虚無のルイズと異世界の魔王さま   作:乙丸

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24話『ラ・ロシェール』

 朝靄の向こうから、グリフォンの大きな影が近づいてくる。

 学院の正門まで辿りつくと、ばさ、ばさと翼を羽ばたかせ、周囲の芝を風で揺らしながら地面に着地した。

 

 雄々しい鼻息を漏らすグリフォンの背から、ひとりの男が降りてくる。羽帽子と口ひげが印象的な、端正な顔立ちをした青年だった。

 長髪と貴族のマントを揺らしながら、正門の横に佇むふたつの人影へ向かっていく。

 

「ワルドさま? ワルドさまなのですね!」

「ルイズ! 元気にしていたかい? 相変わらずキミは綺麗だな」

「そんなこと……いいえ、ワルドさまこそ、凛々しいままでいらっしゃいます」

 

 ルイズの隣に立つシエスタは、不思議そうにふたりの様子を眺める。どういった関係なのだろうか、と首を傾げていると、驚くような言葉が飛び込んでくる。

 

「聞いたよ。たったひとりであの『土くれのフーケ』を捕らえたんだってね。さすがは僕の婚約者、僕のルイズだ!」

 

 シエスタはルイズに婚約者がいることに驚きを隠せず、思わず開いた口を両手で塞ぐ。

 アンリエッタから聞いた話によると、旅の同伴者はトリステイン魔法衛士隊に所属する名のある貴族の青年だという。とすると、グリフォンに乗って現れたワルドという男こそが、その彼に違いない。

 

「レディというなら、可愛らしいなんて言わないで。お恥ずかしいです」

「美しい、と言うべきだったか。すまないね。その細い体で頑張っているのが、たまらなく愛おしいのだよ」

「そんな……」

 

 ルイズは頬を赤らめながら、微笑むワルドから顔を背ける。

 魔法学院に入学して長い間会っていないはずなのに、ルイズが努力家なことを知っている。ワルドの言葉も、恋人に向けるものに近い。

 婚約者という言葉に嘘はないのだろう。シエスタは複雑な気持ちのまま、ふたりの出立を見送った。

 

 

 

   24話『ラ・ロシェール』

 

 

 早朝の、まだ朝靄が晴れない時間帯。

 されど、ラ・ロシェールは『港町』である。土地の住人は眠りの中にあっても、旅人や旅人らの出立を賑やかす行商人と船の船員たちが通りを行き交っており、町そのものはすっかり目を覚ましていた。

 

 まばらな人通りの中、ローブに身を包んだアルレットとシエスタはゆったりした歩幅で、散歩をするように景色を楽しみながら歩く。はじめこそアルレットは眠たそうな目をしていたが、土メイジの錬金によって生み出された石造りの町並みに圧倒されたようで、今では目を輝かせてあちこちに視線をやっていた。

 辺境の村で育ったシエスタも町並みに興味が抱く気持ちは同じだったが、注意散漫になっているアルレットの面倒を見ることに終始してしまっている。そもそも、アルレットがいなければラ・ロシェールを訪れることもなかったわけで、興味津々な様子のアルレットを見れただけでシエスタは満足していた。

 

 あの夜、アンリエッタがルイズにした『頼みごと』は、アルビオン王国の皇太子、ウェールズ・テューダーへある密書を届けること。密書の内容は、アンリエッタのしたためた恋文を返還してもらうというものだった。ルイズとアンリエッタは、もし恋文の存在がレコン・キスタ軍より公表されれば、ゲルマニアとの同盟関係が――などと小難しい政治の話を交わしていたものの、本来はただの召使いでしかないシエスタにとっては、まるでわからない話であった。

 ただ、アルビオンは現在、内乱状態にある。戦場へ出向く以上、自分が足手まといであり、同行してはいけない存在だということは理解している。

 

 危険な任務であるとして、アンリエッタは魔法衛士隊の護衛を寄越したものの、その護衛にアルレットの魔法を見せびらかさないに越したことはない。密命であるために、メイドに使い魔の世話をさせながら、という旅行じみた行動も控えざるをえなかった。

 護衛はアンリエッタが信頼する人物であり、単独任務そのものに慣れているということでルイズとしては心強く思っていた。

 

 そこでルイズが提案したのが、ルイズと護衛、アルレットとシエスタに分かれての別行動である。

 トリステイン魔法学院からラ・ロシェールまでの地図を確認したアルレットは、ルイズとワルドの出立の見送りから戻ったシエスタと共に、移動魔法で一足先にラ・ロシェール入りしていた。

 

「朝ごはんを食べられる食堂もあるみたいです。いわゆる、モーニングというものですね」

「お腹すいたかも」

「なら、向こうの食堂にでも入ってゆっくりしましょうか」

 

 シエスタは緑の看板を掲げた建物を指差す。店の入口あるスタンド型の黒板には、白チョークでメニューとその値段が書かれていた。

 

「わたし、トマトオムレツたべたい」

「わ……たかい」

「そうなの?」

 

 金銭感覚のないアルレットは、黒板に書かれたメニューの金額を見て首を傾げる。

 

「き、きっと……だいじょうぶ……なはず」

 

 アルレットから『たべたい』のひとことを聞いたシエスタに、退くという選択肢はなかった。ルイズから旅費として渡された財布を取り出して、中身を確認する。

 

「……たかいです、アルレットさま」

「……そうなの」

「うん……そうなの」

 

 財布には平民のシエスタから見れば目がくらんでしまうような金額が詰められていた。とたんに財布の中身がずっしりと重く感じて、手元が怪しくなってくる。硬貨のひとつひとつが鉛に錬金されたのではないかと思うほどだった。

 ともあれ、アルレットが食べたいといったオムレツも十や二十頼んでも痛くないことがわかった。シエスタは諦めたような表情をしているアルレットに微笑みかけ、ぎこちない動きで財布を懐にしまう。

 

「なんと、大丈夫、みたいです」

「……たかいのに、平気なの?」

「はい。ルイズさまの財布を預かっていますから」

 

 そう言って、シエスタが店の扉を開けようとした時だった。

 

 建物の横にある路地から、大柄の男が切羽詰まった様子で大通りへと飛び出してくる。その男は、驚いたまま固まっているシエスタの横を通り過ぎようとして、スタンド式の黒板につまづいてしまった。巨体はその場でよろめき、今にも倒れそうな様子でシエスタへと迫る。

 

「おお……とっと!」

 

 男がたたらを踏むのを、シエスタは思わず受け止めた。幸い、男は倒れることなくその場で立ち直り、苦笑いを浮かべてシエスタへと軽く頭を下げる。そして、「すまねえな!」と手を振りながら再び別の路地へと走って消えてしまった。

 

 シエスタが男が消えていった方向を呆然と見つめていると、今度は先ほどの男よりもう一回り体格の大きい巨体が、同じ路地から顔を出した。

 

「おおい、嬢ちゃんたち。こっちにやたらと大きな男が走ってこなかったか?」

「あ……ええ、はい……」

「そうか! なら、どっちへ行ったか分かるか? あいつぁ、最近やっかいな盗賊でさあ」

「はあ……向こうの、建物の横の路地を曲がって行きましたが……」

 

 戸惑いながら応えるシエスタの言葉に、男は苦虫を噛み潰したような顔で大きく舌打ちをした。

 

「チッ! 向こうじゃ、もう追えねえか。なあ、そいつとぶつかったりはしてねえよな? スリの達人だもんで、ありゃあ、身体が触れたら盗まれたと思っていい」

「え? あ――」

 

 財布を確かめるようにローブの懐を抑えると、空になったポケットの感触にシエスタはみるみるうちに顔面蒼白になっていく。

 

「どど、どうしましょう……ああ、ルイズさまに顔向けできません……こんな……」

「シエスタ……」

「……わたし、なんてこと……アルレットさまの食事も用意できない……こんなの、こんなの……」

 

 ぼろぼろと涙をこぼして泣き始めたシエスタに、男は優しい声音で語りかける。

 

「……なんだ、メシくらいならおごってやる。あんま、高い店は無理だがな」

 

 シエスタはその言葉を聞いて、顔を上げた。しかし、そこにあったのは男の顔ではなく、アルレットの後ろ姿だった。

 

 男とシエスタの間に割って入ったアルレットは、宝石のようなアメジスト色の瞳で、戸惑う男の顔を睨めつける。男は子どものやんちゃを許すような柔らかい態度で苦笑をするも、目尻はわずかに引きつっていた。

 先に口を開いたのは、視線に耐え切れなくなった男のほうだった。

 

「いったい、どうしたんだい? 嬢ちゃん」

「共犯者」

「……は?」

「ひとりはスリを働いて、ひとりは弱っている人に付け込んで窃盗、誘拐」

 

 男は怒りに表情を歪めて地面に唾を吐きかけ、アルレットの無表情を忌々しげに睨みつけた。

 

「……はん。どういう教育をしてるんだ? あーやめやめ、なんつう失礼なガキだ!」

 

 男の大声にシエスタは肩を驚かせる。男はシエスタに対しても鋭く睨みつけたかと思えば、あっさりと踵を返し、通行人にぶつかりながら大通りを去っていった。

 

 怒りを露わに声を荒げた大男と、目を腫らして泣いているシエスタという状況は、通行人の注目を大いに集めていた。

 目立ってはいけない、ということを理解していたアルレットは、シエスタの腕を引いてその場を去ろうとする。泣いているシエスタが衆目にさらされるのも忍びなかった。

 

「……ごめんなさい、アルレットさま」

 

 財布を盗られた時には、ふたりとも戸惑って何もできなかったけれど。もう一人の男からは体を張って守ってくれた。おまけに、こうして手を引いてくれている。

 シエスタはいつまでも泣いていられないと、ハンカチで涙を拭ってアルレットの横に並び立つ。

 

「ルイズは、怒らないよ?」

「……そうですよね」

 

 シエスタはできるかぎりの明るい声色でアルレットの言葉に応えた。

 ルイズが信頼して託してくれたお金だった。掠め取ってもわからないような形だったし、平民が手にすればそういう考えに至ってもおかしくはないことは、トリステインで育ったルイズならばよく知っているはずである。

 

 お金とともに、信頼も受け取っている。託されたお金を紛失してしまったことは、シエスタにとって叱責を受ける、受けないの話ではなかった。けれど、そのことはアルレットにも瞳を通して伝わっていた。

 ただ、アルレットの不器用な慰めで、シエスタの沈んだ気持ちもいくらか救われるのだった。

 

 

 

 

   ♪

 

 

 

 

「本当に、地図が手に入ればどうにかなるのかい?」

 

 早朝の、やっと朝靄が晴れてきた時間帯。ラ・ロシェールの大通りを、ローブの女性と修道服の少女という奇妙な組み合わせが歩く。

 

「はい。できれば正確な方がいいです。ここから目的地まで、ほとんど山も谷もなく行けるんですよね」

「そのはずさ。一度馬で往復したことがある」

「なら問題ありません」

 

 移動魔法が便利なものだというのは分かっていても、ここまでだとはマチルダも考えていなかった。知らない場所にも飛べるというなら、もしかすれば砂漠を超えて東方にも行けるかもしれない。東方のものを持ち帰って売りさばくことが出来れば……などと考えたところで、マチルダは首を横に振る。

 今のマチルダに、危険を犯してまで大金を得る理由はなかった。ただ、フードで目元を隠して町を歩いていると、どうにも昔の癖が出てしまう。

 

「どうか、しました?」

「……いや、なんでもない。それより、そろそろ休もう。朝食もとっていないだろう」

 

 アルビオンの森を出てからラ・ロシェールまで移動魔法を使ったものの、森を出るまでにそれなりの距離を歩いている。アニーはまったく疲れた様子は見せないが、足の細さを見れば心配になるものだった。

 移動魔法も大きく精神力を消耗するらしいし、無理をする必要もない。移動魔法のおかげで予定よりもずっとはやく目的地に到着するはずだから、ラ・ロシェールでゆっくりするのもいいかもしれないと、マチルダは考えていた。

 

「なら……あそこの、オムレツが食べたいです」

 

 アニーは緑の看板が下げられた建物を指差す。スタンド型の黒板には、トマトオムレツの文字があった。

 

「……う」

 

 そこには、盗賊業から足を洗った今のマチルダにとって渋りたくなるような金額が書かれていた。

 アニーを横目で見れば、ずいぶん期待に篭った表情をしていた。マチルダは思わず財布を取り出し、中身を確認する。

 

 ……いけなくもない。代わりに、自分はコーヒー一杯で我慢することになるが。

 

 そう考えて顔を上げたとき、マチルダの視界に突飛な光景が移った。

 

「おげっヒ!」

 

 大男が、奇声を上げながら宙に待っていた。その下では、何やら苛立たしげな顔をしたアニーが男の服を掴んでいる。

 つまるところ、アニーが男を投げていた。

 

 地面に叩きつけられて、男はさらなる奇声を上げる。

 マチルダは呆然とその光景を眺める。その細腕のどこにそんな力があるのか。いっそ物理法則を無視しているのではないかと思う。

 注目を浴びているのは当然として、この状況に拍手をする通行人まで現れる始末だった。

 

 そんな大技をやってのけたにも関わらず、アニーは息のひとつも乱さずに男を見下ろした。

 

「……危ないですから、いきなり飛び出してこないでください」

「うっわあ……」

 

 いっそゴミを見るような目とでも言うべきだろうか、アニーの目はそのくらい冷め切っていた。

 

「そこまでするかい……?」

「……財布」

「え?」

「取ろうとしてました、この人」

「……ああ」

 

 それでこの通行人の態度か、とマチルダは納得する。「よくやった!」という声まで聞こえてきた。

 

「ふうん。あんた、スリ師かい」

「そ、そんなわけあるかいな!」

 

 マチルダは地面に倒れ伏した男の前でしゃがみ込み、胸ぐらをつかみあげた。

 

「こそ泥風情がよくもこのわたしに、なあ」

 

 マチルダが振り上げた拳が、男のみぞおちにめり込んだ。男は巨体に似合わない甲高いうめき声を上げながら、えびぞりで地面をのたうちまわる。

 ふう、と息を吐いて、マチルダはローブに付いた砂を払いながら満足そうに立ち上がった。

 

「マチルダさんも、そこまでやりますか」

「わたしは舐められたままっていうのが一番気に食わないんだよ。一発くらいくれてやんないとね」

「でも、そうとう痛そうですよ?」

「そういうアニーもこいつを投げたじゃないか。この石畳なんて硬いなんてもんじゃないのに」

「……こほん」

 

 アニーは頬を染めて、わざとらしく咳払いをした。どこに照れる要素があったのだろうか、とマチルダは苦笑する。

 

「ま、スッキリしたしオムレツをたらふく頂こうか」

「……ここでいいんですか? わたしは、別の場所でも……」

 

 財布が苦しいのをすっかり見通されていたらしいものの、マチルダは涼しい顔で懐を叩いた。

 

「臨時収入さ」

「……目には目を、ですね。わたしも好きです、それ」

 

 まさかアニーに親近感を覚えるとは思ってもいなかった。案外、仲良くやっていけそうだ、と思ったが、ふたりが取った一連の行動はティファニアには絶対に見せられないと思い直すのだった。

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