雪風と風の旅人   作:サイ・ナミカタ

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第109話 始祖と零と約束の大地

 彼はただ、魔法と家族の話をしていただけである。それなのに、突然目の前の少女が癇癪を起こしたことに驚いたブリミルは、戸惑いがちに訊ねた。

 

「ど、どうしたんだい? 急に大声を出したりして」

 

「自分のところと習慣が違いすぎるもんだから、びっくりしたんすよ」

 

 混乱しているブリミルに答えたのはルイズ本人ではなく、彼女の使い魔だった。

 

(けど、ルイズが驚くのも無理ねえよな)

 

 例えば、地球で信仰されている有名な宗教の教祖が、自ら教えに背くような真似をしているのを知ったら……そりゃあびっくりするだろう。

 

 もっとも、才人的には「派手な袈裟着たお坊さんが、近所の焼き肉屋でモリモリ肉食ってるの見てマジ驚いた」程度の感覚なのだが。

 

 八百万の神おわす国ゆえに、他の宗教に寛容過ぎる日本人ならではの反応である。

 

 そんな何とも言い難い雰囲気を、共にひとりの闖入者がテントの扉ごと打ち破った。

 

「族長! 来ました!!」

 

 飛び込んできたのは若い男だった。彼は息を切らし、顔には明確に怯えの色が浮かんでいる。声をかけられて立ち上がったブリミルに、彼の娘ノルンが抱き付いた。

 

「もう発見されたのか。わかった、すぐに行く」

 

 男が走り去った後、ブリミルはノルンに声をかけた。

 

「すぐに母さんのところへ行きなさい。大丈夫、いつものように父さんたちで何とかするから」

 

 それから、ブリミルはルイズと才人に向き直る。

 

「客人に頼むのは筋違いかもしれないが、どうか手を貸してもらえないだろうか」

 

「何が起きたんです?」

 

 驚く才人に、サーシャが教えてくれた。

 

「ヴァリヤーグが来たのよ」

 

「敵は大軍だ。コメット。念のために確認するけど、きみは攻撃魔法は得意かい?」

 

 ブリミルにそう問われたルイズは、ぶんぶんと首を横に振った。

 

「わ、わたしの〝虚無〟は幻を創り出すとか、ひとりで遠くへ移動するとか、そういう間接的なものばかりで……」

 

「ふむ。それなら、その幻を使って軍勢を混乱させるようなことはできるかな?」

 

 ルイズは、はっと息を飲んだ。

 

 今、彼女に問いかけているのは……妻の尻に敷かれる冴えない男ではない。一族を護るために最善を尽くそうとする、偉大なメイジ――理想の貴族そのものだった。

 

 大きく深呼吸をした後、ルイズは『始祖』の目を見て答えた。

 

「はい。詠唱に時間はかかりますが、敵の背後に幻の大軍を出現させることも可能です」

 

「手助けしてくれるんだね?」

 

「もちろんです。これも始祖……いえ、神のお導きかと」

 

「済まない、感謝する」

 

 それだけ言うと、ブリミルはテントの外へ飛び出した。ルイズも急いで彼の後を追う。

 

「お、おい、ル……コメット!」

 

 才人は、自分を置いてさっさと行ってしまったルイズに大声で抗議しようとしたが、急に飛んできたモノを受け止めたせいで、その機を逸してしまった。

 

 サーシャが、テントの入口に立て掛けてあった槍を、彼に投げて寄越したのだ。

 

「え、ちょ、何すかこれ」

 

「時間がないの。いいから、これを持ってついてきて」

 

 

○●

 

 ニダベリールの村は、大混乱に陥っていた。怒号が飛び交い、子供のものとおぼしきすすり泣きがあちこちから漏れ聞こえてくる。

 

 村の中央にある空き地には、杖を持った男たちが五十人ほど集まっている。それを見たルイズは思わず首を傾げた。

 

(あのひとたちもメイジよね。ヴァリヤーグって、本当に何者なのかしら)

 

 メイジが畏れるものといえば、エルフくらいのものだ。にも関わらず、村中が大騒ぎになっている。トロール鬼やオグル鬼の集団が襲いかかって来たとしても、ハルケギニアの貴族たちであればこうも怯えたりはしない。

 

(エルフ並の魔法を操る亜人とか……まさかね)

 

 凶悪な化け物の姿を想像し、ルイズは身震いした。

 

 そうこうしているうちに村の男たちと合流したブリミルは、即行動を開始する。槍を手にしたサーシャと才人が、それからすぐに追いついてきた。

 

「敵が来る方角は?」

 

「北側からです、族長!」

 

「他には?」

 

「周囲をくまなく確認しましたが、北からまっすぐ突っ込んでくる連中だけです」

 

 ブリミルは大急ぎで指示を飛ばす。

 

「ビョルン、きみの隊は村の東を護ってくれ。ラグナル隊は西側にある森へ、このふたり……コメットとソードを連れて、彼女の補佐をして欲しい」

 

 ラグナルと呼ばれた男と彼に従っていた男たちは、怪訝な顔でルイズと才人を見た。ブリミルは全員に聞こえるよう、端的に説明する。

 

「ソードはサーシャと同じ〝ガンダールヴ〟で、彼女の護衛だ。そしてコメットは、ぼくと同じ系統を使う。巨大な幻で敵を混乱させることができるそうだ」

 

 男たちがわっと歓声を上げた。

 

「助かる!」

 

「そういうことなら任せてくれ!」

 

 ラグナルたちは、ルイズと才人に手を差し出した。ふたりは、戸惑いながらもそれをしっかりと握り返す。

 

「シグルズール、きみの隊は北側でブリミル組の援護を頼む」

 

「わかりました!」

 

 ブリミルはぐるりと男たちを見回すと、声を上げた。

 

「ブリミル組、準備はいいか?」

 

 十人ほどの若い男たちが、腕を振り上げることでそれに応えた。

 

「ぼくたちは敵の正面に突撃して、戦えない者たちが避難するための準備をする時間を稼ぐ。行くぞ、サーシャ!」

 

「では、我々も森へ急ごう」

 

「わかりました!」

 

 ブリミル組とサーシャは丘の向こうへ駆けて行き、ルイズたちはラグナル隊に護られながら、村の西側――二百メイルほど先にある森へ急いだ。

 

 息を整えつつ木陰から覗き見た光景に、ふたりは息を飲む。

 

 村に向かっていたのは、とてつもない大軍だった。

 

「あれが……ヴァリヤーグ?」

 

 両側に角のついた兜、鈍く銀色に輝く鎧を纏った騎馬隊がいる。その後方には歩兵の部隊が続いていた。四メイルほどの長い槍を構え、しずしずと行軍を続けており、さらに弓と剣で武装した兵たちが、整然と隊列を組んで村の方角へ向かっていた。

 

 その数は……数え切れない。ルイズと才人は、アルビオンのニューカッスル城が五万超の軍勢に囲まれているのを目撃していたが、間違いなくあれより多い。なにせ、地平の彼方まで鋼鉄の兵隊で埋め尽くされているのだから。

 

「ブリミルさ……んは、あんなところへ突っ込んでいったの!?」

 

 さすがのルイズも愕然としていた。いくら『始祖』といえど、たった十人程度の護衛と〝ガンダールヴ〟だけでどうにかできるのだろうか? そこまで考え、ルイズは思い直した。

 

(ううん、なんとかなるんだわ)

 

 そもそも、ここは過去にあった出来事の記録に過ぎないのだ。始祖ブリミルが『扉』を開けてハルケギニアに降臨する前に、命を落とすことはないだろう。

 

 不安を打ち払うかのように軽く頭を振ると、ルイズはラグナルに向き直った。

 

「これから、あの軍の西……この森から北の位置に、騎士隊の幻影を創ります。ただ、あくまでも幻なので、敵を攻撃したり、音を立てたりはできないんです」

 

 それを聞くと、若き部隊長は頷いた。

 

「なるほど、俺たちは現れた幻を本物だと思わせればいいのか。そうだな……風を吹かせたり、地響きのような音を出せばいいかね?」

 

「ええ。よろしくお願いします」

 

 と、男たちのひとりが手を挙げた。

 

「何人かここに残って、彼女を護ったほうがいい」

 

 男の提案に、ラグナルは同意した。

 

「確かに。幻に混乱した奴らが、森に入ってこないとも限らないしな」

 

 隊長を含む男たち全員が賛同したが、ルイズはそれをきっぱりと断った。

 

「わたしたちだけで大丈夫です。だから、皆さんで向かって下さい」

 

「いや、しかし……」

 

「わたしには〝ガンダールヴ〟がいますから」

 

 

 ――男たちが囮作戦を実行するために走り去った後。

 

 才人は、ルイズをじとりと睨み付けた。

 

「お前、何ひとりで話進めてんの?」

 

「うっさいわね。すぐに詠唱始めなきゃいけないんだから、静かにしてて」

 

 雨上がりの森で、好きな女の子と二人っきり。普通ならドキドキするシチュエーションだが、すぐ側まで怖ろしい軍勢が近付いてきているせいで、才人はびくびくしていた。

 

 頼りになりそうなひとたちは、ルイズの言葉で別の場所へ行ってしまった。文句のひとつも言いたくなる。それなりに戦い慣れてきたとはいえ、彼のメンタルは普通の高校生なのだ。

 

「なあ。まさかとは思うが、ここは〝記録〟の世界だから絶対安全とか考えてないよな?」

 

 〝夢渡り〟と同じなら、心のありかたひとつで本当に死ぬことすらありえる。夢の中で特訓する前に太公望からそう言い聞かされていた才人は、内心不安でいっぱいだった。

 

 ところが、ルイズは心底どうでもよさそうに答える。

 

「安全でしょ? 何かあってもあんたが護ってくれてるんだから」

 

「は?」

 

「違うの?」

 

「……違わない」

 

 ルイズは、才人が思わず見惚れるような笑顔で言った。

 

「なら、問題ないじゃない。よろしくね」

 

「お、おう」

 

 話は終わったとばかりに杖を取り出したルイズは、朗々と〝虚無〟のルーンを紡ぎ出す。その姿は、暗い森の中にあってもなお輝かんばかりに美しい。

 

 透き通った鈴の音のように美しい詠唱を聴きながら、才人は思った。

 

(これがただの記録だから、ルイズはあんなことを言ったんだろうか)

 

 それでも構わないと思いながらも、

 

(ルイズは、そんなの関係無しに村のひとたちを護ろうとしているのかもしれない)

 

 とも感じていた。才人は、彼女のそんな高潔さに惹かれたのだから。

 

(ただ、もう少し自分と俺を大切にして欲しいなあ)

 

 『始祖』ブリミルの勇気に当てられたのかもしれないが、アルビオン行きの件で懲りてなかったのかと溜め息を漏らす。

 

(漫画か何かで〝恋愛は先に好きになった方が負け〟なんて台詞があったけど……ほんとだな。悔しいけど俺、ルイズに負けっぱなしだよ。まだ返事ももらってないのに)

 

 彼女の声を聞いていると、不思議と勇気が湧いてくる。タルブの上空で、アルビオン艦隊に突っ込んだときもそうだった。虚無の魔法にそういう効果があるのか、それとも大好きな女の子の歌声をひとりじめしているからだろうか。

 

 才人は両手で頬を叩いて気合いを入れ直すと、槍を構えて油断なく周囲を見渡した。

 

「やってやろうじゃねーか。記録だろうが何だろうが、ルイズには指一本触れさせねぇ」

 

 

○●

 

 ――いっぽう、小高い丘の北側では激しい戦いが繰り広げられていた。

 

 嵐のように降り注ぐ矢を、ブリミルを囲むように円陣を組んだメイジたちが迎え撃つ。風の魔法で目標から逸らされた矢は、次々と地面に突き立った。

 

 サーシャは〝反射〟の魔法で矢を弾きつつ、軍勢の先頭に飛び込んで槍を振り回している。

 

「まったく、しつこいったら……!」

 

 文句を言いながらも、彼女は一瞬たりとも動きを止めずに暴れ回っている。この場を耐えきりさえすれば、ブリミルが絶対になんとかしてくれる。そんな信頼が彼女を支えていた。

 

 そして、そんなサーシャの考えを裏付けるかのように、ブリミルの詠唱が聞こえてきた。

 

 エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ――

 

 何度も耳にしている、彼の切り札。唱え終わるまで時間はかかるが、完成すればエルフの精霊魔法すら打ち砕く、最強の攻撃呪文だ。

 

 と、サーシャの前方から地を揺るがすような雄叫びが聞こえてきた。普段なら、ヴァリヤーグたちは弓での射撃の後に突撃してくるのだが……独特の圧力が感じられないのだ。

 

「妙ね、何かあったのかしら」

 

 その理由は、すぐにわかった。

 

「あれは、まさかマンティコア!? それに風竜まで……!」

 

 ヴァリヤーグ軍の側面に、幻獣に跨った他の軍勢が現れたのだ。

 

 見たこともない程煌びやかな装束を纏った人間たちが、陸と空を埋め尽くしている。彼らの先頭に立っているのは、鉄の仮面を被った騎士だった。桃色がかったブロンドを風にたなびかせ、猛然と鋼鉄の軍団に立ち向かっている。

 

「なるほどね。あの子、うまくやってくれたわ」

 

 それは、ルイズが描き出した〝幻影〟の軍勢だった。

 

 サーシャは知る由もないが、この幻を構成しているのは『烈風』を筆頭とした、ヴァリエール家が誇る国境防衛軍の精鋭部隊、トリステイン王国軍を率いるサンドリオン王、ミスリル銀の胸当てを身に付けて杖を振りかざすアンリエッタ、深紅のマントを纏ったウェールズ王子と王党派の面々だ。なお、さりげなくお揃いの隊服を身につけた『水精霊団』も混ざっている。

 

 ルイズは、己の脳裏に刻まれていた全ての精兵を、この世界に映し出したのだ。

 

 側面を突かれたヴァリヤーグたちは大混乱に陥っている。後はブリミルの呪文が完成するのを待つだけでいい……。

 

 それから約一分後。ついに『始祖』の魔法が解き放たれた――。

 

「なんだ、あれ……?」

 

 油断なく槍を構えていた才人の目が、太陽のように輝く光球を捉えた。その光はみるみるうちに膨れ上がると、軍勢を飲み込んで大爆発を引き起こした。轟音と怒号が戦場に響き渡る。

 

 爆風が周囲の木々を激しく揺さぶる。危険を感じた才人は、突然のことに呆然自失していたルイズを地面に押し倒し、その上に覆い被さった……直後。

 

「ふごッ!」

 

 ルイズの膝が、才人のせつない部分を直撃した。

 

「い、いきなり何すんのよ! は、放しなさい!!」

 

 ルイズの顔は、夕焼け空よりも赤くなっている。

 

「うう、上から、木の枝とか、落ちてきたら……危ないと……」

 

 そう告げて、ルイズの上から転がり落ちるようにどいた才人は、クリティカルされた箇所を抑えて悶絶する。それを聞いたルイズは、羞恥で沸騰寸前に陥った。

 

 今は戦闘中である。才人は約束通り、自分の身体を盾にしてまでルイズを守ろうとしてくれたのだ。それなのに、いきなり押し倒された――実際には、覆い被さって落下物から庇おうとしてくれた――ことに驚き、急所に膝蹴りをかましてしまった。

 

(わ、わたしってば、こんな時にどうかしてるんじゃないの!?)

 

 呪文に集中しながらも、才人の呟きはルイズの耳に届いていた。

 

 ――記録だろうが何だろうが、ルイズには指一本触れさせねぇ

 

 それを思い出し、ルイズの頬は再び赤く染まる。本人には決して言えないが、突然とはいえ才人にぎゅっと抱き締められて、嬉しかったのだ。けれど、恥じらいやら貴族もとい王族のプライドやらが邪魔をして、どうしても素直になれない。

 

 しかし……。

 

(好きなひとにぎゅっとされるのって、あんなに気持ちいいんだ……)

 

 ルイズの頭は完全に沸いていた。たった半日で色々あり過ぎて、脳がオーバーヒートしていたのかもしれない。

 

 そこへ、ラグナルたちが戻ってきた。

 

「君たちのお陰で作戦は成功だ! 大丈夫か!?」

 

「え、ええ、お、おかげさまで」

 

 ルイズは慌てて立ち上がると、スカートについた土埃や木の葉を払いながら答える。才人は未だ地面に蹲ったままだ。

 

「こっちの彼は大丈夫そうに見えないんだが」

 

「さ、さっきの爆発で、その、衝撃を受けたみたいで」

 

「なあ、俺の目を見てそれ言えるのか? オイ」

 

 恨みがましげに唸る才人と、ふいっとそっぽを向くルイズ。

 

「そろそろ脱出の準備が整った頃だ。村に戻ろう」

 

 ラグナルに助け起こされながら、才人は再び森の外を見て――驚愕した。

 

「なんだ、あれ……」

 

「どうしたの?」

 

 ぷるぷると震えながら指差す才人。教えられた方角に視線を向けたルイズは、絶句した。

 

 そこには地獄絵図が広がっていた。爆発が起きた中心部の地面は大きく抉られ、窪地のようになっている。先頭から中央付近に布陣していた敵軍の兵たちは、爆風によって全員まとめて吹き飛ばされ、地面に倒れ伏していた。

 

 各所に火の手が上がり、ヴァリヤーグたちは煙に巻かれて逃げ惑っていた。後方にいた部隊に至っては、武器を放り出して後退してゆく。

 

「族長の〝爆発〟(エクスプロージョン)だよ。あの魔法のお陰で、俺たちはこれまで生き延びられたんだ」

 

 爆発。

 

 ルイズにとっては忌まわしい失敗の象徴だが、実は〝虚無〟の素養ある者だけが起こせる現象だった。太公望や才人はルイズの爆発をして「とんでもない魔法」だと口々に賞賛していたが、今ならその理由が身に染みてよくわかる。

 

 あれを見る限りでは、一撃の威力だけなら『烈風』カリンですら足下にも及ばない。

 

「爆発で……あんなことが……」

 

 呆然と呟くルイズに、ラグナルが言った。

 

「族長のアレは特別で、俺たちは誰も真似できなかった。けど、君だってあんな凄い幻を作れるような天才なんだ。もしかしたら、そのうち使えるようになるかもな」

 

○●

 

 ――ラグナル隊に護られながら村に戻ると、乱立していたテントは全て片付けられていた。

 

 馬の背に水がめや荷物がくくりつけられ、馬に積めないぶんは大人たちが背負っている。ブリミルたちが出撃してから、十分と経過していない。にも関わらず、村人たちは既に撤収の準備を終えていたのだ。とてつもない手際の良さである。

 

 村に戻ってきたブリミルは、一族の前に立つと呪文を唱えた。二分ほどの詠唱の後、彼らの前に銀色に輝く『扉』が現れる。

 

「あんなに大きな魔法を使った後なのに、息切れひとつしてないなんて……!」

 

 〝幻影〟だけでぐったりしていたルイズとは、比べるのもおこがましい程の精神力だ。

 

「女子供が先だ。さあ、急いでくぐって」

 

 ブリミルの指示に従い、村の女や子供たちが次々と扉の中へ消えてゆく。

 

(もしかして、あの門を抜けた先が『聖地』なのかしら。それとも、あのヴァリヤーグって連中に見つからない、別のどこかに繋がっているの……?)

 

 ルイズは、隣にいたラグナルに訊ねた。

 

「皆さんは、いつもこうやって移動をし続けているんですか?」

 

 ラグナルは頷いた。

 

「ああ、そうだ」

 

 いつ来るかわからない敵軍に怯えながら、逃亡生活を続ける。才人には想像もつかない、いや、考えたくもない状況だった。

 

 だからこそ、彼は聞きたくなった。

 

「ヴァリヤーグって、何者なんですか? どうして、皆さんと戦ってるんでしょうか?」

 

「知らん。だが、族長が言うには……俺たちは、わかりあえないから戦うんだそうだ」

 

「わかりあえない?」

 

 首を傾げる才人。ルイズも、彼と一緒に聞き耳を立てている。

 

「ずっと昔、ヴァリヤーグとマギ族は今みたいに争ったりせず、静かに暮らしてたんだそうだ。マギ族が育てた山羊の乳と、ヴァリヤーグが作った焼き物の器を交換したりしながらな」

 

「普通に交流してたんですね」

 

「そうらしい。ところが、ヴァリヤーグたちはある時期から突然俺たちマギ族を目の敵にし始めたんだ。当時の長老たちが、何とか争いを収めようとしたんだが……」

 

「だめだったのね?」

 

 その言葉に、ラグナルは頷いて見せた。

 

「一体どうして……」

 

「それがわからんから、話を聞きに行ったんだ。原因を突き止めんことには、どうにもならん。だが、ヴァリヤーグどもは返事の代わりに……長老たちの頭の上に、矢の雨を降らせたんだ」

 

 ルイズは思わず口元を抑えた。

 

「酷い……!」

 

「まったくだ。その日から、俺たちの氏族は放浪生活を続けているって訳さ。しかし、どこへ行っても連中は追いかけてくる。ったく、俺たちに何の恨みがあるってんだ」

 

 沈痛な表情を浮かべるルイズと才人に、ラグナルは苦笑を浮かべた。

 

「それでも、今の族長が例の不思議な系統に目覚めてからは、前よりもだいぶマシな生活が送れるようになったんだけどな。どうやら、神は俺たちマギ族を見捨てていなかったらしい」

 

 そう言うと、ラグナルはふたりに『扉』の前へ行くように促した。

 

「そら、次は君たちの番だ」

 

 ルイズと才人が近付いてくると、ブリミルは破顔した。

 

「巻き込んでごめん。でも、本当に助かった! いつもなら犠牲や怪我人が出るのに、きみたちのお陰でみんな無事だよ。族長として、心から感謝する」

 

 そう言って、ブリミルはふたりに頭を下げた。それから、扉を指差して言った。

 

「さあ、くぐってくれ。心配しなくても大丈夫、こっちはサーシャに試してもらったやつと違って効果が安定しているからね。扉の向こうに着いたら、改めてお礼をさせてもらうよ」

 

 お礼という言葉に、ルイズが強烈な反応を見せた。

 

「あ、あの! それなら『扉』の魔法を教えてもらえませんか? わたし、どうしても身に付けなきゃいけないんです!!」

 

 ブリミルは鷹揚に頷いた。

 

「そのくらい、お安いご用さ。きみたちは、それだけのことをしてくれたんだからね」

 

 ルイズの顔がぱっと輝いた。

 

「あ、ありがとうございます!」

 

「こちらこそ、だよ。さ、急いで! ヴァリヤーグが隊列を立て直す前に、ここから逃げなきゃ

いけないんだ」

 

 ルイズと才人は、光り輝く『扉』を見つめた。ふたりが遠い異世界で出逢うきっかけになった、使い魔召喚の門とよく似ている。

 

(まさか、あの時みたいに電気ショック受けたりしないよな……?)

 

 才人はやや場違いな不安を胸に抱きながら、ルイズと共に光るゲートをくぐった。

 

 

○●

 

 ――ふたりが扉を抜けると、そこには見慣れた顔が並んでいた。

 

「ルイズ!」

 

「おちび、戻ってきたのね!」

 

「大丈夫かね、サイト君」

 

「え、あ、あれ……?」

 

 ルイズたちが立っていたのは、王宮の隠し部屋の中だった。家族と学院長、枢機卿がこぞってふたりに声をかけてくる。

 

 どうやら『扉』をくぐると同時に〝記録〟の魔法が切れ、現実世界に戻ってきたらしい。

 

「そんな! どうして!? もうちょっとで『始祖』ブリミルから新しい魔法を教えてもらえるところだったのに……!」

 

 ルイズの絶叫に、彼女たちの帰還を待っていた者たちは仰天した。声の大きさもさることながら、その発言は到底看過できない内容だったからだ。

 

「お、お、お、お会いできたのか!? 『始祖』ブリミルに?」

 

「なんとうらやま、いや、素晴らしいことでしょう!」

 

 ところが、唯一別のところへ顔を向けていた人物がいた。第二王女のカトレアだ。

 

「ルイズ。指輪と祈祷書が……」

 

 指摘を受けたルイズがふと目を遣ると、水のルビーと始祖の祈祷書が淡い光を放っているではないか。

 

 ルイズは慌てて祈祷書を手に取ると、猛然とページをめくり始めた。そのあまりの迫力に、エレオノールはおろか、両親ですら声を掛けられない。

 

 と、ページをめくる手がぴたりと止まった。どうやら読める箇所が見つかったらしい。ルイズは食い入るように祈祷書に書かれた文章を読み始める。

 

〝世界扉〟(ワールド・ドア)。『空間』の中級の中の上。此、汝と、汝に縁在りし者が思い浮かべし場所に『扉』を開く魔法なり。此極めし者であれば、世界の壁を打ち壊し〝約束の地〟へすら『道』を拓くこと叶うであろう」

 

 世界の壁すら打ち壊す扉。これを聞いた者たちは驚きと喜び、そして戸惑いの声を上げた。

 

「と、ととと『扉』の魔法……!」

 

「おめでとう、君はついに到達したのじゃな。ミス・ヴァリエール」

 

 エレオノールは完全に感極まっていた。この魔法があれば、かつて垣間見た『始祖』の故郷へ行けるかもしれないのだ。ルイズの熱意を知るオスマン氏も、教育者冥利に尽きる場面に立ち会えたことに喜びを露わにしている。

 

 いっぽう、祝福の言葉を投げかけられたルイズのはというと。祈祷書をぎゅっと抱き締め、ぼろぼろと大粒の涙を流していた。

 

「ああ……感謝します『始祖』ブリミル。貴方は約束を守ってくださったんですね」

 

 直接教えを賜ることは叶わなかった。しかし彼はこの祈祷書に、ルイズが求めた『扉』の魔法を遺してくれたのだ。

 

(冴えない顔だとか、エルフに足蹴にされるなんて情けないだなんて思ってしまい、本当に申し訳ありません。貴方はまぎれもなく偉大なメイジでした……)

 

 現時点における、ルイズの対ブリミル評価はストップ高を記録した。初めて〝念力〟に成功して以来の更新である。

 

(ああ、これでサイトを故郷に帰してあげられる。魔法学院にいる仲間と一緒に……あの街を旅して回れるのね)

 

 しかし、今のままではその目的を達成することができない。祈祷書にある通り、才人の世界に『扉』を開くためには、この魔法を極めなければならないのだ。

 

 そのために、どうしてもやらなければいけないことがある。それを自覚したルイズは大きく深呼吸をすると、顔を上げた。

 

 ――今こそ、カトレアに相談し、アンリエッタに知恵を請うた策を実行すべき時である。

 

 小さな唇が開き、言葉を紡ぐ。

 

「あの、どうかわたしの話を聞いて下さい」

 

 全員の視線がルイズに集中する。

 

「実際に唱えてみるまでわかりませんが、この魔法は……おそらく〝瞬間移動〟よりも、ずっと難しいものだと思うんです。呪文自体の長さも、ほんとに桁違いですし」

 

 それを聞いた一同は頷いた。始祖の祈祷書によれば〝瞬間移動〟は初級の空間移動魔法である。であれば、中級の中の上と記された〝世界扉〟の難易度が高いと考えるのは当然だ。

 

「魔法を成功させるためには、何度も練習が必要です」

 

「その通りじゃな」

 

 オスマン氏が同意する。彼は、これからルイズがしようとしていることに、何となくだが察しがつきはじめていた。

 

 鳶色の瞳に決意の光を湛えながら、ルイズは続けた。

 

「ですが、空間移動魔法はとてつもない量の〝精神力〟を消費します」

 

 これを聞いて、エレオノールも妹の考えが読めた。何せ、彼女もあの場にいたのだから。

 

 ルイズは、決然とした表情で告げた。

 

「そのためにも、わたし……魔法学院に戻りたいんです」

 

 最初に沈黙を破ったのは、オスマン氏だった。彼は、勉学と友情を守るために熱心な生徒の後押しをしようと考えたのだ。

 

「なるほどのう。魔法学院は、そこで生活しているだけで〝精神力〟が回復しやすい構造になっておる。魔法を練習するためにはうってつけの環境じゃろう。王族が通ってはいけないなどという例外もないし、わしとしては問題ないと思うんじゃが」

 

 さらに、エレオノールもフォローに回った。

 

「わたくしも、オールド・オスマンに賛成ですわ。おちび……いえ、ルイズが覚えた魔法をしっかりと身に付けることは急務ですから。ロマリアの悪意に対抗するためにも」

 

 くすくすと笑いながら、カトレアが言った。

 

「姉さまは、早く『扉』の魔法を体験したくてたまらないんですよね」

 

「ちち、違います! わ、わたくしはただ、おちびのことを思って……!」

 

 そこへ、マザリーニが割り込んでくる。

 

「魔法学院が〝精神力〟を回復しやすい環境だというのは初耳ですが、ルイズ王女殿下を学院に戻されることに関しては賛成です」

 

「その言い方ですと、魔法以外にも理由があるのですね?」

 

 カリーヌ王妃の問いかけに、枢機卿は首を縦に振った。

 

「王宮にいれば、嫌でも人目につきます。王女殿下だけならまだしも、シュヴァリエ・サイトは間違いなく注目の的でしょうな」

 

 確かに……と、頷く一同。なお、ここには才人本人も混じっている。ようやくアルビオン貴族の称号を得た彼だったが、本来トリステインでは平民から貴族になることができない。そのため、物珍しさと侮蔑の視線が飛んでくるのがしょっちゅうなのだ。

 

 城への出入りこそだいぶ楽になったが、ぶっちゃけ居心地が悪い。ふたりで魔法学院へ戻れるというのであれば、才人としても有り難かった。

 

「既に、宮廷の雀たちが王女殿下と彼の繋がりを気にし始めております。今はオスマン氏の協力で情報の制限がなされておりますが、おふたりが王宮に居続けた場合……」

 

「いつか嗅ぎ付けられてしまう。卿はそう言いたいのですね」

 

「左様でございます、王妃殿下。であれば〝学院で学び続けたい〟という王女殿下の希望に添う、という形で一時的に王宮から距離を置いたほうが、対策を練るための時間が取れます」

 

「しかし『レコン・キスタ』が魔法学院襲撃の計画を立てていたはずだ。却下されたらしいが、ルイズが戻ることで、あの者どもがまたぞろ蠢動し始めるのではないか?」

 

 王の疑問に宰相が答える。

 

「それですが、先日アンリエッタ姫殿下……もとい、ダングルテール公爵夫人からなかなか興味深い提案を頂きましてな」

 

「ふむ?」

 

「トリステイン貴族の中でも、子を魔法学院で学ばせることができるのは、ごく少数でございます。そのほとんどが、財政難が理由です。そこで、これはと思う優秀な子供に王政府から資金を提供し、魔法学院に通わせるという案なのですが……」

 

「それをするだけの金銭がない。そういう訳か?」

 

「はい。ですが、ひとつだけそれを解決できる手段がございまして」

 

「ほう、具体的には?」

 

 王の瞳に、興味の色が浮かんだ。

 

「先の戦役には、多くの貴族が参戦しました。ほとんどが魔法衛士隊を始めとしたメイジたちで構成されていましたが……戦力不足から、まだ見習いであった若い従者たちも戦場に駆り出されていたのです。彼らは皆家格が低く、懐に余裕が無いがためにゲルマニアへ同行できず、トリステインに残っていた者たちでした」

 

 オスマン氏が、ぽんと手を叩いた。

 

「なるほど! その若者たちを魔法学院に通わせようというのじゃな?」

 

「その通りです、オールド・オスマン。彼らには〝見習い騎士〟として所定の給与を支払います。そこへ若干上乗せすれば、どうにか魔法学院で学ぶだけの金を捻出できるはずです」

 

 顎髭をしごきつつ、オスマン氏は愉快げに告げた。

 

「ほぼ間違いなく通いたがるじゃろうなあ。何せ、魔法学院を出ておれば出世の糸口になる。あれじゃろ? 君、若輩とはいえ実戦経験のある彼らに、魔法学院の護衛をさせる心づもりじゃな?」

 

 枢機卿はくすりと笑った。

 

「私ではなく、公爵夫人の発案なのですよ。いやはや、よくぞここまで成長してくださいました。将来が空怖ろしい」

 

 そう言って、マザリーニは嬉しそうに微笑んだ。そんな彼を観察しながら、ルイズは内心うまくいったと拳を握り締めた。

 

 この『奨学金』制度をアンリエッタに提案したのは、実はルイズだったのだ。どうしても魔法学院に戻りたいが、王女の身分では難しい。先に述べた通り、護衛の問題があるからだ。

 

 そこで、以前才人の国の学校教育について教えてもらった時に聞いた「奨学制度」を生かし、優秀だがお金のない、同世代のメイジを護衛にできないかと思いついた。しかし、ルイズに考えられたのはここまで。人材の出所を彼女に教え、策の草案を作り上げたのがアンリエッタだった。

 

 魔法学院に戻れば仲間たちに会えるし、何より才人と一緒にいられる時間が増える。ルイズはそわそわどきどきしながら、大人たちの会話を見守った。

 

「見習いとはいえ、実戦を経験したメイジが護衛を兼ねつつ魔法学院に通う。襲撃計画が持ち上がるのは魔法学院が手薄だからであって、兵が常駐していることを周知すれば抑止になります。わたくしは悪くないと思いますが……」

 

 妻の問いかけに、サンドリオンは頷いた。

 

「ルイズとサイトを王宮から遠ざけ、耳目を集めぬようにする。護衛になるのは、魔法衛士隊の見習い騎士たちか。魔法学院に王室の目が届いているとなれば、ロマリアも下手に接触できまい。なるほど、良い案だ。その方向で動くことにしよう」

 

 王の承認を得た宰相は、深々と頭を下げた。

 

「ありがとうございます!」

 

 顔を輝かせ、礼の言葉を述べるルイズ。

 

「わたし、必ず『扉』の魔法を使いこなせるように頑張りますから!」

 

 ――こうして。王宮という名の鳥籠に閉じ込められていた王女は、自らの行動力でもって、制限つきではあるものの、仲間たちと共に過ごす自由を手に入れることに成功した……。

 

 




と、いうわけでどうにか学院編が再開できそうです。
そして、ついに来た世界扉。
ただし、即座に向こう側へ繋げるのは難しいようで……。

原作と異なり、才人が敵の真正面に特攻していないため、
ヴァリヤーグの正体が判明していません。
本当にこのまま進行して大丈夫なのか!?

……次回更新は、2週間前後を予定しております。

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