ロード次元にプレインズウォークしてまず感じたのは、奇妙な捻じれと歪み、重圧だった。
全てのプレインズウォーカーは次元を渡る能力故、空間に対し独特の感性を持つ。次元と次元の間に横たわる久遠の闇の存在とそこに残された痕跡を感じ取る事ができる。
その感知に引っかかるものがあった。
直感的に理解し、ぶわりと冷や汗が吹き出した。
私は今、ロード次元に囚われた。
この次元が持つマナの流れ、即ち力線が歪められ、灯を持つ者を引っ張っているのを感じる。付近を通りかかったプレインズウォーカーはこの次元に引き寄せられるだろうし、一度引き寄せられてしまえば力線の引力によって脱出できなくなる。もちろん、うっかり直接この次元にプレインズウォークしようものなら一発だ。私の事である。
「やられた……!」
今更状況を理解し、悪態をつく。
テラ次元は多次元世界の辺境にあり、テラ次元から次元の中心、ドミナリア方面へ移動しようとするならば必ず経由しなければならない領域がある。その領域に、このロード次元はあった。つまり、テラ次元の陰謀を察知し、陰謀を阻止するために他のプレインズウォーカーに応援を求めに行けば、必ずこのロード次元に捕獲されてしまう訳だ。
単独で陰謀を阻止しようとすれば、実力差で潰される。
抵抗するため徒党を組もうとすれば、この次元に捕らえられる。
実に上手くできている。全くもって忌々しい。今回の陰謀はよほど邪魔されたくないらしい。奴の計画が周到なのはいつもの事だが。
少し試してみたが、力線が歪められているとはいえ、土地からマナを汲み上げる事はできるようだ。しかし他の次元へプレインズウォークしようとすると、引きずり戻される。簡単な時空魔術で走査したところ、ロード次元を覆うようにして得体の知れない時間の歪みも見られた。これは脱出は容易ではない。
どうやらこの次元にしばらく腰を据える他に無さそうである。
一つため息を吐き、気持ちを切り替える。
長く生きていると、こういう事もある。四肢が無事で、首はしっかり胴体についているし、魔力も無事。今まで味わってきた危機に比べれば、次元の籠の鳥になる程度はどうという事はない。
奴の手玉に取られるのは癪であるが、奴の計画の全貌も見えていない今、焦ってもどうにもならない。
まずは足元を固める。この次元での生活基盤を手に入れるところからだ。
以前この次元を訪れたのは千年も昔の事。かつての知り合いは生きてはいないだろう。長命種の知り合いを作っておかなかったのは失敗だったか。
私はこれからの計画を練りつつ、山道を降りていった。
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バハルス帝国の中心都市、帝都アーウィンタール。皇城を中心とした放射線状の道路、都市区画が整備された活気ある都市である。前皇帝の治世から徐々に古い町並みが機能的な造りに変化してきており、改革当初は反発も大きかったのだが、現皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニスクの代になってからは計算された交通網と布設が完了した石畳の道が目に見えるほどの恩恵を市民にもたらし始め、反発はたちまち皇帝への賞賛に入れ替わった。
週に四日、帝都南門の検問所に持ち回りで詰める仕事を持っている帝国騎士、モブ=キヤラも、次々と打ち出される改革の恩恵を受けた者の内の一人である。
(皇帝陛下は過激な事もなさるが、いつも私達市民の事を考えて下さっている)
検問所にやってきた商人の荷改めをしている検査官の傍に立ち、威圧的に、しかし決して粗野に思われないよう睨みを効かせながら、キヤラは皇帝陛下への感謝を新たにした。
キヤラは農村の出であり、噂に聞く大都会に憧れ村を飛び出した口だ。少ない小遣いと、以前村にやってきた冒険者の装いをみよう見まねで真似た持ち物だけで無謀な旅に出たキヤラだったが、当然というべきか、モンスターの襲撃を受け危うく死にかけた。
帝国は周辺地域のモンスター駆除に熱心で、王国と比べれば比較的安全に街道を歩く事ができるのだが、それは絶対ではない。運悪く野良ゴブリンに遭遇してしまったのだ。
キヤラは村で農作業を手伝い、それなりの筋力はあったが、戦闘経験もない村娘であった。襲いかかるゴブリンの攻撃を三度凌げただけで行幸だった。
その三度の間に、すぐ近くを警邏していた帝国騎士が間に合い、キヤラは命を救われた。
その時の縁でキヤラは修練を積み、訓練を受け、昨年帝国騎士の末席に名を連ねる栄誉を授かったのだ。
キヤラの親が言っていたが、農村出の村娘が専業騎士となり、お国から給金を貰って身を立てるなど、祖父母の代では考えられない事だったらしい。
直接拝謁の栄誉を受けた事はないが、キヤラは皇帝陛下へ厚い忠義を持っていた。もし自分が生まれたのがジルクニフ帝の代でなかったら。もし王国に生まれていたのなら。キヤラは簡単にゴブリンの餌になっていただろう。
だからキヤラは真面目に検問所の見張りを務めるのだ。華々しい活躍でなくとも、帝都の、皇帝陛下のお膝元の安寧を護るために。
キヤラが始めてやってきた頃から帝都の景気は上り調子で、もう昼時だというのに、門を通る者は五分と間をおかずにやってきた。冒険者、商人、騎士、旅人などなど。半分以上は何度か見た事がある者で、残りの半分もしっかりわきまえて騒ぎを起こす事もなく粛々と検査を受けている。理由がどうであれ、騒ぎを起こせばたちまち帝国騎士(自分の事だ、とキヤラは誇り高い気持ちになった)に取り押さえられる事を知っているからである。
怪しい者がいないか目を光らせていたキヤラは、通行許可を得て門をくぐっていった穀物商の馬車の後ろからひっそりと姿を現した女性の姿を見て、眉を顰めた。
その女性は一見して冒険者のようだった。
三つ編みに編まれ背中まで伸びた銀髪に、碧眼。身長は百七十センチほど。女性にしては長身だ。
土埃がついた若草色のローブと赤いマントに隠れた身体は細かったが、キヤラは目ざとくそれは華奢なのではなく鍛えられ締まっているのだと見抜いた。一度だけ遠目にみた事がある帝国四騎士の一人、『重爆』レイナースと似た気配を感じるのだ。
その顔立ちの美しさも『重爆』に引けを取らない。なぜか悟った老人を思わせる落ち着いた眼差しは浮世離れしているようで――――そのぶん、髪に埋もれた小さな二本の黒い角が目立っていた。
冒険者だろうか。キヤラは訝しんだ。
冒険者はたまに名を売るために妙な事をする者がいる。格式張った喋り方をしたり、髪を奇抜に染めたり。付け角をするような者もいるだろう。
あるいは亜人か。二本角を生やす亜人に心当たりは無かったが、キヤラの知らない種族などいくらでもいるだろう。特に帝国では、昨今の実力主義の国策の下、亜人をみかける事が増えている。闘技場の『武王』がそうであるし、かのアダマンタイト級冒険者『銀糸鳥』の一人もそうだと聞く。
しかし胸元に目線を移すと、そこには白い宝石が嵌ったネックレスが下がっているだけで、冒険者ならば必ず下げているはずのプレートがない。
冒険者ではないようだ。しかし、腰に剣を刷いている。ベルトには見慣れない道具のようなものが鈴なりにぶら下がっていて、出で立ちは冒険者のそれである。
(という事は、ワーカーか)
冒険者のドロップアウト組、ワーカー。簡単に言えば後暗い仕事をこなすダーティーな冒険者である。金に汚く仕事に善悪を問わないワーカーを、キヤラは好きではなかった。ワーカーのようなはみだし者は帝国の品位を下げる、と常々思っている。しかし帝国の法が許す限り、キヤラもまた寛容だ。推定ワーカーというだけで取り押さえにかかるほどキヤラは短慮ではなかった。
観察している間にすぐにその女性の番が来て、検査官が問答を始める。キヤラは何かあれば即座に対応できるよう、僅かに姿勢を変え、耳を澄ませた。
若い男の検査官は女性の顔を見て少し驚き動揺していたが、こほん、と咳払いして言った。
「ここは帝都アーウィンタール南門である。あなたの訪問を歓迎する前に、帝都の平和のために協力してもらいたい。まず、名前は?」
「メリスヴェール」
女性は端的に答えた。キヤラはその声になんとなく祖母を思い出した。見た目通り若い女性の、それも上品な声色なのだが、不思議だ。
検査官は手元の紙に名前を書き付け、次の質問をする。
「どこから来た?」
「ラクシアから」
「ラクシア、ラクシア……聞いた事がないな。どのあたりの国だ?」
「かなり遠いから説明しても分からないと思うがね」
検査官は服装と角を見て、納得したようだった。確かに帝国では見ない容姿だった。
「まあ、いい。国外からだな。種族は?」
「ナイトメア、と言って分かるかな」
「ないとめあ? いや、聞いた事が無いな。まさか悪魔じゃないだろうな?」
「失敬な。これでも人族だよ」
「ああ、亜人か」
「……まあ亜人と呼んでも良いけれど」
メリスヴェールが少し不機嫌になるのを見て、キヤラは緊張を高めた。人間と文化が異なる亜人は何が逆鱗か分かりにくい。ふとした一言が流血騒ぎの元になる事がままあった。実際、稀に検問所で起きる騒ぎのうち、かなりの割合は亜人絡みなのだ。
検査官も察したらしく、すまない、と一言謝ってから、帝都にやってきた理由を訪ねた。返答は、旅の途中で資金が尽きたため、しばらく逗留して路銀を稼ぎたい、というもの。まあ、旅人にはよくある話だった。景気の良い帝都で稼いで行こうという者は多いのだ。
珍しい容姿ではあるが、問答に不審な点はない。背負っていた雑嚢の中身を改めても、中身は火打石や干し肉、水、鍋、ロープなどといった旅道具と女性一人分の衣服、ちょっとした注目するほどのものでもない雑貨のみ。
最後に念のため魔法詠唱者が呼ばれ、マジックアイテムの検査を行なったが、反応はなかった。
これはキヤラには少し意外だった。身のこなしからけっこうな実力はあると踏んでいたのだ。マジックアイテムの一つか二つは持っているだろうという予想が裏切られた。
もっとも、マジックアイテムは総じて高価であり、冒険者でも鉄級は一つも持っていない者が多く、銀級でも消耗品が幾つかが限度。単なる旅の者だというなら、持っていなくても不思議ではない。あるいは旅の途中でそういったアイテムを使い切ってしまい、だからこそ補給のために帝都を訪れたのかも知れない。
検査官は逆に女性の一人旅を怪しく思ったのかキヤラに耳打ちしてきたが、キヤラは自衛可能な実力はあるようだ、と保証した。
最後に通行料の支払いの段になると、メリスヴェールは帝国貨幣の代わりに小粒の宝石を出してきた。
「支払いはこれで良いかな? この周辺の国の貨幣は持っていないんだ」
「鑑定に時間と手数料がかかるが?」
「構わないよ。では査定が終わったら声をかけてくれたまえ。隅の方で邪魔にならないように待っているから」
そう言って、メリスヴェールは宝石を渡し、検問所の端……検問所から離れすぎず、邪魔にならず、キヤラの目の届く場所に移動し、壁に持たれかかった。何をするのかと思えば、検問所を通る他の商人や冒険者を物珍しげに見はじめる。
様々な国を見てきた旅人でも、この国の活気は珍しく映るのだろう。気をよくしたキヤラは警戒を緩めた。
やがて査定が終わり、メリスヴェールが呼び出され、宝石を換金した釣りが渡される。
門をくぐる際にキヤラは冒険者の酒場はどこか、と聞かれた。
「酒場? 組合ではなく?」
「こちらでは組合というのか。冒険者に仕事を斡旋する業者の事だが」
「それなら冒険者組合だ。この道を中心街へ向けてまっすぐ進め。広場に出たら看板が見えるはずだ。もし分からなければ私と同じような鎧を着た衛兵を捕まえて尋ねれば良い」
「うむ、分かった。ありがとう」
頭を下げて雑踏に埋没していったメリスヴェールを見送り、ふとキヤラは疑問に思った。
マジックアイテムではないのなら、あのベルトにぶら下がった奇妙な品々や首に下がったネックレス、腕に嵌った腕輪は、ただの装飾品だったのだろうか。旅をする上では邪魔になるだけだと思うのだが。
些細な疑問は商隊の一段がぞろぞろと検問所にやってきた事で頭の隅に追いやられ、そのまま忘れられた。
この日、帝都アーウィンタールに、一人のプレインズウォーカーが静かに入場した。