不倫。三角関係。痴情のもつれ。
多くの場合、部外者にとって面白い見世物として扱われる。人間という生き物は野次馬根性を備えて生まれてきたようなものだ。人間模様の描いた小説が好かれるように、他人の恋愛が面白おかしくもつれるのを楽しみながら眺める。
しかし、その裏にあるのは泣いて苦しむ一方の親と、両親の仲違いと離別を見せつけられる子どもだ。特に、幼い子どもにとっての両親は世界のすべてである。夫婦が愛しあうよりもずっと深い感情が向けられていることは間違いない。
モンモランシー・マルガリタは同級生のギーシュと交際をしている。そして、彼の女性に対してのみ発揮される気立ての良さもよく知っていた。将来貴族として成功したならば、相当な好色家になるだろうというのも想像がついていた。
それでもモンモランシーはギーシュを好いて、いずれは将来を約束する仲になりたいと考えていた。
7話『浮気男』
真っ青な空の下。暖かな春風が心地よい中庭で、生徒たちの茶会が行われていた。
なんでも、紳士淑女を育成する授業の一環らしいが、監督者が居なければ意味がない。例えば、彼女なんかがいい例だった。
「きゅいきゅい! シエスタのクッキーは美味しいのね!」
円状の白いテーブルに食べかすをぼろぼろとこぼしながらイルククゥは言った。
クッキーの入ったバスケットを、「アルレットさまのために焼きました」という言葉と共に残していったシエスタは、現在生徒たちの給仕に追われている。それ故に、そのクッキーの半数がイルククゥの胃の中に収められてしまったことを知らない。
それもそのはず、体裁を気にしたアルレットは王室もびっくりするほど行儀がいい。行儀が良ければ、イルククゥのクッキーを食べるスピードについていけるはずがない。このままではアルレットの食べる分がなくなってしまうので、同じテーブルを囲むルイズ、キュルケ、タバサは遠慮してほとんど手を付けていなかった。
「静かにしないとご飯抜き」
「ふふん。魔王さまにもらうからヘーキなのね」
タバサは頭を悩ませていた。自分のために焼かれたクッキーが横取りされようとも、アルレットは怒りもしない。有り体にいえば、アルレットはイルククゥを甘やかしていた。
「……ごめんなさい」
タバサが気まずそうにつぶやいた。その言葉は、必ずしもクッキーを横取りされたアルレットに対してのものではない。
イルククゥの騒がしさが、このテーブルの注目を集めていた。
「まあ……この子のわがままでもあるから」
「あんたたち、大変な使い魔を持ったわね」
イルククゥの同席は、アルレットの頼みでもあった。正確には、イルククゥのわがままをアルレットが勝手に許した、というところではあるが、最終的に判断を下したのはルイズとタバサである。
ヴァリエールであるルイズがツェルプストーのキュルケと同席しているのもそのためだった。
「もういっそ、バラしたら?」
「それは無理」
「でも、見ない顔があるんじゃいつか嗅ぎつけられるわよ」
キュルケの言葉はもっともで、イルククゥがすでに学院の生徒ではないことに気付いてあれこれと推測を立てている生徒もいた。
「……二度目はない。大丈夫」
「同じ轍は踏まぬ、か。ルイズも見習うといい」
「つねるわよ」
「……なんで」
「そのくらいわかりなさいよ、まったく」
つねられるのがよほど嫌なのか、アルレットは口を閉じる。それを見たルイズは勝ち誇った表情で紅茶を口に含んだ。
「行儀よくしないとつねる」
「お姉さまの細腕じゃ痛くもなんともないのね」
「……そう」
タバサとイルククゥのやりとりに、キュルケがくすくすと笑った。
ご飯抜き、の脅しが通用しなくなった今、タバサに切れる手札はなかった。
「後ろめたいことがないのは知っている。なら、堂々としていい」
アルレットは堂々という言葉を体現するような、流麗な所作で紅茶を口に含む。
彼女が言うからには、タバサがイルククゥの正体を隠すことに後ろめたい理由はないのだろう。それよりもルイズは、雑木林や自室で覗き見されたことを彼女がつゆほども気にしてなかったことを思い出していた。あれこそ後ろめたいことではないのか、と思う。
「アルレット。誰も、あなたみたいに堂々とできないわよ」
「ルイズが言うと説得力あるわね」
キュルケが指すのは、まさにあの後ろめたいことだった。
「……黙ってるって約束はどこへいったのかしら」
「あら、わたし何も言ってないわよ」
「おんなじことよ、このバカキュルケ。頭に栄養が行ってないんじゃないの」
「全体的に栄養が足りてないおちびに言われたくないわね」
また言い争いが始まった、とタバサは嘆息する。それにしても、おちびという単語を口にするのはやめて欲しい。
その言い争いも、席を立って取っ組み合いを始めないだけ以前より柔らかいものになったと感じた。それがアルレットの言った、「お友だちになる」という言葉の意味なのかもしれない。いまだアルレットとの距離をはかりかねていたタバサは、そう考えた。
その時、タバサは自分のマントの裾を引っ張られているのに気付いた。隣を見れば、困った表情のイルククゥがある場所を指さしていた。
そこには、男子生徒から叱責を受けるシエスタの姿があった。その男子生徒の名前を、タバサは知っていた。
ギーシュ・ド・グラモン。気障ったらしい女好きで有名だが、それでも女生徒からの人気が絶えないのは端正な容姿と女性を尊重する振る舞いがあるからだった。そんな彼が、使用人の平民とはいえ女性に対して厳しい顔で折檻しているのは何故か。
アルレットが音も立てずに立ち上がる。姫君が赤い絨毯を歩くように、ゆっくりとその場所へ向かっていった。
傍まで近づくと、アルレットの姿に気付いたシエスタは俯いた顔を上げた。アルレットは右手を伸ばし、脇にあるテーブルの上から小瓶をつまみ上げる。
「これは、どうやら香水のようだな」
アルレットに声にギーシュが振り向いた。同時に、その瞳を射抜かれる。わずかにたじろぐが、相手が背丈のない女性だと気付き、すぐに気障な笑みを浮かべて余裕を取り戻した。
その香水はモンモランシーからの贈り物だった。つい先ほど、それをポケットから落としてしまい、給仕をしていたシエスタが拾い上げたところを、ケティというギーシュのいわゆる浮気相手に見咎められてしまったのだった。ケティはモンモランシーの香水を見て、ギーシュが二股をかけていたことを理解し、別れを告げて泣きながら去ってしまった。
女性の目を気にするギーシュは「女を傷つけた酷い男」にはなりたくないと、その小さな騒ぎをメイドの失態にして場を収めようとしたのだった。
「女の贈り物か?」
「ああ、そうさ。その香水はとても大切なものなんだ。それがどうかしたかい?」
「余のメイドが折檻されねばならぬ理由が見たらなくてな。小瓶に傷が入った様子もない」
小瓶を日の明かりにかざして、隅々まで観察する。平静を装うギーシュの額に汗がにじむのをアルレットは見逃さなかった。
「すると、このメイドはキミの召使いなのかい?」
「そうだ」
「いや、このメイドに少々失礼があってね。ただ、もう済んだことだから何も言うつもりはないよ」
「そうか。ならいい」
しかしアルレットは、小瓶を掲げた右手はそのままに、早口になったギーシュを無表情で見つめるだけだった。
「……それで、その香水を早く返してもらえるとありがたいんだが」
「いや、その前に、さっきおまえの元から泣いて去っていった女がいたな」
「ああ、見ていたのか……しかし、キミには関係のないことだろう」
ギーシュは手を差し出して、小瓶を返すように促す。しかし、アルレットの腕は動かない。
シエスタは不安げな目でその様子を眺めていたが、やがてアルレットの背後から現れた影に視線をやった。
「こら、アルレット。何やってるのよ」
また騒ぎを起こすのではないか、とルイズがアルレットを引き戻しにやってきたのだった。ギーシュとの間に身体を割り込ませ、アルレットの左手首をつかむ。
腕を引いて席へ戻ろうとしたところで、その人が現れた。ルイズは一足遅かった。
「ギーシュ。わたしの香水が見えたのだけど、どうかしたのかしら?」
「あ、ああ。モンモランシーじゃないか。これは、いや……ポケットから落としてしまったのを、このメイドが拾ってくれたのだよ。大切なものだからね、本当に助かった」
「あら……そうなの。それで、どうして彼女がそれを持っているの?」
モンモランシーは怪訝な表情でアルレットを見る。アルレットはギーシュの瞳を睨んだまま無表情で右手を降ろし、モンモランシーに小瓶を手渡しながら言った。その様子は、さながら部下を相手取るように不遜な振る舞いだった。
「なるほどな。おまえは余のメイドを折檻していたのではなく、お礼をしてたのか」
「そうなんだ。キミが勘違いしてくれただけさ」
ルイズは、アルレットがこの場を引く気になったのかと、掴んでいた左手首を離した。その時、ギーシュもアルレットが話を合わせてくれたのだと誤解し、ほっと息をついていた。
しかし予想に反して、彼女は挑発的だった。一歩前へ踏み出し、ギーシュの前にぐっと体を寄せ、身長差のある顔を覗きこむ。
「何を勘違いしている」
「は?」
「余はその娘に嘘をついたな、と言ったのだ」
「何を言う。嘘なものか」
「拾った礼をしていたことが、真実であると?」
「そうだ」
その言葉を聞いて、アルレットは無表情の口元を釣り上げた。
「そうか。ならば、僕の不倫を止めてくれてありがとうと。そうお礼をしていたことになるな」
ギーシュは一歩後ずさり、当惑を取り繕うように髪をかきあげた。
「か、彼女はいったい何を言い出すのかね。ただ、拾ってくれたことに感謝していただけだ。そうだろう、メイド?」
シエスタは嘘を吐くことに抵抗を感じたのか、目をそらして黙った。ギーシュは、先ほどまでの怯えていた彼女であったら、当然のように頷いてくれると考えていた。ギーシュはいよいよ動揺を表に出して表情を歪めた。
「アルレット、もう止めなさいって。シエスタも持ち場に戻らなきゃいけないでしょう」
「まってルイズ。わたしにちゃんと話を聞かせて」
「……ああ、モンモランシー。もうダメみたいね」
今回ばかりは自分が恥ずかしい思いをするだけではすまないとルイズは悟った。
なにせ、公衆の面前でギーシュの浮気を暴いてしまったのだ。大事はすでに決まったようなものである。
「モンモランシーとやら。この男のためにその香水を調合したのなら、そんなものは池に沈めてしまえ」
「それって、ギーシュが浮気をしていたってこと?」
アルレットは首を横に振ってギーシュを見る。本人に聞け、と言っているようだった。モンモランシーは、目に涙を浮かべてギーシュへ詰め寄った。
「どうなのよ、ギーシュ」
「違う、違うんだよモンモランシー。彼女とはただ一度、ラ・ロシェールに森の遠乗りしただけなんだ」
「それってケティという一年生?」
「何故それを」
「噂を聞いたの。わたし、知っているんだから、このうそつき!」
そう言って、モンモランシーは香水を地面に叩きつけ、ぼろぼろと涙を流しながらその場を去っていった。
「あーあ」
緊張した空気の中、ルイズが気の抜けた声で言う。周囲にいた生徒も、ギーシュをからかうように騒ぎ始めた。
「キミのせいだ……キミのせいで、傷付かなくてもいい彼女まで傷付いてしまったではないか……」
ギーシュが憤慨した様子でアルレットを睨みつける。
アルレットにはギーシュが立てようとする女性性というものがなかった。悪気がなければ失敗も笑って許す。拗ねたように文句を言えばおだてて機嫌を取る。自分は味方だと、女性の弱い部分を認めてやる。そういった立ち回りがギーシュを女性に恨まれず、好かれる男にしていた。しかし、無表情に威圧するアルレットからは、まったく隙を見出すことが出来なかった。取り繕いが出来ないとなれば、ギーシュはありのままに振る舞うしかなかった。
「確かに、あの娘を傷付けたのはこちらだったな」
「ならば早く、僕に謝罪したまえ」
「不倫者にか? おかしいな」
ギーシュがうろたえる。モンモランシーを傷付けたのが自分であると認めても、アルレットにはギーシュに対して謝罪する理由はなかった。
ルイズといえば、先ほどのように口を出す気は失せていた。予想外なことに、今度ばかりはアルレットの言い分が正しいと感じたからだった。ルイズが泣いて去っていったモンモランシーと同じ女性というのもあるかもしれない。
「黙れ。彼女の名誉が傷付けば、僕も憤慨する!」
「憤慨したから、どうした」
「君も貴族なのだろう。名誉をかけるとなれば、一つに決まっている」
ギーシュは薔薇の花を象った杖を懐から取り出し、アルレットへ突きつけた。
「ちょっと、貴族同士の決闘は禁止よ」
「ルイズ。この地では、王とは貴族か?」
ルイズは答えなかった。答えてしまえば、その先の行為を認めてしまうことになるからだった。
「ルイズ……?」
「アルレットさま、王族は特別です。アルレットさまは特別です」
放っておけないという眼差しでシエスタが代わって答える。
普段は貴族に怯えているシエスタも、アルレットが傍に居ると落ち着いて振る舞うことができた。
「……シエスタ、ギーシュがどうなってもいいの」
「あ……いえ、そんなつもりでは」
「あーあ……どうするんだか」
貴族に怯えず堂々と振る舞うのはいいけど、通り越して蔑ろになるのはどうにかならないのか、とルイズは思った。
「そういうことだ。余は異国の王であり、ここハルケギニアで爵位など持っておらぬ」
「何を言っている。そうか、着せ替え人形の平民か。どうなってもしらないぞ」
「茶会の場で剣を取る気はない」
「ヴェストリの広場だ。僕は先に行っているよ。十分に覚悟をしてから来るんだね」
ギーシュはマントを翻して、その場を去っていく。その際、周囲の生徒たちがギーシュに向かって囃すように声をかけた。大人げないという声もあれば、一部には歓声そのものもあった。
名誉をかける、ということは、敗北したほうが名誉を損なうということ。それでも譲れないと杖を掲げたギーシュの勇ましさを称えてのことだった。
アルレットはその姿を見送ることもなく、芝の上で膝を折って屈み、泥の付着した小瓶を拾い上げた。立ち上がってから白い指で泥を払い落とすと、日にかざして傷が無いかを確かめる。幸いにも、それは見当たらなかった。
小瓶には、ギーシュの手によって大切に固定化が掛けられていたのだった。
「ルイズ」
「はいはい、場所わからないんでしょ。連れてってあげるから、あんまり大事にしないでよね」
「知らない」
「いいや、知りなさい」
そんなやりとりを、シエスタは淋しげに見ていた。騒ぎが収まったのならば仕事に戻らなければならず、アルレットの姿を伺うことができない。そう思って周囲を見渡せば、多くの生徒が席を立ってヴェストリの広場へ向かっていた。
シエスタはメイド仲間に打診して、ヴェストリの広場へ向かう生徒たちの列にひっそりと加わるのだった。