虚無のルイズと異世界の魔王さま   作:乙丸

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10話『虚無の魔法使いⅠ』

 ある辺境の森に、誰にも知られていない小さな村があった。

 そこでは耳の尖った年頃の女と、どこへも行けない子供たちがひっそりと暮らしていた。畑もなければ働き口もない。女と子供が狩るのはうさぎが精一杯で、それもたいていは逃げられてしまう。

 しかし、幼い村人たちはそれでも食うに困らない生活をしていた。なぜなら、その村には金があったからだ。

 

 夕食のシチューを煮込みながら、村の長である耳の尖った女は幸せそうに笑っていた。今日は彼女の誕生日である。この村を離れて暮らしている姉から、ささやかなプレゼントとたくさんの金銭を受け取った。

 それでも、大切な姉の顔を見れたことが彼女にとって一番の幸せであった。

 

 

 

   10話『虚無の魔法使いⅠ』

 

 

 ルイズはふっくらとしたすべやかな頬を林檎のように赤く染めていた。それは羞恥によるものか憤怒によるものか、あるいはそのどちらもか。白いベッドシーツの上に組み伏せられた彼女の表情は歪んでいた。

 覆いかぶさった格好のアルレットは、赤い果実へかぶりつくようにキスをした。口を遮られたルイズは、呼吸を乱して小さく声を漏らす。

 アルレットは抵抗するルイズの白い肩に手をつき、体重をかけて押さえつけた。股下に広がるネグリジェの生地を膝で踏みつけると、ルイズは抵抗を諦め、行為が終わるまでなすがままに唇を受け入れた。

 

 やがてアルレットはゆっくりと身体を起こし、長い行為からルイズを解放する。押さえつけられたせいで赤くなった肩口を撫でながら、ルイズは口を尖らせた。

 

「今日は噛まないのね。ご機嫌取り?」

「嫌……だった?」

「痛いのは同じじゃない」

 

 アルレットはルイズの治らない不機嫌に困った表情を浮かべる。

 ルイズは、彼女が何も言わずトリスタニアまで行ってしまったことを許せないでいた。しかも、男とふたりきりで、贈り物を両手に抱えて帰ってきたのだ。彼女の不始末で学長室に呼ばれていた間に、というのがまた不満な気持ちを増長させる。

 

 召喚してから、初めての虚無の曜日。ルイズはそれが特別な日になると信じていた。それは、ルイズがキスをされてもいいと思うくらいには彼女を好いていて、それまでに二人でどんな休日を過ごそうかと期待を膨らませていたからだった。

 

 ルイズの機微がわからないアルレットは、不安な表情で鳶色の瞳を覗きこんだ。しかし、そこにはぐしゃぐしゃになった感情があるだけで、その奥を見通そうにも目をそらして泣き出しそうな顔をするだけだった。

 アルレットの顔を見るのが辛くなったルイズは、とうとう身体を押して距離を離した。押しのけられた形のアルレットは、目を伏せてベッドから降りてしまった。

 

「ごめん」

「しらない」

「ごめんね」

 

 ルイズはアルレットから顔を背けて、頭から毛布を被ってしまった。

 被った毛布の向こう側からドアの閉まる音を聞いたルイズは、急に押し寄せてきた後悔に押しつぶされそうになって、髪をくしゃくしゃにしながらうずくまった。

 

 

 

 

   ♪

 

 

 

 

 朝、目が覚めると、隣に誰も居ないことに、ルイズはたまらなく寂しくなった。

 髪を梳かしている間に現れたシエスタに対してぶっきらぼうに事情を説明すると、彼女は用はないとばかりにさっさと部屋を出て行ってしまった。そのこともまた、ルイズの心をささくれ立てた。

 

 ルイズはその寂しさに、アルレットを召喚する前の自分を思い出していた。

 口を利くのは、キュルケと言い争いをするときだけ。たったひとり寝て起きて味もわからない食事を口にし、使えもしない魔法を必死に勉強して、爆発させて怪我をしては嘲笑の的になる。いつ自分が崩れてしまうかも分からない。まるで不安定な崖の上に立たされているような、悪夢の日々だった。

 アルレットは、ルイズの願いを叶えるといった。このままなら契約不履行だ、と思う。

 

 それから重い足取りで食堂へ向かい、そこでアルレットの顔を見たとき、ルイズはまた隣で食事ができると思った。内に抱えた昏い思いも吹き飛んでくれると思った。

 しかし、アルレットの隣にいたのはキュルケだった。何度もからかわれ、何度も喧嘩をした相手であり、情けない顔を見られたくない一心で見ないふりをした。そのままいつものテーブルへ向かい、空席になった隣に座った。アルレットがどこに座ったのかは、考えなかった。

 

 

 

 そうしてキュルケとアルレットを避けたまま、夕食の時間になった。ルイズは食欲が湧かなかったため、昼食に続いて食堂へは向かわず、中庭のベンチで時間を潰していた。もしアルレットが自分の部屋に帰ってきたら、どんな顔をすればいいかわからないからだった。

 どれくらい時間が経ったか、食事を終えた生徒たちが見え始めたころ、最も会いたくない人物が目の前に現れた。

 それは、今日一日、意図して避け続けてきたキュルケだった。ベンチに座るルイズを、真正面から見下ろして言った。

 

「あなたね、いい加減許してあげなさいよ」

「……なんのことよ」

「とぼける気? あの子が泣いている時に、なんとも思わないでぼけーっとしてるわけ」

「あんたには関係ないでしょ」

「昨日も今日も、ベッドで泣いてうるさいのよね。いよいよどうにかしなきゃいけないと思って、シエスタに任せて出てきたけど」

「邪魔だったら部屋から追い出せばいいでしょ。わたしに言わないで」

 

 彼女は、自分が怒ったくらいで泣くような弱い人間じゃない。泣きたいのはこっちだ、とルイズは心の中で吐き捨て、キュルケの言葉に耳を貸さずほとんど聞き流していた。

 

「主人失格ね。召喚に成功したのも何かの間違いなのよ。所詮は『ゼロのルイズ』ね」

 

 しかし、聞き逃せない言葉を聞いて、ルイズは顔を上げてキュルケを睨みつけた。

 

「なんですって? 間違いなわけないでしょう。成功したからあの子がいるんじゃない。ルーンだって刻まれたわ」

「自分で来たんでしょう? 『ゼロのルイズ』が成功なんてするわけないわ。もしかして、あなたが使い魔なんじゃない?」

 

 キュルケはルイズへの苛立ちを込めて苦笑した。

 『ゼロのルイズ』。ルイズの最も嫌う呼び名だった。そして、初めて自分の力で成功させた魔法を否定されたことが、ルイズの頭に血を上らせていた。それは、ルイズの中で貴族のプライドと同じくどうしても譲れないことだった。

 

「取り消しなさい!」

「主人失格ってところ? ようやく通じたかしら」

「そうじゃない、成功するわけないなんて言葉よ! わたしは成功したわ!」

 

 キュルケは失望の眼差しでルイズを見下ろした。ヴァリエールの家名は、腐っても公爵家のものであり、ツェルプストーの家とは良い意味でも悪い意味でも競い合ってきた仲だった。ルイズに関しても、キュルケは彼女の魔法への姿勢を評価して、『ゼロのルイズ』のままで終わるはずがないと信じていた。

 戦闘の魔法に優れたギーシュが相手にならないような、計り知れない強さを持った使い魔を召喚して、そうしたキュルケの期待は高まっていた。平生の努力する姿勢を見て、メイジの実力を測るなら使い魔を見ろ、の言葉を体現して欲しいと考えていたほどだった。

 

 けれども、ルイズが使い魔の主人失格であることは今のやりとりで分かった。やはり、アルレットが彼女の使い魔になったのは何かの間違いだったと、キュルケは大いに失望した。加えて、泣いている使い魔をなんとも思わない態度に、その努力も見え透いた見栄の産物だろうと、そう思ってしまった。

 魔法の使えないルイズにあった貴族の態度も、努力の姿勢も、キュルケにはくすんでしまったように映った。

 

「取り消さないなら、取り消させてやるわ」

「ふうん。ドットですらないあなたが」

 

 ルイズが杖を取った。そうなれば、やることはひとつだった。

 

「人のいないところでやりましょうか。また呼び出しを食らって、あの子に置いてけぼりにされたくないでしょ?」

 

 キュルケの挑発に、ルイズは無言で睨み返しながら立ち上がった。

 

 

 

 夜の闇が深くなりつつある学院の裏庭で、二人は杖を抜いた。

 キュルケはこの歳にして火のトライアングルを誇る魔法の実力があった。学院内でも比肩する生徒はタバサくらいなもので、決闘と言っても気負うものは何もなかった。相手が『ゼロのルイズ』であれば、なおさらである。失敗魔法による爆発の威力はともかく、精度はまるで脅威に値しない。

 

 でたらめに辺りを爆発させられて怪我を負う前に勝負を決めてしまおうと、キュルケは杖の先から二メイルもあるフレイム・ボールを作りだした。手加減なしの魔法に、ルイズが息を呑む。キュルケは足元を燃やして軽いやけどでもさせてやろうと考えていたが、相対するルイズの受ける印象はまるで違う。直撃すれば、怪我どころでは済まないかもしれない。

 

 それでも逃げるわけにはいかない。向かってくるフレイム・ボールを打ち破ろうと、ルイズは杖を振った。

 

 ルイズがとっさに唱えたのは、念力の魔法だった。フレイム・ボールの軌道を逸らして、その隙に杖を叩き落としてやろうとルイズは画策した。系統魔法に適性がないと分かった今では、彼女が頼れるのは貧弱なコモンマジックと自身の細い体だけだった。

 キュルケはルイズが魔法を扱えるようになったことを知らない。アルレットが言うには、精気を吸う行為がルイズの有り余った精神力を減らしたおかげで、力加減を覚えて魔法が爆発しなくなったのだという。もう『ゼロのルイズ』とは呼ばせない。ルイズは、強い思いで魔法に精神力を込めた。

 

 しかし、目の前に起きたのは念力の魔法ではなく、見慣れた失敗魔法の爆発だった。

 地面をごっそりとえぐりとる衝撃は、結果的にキュルケのフレイム・ボールを打ち破ったが、ルイズはひどく動揺した。アルレットを召喚してから一度も失敗魔法を起こしていなかった彼女は、また『ゼロのルイズ』に逆戻りしてしまうのではないかと、背筋が凍るような思いだった。

 

 それと同時に、有り余った精神力の状態をいまさらに自覚する。昨晩、アルレットがあれだけ強く求めていたのに、ほとんど精気を吸われていなかった。

 どうして、なんていうのは考えるまでもない。

 ルイズがアルレットのことを、キスしてもいいと思えるくらいには好きだったように。アルレットは、キスだけでもいいと思えるくらいにルイズのことを好きでいた。そうして取った彼女の行動を、知らずの内に跳ね除けて、嫌な顔をしてベッドの上から押し返した。

 強い後悔が、ルイズの胸をぎりぎりと痛いくらいに締め付けた。それは、もともとあった動揺も撥ね退けるほどだった。

 

 貴族のプライドを賭けた決闘の最中で、相手は待ってくれない。ルイズが立ち直るより早く、その周囲に炎の壁が立ちはだかった。

 炎に四方を囲まれ身動きの取れなくなったルイズに向かって、キュルケは無情に言い放つ。

 

「あんたの負けよ。杖を捨てなさい」

 

 ここが戦場ならば、キュルケが宣言する前にルイズは炎の壁に潰されていただろう。わずか一瞬の攻防で、キュルケはルイズの喉にナイフを突きつける形になった。火のトライアングルを誇るキュルケの魔法は、戦闘においてもギーシュとは一線を画するものだった。

 

 高々と燃え上がる炎の熱に肺が焼けそうになるのをこらえ、ルイズは杖を振る。

 

「わたしはまだ倒れてない!」

 

 フレイム・ボールを打ち破った魔法を、全力を込めて放つ。

 精神力を制御できないなら、制御できないなりに力を使い果たすだけ。今のルイズには『ゼロのルイズ』を否定するよりも、訂正させたい言葉があった。それが嘲笑される力でも、主人失格ではないことを証明するには、あの使い魔を従えるだけの実力を示さなければいけない。

 「召喚したのは何かの間違いだった」と、言われたくはなかった。

 

 でたらめに放たれた魔法は、キュルケから幾分も離れた場所を襲った。それでも、火薬にまとめて火を放ったような爆発が暴風を生み出し、キュルケの身体を吹き飛ばす。そして、その手から杖を奪い去った。力の源を失った炎の壁はかき消え、息を荒くしたルイズの姿が現れた。

 風に運ばれる木の枝のように転がっていくキュルケの杖を、ルイズはよろめく足で追いかけて掴みあげる。

 これで、キュルケは魔法の行使ができなくなった。

 

「わたしはあんたより上よ。わかった?」

「……ルイズ、あんたね。さっき、燃やしてやればよかったのかしら」

 

 炎の壁が燃え上がった時点で、この決闘の勝利はまぎれもなくキュルケのものだった。それは敗者であるルイズ自身も理解していたことだった。

 それでもへたり込むキュルケに歩み寄り、怒鳴りつけるように言い放つ。

 

「いいから、さっきの言葉を訂正しなさい!」

「敗者であるあなたに対して、何を訂正しろっていうのかしら。思ったよりもずっと無能だった、って?」

「無能じゃない。わたしはトライアングルのメイジから実力で杖を奪ったの。それとも、あんたは無能に杖を取られる間抜けだっていうの?」

「いうじゃない、『ゼロのルイズ』」

 

 その時だった。月明かりでかすかに照らされた裏庭に、大きな影が落ちる。

 二人が顔を上げたと同時に、あたりに轟音が響き渡った。それはルイズの魔法よりもずっと大きく、地響きを感じさせる衝撃だった。

 

 そこにあったのは、三十メイルはあろうかという巨大な土のゴーレムが、学院の宝物庫の壁を破壊せんとしている光景だった。

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