「あー。」
戦車倉庫内でやる気のない声を出しながら手を動かす。今は放課後で整備の仕事もないから倉庫内には俺一人だけだ。じゃあ何故、手を動かしてるかって? ちょっと色々と整理したいことがあってな。
先日の休み、隊長の家に遊びに行った際に告白された。それも母親のしほさんや妹のみほちゃんがいる前で。しかも結婚を前提としたお付き合い。
正座したまま頭を深々と下げて凛とした声で「お願いします。」と言われ、俺が口を開けたまま固まっているとしほさんが割って入ってきた。当然だな。
「まほ!! いきなり人の事を呼びつけたかと思えば・・・自分が何を言っているかわかっているの?」
「ええ、お母様。彼と結婚したいのです。」
「だとしてもいきなり過ぎます!!」
「ですからお付き合いから始めようかと。」
「そういうことを言っているのではありません!!」
凛とした表情を崩さない隊長と厳しい口調のしほさんのヒートアップしたやり取りがしばらく続き、このままだと西住家のお家からシュポっと白旗が上がりそうな気がしたので俺とみほちゃんが「まあまあまあ」と仲裁に入り、その日はとりあえずこの件は保留という形で終わった。
色々な問題が山積みとなったままの週明け本日、授業にも身が入らず1日中頭を抱えていた。中でも1番気になっているのが隊長の『告白』に対して返事をしていないと言うこと。自分の中でほぼほぼ答えは出ているのだが、もっともっとちゃんと考えて出さなくてはいけない気がしてならない。特にあの時のしほさんの顔を思い出すと適当なことは言えない。人生設計をしっかりしたうえで・・・・まず大学、そして就職先、どちらも一流でないとダメな気がする。一応戦車の整備関係の就職が強い大学の入学を目指して勉強してきたが本当にそこでいいのだろうか。しかし今から大学を変えるのは・・・。
色々と整理するためにはじめた整備の手はいつの間にか止まってしまった。
「う~ん。」
「わんっ。」
「ん?」
視界をティーガーIの装甲の1色から180度回転させると無機質のコンクリート上に見える4本足の訪問者。ハァハァと舌を出しながらモフモフしてそうな体を揺らしている。数歩歩いて俺に近づいてくるとまた、わんっと叫ぶ。手を差し出してみると駆け寄ってきたので頭を撫でてやる。気持ちよさそうに目を閉じて尻尾を振ってさらにすり寄ってきた。放課後じゃなくて授業中に校庭に現れれば英雄になれたろうに。そうすればこんな男よりも女子たちに可愛がってもらえたに違いない、タイミングの悪い犬だ。
しかし野良犬だろうか・・・いや違う、よく見るとリードがついてる。飼い犬がウチの学園に迷い込むとは珍しいこともあるんだな。
モフモフの感触に癒され数分、当初の悩みはどこへやら。飽きもせずに頭を撫で続けていると倉庫の入り口から声が響く。
「ここにいたのか!!」
聞きなれた声、しかしいつもの凛とした声とは少し違う。見ると息を切らした隊長が膝に手をつきながら立っていた。
「お疲れ様です、隊長。」
「ああ・・・リーダー・・・すまない・・・ウチの犬なんだ・・・。」
「落ち着いてからでいいですよ。」
「助かる・・・・・・・・昼ごろお母様から電話があってな、逃げ出したと。そしたら犬の目撃情報が食堂から聞こえてきてまさかと思ったら・・・。」
「なるほど。かなり探し回ってました?」
「ああ。おかげで今日のジョギングはやらなくてよさそうだ。・・・・ほら帰るぞ。」
隊長がリードを引っ張るが何故か地蔵のように固まってそこから動く気配がない。
「おかしいな、いつもは素直なんだが・・・行くぞ!!」
力ずくで帰らせるつもりのようだ。無理にリードを引っ張っているので犬の首の肉が顔の近くまで集まって面白い顔になっている。
「ははっ。可愛いわんちゃんですね。」
思わず笑い、工具箱を持って違う場所を整備しようと歩くと
「わんっ!!」
吠えて俺の後ろを尻尾を振りながらついてきた。
「「・・・・・・・」」
試しにもう数歩進んでみる。結果はさっきと変わらず、俺の後をついてきた。犬を見つめた後、視線を隊長に移す。目が合い、苦笑いしながら頬を掻いている。
「・・・すまないがリーダー、ウチまで来てくれないか?」
その言葉を聞いて刹那的に忘れていた山積みの問題を一気に思い出した。
2回目の訪問となるこの大きな家。近づくにつれて冷や汗が背中を占めてインナーはビショリ。しかし緊張のせいなのか、常に弱い電流を流されて感覚がなくなってしまったっと言った例えがいいだろうか。全く気にならなかった。それよりもツナギのままで来てしまった。すごく失礼ではないだろうか、この格好。
門の前で犬のリードを持ったまま立ち止まっていると
「リーダー、入ってくれ。・・・その・・・前回のことならあまり気にしないでくれて構わない。」
「あっ、はい。」
少し顔を赤らめながら言い放つ隊長。前回のこと・・・当然、しほさんと揉めた件についてだろう。いや気にするな言われても無理な話です。俺、気になります。
「バウッ!!」
なかなか1歩踏み出せずにいると痺れを切らした犬が少し怒ったような吠え方でそそくさと門をくぐる。リードを持っていた俺もつられて歩く。そしてしばらく歩いていると犬小屋にたどり着いた。自分の小さな家を確認するとスタスタと中に入って、その家の主が顔をひょこっと出して寝始めた。なんとも自分勝手だ。だが今の俺にとっては羨ましい限りだ。
犬を羨望の眼差しで見つめながらまた頭を撫でてやる。耳がピクピクと動くが閉じた目は開きそうにない。
「犬が好きなのか? リーダー。」
「そうですね。実家では何も飼っていなかったですからね。いいなぁと思います。」
「そうか・・・・良かった。」
「まほ?誰か来ているの?」
その声を聞いた瞬間、思わず肩が上がった。
縁側からしほさんが前回訪れた時と変わらぬ黒い服で現れた。恐らく仕事服なのだろう。
「・・・・。」
俺を見つけると少し目を細めたしほさん。無礼があってはいけないと思い、すぐに立ち上がり、挨拶をする。
「こんにちは!!先日はお招きいただきましてありがとうございました。」
頭を下げるとすぐに隊長が続いた。
「彼が連れてきてくれたのです、お母様。」
犬小屋を指しながらここにいる経緯を説明する隊長。
「・・・そう・・・・ありがとう。」
頭を下げたままだから表情はわからないが声からして恐らく無表情のままお礼を言われているのだろう。しほさんとしては複雑な心情なのだろうか。確認するのが怖くて頭を上げられない。
庭の芝とにらめっこをしていると4本足の影が目に入った。その影は後ろ足の片方を上げた状態。おやおや、何か漫画とかでよく見たことがあるシルエットだな。そしてその影にもう一つ、放物線の細い影が追加された。
「こら!!何やっているんだ!!」
隊長から今まで聞いたことないような怒号が聞こえた。しかし影の正体であり、怒られた犬は時に気にすることもなく犬小屋に戻っていく。・・・アイツいつの間に起きたんだ?
何をされたのか端的に言うと、犬に尿をかけられた。ツナギの下の左足後ろ部分が黒く濡れている。
「す、すまないリーダー。えーっとそうだな・・・。」
あたふたしている隊長が目の前にいる。すごく新鮮だ。
「大丈夫ですよ、隊長。今日はもうこのまま帰るんで。」
流石に犬の尿をつけたまま長居するわけにはいかない。それに当初の目的の犬を連れて帰るということは果たした。いい口実だ。そのまま帰ろうと出口に向かって踏み出そうとした時
「待ちなさい!!・・・上がっていきなさい。」
しほさんの声が通り、ビクつく俺。・・・ん? 上がっていきなさい?
「えっ?・・・いや本当に大丈夫なん「お客様に恥をかかせたまま帰したとなれば西住家の名折れ。まほ、彼に上がっていってもらいなさい。」
「!! わかりました。お母様。」
「菊代、いるかしら?」
「はい。なんでしょう?」
「彼のツナギを洗ってくれるかしら? そして彼をお風呂場へ案内してちょうだい。」
「わかりました。こちらへどうぞ。」
あれよあれよと物事が進んでいく。いきなり現れた着物の女性は菊代さんといって西住家の家政婦なのだと隊長が耳打ちで教えてくれた。家政婦がいるって・・・西住家やはり恐ろしい。
ここまでくると遠慮すること自体が失礼にあたると思い、素直に風呂場まで案内される。
「この籠にツナギを入れてください。着替えは後でお嬢様が持ってきますので。」
「すみません、ありがとうございます。」
「ふふっ。」
「? 何か?」
「あっ、ごめんなさい。背格好といい雰囲気といい、常夫さん・・・お嬢様のお父様に似ていたので、やっぱり親子なんだなぁと。」
「・・・はぁ。」
正直どう反応していいのかわからず気の抜けた返事をしてしまった。隊長のお父さんに俺が似ている? 確か整備士をしていると聞いたことがあるが・・・。自分の夫に似ているからといって許してくれるほど、しほさんは甘くないだろうしなぁ。
「それではごゆっくり。」
色々と思案していると菊代さんが脱衣所から出て行ったので俺はツナギを脱ぎ、指定された籠に入れ、風呂場の扉を開けた。・・・嘘だろ、檜風呂だよ。恐る恐る湯船に近づき手だけを入れてみる。少し熱いがこれくらいがちょうどいい。桶で湯を掬い、かけ湯をしてから、湯船に浸かる。しかし冷静に考えると凄い状況だな。女の子の実家で風呂を借りているなんて。しかもあの西住家の風呂を。
檜の香りに少し緊張もほぐれてきた頃、扉の向こうから声が聞こえてきた。
「リーダー、着替え置いておくぞ。」
「隊長。ありがとうございます。」
「お父様のだが気にしないで着てくれ。多分サイズも大丈夫だと思う。」
「そうですか。すみません色々と。」
「いや謝るのはこちらの方だ・・・それで何だが・・・」
ガラッと音がして風呂場の扉が開き、隊長の顔が現れた。
「えっ?」
浴槽から顔を出している俺と正座している隊長の顔が向き合う。 えっ?隊長の服?・・・もちろん着てるよ!!制服のままだよ!!・・・何も期待してないよ!!うん!!何にも!!
「「・・・・・・・・。」」
しばらく見つめ合ったままだったが気まずくなり視線を下にそらす。すると隊長が手を後ろにやって何かを隠しているように見えた。あれは・・・ボディタオルか?
「リ、リーダー!!」
「は、はい!!」
「その・・・せ、せな・・・せなか・・・・。」
「・・・・・。」
隊長の顔を見ながら次の言葉を待つ。
「・・・・湯加減はどうだ?」
「あっ・・・はい・・・ちょうどいいです。」
顔を真っ赤にしながらガクッと俯いた隊長。恐らく本当に言おうとしていたことは言えなかったのだろう。
「そうか・・・ゆっくりしていってくれ。失礼した。」
弱々しく声を発しながら扉を閉めていった隊長。今日は普段見れない隊長の顔のオンパレードだな。
頭と体を洗い終え、風呂場から出ると用意された服があった。着替えると隊長の言った通り、サイズに問題はなかった。バスタオルで濡れた髪をよく拭き取り、洗面台の鏡を見ながら髪形を整える。いつもの髪形に戻ったのを3回くらい確認してから脱衣所を出て、菊代さんに案内されてきた道を思い出しながら歩いていく。しかしその途中で
「少しいいかしら。」
ある1部屋から出てきたしほさんに声をかけられた。部屋を見ると座布団がテーブルを挟んで2つ敷かれていた。・・・ついにこの時が来たか。
「はい、大丈夫です。」
「そう。じゃあそこに座ってくれるかしら。」
「はい。失礼します。」
座布団の上で正座し、しほさんと向かい合う。
「お洋服とお風呂を貸して頂きありがとうございます。そしてツナギの件も。」
「それはウチの犬のせいだから気にしないでちょうだい。・・・それよりも。」
頭を下げている俺が元の体勢に戻り、目線が合った瞬間、しほさんは言う。
「先日の件、まほはあのように言ったけどあなた自身はどう考えているのかしら。」
来た。ここから慎重に言葉を選んでいかないといけない。だが怯むな俺。
「私もまほさんと同じ考えです。」
「・・・まほと結婚したいということ?」
やや声のトーンが下がり、しほさんの目つきがほんの少しだが厳しくなった。
「はい。」
「まほは西住家の跡継ぎ。つまり結婚相手には入り婿になってもらうのだけど。」
「承知の上です。」
「当然、姓が変わるわよ?」
「確かに一般的に結婚すれば男性側の姓、といったイメージはありますがあくまでそれは多数というだけです。女性側の姓になる人も珍しくはないと私は考えます。」
「・・・西住家という重圧が毎日のしかかってくるのよ?」
「黒森峰学園の整備班班長として整備において戦車道履修者の全員の命を預かっているという心づもりで今日までやってきました。西住家の重圧と比べるととても小さなものかもしれません。しかし私が全身全霊でやってきたことです!」
「・・・怯まないのね。」
「『西住流に逃げるという道は無い』そうまほさんがおっしゃってました。なら!!西住の名を継ぎたいと考えている私がここで怯むわけにはいきません!!」
少しテーブルから距離を取り、頭を下げ、額を畳につける。
「どうか認めては頂けないでしょうか?お願いいたします。」
カッコ悪いとか無様とか、どう言われようと構わない。俺は本気だ。隊長の・・・まほさんのあのいつでも凛とした姿に惚れていた。だが高嶺の花だと諦めていた。だから・・・告白されたときは嬉しかった。反面、女性から言わせてしまったという情けなさもあった。
だからこそ俺はここで退けない。それこそ『逃げるという道は無い』
「・・・・・・・。」
しほさんの反応がないまま数分過ぎた気がする。いや、本当はもしかしたら1分も過ぎてないのかもしれない。ただ俺はこの体勢を変えるつもりは一切ない。
「何をしているんだ!!リーダー!!」
俺がなかなか帰ってこないので探しに来たのであろう隊長が部屋に入ってきた。俺に駆け寄って俺の身を起こそうとする。だが俺は起きる気はない。
「はぁ。」
しほさんのため息が聞こえた。呆れられたのだろうか。
テーブルに手を着き、立ち上がり、歩いていってしまう音が聞こえる。・・・ダメだったか。
「まほ、彼にまた来てもらいなさい。常夫さんに整備の指導をしてもらうわ。西住家の恥にならないようにね。それまでツナギは預かっておくわ。」
目を見開き、顔を上げ、しほさんの方を向く。しほさんは後ろを向いたまま振り返らずどこかへ行ってしまった。
「ありがとうございます!!!」
大きな声で言うと同時に俺はもう一度、額を畳につけた。
「す、すごい・・・あのお母様が認めてくれた・・・すごいなリーダー!!」
凄く興奮した様子で俺の肩を持ちグラグラと揺らしてくる隊長。俺自身も今すごく興奮していて、心の中ではガッツポーズを決めているが目からは涙が出そうなくらいである。だが俺の仕事はまだ残っている。 隊長の肩を掴む。
「隊長!!・・・いや、西住まほさん!!」
「は、はい!!」
突然肩を掴まれ、フルネームで呼ばれて顔を赤くし困惑するまほさん。
「結婚を前提に俺と付き合ってください!お願いします!!」
まほさんの目をまっすぐ見つめる。するとみるみるとその目に雫が溜まりだした。
「はい!!お願いします。」
首元に抱き着いてきたまほさんを受け止め抱きしめる。
「まほさん。」
「呼び捨てで呼んでくれないか。」
「ま・・・まほ。」
「はい。」
「好きだ。」
「私もだ。」
そう言ってリーダーとは言わずに俺の名前を呼び、俺を見つめる。
俺も見つめ返し、その距離を詰め、やがて影が1つになった。
その様子は誰も知らない。ただ1匹を除いては。