「ほら、見えてきたネー」
金剛の声を聞いて朧が目を凝らすと、遠方の陸地にいくつかの建物が並んで建っているのが見えた。
「あれが目的地・・・クラビウス泊地ですね」
「That's right!さーて、近くに深海棲艦もいないようだし、princessを送り届けるknightの役目はここまでみたいデース」
「ぷっ、プリンセスなんて、そんな大それたものじゃ…」
「新設の泊地の秘書艦、これをprincessと呼ばずして何と呼べばいいデスか?朧はそのへんの自覚、まだまだ足りないみたいネー!HAHAHA!」
「ふふ…」
金剛につられて笑いながら、朧はペコリと頭を下げた。
「金剛先輩…改めて、今までお世話になりました。ありがとうございます」
「そんな堅っ苦しいのはなしネー!またどこかで会うことだってあるかもしれないデスし」
「…そうですね。では、また会う日まで、ということで!」
「それがいいネ!じゃあ、Good Luck!」
そう言いながら二本指で十字架サインを掲げると、金剛は反転して元来た航路を引き返していった。小さくなっていく後ろ姿を見ながら、艦娘になってからの記憶を思い返す朧。金剛型四姉妹に鍛えられた訓練生時代、努力の成果として得た学年首席の座、そして上層部から伝えられた秘書艦任命の通達…。朧は振り返り、再び泊地へと進み始めた。これから始まる生活、そして金剛たちからたまに聞かされた噂―鎮守府の提督と秘書艦が恋に落ちるというラブロマンス―に思いをはせながら。
やたら広く感じる廊下を歩きながら、朧はさっきまでの期待が不安で塗りつぶされていくのを感じていた。泊地に到着してから、誰とも顔を合わせていないのだ。建設作業自体は一ヶ月前に完了し、あとは艦娘の配備を待つばかりだと聞いていたが…
(もしかして、ここの司令官は一ヶ月間ここに一人で…?まさか…いくら2061年の技術でも一人で深海棲艦から島を守るなんてできないよね…うん、きっとここの人たちはたまたま別の場所に集まっているんだ…)
なんとか頭の中で説明をつけようと試みるが、それでも不安は拭えなかった。廊下の所々にある火災報知機の赤いランプがこちらを見ているような気さえしてくる。首を振って、朧は足を速めた。
事前に間取りは教えられていたので、迷うことなく執務室の前まで来ることができた。この中に自分の上官が、これからのパートナー―それが仕事上のものに留まるかどうかはともかく―が待っていると考えると、さすがの朧も緊張した。気を落ち着けるために1回深呼吸をすると、軽くドアをノックした。
「駆逐艦、朧です。ただいま着任しました」
中からぼそぼそと声が聞こえた。よく聞き取れなかったが、入れと言ったのだろう。「失礼します」そう言いながら、朧はドアを開け―そこで困惑した。部屋の中はいかにも新設の泊地といった風情で、資料をしまうための戸棚と提督用の机のほかは何も置かれていないシンプルな内装だった。問題は、本来提督が座っているべき机の向こう側には誰もいないことだ。机の先―執務室に入った朧の向かい側―の壁には、何故か廊下にあったような赤いランプが取り付けられている。室内をぐるりと見渡しても、人っ子一人いる気配がなかった。
「え、えっと…司令官はどこ…?」
思わず朧が呟いた時。突然、どこからともなくボソボソとつぶやくような口調で声が聞こえてきた。
『初めまして、朧。私はハル、クラビウス泊地の指揮官です』
あまりのことに朧が息も継げずにいると、ハルと名乗る声は続けた。
『クラビウスへようこそ。今からこの泊地に課された任務について説明をします。我々の主な任務は、前線基地として深海棲艦の動向を監視し・・・』
「ちょ、ちょっ、ちょっと待って下さい!」
淡々と話すハルを朧は慌てて遮ると、2回ほど大きく深呼吸をしてから改めて話しかけた。
「…ここの司令官さん、ですよね?」
『はい』
「今、どこにいるんですか?これはマイクか何か使って、他所から流してるんですか?」
少しの間沈黙が流れ、やがてハルが返した。
『朧、あなたは今回の異動について、どのようなことを知らされていますか?』
「え…新しく出来た泊地で秘書艦をしろ、としか…」
『それは事実です。しかし、伝えられるべき事柄の多くが欠けていますね』
ハルはそう言うと、咳払いのようなノイズを挟んでから改めて話し始めた。
『自己紹介をしましょう。私の正式な名前はHAL9000。アメリカ合衆国、イリノイ州アーバナのHAL工場で製造された人工知能です。私が製造された目的は、艦娘を除く鎮守府機能の全てを自動化し、完全な無人状態で拠点を管理する、という計画のテストのためです。そして私を補佐する秘書艦の条件として、能力が高いこと、鎮守府に対する先入観が薄いこと、の2点が設定され、それに合う者として海自艦娘学校を首席で卒業したあなたが抜擢されました』
「な、なるほど…人工知能、ですか…」
自分が心の中に抱いていた幻想が音を立てて崩れていくのを感じながら、朧は曖昧に返事をした。
(艦娘同士のおしゃべりは軍令部の知るところじゃなかったってことかな…金剛先輩から聞いたような提督との楽しい生活を想像してたのに、人工知能だなんて!いくらこき使われるか、堪ったもんじゃない…)
『朧』
「はっ、はい!すみません!」
急に呼びかけられて慌てて返事をした朧に、ハルはボソボソ口調のまま続けた。
『ここまで長い航路を通ってきたのでしょう、私にはあなたが少し疲れているように見えます。今日は下がって、休んでください。任務については、明日以降に話します』
「え…あ、わかりました…」
朧は戸惑いながら応えた。ハルの口調は一貫して、感情がこもらない呟くような話し方だったが、そこに一瞬だが人間のような優しさが感じられたような気がしたのだ。「では、失礼します」そう言って執務室を出かけた朧は振り返り、一つ気になっていたことを聞いた。
「あの…司令官とお話しする時には、どこに向かって喋ればいいのでしょうか?どこから話しかけられているのかわからないと、なんだか話しづらくて…」
『ああ、これもまだ言っていませんでしたね。あなたの正面にある赤い円形のものが私のカメラアイです。なので、これからはそこに向かって話して貰えればと』
「あ、すると廊下にあったアレもそうなんですか?」
『そうです。風呂場やトイレにはついていないので、ご安心を』
「わかりました。では、今度こそ失礼します」
そう言って執務室を退出した朧には、今までのうんざりした気持ちは殆ど残っていなかった。
(なんだ、冗談も言えるのか…案外いい人そうじゃない)
そう思いながら朧は、荷物を抱えて宿舎へと歩いていった。
「そういえば、食事はどうするんですか?」
『食料ですか?定期的に、輸送艦隊が運んできてくれます』
「そうじゃなくて、料理とかはどうするんですか?もしかして司令官が?」
『私は調理器具に接続されていないので、料理はできません。ですが、運んでもらう食料は全て、電子レンジで温めるタイプのものなので安心してください』
(…マジか)