ハイスクールD×D 呪われし鉄刃   作:椎名洋介

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第一章 不安の兆候

       

 

 

 茜色に染まり始める雲。

 東から登る太陽が夜という名の闇を追い払い、自然の光を大地へと恵んでゆく。

 こんな柔らかな日差しの中でなら、あるていど動けまわるかも知れないという自信が、今の彼にはあった。

 だが、

 

「ぜーはーぜーはー」

 

 どうしてこうなったんだ、と兵藤一誠(ひょうどういっせい)は思う。

 いや、数日前に斬輝(ざんき)から特訓の知らせを聞いた時から予兆はあった。

 そもそも彼の実力不足は自他ともに認めている。もっとも神器(セイクリッド・ギア)が本当の意味で『目覚め』てから日が浅いというのもあるだろうが、いかんせん基礎体力がなっていないのだ。

 たしかに悪魔に転生したことで基礎体力はわずかながらに向上したが、それだって元の体力に毛が生えた程度でしかない。そこのところをどうするかが一誠自身にとっても今後の命題とされていたわけなのだが。

 早朝五時のランニングである。

 だが、ただ近所の住宅街を走り込むのではない。それは実に二〇キロのマラソンなのだ。

 おまけに、メニューにはこれからさらに一〇〇本以上のダッシュが待ち受けている。そしてそれは、一誠が走り込んでいる最中に失速したり転びかけたりするたびに一〇本ずつ加算されてゆくのである。

 今の記憶が正しければ、すでに一五〇本のダッシュが確定している。つまり、五回はやらかしてしまったわけだ。

 うへえ、である。

 おまけに、

 

「ほら、だらしなく走らないの。あとでダッシュ一〇本追加するわよ」

「二回吸って二回吐く、この繰り返しで呼吸を整えながら走れ。ペース配分だって実戦じゃ大事なんだからな」

 

 後ろから遠慮なく気合を入れてくる二人の先輩は、想定していた以上のスパルタときた。

 力を使いこなせるだけの基礎を身に着けさせる、というのは信頼する先輩・黒鉄斬輝(くろがねざんき)の言葉だ。

 私の下僕が弱いなんてことは許されないわ、というのは尊敬する部長であり悪魔としての主・リアス・グレモリーの言葉である。

 そう。

 この二人こそが、一誠のトレーナーなのだ。

 そもそもの発案者が彼らなのだから、まあ当然と言えば当然なのだが。

 

「ようし、もう少しでゴールだからな、リズム崩さずに行けよ」

「ラスト・スパートなのだから、頑張りなさい」

「ぜーはーぜー……は、はいぃ……」

 

 そして満身創痍の一誠が何よりも悔しいと思っているのは、今まさに一誠の隣にやってきた斬輝のことだった。

 たしかに彼は走ってこそいるものの、しかし『足』で走っているわけではない。

 自転車なのである。しかもその後ろにはリアス部長が横向きに座っていて、万が一の落下に備えてか、その腕は斬輝の腰に巻かれている。

 そんな光景を、一誠はここ毎日の朝練時にずっと見せつけられている状況なのだ。付き合っているわけでもないのにそういうのが自然と出来るなんて、羨ましくないわけがない。

 そういえばここ最近、斬輝のリアスに対する接し方がいくらか柔らかくなったような気がする。いつの間にか斬輝も彼女を名前で呼ぶようになってから……正確には、堕天使の一件があったあたりからだ。

 そう思ったところで、ふと気がついた。

 もうすぐゴール?

 てことは、もう二〇キロ走り終えるってことか!?

 朝練を取り入れたのは、つい一週間ほど前だ。初日はそのスパルタ過ぎるメニューにランニングの時点で文字通り死にかけたわけだが、二日、三日と続けることによって、少しずつではあるが筋肉痛がなくなり、またタイムも早くなってきているのである。

 これが慣れか、と一誠は我ながらに感心してしまった。

 これならきっと、近日中にさらに二〇キロマラソンのタイムが縮むかも知れないと思うと、一誠は自分の成長が感じられてほんの少し安心した。

 だからなのか、ゴールまでの少しの間ではあったが、一誠は言われた通り呼吸リズムを整えつつ、ペースを保って走り続けることが出来た。

 ようし。

 やってやるぞう!

 

「ハーレム王に、俺はなるんだぁぁあぁっ!!」

 

 ゴールの手前で道端の石に蹴っつまづいて転んだのは、このわずか二秒後のことである。

 

 

 走り込みが終わったからと言って、もちろんそれですべてが終わるわけではない。

 最終的に一六〇本の連続ダッシュをこなし、わずかなインターバルの後に待ち受けるのは、苦手とする朝日に照らされながらの地獄の筋トレである。

 ジャージ姿のリアスはベンチに腰を掛けて足を組み、同じく色違いのジャージを着た斬輝は、肩幅に両腕を広げた格好の一誠の背中にどっかりと腰掛けている。

 斬輝という名の重しを乗せた腕立て伏せである。最初の数日こそリアスが一誠の上に乗っかっていたのだが、やはり彼自身が彼女の重量に慣れてしまったのか、三日ほど前からは斬輝が上に乗る格好でのトレーニングとなったのである。

 

「ぬぐぐぐ……」

 

 喉の奥から獣のような唸りをあげながら、すでに何回同じ動きを繰り返したのか判らないまま、一誠は悲鳴を上げる両腕を懸命に伸ばす。

 

「いい? 悪魔の世界は圧倒的に腕力がモノを言うの。イッセー、あなたの場合は特にね」

「は、はい……ぎぎぎぎ!」

 

 腕を曲げる。

 

「何度も言うが、お前さんのブーステッド・ギアってのは使用者のキャパシティがデカくなきゃ倍化出来る力に軀が追っつかねえみてえだからな。お前の性格なら、無茶して倍加したはいいがキャパオーバーでぶっ倒れるのが目に見えてるからな。今のうちに体力と筋力つけとけよ」

「そうよ」

 

 リアスが引き継いだ。

 

「あなたの能力は、基礎体力が高いほど意味があるの。お判り?」

「はい、そりゃ、もう……ふぐぐぐぐ!!」

 

 腕を伸ばす。一三〇キロを超える斬輝の重量に耐えながらの腕立て伏せは、一つ一つの動作だけでかなりの体力と集中力を削られる。きっと一誠がヒトのままであれば、確実に押しつぶされていることだろう。

 というか、現に初めて上に座られた時は見事につぶれた。そりゃもう、骨盤がイカれちまうんじゃないかと思うくらいの衝撃で。

 だがそれも、悪魔の超人的な肉体のおかげなのだろう。何とか、形だけでも『腕立て伏せ』と呼べるようなトレーニングはしているつもりだった。

 もっとも、そのあたりのジャッジをするのも斬輝やリアスなのだが。

 そして、

 

「……うし、とりあえずこんなもんか。な、リアス?」

 

 そう言って、斬輝がベンチに座るリアスへと目を向ける。

 だが当の彼女は一誠達の方を向いてこそいるものの、その目は何か別のものを『見て』いるようで斬輝の問いかけには気づいていないようだった。

 

「おい、どうした? リアス?」

 

 怪訝そうに斬輝が訪ねるものだから、思わず一誠もベンチのリアスを見ようとする。だがそれがまずかったのかバランスをくずした一誠はそのままドスンと地面に這いつくばったような格好になり、

 

「ぅおっと」

 

 その上にコンマ数秒遅れて斬輝の尻が一誠の骨盤を襲った。

 

「ぎゃあ」

 

 そんな一誠の珍妙な悲鳴に気がついたのか、ようやくリアスも斬輝の方を見て、

 

「……ええ、そうね。そろそろ来る頃だし、ここで休憩しましょうか」

「おお、もうそんな時間か?」

「ぶ、部長……。そろそろ来るって、いったい誰が……」

 

 その時だ。

 

「イッセーさーん! ザンキさーん! 部長さーん!」

 

 公園の入り口の方から、朗らかなソプラニーノの声がやってくる。

 

「お、来た来た」

 

 見ると、長い金髪を風になびかせながら、小ぶりなバスケットを抱えてアーシア・アルジェントがこちらへと走ってくるところだった。

 だが、忘れてはいけない。

 彼女は何ともベタな不幸体質……いや、むしろ天然と言った方が正しいだろう、ともかくそんな体質の持ち主なのである。

 このまま何も起こらないわけがない、というのが一誠を含めた三人の……言い換えればオカルト研究部員達の共通意見だった。

 

「遅くなってごめんなさ……はぅっ!」

 

 案の定、気がついたらアーシアは何もないところで蹴っつまづき、そのまま前へつんのめってコケていた。

 

 

 水筒のお茶を紙コップへ注いでから、アーシアは一誠に手渡した。

 

「はい、どうぞ」

「ああ、ありがとうアーシア」

「ザンキさんと、それから部長さんにも、はい」

「ありがとね」

「さんきう」

 

 一誠とアーシアがベンチに座り、斬輝とリアスはブランコの柵に腰掛けた格好での休憩タイムである。

 さきほどは転んだアーシアだったが、特にどこかを擦り剝いたといったような様子はなく、一誠はちょっと安心した。

 でも、どうして今日、彼女がここにいるのだろう?

 渇いた喉を潤わせつつ、アーシアに尋ねた。

 

「そういやアーシア」

「なんですか?」

「どうしてここに? ……あ、ごめん、おかわりもらえるかな」

 

 我ながら直球な質問だよな、とは思いつつ、一誠は空になったコップを差し出した。

 すぐさま、アーシアが注いでくれる。

 

「ザンキさんと部長さんに呼ばれたんです」

「二人に?」

 

 ブランコの方へ視線を向けると、おう、と斬輝が応えた。

 

「先輩、どうしてアーシアを?」

「まあ、ちょっとあってな」

「ちょっとって……」

 

 皮肉な笑みを浮かべた、実に彼らしい応え方ではあるけれども。

 しかし彼がこういう風にはぐらかす場合はたいてい何かしらの意図があると判っている一誠は、斬輝の隣に座るリアスに尋ねた。

 

「部長、何か理由でもある……」

 

 ……あるんですか、と言おうとしたが、出来なかった。

 気づいていないのである。

 さっきのように聞こえていないようで、その視線は手元の紙コップに落とされているのだ。おそらく、直前の斬輝との会話すら耳に入っていないに違いない。

 

「……部長?」

 

 それはまるで、水面に映る自分の顔を見つめて何かを追憶するようで……、

 

「おい、どうした?」

 

 そんなことを考えていると、斬輝も異変に気付いたのか空いている右手で彼女の肩を軽く叩いていた。

 リアスは一瞬はっとしたような表情になり、なんでもないわ、と言った。

 

「ちょっとボーっとしちゃってただけ」

「おいおい、大丈夫か?」

「そうですよ部長。どこか具合が悪いんでしたら、ちょっと休んだ方がいいんじゃ……」

「だーいじょうぶよ! 私だって健康には気をつけてるもの。そう簡単に風邪なんかひかないわ」

 

 心配しないで、とでも言いたげに軽く手を振って立ち上がったリアスは、さて、と一誠に向き直る。

 

「イッセー、少しは落ち着いた?」

「はい? ……ええまあ、なんとか」

「それじゃあ、みんなで行きましょうか」

「え? 行くって、どこへ?」

 

 その質問に、待ってましたと言わんばかりに不敵な笑みを浮かべる主の姿は、しかしいつもの彼女に戻っていた。

 

「イッセーのおうちよ」

 

 

 アーシアの駒王学園への編入が決まり、入学までに解決すべき問題として掲げられたのが、当の彼女の下宿先だった。

 海外から来日してきた彼女は、しかし当然ながらホテルなどを予約するだけの日本語力も、ましてやお金も持ち合わせてはいなかった。そのため当時は彼女達が『拠点』としていた廃れた教会での寝泊まりを余儀なくされていたのである。

 例外は、わずかに一回。

 すなわち、はぐれ悪魔祓いに一誠が襲われたあの夜だ。その日、偶然にも通りかかった斬輝によってアーシアは救出され、彼の家で一晩を明かしたのである。

 そして悪魔として転生し、週明けに入学を控えた彼女に、リアスは尋ねたのだ。

 あなたの下宿先の件だけど、どこがいいか希望はある?

 選択肢は二つ。

 一つは、リアスも使用している駒王学園旧校舎の空き教室。『改造』の仕方によっては、そこそこ快適な空間になるからだ。

 二つ目は、一誠の自宅である。

 もっともこれは先輩悪魔としての立ち位置も考えてのことだったのだが、けれどアーシアは少し恥ずかしそうに、しかし考えることなく即答した。

 私……、イッセーさんのおうちがいいです!

 そういうわけで、

 

「とりあえず、目先のところは片付いたな」

「そうね」

 

 アーシア・アルジェントは兵藤一誠の自宅でお世話になることになった。

 当然彼の両親は学園においても悪名高い息子の性癖のために難色を示していたのだが、アーシアのどこまでも真っ直ぐな気持ちとリアスが口にした言葉が決め手となり、むしろ預からせてください、という返事を獲得することに成功したのだ。

 そして今、斬輝とリアスは一誠の家を後にし、帰路に着いていた。

 今日はもう、特にこれといった予定はない。

 はぐれ悪魔討伐の依頼もまた然りである。

 そこまで考えて、

 

「あ、ところでよ」 

 

 思い出した。

 

「はぐれ悪魔討伐の件なんだがな、もうちっと俺も動き回れるように頼み込むとか出来ねえのか? お前さんの兄貴とかにさ」

 

 リアスの兄であるサーゼクス・ルシファーが冥界における魔王の一人であることは、はぐれ悪魔討伐における諸々の手続きの際に彼女自身から聞いている。

 身内が魔王なのだ、多少の融通はきくだろう。

 このまま状況が後手に回れば、いったいどれだけの人々が犠牲になるか判らない。そうならないためにも、斬輝の出動条件の緩和が必要なのだ。

 少なくとも彼自身は、そう考えている。そしてリアスもまた、生身の斬輝の身を案じた上で同意見なのだ。

 だが、

 

「……ん?」

 

 すぐ傍にいるはずのリアスから何の反応がない。目を向けると、当のリアスはこちらには目もくれず、ただ下を向いて黙り込んでいた。

 

「おい、リアス。どうかしたか?」

 

 斬輝が改めて声をかけると、リアスは驚いたのか肩をひくつかせ、それからこちらを向いた。

 

「え、あ、斬輝……?」

「斬輝? じゃねえよ。さっきの話聞いてなかったのか?」

「ああ、ごめんなさい。少しボンヤリしていたわ」

 

 申し訳なさそうにつぶやくリアスを見て、斬輝は思い出した。

 思えばここ一週間ほど、彼女はずっとこんな感じだった。

 授業の時だけではない。部活の時だって、珍しく窓際に立っているかと思えば物憂げな溜め息をついているのだ。

 

「らしくねえな。なんだ、疲れてんのか?」

「いや、そういうわけじゃないの。ごめんなさいね、心配させてしまって」

 

 そう言ってリアスは笑みを浮かべるが……なぜだろう、その瞳にはかすかに寂しげな色が浮かんでいるように見えた。

 

「……ま、ともかくだ」

 

 斬輝は再び自転車を押し出した。

 リアスも歩き出す。

 

「楽しみだな」

「なにが?」

「花嫁修業」

 

 皮肉な笑みで斬輝が言うのは、さっき一誠の家でリアスが言ったことである。

 花嫁修業。

 その言葉が決め手となり、アーシアのホーム・ステイが確定したのだ。

 まあ、あんな性欲の権化のような一誠でも男だ。そう簡単に一線を越えるようなことはしないだろうとは思う。

 

「アルジェントの奴、きっといい嫁になるぜ」

「そうよね」

 

 そして、

 

「私もいつか、花嫁になる時が来るのよね」

「ま、そうなるな」

 

 そう応えてから、

 

「……なに?」

 

 気がついた。

 ちょっとまて。

 今、なんつった?

 こいつ、今、なんつった!?

 リアスの顔を覗こうとするが、けれど長い紅髪に遮られてよく見えなかった。

 だが次にリアスが顔を上げた時、そこにはもう『いつものリアス』が笑っていた。

 

「行きましょ?」

「……おう」

 

 そのまま二人は、朝の住宅街を並んで歩いて行った。

 一言も喋らずに。




 とりあえず昨日今日と立て続けに投稿。今日の話も含めて七本ほどストックが出来てはいるのだけど、明日投稿するかは未定。
 フェニックス編、書いてはいるけどまだ決着してないのよね(^^;;

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