ドラゴン――それは実在するどの生物よりも巨大で、憑魔を超える力を持った破滅の使徒。
穢れに蝕まれた天族の成れの果て。エドナは長い間そのドラゴンと共にあった。
そのドラゴンは自分の兄であるアイゼンだったからだ。
自分のたった一人の兄である彼を助ける方法を探したが、その方法はまったく見つからなかった。
それでもエドナはアイゼンのそばから離れなかった。たった一人の家族だったから。
だがアイゼンはエドナのことを妹と認識してはいないだろう。今もエドナに向かって雄たけびをあげて威嚇している。
そんなドラゴンに一人の青年が近づいていった。
導師スレイ。兄を助ける方法を探すと約束してくれた彼は、何かを決意したような顔でアイゼンの前に立った。
「……どういうつもり?」
「それは――」
スレイは何も答えない。
「アイゼンを殺すってことさ」
スレイの代わりに答えたのは、いつの間にか隣に立っていた上半身裸の男だった。
アイゼンの友人である風の天族ザビーダ。彼の言った言葉がエドナの頭の中で繰り返される。
アイゼンを殺す?
お兄ちゃんを……殺す?
「待って。ワタシとの約束は……!」
そこまで言いかけて言葉が途切れた。自分を見るスレイがとても冷たい表情をしていたから。
「エドナ……あれはもうただの怪物だ。君の事だってただのエサとしか思ってない」
「そんな……そんなこと!」
「もうありもしない可能性にすがって逃げるのは終わりにしよう。殺さないと……アレが生きている限りエドナは――」
二人が一歩ずつアイゼンに近づいていく。止めようにもエドナの体は動かない。
「決めよう。今ここで」
「悪ぃ。待たせちまったな……」
今スレイが言った事が正しいと言う事はエドナも理解している。
ドラゴンを元に戻す方法などありはしない。アレが生きている限りエドナは苦しみ続ける。
そんなことは自分でもわかりきっている。
だけど……そうだとしても……
「やめて……お兄ちゃんを殺さないで……」
それでもエドナはアイゼンに死んでほしくない。殺してほしくない。
たった一人の家族なのだから。
だが……スレイとザビーダの足は止まらない。
「やめて……やめてえええええええっ!」
ドラゴンの雄たけび――断末魔が響き渡った。
◇
「エドナさん! 大丈夫ですか? エドナさん!」
体を強く揺らされて目を開く。最初に目に映ったのは心配そうに自分を見るライラの顔だった。
「ここは……」
「目が覚めたんですね。うなされていたので心配しました」
記憶がだんだん戻ってきた。
ここは疫病の街マーリンド。といってもその疫病の元であるドラゴンパピーは浄化したため、街には加護が戻っており人々にも笑顔が戻ってきている。
しかしドラゴンパピーとの戦いでの疲労回復や街の復興を手伝うために、スレイ達は数日ほどこの街に留まる事に決めた。
今頃スレイ達は街の見回りをしているか休憩している頃だろう。
だがエドナは木陰で休んでおり、いつの間にか眠ってしまったらしい。
そこまで思い出して今見た夢がフラッシュバックする。
「エドナさん、具合が悪いのですか? お顔が真っ青ですわ」
「なんでもないわ……」
実際は気分が悪く、全身汗でびっしょりだ。
木にもたれかかって大きく息を吐くと、ライラも自分の隣に腰を下ろした。
彼女は持っていたバスケットから水筒を取り出しで中身をコップに注ぐと、それをエドナに差し出した。
「どうぞ。冷たいお茶です」
「気がきくわね」
受け取ったそれを飲むと少しだけ気分が落ち着いてきた。それでも顔は青いままなのか、ライラの表情からは不安は消えていない。
「嫌な夢でも見たのですか?」
「別に……なんでもないわ」
「エドナさん。先ほども言いましたが、お顔が真っ青です。なんでもないはずがありません。その……言いにくい事なのですか?」
「……お兄ちゃんの夢を見たのよ。お兄ちゃんが……殺される夢」
このまま追求を受け続けるならばと正直に話す。だが殺したのがスレイだとは言えなかった。
「……すいません。」
「いいわよ。そういう夢を見たのは事実なんだから」
「で、ですがその夢が現実にならないように、エドナさんは世界に――」
「ねぇライラ。正直に答えて」
「は、はい」
息を呑むライラの目を見る。
「ドラゴンを元に戻す方法……そんなの本当にあると思う?」
「それは……」
ライラはうつむいて黙ってしまう。そんな方法は無いと彼女もわかっているのだ。
「やっぱりそうよね……でも別にいいのよ」
「どういうことですか?」
「お兄ちゃんはね。自由に生きるのが好きだったの」
突然兄の話をして彼女はきょとんとしていたが、どうやら黙って聞いてくれるようだった。
「自分の舵は自分の意思で取る。そうでなければ本当の意味で"生きている"とはいえない」
「自分の舵……」
「だけどそれにはそれにはどんな結果も受け入れる覚悟が必要だ。お兄ちゃんの手紙にはそう書いてあったわ。だからお兄ちゃんは……ドラゴンになったことを後悔していないと思う。むしろ生き方を曲げられるくらいならドラゴンになったほうがましって考えてたと思うわ」
「強い方だったのですね……」
「お兄ちゃんは自分が殺されたとしても、その結果を受け入れる。きっと殺した相手を恨む事もしないで面倒をかけたとかよくやってくれたって言うわ。だから……」
本当ならば、ワタシが殺してあげるべきだった。それがどうしてもできなかった。
「だから……元に戻す方法なんて見つからなくてもいいのよ。ワタシの覚悟が決まったら少し手伝ってもらうかもしれないけど」
自分ひとりで兄を殺せるはずが無い。だけどスレイ達と一緒ならなんとかなるかもしれない。
ザビーダなら間違いなく手伝ってくれるだろう。時々レイフォルクに来ていたのはきっと兄を終わらせてあげるためだろうから。
助ける方法なんてあるはずないのだから。
「なんだか口に出したらすっきりしたわ」
「そんなことを……考えていたのですか?」
黙っていたライラが口を開いた。その声色にはどことなく怒気が混じっている。
「エドナさん。本当にそれでいいのですか?」
「覚悟はしておく必要があるってことよ。ドラゴンを元に戻す方法なんてないんだから」
「む~~……」
「なによ?」
「なによ? じゃありませんわ! もう。エドナさんは何もわかっていません」
スッとライラが立ち上がるとエドナの手を引っ張った。つられて蹈鞴を踏んで立ち上がる。
「ちょ、何するのよ?」
「ついて来て下さい」
「どこによ?」
「いいからついて来るんです! 異論は認めませんわ!」
そういうなりライラは手を引いて歩き始める。
(なんなのよもう……)
強い力で引かれ、エドナは大人しくライラに引かれるまま歩き続けた。
◇
ライラに手を引かれてたどり着いたのはダムノア美術館だった。
ここには憑魔化したノルミンのアタックがいたが、今では穢れも存在していない。
「抜き足……差し足……忍び足ですわ」
「なによそれ?」
「物音を立てずに歩く時に言う言葉ですわ」
「流石、おばあちゃんは物知りね」
「せめて姉にしてください! ……あ」
ライラが自分の口を押さえる。今まで手を引かれて抵抗もできなかったので、やり返せたのは少し気分が良い。
「それで、なんなのよ?」
「あの扉の部屋です。覗いてみてください」
「? ……いいけど」
扉は少しだけ開いていて部屋の中が覗ける。ライラに言われたとおり中を見てみると、中には無数の書物や絵が保管されていた。
「ここは?」
「この街の収蔵庫です。普段公開していなかった美術品や貴重な書物、街の資料などが保管されています。アタックさんが鍵を隠し持っていたので無事だったようです」
「ふぅん。だから横流しされなかったわけね。……あ」
視線の先に見知った三人を発見した。スレイ、アリーシャ、ミクリオ。どうやらここで本を読んでいたらしい。
こちらには気づいていないようなので、息を潜めて会話に耳を澄ます。
「モンマス文化史にジェフリー文書……すごいな、初めて見た」
「ミクリオ、貴重な本で読んでみたいのはわかるけど、目的を忘れないでよ?」
「わかってる」
「あ、天異見聞録も置いてあるよ」
「それは僕達も持ってるだろう!」
三人はどうやら本を探しているようだ。読んでみたい貴重な本よりも優先するとは、一体どんな本なのだろう?
やがてアリーシャが一冊の本を持ってスレイに近づいていく。
「スレイ、関係ありそうなものを二冊見つけた。そっちはどうだ?」
「俺も二冊。こんなに沢山あるのにあまり見つからないな。ミクリオは?」
「僕は三冊だ」
ミクリオが得意げに胸を張ると、スレイが悔しそうに本棚に向かった。
「俺ももう一冊探す!」
「その本棚はさっき調べただろう。それよりもひとまずこの五冊を調べてみよう」
「そうですね」
三人でそれぞれ本を読み始めた。
収蔵庫の書物は数百冊はありそうだが、それでもお目当ての本は五冊ほどしか見つからなかったようだ。
「なんの本を探してるのよ?」
「ドラゴンに関する書物を探しているのですわ」
「え?」
予想外の答えに思わず声が漏れた。
「街を見回った後にここにきて、もうずっと調べています。私も手伝っていたのですが、さすがにみなさん根を詰めすぎでしたので休憩させようと思ったのです」
「それでお茶を用意しに行ってワタシを見つけたわけね」
「ですわ」
「それならワタシも一緒に……」
「何の成果も無かったときにエドナさんを悲しませてしまうと思い、内緒で調べる事にしたのです。ですが先ほどのエドナさんのお話を聞いて思わずつれてきてしまいました」
四人とも疲れているのだから早く休めばよかったのに。
どうしてそんなに……
「エドナさん。ドラゴンとなった天族を元に戻す方法は聞いた事がありません。また、元に戻ったという前例も知りません。そういう意味ではアイゼンさんを助けるというのはかなり分の悪いかけです。エドナさんのおっしゃったやり方も一つ答えなのでしょう。ですがスレイさんはそれを決して選ぶ事はありません」
「……どうしてよ?」
「エドナさんと約束したからですわ。スレイさんも、アリーシャさんも、ミクリオさんも。当然私も。アイゼンさんを元に戻す方法を探すという答えに向かってもう舵を切っているのです」
「…………」
「ですからたとえエドナさんが諦めたとしても、私達は決して諦めません。あとは真っ直ぐに進むだけで曲がる事は決してありませんわ。もっともエドナさんが諦めるなんて思ってませんけど」
そう言って笑うライラの顔を直視できなくて、思わず傘を開いて顔を隠した。
「……あなたお茶はどうしたの?」
「……え?」
ライラが頬に手を当てて考え込む。が、十秒ほどして「ああっ!」と叫んだ。
「さっきの場所に置き忘れてしまいましたわ!」
「ああ、やっぱりあれだったのね」
「なんか外が騒がしいな」
「ライラが戻ってきたんじゃないのかい?」
「少し見てきましょうか」
今の声で不審に思ったのか、アリーシャがこちらに近づいてくる。
するとライラが慌ててエドナの手を取り走り出した。
「ちょっと、なんで逃げるのよ」
「お茶を忘れたなど恥ずかしくて言えませんわ」
「お婆ちゃんのど忘れくらい誰も気にしないわよ」
「ですからせめて姉にしてください!」
本当に。
なんでワタシの周りには馬鹿しかいないのかしらね。
「……ライラ、ちょっと待ってなさい」
「え?」
◇
「これも駄目か……」
スレイが本を閉じる。ドラゴンを元に戻す方法を探し始めて数時間たつが、結局この場所には手がかりになりそうな書物は存在しなかった。
「くっそ~。こんなにあるのになぁ」
ゴロンと仰向けに寝転がる。流石に疲れがたまっていたのか、こうして力を抜いているとかなり楽だ。
「ドラゴンについて書かれている本は思った以上に少なかったね。そして書いてあるにしてもどれだけ恐ろしいかという事が重点的に書かれているだけだ」
「あとは八天竜についての記述も多くありましたね。ですが肝心の元に戻す方法の手がかりはありませんでした」
「やっぱり簡単にはいかないか……」
スレイが上半身を起こす。
「そういえばライラ様のお戻りが遅い気が……」
ライラがお茶を持ってくると言って出て行ってからもうずいぶん時間がたっている。
「確かに遅いね。流石にのどが渇いてきたよ」
「俺も。ちょっと見に行ってみようか」
立ち上がろうとすると、廊下からパタパタと足音が聞こえてきた。
扉が勢いよく開かれて、息を切らせたライラが入ってくる。
「み、皆さん……はぁはぁ……お待たせ、しました……はぁはぁ……」
「お帰りライラ。そんなに息を切らせてどうしたの?」
「いえ、気にしないで……ください。はぁはぁ……ふぅ。お茶とお菓子を持ってきました」
「ちょうど良いタイミングだね」
「ライラ様、私もお手伝いします」
「ありがとうございますアリーシャさん。ではお茶をお願いしますね」
アリーシャがライラからバスケットを受け取り、水筒のお茶をコップに注ぐ。
その間ライラはお菓子を取り出してスレイ達の前に並べた。
「パルミエだ。これって作り立てなの?」
「はい。出来立てほやほやです」
「これを作ってたから遅くなったのかい?」
「え、ええ。そんなところです」
なぜかライラが視線をそらしたが、特に気にしないことにした。
「せっかくですからエドナ様も一緒に――」
「エドナさんは疲れたから少し休むそうです!」
「なんでそんなに焦ってるんだい?」
「気のせいですわ。さぁ皆さん、いただきましょう」
「うん。いただきます」
パルミエを一つ口に含む。サクサクの食感と優しい甘さが口の中いっぱいに広がっていった。
「おいしい!」
「いくらでも食べられそうです」
「流石はライラだね」
「あ、あはは……そ、それはそうと。成果はいかがでしたか?」
「残念だけど、ここには手がかりは無いみたい」
何の成果も無かった事を伝えると「そう……ですか」とライラも残念そうな顔になった。
「やはり簡単には見つかりませんわね」
「だけどここでは見つからなかったってだけだよ」
「そうだね。世界はまだまだ広い。見つかっていない遺跡も沢山あるはずだ」
「だよな! 諦める理由なんて一つもない」
「まったく、君は単純で良いね」
ミクリオが呆れたように笑う。
「なんだよ。ミクリオは諦めるのか?」
「まさか。君に負けるのも嫌だし、僕が先に見つけてやるよ」
「そうこなくっちゃ。負けないけどな」
「ふふ……やっぱり思ったとおりでしたわ」
今度はライラが嬉しそうに笑った。
「思った通りって?」
「いえ、何でもありません。ただ皆さんと出会えて本当に良かったと思えただけです」
「急にどうしたの? ってああ! パルミエがこんなに減ってる! ミクリオだろ!」
気が付けばパルミエはだいぶ減っており、ミクリオがしたり顔でパルミエをヒラヒラさせていた。
「しゃべってる君が悪い。ちなみにアリーシャのほうが沢山食べてたよ」
「ミ、ミクリオ様!」
「ふふ、女の子は甘いものが大好きですものね」
「アリーシャまで!? ああもう俺も食べる!」
どうしてライラが急にあんな事を言ったのかはわからなかったが、今は考えるのをやめてスレイはパルミエに手を伸ばした。
それからしばらくの間、収蔵庫には楽しそうな声が響いていた。
◇
「ほう、これはパルミエか」
「うまそうやな~。これ本当に貰っていいん?」
エドナはマーリンドの大樹までやってきていた。大樹を器にしている加護天族ロハンとノルミンのアタックにパルミエのおすそ分けに来たのだ。
「これエドナはんが作ったん?」
「ワタシが振舞うなんてめったに無い事よ。感謝なさい」
今頃ライラはスレイ達にパルミエを持って行っているはず。自分が作ったことは内緒にしておくように伝えたが、もしかしたら口が滑っているかもしれない。
もしそうならおしおきね。
「しかし急にどうしたんだ?」
「別に。単なる気まぐれよ。久しぶりだったから沢山作りすぎちゃっただけ」
「おおきにな~」
大樹を見上げる。穢れは消え去って美しい花が咲いているが、ここにいる住民次第ではまたすぐに穢れてしまうだろう。
そうなったら今回のスレイ達の頑張りは無駄になってしまう。
「不安か?」
「……なにが?」
「けどもう大丈夫そうだ。見てみろよ」
ロハンの指差した方を見てみると、そこには大樹に祈りを奉げる人々がいた。
「…………」
「なんだ。信用ならねえってか?」
「……そうでもない……かもね」
「そりゃ良かった。っておいアタック。お前一人で全部食う気か? 俺にもよこせ」
「はいな~」
自分の作ったパルミエを食べる二人を見て、自分が自然と笑顔になっていることに気がついた。
「ねぇお兄ちゃん。ワタシ少しだけ笑えるようになったわよ。やっぱり話したい事がいっぱいあるわ」
そうだ。アイゼンと話したいことが沢山ある。文句だって言ってやりたい。
ならそれを全部言おう。兄の命を奪って墓の前で言うのではなく、兄を元に戻して本人を前にして言ってやろう。
「必要な覚悟は殺す覚悟じゃなく助ける覚悟よね。待っててお兄ちゃん」
お兄ちゃんを元に戻したら沢山話そう。旅のことは手紙で沢山聞いていたから、ワタシの旅の話を聞かせるのも良いかもしれない。
どこから話そうかしら。やっぱりあの時からが良いわね。
ワタシが旅を始める事になったきっかけの日。
いつものように泣いていたワタシの前に、呆れるくらいバカでお人よしな人間達が現れた日の事を。
ワタシを世界に連れ出してくれた大切な仲間達のことから話そう。