虚無のルイズと異世界の魔王さま   作:乙丸

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25話『再会』

「これから、どうしましょうか……」

 

 ふたりで路地裏を歩きながら、シエスタが沈んだ声で言う。明るく振る舞おうと思っても、上手く行かないものはしかたがなかった。

 

 ルイズとワルドより早くラ・ロシェールに到着した分、任務の成功率を高めるためにアルビオンの情勢を調べあげる予定であった。恋文を返還してもらうのに、言い付かった猶予はアルビオン王室のあるニューカッスル城の陥落まで。今日一日は、酒場や書店を巡って調査に費やしても問題はない。

 けれど、お金がないため酒場にも入店できなければ、食事を取ることもままならない。ルイズがラ・ロシェールに到着するのは夕方頃の予定らしい。このまま空腹を我慢しながらルイズが到着するまで町を練り歩くというのは、アルレットを引き連れているシエスタには考えられないことだった。

 

「……一度、学院に戻ろう?」

「でも、アルレットさま、それは……」

 

 これから戦場へ赴くメイジにとって、精神力が無くては丸腰と同義である。移動魔法に費やす精神力が、移動距離に比例することは聞かされていた。

 ラ・ロシェールからトリステイン魔法学院まで、短時間で往復する負担はシエスタには想像できない。けれど、アルレットが有する精神力がそれほど多くないことは、シエスタの首元にある噛み跡が語っている。

 

「こっち来て、シエスタ」

「は、はい……」

 

 腕を引かれて、裏路地を早足で行く。アルレットは薄暗く奥まったところで足を止めたかと思うと、建物の裏口らしい木の扉をためらいもなく開け放った。

 

 そこには、明かりもなく埃っぽい石造りの部屋が広がっていた。樽や木箱が並べられているところを見ると、店の倉庫部屋なのだろう。

 アルレットはシエスタの背中を押して部屋に押し込んだ後、木の扉をそっと閉じた。

 

 窓のない真っ暗な部屋の中、シエスタの耳元にささやく声が聴こえる。

 

「……ちょうだい」

 

 返事を待たず、アルレットはシエスタの首元に手を伸ばし、乱暴にリボンタイを解く。湿った空気に晒されたシエスタの首元に、アルレットの唾液に濡れた舌が這った。

 

「今日は、たくさんもらうから」

「……はい。好きなだけ、もらって下さい」

 

 

 

   25話『再会』

 

 

 太陽が登り朝の空気も晴れてきたころ、ルイズとワルドはごうごうと風を切って飛ぶグリフォンの背にまたがって、『港町』のラ・ロシェールを目指していた。

 

 ルイズがアンリエッタから言い付かった密命は、戦場を越えてアルビオン軍の将・ウェールズの元へ赴き、アンリエッタのしたためた密書を手渡すこと。生半可な覚悟で挑めば命を失いかねないし、覚悟を背負ったところで生きて帰れる保証もない。

 アンリエッタやシエスタの前では平静を装っても、アルレットには緊張を見透かされているに違いない。昨夜、寝付けなかったせいでルイズの目元にはうっすらと隈が浮かんでいた。

 

「驚いたよ。あの『土くれ』を下したルイズが、まだラインメイジだったなんてね」

 

 ワルドの言葉に、ルイズは今日何度目かの作り笑いを浮かべた。

 ルイズがワルドの背に掴まっている以上、ワルドにルイズの表情は伺えないものの、そうでもしないと暗い声で相槌を打ってしまいそうだった。

 

 久々の再会だからか、ワルドはルイズに対して饒舌に質問を続けた。実家のことから、学院の授業のこと、そして特にワルドが興味を示して尋ねたのが、ルイズの魔法のことである。それに対してルイズは学院長からの進言通り、目覚めたばかりの火と風のラインメイジでまだ自分の魔法に関して詳しくないと回答を濁した。

 

 加えてワルドは会話のために、グリフォンに騎乗するふたりの周囲の音を遮断し、無風の空間を作り上げていた。風の抵抗を受けないことからグリフォンの乗り心地も改善されたものの、ワルドは魔法学院を出発してから魔法を使用し続けていることになる。

 これから戦場へ赴くというのに、会話のために精神力の無駄遣いをしていいのだろうか、とルイズは不安に思う。ただでさえ初めての任務で、命がけと言ってもいい内容だというのに。

 それほど自分のことを想ってくれていたのか、と考えるも、それにしては会話の内容が表面的な印象があった。帰省した実家で優しく話を聴いてくれる姉の姿よりも、どちらかといえば厳しい表情で学院の成績を報告させる母の姿が思い浮かんでくる。

 

 ――幼いころの憧れは、いったい何だったのだろう。

 ワルドの背中で作り笑いを解くと、不安と緊張が溜息になって口から漏れた。

 

 そんなルイズの様子を知らずに、ワルドは上機嫌なままルイズに質問を投げかける。

 

「それで、ルイズはどんな使い魔を召喚したんだい? 今日は連れてないみたいだが……」

「それは……ちょっと風変わりで。姫殿下から聞き及んでいるとばかり、思っておりました」

「ああ、アンリエッタ姫殿下からは昨晩に簡易の命令書を受け取っただけだからね。で、風変わりというのはいったい?」

「えっと……」

 

 追求するように投げかけられたワルドの問いに、ルイズは言いよどむ。

 素直に答えたとして、はたして信じてもらえるだろうか。メイジを使い魔にしたことは、ルイズの召喚の儀を見てきた同級生ですら、未だに半信半疑であるのが現状だった。

 

「……あの、風変わりというのは、種族がわからないという意味で」

「ふむ……なるほど。今日、連れていないということは、あまり足の速い生物ではないみたいだね」

「ええ、そうなのです。それに、グリフォンでの長旅をさせるには心配で」

「まだ幼いというところか。ふむ、未知の種族というが、ルイズの使い魔なら将来は期待できそうだね。

 もしかすると、既に絶滅したはずの韻竜だったりするかもしれない」

 

 ルイズは誤魔化すように笑う。今朝からワルドに対する憧れは薄れていたものの、平然と嘘を吐けるほど蔑ろにできる存在ではなかった。

 

「……そうだ、ルイズ」

 

 今まで明るい様子だったのが、ワルドは一段トーンを落としたような声音で背後のルイズに呼びかける。

 

「なんでしょうか? ワルドさま」

 

 ルイズが返事をしてから、ワルドは考えこむように黙りこんでしまう。何事だろうか、とルイズは身構えながら、ワルドが口を開くのを待った。

 やがてワルドは、不安定なグリフォンの上で危なげなくその場を振り返り、中腰の体勢のままルイズへ向き直った。

 

「僕のことは、いまでも好いてくれているかい?」

「……それは」

 

 許嫁と言っても、正式に取り付けたものではない、いわば口約束だった。

 幼いころには、ルイズ自身もそれに悪い気はしていなかった。けれど、結婚を真剣に考えられる年齢になって、あの頃から環境や考え方が百八十度変わって……まだ、考え直したいという気持ちになっていた。

 

 ワルドの問いに対する答えは決まっている。けれど、相手は幼い日の憧れだった男性。拒絶をして、このまま嫌われても構わないとは、どうしても思えない。

 何か、なんでもいいからその場をごまかそうと、ルイズがワルドの顔を見上げたとき、すでにワルドは前を向いてグリフォンの綱を引いていた。

 

「いや、いい。目を見れば分かる……そうか、やはりそうか」

「ワ、ワルドさま? わたしはまだ答えておりません」

「ルイズ、きみは優しいな。けれど、これだけ会っていなかったんだ。気持ちが薄れていても仕方ないさ。

 だから、これから……これからは、もっと僕の傍にいてくれないか。そうして、気持ちの整理がついた日にはどうか僕を選んで欲しい」

 

 真剣な声色を帯びたワルドの言葉に、ルイズは顔が熱くなるのを感じた。ほとんど異性に言い寄られたことのないルイズにとって、初めての経験だった。

 魔法を失敗して叱られてばかりいた幼少のころ、ワルドの優しい声と大きな手のひらに励まされた記憶が蘇ってくる。思えば、その記憶は学院生活での心の支えだった。

 

 恋愛についてはわからない。けれど、人を想っていたことはある。

 姉のカトレアと、幼なじみのアンリエッタ。そして大きな暖かさで包んでくれる、許嫁のワルド。つい最近まで、そのたった3人を想っていた。

 学院に入る前も、入った後も、何もかもうまくいかなかった。魔法の使えない貴族に、人は寄ってこない。ひとり苦しみながら杖を振るだけの日々を経て、向けられていた過去の優しさが、ますます尊いものへと変わっていった。

 

 今のルイズの中でも、ワルドにもらった優しさは大切に抱きしめられている。

 

「ワルドさま、わたし……」

「いいんだ。急いで答えを出さなくても。今でなくとも、これから僕のものになってくれれば……」

 

 ルイズは言いかけた口を閉じて、そのまま黙りこんだ。

 「僕のもの」――その言葉に、ルイズは言いようの知れない違和感に襲われた。それは、ワルドの独りよがりな言葉のせいかもしれないし、すでにルイズの心を占める存在があったからかもしれない。

 ただ至極単純に、ルイズは今の自分がワルドのものになるところを想像できなかった。

 

 ワルドは、黙りこんだルイズに対して何を思ったのか、明るい声音で続ける。

 

「さて、ラ・ロシェールまでもう一息だ。まだ時間に余裕はある。せっかく訪れたんだから、少しくらいの観光も許されるだろう。どこへ行きたい?」

「……ええ。でも、わたしにラ・ロシェールの町はわかりません。ワルドさまに任せます」

「そうかそうか。レディのエスコートをするのは僕の勤めだったね」

 

 そう言ってワルドは小さく笑みをこぼした。その笑みに、ルイズはどこか寂しさを感じていた。

 

 

 

 

   ♪

 

 

 

 

 シエスタは同じ轍は踏まぬという思いで、アルレットを引き連れながらラ・ロシェールの大通りを歩いていく。

 例によって他人の財布を預かったために、重責を感じずにはいられなかった。人とすれ違うたびに緊張を強いられながら、懐に入った財布を両手で庇いつつ周囲に気を配る。初めの頃と違って、シエスタに町並みを眺める余裕はなかった。

 

 あれから学院に戻り、アルレットがシエスタを連れて向かったのが、コルベールの部屋である。挨拶をしなければとしどろもどろになるシエスタを置き去りに、アルレットが落ち込んだ顔で金銭をねだると、コルベールは苦笑しながら「ふたりで楽しんできなさい」と財布をまるごとシエスタに手渡したのだった。

 その姿がどことなく『姪っ子に小遣いを渡す叔父』のように見えたことについては、すでにシエスタの胸の奥にしまわれている。

 

「……たまごサンド、食べたいんですか?」

 

 シエスタは手元で財布をかばいながら、アルレットの視線を追う。ブラウンのペンキが塗られた看板の下、壁がけのメニューボードには『たまごサンド』の文字があった。

 アルレットはいかにもという表情で、悩ましそうに黙っている。

 

「オムレツはやめて、あの店にします?」

「……あ」

 

 自分の中で結論が出たようで、アルレットは店のメニューボードから視線を外して前を向く。

 

「やっぱり、オムレツが食べたい」

「そうですね、お預けでしたし」

 

 アルレットは空いたお腹をさすって、ふう、と息を吐く。

 財布を盗まれたのが飲食店を探していた最中のことだったために、ふたりの空腹はことさら進んでいた。

 

 石造りの建物群は壮観でも、ラ・ロシェールは広いわけではない。元来た場所、緑の看板を掲げた店までたどり着くのに、ほとんど時間はかからなかった。

 さっさと店の扉をくぐるシエスタの後を、アルレットは期待の表情で続く。

 

 店内に入ると、気の良さそうな中年女性が、店奥の厨房から顔を出す。

 

「いらっしゃい。空いてるから、席はお好きにどうぞ。旅人さん」

 

 値段の高い店、ということでシエスタは若干の緊張をしながら、女性に頭を下げた。

 客から頭を下げられたからか、女性はおかしそうな笑みを浮かべながら厨房へ下がっていく。シエスタは顔を上げると、座る席を選ぶために店内を見渡した。

 

 空いているという言葉通り、客といえば修道服の女性とローブ姿の女性という奇妙なふたり組がいるくらいである。

 それなら座る席はアルレットに決めてもらおうと後ろを振り返るも、そこには誰もいなかった。

 

「あ、あれ!?」

 

 窃盗の次は、もしかして誘拐――という嫌な考えが浮かんだところで、アルレットの姿は簡単に見つかった。

 

 店内にいた唯一の先客、修道服とローブのふたり組。アルレットはシエスタの元を離れて、そのふたり組と会話をしているようだった。

 何かトラブルでも起きたら大変だと、シエスタは慌ててアルレットの元へ駆け寄る。

 

 そんな心配もよそに、アルレットと会話を交わしていたふたり組の表情は明るかった。それよりも気にすべきことがある。

 ふたり組のうち、ローブを身にまとった女性に対して、シエスタは驚愕のあまり呆けた顔で尋ねた。

 

「……あの……もしかして、ミス・ロングビルですよね?」

「見れば分かるだろう。ただ、その名前を口に出されると困るんだけどね」

「も、申し訳ありません!」

「こらこら、余計に目立つ」

「この店、誰も入ってませんけどね」

 

 マチルダの言葉に、修道服の女性がコーヒーを片手にすました表情でツッコミを入れる。

 

「そちらの方は?」

「旅の連れさ。いや、わたしの方が連れだったかね」

「……アニーといいます。アニー・オブ・アンジュ。あなたは?」

「アンジュ……」

 

 シエスタはアニーの問いに答えることなく、呆然とする。それからはっと我に返り、慌てて言葉を返した。

 

「すみません! わたしは、シエスタと申します、使用人をやっております」

「よろしくお願いします、シエスタさん。名前のとおり、わたしは挨拶もせずそこで縮こまっている彼女の義妹です」

「義妹……い、いもうと……?」

「ええ」

 

 シエスタは驚いて、テーブル脇に佇むのアルレットに視線をやる。どちらかといえば、アニーの方が姉に見えるのだが、それはアルレットの容姿が幼いせいだろう。うつむきがちに黙りこんで、ちらちらと横目でアニーの様子をうかがう様も、どこか妹然としている。

 

「アルレット、わたしのとなりに座ってください」

 

 アニーはうつむいたままのアルレットに声をかける。慣れたような指示の仕方だった。アルレットは不安げな表情で、アニーの横に座った。すこし肩をこわばらせながら、両手を膝の上に置く。

 

「無事でよかった。急に、いなくなったから……」

 

 アニーの声は、はっきりと分かるほど震えていた。そしてアニーはそっと腕を伸ばして、アルレットのひざ上に置かれた手の甲に、自分の手のひらを重ねあわせる。

 

「心配しました」

「……ごめんなさい」

 

 アルレットはなにか悪いことをしてしまった子どものような表情をして、気まずそうに目を伏せた。

 

「……あの、わたしも失礼してよろしいですか?」

「ああ、構わないよ」

 

 微妙な空気感の中、シエスタはいそいそとマチルダのとなりの席に腰を下ろすのだった。

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