「ねえ、真咲」
なに? と言うように真咲は顔を向けた。その視線の先にいるのは、パートナーの菜摘である。
「ようやくね」
微笑みを浮かべながら、菜摘は前を向いた。それは当然、ステージを見据えているのであった。
見ると、菜摘の手はほんの少しだけ震えていた。真咲にはそれが意外に思われた。菜摘はいつだって太陽のように、どんなに離れたくても常に輝きを放つ、あの恒星のように笑顔を絶やすことはない。初めて会った時のうざったいと思った気持ちも、今この場においては無くなっている。
確かに今も、笑っている。けれどそれは、とても弱々しい。真咲は、パートナーの手をそっと握った。びくり、と少しだけ跳ねて、彼女の手は真咲を受け入れた。
「大丈夫」
それはとても低い声だった。あるいは、真咲も緊張しているのかもしれない。それでも、菜摘は泣きたくなるほど安心してしまったのだった。でも、泣くわけにはいかない。なぜってまだ、始まっても終わってもいないのだから。
「私がいるから」
負けられない。
ここまで大きな舞台は、グループ結成以来初めてだ。勿論、生まれて初めてでもある。緊張しているのは、私だけじゃない。きっと、あの子も、その子も。真咲だって。
そう思うと、気が楽になれた。笑顔からは、もう硬さが取れていた。
「全く、いくら抽選だからって、大トリを引くなんて、真咲も大胆ね」
腕を組んで、ふふっ、と微笑んだ。そしてウィンクで応答を促す。しかし、真咲は笑わない。その切れ長の赤い瞳は、大きく開かれたままだ。わからないものが見れば、彼女の表情はとても冷たいものであるかもしれなかった。
「私にクジ運が無いのなんて、分かりきったことだったでしょ?」
それでもよ。とは、口に出さなかった。すでに2人の間にはそれほどの野暮な言葉はいらなかった。
今は、勝負の時だ。
「信じてるわ」
「当然よ」
「それでは、エントリーナンバー36番! AtoZで、『The day after tomorrow』です! どうぞ!」
歓声は次第に小さくなり、遂には、歌声と音楽だけしかステージに響くものは無かった。
それは、μ'sが伝説になった1年後のこと。
その日、2人は伝説を歩み始めた。
♪♪♪♪♪
「ねえ、真咲知らない?」
菜摘はAtoZのメンバーである以前に、私立文政高校の生徒である。彼女と、その相棒は総合アイドル科に所属しているのだった。
「さあ? また屋上行ってんじゃないの?」
総合アイドル科の生徒はみなAtoZの事をよく知っているし、尊敬し、尊重している。けれど彼らは同級生で、仲間なのであった。そんな仲間たちの間では、真咲はちょっぴり痛いヤツだと言うのは公然の秘密だった。
「はぁ……またか」
総合アイドル科のレッスンルームから校舎の屋上に行くには、歩いて五分はゆうにかかる。そして、菜摘は今からその道を行かねばならぬのであった。
「用があるならケータイで良くない?」
確かに一理あった。だから、菜摘は真咲に、「その場を動くな」とだけ送って、長い道のりを走り出した。
17歳の、春であった。
2人の設定はおいおい別に投稿します。