ハイスクールD×D 呪われし鉄刃   作:椎名洋介

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第五章 覚醒

       

 

 

 駒王学園の旧校舎・オカルト研究部の部室へと着いたのは、それからわずか九〇分後だった。すでに空は藍色に染まっていたが、それでも閉ざされたカーテンの隙間から洩れる光は、まだ部室に誰かしら残っていることの証拠でもあった。

 二人は、ほぼ同時に部室へと入室した。

 そこにいたのは、全てのオカルト研究部員だった。すなわち、リアスも朱乃も、小猫も木場もだ。そういえば以前、もう一人部員が居ると聞いていたが、たしかそいつは別件で席を外しているんだっけか。

 ともかくそれが、五分前だ。

 突然の来訪に、部員達は驚いていた。悪魔としての一誠の気配はきっと感じ取られていたはずだから、その驚きは斬輝に対するものと見て間違いあるまい。

 それからまず、二人はテーブルを挟んだソファへと座らされた。

 満身創痍の二人を交互に見やってから、リアスは一誠に訊いた。

 何があったの。

 それからは、さっきまで起きたことを全て彼女へと説明していた。学校を休んでもいいことを利用してアーシア・アルジェントの捜索をしていたこと、その矢先、くだんのアーシアを連れた斬輝と会ったこと、ひとしきり喋った帰りに堕天使レイナーレが現れて、アーシアが連れ去られてしまったこと……。

 だが午後からゲーム・センターで遊び呆けたことは言わないでおいた。そこに関しては、今話す必要性がないと判断したからだ。

 いずれにせよ彼は、『兵藤一誠』としてこれからどうしたいかをも、何もかも全て話した。

 あのシスターを……アーシア・アルジェントを助け出したいということも……。

 そして一通り聞き終えたリアスはゆっくりと一誠の近くまで来ると、

 

「……部長?」

 

 彼女に立たされた。

 そして次の瞬間、左の頬から乾いた音が鳴った。

 拍手ではない。

 張り手だった。

 音は、リアスの右手から。

 直感した。

 ぶたれたのだ。

 彼女に。

 

「ねえ、何度言ったら判るの?」

 

 彼女の声は、いまだかつて聞いたことのないほどに低く、そして静かだった。

 

「駄目なものは駄目よ。あのシスターの救出は認められないわ」

「なら、俺一人でも行きます」

「イッセー……!」

 

 もちろん、彼女の言い分は判る。悪魔が堕天使間の問題に首を突っ込むことがどれだけの愚行であるか、彼女は充分理解しているはずだからだ。しかしそれすらも、今の一誠の発言は覆し、捩じ曲げようとしているのである。

 判ってる。

 俺の言葉が、俺の行動の一つ一つが、あんなに俺を期待してくれている部長を裏切るような結果に繫がってしまっていることなんて、とっくに判ってるんだ。

 でも、これだけは譲れない。

 譲るわけにはいかないんだ。

 たとえ相手が部長だったとしても。

 アーシアの、あの目を見てしまった以上は。

 たしかに、彼女は自らの意思でレイナーレのもとへと(くだ)った。だが彼女が最後に振り向いた時、最後の言葉を交わした時、その目に映るのは明らかな諦観ではなかった。

 笑みだったのだ。

 心の底からの、しかし満面の笑みではなく、わずかに口元を綻ばせた、それは微笑みだったのである。

 その笑みの意味は、正直なところさっきまで判らなかった。

 そう、過去形である。

 今なら、判る。

 あの笑みは、闘う者にのみ許された笑みだ。

 ああ、そうだ。

 アーシアもまた、闘い続けてきたんだ。

 己が背負いし運命と!

 

「やっぱり、儀式ってのが気になるんです。堕天使達が裏で何かするに決まってます。アーシアの身に危険が及ばない保証なんてどこにもありませんから」

「駄目よ。主として、下僕をわざわざ殺させるような場所に一人で行かせるわけにはいかないわ」

「だったら、俺を眷族から外してください! それでもというなら、俺を消し飛ばすなりしてください!!」

 

 そうでもしなきゃ、もう止まることなんて出来ない。

 今だって、本当は目の前の彼女を振り切ってでもアーシアの居る教会へと走り出してしまいそうなのだ。

 

「あのねえ……」

 

 リアスの言葉を継いだのは、

 

「勝手にさせとけ」

 

 斬輝だった。

 

「せ、先輩……?」

「だってそうだろ? アルジェントが勝手に、行く、つったんだ。行かせりゃいいじゃねえか」

 

 ソファにどっかりと腰を下ろし、だらしなく両脚を前へ投げ出して、右手は背もたれへとかけられている。そんな恰好で、彼はいかにも面倒くさそうにぼやいたのである。

 膝に乗せられた左の拳が、小刻みに震えていた。

 だが、一誠が言葉を失ったのは、先輩のそのだらしない恰好のせいではなかった。

 彼の言葉だ。

 それは面倒くさそうに……そう、まるで自分は関係がないかのように言ってのけたのだ。

 

「それで死んじまったら、そいつぁあいつの選んだ道がそこに繫がってただけだ。おめぇがこれ以上首を突っ込んでイイ問題じゃねえんだよ」

「そんな……なんでそんなこと言うんですか! 先輩は、アーシアを助けたくないんですか!?」

「知るか」

 

 あっさりと言い切られた。

 そして、彼は立ち上がる。ゆっくりと、もったりと。アーシアに治療してもらったとはいえ、それでもわずかな鈍痛が残るのか右の肩口を抑えながら。

 

「判らねえのか? あれはアルジェントが自分の意思でやったことなんだ。それを今からカチコミしに行くことがどういうことなのかを……」

「それは……」

 

 言いかけて、しかし喉の上までこみあげてきたものを、再び奥へと押し込んだ。

 応えられない。

 答えが、見つからない。

 そのとおりだからだ。

 今から一誠がやろうとしていることは、たしかに彼女の意思に反する行為になる。

 

「部長」

 

 ソファの方を向いた一誠の背後で、朱乃がリアスと何か話しているのが聴こえた。

 

「イッセー」

「……はい」

 

 振り返る。

 さっきの話の内容までは判らなかったが。

 しかし、

 

「大事な用事が出来たから、私は朱乃と斬輝を連れて外へ出るわね」

 

 リアス・グレモリーがついに一誠の提案を認めてくれることはなかったことは、確実だった。

 

「おい、俺もか!?」

 

 だが一誠よりも先に異論を唱えたのは、他ならぬ斬輝だった。

 

「ええ、そうよ」

 

 するとリアスはするすると二人の間に入り込むと、

 

「ほら、行くわよ」

 

 がっしりと斬輝の腕を摑んで、そそくさとドアの方へと歩いてゆく。

 その背中を見送るように、けれど一誠は一歩前へと踏み込んだ。

 

「部長!? 話はまだ終わっちゃ……」

「ねえ」

 

 ドア・ノブに手をかけたところで、リアスの動きが止まった。

 そして、こちらを見やる。

 

「プロモーションって、知ってる?」

「プロモーション?」

 

 言葉だけならば、聞いたことがある。たしか、チェスにおいて『兵士(ポーン)』だけが持ち得る何か特殊な力のことだ。

 だがいまだかつてチェスをマトモにプレイしてこなかった一誠のオツムには、その力の効果まではインプットされていない。

 

「イッセー、あなた、『兵士(ポーン)』が最弱の駒だと思ってない?」

 

 頷いた。

 けれど、それは違うとでも言うつもりなのか? 『兵士(ポーン)』は、捨て駒じゃないのか?

 実際のチェス同様にね、とリアスは続ける。

 

「敵陣地の最深部まで辿り着ければ、『兵士(ポーン)』は『(キング)』以外の全ての駒に昇格出来るの。それがプロモーションよ」

 

 それはつまり、『(キング)』であるリアスが敵陣地であると認めた時にのみ、木場の『騎士(ナイト)』や小猫の『戦車(ルーク)』、ひいては朱乃の『女王(クイーン)』への昇格が可能になるということだ。

 言いかえれば、『(キング)』以外の力を好きなように使えるのである。

 悪魔の駒(イーヴィル・ピース)にそんな能力があるとは思わなかった。しかしこれは、大きな収穫だ。これを神器(セイクリッド・ギア)と一緒に巧く使いこなせば、ひょっとしたらあの糞神父やレイナーレへ一発かませるかも知れない。

 

「でも、今のあなたじゃ体力的に『女王(クイーン)』は難しいかもね。でも、強く願えば変化が訪れるはずよ」

「お前、何を……」

 

 斬輝の疑問を無視して、それと、とリアスは付け加えた。そして一誠に向かって彼女は……ああ、なんてことだ、そこにはいつもの笑みが浮かんでいるではないか!

 

「あなたの神器(セイクリッド・ギア)についてだけど。イッセー、神器(セイクリッド・ギア)を使う時、これだけは覚えておいて」

 

 ……想いなさい。神器(セイクリッド・ギア)は、想いのチカラで動き出すのよ……。

 それが、最後だった。踵を返したリアス・グレモリーは、斬輝の手を摑んだまま朱乃とドアの向こうへと行ってしまった。

 残ったのは、一誠を含めて、たった三人。あとの二人は、木場祐斗と、塔城小猫である。

 わずかな静寂の中で、一誠は己の左腕に目をやる。

 選ばれし者が神よりもたらされたチカラ。

 けれど、ごくありふれたタイプのチカラ。

 そんなものでも、と一誠は思う。

 応えてくれるのかな。

 俺の想いに。

 アーシアを助けたいっていう、この想いに。

 使命感などという言葉が気恥しく思えてしまうほどに、それは純粋な気持ちだった。

 左の拳を垂らした時、

 

「兵藤くん」

 

 ふと、背後から祐斗が声をかけてきた。

 

「行くのかい?」

「ああ」

「一人で?」

「そうするしかねえよ。アーシアは友達だ。俺が助けに行かなきゃならないんだ」

「殺されるよ? たとえプロモーションを使っても、エクソシストの集団と堕天使を一人で相手取るにはリスクが大き過ぎる」

「構わないさ。俺が死んでも、アーシアが逃げてくれればそれでいい」

「莫迦みたいだ」

「違わないな」

 

 でも、

 

「俺みたいな莫迦には、これくらいしか出来ないんだよ」

 

 そういえば少しばかり前に、斬輝に言われた言葉があった。

 ……お前さん、そーゆーとこは俺並みの脳キンだからなあ……。

 その時は、誰が脳ミソ筋肉野郎ですか、と抗議したが、しかしなるほど、たしかに彼の言葉は間違ってなかったのかも知れない。

 そうか。

 そういうことか。

 だとしたら、たしかに俺は脳キンなのかもな。

 斬輝先輩並みに。

 

「判ったよ」

 

 木場は一誠の隣に立つと、そう言った。

 

「僕も一緒に行こう」

「はあっ!?」

 

 一緒に行く、って……どういうことだよ!?

 

「気づかなかったのかい? 部長は、遠回しに教会を敵陣地と認められたんだよ」

「……あ」

 

 そうだ。

 たしかに、彼女は言ったではないか。

兵士(ポーン)』に備わる力の一端を。

 そして何ともご丁寧に、『(キング)』が認めた陣地でのみ発動するという条件まで!

 そうか。

 そうだったのか。

 だからあの時、部長は『言った』んだ。

 行け、と。

 遠回しに。

 リアスも、怒っていたのだ。それが一誠と同じ理由なのかはともかく、少なくとも彼女が『敵地』であると認める分には充分な材料だったのだろう。

 

「もちろんそれは、僕に君をフォローしろ、って意味合いも含めてだと思うけど。そうでなければ、君を閉じ込めてでも止めてると思うよ」

 

 木場の苦笑に、一誠は自分の唇が歪むのを感じた。

 同じく苦笑だった。

 返事は、

 

「私も行きます」

 

 木場の背後からだった。そして二人の間に入り込むようにして、小柄な白髪の少女が躍り出る。

 

「こっ、小猫ちゃん?」

「……二人だけでは不安です」

 

 相変わらず無表情で何を考えているのか皆目検討もつかなかいが、しかしこの時、一誠は彼女が持つ優しさの一端を垣間見たような気がした。

 おもわず笑みがこぼれそうになるのを抑え込んで、

 

「ありがとう」

 

 それだけ、応えた。

 それだけで充分なのだ。

 信頼だとか仲間だとか、そんなものは関係ない。

 

「それじゃ、いっちょ救出作戦といきますか!」

 

 待ってろよ、アーシア!

 

 

 朱乃からの報告よ、とリアス・グレモリーは言った。

 斬輝の質問への、それが答えだ。ここ数日、堕天使が不穏な動きをしているというのである。

 悪魔のお偉いさん側から統治を任せられている、この駒王町で。

 ……彼女の領土で。

 

「おめぇ、関わらねえって言ってたじゃねえかよ」

 

 湿った土壌の上を踏みしめながら、終わりのない樹木の間を縫うように歩いて行く。

 月明かりさえも遮るほどに密生した森である。おかけで、二人の前を歩く朱乃が人為的に発生させた『炎』がなければ、満足にすぐ隣にいるはずのリアスの顔すら見えやしない。

 けれど次々と刻まれてゆく足跡だけは、斬輝のは誰よりも深いことが判る。つまるところ、それだけの重量を持ち合わせているということだ。

 転移だ。悪魔でない斬輝は、リアスが自身の魔力で構築した特殊なチケットを持って。

 勝手に連れ出されたも同然なこの状況で、溜め息まじりに斬輝は尋ねた。

 

「確証が持てなかったのよ。一連の事件が堕天使の総意によるものなのか、それとも一部の輩が勝手に起こしているのか」

 

 今もそれは判らないけれど、と付け加えて。

 だから、とリアスは言った。

 

「確かめるの」

「確かめる? そんなことなら、わざわざ俺を連れて来る必要なんざなかったろう」

 

 あいつのダチ一人護れや出来ん俺なんざ、よ。

 ただのお荷物になるだけさ。

 だが、

 

()るわ」

「なに?」

 

 即答だった。

 

「どういう意味だよ」

「……朱乃、もう少し前の方を歩いてくれる?」

「判りました」

 

 短く息を吐き、朱乃が二人から少しばかり距離をとるのを確認すると、

 

「ねえ、斬輝」

 

 ぼそり、と肩を並べているこの間でしか聞き取れないくらいな声でささやいた。

 

「……あなた、後悔しているんでしょう?」

「なっ……!?」

 

 いきなりの言葉に、斬輝は言葉を失った。

 リアスの言う『後悔』がいったい何に対するものなのかを、斬輝は他の誰よりも理解している。

 それはまさに、彼自身が頭の片隅で常に思っていたことだったからだ。

 ああ、そうさ。

 一誠と同じだ。俺も、自分のことが情けなくてどうしようもないんだ。

 それでも心のどこかでアーシア・アルジェントの『選択』を正当化させることでこれ以上首を突っ込まないで済むようにする自分がいて、余計に腹が立った。

 それじゃ駄目なのに。

 首を突っ込むな、などと言っておいて、実際のところ俺もあいつと同じく彼女を助けようとするべきだった。

 だがそうしなかった。

 言い出すのが怖かったからだ。

 言うだけ言って、また救えなかった……そんな結果に終わってしまうのが、純粋に怖かったんだ。

 だからこうして、大した抵抗も出来ず、二人に付いて行くような状態になっている。

 

「私、『見た』のよ」

「なにを」

「あなたよ、斬輝」

 

 俺を?

 

「いつだ?」

「ゆうべ」

 

 これも即答だ。そして顔をわずかにこちらに向けると、彼女はさらに続けた。

 

「昨夜ね、イッセーの契約者候補の自宅にはぐれ悪魔祓い(エクソシスト)が現れたの」

 

 エクソシストは一誠が到着するよりも前に男を殺害しており、結果的に彼はその惨状の中へと入り込んだのだという。

 そしてエクソシストの容赦ない攻撃の中で一誠を庇ったのが、つまりあのシスターだったのである。

 

「アルジェントが、か?」

「そうよ」

 

 ぞわり。

 まて。

 まてまて。

 これは、そうなのか?

 要するに、そういうことなのか!?

 

「怪我をしたイッセーを回収して転移魔方陣を展開した時、そのエクソシストが正面にいた私に向かって剣を振り下ろしてきたわ」

 

 リアス・グレモリーの口から零れる言葉は、あくまで淡々としている。だがその中に、斬輝は一つの確信を得ていた。

 

「その時に、『見た』の。あなたの剣を」

 

 もはや、疑いようがなかった。

 間違いない。こいつは、ゆうべ俺が入り込んだ民家にいたのだ。

 イカレた口調をした男の攻撃を防いだ、まさにその瞬間まで。

 

「あなたが入ってきたことは、偶然だと思っているわ。でもあの時、ひょっとしたらあの剣が届いていたらと思うと……私、きっとここにはいないと思うの」

 

 イッセーの怪我からして相当な堕天使の加護が付いていたみたいだから、と自嘲気味に笑みが漏れた。

 だがそれも、長くは続かなかった。

 

「あなたが……」

 

 リアスは、もう真顔に戻っていた。

 

「あなたが自分を責めることなんてないわ。むしろ責められなければならないのは、私の方よ。結果として巻き込んでしまったのは、私なのだから」

 

 それに、と彼女は言った。

 

「あなたは、ちゃんと護ろうとしてるじゃない。護ろうとしてくれてるじゃない。違う?」

 

 そうだ。そこがポイントなのだ。

 

「護れなかったのは、たしかにあなたが弱かったからなのかも知れない。でも、だからってそこで諦めちゃ駄目なのよ。諦めずに、今度こそ護ろうと立ち上がらなきゃ駄目なのよ」

 

 応えられなかった。

 

「イッセーにあんなことを言ったのだって、本当は彼が闘わずに済むようにしたかったんでしょう? ……斬輝」

 

 応えられなかった。

 だが無造作に垂れた自身の両の拳が、わなわなと震えていたのが判った。

 

「あなただけが傷つくことはないのよ。あの時部室で言ったこと、覚えてる?」

「……ああ」

 

 喉の奥から絞り出すような声で、頷いた。

 ……お願い。私に、私達にあなたを護らせて……。

 忘れるもんか。

 あの言葉は、悪魔の言葉ではなかった。

 リアス・グレモリーという一人の女の、それは本音だったのだ。

 

「だったら、頼って」

 

 彼女の声が、震えている。

 それが怒りからくるものではないことが、ふと摑まれた左手の感触で判った。

 

「あの夜から、ずっと心配だったのよ……。護らせて、って自分で言っておきながら結局はあなたに助けられちゃうし、メールにも電話にも出てくれなくて、私……」

 

 ……ああ、なんてこった。

 こいつも、同じだったのか。

 護るべき者に助けられてしまうということは、実際のところそこまで問題ではない。

 重要なのは、それからだ。

 そして、今の斬輝とリアスとを明確に区別し得るものが、つまりそこなのである。

『過去』に囚われてその場に立ち止まるか、

『過去』と向き合い前へと進み続けるのか。

 

「だからもう、護らせて、とは言わないし、言えないわ。でも頼って。一人で抱え込もうとしないで……」

 

 リアスは、間違いなく後者だった。

 

「孤独になろうとしないで……」

 

 握ってくる力が、強くなる。無意識のうちに、斬輝はその手を握り返していた。

 そうか。

 そういうことか。

 彼女が言いたいのは、このことなのだ。

 ああ、そうさ。

 俺は孤独だ。

 事故で家族を失ったあの日から、ずっと。

 友達がいなかったわけではない。現にこうして女の知り合いもいれば、性癖に難はあれども後輩にだって恵まれている方だ。

 だがそれでも、俺が孤独であることに変わりはなかった。知り合いにしたって後輩にしたって、その間には厳然たる壁があったからだ。

 そう。あった、だ。

 その壁が、今、壊されようとしている。

 傍らを歩く、一人の紅髪の少女によって。

 ふいに浮かぶのは、自嘲の笑みだ。

 俺という奴は、全く、くだらんプライドなんざ持ちやがって。

 そんなものは、とうの昔に捨て去るべきだったのだ。

 こうして斬輝へ手を伸ばし、触れてくれる者が現れてくれた時点で。

 少なくとも、彼女と出逢った二年前には……。

 

「リアス……」

 

 ふとした呟きに、ふいにリアスがこちらを見つめてくる。青い双眸がわずかに煌めき揺らめいて見えるのは、気のせいではないだろう。

 思えば彼女の名を何の抵抗もなしに呼んだのは、これが初めてだ。

 そして、気づいた。

 彼が取るべき行動が何なのか。

 彼女が示してくれたのだ。

 ならば。

 

「……ああ、判ったよ」

 

 斬輝はリアスの手を離し、彼女の肩に軽く乗せる。

 

「ありがとう。おかげで、ちと吹っ切れたぜ」

「……いいえ」

 

 腹は決まっていた。

 正義感と呼べるものではなかったにせよ。

 とりあえず、今のところは。

 

 

 

       

 

 

 なまぬるい風が、なまぬるい大気をかきまわしてゆく。

 この時期は夜になるとまだ肌寒い。しかしこれくらいの風は、まだちょうど良いくらいに思えた。

 だが、と一誠は思う。

 俺の怒りの熱の方が上だな。

 それはアーシアを攫った堕天使レイナーレへのものでもあるが、同時に自分自身への怒りでもある。

 目的地である教会へと到着した時、そこから放たれたのは異様なまでの殺気だった。三人はすぐには中へと入らず、分厚い木製の扉が見える位置に茂る木々の中に隠れて様子をうかがうことにした。

 本当ならば先頭切って突っ走りたいところだが、これだけの『圧』が中から噴き出されているとなるとさすがにそいつもためらってしまう。

 幹に背中を預け、一誠はわずかな溜め息をもらした。

 

「これは、相当な数の神父が集まっているみたいだね」

 

 同じく反対側の樹に寄りかかる木場の呟きに、

 

「判るのか?」

 

 聞き返した。

 

「うん。これでも神父や堕天使とはそれなりの場数を踏んでるからね。なんとなく、雰囲気で伝わってくるんだよ」

「そうなのか……」

「……それに、個人的にも彼らは好きじゃないんだ」

 

 憎いほどにね、と言う木場の声音がわずかに低くなったのを、一誠は聞き逃さなかった。だがそれを問いかけるよりも早く、茂みに身を潜めていたはずの小猫がいつの間にか正面の扉の前に立っていたことに気づいた。

 

「……小猫ちゃん?」

 

 慌てて、二人も彼女のもとへと駆け寄った。

 

「向こうも私達に気づいているでしょうから……」

 

 言いながら右脚を胸まで引きつけると、一気に扉を蹴破った。

 足刀蹴りである。

 扉は呆気なく奥へと開き、瞬間的に叩きつけられた風圧によって舞い上がったホコリの中を、三人は進んでゆく。

 気味が悪くなるくらいにきちんと並べられた長椅子に、奥には祭壇。左右に据えられた彫刻はところどころ破壊されていて、床にはそのカケラが散らばっている。

 祭壇の中央に磔にされた聖人の彫刻は、その頭部が粉砕されていた。

 文字通り、廃れた教会の聖堂。

 腰骨から頸椎のあたりまで駆け上がってくる悪寒。

 向けられる殺気は、この聖堂からも吐き気がするくらい感じ取れる。

 けど、ここじゃない。

 教会の中からだというのは確実だ。だが、連中が潜んでいるのはもっと別の場所のように感じるのだ。

 どこだ?

 どこにいやがる?

 首を回してあたりを見渡した時だ。

 ぱちぱちぱち、と間の抜けた拍手を聖堂の中で反響させながら、

 

「やあやあやあ」

 

 聞き慣れた、しかし耳ざわりな声が響き渡った。

 祭壇の左側に面した壁に穿たれた穴からだ。ちょうど、人が通れるくらいの大きさである。

 光源は、ロウソクとわずかに生きている電気の灯りのみ。

 だがそれでも、『奴』の透き通った白髪は、闇の中でもうるさいくらいの自己主張をしていた。

 

「再会だねえ、感動的ですねえ!」

「フリード……!」

 

 それは堕天使達が用意していた刺客だった。

 しかし、その頭部は包帯に覆われていたが。

 

 

 初めて彼女の『計画』を聞いた時、最初は信念よりも疑念の方が上回っていた。

 本当に?

 それだけのことで、本当にそんなことが出来るの?

 無論、その『計画』には念入りな準備が必要だった。『一つの種』として動くのではなく『個人の集まり』で行動する以上、それには慎重に事を運ぶことが求められるためだ。

 これから儀式が始まる。

 予定より大幅に遅れたものの、それが終われば彼女達は本当の意味で『至高の存在』へと距離を縮めることになる。

 絶対に失敗は許されない。

 それも全て、あの方の近くでお仕えするためだ。

 誤りはない。

 あるはずがない。

 そう言い聞かせてきた。

 そう、自分に言い聞かせ続けてきた。

 もちろん、

 

「は~ぁあ、退屈ぅ」

 

 今も。

 大木から枝分かれしたうちの一つに腰をかけ、ミッテルトは教会を見つめていた。

 いや、見張っていた。

 かれこれ三時間ほどこのままだった。たしかに脆弱な人間よりかは体力も持久力もあるが、それでも長時間同じ姿勢をとり続ければいかな堕天使と言えど負荷がかかる関節は軋みをあげるのである。

 首を回すと、頸椎のあたりが、ごきり、と嫌な音をたてた。

 腰なんて、もうカチコチだ。

 あー、もう。

 暇過ぎ。退屈。ヤになっちゃう。

 

「どうしてウチが見張りなんかやらないといけないのよ」

 

 思わず漏らした言葉に、

 

「それはあなたが下っ端だからじゃないかしら?」

 

 応える声があった。

 肩越しに振り返ったミッテルトが目にしたのは、三人の人影だ。

 わずかな月明かりで、それは二人の女と一人の男だと判る。それだけではない、うち二人……前の女はどこかの制服を着ているようだが間違いない、悪魔だ。だが背後の男が顔以外まともに判別がつかないということは、つまり相手が黒ずくめであることの証拠だ。

 しかしそれ以上に、その男が『ヒト』であることの方が、最も彼女を驚かせた。

 立ち上がり、

 

「あらぁ?」

 

 わざとらしく言いながら、五メートルほどの高さを迷いもせずに飛び降りた。引力が彼女の軀を摑み、加速度的に地面へと引きつけてゆく。

 着地の瞬間、どすん、と腹の底に響く音がしたが、それだけだ。

 骨は砕けない。

 ヒトではないからだ。

 

「これはこれは。わたくし、人呼んで堕天使のミッテルトと申しますぅ」

「あらあら、これはご丁寧に」

 

 ポニー・テールの女に続いて口を開いた長身の男は、

 

「ゴスロリって……てめぇらは変な趣味しかしてねえのか?」

 

 頭を搔いて、何とも緊張のなさそうに言った。

 

「はあ!? へ、変な趣味って何よ!」

「そのまんまの意味だ。……どう考えても変だろ」

「変とか言うな! れっきとしたコスプレよ!」

 

 言ってしまってから、しまった、と思った。だがもう遅い。

 紅髪の女悪魔は小さく咳払いした後、下僕があなたを察知したの、と言った。たしか、グレモリー家の者だっただろうか。

 どちらにせよ、なるほど。やはり感づかれてはいたようだ。まあ、雇った神父も含めてあれだけ派手にやっていれば、当然の結果だと言える。

 だがミッテルトの見張りを、グレモリーは悪魔への『警戒』として捉えていた。

 

「私達に動かれるのは、一応は怖いみたいね」

「まさか」

 

 ミッテルトは鼻で笑った。

 

「だいじな儀式を悪魔さんに邪魔されたらちょっと困る、ってだけ」

 

 そりゃ残念だったなあ、と呟くのは人間の男である。

 続く言葉に、ミッテルトは背筋が冷たくなるのを感じた。

 なんか、嫌な感じ。

 まさか……、

 

「さっき俺らの後輩がそっち向かったぜ。どっから入ったのかは知らんがな」

 

 うそでしょ!?

 え?

 えええええ!?

 

「マジ!?」

「マジですわ。それも表から堂々と」

「ああ、表か。だそうだ、ゴスロリ」

 

 ポニー・テールが答える。

 それはつまり、ミッテルトの自由時間……及び睡眠時間を削ってまで行った『監視』が、呆気なく無駄に終わったことを意味していた。

 だが、と思う。

 所詮は三下の悪魔。そんな連中が集まったところで、レイナーレの計画を阻止することなど出来るわけがあるまい。

 

「まあ、実際儀式の邪魔になりそうなのは、そこの悪魔お二人さんの方みたいだし……」

 

 噂が確かであれば、紅髪は『紅髪の滅殺姫(ルイン・プリンセス)』、隣のポニー・テールは『雷の巫女』の異名を持っている。

 つまりここで彼女達を足止め、あるいは降すことが出来れば、ミッテルトの評価は上がるかも知れない。いや、確実に上がることだろう。

 

「……なにが可笑しいの?」

 

 おっと、どうやら顔に出ていたようだ。

 しかし、だとすれば行動は早い方がいいだろう。

 

「まあ、とにかくあれよ。主のあんたををぶっ潰しちゃえば、他の下僕ッチはオシマイになるわけだしぃ? これなら数は同じよね!」

 

 言葉とともに、ミッテルトは漆黒の翼を拡げた。途端に、三人の背後に『ある』空間が楕円形に歪む。

 それは例えるなら、池に小石を落とした時に拡がる水の波紋に似ている。そいつが今、四次元的に発生することで『あちら側』にいる仲間を『こちら側』へと召喚するのだ。

 禍々しい光が止んだ時、そこには二人の堕天使が立っていた。

 左のハットを被った男は革のコートに革のグローブ、隣の女はタイトなスーツである。しかし彼女が上に着ているのはジャケットのみで、その下にはうるさいくらいの二つの隆起があった。

 ドーナシークと、カラワーナである。

 

「お前……」

 

 長身の男が、唸るように呟いた。

 

「生憎、また(まみ)えてしまったようだな、グレモリー嬢。それに小僧もか」

「貴様らに計画の邪魔をさせるわけには行かないんでな」

 

 そう。

 計画を邪魔されるわけにはいかない。阻止なんかされたら、それこそ打つ手なしだ。

 だから今、ここで確実に仕留める必要がある。

 

「たった三人で、どうする気?」

 

 ミッテルトは、挑発的に話しかけた。

 ドーナシークもカラワーナも、それに続く。

 

「我らの計画を妨害する意図が貴様らにあるのは、すでに明白」

「死を持って抗うが良い」

 

 三人の堕天使が、三人の乱入者を取り囲むように飛翔する。

 奇妙な三角形である。

 

「まあ、大人しく逃げるって言うなら、許してあげなくもないけど」

 

 その三角形の中で、

 

「一つ、訊かせろ」

 

 男が、こちらを見上げて口を開いた。

 

「アルジェントの神器を抜いて、どうする気だぃ」

「簡単なことだよ」

 

 ドーナシークだ。

 

「我らが同志レイナーレはアーシア・アルジェントが持つ聖母の微笑(トワイライト・ヒーリング)と融合し、至高の治癒能力を手にする。さすれば、アザゼルさまの目に留まることは間違いあるまい」

 

 そしてそれに半ば便乗する形で、ミッテルト達にも相応の地位が与えられる。

 そう。これは全て、堕天使勢力における四人の地位を大幅に向上することを目的としているのだ。そして最終的な目標は、総督であるアザゼルの側近、である。

 

「ギアを抜くってことか?」

「そうだ」

 

 簡潔にして単純な答えだった。ひくり、と悪魔達の眉が動いたあたり、あるていどのショックを与えることは出来たようだ。顔に出していないだけで、きっと彼女達は初耳であるはずだ。

 そもそも神器所有者から神器だけを抜き取ること自体が、今まで行われてこなかったのだから。

 神器の移植には、装置の設営や被験者を含め、長い時間と綿密な計画が求められる。だがそれ以上に問題視されているのは、提供元の人間が神器を抜き取られた後数分とし死亡することだった。

 それが今、まさに行われているのである。

 

「抜かれちまったら、彼女はどうなる」

「死ぬ」

「……そうか」

 

 男は短くそう言うと、

 

「リアス」

 

 紅髪の女に、ちらり、と視線だけを投げた。

 

「なに?」

「あのおっさん、俺に寄越せ」

「出来るの?」

「借りがあるからな。きっちり返してやらんと俺の気が済まん」

「あなたは人間なのよ? ……勝算は、あるの?」

「ああ」

 

 即答だった。

 うすら笑いを浮かべるドーナシークの表情が、ふいに曇ったのが判る。

 紅髪の悪魔はどこか考えるような素振りを見せた後、

 

「いいわ」

 

 そう言った。

 

「死なないでね、斬輝」

「判ってらあ」

 

 一通りの話が終わった後、

 

「ドーナシーク」

 

 ミッテルトはつぶやいた。

 

「あの人間、別に殺しちゃってもいいわよ」

「もとより、そのつもりだ」

 

 それも、とドーナシークはゆっくりと降下を始める。

 革靴のつま先が地面に触れる瞬間、

 

「徹底的に叩き潰してやろう!!」

 

 ぎゅん、と一気に加速し、二人の悪魔の間を器用に縫って男の上着を引っ摑んで、

 

「がっ!」

「斬輝!?」

 

 教会の方へと飛び去って行った。

 

 

 

       

 

 

 激痛は、下敷きになった右腕から肩、背骨へと駆け上がり、斬輝の脳髄の内側で炸裂した。

 ドーナシークによって上着の襟を摑まれた勢いで宙へと持ち上げられ、そのまま落とされたのだ。

 衝撃で、屋根の一部が彼を中心にして放射状に砕け、陥没した。

 足元は、傾斜のある地面だった。

 いや、違う。

 

「屋根か?」

 

 教会の上だった。

 

「貴様とも、これで二度目だな」

 

 分厚い恰好をした堕天使が、中央の十字架の上に降り立つ。その手にはまだ、何も握られてはいない。

 のそりと立ち上がると、無造作に垂らした両手に拳を握る。背後の森から、くぐもった炸裂音がした。

 斬輝は、それを背中で聞いた。

 目は、真っ直ぐに『標的』に向いている。

 貴様も、と目の前の人外は言った。

 

「懲りない奴だな。私に恨みでもあるのかね」

「まあな」

 

 唇の端を笑みに歪めて、斬輝も応える。

 

「せっかくまた会ったんだ、ツケぐらい払っていけよ」

 

 兵藤一誠の一件と、その時に負った斬輝自身の腕の傷だ。

 

「ああ、なるほどな。そのことか」

 

 向こうも、気づいたようだ。

 

「おうよ」

「だがどうする? 貴様は悪魔でもなければ、その身に魔力を宿しているわけでもあるまい。勝算と言ったか? そんなもの、どこにあると言うのだ」

「あるさ」

「なに?」

 

 人外が、眉をひそめた。

 斬輝は、一歩、前へ出る。

 一歩下がったのは、十字架から降りたドーナシークの方だった。

 向かい合う二人の間におとずれるのは、わずかな静寂である。

 

「てめぇよりも早く殴りゃあいい」

「出来るものか」

「出来る」

「ほう」

「試してみるか?」

 

 言いながら、斬輝は深く腰を落とす。

 ハットの堕天使は言った。

 

「やってみろ」

「そうかい!」

 

 そして次の瞬間、斬輝はヒビ割れた屋根を蹴った。不安定な足場にもかかわらず、斬輝の絶妙なバランス感覚は彼の軀を宙へと持ち上げる。

 爆裂の勢いで前方へと飛び出した斬輝は、一〇メートルもの距離を一気に詰める。ドーナシークに激突する寸前で着地し、続く動きで真上に跳躍した。

 勢いに乗せて空中で身をひねる姿は、向こうからはこちらが背中を向けたように見えるはずだ。

 回転運動のさなかに素早く伸ばした右脚は、飛び後ろ回し蹴りとなって相手の側頭部を狙った。

 しかし厚底の靴が、堕天使の頭に炸裂することはなかった。

 

「むん!」

 

 喉の奥で唸りつつ、ドーナシークはこれを斬輝と同じ方向に回転することでさばいたのだ。

 一撃めが駄目なら、二撃めだ。

 今度の着地は、だから両足によるものではない。トカゲのように、地面に這いつくばった恰好である。同じく伸ばした右脚が、屋根の上で円を描いた。

 後掃腿……脚払いだ。

 

「ちぃっ!」

 

 舌打ちをしつつ、ドーナシークは後方へ跳び退った。

 しかしこれこそが、斬輝の狙いでもあったのだ。

 奴はさっき、十字架の上から降りてきた。それは斬輝が落とされた屋根よりも、やや高所にある。そしてその十字架は、彼のいた屋根よりも人一人分ほど出っ張ったもう一つの『屋根』の上にあるのだ。

 幸い、向こうは咄嗟の行動で翼を展開していない。言ってしまえば、常人よりも跳躍力の高い後退に過ぎないのだ。

 そして奴が逃げた先にあるのは、薄汚れてはいるもののまだ白い壁である!

 逃げ場はない!!

 

「おっしゃあ!!」

 

 瞬間的に伸び上がった斬輝は、左の正拳突きを打った。

 狙うは胸の中心……背骨から回り込んだ肋骨が集まった胸骨である。

 

「なにッ!?」

 

 うろたえるドーナシークは、しかし跳び上がってしまっているために手の打ちようがない。冷静な状況判断で翼を展開されたら厄介だが、しかし奴は打拳の寸前で両の掌をかざすことでかろうじて防いだ。

 だがその衝撃までは相殺しきれなかったようだ。ずん、と鈍い音をたてて、堕天使は三メートルほど後方へ吹き飛ばされる。

 壁に背中から叩きつけられ、痛みに悶える口から涎が飛んだ。

 引力が奴の軀を摑んで、屋根へとずり落ちる。

 

「言ったろ? 出来るって」

 

 斬輝は『標的』から目を離さず、そう言った。

 

「貴様……」

 

 ゆっくりと立ち上がるドーナシークの掌は、黒いグローブにわずかに赤い染みがついていた。見ると、あれは自分の血だった。指の付け根が四つとも擦り剝けて、すでに血を滲ませている。

 だが斬輝は、それを痛いとは毛先ほどにも思わなかった。

 

「いったい、何をした」

「判らねえかよ。ただ殴っただけだ」

「殴っただけだと?」

 

 ふざけるな、と堕天使は吐き捨てた。

 

「だから言ったじゃねえか。試してみるか、って」

「……なるほど神器(セイクリッド・ギア)か」

「ま、そんなとこだな」

 

 もっとも、これはあくまでそれによる副作用みたいなものなのだが。だがそれにしても、まさか己の身体能力がここまで向上しているとは思わなかった。

 正確さと俊敏さ、これこそ彼の中に眠る『なにか』が目覚めたことによって手に入れた最強の武器だ。

 黒鉄斬輝は、そう考えていた。

 それに比べれば、人並み外れた跳躍力も莫迦げた重量も、大したものではない。敵を上回る速度で的確な攻撃を加えることこそ、必勝のための唯一の手段なのだ。

 おかげで傾斜のある不安定な足場でも、強風に煽られてよろめくことはなかった。ただ、上に羽織った薄手の黒いシャツの裾が風を孕んで膨らんだだけだ。

 軀は重い。

 それが今、不思議なくらいに気にならなかった。まるで最初からそうであったかのようにさえ感じるのだ。

 

「だがタイム・リミットが近いことに変わりはない。儀式さえ終えれば、我らの必勝は約束される!」

「おっさんよお」

 

 なんだ、と応えるドーナシークの両手には、すでに二本の槍が形成されている。

 

「どっちに転がっても自分達の勝ちは変わらないからおとなしく()られちまえ、って言いてえのか?」

「それが何だと言うのだ?」

 

 眉をしかめて、ドーナシークの顔は、迷惑そうだった。

 斬輝はそれに、苦笑で応える。

 

「いや、やっぱりあんたみたいな奴は好きになれんと思っただけさ」

 

 勝負なんて、どっちに軍配が上がるかは最後までやり合わねえことには判らねからな。

 バトルってぇのは、そういうもんだ。

 

「そうか。私も貴様のような執念深い奴は嫌いだ」

「仕留めるまで逃がさねえ奴がよく言うぜ」

「違いない」

 

 槍を持つ手を左右に開き、ドーナシークは腰を落とした。

 つまり向こうも、本当の意味で闘う気が出来たということだ。

 

「では、どうしようか」

「そりゃま、徹底的に()り合うしかねえだろ」

「良いな」

 

 言うなり、ドーナシークがこちらに向かって飛び出してくる。

 真っ直ぐ、水平に。

 相手からの攻撃は、長いリーチで繰り出される左右の槍だった。斬輝は一歩前へ踏み込んで、こちらも左右に開いた両手の(けん)でブロックする。

 

「へっ! 俺は悪魔じゃねえからな、ンなもん効かねえぞ!!」

「ならば!!」

 

 しっ、と食いしばった歯の隙間から呼気を吐きつつ、ドーナシークは引き戻した右手の槍を素早く前方へと突き出してくる。

 

「のわっ!?」

 

 慌てて左半身に腰をひねって避ける。と同時に左手で空を突いた槍を鷲摑みにし、間隔をあけて槍の下に右手を添えてから、

 

「だぁあぁぁあああらぁああぁあぁあああッ!!」

 

 己の右肩を軸に渾身の力で投げ飛ばした。

 ブレーキをかけ損ねたドーナシークの反動を利用した巴投げである。驚く間もなく宙を舞った堕天使は、しかし屋根に激突する寸前に両翼を展開し頭を下に向けた恰好で制止した。

 ゆっくりと体勢を立て直し、着地する。

 

「……なるほどな。貴様を降すには、槍では無理か」

「リーチが長いのは良いがよ、その分攻撃の直後に隙が出来やすいんだ。俺にゃ不向きな武器だわな」

 

 格闘戦においてもっとも重要なのは、単純にどんな攻撃を繰り出すか、ではない。どんな攻撃が繰り出されるのかを瞬時に予想・判断し、その有効範囲から自身を逃がしつつ、その上で相手を上回る速度で的確な攻撃を加えることなのだ。

 あの日から斬輝は、それだけの思考力と行動力を培うために軀を苛め続けてきた。あちこちの格闘技から使えそうな動きを引っ張ってきては組み合わせる、良く言えば万能な、悪く言えばでたらめな戦術を独学で構築し得たのだ。

 かつて兵藤一誠が彼に教えを乞うたのも、だからその人並み外れた技術を少しでも盗むことが出来れば女子達から無傷で逃げ切れるかも知れないというものだったのだ。

 くだらない理由だったが、しかし斬輝は彼に一通りの『動き』を教えた。最初にその動きを観た時、一誠は目を丸くし、口を開けたまま言った。

 無茶苦茶だ。

 だが、その無茶苦茶な『動き』が、今まさに堕天使には有効な手段であることが判った。

 直線から円弧へと繫がり、それは次には並行となる。

 

「貴様の存在は、やはり危険だな……。ここで倒さねば、後に我ら堕天使の脅威になり得るかも知れん」

 

 だから、と人外は一対の槍を前へと構える。

 変化が起きたのは、歪んだ槍の方だった。短く凹凸の激しい刀身は薄く平らになり、扁平に伸びる。逆に長い柄は徐々にその長さを縮ませ、かろうじて両手で握ることが出来る程度まで縮小した。柄と刀身の間には、同じく赤紫の『(つば)』が形成された。

 刀身が奴の身長の半分ほどにまである、剣だ。

 一対の槍は、その形状を劇的に変貌させて双剣へと変身したのである。

 そうきたか。

 

「ドーナシーク、つったっけ?」

 

 同じく低く構えた斬輝は、顔の前に両腕を交差させた。

 軀の芯に熱がある。

 それは四肢へと拡がって、斬輝に次の行動へ移らせるための『準備』になった。

 待たせたな。

 もう、暴れていいぜ。

 

「わりぃが、こっちもカッチョイイ武器ならあるんだ」

「……なんだと?」

 

 かさねた両腕を振り下ろすと、激痛を伴って『そいつ』は現れた。

 

「そっ、それは……!?」

 

 血相を変えたドーナシークの問いに、応えるのは金属の擦れ合う音だ。

 じゃりん!

 

 

 五分後、二つの影は屋根を砕き、分厚い床を突き抜けて二〇メートル以上下の地下へと落下した。

 

 

 

        

 

 

 今までも、敵対組織とは何度も闘ってきた。その中でも、神父との戦闘は一番多い。それなりに、連中の攻撃パターンは摑んでいる。

 ついさっきも、狂ったはぐれエクソシストと一戦交えてきたところだ。

 あと一歩とまで追い込んだものの、頭の傷に響く、とか言って逃げられたが。たしか、あの野郎だけは絶対に許さねえ、とも言っていたな。

 それが誰なのかは、別にどうでもいいが。

 だが、と木場祐斗は思う。

 さすがに、数が多過ぎるかな。

 地下への隠し扉が通ずる、祭儀場である。中は広く、中央に据えられた無駄に段数の多い階段の上には、巨大な十字架があった。あそこでシスターの神器が抜かれ、堕天使はそいつを自らの肉体に移植したのだ。

 だが、今はそこには誰もいない。シスターを救出した兵藤一誠の『道』を作るべく、彼と後輩部員の塔城小猫とで堕天使達に賛同する神父達と交戦中なのである。

 途中、目の前を横切った堕天使に一撃浴びせたが、それだけだった。

 そして一誠がここを離れた後は、単純に神父との戦闘だ。

 

「うぉぁああぁああぁあっ!」

 

 雄叫びとともに背後から振り下ろされた光刃剣を、右手で握る剣で後ろ手に受ける。続く感触は、接触した刃を介して向こうの光を喰らうそれである。

 奴らと同じように、木場が握るものもただの剣ではない。

 光喰剣(ホーリー・イレイザー)

 神器(セイクリッド・ギア)魔剣創造(ソード・バース)』によって造られし魔剣。

 

「せいっ!」

 

 返す刃で、今度は正面の神父を逆袈裟に斬り上げた。

 途切れない攻撃は、今も続いている。そしてそれは、『戦車(ルーク)』の特性を生かした上で素手で応戦する小猫にも襲いかかっているのである。

 波状攻撃、という言葉がある。

 寄せては返す波のように、間断なく次々と攻撃を加えることだ。

 今、木場達の受けているのが、まさにそれだった。

 切れ目がないのである。

 絶え間ない攻防を交わすのは、正直言って小猫よりは劣るところでもあった。だから敵に充分な余裕を与えてしまって間合いもタイミングも自由にならない状態では、敵の攻撃を受け流し、その隙に何とか攻撃を加えるだけで精一杯なのだ。

 おかげで、悪魔に転生して得たスピードやスタミナも、そろそろ限界に近づいてきている。

 いくら払っても、きりがなかった。

 何人の攻撃をいなし、何人の胴を斬り、何人の腕を切断し、何人の脚を斬り飛ばしても、それを乗り越え、踏みつけて、次の攻撃が来る。

 おかげで、こちらも腕や脚にいくつかの傷が刻まれていた。さばききれなかった刀身が、そのまま彼の皮膚を裂いて、肉を断ち割ったのである。

 剣を『喰われ』、あるいは叩き折られた者は、すかさず祓魔弾装填済みの銃を取り出してくる。祐斗はそれを左手へと逆手に持ち替えた剣で銃身を斬り落とす。力任せに振ったせいか、その隣に居る神父の首が宙に舞った。

 同志であるはずなのに、仲間の死を見て、彼らは眉一つ動かさなかった。

 向こうには、仲間意識など全くと言っていいほどなかった。

 ただ、殺意だけがある。

 自らが慕う者に抗おうと邪魔する標的へ対する、それは憎悪だ。

 たしかに、少しずつではあるがその数は減りつつある。だがその絶対数がもとから多過ぎたために、一向に減っていないようにさえ感じるのだ。

 その最大の要因は、彼らの姿だった。

 全員が、同じ黒いコートをまとっている。

 全員が、同じ光刃剣を手に襲いかかってくる。

 全員が、同じハット、同じマスクで顔を隠している。

 全員が、同じ黒ずくめなのだ。唯一明色なのは、彼らが握る剣のみである。

 視線を移動させた時、だからそこに映るのはさっきと同じ『顔』なのだ。それだけで、瞬間的にではあるが方向感覚と距離感が狂わされてしまうのである。

 そして繰り返される攻撃は、その一瞬の隙さえ突いてくる。

 フリードとの戦闘は、一対多ということもあって、比較的動きやすかった。

 だが今は違う。

 相手の方が、数が上なのだ。

 向こうはいったい、何人だ?

 五〇?

 一〇〇?

 それとも、もっと?

 だが少なくとも、この地下室が彼らで溢れ返るということはそれなりの大所帯であるということだった。

 対して、こちらはたった二人である。

 状況は、不利だった。

 圧倒的に不利だった。

 そしてその不利な状況下においても、木場祐斗はなおも剣をふるうのである。

 それは、誓いだった。

 悪魔としてリアス・グレモリーの眷属になるよりも前からの。

 彼だけを残して逝ってしまった、かつての仲間たちへの。

 しかし、死にたくないと思っていても、死ぬ時は死ぬ。

 だが、ここで倒れるわけにはいかないんだ!

 それが聴こえたのは、しかし軌道を逸らした切っ先が彼の膝裏を斬り裂き、たまらず膝をついた時だった。

 何かが、割れている。

 いや、砕かれているのだ。

 それははぐれ神父達にも聴こえたようだ。わずかに攻撃の手を停める者もいれば、呆然と何かを探しているような者もいる。

 そしてそれは、小猫に寄ってかかる連中も同じだった。突然の『音』に怯んだ最前列の連中を横ざまに殴り、あるいは蹴り飛ばしながら一回転した彼女の周りには、無事だった者が後退ったことによって彼女を中心に半径一メートルほどの縁が出来ていた。

 攻撃の手は、どちらも止んでいた。ただ黙って、『音』のする方向を見ていた。

 天井を。

 そして、分厚いそれがほぼ円形に砕け散って、こちら側へと吹き飛んでくる。

 落ちたのは祭儀場の中央、しかも階段のすぐ手前だ。振動とともにホコリが舞いあがり、瞬間的にお互いの視界が奪われる。

 神父達が、次々に口を開いた。

 なんだ、あれは。

 何が落ちてきたんだ。

 それは、木場も同じ気持ちだった。

 瓦礫の山だ。

 砕かれた天井の瓦礫が、一塊りになって降ってきたのだ。

 見ると、青く塗装されたものもいくつか混じっている。……ということは、地上の床よりもはるかに高い屋根から落ちて来たとでも言うのか。

 

「なんだ、あれは……?」

 

 吸い込んだホコリに咳き込みながら、木場は呻く。

 だがその問いに、応えるものがあった。

 声だ。

 

「だぁあ! 糞!!」

 

 聞き覚えのある声である。

 影は、二つ。

 横になって、重なっている。

 ホコリの幕の向こうで、上の一つが蠢いた。下の一つは、依然として倒れたままだ。

 幕を突き抜けて、一人の男が積み上げられた瓦礫の上から横向きにごろごろと転がってくる。

 見覚えのある姿。

 間違いない。

 

「く、黒鉄先輩!?」

 

 男の名を呼ぶが、しかし彼のその軀は傷だらけだった。

 一つ一つの傷は大したものではない。だがその数が尋常ではないのである。シャツを裂いて血を滲ませた腕を力なくこちらに投げ出し、頬にもいくつか擦り傷がある。

 そして、もし屋外の……それも屋根から落下してきたのだとすると、彼はゆうに二〇メートル以上もの高さを一気に落ちてきたことになる。とすれば、瞬間的に叩きつけてくる衝撃は半端なものではないはずだ。

 打ち身どころでは済まない。

 全身の骨が砕け散っていてもおかしくない状況なのだ。

 やがてホコリが晴れると、瓦礫の上で仰向けに倒れているのは黒い翼が無残にも斬り裂かれた男だった。

 堕天使だ。

 悪魔によって向上された視力でそいつを見ると、首に白いアスコット・タイを巻いている。上に羽織ったコートはところどころ斬り裂かれていて、胸には『X』字に斬り刻まれた傷跡があった。

 左腕にいたっては手首から先がなくなっている。

 放射状に砕け散った屋根の残骸に、またしても軀から噴き出した体液が放射状に拡がっていた。

 息はしていない。

 そうだ。

 加えられた攻撃の重さを度外視しても、意識さえ保っていられないほどの激痛であるはずなのだ。

 それが人間であれば、即死する高さと衝撃である。

 それなのに、

 

「巧く行ったのは良いが……効いたぜ、こン畜生!」

 

 目の前の男は、喚き散らしながらも立ち上がったのだ。

 生身の、二本の脚で。

 

「……甘ぇんだよ、おっさん。この前とは勝手が違うんだ」

 

 肩で息をする満身創痍の先輩は、祐斗達の知らないところで繰り広げられていた闘いに勝利していた。

 

「お前は、誰だ」

 

 神父の一人である。見ると立っていた連中の全てが、『乱入者』に向けて光の刀身を、あるいは対悪魔用の拳銃を向けていた。

 

「俺か?」

 

 血だらけの男は首を回すと、周囲を取り囲む神父達の顔を舐めた。

 それから、斬輝は姿勢を低くした。腰の両側に落とした両手は、どちらも拳だ。

 そして、

 

「ちぃっとばかし頑丈な……」

 

 にやり。

 

「人間だよ」

「なんだと……!?」

 

 一気に間合いを詰めたのは、斬輝の方だった。たった一足で木場の眼前まで迫ると、彼の頭上をかすめるように回し蹴りが放たれた。ごっ、と短い呻き声をあげて、背後で倒れるのは光刃を上段に構えた神父だった。

 

「立てるか?」

 

 それは質問でもなければ、確認ですらない。二人の周囲には……いや、小猫の周りにも、数十人のはぐれ神父達がうようよ居るのだ。どいつも様子をうかがって、隙あらば攻撃を繰り出そうとしている。このまま呑気に座っていたら、あっという間に斬られてしまうだろう。『騎士(ナイト)』の力を使ったとしても、だ。

 頷いて、木場祐斗は立ち上がる。

 

「脚はどうだ」

 

 彼の問いはつまり、まだ闘えるか、というように聴こえた。

 そして実際、そのようだ。頷くと、おっしゃ、と斬輝は神父達に視線を戻す。

 

「おめぇは塔城の奴を手伝って、先に兵藤のところに行け」

「先輩は?」

「心配すんなって。グレモリーもじきにこっちへ来ンだろ。そしたら後で付いてってやるから」

 

 応えて、斬輝は腰を落とす。

 直後、彼が苦痛に顔を歪めるのが判った。

 

「うぉおぉおおぉおぁあぁああぁぁぁあぁあぁああ!!」

 

 吠えた。

 それはまさに、獣の咆哮だ。

 そして、

 ああ、

 なんということだ!!

 じゃりん!

 と音をたてて、彼の両手に双剣が現れた。

 そう。取り出したのではない。

 それはまさに、彼の拳から生えたのである!

 拳の打面が一直線に裂け、そこから分厚い刃が飛び出している。

 艶やかな銀色で、渦巻く血煙のような文様を刻み、その切っ先からはすでに血が滴り落ちている。

 これだ。

 これこそがあの日、はぐれ悪魔バイザーを一撃で仕留め得た謎の答えだったのだ!

 あれは、横一直線の殴打ではない。

 斬撃だったのだ!!

 

「よし、行け!!」

 

 不敵に笑いながら地を蹴る黒鉄斬輝を、木場は尻目に見た。

 

「てめぇら覚悟は出来てンのか、え、おい!!」

 

 猛々しく吠えるその姿は、漆黒の衣服と相まって黒き魔人のように見えた。

 

 

 

       

 

 

 堕天使達の計画は、想像以上のものだった。

 あまりにも身勝手な計画だった。

 レイナーレの目的は、アーシア・アルジェントと呼ばれるシスターに宿りし神器(セイクリッド・ギア)聖母の微笑(トワイライト・ヒーリング)』を抜き取り自分のものにすることで己を蔑んできた者達を見返すことだった。

 そのために自分の上司まで欺いて。

 それだけではない。彼女は、自身が崇拝する神の子を見張る者(グリゴリ)の総督・アザゼルに気に入られようともしていたのだ。

 くだらない、と一誠は思った。

 そんなことのために、アーシアは巻き込まれなきゃならなかったのか?

 そんな糞の役にも立たないようなことで、アーシアは死ななきゃならなかったのか!?

 レイナーレへと向けていた視線を落とす。力なく抱きしめた腕の中には、一人の『少女だった者』が眠っていた。

 静かに、

 安らかに。

 彼女は、ついさっきまで生きていた。

 今は死んでいる。

 その肺は呼吸によって膨張することもなければ、心臓から血液が送り出されることもない。

 彼の手に触れる彼女の肌が、ほんの少しだけ冷たくなったのが判る。

 ふと、一誠は理解した。

 これが、死だ。

 ヒトという種が……この世に存在する全てに訪れるこれが、死なのだ。

 一〇年前に祖父が癌になった時も、はじめは「このところ元気がない」といった程度でしか認識していなかった。

 だからその先は、本当に突然だったのだ。最初にその(しら)せを聞いた時、まだ六歳になっていたかどうかだった一誠にはその言葉が示す本当の意味を理解していなかった。でも、お祖父ちゃんは動かないし喋らないし高い高いもしてくれないしいっしょにトランプも遊んでくれない。それだけは、判っていた。

 それだけで、死を理解したつもりだった。

 だが、違う。

 死ぬということは、二度と『触れ合う』ことが出来ないということなのだ。

 死ぬということは、二度と『笑い合う』ことが出来ないということなのだ。

 ああ、そうか。

 そういうことだったのか。

 ようやく、判った。

 命って、そういうことなんだ。

 生きるって、そういうことなんだ。

 友達って、そういうことなんだ。

 ならば……。

 

「本当、あなたって無力よね。何も護れなかったんだもの」

 

 一誠の前では、堕ちた天使がくだらないことをピーチクパーチク言っている。

 

「あの時も、今も……」

 

 それを、

 

「うるせえよ!」

 

 遮った。涙で詰まった鼻声と声量とで声が上擦ったが、相手には伝わったようだ。

 手を離し、そっと抱きあげて、アーシアを近くの長椅子に寝かせてやる。

 

「……なによ? 今さら嘆いたって、もうアーシアは戻って来ないのよ?」

「ああ、そうだよ。俺は何も護れなかった。ヒトの手に余るモンを持ってるくせに、友達一人護れやしなかった。でもな」

 

 そう。でもだ。

 

「護れなかったなら、せめて抗ってやる」

 

 アーシア・アルジェントは、兵藤一誠の腕に抱かれて死んだ。まるで張り詰めた糸が切れたみたいに、呆気なく。

 だが、一誠はそれを認めたわけではなかった。たしかに彼女は『死んだ』が、間違いなく今、一誠の心の中では強く『生き』続けている。

 何となくだが、そう感じる。

 腹の底に、ふつふつとした感情がある。それはこのたった数分で芽生え、育った感情だ。

 アーシアが死ぬまで、それが何なのか判らなかった。

 今なら判る。

 だから、拳を握った。

 

「返せよ」

 

 喉の奥から吐き出した声は、すすった鼻水が喉に溜まって、ごぼごぼと濁った。

 低く構えた。

 格闘技など、一誠は知らない。かろうじて、斬輝から『動き』を教わったていどだ。ただ跳びかかり、ぶん殴り、ぶっ飛ばしたかった。鼻血を垂らして、私が悪うございましたと泣いて謝らせたかった。

 だがたとえ彼女が謝罪をしたとして、許すつもりは毛頭ない。

 勝てるかどうかは判らない。

 だが負ける気はしなかった。

 容赦など、するつもりもなかった。

 腹の底をじわじわと炎で炙られるような、この感情。

 これは……、

 

「アーシアを返せよぉおおぉおぉぉおぉおぉおおっ!!」

 

 怒りだ。

 目の前の堕天使への。

 神への。

 そして、自分自身への。

 

「ぅぉおぉぉおおぉおぉおぁあぁああぁああぁぁあ!!」

Dragon booster(ドラゴン・ブースター)!!』

 

 雄叫びの応えるように、左腕に出現した神器に嵌め込まれた甲の宝玉が眩い閃光を放った。

 

Boost(ブースト)!!』

 

 籠手から発せられる音声とともに、一誠は跳んだ。

 地を蹴って、鋭角に。

 レイナーレに向かって。

 真上から叩き込んだ左腕は、わずかに右半身にひねることでかわされ、標的を失った拳はさっきまで彼女が立っていた地面を抉り、粉砕する。

 

「逃げんな!」

 

 腰のバネを使って限界までしゃがみこんだ体勢から一気に伸び上がり、大きく踏み込んだ足を軸に反回転する。レイナーレの頭部を横ざまに殴ろうとした裏拳は、またしても跳躍で回避された。

 畜生。

 当たれ!

 俺にあいつを殴らせろ!!

 彼女の動きは、俊敏だった。

 だが光の槍を展開させるそれは、目で追えないほどの速度ではない。

 

「ぎ……!?」

 

 脳裏にリアス・グレモリーの言葉がよみがえったのは、レイナーレが放った槍が二本とも一誠の太腿へと突き刺さった時だった。

 接触面を介して悪魔である彼の軀を光が内側から焼いてゆく中、声にならない悲鳴の中でリアスが『現れた』のである。

 想いなさい。

 神器(セイクリッド・ギア)は、想いのチカラで動き出すのよ……。

 ああ、そうか。

 なら、動いてくれ。

 アーシアが受けた痛みは、こんなもんじゃない。

 アーシアが負った傷は、こんなもんじゃない。

 貫かれた槍の柄を、両方とも摑む。同時に両腕から肩、背骨を突き抜けて脳髄で炸裂するのは激痛である。

 

「無駄よ! 光は悪魔にとって猛毒! 触れただけで激痛を伴うわ、だからあなたのような下級悪魔じゃ耐えられるわけがないのよ!!」

 

 だから、動け。

 神様が駄目なら、魔王でも何でもいい!

 応えろ!

 応えてくれ!

 俺の想いに!!

 

「がぁああぁああぁぁああぁあぁあぁあぁぁあぁあぁああッ!!」

 

 文字通り身を焦がされる異臭の中で、吠えた。

 一誠は、()(たけ)っていた。

 突き抜ける痛みが、両脚から炸裂する。

 両の膝を突いた時、そこにはさっきまでの槍はなかった。

 二つとも、彼の両手に握られている。

 生身の右手と、

 灼熱の左手に。

 その肉を『光』に焼かれながら。

 それはもはや、籠手と呼べるようなものではなかった。剝き出しの掌までが装甲に覆われ、五本の指にはそれぞれ鋭く尖った鉤爪が発生した。

 籠手というより、もはや腕そのものと言っていいだろう。

 

「兵藤くん!!」

「……兵藤先輩」

 

 突然の声は、背後からだ。分厚い聖堂の扉が勢いよく開け放たれ、そこからいくつかの足音が連続して聴こえてくる。

 刻々と近づいてくるそれを、

 

「来るな!」

 

 咄嗟に右腕を後方へ降りだし、一誠は怒鳴った。ずん、という鈍い音は、無造作に投げ飛ばした光の槍が彼らの道を塞ぐように床に突き刺さったからだろう。

 誰が来たのかは、判っている。なぜ追って来たのかも、だから訊かない。

 だが、

 

「助けに来てくれたのはありがたいけど……」

 

 脚に力を込める。

 

Boost(ブースト)!!』

 

 音声とともに、軀が軽くなった。

 

「今は来るな!」

「だけど!」

「これは、こいつと俺との闘いだ! ……いや、こいつと俺と」

 

 そして、

 

「アーシアの闘いだ!!」

 

 言い放つや、一誠は地を蹴った。

 膝は抜けなかった。

 背中から、歪な羽が生えた。

 

「莫迦な……立ち上がれるわけがない! 内側から光で焦がされているのよ!?」

 

 真っ直ぐ、標的だけを見据えて。

 

Explosion(エクスプロージョン)!!』

 

 低い金属質の声とともに、軀の芯にあった熱が一気に爆裂した。それは手の甲に嵌め込まれた緑の宝玉からの閃光となって聖堂を照らす。

 レイナーレの顔に浮かぶのは、驚愕だ。

 

「この魔力の波動は中級……いや、それ以上……!? あり得ないわ!! そのセイクリッド・ギア……ただの『龍の手(トゥワイス・クリティカル)』がどうして!!」

「知るかあ!!」

 

 踏み込みつつ、頭の中で『戦車(ルーク)』へとプロモーションする。

 レイナーレは、咄嗟に発現させた光の槍をこちらに向かって投擲する。だが、それは一誠の胸を貫くよりも前に横薙ぎに払った左の腕によって木っ端みじんに砕かれた。

 彼女の目が瞬間、見開かれるのは驚きではない。

 恐怖だ。

 

「い、嫌っ……!」

 

 叫びとともにこちらに背を向け、堕天使は薄汚れた羽を展開してその場から逃げようとする。

 だが、

 

「逃がすか、阿呆!」

 

 追いすがるように跳躍した一誠は、その腕を生身の右腕で鷲摑みにする。

 これで、最後だ。

 これが最初で最後の一撃だ。

 

「私は、私は至高の……!」

 

 強引に引き寄せ、

 

「吹っ飛べ、糞天使!!」

 

 倍加(ブースト)された拳が、全てを奪った『敵』の顔面に炸裂した。

 絶叫を轟かせて後方へと吹き飛ばされたレイナーレは、まっすぐにステンドグラスへと激突した。

 瞬間的な加重に抗しきれずに破砕音とともにステンドグラスが外側へと砕け散った。

 ざまぁみろ。

 急激な脱力感によって閉じられた瞼の裏には、二人の笑顔が映った。

 左目には、夕映えの公園で朗らかに笑ってみせる『天野夕麻』の姿が。

 右目には、駒王学園の制服に身を包みこちらを微笑むアーシアの姿が。

 ごめんよ、アーシア。

 俺、友達なのに……お前のこと護れなくて。

 ごめん。

 ごめんよ。

 だからお願いします。

 アーシアに、もっと笑い合えるような日々を、友達に囲まれる幸せをあげてください。

 もしも本当に『居る』のなら。

 

 

 堕天使達の『掃除』を済ませて教会の地下へと転移したリアス・グレモリーが最初に目にしたのは『戦場』だった。

 祭儀場だろうか、中央に莫迦デカい階段と、その上には巨大な十字架が設置されている。

 リアスが移動してきたのは、それらが正面から見える位置、つまり祭儀場へ入る扉の前である。

 血の海だった。

 床一面に赤黒い血が溢れ、壁にもおびただしい量の血液が飛び散っていた。

 そしてその海の上に倒れるのは、全て黒ずくめの男達である。

 一目で彼らがはぐれ神父(エクソシスト)であると判った。

 すべて、屍体である。ある者は脚を斬られ、腹を裂かれ、腕を断ち割られている。すぐ目の前の屍体は、裂かれた腹から内臓をはみ出させている。

 惨状だった。

 そしてその中で、一人だけ立つ者がいたのだ。

 黒ずくめの男である。だがその腕や脚には決して浅いとは言えない斬り傷が無数に刻まれ、服の色でこそ見え辛いがシャツやパンツは血で濡れているはずだ。

 彼が斬りっぱなしの髪を無造作に搔きあげた時、ふいに目が合った。

 

「斬輝……」

 

 思わず、その名が口をついて出る。

 

「これって……」

 

 応えるのは、溜め息だった。

 同時に胸の前まで持ち上げた右腕には、拳から分厚い剣が生えている。

 五メートルほど離れていたが、思った通りだった。

 刃は、血で染まっている。

 

「ああ、俺だ」

 

 ゆっくりと頷くのは、つまりそういうことである。

 これは、

 彼がやったのだ。

 彼が片づけたのだ。

 ……殺したのだ。

 もとより、自分の領地で勝手なことをしでかした堕天使達のことを許す気はなかった。現にさっきは、彼女が持つ『滅びの魔力』で斬輝が担当するドーナシーク以外の二人をもろともに消し飛ばしたのである。

 だがこれは、消し飛ばしたのではない。

 斬り殺したのだ。

『滅びの魔力』をもってすれば、証拠など残る危険性はない。放たれた魔力弾が触れたものを完全に『滅ぼす』からだ。だからリアスが相手を『倒す』時、その標的となる者は全て『消し飛ばされ』てきた。

 こんな倒し方は……殺し方は、見たことがない。

 思い出したのは、一誠が契約先ではぐれ神父(エクソシスト)と鉢合わせした時のことだ。契約者になるはずだった男は太い釘に打ち抜かれ、そこから大量の血液を垂れ流していた。現場でこそ平静を装っていたものの、実のところリアスにとってあそこまで醜い殺され方は見たことがなかったのだ。

 これはあの時よりも、酷過ぎる。

 だから余計に、背筋が凍ったように感じた。

 小さく息を吐いて、

 

退()いて」

 

 リアスはそう言った。

 

「こっちに来てちょうだい」

「あいよ」

 

 返事はそれだけだ。じゃりん、と金属の擦れ合う音を響かせて、剣が彼の拳の中へと戻る。

 前へかざした掌から、拳大ほどの魔力の弾が形成される。

 黒鉄斬輝が、彼女のすぐ傍へとやって来る。走って来なかったのは、リアスに血が飛び散らないようにするための配慮だろう。

 そのまま無言で撃ち放った時、瞬時に膨張した『滅びの魔力』は、血にまみれた屍体を全て消し飛ばした。

 その中に堕天使の一人がいたことを、リアス・グレモリーは一誠の魔力を感じるもとへと転移する直前に聞いた。

 

 

 

       

 

 

 力尽きて倒れかける一誠を、すばやくその肩に腕を回して支えたのは木場だった。

 大丈夫かい、と訊かれた。

 頷いて、しかし実のところ、立っているだけで精一杯だった。今だって、どこかへ飛んでゆきそうな意識を消耗しきった精神力でかろうじて繫ぎ止めているようなのだ。

 むしろ気になったのは、こちらの方だ。

 教会との関係性である。

 天使サイドに属する建物内で騒ぎを起こせば、ただで済むことではないとリアスから聞いている。

 だが、その心配はない、と言ったのは木場ではない。

 紅髪の少女だ。

 リアス・グレモリーである。魔法陣を介してジャンプして来たらしく、そのすぐ傍には傷だらけの斬輝も立っていた。

 すでに神の加護を離れ、打ち捨てられた教会だというのが決め手だった。その上ここを拠点としてたのは個人的に行動を起こした一部の堕天使達のみ。色々と報告せねばならないことはあるだろうが、全面戦争はどう転がってもあり得ないのだと言う。

 それにこのような小競り合いはしょっちゅうだ、とも。そんなことをいちいち問題にしようとすれば、それこそ気が遠くなるような話である。

 地下の神父達も、大半は斬輝が倒したと言っていた。

 やがて朱乃が合流すると、リアスに支持された小猫は外へ出てゆく。

 

「兵藤」

 

 斬輝に声をかけられたのは、その直後だった。

 

「な、なんですか……?」

「いや、悪かったな」

 

 え?

 

「それって……」

「部室でのことだよ。あんなこと言っちまって、すまん」

 

 ああ、そのことか。

 

「イイっすよ」

 

 抑揚のない声で、一誠は頷いた。

 判ってる。

 彼がそんな薄情な人間でないことは、判ってる。

 だから、

 

「先輩が謝る必要なんか、ないッす」

 

 そう言った。

 

「そうか」

「はい」

「アルジェントは?」

「あそこです」

 

 言いながら、一誠は長椅子の一つを指差した。他の長椅子は砕かれたり立ち割られたりしているが、なぜか最前列にあるはずのそれだけには目立った傷は刻まれていない。

 そこに、今は亡き少女が横たわっている。

 彼が、寝かせたのだ。

 最後の闘いの前に。

 

「……そうか」

 

 斬輝は、そう呟いただけだった。

 彼も判っているんだ。

 アーシアが、どんなに苦しんできたか。

 そしてその中で、どんな『幸せ』を望んでいたのか。

 

「部長。持って来ました」

 

 相変わらず感情を感じさせない声で、小猫が何かを引きずるように戻ってきた。ずるずると、彼女は片手で摑んだまま歩いてくる。

 見ると、彼女も木場と同様、剣による斬り傷がいくつか点在していた。

 そうだ。彼女もまた、一誠の『道』を作るべく闘った『戦士』なのだ。

 そして華奢な肉体からは想像も出来ないような腕力で投げ飛ばされた『それ』は、真っ赤な絨毯の上に落下する。

 ずどん、という落下音とともに、それがさっき殴り飛ばした堕天使だと理解した。

 うつ伏せに床と激突したレイナーレは、衝撃でむせ返る。

 その前に立つのは、主であるリアス・グレモリーである。ミニ・スカートからすらりと伸びた脚を大股に開くそれは、彼女の仁王立ちだ。

 

「初めまして、堕天使レイナーレ」

 

 ゆっくりと、腕を突いて顔を上げた。その頬には、一誠が初めて攻撃し得た時に出来たと思われる生々しい痣があった。

 

「お前は……?」

「私はリアス・グレモリー。グレモリー家の次期頭首よ」

「グレモリー一族の娘か……」

 

 唸るレイナーレのそれは、怨嗟だ。

 

「ええ。短い間でしょうけど、お見知りおきを。ああ、最初に言っておくけれど……」

 

 言いながら彼女が取り出したのは、何か黒いものだった。背中越しではあるものの、悪魔の視力でそれが二枚の羽根だと判る。どちらも薄汚れた、堕天使の羽だ。

 

「尋ねて来たあなたのお友達は、すでに私が消し飛ばしておいたから」

「なんだと……!? いや、私に賛同してくれた堕天使は三人よ! 今にもう一人が……」

「それもさっき、消し飛ばしてきたところよ」

「そんな……グレモリーの娘が、よくも!」

 

 腕に力を込めて立ち上がろうとするが、その動きはままならない。おおかた、頭部を殴られたことで脳震盪が起こっているのだろう。

 

「以前ドーナシークにイッセーが襲われた時から、この町で複数の堕天使が何か企んでるってことは察してたわ。私達に(るい)を及ぼさなければ無視していたのだけれど」

 

 しかし堕天使達は、何度も悪魔陣営に接触して来た。

 契約者の殺害にとどまらず、教会から逃げ出したアーシアを取り戻すために一誠や斬輝への容赦ない攻撃。

 だから、今度はリアスから接触しに行ったのだ。

 つまり、と一誠は思う。

 部長は、俺のためにここまで動いててくれたのか……。

 

「……ん? 兵藤、その腕どうした?」

 

 異変に気づいた斬輝が、こつん、と左腕の籠手を小突いた。

 その言葉にいち早く反応したのは、前方のリアスである。肩越しに振り返って、まじまじとこちらを見つめてくる。

 左の前腕を全て覆った、灼熱のような真っ赤な籠手を。

 

「赤い龍……?」

 

 そして全てを理解したのだろう、リアスはわずかに目を見開き、軽くうなずいてから、

 

「……そう、そういうことなのね」

 

 足元の堕天使に向き直った。

 

「レイナーレ、あなたが彼に負けた最大の原因は、彼の神器(セイクリッド・ギア)を見誤ったことね」

「見誤った……? あれはただの『龍の手(トゥワイス・クリティカル)』じゃ……!?」

「違うわ」

 

 即答だった。

 

「一〇秒ごとに所有者の力を倍加させ、一時的とはいえ神や魔王をも凌駕出来る力があると言われている一三種のロンギヌスの一つ……」

 

 そこまで言って、レイナーレは言葉の意味を理解したらしい。徐々にその顔が驚愕の色に塗り替わってゆくのが判る。

 その名も、

 

赤龍帝(せきりゅうてい)の籠手」

 

 ……ブーステッド・ギア!

 一〇秒ごとに倍加されることがどれだけ素晴らしく、また恐ろしいことか、それは一誠にも瞬時に判った。

 単純な掛け算の問題だ。一〇秒後には『1』の力が『2』に倍加され、次の一〇秒で『4』になる。三〇秒では『8』、四〇秒で『16』……と、つまり一分間倍加させ続ければ、そのパワーは『64』にまで跳ね上がるのだ。

 ついさっきまで『所有者の力を倍にする』神器かと思っていたら、その前提条件に『一〇秒』という一定時間が設定されていたというのである。

 ケタ外れにもほどがある、と思った。

 レイナーレが、力なく頭を垂れた。そこには一種の諦観さえ感じられる。

 

「どんなに強力でもパワー・アップに時間を要するから、万能だとは言えないわ。だから今回は、あなた自身の勘違いで油断していたから、というのもあるわね」

 

 そしてゆっくりと、リアスは掌を彼女へと向けた。

 

「消えてもらうわ」

 

 容赦のないリアスの声音に、案外呆気なかったな、と一誠は思う。

 リアスの足元で伏す堕天使に一度は殺され、二度目には死ぬ寸前まで追い込まれたのだ。

 そんな彼女を、彼は一撃で沈めたのである。

 偶然とはいえ、覚醒した真の神器(セイクリッド・ギア)のチカラで。

 突き出された掌に、禍々しい魔力の弾が凝縮されてゆく。あれが、つまりドーナシーク達を消し飛ばしたのだろう。見ているだけで背筋が、ぞっ、とした。頬の産毛やら脛毛(すねげ)やらが、一気に逆立ったような気がした。

 これで終わると、誰もがそう思っただろう。

 だが、

 

「イッセーくん!」

 

 その声は、かつて彼女が『天野夕麻』として兵藤一誠に接触して来たときのものだった。

 それだけではない。

 その姿が、変わっている。たった今瞼を(しばたた)いた時には、すでに『堕天使レイナーレ』ではなくなっていたのだ。

 ……ああ、なんということだ。

 声だけではない、その姿は間違いなく『天野夕麻』なのだ!

 

「お願い、助けて! あんなこと言ったけど、堕天使の役目を果たすために仕方がなかったの!!」

「……夕麻ちゃん」

 

 無意識にその名を呼ぶ、その一誠の脳裏によぎるのは、かつて彼が『ヒトだったころ』の記憶だ。

 

「私、あなたのことが大好きよ! 愛してる!!」

 

 茜色に染まる雲の下、『天野夕麻』は初対面であるはずの一誠に歩道橋の上で告白してくれた。もじもじとして照れながら言ったその言葉は、しかし演技だと見抜くことが出来ないほどにウブに聞えた。

 初デートの時、いっしょに色々なところを見て回ったりパフェを食べていた時、『天野夕麻』は嬉しそうに笑っていた。

 初めてのカノジョだった。

 初めてのデートだった。

 全てが初めてだった。

 

「この悪魔が私を殺そうとしているの! だからいっしょに悪魔を倒しましょう!?」

「お前、どこまで……!」

 

 だがその『初めて』を覆すように、夕暮れの公園で一誠は殺されたのだ。

『初めて』をくれた、他でもない彼女に。

 ああ、そうだ。

 あの時も笑っていた。

 俺とデートしてた時だけじゃない、夕麻ちゃんは俺を殺す時だって笑っていた。

 笑ってたんだ。

 

「だからお願い! 助け……」

「その言葉を……」

 

『夕麻』を遮ったのは、男の声だ。

 

「……口にする権利は、てめぇにはねえよ」

 

 すっ、と目の前を漆黒が遮った。

 切りっ放しに伸びた髪。

 なんということだ。

 

「斬輝先輩……」

「追い込まれてたってのは、まあ見てりゃ判らんでもねえわ。だがな……」

 

 彼は、そう言った。

 

「力ずくで生きようとするなら、助けを求めるのはやめろ」

 

 一誠を背後に隠し、リアスを挟んで別の人外と対峙しているのだ。

 

「地位が欲しいなら、他人から奪おうとするのはやめろ。自ら選んだ生き方を、他人に押しつけられたかのように言うのはやめろ」

 

 がつん、がつん、と分厚いソールが、絨毯の敷かれた床を叩く。

 

「お前さんがいつまでも『そんな』なのはな、てめぇの目的のためなら他人を踏みにじってもいいと思ってるからだ。てめぇの安泰のためなら誰を殺してもいいと思ってるからだ」

 

 リアスがこちらを向いたように見えたが、それがどんな表情をしていたのかまでは判らなかった。

 

「そんなくだらねえことのためなら、誰を巻き込んでもいいと思ってるからだ」

 

 斬輝は、リアスよりも近く、レイナーレに迫っていた。

 血を垂らしながら、その膝を折ってしゃがみ込む。怪訝そうに彼の名を呼ぶのは、リアスだった。

 無視して、斬輝は彼女の頬を包み込むように両掌を添えた。

 

「辛かったんだろうさ。大変だったんだろうさ」

 

 その右手が、ゆっくりと彼を見上げる『夕麻』のコメカミへと滑った。

 

「だからよ」

 

 人差し指が、コメカミに触れる。

 

「最期ぐらいは、苦しまねぇで逝きな」

 

 次の瞬間に聞えたのは、ずん、という鈍い音だった。瞬間『夕麻』の目が見開かれ、わずかにその肢体を痙攣させる。

 それで終わりだった。

 しゃがみ込んだ斬輝の肩にもたれるように顔をうずめたレイナーレは、もう二度と動くことはなかった。

 それを静かに寝かせると、斬輝は立ち上がって、

 

「すまんな。ちと見てらんなかったわ」

 

 目にかかった髪を搔きあげてから、苦笑した。

 けれどその目は、笑ってはいなかった。

 一誠よりも哀しい目だった。

 だがすぐにリアスの方に向き直ると、

 

「リアス、頼む」

「ええ」

「丁重にな」

「判ったわ」

 

 指示を受けたリアスが、右手に凝縮させた魔力弾を解放した。

 彼女には、紅髪の滅殺姫(ルイン・プリンセス)の異名があるのだという。この魔力は、つまりその名を冠する所以ということだ。

 我ながら、とんでもない悪魔の眷属になったなと思う。無論、良い意味で。

 それは横たわったレイナーレの上空へ停止すると、しかしその形状を変化させてゆく。

 バスケットボールほどの『球』から彼女の軀を包み込むほどの『楕円』になるまで、わずか一秒。

 あとは、楕円に変形した『滅びの魔力』が降下を始めるだけだった。

 

「……グッバイ、俺の初恋」

 

『それ』が床に触れてリアスの意志で霧散した時、『天野夕麻』の姿をした堕天使の姿は跡形もなく消え去っていた。

 一枚の羽根も残さずに。

 

 

 

       

 

 

 人生という奴は、と斬輝は思う。

 結局のところ、生と死を延々と繰り返してるんだろう。

 自分が生まれてから、いったいこの世界で何人が死んだのだろう。

 自分が生まれたから、いったいこの世界で何人が誕生したのだろう。

 争いは決してなくならない。世界中の人間が平和を望んだとしても、それぞれが思い描く『平和』は一つに収束することなく錯綜するのである。

 それが世界だ。

 そして、と思う。

 ……いったい何人、俺の手の届くところでそれを繰り返してきただろう。

 少なくとも、あの堕天使を殺したのは俺だ。

 消し飛ばしたのはリアスだが、その前に彼女の『堕天使として』の生を最初に奪ったのは、他でもない俺自身だ。

 軀の中を動き回る奴らを意志の力で制御し、右の人差し指の骨格を変形させた。細く尖ったそれは、指先の皮膚を突き破りレイナーレのコメカミを抉り込みつつ頭蓋骨を一気に突き破る。相手の骨が負けたのは、単にこちらの『骨』が強かっただけのことだ。

 いや……正確には、黒鉄斬輝の骨格はカルシウムで出来た白色の骨ではない。

 彼の骨格を形成するのは、神器(セイクリッド・ギア)だ。

 それも単一の個体として宿るものではなく、目に見えないほど微細な群体生物である。

 そいつの名前は、自分でも気づかないうちに記憶していた。

鋼鉄虫(こうてっちゅう)』……メタル・セクト。

 どういった経緯で彼の身に刻まれたのかは判らないが、しかし彼の肉体に起こった異変の正体が、つまりそれだった。

 体中の骨が……骨格だけが、鈍色(にびいろ)の金属へと置換されたのである。

 彼の拳から生えた剣も、四本の指の付け根の骨が意志によって融合し、扁平につぶれて拳の打面の皮膚を突き破って伸長したのだ。

 レイナーレに突き刺したのは、いわば金属製のナイフのようなものだった。

 最初こそ斬輝の肉体に完全に同期していなかったが、しかし今は彼の意志に忠実に従う。

 ドーナシークにやられた傷が異常なまでの回復力を見せたのも、こいつのせいだ。

 虫が、斬輝の意志に関係なく傷の修復を始めたのである。

 骨から血液に流れ出した極小の神器(セイクリッド・ギア)が。

 兵藤一誠の『赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)』も充分反則級だが、斬輝のそれも負けていないように思えた。

 己の意志で自由に武装を施すことが出来、かつ無意識に傷の修復を行って再生させる。

 力は倍にならないもの、しかし事実上それは一誠とアーシアの神器を一緒くたにしたようなものだ。

 イカレてやがるぜ。

 だがそのイカレた能力で、斬輝は堕天使達を殺した。

 外道に進んだ神父どもは斬り殺し、

 欲におぼれた堕天使は脳を指先のナイフでずたずたに破壊して。

 リアス・グレモリーは、あくまでその後始末をしたに過ぎなかった。

 

「……あん?」

 

 上空からの淡い光に気がついて、斬輝はふと顔を上げた。

 拳ほどの大きさの緑色の光球に包まれた、それは二つの指輪だった。

 レイナーレが消滅したことにより、移植された神器が解放されたのだ。

 ゆっくりと舞い降りてくるそれをリアスが手に取ると、

 

「さて、これを彼女に帰してあげましょう」

 

 長椅子に横たわる金髪のシスターのもとへと歩み寄って行った。

 そしてその前に居る一誠のところまで行くと、

 

「あなたが嵌めてあげなさい」

 

 二つの指輪を、一誠に差し出した。

 はい、と頷いて、一誠はアーシアに向き直って指輪を嵌めてやる。

 左右の中指に。

 だがそれは、気休め程度のものだった。奪われた神器を取り返し本来の持ち主に返してやることで、気持ちだけでも楽にしてやりたかったのだろう。

 

「部長」

 

 独り言のように呟く一誠は、見ているこちらとしても心配になるほどだった。

 

「すみません。あんなことまで言った俺を……部長やみんなが助けてくれたのに、俺……アーシアを護ってやれませんでした……!」

 

 号泣を呑み込みながら、それでも肩の震えを隠しきれずにむせび泣く姿を見ていた時、ふと視界が無数の光芒とともに歪んだのが判る。いくつもの光の線が走り、やがて一筋の線を頬に刻んだ。

 涙だ。

 あいつだけじゃない。俺も、泣いてるんだ。

 それがなぜか、判らないわけがなかった。たった数時間だけの付き合いとはいえ、彼女は斬輝達の前で話し、笑い、そして泣いたのだ。

 そんな彼女が今、音もなく眠っている。

 心臓の鼓動もない。

 呼吸もしない。

 それはかつて、黒鉄斬輝が家族を失った時と同じだった。

 親父。

 お袋。

 ごめんな。

 あの時だけじゃねえ、今回もまた、助けられなかった。

 助けられたかも知らねえのに。

 可能性があったかも知らねえのに。

 リアスが一歩、前へ出た。

 一誠に向かって。

 彼の背後に回った彼女は、ゆっくりと腰を下ろすと、目覚めたばかりの赤龍帝の肩へとその手を乗せた。

 

「良いのよ。あなたはまだ、悪魔としての経験が足りなかっただけ。誰もあなたを咎めはしないわ」

 

 言いながら一誠を立たせて、リアスは懐で何かを探っているようだった。

 斬輝が奇妙な事実に気づき始めたのは、まさにその時だ。

 おい、待てよ。

 リアス・グレモリーは、眷属悪魔を持つ上級悪魔だ。現にここには、彼女の眷属がずらりといる。

 待て。

 考えるんだ。

 問題はそれよりも前のことだ。

 たしか数日前に初めてオカルト研究部へ招かれた時にリアスは、護らせて、という以外に何と言った?

 悪魔にならないかと誘わなかったか!?

 ということは……、

 

「これ、何だと思う?」

 

 なんてこった。

 彼女がつまんで見せるのは、『チェス』にあてはめた紅のように真っ赤な駒だ。

 

悪魔の駒(イーヴィル・ピース)……」

 

 導き出された答えと提示された回答が完璧に合致した斬輝は、思わずそう呟いていた。

 リアスは一瞬面喰ったような顔をしたが、それもすぐにいつもの彼女に戻った。

 

「……ええ、そうよ」

「てことは、そういうことか?」

「……? 部長、どういうことですか?」

 

 肝心の一誠本人は、何がどうなっているのかさっぱり判らんようだった。

 ……だが、こいつはそこまで莫迦じゃない。

 

「悪魔をも回復するこのコの能力は、『僧侶(ビショップ)』として使えるわ」

 

 その一言だけで、全てを察した。

 

「ぶ、部長……」

 

 今度は、斬輝は口出ししなかった。

 かわりに浮かべるのは、唇の端を歪めた笑みである。

 ふう、と溜め息をついて。

 

「まさか……」

「ええ」

 

 リアスは頷いた。

 

「前代未聞だけど、このシスターを悪魔に転生させてみる」

 

 こちらも笑みで。

 

 

『儀式』そのものは、呆気ないほどに簡単だ。

 必要なのは転生に必要な肉体と、消費する『悪魔の駒(イーヴィル・ピース)』だけなのである。

 転生用の魔方陣を展開し、その上にアーシアを寝かせてやる。

 斬輝が手伝ったのは、それだけだった。アーシアの傍には一誠がことの経過を見守り、その脇ではリアスが両手を拡げ、静かに目をつむっている。

 いわば、転生の儀、と言ったところか。

 

「我、リアス・グレモリーの名に於いて命ず。汝、アーシア・アルジェントよ。今再びこの地に魂を帰還せしめ、我が下僕悪魔となれ」

 

 それは宣言だった。

 

「汝、我が『僧侶』として、新たな生に歓喜せよ」

 

 リアスが全てを言い終えた時、変化は起こった。

 劇的に。

 胸の上に置いた『僧侶』の駒が彼女の体に取り込まれると、彼女の両手に嵌められた『聖母の微笑(トワイライト・ヒーリング)』が反応し、淡い光を放つ。

 白い肌に血の気が戻り、その瞼が、ひくり、と動いた。

 

「……あれ? イッセーさん? ザンキさんも、どうしたのですか?」

 

 状況を把握しきれていないアーシア・アルジェントが、素っ頓狂な声を上げた。首を回し、次に一誠と斬輝を交互に見てくる。

 だが今度は、しっかりと斬輝にも言葉の意味が伝わった。

 日本語として聞えるのだ。

 悪魔になったことの、それは人間である斬輝が唯一実感することの出来ることだった。

 一誠は喉を鳴らして、何よりもまず、アーシアを抱きしめた。

 彼女の名を呼ぶ前に。

 

「イッセーさん!? あっ、あの、私……」

 

 はだけた衣服を直す余裕すらなく、彼女は抱きとめられていた。

 生き返ったアーシアに呼びかけられても、一誠はその腕を離さなかった。

 だが涙にぬれたその顔が、リアスの方へと向く。

 彼女は、

 

「私は悪魔をも回復させるその力が欲しかったから転生させただけ」

 

 それだけ応えた。

 だが、

 ああ……そうか。

 ようやく判った。

 三年間も同じクラスでいるのに、まったくと言っていいほど彼女に嫌悪感を抱いたことのなかった、その理由が。

 そういうことか。

 お前さんのそういうところが、自然と人を惹きつけてるのかもな。

 

「あとはあなたが護ってあげなさい」

「……っ! はいっ!!」

 

 帰ろうアーシア、ともう一度抱き寄せる一誠を見ながら、ぽつり、とリアスが何か言ったのを、斬輝は聞き逃さなかった。

 そしてそれを聞いた時、もう一度、斬輝は笑みを浮かべた。

 ほら、やっぱり。

 彼女の声は、

 

「……先輩悪魔なんだから」

 

 本当に優しい。

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