虚無のルイズと異世界の魔王さま   作:乙丸

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29話『天秤』

 ラ・ロシェールの誇る空の港、世界樹の枯れ木。

 その幹に穿たれた穴をくぐると、内部には巨大な空洞が広がっている。階段が内壁に沿うように上へ上へと続いており、それぞれのフネへ向かうための出入り口が並んでいる。

 桟橋は世界樹の巨大な枝そのものだ。フネはその枝の先に、実るように停泊している。

 

 悠長に階段を登っている時間も体力もない。ワルドを先頭に、フライの魔法で目的の桟橋まで飛んでいく。

 平民のシエスタはといえば、アルレットと共にカラスのような生物にまたがっていた。世界樹の空洞にたどり着いた際に、ワルドが魔法の使えないシエスタを背負って飛ぶことを提案したものの、あるじのアルレットが断固として断り、代わりに用意した飛行手段である。

 カラスのような、と言っても、大きさはその10倍はありそうなもので、横を飛ぶマチルダは子どものように怯えていた。

 

「……ねえシエスタ、それ本当に大丈夫? 落ちたりしない?」

「は、はい、ルイズさま。乗り心地は、とても良いです……」

「……そう。それは良かったわ」

 

 アルレットの背にひしとしがみつくシエスタに、ルイズはひきつった笑みを浮かべた。

 

 

 

   29話『天秤』

 

 

「にしても、今のアルビオンに急ぎの用事とはねえ」

「詮索はよしてくれたまえ」

 

 船長の言葉に対して短く言い放つ。

 拒絶の態度とともに踵を返し、ワルドは甲板の金属を踏みながら客室へと帰っていった。

 

 すでに賃金は支払い済みだ、という支配者の態度。この朝靄の中を航行している『マリー・ガラント』号の船長は、それでも文句の一つも口にする気はなかった。

 なにせ、彼の手に握られているのは金貨数十枚はくだらない価値のダイヤモンド。急な航行を受ける代わりに、依頼主のワルドから受け取った前払いの報奨だった。売値を船員全員と分け合ったとしても、平民である彼らにとって向こう一年は生活に困らないほどの金額になるだろう。

 

 

 雲間から冷たい風が吹きすさぶ。

 デッキの手すりに両手をついて空を見下ろす。フネは高度を上げて、やがて世界樹の枯れ木も遠くになった。

 室内用の植木ほどに小さくなった大樹を眺めながら、ルイズはぽつりとつぶやく。

 

「綺麗なんだけど……ね」

 

 世界樹の枯れ木。根本から見上げても、その天辺が見えてこないほどに巨大だ。だというのに、この旅で感嘆の二文字を覚えることはなかった。

 思えば、壮観なラ・ロシェールの石造りの町並みも、まるでくすんだ灰色の石畳を前にしているような無関心さで通り過ぎていた。

 

 嘘みたい。

 この先のアルビオンに、戦場が広がっている。今しがた、ラ・ロシェールの小さな戦場を越えてきたこともそう。

 そう、ルイズは独りごちる。どこか、目の前に写ってきた景色と、これから目にするものを信じきれない。

 

 今まで過ごしてきたのは、貴族の温室。

 騒がしいと言っても、生徒のくだらない談笑がせいぜい。不快な匂いのある場所なんて、奇妙な薬品が置いてあるコルベールの研究室くらいなものだ。

 戦場には、柔らかな天蓋付きのベッドも、メイドが配膳してくれる暖かな食事も無い。刃物が削ぐのは死んだ動物の肉ではなく、同族の血肉。

 

 ルイズ自身に覚悟がないわけでも、温室の環境に依存していたわけでもない。むしろ、戦場を歓迎する感情すらあった。

 

 戦場は、貴族としての栄誉をつかむ場所だと考えていた。生まれてから最近まで、一度として戦いによる流血を忌避したことはない。戦果を上げれば、胸の内で育て続けてきた自分だけのプライドを、意味のある尊厳へと昇華できる。

 そんな、命を輝かせるための場所。

 名誉のため、といえば自分本位に聞こえるかもしれない。ただ、名誉には結果が伴う。多くの人間を救い、国に報い、未来に希望を示したこと。それは、大切な人を守ることにも繋がる。自分のためであれ、他者のためであれ、栄誉をつかめる人間が手を伸ばさない理由はどこにもない。

 持たざる者だったルイズにとって、なおさら特別な意味を持っていた。

 

 ただ、どうしても、今この時。栄誉を与るためのこの旅を考え直さずにはいられない。

 頭をもたげる。あまりにも不釣り合いだと、心が拒絶している。――アルレットと、シエスタのこと。

 

 どうして、あの無垢な顔に返り血を塗らなければならないのだろう。「私」という存在が、必要とされてしまったのだろう。

 理由はわかっている。あの「ゼロのルイズ」のままであれば、誰からも必要とされなかったのだから。

 

 力を持つものの責任。

 生まれ持って責任を背負っていたわけではない。自ら望んで力を手に入れて、責任を背負い込んだ。

 

 そのために、この戦場に不釣り合いなふたり、アルレットとシエスタがいる。

 不釣り合い。ふたりを見ていると……あの貴族の温室で流れている緩やかな時間に、身を置いているような気分になる。こんな時だと言うのに。

 それを壊して、血の臭いに触れさせるのは、他ならぬ自分自身で。

 

「ルイズ――」

 

 いつのまにか、その人が隣にいた。ルイズと同じ姿勢で、もう見えなくなってしまったラ・ロシェールの方を眺めている。

 

「……アルレット。シエスタは?」

「疲れてすぐに眠っちゃった」

「そっか……そうよね、精神的な疲労も相当なはずよね」

 

 貴族として育てられたルイズには、覚悟の伴った精神がある。くらべて、ただの平民として長閑な村で育ってきたシエスタの精神に、戦場に対する心構えや覚悟が備わっているはずがない。

 

「ねえルイズ、その手……」

「え……? あ、これ……そういえばあの時、やけどしちゃった」

 

 痛みなんて忘れていた。『女神の杵』亭から港へ向かうまで必死だったし、それからは考え事で頭がいっぱいだった。

 盗賊の放った火矢が土メイジの錬金した油に触れて、火柱をあげた時。今思えば、火傷したのが右手だけでよかったとも思う。一歩間違えれば命を落としていてもおかしくない。

 

 爛れた皮膚に目を向けると、今になって痛みが蘇ってきた。やけどはそれほど酷くないものの、無視できるほど小さくもない。

 

「冷やしておいたほうが良かったわね……いえ、そうだわ。水の魔法使えば」

「ルイズ……」

 

 アルレットがルイズの焼けただれた右手を両手で優しく包む。

 白く透き通った、すべやかなアルレットの手。包み込んだてのひらから、治癒の魔法が施されているのを感じる。

 ただなすがままで、きれいな手だな、なんて馬鹿みたいに考えていた。

 

「もう、いたくない?」

「……うん。ありがとう、アルレット」

 

 両手が離される。自分を見る……心配そうに眉を寄せる、きれいな顔。

 整っているとか、造形が美しいとか、そういう意味の「きれい」じゃない。例えば、透明な澄んだ水を蓄えた湖が、陽光を反射してきらきらと光っているような。

 それでいて、こんなに暖かな温度を持っている。――きれい。

 

 ワルドの言葉を思い出す。

 

 ――変わったね、ルイズ。昔のキミはあんなに負けず嫌いだったのに

 

 変わった。魔法の力を希求して、泥沼の中でもがいていた頃とは、見える景色も違う。

 

 ――ああ。ずいぶん柔らかくなった。まるでキミの姉――カトレアみたいだ

 

 憧れていたし、その言葉を聞いて全身が沸き立つような喜びを感じた。

 体の弱いカトレアが魔法の力を振るうことはめったにない。けれど、彼女は人に与えることができる人間だ。ハンディによって他人にかける苦労より、いつでも彼女が与えるもののほうが大きい。

 あんな人になりたいと思いつつも、ルイズはそうなれなかった。だからこそ、あんなにも魔法の力を求めた。その隙間を名誉で埋められるようにと。

 

 でも、もういい。ルイズは頷く。

 召喚した使い魔が本当にもたらしてくれたのは、魔法の力ではない、もっと別のものだった。

 

 この旅の途中でようやく気づいた。魔法の力を求めれば求めるほど、アルレットとシエスタの居場所が汚れていくこと。

 アルレットがルイズの精力を奪うことは魔法の邪魔立てにしかならず、引け目を覚えずにはいられない。ルイズのそばにいれば、ふたりは血の臭いを嗅がずにはいられない。

 

「アルレット。いっておくけど、使い魔の契約は死ぬまでだからね」

「うん、しってる」

「それとね、決めたから。わたし」

 

 ごめんなさい、と心の中で謝る。それは、今この場所にいない人たちへ向けてのもの。

 ルイズはアルレットの方へ向き直る。それを受けて、アルレットはゆっくりと振り向き、目を合わせようとする。

 

「あのね――」

「おい、あの船、もしかして……」

 

 ふと聞こえた船員の言葉に、ルイズとアルレットのふたりはフネの進行方向を振り返った。

 

 そこに異変があることは目を凝らさずとも分かった。

 雲間から覗く、巨大な黒い船体。その風体だけで異質さは十分だった。加えて――

 

「旗がない! ありゃ空賊船だ!」

 

 一人の船員が叫ぶと、甲板がにわかに騒がしくなる。

 黒いフネの船体は『マリーガラント』号よりも遥かに大きく、接触すればそれだけでこのフネは風に飲まれかねない。下手に抵抗すれば乗員全員の命が危うい。

 

 空賊の目的はフネの積み荷と乗船している貴族の身柄。おとなしく彼らに従い、それらを引き渡せば、乗員の命は助かるかもしれない。

 しかしその選択は、アンリエッタから託された密命を放棄することになる。

 

 意識せずともルイズの右手は懐に伸びていた。

 手によく馴染む。強く握った杖を、黒いフネへ向けてゆっくりと突きつける。

 

「僕にはどうすることもできない。ルイズ、君にはできるのかい?」

 

 さすが非常時にも動きが早い、とルイズは横を見る。客室に戻っていたはずのワルドが腕を組んで黒いフネを見上げていた。

 スクエアメイジもひとりの人間でしかない。ひとりで到達できる限界というのは、人が想像するよりずっと低い位置にある。

 

「……はい、できます」

 

 それでも、できるはずだ。フーケのゴーレムを打ち破った魔法なら、フネのひとつくらい撃墜するのも。

 丸2日間はアルレットへ力を渡していないため、大きな魔法を放てるだけの力も残っている。

 

 杖を握る手がかすかに震える。自分の中に迷いを感じ取って、それでもやらなければと頭を振り、精神力を指先に募らせていく。

 マントの裾が引っ張られる感触がした。誰か、なんていうのは、振り向かずともわかる。

 

 目があった。奥深く黎明色をたたえた瞳に、意識を鷲掴みにされる。

 

「平気よ。あのフネ、きっと空賊じゃない」

「……え?」

「なんだか、変装してる」

 

 アルレットは黒いフネへ視線を向ける。近づいてきたとは言え、あまりにも遠い距離。しかし彼女にはすべてが見えているのだろうと、ルイズは納得する。

 

「……ルイズ、無理しないで。わたしを頼って」

「けど、これはわたしが任されたことだから……」

「あのままフネを落としていたら、人が死んでた。わたしを頼ってくれたら、そんなことにはしない。ルイズが悲しむことにはならない」

「……それは、でも」

 

 迷惑をかけたくない。大切に思えばこそ、頼れない。もしどうしようもなく、人を傷つけなければならないなら、それはアルレットではなく自分の手で行うべきだ。

 今回はたまたま、アルレットが解決策を持っていただけ。

 

 そう、ルイズは意地を張る。……けれどそんな意地なんて、人の命の前では些細なことだ。わかっている。

 

「……アルレット。変装してる、っていうのは本当なの?」

「うん。貴族らしい貴族だから……たぶん、あれはアルビオンのフネ」

「なるほど、それならば納得がいく」

 

 状況を見守っていたワルドが言う。

 

「この時間、僕らは無理を言ってフネを出してもらっているに過ぎない。それなのに、この時期と時間、こうして出くわしてしまうことがそもそもおかしいんだ」

「空賊だからこそ、こんな時間に忍んで飛んでいるとは考えられませんか」

「フネを飛ばすのもタダじゃない。ああまで立派な船体を空に浮かべているんだからなおさらだ」

 

 略奪目的の航行も、無駄足なら大損失。この時期と時間を選んで空賊が航行するはずがない。

 

「さて、鬼が出るか、それとも仏が出るか……」

 

 鬼なら既に出てしまったが、とワルドは船室の方を睨めつけて内心で吐き捨てる。船室にはマチルダやアニー……彼の分身を打ち倒したふたりが空賊の襲撃に備えて身を潜めていた。

 そんな様子を見て、ルイズの漠然とした不安がくすぐられる。

 

「ルイズ。大丈夫だから、もどろ?」

「……ええ。疑ってなんかない」

 

 何か考え事をしているようで、ふたりの会話にワルドは反応を示さない。

 アルレットはルイズの手を引いて、船室へ足を向ける。きっとシエスタの紅茶を楽しもうなんて考えているのだろう。そのマイペースさが、心を落ち着かせてくれた。

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