アルヴィーズ食堂の上には、同じだけの広さを持つホールがある。
フリッグの舞踏会はそこで行われていた。主役はもちろん、かの大盗賊を打ち倒した彼女である。
しかし、主役として華々しい演出での入場を果たしたこの舞踏会で、彼女は早々にバルコニーへと引っ込んでしまった。目的は酔い覚ましでも秘密の誰かとの密会でもない。
彼女はただ、自分の行いを思い出して、溜息を付くばかりだった。
16話『花より乙女、色気より食い気』
キュルケは大勢の男子生徒に囲まれて、是非にとダンスの誘いを掛けられていた。
普段ならば言い寄ってくる男たちに優越感を感じて自然と頬が緩むものだったが、今日は違った。どの男を見ても胸の高鳴りが感じられない。微熱のようにくすぶった何かはあるはずなのに、それが男たちへと向かっていかない。
とはいえ、舞踏会ですることはひとつ。適当な男の手をとって、踊り始めるのだった。
耳に響いてくる音楽に感情を乗せて、軽やかにステップを踏む。だんだんと気持ちが良くなって、適当に選んだはずの男もそれなりの紳士に見えてくる。
微熱のようにくすぶりはじめる恋慕の情。
これが欲しかった、とキュルケが頬を緩ませた時、視界に扉の開け放たれたバルコニーが映った。
熱が急激に冷めていく。目の前の男もよく見てみれば、やっぱり適当に選んだだけあって鼻がイマイチな優男だった。
音楽が止まると、キュルケは男に別れを告げてテーブル席へと足を向けた。
「隣、いいかしら」
「珍しい」
キュルケが催し事で男を相手にしないのは珍しいことだが、タバサがハシバミ草の山と格闘しているのはいつもどおりである。
タバサの口いっぱいに広がる苦々しい味を想像して、キュルケは眉をひそめた。
「何かあった?」
「……珍しいわね。あなたがそんな気を利かせるなんて」
「シルフィードが仲間外れにされたってうるさかった」
「ああ、なるほど」
『土くれのフーケ』討伐の話を聞いた際に、置いてけぼりにされたと騒いだのだろう。しかしルイズやキュルケは、わざわざ友人を危険な目に晒そうとは思わなかった。
タバサも、それを仲間外れだと騒ぐほど幼くはなかった。
「なんだか、あっという間に追い越されて、置いていかれた気がしてね」
「ルイズが魔法を使ったって話?」
「そうそう。ルイズも前はこんな気持ちだったのかしら」
「そんなにすごい魔法だった?」
キュルケは頷く。あの三十メイルのゴーレムは、スクエアメイジだって簡単には倒せないだろう。
コルベールが見せた凄まじい火炎の魔法だって腕を焼くので精一杯だった。キュルケにとって、あの炎ですらはるか遠い域にある。だというのに、ルイズはたった一言の詠唱で、それを打ち倒した。
「わたしもキュルケと同じトライアングル」
もしかして、慰めてくれているのだろうか。そう考えるとキュルケは嬉しくなって、いつものようにタバサの頭を抱いた。
タバサは胸に圧迫されながらも、メガネがずれ落ちながらも、ハシバミ草を口へ運ぶ手を止めなかった。傍から見れば奇妙な光景だったが、それが分かりづらい照れ隠しなのは、キュルケもなんとなく察していた。
バルコニーの手すりに寄りかかって、ルイズは考えていた。
いつ処刑台へと送られるかもわからない『土くれのフーケ』のことである。
夜の闇を見つめていると暗い考えに囚われる。例えば、フーケの命を奪ったと言えるのは誰だろう。処刑を執行する人間か、あるいは処刑台へと送った自分か、もしくは処刑のルールを作った人間か。
自分がフーケの命を奪うとしても、貴族として自覚を持ったときから覚悟は済んでいる。
これから『土くれのフーケ』に怯える人々を救えるのなら人殺しの罪をかぶってもいい。それこそが貴族としての使命であり大義だ。相手が額を地面にこすりつけて懇願したとしても、目をそらしてはいけない。
だから、自分のことよりもこの場に居ない使い魔が気がかりだった。
使命も大義もない彼女に、どうして手を貸すような真似をさせてしまったのだろう。どんな悪意に満ちた人間であろうと、命を奪うことだけは嫌っていたはずだった。なんだかんだ言ったって、アルレットが今まで一度だって人殺しに携わったことはないことを、ルイズは知っている。
彼女はあれから優れない顔色をしていた。それはきっと、あの時自分に精力をわけあたえたせい。夕方の授業から姿を見せていないのが不安を助長する。
一方的に人の心を見通して、自分の中身は見せてくれないのは卑怯だ、と思う。
しばらく夜風にあたっていると、背後から声がかけられた。
「ルイズさま」
ルイズが振り返ると、そこには見慣れない衣装に身を包んだシエスタの姿があった。
胸元の赤いリボンが特徴的なメイド服のようなドレスだった。普段の白いエプロンはそのまま純白のフリルへと代わり、カチューシャが外れてつややかな黒髪がよく目立つ。
あっけにとられて、ルイズは見知らぬ貴族に声をかけられたのかと思った。
「どうしたのよ、その服」
「急いで街まで行って、アルレットさまが選んで下さり、ミスタ・コルベールに買っていただきました」
「よかったわね」
嬉しそうな表情のシエスタに、ルイズは釣られて笑みを浮かべた。
「でも、メイド服を着なくていいの?」
「わたしはもう、ここの使用人ではありませんから」
「そうじゃなくて……」
平民がドレスで着飾って舞踏会に入れば、貴賎に敏感な貴族に見咎められてもおかしくはない。
しかし、シエスタは気にした様子もなく堂々としていた。
「使用人のわたしの顔なんて、誰も覚えてる人はいないって。目立たなければ貴族と同じだって、アルレットさまが言って下さいました」
「……それ、ひどいんだか優しいんだか」
「怒っているんです。顔にも、口にも出しませんけど」
「確かに、皮肉をかけているのかもしれないけど」
ルイズはそんなアルレットの話を、意外に思った。
貴賎の話はシエスタが生まれるずっと前から横たわっている問題であり、構造だ。人々はそれに従って成長して、今を生きている。
彼女はあるがままを受け入れる。だから、そういった構造などに怒りを向けることはない。
あるとすれば、もっと個人的な感情かもしれない。
「ルイズさまも、そのドレス、気に入っているんですね」
「そうね。はじめは似合わないなんて思っちゃったけど」
「とってもお似合いです」
「ありがとう、嬉しい」
今度は、シエスタが釣られて笑みを浮かべた。
「そうだ、せっかくなら料理を取りに行きましょうか。今日のはなかなか食べられないわよ」
「ちょっとずるしてますけど……わたし、食べていいんですよね?」
「ええ。あの子もそのつもりで言ったんでしょう」
そうしてルイズはシエスタの横に並んで歩き出す。
バルコニーを出ると音楽が耳に近くなる。優雅に踊る生徒と、静かに食事を楽しむ生徒がいた。
食事を取ってからテーブルへたどり着くと、異空間に出くわした。もしゃもしゃと草食動物ばりにハシバミ草を頬張るタバサと、その隣で乱暴にワインをあおるキュルケの席である。
ルイズはタバサの隣へ腰掛け、シエスタも続いて横に座った。
「あの、わたし、本当にこれ食べていいんでしょうか」
テーブルに並べられたのは、普段アルヴィーズ食堂で食されているものよりずっと豪華な食事だった。シエスタはごくりと唾を飲む。
「そういうみっともない態度してたらバレるわよ」
「す、すみません……」
肩をちぢこめて謝るシエスタに、やっぱり一朝一夕で平民らしさは抜けないか、とルイズはため息をつく。
「ルイズ、もしかすると彼女ってあのメイドのシエスタよね?」
とうとう突っ込んで尋ねてきたキュルケに、ルイズは悪びれずに頷く。
顔見知りのキュルケとタバサには隠し切れないと考えて、あえてその隣の席を選んだのだった。
「あの子の差し金かしら」
「それ以外に何があるっていうのよ」
「このメイドちゃんをルイズが横取りするってパターンもあるのよ?」
「三角関係」
「タバサ、良いこと言うわね」
ルイズが呆れて隣を見れば、シエスタは会話もそっちのけで料理を見つめていた。まるで「待て」と言われた飼い犬のように熱のこもった眼差しだった。
「食べていいのよ。あんたの主人はわたしなんかじゃないんだから、好きになさい」
「……はい!」
シエスタは見よう見まねの作法におぼつかない手つきで食事を始めた。ときどき食器が音を立ててしまうのを、ホールに流れる音楽がかき消してくれた。
ルイズは軽くパイに手を付けながら、幸せそうに食事するシエスタをなんとなく眺めていた。
ふと、その向こう側に複数の男子生徒が集まっているのが見えた。何かあったのか、と目を凝らすと、見慣れた人影を見つける。
「シエスタ、ごめんね。ちょっと付いてきてくれる?」
ルイズが立ち上がって歩き出す。シエスタはわけも分からず、皿の上の料理を半分ほど残したまま急いでルイズの後を追う。
向かった先には、男子生徒が数人と、薄桃色のドレスで着飾ったアルレットの姿があった。揉めているという様子はないが、アルレットの表情は暗い。
ルイズはその中に割って入って、アルレットの腕をつかむ。
「まったく、遅いんだから」
「ルイズ」
「行きましょ。それとも、この人たちと踊るの?」
首を横に振る。ルイズは腕を引っ張って、男子生徒の集まりからアルレットを連れ出した。
「アルレットさま、ドレス素敵です。お姫さまですね」
「……ありがとう、シエスタ」
「まあ、実際にそうだったんでしょう? 似合うのも当然よね」
ルイズとシエスタに囲まれて、アルレットはほっとしたように頬を緩める。
「シエスタが選んでくれた」
「ふうん」
なら、お互いのドレスを選びあったのか、とちょっとした嫉妬に駆られてルイズは口をとがらせる。
「ルイズとシエスタのはわたしが選んだ」
「……そうよね。ありがとう」
「ふたりとも似合ってる。綺麗よ」
ルイズはそれで機嫌を直し、シエスタは思わず胸に手をやって噛みしめるように喜んだ。
アルレットの食事を取ってテーブルの席に戻ると、そこにキュルケの姿はなかった。ハシバミ草を頬張り続けるタバサに尋ねると、舞踏会らしく踊りに戻ったらしい。ルイズたちは、キュルケの分の席を詰めて、タバサの横に座った。
アルレットがシエスタに作法を教えながらふたり仲睦まじく食事をするのを、ルイズはときどき口を出しながら見守っていた。二人の皿に料理が無くなったころ、タバサがルイズに尋ねた。
「ルイズたちは踊らないの?」
「あなたと一緒よ。花よりパイやケーキに興味があるの」
タバサから親近感を得たような親しみの視線が送られる。体型のこともあったかもしれないが、花より団子のスタンスに対してである。
「ハシバミ草はいかが?」
「……遠慮しておくわ」
タバサの前に積み上げられたハシバミ草の山は、見るだけで口の中に苦味が広がるようだった。肩を落として残念がるタバサに申し訳ない気持ちになりながらも、自分には無理だと思った。
見ない間にステーキやパイの皿も増えている。そういえば、このホールに入った時点からタバサは食事をし続けている。いつまで食べ続けるのだろうか、とルイズは胃がむかむかして皿の積まれたテーブルから目をそらした。
「アルレットとシエスタは踊ったりしなくていいの?」
「わたしは、うまく踊れる気がしませんし……なにより相手が居ませんから」
そんなことはない、とルイズは思うが、もじもじと恥ずかしがっているシエスタを見ると、平民であることがすぐにでもバレてしまいそうな気がして、これ以上は言わないことにした。
「アルレットは? さっきの男たちに言い寄られてたんじゃないの?」
「……男の人は、苦手かも」
そう言って、アルレットはアメジスト色の瞳を伏せる。
「そっか、あなたは見えるんだものね。ごめんなさい」
「わたし、ルイズがいい」
「踊るの?」
「ちがう」
アルレットは立ち上がると、ルイズの手を握った。どこかへ行きたいのだろうか、と席を立つと、ルイズの腕を抱いて身体を密着させたまま、バルコニーの方へと歩き出した。
シエスタは察して、ひっそりと後ろに付いていく。
扉をくぐると、ホールから死角になっているバルコニーの端まで移動した。
「シエスタ、見張っててね」
「はい」
「ちょっと、アルレット、まさか……」
「今すぐしたいの」
体が密着した。アルレットは、ルイズの首筋に舌を這わせる。ホールから隠れた場所でおまけに見張りを付けて、それが譲歩だとでも言わんばかりだった。
ホールの騒がしさがあっても、お互いの息遣いが聞こえる距離。冷たい夜風が火照った頬を自覚させる。こんなに人の多い場所で、薄桃色のドレス姿をした愛らしい使い魔に迫られている。背徳感と甘い欲望が入り混じって、ルイズは胸が生々しく高鳴っているのを感じた。
唾液で濡れた首筋に、鋭い歯があてがわれた。ルイズは慌てて身体をのけぞらせる。
「ちょっと、待って」
「ルイズ……」
「ごめんね。このドレスだけは、汚したくないの。だから」
黒色のドレスはルイズにとって特別なもので、わずかでも汚したくなかった。アルレットの着ているドレスも、シエスタの選んだものでよく似合っている。もし着れなくなってしまったら、後悔するだろう。
「ルイズ」
アルレットは熱に浮かされたような表情でルイズの肩を抱き、桃色の唇へとキスをした。
初めは歯が当たるような乱暴なキスが、だんだんと舌を絡めるような優しいものへと変わっていく。乾いていたものが満たされていくようだった。
荒い息を吐きながら、アルレットの唇が離れていく。ルイズはどこか名残惜しいような気持ちにかられている自分に気付いて、熱くなった頬をさらに赤くに染めた。
アルレットは抱いていた肩をゆっくりと離して、ルイズの手を握る。
「ルイズは唇のほうが好きなんだ」
「……うるさい」
指先まで熱くなっている気がして、ルイズはアルレットの手をほどいた。顔を反らすと、頬を赤くしながらこっそり覗いているシエスタとタバサの姿があった。
「ちょっと刺激的」
「……なんでタバサまでいるのよ。見張りはどうしたの」
「……すみません!」
湯だったように耳まで真っ赤なシエスタは、失態を認めるように頭を下げた。見張りそっちのけで覗き見していたのだろう、とルイズは察した。
キュルケではなくタバサだったことは幸いかもしれない。そのタバサも、興味津々な様子で頬を染めていたのは勘弁して欲しかった。
「シエスタ、眠い」
ルイズに手を解かれたアルレットは、むっとしてシエスタへ寄っていった。
「朝、早かったですからね」
「部屋に連れて行って」
そう言って、シエスタの手を取る。
「続きをするの?」
頬をゆるめてだらしない表情のシエスタに、タバサが尋ねる。
シエスタは再び顔を赤くしながら、大慌てで首を横に振った。