ポケモンのいる(非)日常   作:ゾゾ

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5月16日(火)②秋羽郷

 

『カッ、ポーーー…ン』

 

 

 蛇口から出る湯を木桶に溜め、全身についた泡を流す。それを何度か繰り返し、使い終わった木桶を、積まれていた所に戻す。木桶同士がぶつかり、小気味良い音が反響する。

 

 絞った手拭いを頭にのせ、足からゆっくりと湯に入り、肩までしっかりと浸かる。

 

 軽くお湯を掬い、顔にバシャリとかけてゴシゴシと顔を擦る。

 

 

 

 あぁ…いい湯だなー。

 

 

 

 掌でお湯を掬い見れば、無色透明、無味無臭。

 

 いわゆる単純温泉だ。肌の刺激も少なく、独特な臭いもしない為、入りやすい。

 

 

 天を仰げば何も邪魔するもののない突き抜ける青空。

 

 目の前には森の青々とした木々や優美な渓谷が、眼下には渓谷を縫うように流れる清らかな名鳥川(なとりがわ)の渓流が広がる。名鳥川のせせらぎと、そして少し離れた所に見える雄大で厳粛な大滝が、心地良いBGMとして奏でられている。

 

 

 心と体が癒される。湯治(とうじ)、とは良く言ったものだ。

 

 

 どうでもいいけど目の前をメガヤンマが横切って行った。すげーデカイ。

 

 

 そんな広大な自然に囲まれた露天風呂なのだが、あまりに広すぎる上に貸し切り状態の為、真ん中でお湯に浸かっていると心細くて、ついつい端で小さくなってしまう俺は、やっぱり小市民。

 

 

 はぁ、しっかしあれだなー。

 

 

 こうゆっくり温泉に浸かってるとすっかり忘れそうになるけど…

 

 

 

 

 妹よ、兄さんは今、拉致されています(白目)

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 千代市街から車で約40分という好アクセスの有名温泉街。

 

 秋羽郷(あきうきょう)

 

 秋羽温泉の歴史は古く、「拾遺集」や「大和物語」にもその記録が残されている 。

 古墳時代の後期、欽明天皇が皮膚病を患い、あらゆる医術や湯治を試みたものの、効果が現れなかったという。そんな折にこの秋羽の湯が御所に献上され、天皇が湯浴みすると、忽ち皮膚病が快癒したそうだ。

 その後「名鳥の御湯」の称号を賜り、霊験あらたかな温泉地として遠く大和にも伝わり、以来「日本三大御湯」として皇室の御料温泉とされているそうだ。

 

 戦国時代には、みんな大好き伊達政宗公もここ秋羽を度々訪れてその疲れを癒し、また戦場に舞い戻ってはレッツパーリィーしたとかしないとか。

 

 

 

 宏瀬川の鉄橋下で、明らかにヤバめのガチムチ黒服たちに声を掛けられ、今まで乗ったことのないような、そしてこれからの人生でも決して乗ることなどないだろうと思っていた黒塗りの高そうな外車に乗せられ、ここ秋羽まで連れて来られた。

 

 

 車内から見た千代の街並みは、不気味な程に静かだった。歩く人の姿はほとんど見掛けず、まるでゴーストタウン。通勤で道路が混雑する時間帯だというのに、街を走る車も数少ない。パトカーや救急車、自衛隊車両、黒塗りの車がほとんど。あぁ、千代テレビのロケ車なんかも見掛けた。

 

 代わりに道を闊歩し、空を飛び交うのは、野生のポケモンたち。

 

 その異常な光景は、まるでテレビや映画のワンシーンを見ているようで、ちょっとワクワクした。

 

 市街地を抜けて山間部に近付くと、ポケモンたちの様相にも変化が見られた。

 

 街中ではポッポやマメパト、オニスズメ、コラッタ、ナゾノクサなんかが中心で、比較的大人しくしているように見えたが、徐々にオタチやジグザグマ、オドシシ、ムックルなどを見掛けるようになった。しかも、その活動はより活発な印象を受けた。

 

 

 そんな山間の秋羽温泉郷を貫く国道を一つ外れて、木々の間を縫うように細い道をしばらく行くと、未舗装路に突入した。車の轍だけでかろうじて道だと分かる、砂利と草が鬱蒼と生い茂るような道だ。

 

 その時思ったよ、事件の匂いがする…ってね(名推理)

 

 しばらく道無き道を行くと、鉄柵で厳重に封鎖されたゲートと思しき場所に辿り着く。ゲートの前には黒服の警備員が、その横には小さな詰所がある。

 

 運転手の男が警備員といくつか言葉を交わし、物々しいゲートが開く。

 

 

 

 ゲートを抜けたその先にあったのは、

 

 

 

 門。

 

 

 

 それはもう、紛うことなき、門。

 

 

 

 城や武家屋敷の表門。細部にまで拘った緻密な意匠の飾り細工、それでいて威厳ある門構え、いわゆる櫓門(やぐらもん)だ。

 

 門は既に開かれており、まるでその門が額縁のようにその先の風景を切り取っている。

 

 枯山水(かれさんすい)

 

 青緑砕石、白玉砂利、五色砂利などが水の流れのように計算されて散りばめられた石庭に、石畳の小道が敷かれ、その脇に添えられた控え目な植栽が、より一層儚さと美しさを際立たせる。

 

 

 まるで、一枚の絵画だ。

 

 

 その精巧な美しさと厳粛たる迫力に圧倒され、飲み込まれた。

 

 

 そこで頭は現実逃避、思考はすっかり完全停止(ラップ調)

 

 

 気が付いたら露天風呂に裸でいた、というわけさ!HAHAHA!

 

 

 もうなるようになーれ☆

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 露天風呂から上がると、脱衣所の前には、二部式着物を着こなした三十代前半くらいの女性が折り目正しく控えていた。名をナカイさんと言うらしい。

 

 屈強そうな黒服たちと比べると、実に普通っぽい。だがしかし、こちらを油断させて、最終的に高価な壺を買わせる算段かもしれない。くわばらくわばら。

 

 ナカイさんの案内で、中庭を通り、離れの一室に通される。てか離れって…どんだけ広いんだこの屋敷。純和風旅館とかじゃないよね?

 

 ここに来るまででも相当な数の部屋があったし、中庭だってそりゃあもう表門の枯山水とは違った豪華な美しさだ。松と池と鹿威し、池を優雅に泳ぐ錦鯉。THE日本庭園だ。

 

 ただし、鯉と一緒に泳ぐトサキントとコイキングなんて見ていない見ていない…(自己暗示)

 

 通された部屋はおよそ二十四畳の純和室。

 

 部屋の前には木製看板が掛けられていて、部屋の名前は「花蘇芳(はなずおう)の間」だそうだ。

 

 ハナズオウ、何かポケモンの名前っぽい。

 

 床の間に掛けられた水墨画の掛け軸、床板には部屋を上品に彩るの桃色の花の生け花。キレイダナーと思ってじっと見てたら、ナカイさんが花蘇芳の花だって教えてくれた。これがハナズオウかー、部屋の名前に合わせた花を活けるとか、こだわりを感じる。部屋の隅には、現代風だが和の雰囲気を損なうでもない間接照明が置かれている。

 

 

「只今お食事をお持ち致しますね」

 

 

 部屋に入ってすぐに急須で緑茶を煎れてくたナカイさんは笑顔でそう言うと、正座で襖を静かに閉め、部屋を去っていった。

 

 

 一先ず座椅子に腰を降ろす。一体何が起こっているんだろうか。正直、あまりに降って湧いたような出来事過ぎて、真剣に考えても答えが出るとは思えない。

 

 

 だったら相手の出方を待つか、

 

 

 それとも、

 

 

 隙を見て逃げ出すか、だな。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 地下警備室。

 

 夥しい数のモニターが屋敷の各所を映し出している。警備の都合上、数多く設置されている監視カメラの映像だ。

 

 ここ地下警備室には、屋敷の各所へと繋がる通路が張り巡らされており、有事の際には警備員が逸早く駆け付けられる構造になっている。

 

「彼は?」

 

 少女が黒服の男、黒瀧を連れ立って警備室を訪れる。警備室には黒瀧以外の黒服たちが数名居り、少女と黒瀧の来訪に直ちに席を立ち、頭を下げる。

 

「入浴後、離れの一室にお通ししました」

 

 黒服の一人が答える。

 

「車内での様子は?」

 

 少女が間髪を入れずに黒服に問う。

 

「おい」

 

「はい、車内では道中騒ぎ立てることもなく、それどころか一言も口にせず、ずっと窓の外を眺めていました」

 

 上司と部下の関係なのだろう、上司と思しき黒服が別の黒服に答えを促す。

 

「…一言も?」

 

 少女が黒服の返答に訝しげな表情を浮かべ聞き返す。

 

「えぇ、ただの一言も」

 

 部下の黒服が答える。

 

「ハッ、可愛いげのないガキだぜ」

 

「はは、少しくらい脅してやれば良かったですかね」

 

 黒服の上司と部下が軽口を叩く。

 

戸狩(とがり)日下(ひげ)、口を慎め。彼はお嬢様のお客人だぞ」

 

 黒瀧が軽口を叩いた黒服二人を睨み付ける。

 

「ッ!も、申し訳ありません」

 

 黒瀧の怒気の籠った声音に、戸狩と日下と呼ばれた黒服二人は慌てて謝罪し、襟を正す。警備室に集まっていた他の黒服たちの間にも緊張した空気が漂う。

 

 この一連のやり取りからも、黒服たちの力関係が垣間見える。

 

「こ、声を掛けた時にも、一瞬驚くような素振りこそ見せましたが、その後は表情を一切変えることもなく、大人しくこちらの指示に従いました」

 

 黒服たちの上司だろう戸狩と言う男が、先程とは打って変わった堅い口調で情報を付け加える。

 

「…どう思う?」

 

 少女が後ろに控えている黒瀧に軽く視線を向ける。

 

「彼の両親は共働き故に比較的裕福な家庭ですが、あくまでも平均的な一般家庭です。彼本人や両親、祖父母にまで遡り出自や経歴を調べさせましたが、特別変わった点や目立った点は見当たりませんでした。一般的な高校生男子、と言って差し支えないでしょう」

 

「つまり」

 

「はい、だからこそ彼は」

 

 

 

 ーーー異端。

 

 

 

 そんな単語が少女の口を衝きそうになる。

 

 黒服の男に半ば強制的に連行される、それは一般の高校生には恐怖でしかない。

 

 いや、それが大学生や成人だとしても、もちろん自分だって同じだ。この状況は、恐怖以外の何物でもない。

 

 それなのに彼は、表情も変えずに、大人しく付いてきた?

 

 

 果たしてそんなことがありえるのだろうか。

 

 

「ッ!お、お嬢様ッ…!」

 

 

 奥の黒服が何かに気付き、声を上げる。その声の主に、他の黒服たちが視線を向ける。少女も沈みかけた思考の渦から抜け出し、声を上げた男に向き直る。

 

 声を上げた男は、モニターの監視役だ。

 

「こ、これ…」

 

 監視役の男が動揺した様子でモニターの一つを指差す。警備室の全ての人間が、そのモニターに注目する。

 

 

「お、おい、これって…」

 

「まさか…嘘だろ」

 

「そ、そんな…完璧な偽装を施した超小型カメラですよ!?」

 

 

 黒服たちが狼狽している。

 

 それはそうだろう。

 

 

 

 ーーー部屋にいる少年が、こちらをじっと見詰めているのだ。

 

 

 

 この部屋にはこれまで、それこそ数百人以上の人間を招き入れてきた。

 

 人は緊張から解放され、独りになった時、その本性を現す。素性の分からない者が来訪した際に使われてきたのが、この離れの部屋「花蘇芳の間」だ。

 

 

 だが、この少年は、

 

 

「お嬢様、恐らく彼は…」

 

「えぇ、彼はもう」

 

 

 

 ーーーこちらに、気付いている。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 ふぅ、あまりの満腹感に、つい壁の一点を眺めたままボーッとしてしまった。

 

 

 きっと心結が居たら、目の前を掌でぶんぶん遮って、意識があるか確認してくるあの状態だ。あの染み何かポケモンっぽいなー、あれ何だったっけなー、って考えてたらいつの間にか意識が飛んでた。

 

 

 ナカイさんが丁寧に食膳を下げ、食後のお茶を煎れてくれる。

 

 いやぁ、ホント旨かった。

 

 用意された食事は、千代の新鮮で豊かな山海の幸をふんだんに使った料理の数々!

 

 山菜の天ぷら、新鮮な刺し身、極厚の牛タン、煮物、椀物。

 

 特にあえて語るならば、メインの千代牛のすき焼き、これが絶品だった!

 

 千代牛は、柔らかでまろやかな口当たりと豊かな肉汁が特徴だ。

 霜降りと赤身のバランス、きめの細かさなど、厳しい基準をクリアし、 肉質等級と歩留等級によって評価される和牛種の中でも、A5もしくはB5に分類された物だけが得られる称号、それが「千代牛」というブランドなのだそうだ。

 米どころならではの清らかな水で育ったササニシキやひとめぼれの稲藁を贅沢に食べて、三年かけて丁寧に育てられたその肉からは、仄かに甘みすら感じる。

 焼き方は割下を使う関東風。千代牛の肉汁は勿論、長ねぎや玉ねぎなどの野菜の旨味が染みだし、それが極上のたれとなる。火が通った肉を箸で摘まみ、軽く溶き卵にくぐらせ口に運べば、その旨味と上品な甘さ、柔らかさに悶絶しそうになる。極上の割下を吸った焼き豆腐、えのき茸、しらたき、長ねぎ、玉ねぎもまた美味しかった。

 

 信じられるか?これ、朝食なんだぜ…?

 

 正直、朝からこの量はどう考えてもおかしいが、用意してくれた料理を残すなどという選択肢は俺の人生において存在しない。元々朝食を食べていなくて空腹だったし、そのあまりの料理の美味さも手伝い、今は全て腹の中だ。

 

 

 これ、後から料金徴収されるとかないよね?

 

 

「それでは失礼致します、どうぞごゆるりと」

 

 

 ナカイさんが三つ指をついて挨拶をして去っていく。ごゆるりと、って何かホッとする言葉だね。

 

 ふぅ、マジ満腹だ。心結の料理には(愛情的な意味で)及ばないが、こんなに食ったの久しぶりだなー。全く動けん。…ん?

 

 

 動け、ない…?

 

 

 はっ!これじゃ逃げられないじゃないか!?

 

 ま、まさか…俺を動けなくして逃げ出せなくする為の罠か…?

 

 いや、もしくは豚は肥らせてから食うというアレじゃ!?

 

 

 おのれェ!謀ったな孔明ィィィィッ!

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 拐っておいて放置されていたので、軽く腹ごなしをしようと中庭に出た。

 

 よく考えればこんな山奥まで連れてこられちゃ、一人で逃げようなんてどうせ無理だと諦めた。

 

 さすが孔明だわ、さす孔。

 

 

「何をしているの?」

 

 

 頭の中で一人三國志を演じていると、後ろから声を掛けられた。

 黄巾の乱から繰り広げて、ちょうど官渡の戦いが終結した所だ。曹操が時代の寵児だってハッキリ分かんだね。

 

 

 突然の声に振り返ると、そこにいたのは怪訝な表情を浮かべる一人の少女。

 

 

 青みがかった艶やかな黒髪を肩口で切り揃え、前髪を横に流している。その佇まいは凛としており、静謐で聡明な女性と言った印象。端正な顔立ちだが、その整い過ぎた目鼻立ちからは陶器の様な冷たさをも感じる。

 

 え、何言ってるか分からない?

 

 知的なクールビューティってことだよ言わせんな恥ずかしい。俺のムダな表現力返せ。

 

 しかし誰だろ、恐らく同年代だろうけど、この屋敷の子だろうか?何か冷たい表情というか、貼り付けた仮面のようなものを感じる。

 

 

「はじめまして、私は九重架純(ここのえかすみ)

 

 

 …あ、どもっす(小声)

 

 

「あなたを拐った犯人です」

 

 

 孔明(誘拐犯仕様)だった。

 

 

「カメラ、気付いていたようですね。重てお詫びします、無礼をお許し下さい」

 

 カメラ…?

 

 ハッ!?やだ、今日お化粧してないのにっ!

 

「でも、良く気が付きましたね。完璧に偽装しているつもりだったのに」

 

 ぎ、偽装?何やらきな臭い話だな。

 

 その言葉に不安を覚え、改めてさっきまで自分がいた離れの部屋の入り口に目を遣ると、再び「花蘇芳の間」と書かれた木製看板が目に留まった。

 

「やはり部屋の意味にも気付いていたんですね。花蘇芳、ユダの木とも呼ばれ、裏切りの象徴とされる花。「疑惑」や「不信」といった花言葉を持っています」

 

 へー、そんな花には見えないけどなー。花言葉って一体誰が決めたのん?

 

「この屋敷には政財界の雄である父とのビジネスやコネクションを求めて数多くの人間が訪れる。そんな時にその人をこの部屋に招くの」

 

 ふむ、やっぱここは偉いさんのお屋敷で、この子はそのご令嬢ってところか。しかし、金持ちのすることは分からんな。

 

「部屋の名前の意味に辿り着く者、自分は試されているのだと気付ける者は、総じて頭の回転が早く、警戒心が高い。そういった人はビジネスパートナーとして相応しい」

 

 ほーん、気付かんやろ普通。

 

「けどそれに気付けず、あまつさえ自らの下劣な本性を曝け出すような愚かな者に、父が(まみ)えることはない。「花蘇芳の間」は、それを量る為の部屋よ」

 

 はいはーい、それ俺でーすw

 てことは、いっぱい美味しい物を頂いたのに、屋敷の主人に挨拶もせずに帰ることになるのか。ちょっと不躾じゃなかろうか。

 

「そして謀らずも、あなたはそれをパスしてしまった」

 

 はい?

 

「ノブレス・オブリージュ。私が何者で、何故選ばれ、はたして何を成せるのか。これはその試金石」

 

 え?えーと、え?何を言ってんのこの子。でもノブレス・オブリージュって、最近どこかで聞いた気がする。

 

 そう言って彼女は腰のベルトから何かを外す。するとその手には握り拳大に大きくなったモンスターボールが握られている。

 

 なるほど、そう言うことか。

 

「この子は私に懐いてくれない。でも河川敷で見たあなたたちの姿は違った。まるで互いに信頼しているよう」

 

 彼女はモンスターボールのボタンをカチリと押す。ボールが割れ、赤い粒子が溢れだす。

 

 中から現れたのは、純白の幽かな人形(ひとがた)の身体に、どこか温かな緑の頭部。頭のてっぺんには赤い角がちょこんと生えた、小さくて可愛らしいポケモン。

 

 

『ラルッ』

 

 

「この子が私のポケモン、ラルトスよ」

 

 

 九重さんが繰り出したラルトスの表情は、どこか固い。

 

 

「トレーナーは目が合ったらバトルというものをするのだとか。ではその慣習に則るのもまたトレーナーの果たすべき義務、そうでしょう?」

 

 

 そう言う彼女は、見た目の若さとは不相応な、妖艶で挑発的な笑みを浮かべる。

 

 

「私とあなたで何が違うのか、それをこのバトルでもって知りたい」

 

 

 対人バトルか。

 

 

 いつかはやることになるとは思ってたけど、こんなに早くその機会が訪れるとは。

 

 クックック…テンション上がってきた。いいよ、やってやんよ。ポチエナよろしく、吠え面かくんじゃねーぞ!?

 

 

 腰のベルトに手をやり、モンスターボールを探る。

 

 

 ………………

 

 

 ………………

 

 

 ………………

 

 

 あいつらポケモンセンターでお休み中だったわ。

 

 

「…どうかしたの?」

 

 

 怪訝な顔の九重さん。

 

 いや、ごめん、ちょっと待ってね。えぇとスマホスマホ、…TSSを起動して、『ポケモンセンター』をポチっとな。

 

 ジョーイさん、あいつら回復してるかい?え、ゾロアさんはまだ?やっぱり疲れてたんだなー。

 

 あ、ウデッポウは怯んで気絶してただけだからもう大丈夫?うーん、でもまだコミュニケーションとってないからなーいきなりバトルとか大丈夫かな。

 

 まぁいいか、とりあえずやってみよ。ウデッポウ帰っておいでー!

 

 ジョーイさんがモンスターボールを持ってきてくれた。いちいち細かい演出多いねこのTSSって。クリエイター魂を感じる。

 

 お、ベルトにモンスターボールが転送されてきた!相変わらず驚かされる謎の技術。

 

 

 いけウデッポウ、(消去法で)君に決めた!

 

 

『…ゥデッポォ(イケボ)』

 

 

 おいおい、えらい渋い声だな。寡黙な狙撃手…サーティーン感が凄い。

 

 いきなりだけど、やってくれるかウデッポウ?

 

 

『…………』

 

 

 黙ってその大きな鋏を構えるウデッポウ。うーん、いぶし銀。

 

 

「そっちがあなたのポケモンだったの?てっきり黒い子狐の方だと思ってた」

 

 

 あぁ、なるほど河川敷のバトルを見ていたのか。でも、ウデポ13を雇った所は見られていなかった、ってことか。

 

 

「まぁいいわ。さっそく始めましょう」

 

 

 そう言って彼女は徐に距離をとる。え、ここでやるの?ムダに広いから大丈夫だろうけど、屋敷の被害とか責任持てませんよ?

 

 

「因みに、好きなように暴れてくれて構わないわ。直せばいいだけだから」

 

 

 くっ、金持ちめ…何かヘイトが高まってきた。いいだろう、お言葉に甘えてやってやる。まずはTSSでウデッポウの技を確認して、と。

 

 

 えーと…、ふんふん…ふむむ……え?ちょ、え?

 

 

 ………………やっぱ尖ってるなウデポ13。

 

 

 

「こちらからいくわ。ラルトス、【かげぶんしん(影分身)】」

 

『ラル』

 

 ラルトスのその小さな身体が、ゆらゆらと幽かに揺れ動き、陽炎のような分身が生まれる。【かげぶんしん(影分身)】で回避を上げたか。超スピードで分身っていうイメージだったんだけど、こういうのもあるのか。

 

 ウデッポウ、【あわ()】で分身たちを消し去るんだ。

 

『………………』

 

 ウデッポウが大きな鋏を構え、ラルトスの分身に銃口を向ける。…自然と銃口とか言っちゃったけど、それやっぱ銃口ですよね?

 

 鋏からシャボン玉のような泡が勢いよく噴き出され、ラルトスに襲い掛かる。広範囲に噴き出された泡が、忽ちラルトスの分身たちを掻き消していく。

 

「ラルトス、抜け出して【ねんりき(念力)】っ」

 

 分身の一つが泡の包囲網からゆらりと抜け出し、小さな両の手をウデッポウに掲げる。本体はそこだったか。

 

 一瞬、目の前が歪んだような錯覚に襲われたかと思うと、ウデッポウがスッと空中に浮き上がり、そのまま地面に叩き付けられるが、すぐに転がるように起き上がる。結構な勢いで叩き付けられたから心配したけど、大丈夫そうだ。

 

 頑丈だなウデッポウ、どうやら混乱もなさそうだ。

 

 おかげで本体は見えた。

 

 

 ウデッポウ、狙い撃てっ。

 

 

 ウデッポウが狙いを定めたかのようにカッと目を見開き、鋏の銃口を一点に向ける。鋏から、圧縮された水の弾丸【みずでっぽう(水鉄砲)】が超スピードで撃ち出される。

 

 弾丸はラルトスの顔面を捉えて吹き飛ばし、そのまま勢い余って石灯籠に激突し、石灯籠ごと崩れ落ちる。あれホントに【みずでっぽう(水鉄砲)】かよ、威力やべぇ…。

 

 

「まだよ、起きなさいラルトス!」

 

 

 九重さんの厳しい声に応えてか、崩れた石灯籠の中からふらふらと起き上がるラルトス。だが甚大なダメージを負わせたのは間違いない。

 

 

 ウデッポウ、もう一撃!

 

 

 何とか起き上がり、ふらふらと揺れながらこちらに近付くラルトスに、再び水の弾丸が放たれる。

 

 

 が、

 

 

 確実に標的を捉えたはずの弾丸は、ラルトスの身体を霧散させ、そのまま轟音と共に本邸の木壁を抉り抜いた。

 

 

 まさかふらふらと揺れていたのは…

 

 

かげぶんしん(影分身)】か!?

 

 

 崩れた石灯籠からラルトスがふわりと飛び出す。

 

 

「ラルトス、【マジカルリーフ】!」

 

 

『ラルッ!』

 

 

 ラルトスから鋭利な葉の刃の幻影が幾重にも射出される。 葉の刃の射線上から抜け出そうと、ウデッポウは地面を転がり躱そうと試みるが、葉の刃は魔法のようにその軌道を変え、ウデッポウの身体を切り刻む。

 

 

 逃げろウデッポウ、池に飛び込むんだ!

 

 

【マジカルリーフ】に襲われたウデッポウを池に避難させる。「みず」タイプのウデッポウに「くさ」タイプのマジカルリーフは効果抜群だ。ウデッポウは確かに頑丈だが、効果抜群の技は痛みも感じるだろうし、これ以上はさすがにまずい。

 

 

 

「やっぱり、みずの技ばかり使うから、その水色ザリガニは「みず」タイプだったようね」

 

 

 相性表を作って正解だったわ、とニヤリとする九重さん。

 

 そんなことしてたんだこの子…。真面目と言うか何と言うか。ポケモンの知識は乏しいだろうに、状況判断やそういう勘が鋭いのかもしれない。すでに【マジカルリーフ】を使えるラルトスの潜在能力にも脱帽だ。

 

 

「これで終わりだと思ったら大間違いよ」

 

 

 ラルトスはウデッポウが飛び込んだ池に構え直す。またマジカルリーフか?と警戒すると、ラルトスの身体からバチバチッと何かが弾けるような音がする。

 

 

 良く見れば、ラルトスの身体が、俄に帯電している。

 

 

 九重さんは、眩しい何かから目を守るように、自身の手を目の前に添える。

 

 

 まさか、ヤバ…ッ!

 

 

「池ごと吹き飛ばしなさい、【10まんボルト(10万ボルト)】ォッ!」

 

 

『ラルトォォォッ!』

 

 

 ラルトスの小さな身体から、高出力の電撃が放たれる。放たれた電撃は『バリバリバリッ』という激しい音と共に空気を切り裂き、池に潜むウデッポウに襲い掛かった。

 

 あまりに激しく明滅する電光に思わず目を細める。

 

 暫くして漸く電撃の光が失せ、音が止む。

 

 池には浮かび上がったコイキングとトサキント、そして高価そうな錦鯉たちが、漫画のようにプスプスと煙をあげている。

 

 

「…しょ、勝負あったようね」

 

 

 九重さんは勝負が終わったとばかりに笑みを浮かべる。でも想像以上の電撃だったのか、少し動揺したように心臓を押さえている。ちょっと可愛い。

 

 でもね、九重さん。

 

 何があっても、バトルの最中に目を逸らしちゃダメだよ。

 

 

『ポゥッ!』

 

 

 突如響く、ウデッポウのイケボ。

 

 

「うそ…ッ!?」

 

 

 九重さんがウデッポウの鳴き声に反応し、顔を勢い良く上げる。

 

 

 そう、上だ。

 

 

 ラルトスの渾身の【10まんボルト(10万ボルト)】が池に直撃する寸前、ウデッポウは鋏からの噴射で上空に飛び出し、電撃を躱した。

 

 

 遥か上空には、上昇を終え、自由落下に身を任せるウデッポウの姿。すげー跳んだんだね。

 

 

「くっ、ラルトス!上に向けてもう一度、【10まんボルト(10万ボルト)】!」

 

 

 ハッとしたラルトスが慌てて上空のウデッポウに向けて両手を構える。

 

 

 おいおい、次はこっちのターンだよ。

 

 

 ウデッポウが自由落下の最中、地上のラルトスに狙いを定めようと、鋏を構える。 しかし、落下しているウデッポウの身体は、風を受けてくるくると回転している。

 

 

 でもま、そんな状態での狙撃くらい、お前なら朝飯前だろう?

 

 

 とどめだ、ウデッポウ!

 

 

 ウデッポウが、その鋏の銃口から弾丸を放つ。だがそれは、先程までの圧縮した水の塊ではなく、どす黒い何かが凝縮した塊。

 

 

 回転しながら放たれた為、狙いが定まらないはずの弾丸だったが、それはまるで吸い込まれるように、ラルトスを正確に狙い撃った。

 

 

『ドゴォォォォォンッ!!』

 

 

 上空からの高速の狙撃は、激しい爆音と共に、辺りに砂煙を巻き起こす。

 

 

「ラルトスッ!?」

 

 

 砂煙が止むと、庭には大きなクレーターが出来ており、その中心には地面に激しく叩き付けられたラルトスの倒れ伏せた姿があり、今度こそ起き上がりはしなかった。

 

 

 ラルトスに歩み寄り、屈んで状態を確認する。

 

 良かった、意識はあるようだ。

 

 ラルトスの頭を軽く撫でる。ごめんなラルトス、「フェアリー」タイプのお前には良く効いたろ。お疲れさん、強かったよ、お前。

 

 

「…負けたわ」

 

 

 しばらく俺とラルトスの様子を静観していた九重さんが、ようやくこちらに歩み寄ってきた。ラルトスをモンスターボールに収めようとベルトに手を伸ばし、そこでふと手止める。

 

 彼女は少し躊躇した後、ベルトから手を戻す。

 

 ラルトスの姿を見ながら動きを止めていた彼女だったが、意を決したように俺の対面に屈み、自らの手でゆっくりとラルトスを抱きかかえた。

 

 その身を案じるようにラルトスの頭を軽く撫でた彼女は、小さな声で「ごめんなさい」と呟いた。

 

 

「最後の技、あれってきっと「どく」タイプの技よね?何て言う技なのか聞いていいかしら」

 

 

 やはりこの子は鋭い。そしてこのバトルで何かを掴み、恐らくパートナーとの間にも何かを見出だした。たぶん、ポケモンに関する十全な知識を得たら、手が付けられなくなる気がする。

 

 だが、それもまた見てみたい。

 

 

「そう、【ヘドロばくだん(ヘドロ爆弾)】って言うの…、おかしな名前ね」

 

 

 そう言ってフフッと笑う彼女。次は気を付けようね、とラルトスに語りかけるその顔から、はじめて少女らしい素顔が垣間見えた気がした。

 

 

 

「そういえば」

 

 

 

 彼女が表情を戻し、おどけるように言う。

 

 

 

「あなたのパートナーはどこに行ったのかしら?」

 

 

 

 ……え?

 

 

 …………

 

 

 ………………サーティィィィィィィィン!?

 

 

 

 自らの噴射の勢いで飛んでいってしまったらしいウデッポウ。

 

 焦ってダッシュで探しに行く俺。

 

 そして、その後ろ姿を見送る少女。

 

 腕の中には、彼女のパートナー。

 

 

 

 ラルトス、きもちポケモン。

 

 人やポケモンの感情を、その小さな赤い角でキャッチしているのだとか。あたたかな感情を感じると身体が仄かに熱くなり、敵意を感じると物陰に隠れてしまう。きもちポケモンの名の通り、他者の感情に敏感らしい。

 

 

 

 焦って駆け出していった俺を見ていた彼女の顔には、年相応の少女らしい朗らかな笑みが浮かんでおり、

 

 

 

 彼女の腕に優しく抱えられたパートナーの身体は、

 

 

 

 微かに暖かな熱を発していたらしいんだけど、

 

 

 

 それを俺が知る由もない。

 

 

 

 

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