赤いリボンが解かれ、無造作にベッドの上へ投げ捨てられた。
ゆるくなった襟から肩をはだけさせて白い肌を露わにする。鎖骨から肩口にかけて手のひらをすべらせると、シエスタは小さく身震いをした。
肩口を覆う小さな手のひらが、シエスタの体を押し倒す。
ベッドの上で仰向けになったシエスタは、心臓が跳ね上がるのを感じた。どくん、どくんと体の外へ響きそうなほどうるさく鼓動して、身動きを取ればそのまま死んでしまうのではないかと思った。
どんどん顔が焼けるように熱くなって、唾を飲み込むと口の中がからからに乾いていることに気付く。
アルレットは、シエスタのこわばった体の上に覆いかぶさった。左膝でシエスタの股下に広がるドレスの裾を踏みつけて、左手でドレスの生地の覆われた二の腕を押さえつける。突然の痛みに、シエスタは思わず声を漏らした。
アルレットはルイズに拒絶された時のことを思い出して、慌ててシエスタの肩から左手を離した。
「ごめんね」
「……平気です。いくらでも、酷くして下さい」
「シエスタ……」
ついばむような、触れるだけのキスをする。五度繰り返してから、アルレットはシエスタから顔を離した。
お互いの瞳がよく見える距離で見つめあう。シエスタの瞳は水気を帯びて潤んでいた。
アルレットは恍惚とした表情でシエスタの首元へ顔を埋めた。あらわになった白い肌の表面に何度も舌を這わせて、唾液で湿らせていく。
口元に鋭い犬歯をのぞかせたアルレットは、濡れた首元へかぶりついた。アルレットの歯が皮膚にさわる感覚にシエスタは身を硬くする。ぷつり、と犬歯が皮膚の表面を貫くと、鋭い痛みと灼熱感に襲われた。
シエスタは漏れそうになる声を堪えながら、アルレットの歯が自分の中へ入ってくるのを受け入れた。
21話『てのひら』
夜風が首元に冷たい。煌々と輝く夜空の星も、うつむいて歩くルイズの目には映らなかった。
胸の奥から、もやもやとした感情が湧き上がってくる。
この気持ちはなんだろう、と考え続けるのは、それが嫉妬の感情であることを認めたくないからだった。
あのふたりのことは、好きだとよどみなく言える。だからこそ、そんなふたりへ汚い感情を向けている自分に後ろめたさを感じる。
アルレットは、シエスタにも『する』と言った。
それは、ルイズのことが不必要になったわけでも、嫌いになったわけでもない。精力を魔法の鍛錬で消費してしまうせいで、アルレットに供給する分が足りなくなってしまっただけの話。
それに、平民であるシエスタが与えられる精力はほんのわずか。加えて言うなら、アルレットとルイズはメイジとして性質が似通っているおかげで、お互いの精力が馴染みやすいという特徴もある。精力の多さと相性の良さがあってこそ、アルレットはルイズの前に現れたと言っても過言にはならない。
シエスタにはただ少し、アルレットが生きるのに必要な分を補ってもらうだけ。ルイズが必要とされているのは今までと変わらない。
だというのに、いざあのふたりが行為を始めようとすると、ルイズはどうしようもない居心地の悪さを感じて部屋を出てきてしまった。
魔法の練習をしてくる、と平静を装ってみたものの、外に出てみれば夜も更けている。眠気もあったし、どう考えても魔法の練習をするような時間ではなかった。
煉瓦の壁に寄りかかって、首元の傷跡に手を当てる。
傷口が開いているわけでも、かさぶたがあるわけでもない。治ったはずの傷跡の上に、指で触って分かるほどの凹凸ができている。
深く付けられた傷跡は、いつまでたっても白くなってそこに残り続ける。
また、噛んで欲しい。そうしたらこのもやもやした気持ちも全部、傷の痛みになって消えてくれる気がした。
「ルイズ……?」
突然に名前を呼ばれて、ルイズは俯いた顔を上げた。そこには、ルイズよりも少し背が高いくらいの、フードで頭を覆ったローブの人影があった。
「私です、ルイズ・フランソワーズ。覚えていますか?」
フードをつまみ上げて、その面貌を月光の元に晒す。
透き通るような白い肌と、アクアマリンのような輝きを持つ瞳。みるみる幼い日の思い出が蘇ってくる。あの頃はおてんばでいじわるで、さんざん自分のことを振り回していた。親友で幼馴染のアン。
今では立派な王女として民の前に姿を見せるようになった。ずいぶん遠い存在になって、ルイズ自身も貴族として尊敬を向けている。その人がいまこの場で、自分と同じ目線で微笑んでいた。
「姫殿下……どうしてこのような下賤なところへ」
「殿下なんて、やめてちょうだい。私たち、おともだちでしょう?」
「しかし、姫殿下……」
「おねがい。私にとって、あなたは今でも一番大切なおともだちなの。宮廷には心を許せる相手なんていない。あれからずっと、ルイズだけ、ルイズだけが私のおともだちよ」
アンリエッタはルイズの手をとって、その鳶色の目を見つめた。アルレットがそう望んだように、アンリエッタも同じように対等な目線で接して欲しいと願っているのが伝わってくるようだった。
それでも、ルイズの中にある王女への憧憬や貴族としての姿勢が、ルイズの意志を押しのけてそれを許そうとしない。会話を続けようと浮かんでくるセリフは、どれも王女へ向けるかしこまった言葉ばかりだった。
黙りこんでしまったルイズに、アンリエッタは目を伏せながら言う。
「……そうよね。ルイズは、この学院でたくさんの人と出会って、素敵な使い魔と暮らしているんですもの。ごめんなさい、私ばかりが気持ちを先走らせてしまって」
「そんな、そんなこと!」
「よいのです。それよりもルイズ、こんな場所で暗い顔をして、いったいどうしたの? あなたが私をどうと思っていなくても、私はあなたのことが心配だわ」
「それは……」
アンリエッタにならば、自分の身を打ち明けることに抵抗はない。しかし、ルイズには自分でもはっきりとしないもやもやとした感情をどう伝えたらいいのか分からなかった。
「私には、言えないことかしら? それならそれで、聞きません。けれど、こんなところにいては風邪を引いてしまいます」
そう言って、アンリエッタはルイズの手のひらを握る。アンリエッタから暖かな体温が伝わってきた。
アンリエッタはそのままルイズの手を引いて、寮のある棟へ向かっていった。その後姿を見ていると、ルイズはなんだか幼い頃を思い出すようだった。
「姫さま」
「……ルイズ」
握っていただけの手のひらが、お互いに握り合う手のひらになった。アンリエッタは足を止めてルイズを振り返る。
ルイズは一歩を踏み出してアンリエッタの横に並んだ。互いに目を合わせて、ルイズは緊張気味に、アンリエッタは目を細めて穏やかに笑った。
♪
王女にあんなものを見せておいて、言い訳になるとは思わない。
忘れていたのだ。すっかり、ぽっかりと。手のひらから伝わる温度を感じて、暖かくてふわふわとした気持ちになって。寮の廊下を歩いて、いつものようにアンロックの魔法を唱えて、ノブを引いて。
だらだらと味わいながら食事をしている自身の使い魔の姿を、晒してしまった。
アンリエッタは顔を赤くしたが、ルイズは顔を青ざめた。
「まあ!」というアンリエッタの声に、ルイズは「いやあ!」と叫んだ。
つまるところ、アンリエッタに対してアルレットの事情を話すことになってしまうのだった。
シエスタは顔を真っ赤にして、ふらふらとした足取りで紅茶を淹れるために部屋を出て行った。
ルイズとアルレット、アンリエッタの三人になった部屋の中で、ルイズは意を決して洗いざらい事情を話す。その間、行為を邪魔されたアルレットはベッドでふて寝をしていた。
話を聞いたアンリエッタは、はあはあとうなずいて、なるほど、ルイズはあのシエスタというメイドに嫉妬をしていたのだ、と口に出さずに納得する。
紅茶を淹れて帰ってきたシエスタは、まだ頬をりんごのように赤くしていた。
「姫殿下、お、お口にあうかどうか、でございます」
「ええ、ありがとう」
「言葉遣いが変よ、シエスタ」
シエスタはテーブルに三つのカップを用意する。紅茶を注ぎ終わると、向かい合うような形で座るルイズとアンリエッタにそれぞれ、もうひとつはルイズの隣の席に置かれた。
「アルレットさま、紅茶を淹れました。よかったら」
「ミルク?」
「はい。アルレットさまのはお砂糖の入ったミルクティーです」
アルレットはもぞもぞとベットから身を起こして、乱れた髪のままテーブルへ向かう。王女が来訪していようと、あくまでここは自分の部屋らしい。すっかり見慣れてしまった無防備な様子で目をこすっていた。
「あの、アルレットさん。よろしければ、私の隣に座りませんか?」
「ふむ、よかろう。王女よ、同じ王族として――」
ルイズは慌てて席を立って、アルレットの口を手で抑えこんだ。
「ご、ごめんなさい、姫さま。ほら、そんなだらしない姿で対抗心燃やしても仕方ないわよ。シエスタに直してもらいなさい」
「ふふひへ」
口から手をどけて、アルレットを櫛を持ったシエスタに押し付けた。再び席へ着くと、ため息を付きながら紅茶を啜る。
アンリエッタはそんな様子を見て、くすくすと上品に笑った。
「ルイズ、昔から変わった人だと思っていたけど、まさか人間の使い魔を召喚するなんてね」
「……何もいえません」
「でも、聞いたわ。あなたがあの『土くれのフーケ』を捕らえたのでしょう? きっと使い魔もあなたが特別な証に違いないと思うの」
「わたしではなく、わたしの使い魔になってくれたあの子が特別なのです。今でも、わたしは姫さまには敵いません」
「まあ、彼女を信頼してるのね」
敵わないのは、魔法以外の部分もだった。
幼い頃、新しく買ってもらった人形をアンリエッタに横取りされても、何も言えなかったり。さっきみたいに、一歩を踏み出せずにいても優しく手を引いてくれたり。
自国の王女としての尊敬も、親友としての尊敬も、ルイズにとっては変わりなかった。
「シエスタは座らないのかしら?」
「いいえ、姫さま、彼女は平民で……」
「先ほどの話より、存じ上げています。でも、私とルイズのように、おともだちでしょう?」
ルイズは王女と同じ目線で席についている。なら、平民が座るのも同じだとアンリエッタは言う。
ちょうどアルレットの身だしなみを整え終えたところでの発言に、シエスタは立ち尽くしたままあたふたと当惑する。
「わ、わたしなんかが同席して、いいんですか……?」
「いいの。姫さまのご親切をはねのけるほうが失礼に値するわ。だから、わたしの隣、座って」
動きが固まっているシエスタと相反して、アルレットはすたすたとシエスタの元を離れて、何のためらいも見せずにアンリエッタの隣の席に着く。
仕方ない、とルイズは隣の椅子を引いた。ぽんぽん、と空席の座面を叩いて、シエスタに座るよう催促する。
こうなれば無視することの方が失礼だと気付いて、シエスタは硬い動作で恐る恐る椅子に座った。
「し、失礼いたします……」
「そんなに恐縮しないで。私、ただおしゃべりがしたいだけなの。普通の、学生みたいに。
ねえ、シエスタも、ルイズやアルちゃんと敬語なんて使わずに、自由におしゃべりしたいでしょう?」
「わた、わたしが、アルちゃ……ん」
アルレットの持つカップがソーサーと擦れて音を立てた。
「あら、ダメでしたか」
「ダ、ダメ」
ぶるぶると首を横に振る。アンリエッタは残念そうに笑った。
「あなたってよくわからないプライド持ってるわよね。アルちゃんなんて可愛らしいと思うけど」
「……ルイズちゃん」
「…………確かにダメね」
脳が拒絶反応を起こしている。自分の中で海よりも深く根付いている貴族のプライドが許さないらしい。
なるほど、アルレットの場合は魔王のプライドか、とルイズは思う。
「あら、私には?」
「アンちゃん」
「……うーん、嬉しいのだけど、なんだか」
「変ね」
よくある愛称の「アン」でいいのではないか、とふたりは考えるも、どうやら「アルちゃん」と呼ばれた彼女なりの意趣返しらしい。
そんな中で、シエスタが期待の篭った眼差しでアルレットを見つめていた。
「あ、あの……」
「おねえちゃん」
「はい!」
「アルちゃん」と呼ばなかったシエスタだけが、唯一まともらしい呼称で呼ばれていた。ニュアンスとしては姉妹というよりも年上の女性に対して用いるものだったが、喜色満面な様子のシエスタの脳内でどうなっているかはルイズからはっきりと見透かされていた。
「姉がかしこまった態度なのは妹の教育上いかがなものかしら。ねえシエスタ」
「ええと、それは……わたしがアルレットさまを妹扱いするという……あの……」
「まあまあルイズ、ふたりが可哀想だわ」
「姫さまが言い出したようなものなのに」
「そうね。ごめんなさい、アルレットさん」
幼い頃のように楽しそうな様子のアンリエッタを見て、ルイズは頬を緩める。王女として成長して、遠く触れがたい存在になってしまったと、そう思っていた。
前に座る王女ふたりと、隣に座る平民のメイド。去年までの自分ならこの状況を嫌っていたかもしれない。けれど、今はどこか居心地良く感じていた。
「ねえ、アルレットさん。今日の演奏は、いったいどこの国の曲なのでしょう? 私、とても感動しまして、たくさん投票してしまいました」
……なるほど、それで上位者に選ばれたのか。ルイズはようやく納得した。
「とても遠くの、アンジュという国の音楽家が作った曲。あまり知られてないけれど、素敵でしょ?」
「ええ、とっても。アンジュ、ということは、アルレットさんは本当に王女なのですか」
「ふふん。今は魔王」
「まあ、王さまだったの! 遠くには、まだ見知らぬ国があるのですね」
アルレットの異国の話に、アンリエッタは興味深げに耳を傾ける。ルイズやシエスタにとっても興味のある話だった。アルレットは魔族の大陸であるゲヘナとやらには胸を張って語るものの、出身らしいアンジュについてはほとんど口にしたことがない。
「曲もさることながら、綺麗な歌でした。あれも、アンジュという国の言葉なんですよね」
「うん。わたしの一番好きな歌」
「いったいどんな詞だったのでしょう?」
アルレットは紅茶で喉を潤してから、まぶたを閉じて胸に手を当てる。
ハルケギニアの言葉のまま、まるで歌うような声音で詞を口にしはじめた。
ーー穏やかな世界の中で「わたし」は泣いている。
青空のもと、緑の絨毯の上でも。それが世界で一番大きな城の中だとしても。「わたし」はたったひとり、ぽつんと佇んで涙を流している。それでも世界は変わらず、静かで穏やかなまま寄り添ってくれる。涙が止まることはなくても、「わたし」に寄り添い続けてくれる。
アルレットが口ずさんだのはそういう詞だった。
城にいたころはずっと部屋の中でピアノを引いていた、とアルレットは言う。
歌が得意になるわけだ、とルイズとシエスタは思った。
「私も、その歌が好きです。もしかしたら私たち、似ているのかもしれませんね」
アルレットは、微笑むアンリエッタの顔を覗く。
「アン。ルイズの大切な友だちなら、いつでもわたしが城の外に連れ出してあげる」
「……お城の外?」
「うん。わたしの魔法で城を抜けだして、ルイズと会うの」
「そう……それは素敵ね。時間はあっても、自由に出歩ける機会がないから。ルイズに会うということは、あなたとシエスタにも会えるのかしら?」
「そういうこと」
アンリエッタはアルレットの言葉をほとんど信じていないものの、そんな魔法があることを想像して楽しそうな表情を浮かべる。
ルイズとシエスタにはそれが嘘でも冗談でもないことが分かっていた。アルレットの魔法なら、たとえ相手が王女だとしても、時間さえあればこうして茶会に招くことが出来る。
「ねえ、アン。話していないことがあるでしょ? 話してみて」
アルレットのアメジスト色の瞳に射抜かれて、アンリエッタははっと息を呑んだ。
「わたしは凄い魔法使いなの。さっきのことも、嘘じゃない」
「……本当みたい。お見通しなのね、アルちゃん」
「だから、それヤダ」
「私たち、もうおともだちよ。それともルイズみたいに、姫さまって呼んだほうが良いかしら?」
「……もう、好きにして」
ルイズはついさっきまで抱えていたもやもやした気持ちを忘れて、そんな二人の様子を眺めていた。
好きな人同士が仲良くしていれば、なんだか心が暖かくなる。アンリエッタと同じように、いままで心を許せる相手がいなかったルイズは、そんなあたりまえのことにふと気付いた。
「今日は大切な用事が、ふたつあります。ひとつはフーケ討伐の勲章授与。もうひとつは……ある頼みごとになるのですが」
「話してください、姫さま」
「……それが、たいへんな危険を伴うのです。ですが、私に頼れるのはあなたぐらいで……」
「いいえ姫さま、姫さまのために何かできるなら、それがわたしの本望です」
勲章という言葉もそっちのけに、ルイズは身を乗り出していた。
「……ありがとう。大切な友だちにこのような頼みごとをしてしまう私を、どうかお許しください」