「ココノツくん、宇宙に興味はあるかしら?」
「…………はあ」
いつものように店番をしていた僕の目の前に、ある一人の少女が立っていた。
年頃は僕と同じか、少し上。
白いブラウスに黒いジャンパースカート、黒いタイツに黒いヘアバンド、ヘアバンドにワンポイントとして薔薇のモチーフがあしらわれている。
そして、その少女は――何より胸が大きかった。
それを抑えるように――きっと、彼女にとってそれは無意識だったのだろうけれど――腕組みをして、僕に再び問いかける。
「ココノツくん、宇宙に興味はあるかしら?」
「う、宇宙ですか?」
ココノツ――それは僕の名前だ。
鹿田ココノツ。このシカダ駄菓子店の九代目。そう言うとかなり素晴らしいところと感じるかもしれないが、海しか魅力のないただの田舎町の小さな駄菓子屋だと付記すると、きっとそんなものかと納得することだろう。
「そう。宇宙よ。しかもそれはたったワンコインで済んでしまうの」
宇宙――宇宙旅行?
それがたったのワンコインで?
ワンコインの定義からして、高くても五百円だと思うのだけれど、そんなデフレが進んでしまったんだっけ?
「それは……これよ!」
そう言ってポケットをもぞもぞさせるほたるさん。
あ、そう言えば紹介していなかったっけ。僕の目の前に居るのは枝垂ほたるさん。枝垂カンパニー、と言えば聞いたことがあるかもしれない。お菓子シェアでは全国有数、ともいえるお菓子チェーン。その枝垂カンパニーの社長令嬢であるほたるさんがどうして僕の実家――駄菓子屋にきているのかと言われると、まあ、話すと長くなるので割愛する。
そして、ほたるさんはポケットからあるものを取り出した。
それは小さい袋だった。その袋には刺々しい球体がいくつか――。
「金平糖……ですか?」
「そう! 金平糖よ!」
そう言ってほたるさんは小さい袋を持った手を天に掲げた。
ちょうど金平糖の部分がなぜか光り輝いて、とても眩しい。
「……どうして宇宙なんですか?」
「だって、この刺々しい突起――それがまるで星の光を想起させるとは思わない?」
「つまり、公式の見解とかじゃなく、ほたるさんが勝手に思いついたってことですね」
「まあまあ、そういわずに! ココノツくん、あなたも宇宙を味わうのよ!」
ほたるさんは乱雑に小袋を開けると、そこから一つ出して僕に差し出した。ほたるさんはうずうずして笑みを浮かべていたので、きっと僕に手渡したらすぐに自分の分を出して食べるつもりなのだろう。
それを待たすわけにはいかない――そう思った僕はほたるさんから有難く金平糖を戴く。
そして、金平糖を口に入れた。
甘い。素朴な甘さだ。でも、これがいいんだよな。駄菓子も、こういう普通のお菓子とは違った素朴な甘さが親しまれている証拠とも聞いたことがあるし。あ、すいません。今の言葉は僕の勝手な妄想なので、ソースなんてありません。
対してほたるさんは金平糖を手に取ったきり、ずっと金平糖を見つめたまま食べようともしなかった。むしろ、恍惚とした表情を浮かべていた。普通の人間なら、ちょっと気色が悪いとか思ってしまうのかもしれないけれど、僕はもう慣れてしまった。
「ねえ、ココノツくん。知っているかしら? この金平糖の角――実はどうやって形成させるのか解らないってこと」
「そうなんですか」
「それについての研究も行われたわ。形の物理学、という分野で先駆的な研究と言われているくらいに」
「そうなんですか!」
そんなところ、研究しなくてもいい気がするのに!
「ところで、金平糖って日本語語源の言葉じゃないって、知っていたかしら?」
確かポルトガルから来たんだっけ。
それくらい、社会の授業で習いましたよ。
それをこたえるとほたるさんは頷いて、漸く金平糖を口に入れた。
「そう。織田信長がね……。もしも信長が南蛮貿易をしていなかったら、外国に閉鎖的だったら、金平糖はもっと別の形で広まっていたかもしれないのよ。織田信長は日本で初めて金平糖を食した人間……。つまり私たちも遡っていけば、織田信長にたどりつくのよ」
血筋も繋がっていないのに!?
おっと、思わず取り乱した。ほたるさんと一緒にいると、なんかペースが乱れる気がする。
「ところで、金平糖は高い室温に晒されたり吸湿してもその質を損なわない、って知っていたかしら? 飴玉だと仕方ないことなのだけれど。昔、飴玉が入った小袋をポケットに放置していたら、飴玉の中の砂糖が溶けて袋にくっついてしまった、って話聞いたことがあるかしら?」
「まあ、日常茶飯事ですよね」
「要はそういうことなのよ」
どういうことですか。
簡略化しすぎじゃないですか。
「……つまり、金平糖は同じケースに陥っても飴玉のような失敗を犯さないってことなのよ。飴玉を汗っかきとするならば、金平糖は一切汗をかかない。そういうところかしら?」
そうなると、金平糖は健康が悪そうに見えるけれど。
その例えはどうなのだろうか。
「ちなみに喫茶店でも角砂糖などの代用品として使われることもあるわよ」
「まじで!? ……都会の喫茶店とかって、やっぱりそうなんですか?」
「いいえ? まだまだそういうことは一般的ではないと思うわよ。まだ角砂糖のシェアは十分に奪えていないと思うし」
「そうですか」
「そういえば、もう三時ね」
時計を見て、ほたるさんは言った。ああ、そういえば、もうそんな時間だったか。父さんはいつになったら帰ってくるのだろうか。プール監視員のアルバイトだって、そんな長い時間までやることじゃないだろうに。交代制度とか、きっとあるだろ。それともアルバイトの掛け持ちとかしているのか? ……有り得そうだ、年頃のオトコノコを養うのだから、きっとそれなりに稼がないといけないのだろう。駄菓子屋稼業だけじゃ、やっていけないのが今の時代だし。
「何かオススメの駄菓子は無いかしら? ココノツくん」
そう言ってほたるさんはカウンターに肘をついた。ついでに胸もカウンターについてたゆんたゆんに揺れていたけれど、あえてそれに視線は送らないようにした。きっとどこか不自然に見えていたかもしれないけれど、それは出来ればほたるさんに気付いてほしくない。もし気づいていたのならば、最悪だけれど。
それにしても、オススメの駄菓子――か。
僕は店内をふらついて、暫く考える。ほたるさんにオススメする駄菓子――ううんと、何があるかなあ。
あ、これがいいかも。
うん、これがいい。
そう自問自答して、僕は一つの駄菓子を手に取った。
そのあと何があったのか。まあ、別に言うまでもないことだ。普段通り、駄菓子を食べて、ほたるさんが駄菓子の蘊蓄を言って、去っていく。今年の夏休み、普段の夏休みとは違う、ちょっとした日常の変化。
僕らの夏休みは、まだまだ続いていく。
これは、その夏休みの、ほんの一幕に過ぎないのだった。