『マリーガラント』号の船室ロビー。
ルイズ一行はいかにも賊一味、という風貌の空賊らに囲まれていた。
甲板にいたワルドや船長の姿は見えない。おおよそ拘束されて別の部屋へ運ばれているのだろう。このフネが空賊の手に渡ってしまったことは、その場にいる誰もが察した。
空賊の長らしい赤バンダナの男は無精髭を弄くりながら、ニタニタと下品な笑みを浮かべて言い放つ。
「このフネは丸ごと買い取った! 代金はお前らの命だ、文句ねえな? 貴族のお嬢さん方」
目を凝らせば、この男の触っている無精髭……偽物だ。アルレットの言うとおり、フネを占拠している空賊は変装した貴族の集団らしい。
アルレットと顔を見合わせて肩をすくめる。こみ上げてくる笑いをこらえながら、ルイズは杖を放棄して両手を上げた。
30話『皇太子』
ロビーの広いテーブルに紅茶のカップが6つ並べられる。シエスタを除くルイズ・ワルド一行と男の分。茶菓子は無いものの、この一室が貴族の館にすり替わったような状況だった。
給仕を終えたシエスタが、アルレットの斜め後ろへ静かに待機する。
「はっはっは! さて、どこから話したものか。それに懐かしい顔まで」
こりゃ一本取られた、とあっけらかんとして笑う空賊の長……もとい、貴族の男。
バンダナや付け髭を捨てて変装を解いた彼は、美しいブロンドと整った目鼻立ちをしていた。紅茶を口に含む動作ひとつとっても、平民には決して真似できない気品に満ちている。まじりっ気のない温室育ちの匂いがした。
「まずは……すまなかった。演技とはいえ、脅すような真似をしてしまったことを詫びよう」
男は席を立ち、ルイズらに向かって頭を下げる。彼の正体はわからずとも、公爵家育ちのルイズが恐縮を覚えるような流麗な所作だった。
「あ、頭をお上げ下さい。我々は密使なのですから、王党派の方々が怪しむのも当然ですわ」
「こうして貴族派の補給を断つ作戦だったんだ。もう貴族派に、そんな小細工は意味ないと分かっているのだがね。僕はまだ戦わなければならない」
「ウェールズ殿下、この子らは気にするような子たちじゃないよ。もうよしなって」
「……マチルダ」
その言葉を受けて、ウェールズと呼ばれた男は素直に引き下がり、席に着いた。
聞き間違いだろうか、とルイズは耳に残った言葉を復唱する。
「うぇ……うぇーるず、でんか……」
……ウェールズ殿下。アルビオン王国、皇太子。
「そう、ウェールズ殿下。まさか空賊ごっこしてるところに出くわすなんてね、ほんと、どうなってるんだか」
「いやあ、恥ずかしいところを見られたよ。久しいね、マチルダ」
「しししし失礼いたしました! わたくしっ、知らず知らずのうちに失礼を!」
今度はルイズが立ち上がって、勢いよく頭を下げた。そのつむじと真っ赤な耳を前にして、ウェールズは微笑ましいものを見るように笑みを浮かべる。
「畏まらなくていいんだ、勇敢な大使殿」
「しし、しかし!」
「アンリエッタの命とは言え、よくぞここまで足を運んでくれた。僕はその勇気に敬意と感謝を表する」
「……ウェールズ、殿下」
「アルビオン王家の名にかけて、無事にトリステインへ帰すことを誓おう。すでにその名も失墜せんというところだがね。だからこそ、最後までこの尊厳を守り通さねばならない……命に変えても」
戦を諦めたような将の言葉。しかし、その瞳の力強さに思わず見惚れてしまいそうになる。
ルイズが強く焦がれていた、気高い貴族の姿がそこにあった。
「ほら、ルイズ」
「……あっ……」
我を忘れて立ち尽くしていた。ワルドに促され、ルイズは頬を染めながら席に座り直す。
「はん、やっぱり亡命する気はないんだね。ウェールズ殿下」
「当然だよ。そういう君は、どうやらトリステインの人間になったようだね」
「いいや。ただ、それもいいかもしれないね。この子らのこともあるし」
そう言ってマチルダはアニーとアルレットに視線をやる。
マイペースに紅茶を楽しんでいるアルレットの後ろで、シエスタがあっけにとられた様子で口を開いた。
「マ、マチルダさんて、アルビオン王家の方とお知り合いだったんですね……すごいです」
「わたしは元々こっちの貴族なんでね。サウスゴータなんていう立派な名前もあったが、今じゃあんたと同じただの平民さ。畏まらないでおくれ」
「はい、心得ております」
臆さずに笑みを浮かべるシエスタに、ルイズは「シエスタも成長したなあ」なんて感心する。普段から元・王女のアルレットを付きっきりで世話したり、ルイズと同じ部屋で暮らしたり、アンリエッタとの茶会に同席したりと平民では一生縁のないような経験を積み重ねてきただけあるかもしれない。
ウェールズがかちゃり、とティーカップをソーサーに置く。
王族にだけ許された、場を支配する間合い。その場にいる誰もが、彼が何かを話そうとしていることを感じ取り、意識をそちらへ向ける。
「さてさて、密使殿にご用向きを伺おうか。あまりにも特殊な邂逅だっただけに、本来の要件が遅れてしまった」
「……はい。この、アンリエッタさまからの封書を読んでいただければ――」
♪
長いアルビオン王国の歴史が終焉を迎えようとしている。
兵の数は王国軍が三百、対して反乱軍は五万を下らない。アルビオン王族の首はまもなく跳ねられるだろう。形勢はすでに貴族派の勝利に大きく傾いている。
アルビオン王国の内戦は、王党派と貴族派の間にある内紛である。
王党派、つまりアルビオン王室が払拭しきれなかった内憂が、貴族派の反乱という形になって、彼らに鉾を突き立てている状態。
貴族派が王党派を追い詰めたという事実はもはや覆しようがなく、国王であるジェームズ1世の汚名が雪がれることはない。もはやアルビオン王室が国政を立て直すことは困難である。
内戦がいくら長引こうとも。王党派はすでに敗北している。
ニューカッスル城、アルビオン王国の誇る華やかな要塞。ウェールズに連れられ、その絢爛な廊下を歩く。
「ずいぶんとのんびりしているのね。この城の人間たちは」
アルレットがぽつりとつぶやく。それに対して、ウェールズは小さく笑みを浮かべるだけだった。
ルイズはアルレットが王族の人間に失礼を働かないか気が気でなかった。使い魔の失態は主の責任、ということは、春の召喚の儀から幾度となく思い知らされている。ことが外交問題及ぶ可能性があっては、神経質にならざるを得なかった。
件の恋文はウェールズの居室にあるという。ルイズとアルレットは、それを懐に預かる目的で、彼の居室へ向かっている途中だった。
今はちょうど昼食の時間。「旅の付き添い」扱いである他の4人は今ごろ、きらびやかなシャンデリアのもとで饗されている頃だろう。アルレットがこっそりシエスタに付いていこうとしたところを引き止めたのはもちろん、ルイズだった。
「まさか、恋文のひとつが、大きな問題になりかねないなんてね。僕もうっかりしていた」
トリステインとゲルマニアとが同盟を結び、ハルケギニアを脅かしている貴族連合レコン・キスタから互いの国を守る。そのために、アンリエッタとゲルマニア皇帝の婚姻関係が必要だった。
そしてその大切な婚姻関係にヒビを入れかねないのが、アンリエッタがアルビオンの皇太子ウェールズへしたためた秘密の恋文。ニューカッスル城を貴族派の反乱軍に乗っ取られれば、その恋文は公のものになるだろう。というのも、レコン・キスタがアルビオンの貴族派から起こった組織であり、レコン・キスタそのものだからである。
「ええ……王族というのは、なんでもできるように見えて、恋のひとつも満足に……」
自分の知る王族、アルレットやアンリエッタを思い出して、ルイズは目を伏せる。彼女らも、耐え忍ぶ役割ばかりを背負わされてきた。
「同情してくれているのかい? 彼女に……僕の愛しいアンリエッタに」
「はい……いえ、同情だなんて、失礼にあたるかもしれません」
「いいや、それでいい。アンリエッタもこれから先、こらえなければならないことも多いだろう。だからせめて、気持ちを汲み取ってあげて欲しい。……汲み取られることのない気持ちは、いつか錆びついて歪んでしまう。ガリアの彼のようになってはいかん」
「……はい」
……この人も王族だ。だからこそアンリエッタの気持ちが分かるのだろうと、ルイズは納得して頷いた。
けれど……この人の気持ちは、誰が汲み取ってあげられるのだろう。今この時、何かをこらえるようにして、アンリエッタの幸福を願っている彼の苦しみは。
「さあ、ここが僕の部屋だ」
廊下に並ぶ扉の中でも、少しだけ豪華な扉。そこがウェールズの居室らしい。
ふたりはウェールズに続いて部屋へ入っていく。部屋の様相は、ルイズの居室よりもずっと質素だった。
「ここにしまってあるんだ。一番の宝物でね」
ウェールズは椅子に腰掛けて、机の引き出しを開ける。中から鍵付きの小箱を取り出すと、胸に下げていたネックレスの小鍵を使って、大事そうに解錠した。
箱の蓋裏には、幼いアンリエッタの肖像が描かれていた。そして中の封筒から現れたのは一通の手紙。
手紙は何度も読み返されたようで、皺もシミもついている。ウェールズはそれを同じく大事そうに開いて読み始め、読み終えれば祈るように両目をつむった。
彼が目を開くまで、ルイズはただ唇を噛みしめていた。
殉死する前夜の、愛しいものへ捧ぐ祈り。そう見えて仕方なかったし、きっとそうなのだろうと思った。
「これが件の恋文だ。よろしく頼む、大使殿のふたり」
ウェールズは手早く手紙を折って封筒に戻し、ルイズへと差し出した。
「……たしかに、受け取りました。ウェールズ殿下」
「ああ。長旅もご苦労だった。帰りのフネが用意できるまでに、君たちにはこの城で一番の饗しをさせて欲しい」
「……っ、それは、我々が最後の客人だからでしょうか?」
思わず口をついて出ていた。後悔する気持ちより、押さえつけていた感情が溢れ出していくのを感じる。
今しがた受け取ったアンリエッタの恋文をウェールズの胸に押し付け、ルイズは目に涙を浮かべてまくしたてる。
「どうか、どうかトリステインに亡命してくださいませ! 姫さまもそれを望んでおられます! きっとあの封書にも、殿下の亡命を望む一文が書かれていたはずです! ですから、ですから……これから私たちと共に、トリステインへ――」
「ルイズっ」
アルレットに呼びかけられ、ルイズははっとして言葉を止める。
ウェールズの顔を見れば、ひどく泣いているような表情をしていた。しかし、すぐにその表情もかき消えて、彼は口元に笑みを浮かべる。
「そうか。アンリエッタにも、このような心優しい友がいたのか。きっと、無事にやっていけるだろう」
「殿下っ、そうではなく……!」
「……ルイズ、だめっ」
アルレットに腕を抱きしめられて、ルイズは隣を振り向く。そこには涙をこらえている、いつもの泣き虫な顔があった。
どうして彼女がそんな顔をしながら、ウェールズの亡命に反対しなければならないのだろう。ルイズは問いかけるように視線をやる。
「このひとはもう、心の色が変わるくらい、深い覚悟をしてしまったあとだから。……もう、苦しませないであげて」
「……ありがとう、ふたりとも。苦しくなんてないさ、僕は幸せものだ。アンリエッタに、城に残ってくれた臣下たち、それに出会って間もない異国のお嬢さん方まで。こんなにたくさんの人が、僕の命を尊んでくれる」
「ウェールズ殿下……」
「なればこそ、この命を意味のあるものにしなければならない。決して、亡命を選び、トリステインに戦火を持ち込むことは許されない」
「……っ」
かの大敵レコン・キスタに、トリステインへと攻め入る口実を作る訳にはいかないと。
誇りに命を擲つわけではない。愛しい姫君のいる国を守るための選択であると、ウェールズは言った。
それでも、ウェールズが亡命を選ばないことも、亡命が許されない状況であることも、同じくらい納得できないとルイズは涙をこぼしながら歯噛みする。
そんな様子を、ウェールズはただ困ったような表情を浮かべて見守っていた。
「……ルイズ。大丈夫だから」
ぎゅ、とアルレットに手を握られて、ルイズは顔を上げる。
アメジストのような、深い紫色をたたえた瞳。何度目の当たりにしても吸い込まれそうになる、瞳の奥深くに沈んだ闇色。
彼女という存在には、あまりにも不釣り合いな色だと思う。
「さあ、ふたりとも。返還は済んだ。もう密命のことは忘れてくれていい。このニューカッスルで休んでいってくれ」
「……はい、ウェールズ殿下」
ルイズはそれ以上何も言うことができず、ただウェールズの背中に続いた。