでも良かった。主の意思に反することは、もしかすればはぐれ悪魔になってしまう一因になるかも知れない。けれど、それを恐れるくらいで一人の少女を見捨てられるほど、兵藤一誠は冷徹な人間……悪魔ではないのだ。

 

「……良いのですか? 私なんかが居ても……イッセーさんや、イッセーさんのご両親さまにご迷惑じゃありませんか?」

「迷惑なわけあるか! むしろ大歓迎だよ!! 友達なんだから、これくらいはやってやるさ!!」

 

 友達。

 その言葉に、ひくり、とアーシアの肩が動いた。

 

「アーシア?」

「……そうですよね。私達、もう、お友達なんですよね!」

 

 なんだよ、そんなことか!

 

「ああ、そうさ! 俺達は友達だ!」

 

 一誠の言葉に、アーシアは視線を斬輝の方へと向けた。

 その行動は、アーシアが何も尋ねることなく彼にその意図を理解させたようだった。

 

「ん? 俺か? ……まあ、おめぇがそう思ってくれるんなら、そういうことだろ」

 

 頭を搔きながら、けれどその目はアーシアを向かず明後日の方向だ。

 まったく、こういうところは素直じゃないなあ。

 よし。

 先輩には悪いけど、ちょっとイジっちゃおうっかな。

 

「アーシア。先輩も、おうその通りだ、って言ってるぜ」

「本当ですか!?」

「はあ!? ちょっ、おまっ、言葉が通じないことをイイことに何勝手に捏造してんだ糞ッタレ!」

「良いじゃないですか! ニュアンスは間違ってないですし!!」

「良いわけあるかあ!!」

 

 まるでギャグ漫画のようにキレて襲いかかろうとする斬輝を何とか喰い止めつつ、しかし一誠の顔は笑みに歪む。

 それを見られたのかどうかは判らない。だが、突如として背後のアーシアが珍妙な声をあげた。

 

「ぷっ、ぷぷぷ……!」

「……ん? アーシア?」

 

 怪訝そうに振り向いた一誠が見たのは、ラッチューくんを抱えながら、小刻みに肩を震わせる少女だった。

 

「大丈夫か? うちの先輩の圧が怖かったか?」

「おいエロ莫迦野郎」

 

 だがアーシアは、かぶりを振った。

 いいえ、だ。

 

「嬉しいんです。こんな私にでもお友達になってくださる方が居ることが。それに、今のお二人がおかしくて、つい……ふふっ!」

 

 おしとやか、という言葉が常に似合いそうな、可愛らしい笑い方だった。軽く握った拳で口許を覆うような、そんな笑い方である。

 ……え? 俺らが、おかしかった?

 さっきの、一方的に近いいがみ合いである。もともと一誠が仕掛けたイタズラだが、まさかこんな形で効果が現れるとは思わなかった。

 そう考えると、今の自分の考えがどれだけ莫迦莫迦しかったかが目に見えてくるようだ。

 

「……ぶっ!!」

 

 思わず、噴いた。

 それから、

 

「ぶはっ、はは……はははははは!!」

 

 笑った。

 声をあげて。

 気がつくと、斬輝も唇をヒクつかせて、けれどそれは怒りの最高潮ではなく今にも笑みをこぼしてしまいそうなものだ。

 

「はは……。まあ、友達なんてこんなもんだよ。くだらないことでも、こうやって笑えるもんさ」

「ぷぷ……はい。そうですね」

 

 笑い過ぎたせいで溜まった涙をぬぐいながら、アーシアもうなずいた。

 

「私達、お友達です。ですからこれからも、よろしくお願いします」

「ああ、よろしくな、アーシア!」

「……おう、よろしゅう」

 

 ワン・テンポ遅れて、斬輝も片手を挙げた。

 そんな光景を見ながら、今度こそ、と一誠は思う。

 今度こそ、俺はアーシアを護って見せる。

 護り抜いてやる!!

 

「無理ね」

 

 突如として声が響いたのは、その時だった。

 同時に、一誠達の足元に五本ばかしの槍が突き刺さった。

 赤みがかった燐光をまとう槍である。

 それには、見覚えがあった。

 うぞり、と彼の胸の奥底に沈められた『記憶』が動かされた。

 嫌な記憶だ。

 思い出したくもない記憶だ。

 兵藤一誠が『ヒト』としての生を断たれる原因になった槍である。

『悪魔』として、光の脅威を思い知らされる原因になった槍である。

 そう。

 それは、堕天使が持ち得る槍だ。

 投擲された方向へと目を向けた瞬間、一誠は全身の体毛が一気に逆立つような感覚を覚えた。

 いや、もしかしたら頬の産毛さえも本当に立ち上がっていたかも知れない。

 大広場のど真ん中である。振り向いた正面……直径五メートルはあるだろう巨大な噴水の中央でこれ見よがしに漆黒の翼をゆっくりとはためかせながら、片手にさっきのと同じような槍を顕現させる一人の女がいた。沈みかける夕陽に重なる彼女は、どこか神秘的な雰囲気を漂わせていた。

 見覚えのある、艶やかな長い黒髪を風になびかせて。

 ……天野夕麻(あまのゆうま)が。

 

「ゆ、夕麻ちゃん……?」

「へぇ、あなた生きてたの? いや、でもこの感じ……。うそ、悪魔?」

 

 最悪じゃない、とあくたれる彼女は、しかし『天野夕麻』として一誠に接してきた制服姿ではない。ましてや、初デートの時に着てた私服でもなかった。

 彼女の肢体を包むのは、いくつもの革のベルトのようなものだった。それらが何本も巻きつき、絡まるようにして、かろうじて秘部を隠している程度である。

 上腕まである黒いロング・グローブの上にも、革のベルトが何本か巻かれていた。

 おそらく、その姿が『天野夕麻』でなく『堕天使』としての正装なのだろう。

 

「夕麻? あいつが、か?」

「レイナーレさま……」

 

 絞り出すようにして呟くアーシアに、一誠は瞳だけ彼女の方へと向けた。

 レイナーレ?

 ……そうか、堕天使レイナーレ。それが彼女の本当の名前なのだ。

 

「兵藤の元カノが、今さら何しに来たってんだい?」

 

 斬輝が一歩、二人よりも前へ出る。

 それに応えるのは、侮蔑の眼差しである。

 

「下等種族の分際で、気軽に話しかけないでちょうだいな」

 

 それからアーシアへと視線を移して、

 

「その子はね、私達のだいじな所有物なの。返してくれるかしら?」

 

 レイナーレもまた、水面を『一歩』だけ歩いた。

 

「逃げても無駄なのは、あなたが一番判ってるでしょ? 聞いたわよ、私の部下があの家に着いた時、そこにはあなたの姿はなかったって。私達が雇った神父がノびてたらしいわね。教えなさいよ、どうやって逃げたのかしら?」

 

 そう言うレイナーレの言葉に、一誠は聞き捨てならない単語を耳にした。

 神父がノびてた?

 その時、『家』にいた神父と言われて思い浮かぶ奴と言えば、一人しかいなかった。

 すなわち、イカレたはぐれ悪魔祓い(エクソシスト)である。

 フリード。

 その彼が、ノびてた!?

 

「それは……」

 

 言い淀むアーシアに、まあいいわ、とレイナーレは続ける。

 一歩。

 

「あなたを連れ戻せば済む話だし。判るわよね? あなたの神器(セイクリッド・ギア)は私達の計画に必要なのよ。あまり迷惑をかけないでちょうだい」

 

 こちらへと腕を伸ばして、また一歩。

 ゆっくりと、しかし確実に一誠達と目の前の堕天使との距離は縮まってゆく。

 アーシアは、怯えるように一誠の背後へと隠れた。

 それが何を意味するのか、一誠には理解出来た。

 つまり、

 

「待てよ。嫌がってるじゃんか。ゆう……いや、レイナーレさんよ。あんた、この子を連れ帰って何する気だ?」

「下級悪魔が、気易く私の名前を呼ぶんじゃないわよ。汚れるじゃない」

 

 汚れてんのはどっちだこン畜生、である。

 

「あなたに私達の間のことは関係ない。とっとと主のもとに戻らないと、死ぬわよ?」

 

 それが、合図だった。

 咄嗟に、背後のアーシアを斬輝の方へと送りだす。

 レイナーレは槍を構える腕を素早く後方へと持ってゆき、瞬間的に引き絞られた上体から繰り出される遠心力を使って一気にこちらへと投げ飛ばしてきたのである。

 

「なっ!?」

 

 驚愕した一誠の脳裏に浮かぶのは、前に彼女に|殺られた時のことだ。

 あれで一度、彼の軀は無残に貫かれてしまっている。

 もう同じ轍を踏むことだけは避けねばならない。

 アーシアを護るためにも!

 

「……こい! セイクリッド・ギア!!」

 

 引き延ばされたような時間感覚の中で、突発的に天へとかざした左腕が眩く光り出す。コンマ数秒でおさまった光の中から、歪な凹凸のある真っ赤な籠手が現れた。

 彼の神器である。少し前までは『ドラゴン波』のポージングを踏まないと出現が困難だったが、初めて召喚されて『ドラグ・ソボール』を熱く語り合った夜から密かに練習を重ねた甲斐があった。

 もう、自分の意志で自由に発動出来るくらいにまでは成長したのである。

 

「たぁあっ!!」

 

 そのまま無造作に左腕を振り下ろす。

 一誠を貫かんと迫っていた凶刃は、真上から叩き落とされた拳によってほんのわずかに軌道を反らして股下をかすめるように過ぎて行った。

 おっしゃ! なんとか一撃めは凌いだ!!

 だが。

 

「あっづ!?」

 

 接触の瞬間、激しい熱が腕を襲ったのだ。わずかな間だけとはいえ、まだ光の痛みに軀がついてこれていない一誠にしてみれば激痛である。

 思わず、腕を抑えてうずくまった。

 レイナーレは一瞬虚を衝かれるが、すぐさま哄笑をあげた。

 

「莫迦じゃないの!? 自分から『光』に当たりに行くなんて! それにその神器(セイクリッド・ギア)、危険な存在だって上から連絡を受けてたけど、とんだ勘違いみたいね!!」

 

 なに?

 そりゃ……、

 

「どういう意味だ!」

「あなたのギアは、ありふれたモノの一つなのよ」

 

『トゥワイス・クリティカル』。

 またの名を『竜の籠手』。

 それが、兵藤一誠が持つ神器(セイクリッド・ギア)なのだという。特性は単純。その名の通り、一定時間所有者のパワーを二倍にすることが出来るのだ。

 しかし、いくら斬輝に格闘戦を教えてもらっていたとはいえ、町のゴロツキと渡り合えるかどうかさえ怪しいていどの力量だ。そんな力が倍になったところで、おそらくレイナーレには遠く及ばないだろう。

 

「兵藤……おめぇ、とことん恵まれてねえな」

 

 腰を低く落とし、その視線はレイナーレに向けられたままだが、しかし斬輝の言葉は一誠の心を抉るには充分なものだった。

 

「るせぇ! もう、どうなってもいい!! 神器(セイクリッド・ギア)! 俺の力を倍にしてくれるんだろ!? 動いて見せろ!!」

 

 その時だ。

 手の甲に位置する緑の宝玉が光り出す。

 続くのは、

 

『Boost!!』

 

 低く重い、金属質の声だ。

 そして次の瞬間、腕を蝕んでいた光のダメージが、内側から溢れ出す力によってかき消された。

 軀の芯に、熱があるような感覚だ。

 ぶん、と大気を切り裂く音に気がついたのは、その直後である。

 

「イッセーさん!?」

 

 アーシアの叫びで我に返った一誠が見たのは、前方から迫る真っ赤な真円だった。

 

「なっ……!?」

 

 奇妙なくらいに引き延ばされたような時間の中で、それが正面から迫る光の槍だと気づくのに少しばかりかかった。

 槍の動きが妙にのろのろと見えることに、時間が引き延ばされているのが錯覚ではないことを理解した。

 物凄い勢いで脳が回転しているのだ。その回転のせいで、周りの空間が本来の速度よりも遅れて見えているのである。

 そう言えば……、

 人間が死の間際に見る、いわゆる『走馬灯』は、これと同じ理屈だと聞いたことがある。身の危険に瀕した時、人間の脳は、過去のすべての記憶の中から生き延びる方法を探し出そうとするのだそうだ。

 そして今、彼の頭の中ではめまぐるしく変わってゆく『記憶の流れ』がある。

 幼少時代に一緒に遊んだ友人。

 初めて性欲に目覚めた日。

 変態三人組として、学園の女子たちから必死こいて逃げ回っていた時間。

 ……『天野夕麻』との、仮初の思い出。

 まさに『走馬灯』だ。

 だが違うのは、その中に生き延びる術が含まれていないということだった。

 無理だからだ。

 近過ぎることも、もちろんある。今から横っ跳びをしようにも、その前の予備動作の時点で頭部に、ぐさり、である。

 そうなれば、結果は明白だ。

 悪魔にとって光とは猛毒。それを直に、それも全身の挙動を統括する脳に喰らえば、単なる脳死では済まない。

 膨大な量の『毒』が流し込まれ、しまいには光の力で浄化される。

 消滅である。

 

「うわ!」

 

 咄嗟に左腕を前に突き出した。

 それはいわば、無駄なあがきである。こんなことをしたところで何も変わらない、そんなことは端ッから判っていることだった。

 だが、衝撃はこなかった。

 痛みも無い。

 内側から身を焦がすような熱も襲ってこない。

 

「ザ、ザンキさん!?」

 

 アーシアに続いて、二つの音が響いた。

 じゃりん、と金属の擦れ合う音と、

 

「しっ!!」

 

 素早い動きで一誠の前に移動した斬輝が、鋭い呼気とともに大気を切って右腕を振りあげる音だ。

 下から上へ。それはまさに、ピッチャーが投球する際にボールが持ち手から離れる瞬間の恰好に似ている。つまり、片足を大きく踏み込ませて上体を前傾させながら、片方の腕は天を突いているのだ。

 だがその腕の先に、跳ね上げられたと思われる槍の姿は、ない。

 

「なに!?」

 

 愕然とするのは、レイナーレだ。

 彼女の視線は、大きく踏み込んだ斬輝の左脚へと向けられている。いや、正確にはその足元か。

 それを追った一誠が見たのは、

 

「え……?」

 

 不自然なくらいにばっくりと両断され、二本となった赤い槍だった。

 

 

 

       

 

 

 力を持つ者には、相応の決意と覚悟が必要である。

 そんな話をどこかで見たような……あるいは聞いたような気がするが、正直に言うとそんなことは忘れた。

 ただ言えるのは、斬輝には『世界の平和を護る』決意も『そのためにすべてを捨て去る』覚悟も持ち合わせてはいないということだ。

 勘弁してくれ。

 ヒーローじゃあるまいし。

 それに、と斬輝は思う。

 そんな理想を掲げたところで、結局は誰も護りきることなんて出来やしないんだ。

 親父も、お袋も。

 ああ、そうだ。

 だから俺には、護ってやる、だなんて満足に言えやしない。

 手が届く範囲でしか、動けねえのさ。

 

「しっ!!」

 

 今まさに一誠の眼前にまで加速度的に迫る槍を、踏み込みと同時に素早く斬り上げる。『接触』の瞬間、それはまるでバターを熱したナイフで切る時のような、実にあっさりとしたものだった。

 がらん、と地面に落下する槍の残骸を見て、斬輝はほくそ笑む。

 賭けに近かったからだ。『こいつ』はまだ、斬輝の制御下にない。つまり彼の意志に忠実に従うこともあれば、逆のパターンも起こり得るのである。

 昨夜はなんとか二本ほど出すことが出来たが、どうやらこのタイミングだと一本が限界らしい。

 それも、

 

「……づっ!」

 

 もう消えやがった。

 生温い感触が、右の拳を伝う。それが何なのかは、もうとっくに判っている。

 

「なに!?」

 

 レイナーレが、突然の出来事に驚愕の声をあげた。

 

「光の槍が折れた……? いったい、何をどうやって……!」

 

 なるほど、折れた、と言うことは、つまり彼女には今の動きが『下から叩き割った』ように見えたというわけか。

 判ってねえなあマヌケめ、と斬輝は思う。

『瓦割り』でさえ『上』から『下』への突きだというのに、わざわざ『下』から『上』へ殴るわけねぇだろうが。

 しかし、そんなことにいちいち付き合うわけにもいかない。

 

「アルジェント!」

 

 斬輝は叫んだ。

 無論、日本語が通じないことは織り込み済みだ。

 

「カモン!!」

 

 その一言で、彼女は理解したようだ。そそくさと、こちらへ駆け寄ってくる。

 振り返って、二人と向き合った。

 

「こいつの腕を診てやってくれ」

 

 いまだに煙をあげる彼の左腕を指差しながら、そう言う。

 

「俺の言ってることが判るか!?」

 

 答えは、頷きだ。

 良かった、どうやら意味は伝わってくれたらしい。

 

「よっしゃ、頼むぜ!」

 

 レイナーレの方に向き直る。

 文字通り水面に立つ漆黒の女堕天使は、その手に新たに二本の槍を形成していた。

 おいおい、ストックは永久かよ、こン畜生。

 

「おうおう、おっかねぇなあ」

「ただの人間かと思ってたけど、存外そうでもないみたいね。……良いわ。あなたに恨みはないけど、これからの計画にちょっと影響しそうだから、ここで始末してあげる」

「へえ」

 

 それが、斬輝の応えだった。

 白状しよう。

 これが相手と自分だけのサシの闘いであれば、まだ勝率はないわけではない。だが背後に手負いの者がいるとなれば、いささか事情は変わってくるのだ。

 つまり、下手に動けば後ろの二人に危険が及ぶということである。

 

「堕天使さまは慈悲の『じ』の字もないのか」

「ええ。それで死んでも、私、知らないわよ?」

「そう簡単にゃ死ねんさ」

 

 だったら、こいつも賭けだな。

 にやり。

 

「試してみるか?」

「これが本番よ!!」

 

 言い放ち、今度は左右の腕を同時に振り抜く。持ち主の手から放たれた槍は加速度的にこちらへと接近してくる。

 ……狙いは腹部と頭部。

 考えたな、と思った。頭部に迫る槍を防ごうとすればお腹に『どすん!』だし、かといって避けてしまえば背後でアーシアによる治療を受けている一誠の頭に『どすん!』である。

 どちらにせよ、正面から受けるしかない。

 

「だらあ!」

 

 先に来たのは、頭部を狙った一本だ。斬輝は持ち前の動体視力で、槍の側面を左の拳で正確に叩くことで軌道をずらした。

 残るは、小数点以下で遅れてきた腹部の槍である。

 だが今度は、さばこうにもさばけない位置である。

 続く動きを、はたしてレイナーレは予想し得ただろうか。

 

「おっしゃあ!!」

「え!?」

 

 むんず、とばかりに斬輝は残りの槍を両手で摑んだのだ。

 素手で!!

 

「ぐぬぬぬぬ……!!」

 

 その行為は、しかし悪魔にしてみれば自殺行為も同然だ。接触面から流れ込んでくる光のエネルギーが悪魔の『闇』を滅し、浄化してゆくからだ。

 だが、それが人間となれば話は別だ。

 人間は『光』にもなれば、時として『闇』の双方にも成り得るからである。

 つまり、

 光の槍を人間が手にしたとしても、それは単なる槍以外のどれでもないのである!!

 右の拳から滴っていた生温い感触は、もうない。『あいつ』らによって血小板などが活発になっているのだ。

 だがそれでも、若干右手が滑る。

 

「甘いわね」

 

 突如、レイナーレが哄笑をあげた。

『異変』に気づいたのは、まさにその直後だ。

 斬輝が両手でがっしりと摑んでいた光の槍が、消えたのだ。

 光の粒子となって!

 

「なにっ!?」

 

 今度は、斬輝が驚きの声をあげる番だった。

 そして、

 

「……うぐぅっ!!」

 

 右の肩に、激烈な熱が襲った。

 そしてその熱は、一気に肩口から噴き出した。

 

「せっ、先輩!!」

「ザンキサン!?」

「が……!?」

 

 たまらず、膝をついた。

 激痛である。

 

「三本めがあることくらい、あなたになら予想出来たと思うけど……ちょっと買いかぶり過ぎたかしら?」

「三本め、だあ……?」

 

 ようやく判った。

 さっきのあれは、二本ともフェイク……囮に過ぎなかったのだ。

 つまり、現在においては斬輝よりもレイナーレの方が一枚上手だったということだ。

 右目の視界にかろうじて割り込んでくる赤い槍を、左腕で摑んだ。

 

「ぎっ!!」

 

 駄目だ。思ったよりも深く刺し込まれているのか、下手に動かそうとすれば余計に肉を抉るだけだ。

 

「無理に抜かない方がいいわよ? 貫通しなかったのは計算外だったけど、人間と言えどそこまでの傷ならいずれ失血で死ぬわね」

 

 彼女の言う通りだった。現に、次から次へと押し出すようにして鮮血が噴き出してくるのだ。

 こン畜生が。肉の方は、大したことないってことかよ。

 糞ッタレ。

 まったくもって、

 

「……糞ッタレめ」

 

 呻いた直後、彼の全身を、柔らかな緑色の光が包んだ。

 顔を向けた斬輝が見たのは、彼の肩に両の掌を乗せ、血生臭いにおいと格闘しながら必死に神器(セイクリッド・ギア)を発動させるアーシア・アルジェントの姿だった。

 見ると、どちらの中指にもエンゲージ・リングのような指輪が嵌められていた。

 光が放たれているのは、そこからだ。

 

「……ん?」

 

 さらに肩越しに振り返ると、すでに治癒が終わったのか、一誠の左腕からはもう煙があがることはなかった。

 優しい光だ。

 温かい光だ。

 その光が最も強いのは、ついさっきレイナーレにやられた右の肩である。

 最初に変化が生じたのは、右の拳だった。打面を一直線に繫ぐカサブタが出来ていたが、それすらも新しく出来上がった皮膚によって追いやられ、ぽろり、と取れたのである。

 そして、肩に深々と突き刺さった光の槍だ。肉を裂き、骨を砕く寸前で止められたそいつが、徐々にその大きさを失ってゆく。

 縮んでゆくのだ。

 そして槍が完全に消滅した瞬間、

 

「……トワイライト・ヒーリング…………!」

 

 レイナーレの唸りとともに、それは始まった。

 

「うお」

 

 思わず漏れるのは、感嘆である。

 傷が塞がってゆく。

 外見だけを接合したのではない。しっかりと患部の内側から破られた血管が再生し、筋肉が再生し、新たな皮膚が形成されたのだ。

 それっきり、肩の痛みは治まった。

 つまり、これが彼女の神器(セイクリッド・ギア)というわけだ。

 爆発的に向上された自然治癒力による肉体の修復。

 後に残るのは、彼女の温もりである。

 

「Are you OK?」

「おう、さんきゅう」

 

 何とか笑みを浮かべることには成功したようだ。

 適切な発音ではなかったが、少女もつられて微笑んでくれた。

 しかし彼女の笑みも、

 

「アーシア」

 

 レイナーレの一言で、すぐに崩れ去った。

 その目に映るのは、恐れだ。

 

「おとなしく私とともに戻りなさい。あなたのトワイライト・ヒーリングは、そこの下級悪魔のそれとは比べ物にならないくらい希少なの。素直に来てくれたら、その二人は見逃してあげてもいいわよ」

「レイナーレ……てめぇ、ずいぶん好き勝手に話進めてくれてんじゃねぇか。なんだ? そんなにアルジェントが欲しいのか?」

 

 やっとのことで立ち上がった斬輝が吐いた言葉は、

 

「まさか」

 

 嘲笑された。

 

「私が欲しいのは、アーシアが持つ神器だけ。それさえ手に入ればいいのよ。アーシアがどうなろうが、他の連中がどうなろうが、知ったことじゃないわ」

「ふざっけんじゃねえ!!」

 

 一誠だ。拳を握りながら、いまだ発動させた神器をまとう左腕を突き出して、それは人差し指を伸ばした指差しだ。

 

「そんなことでアーシアを渡せる……」

「……I'll do as you say」

 

 一誠を遮るようにして、アーシアが一歩、前に出た。

 斬輝よりも。

 

「アルジェント?」

 

 斬輝に応えることも無く、シスターはこちらに背を向けて、徐々にレイナーレの方へと歩み寄ってゆくのだ。

 それが意味することは、一つ。

 

「おい、待て!!」

 

 無駄だった。

 彼の言葉に振り返ることも無く、ただアーシアはレイナーレの近くへと歩いてゆく。

 だが、いいのか?

 これでいいのか!?

 

「アーシア! 待てよ!?」

 

 叫ぶ一誠も、考えていることは同じようだ。いや、斬輝の考えが、一誠が耳にした言葉から導き出される予想と一致したのだろう。

 いずれにせよ、同じことだ。

 アーシアはこちらに居ることではなく、向こうへ戻ることを選び取ったのである。

 兵藤一誠と、黒鉄斬輝のために。

 認めたくなかった。

 認めてしまえば、それは敗北も同然だからだ。

 畜生。

 まただ。

 

「くそっ! 行かせるか!!」

 

 斬輝を追い越して前に出ようとする一誠の肩を、

 

「先輩! 何すんですか!? 離してくれよ!!」

 

 無意識のうちに斬輝は摑んでいた。摑んだ手が、ぎし、と軋んだ。

 こちらに向けられた一誠の目には、明らかな苛立ちが込められていた。

 

「先輩!」

「よせ」

 

 食いしばった歯の隙間からやっとのことで紡いだその言葉に、じたばたと暴れていた一誠の動きが、止まる。

 アーシアはすでに、レイナーレの側へと移動を終えていた。

 

「これは、あいつの意志なんだ……」

 

 そう。

『意志』だ。

 たしかに、それは極限までの二択問題だった。己の命を取るか、知り合ったばかりの男どもの命を取るか。

 アーシアが選択したのは、後者だった。

 ふがいない男どもなんぞのために、彼女は『自分』と言う存在を犠牲にすることを選び取ったのだ!

 

「イイ子ね、アーシア。それでいいのよ。今夜の儀式で、あなたの苦悩は消え去るのだから……」

 

 それから、広く大きな黒い翼でアーシアを抱いたレイナーレがこちらを一瞥した。目的のものを手に入れられたからか、その声はどこか弾んでいる。

 

「この子に免じて、命だけは見逃してあげるわ。でも、次また邪魔をしようものなら、その時は今日以上の恐怖と痛みを味わわせてあげるから。……じゃあね、イッセーくん、それとそこの人間も」

 

 今まで聞いたこともないような明るい声音で言われた直後、その頭上が空間ごと歪んだ。捻じくれたようなその楕円形は、昨夜あの家で見たものに似ている。

 そして、レイナーレを頭から飲み込んでいった。

 畜生。

 ああ、畜生。

 まただ。

 また、護れなかった。

 今度ばかりは、なくさずに済むと思っていたのに。

 

「アーシアァアァアアアァア!」

 

 隣で、一誠が叫んだ。

 斬輝も、叫びたくてたまらなかった。

 あいつが……レイナーレが後輩の命を奪った張本人だというのも、もちろんある。だがそれと同じくらいに、ロクに護れなかった自分が情けなくて、たまらなかったのだ。

 だが、それはしなかった。叫んでしまえば、アーシア・アルジェントの選択を無下にしてしまうからだ。

 青紫の光がアーシアを飲み込もうとする寸前、彼女の唇が震えた。

 いや、動いたのだ。

 声は聴こえなかった。

 だが、すぐに理解した。

 彼女は告げたのだ。

 別れを。

 グッバイ。

 さようなら。

 まるで聖母の微笑みのような表情で消えて行くアーシアの言葉は、そう『聴こえた』。

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